07/09/15 17:41:30 QjZc2qlz
>>119
三月十六日に就任式、その際 成田打擲事件(眉唾物だが)が起こったとされ
この就任式終了後は成田を皮切りに、続々と関東諸侯が帰国していった
謙信も先立って厩橋へ帰ったのとどっちが早かったのかって位
よって護衛が帰国して輜重隊のみ取り残され、氏康に攻められたらしい
まとめると
二月に鎌倉着陣~藤沢~平塚~大磯~小田原へと進み
三月十三日、小田原総攻撃~三月十六日には鎌倉へ戻って就任式
就任式が終了すると謙信始め、関東諸侯は帰国したと
関東諸侯が崩れだすのは小田原包囲というより二次国府台~
そこで敗北した三楽斎が岩槻城から息子に追い出された事件
あと永禄9年の箕輪陥落だろうね(武田の大軍が関東に侵入)
それまでは小田原包囲の流れをきっかけに三楽斎と簗田晴助らが上杉方に転身、
活躍したり
由良成繁も箕輪が落ちるまでは謙信側だった