07/09/12 00:49:47 wuqkN2nZ
まだ君達は真意を理解できてないようだね。
武田にしろ上杉にしろ小田原や玉縄なんて強襲すれば落城させることも可能だった。
だが将たるもの過度な人的被害は避けねばならない。もし落城させても兵站面で維持することは不可能。
要は、落城させる戦略的価値がなかったんだよ。
君達はアホだから力攻めで小田原や玉縄を一時的に落城させるだろうねw
まぁ君達が喜んで利根川以北に帰ったら見事に北条が奪い返していて権威失墜だろうね。
そして被害甚大だったのでみんなから非難されるね。
102:人間七七四年
07/09/12 01:45:26 z73A5/mH
↑
俺、上杉擁護派だけど
コイツが軍師にだったら即刻、首切ってると思う
てか、小牧長久手の池田恒興か、大坂の陣の大野治長、片桐勝元クラスの能無し配下かな
人の話を理解して流れに沿った提案をする能力に欠如してんだろうね
103:人間七七四年
07/09/12 11:31:49 1filAd6q
↑君はクビだな
104:仙台藩百姓
07/09/12 12:07:55 5/ZjvQ3Y
11万5千はネタでしょ( ^ω^)
105:人間七七四年
07/09/12 19:00:53 mgXXIc8z
師戸城もよろしくな
106:人間七七四年
07/09/12 20:57:21 3MIMozBH
>>101
いや、小田原落とされたら北条は終わりだろ。
謙信の失敗と言えば、調子ぶっこいて相模まで進出してしまったことだな。
兵站軽視&後方攪乱にあい撤退って、お粗末にも程がある。
何のための大軍だと思ってるんだか。
107:人間七七四年
07/09/12 23:09:40 1filAd6q
小田原城を落城させる事が目的ではなくて鎌倉の鶴岡八幡で関東管領に就任する事が目的。オマケとばかりについでに小田原城を威圧して帰っただけ。北条はビビりこもるだけで関東管領就任の邪魔すらできず。
例え落城させても伊豆や三浦に北条が逃げたら長期滞在できないんだからすぐ取り戻されるのは目に見えてる。
よって最初から落城させようとは思ってないのは謙信も信玄も同じ。
領土を浸食していくならともかく、敵地奥深く進入し陸の孤島や飛び地みたいに点の支配をしても維持できない。
108:人間七七四年
07/09/12 23:15:12 UbCm4PQc
謙信が臼井を攻めたとき
陣を構えた場所の山が崩れ落ち、
多くの兵が生き埋めになったらしい
109:人間七七四年
07/09/12 23:23:07 z73A5/mH
それが常識的な考えなんだが
北条好きの方にはどうしても、そんな当たり前の事が理解出来ないらしい
大軍を集めたのは謙信の関東管領就任に際して
その武威を示す為のパフォーマンスの一環だというのに
小田原城を落す為と本気で勘違いしてる人たちだから
何を言っても仕方ないけどね
110:人間七七四年
07/09/13 01:09:01 3bRgC0Vt
>>109は>>107へのレス
111:人間七七四年
07/09/14 22:27:48 Bt0qRd17
小田原城が落ちたら氏康は逃げられずに切腹した可能性が高いので、そうできれば
意味があったと思う。
ただこのときは関東管領就任が主目的で、小田原攻めに時間を費やしたくなかったのは
事実だろうね。
成田長泰の頭を打ったため軍勢がバラバラになったというのは甲陽軍鑑の記述なので
かなり疑問。
112:人間七七四年
07/09/15 01:20:54 akJPEW76
もともとの拠点が伊豆なんだし、最悪の場合は今川へ逃げる手もある。
謙信の父である為景も関東管領軍に撃破され一時的に越後から落ちていった事がある。
113:人間七七四年
07/09/15 13:59:59 HDzLXLkV
今川にしたって謙信が越後国や上野国だけでなく、武蔵国や下総国どころか相模国や伊豆国までも支配する名実ともに関東管領になってしまい巨大勢力になるのは脅威になるので歓迎しないはず。
よって小田原城落城は伊豆に撤退した北条に対する今川や武田による北条救援を誘発するのは間違ない。無論、今川も武田も漁夫の利も視野にいれた領土的野心を隠しての支援だがな。
よって敵地奥深く進入しての小田原城落城は維持できず得策ではない。下手すると上杉が苦労して落城させた小田原城さえ気付いたら今川領になってる事すらありうる。
114:人間七七四年
07/09/15 14:23:40 /ZAG2gLU
>>111
時間をかけたくないもなにもとりあえず兵力がまだ多くて勢いのある3月のうちに就任式済ませておきながら
その後集めた膨大な兵力をタテに3ヶ月もウロウロしてたんですが。その間に城門に攻めて撃退されてるし、
氏康のつぎ込むゲリラ戦にだんだん消耗させられてるうちに(大藤式部など)
兵站を甘く見て、持久戦に敗北しただけ。
これだけの時間と兵を費やして目的が最初の鶴岡八幡宮って、そりゃ関東勢も見放すわ。
115:人間七七四年
07/09/15 15:58:24 HDzLXLkV
鎌倉に来たついでに何もしないで帰る方が変だろ。包囲くらいするだろ普通。
正当性ある管領に就任。それを見せつけに伊勢氏に威力偵察したら偽証北条が手も足もでないもんだから卑怯者めワッハッハとバカにして酒盛りして帰っただけ。
116:人間七七四年
07/09/15 16:27:53 /ZAG2gLU
>>115
包囲はできてないよ、陣を張ってた位置が、もっとずっと遠く。
二の丸も出来て無い頃の小田原城を包囲するなら、もっと近く無いと不自然。
117:人間七七四年
07/09/15 16:28:10 fbHAG6so
目と鼻の先の鎌倉で就任式ってどんだけ北条を馬鹿にしてんだよw 思うに北条を誘いだして決戦するつもりだったんじゃないの?
118:人間七七四年
07/09/15 16:43:43 QjZc2qlz
>>114
永禄四年二月に鎌倉へ入って
三月十三日から小田原攻撃
しかし三月十六日には鎌倉へ戻り、就任式をしたと
学研の本には書いてあるけど
就任式の後は早々に近衛前久、上杉憲政を連れて厩橋へ戻った
厩橋では北条高広を城主に据えるなど配置を決め、
六月に越後へ帰国
九月には第四次川中島が出来る程だから
関東では兵を損耗してなかったんだろう
119:人間七七四年
07/09/15 17:10:05 /ZAG2gLU
>>118
基本的にそれで合ってるよ
ただなんで鎌倉で就任式やったぐらいで、小田原包囲が終わった事になってるの?
謙信が陣を張っていたのは現在の大磯付近、小田原より微妙に鎌倉の方が近いぐらいのとこだよ。
上野の厩橋や鉢形の4月下旬文書で、そろそろ謙信の小田原攻めが終わろうとしている事を伝えるものが残ってる
逆に言えばその間ずっと対陣してた事になる。越後に戻ったのも6月だし特に矛盾は無い。
衝突は小競り合いが多いし前線に立っていたのは関東の兵力が多いので、
謙信自身の兵力の損失は少なかったろうけど、その兵をこれだけの期間養う兵糧を
越後から持ってきたとは考えにくいので関東大名らの負担は想像を絶するものだったのではないか。
謙信が撤退した後の北条方へのなびき方、今まで割と均衡してたのに直後の国府台合戦で
氏康に一気に追い詰められる関東大名らの状況を見る限り、経済的な圧迫は半端ではなかったのではないかと。
120:人間七七四年
07/09/15 17:41:30 QjZc2qlz
>>119
三月十六日に就任式、その際 成田打擲事件(眉唾物だが)が起こったとされ
この就任式終了後は成田を皮切りに、続々と関東諸侯が帰国していった
謙信も先立って厩橋へ帰ったのとどっちが早かったのかって位
よって護衛が帰国して輜重隊のみ取り残され、氏康に攻められたらしい
まとめると
二月に鎌倉着陣~藤沢~平塚~大磯~小田原へと進み
三月十三日、小田原総攻撃~三月十六日には鎌倉へ戻って就任式
就任式が終了すると謙信始め、関東諸侯は帰国したと
関東諸侯が崩れだすのは小田原包囲というより二次国府台~
そこで敗北した三楽斎が岩槻城から息子に追い出された事件
あと永禄9年の箕輪陥落だろうね(武田の大軍が関東に侵入)
それまでは小田原包囲の流れをきっかけに三楽斎と簗田晴助らが上杉方に転身、
活躍したり
由良成繁も箕輪が落ちるまでは謙信側だった
121:人間七七四年
07/09/16 01:49:40 vqGHlR88
>>120
謙信が3月に厩橋に帰ったとする記録は何から推察してるの?
122:人間七七四年
07/09/17 17:20:03 F2D5Dm/o
>>121
(三月十六日直後に帰国した)長泰に倣って他の諸将も領国へ帰った。
池沼・北条氏康はこの機を見逃さなかった。
全兵力を挙げ反撃に出るも、謙信は近衛前嗣、上杉憲政とともに素早く上州へ引き揚げていた。
と、上杉謙信の学研本に書かれてる
あと里見の名将、小田原包囲の立役者、正木時茂が四月六日に亡くなってる
里見は支配権的に謙信&関東諸侯が帰国した後も、北条とは最後まで対峙していた筈
その最中、軍司令官たる正木が亡くなってるにも関わらず
これと言った混乱が伝わってない
つい最近まで、正木時茂の没年は天正年間だと勘違いされたほど目立たない事件
上総に在る里見の菩提寺から時茂没年を記した史料が発見され、やっと訂正された
よって里見軍は四月六日より、かなり前に兵を収めていたのでは
123:人間七七四年
07/09/17 18:45:22 60hyUZeg
正木って原氏のこもる臼井城を陥落させたんだっけ?
第二次国府台合戦で戦死じゃなかったんだ?
124:人間七七四年
07/09/17 23:58:55 eo15+WUx
謙信が関東勢より早く尻をまくって逃げてたとすると、従来の説より遥かにマヌケだな
攻撃からたった数日で逃げ去っておいて野戦で戦えも無いもんだ。
結局関東の兵を盾に、鎌倉で自己満足して終了。
125:人間七七四年
07/09/18 02:04:19 nUo5H54J
成田ら関東勢も引き揚げ、謙信本隊も引き揚げ、里見軍も引き揚げ
もちろん言い出しっぺの佐竹ら常陸勢も引き揚げてただろう
氏康の手が届く範囲だったのはノロノロ北上する輜重隊程度
つまり包囲軍は誰一人討ち取られても無いし、被害も微少
これで武蔵~下総まで主戦場を押し戻す事が出来た
凶作の年に行った遠征にしちゃ上出来
126:人間七七四年
07/09/18 09:55:20 HyAyYhuN
短期的に見れば、確かにその通りだけど
中・長期的に見れば関東諸将をあれだけ動員したにも関わらず、
北条の支城網も主力もそのまま残された事は明らかに失敗じゃね?
確かに戦線は大きく北条側に戻ったけど、
支城網と主力を駆使した北条の内戦防御の前にじり貧になったのは上杉方なのは事実だし。
あの手の連合は、信長包囲網もそうだが、
一戦でケリをつかないと地理的に連絡・連携を取るのが困難になるばかりか、
空中崩壊しかねない危うさも秘めているから、短期である程度の具体的な戦果は必要。
127:人間七七四年
07/09/18 17:49:11 nui+fkE4
信玄でさえ迂回した玉縄なんて、そう簡単には落とせないよ
ここは信玄、謙信のみならず早雲も家康も力攻めは無理だと判断してる
あと滝山も信玄が落とせなかった堅城
ここで兵糧不足の中、力攻めで死傷者多数→城も落とせず、だったら
その時点で関東連合瓦解プラス、越後勢も川中島への移動不可能
問題なのは小田原包囲以降かと
国府台で里見と太田が酒宴さえしてなければ、江戸城は上杉方に寝返っていた
その頃は成田・忍、小田・騎西、広田・羽生、太田・岩槻ら、反北条ラインが機能してた時期
国府台の大失態さえ無ければ、岩槻から資正が実子に追い出される事件も起きなかったし、
江戸城まで着実に勢力を拡大出来ていた
謙信は後詰めが出来る位置に居たにも関わらず、
彼に急報を知らせず、油断した太田資正・・・まさに一生の不覚
128:人間七七四年
07/09/19 11:28:05 O8bVrgFw
玉縄は早雲が築城したわけじゃないの?
129:人間七七四年
07/09/19 15:50:24 8F3mPA49
>国府台で里見と太田が酒宴さえしてなければ、江戸城は上杉方に寝返っていた
なにこれ?
130:人間七七四年
07/09/19 17:57:32 V/voPWee
第二次国府台合戦までの流れ
>>129
『長尾景虎が関東管領に就任すると反北条の気運が高まります。
江戸周辺にも反北条方の岩槻太田氏の勢力が伸び、北条方の葛西城も落城、
江戸川沿いの地は岩槻太田氏に制圧されます。
こうした中で家督を継いでいた太田康資は、永禄6年(1563)冬に北条氏離反を決意し、
(かねてより北条氏の支配に対して不満を持っていたものか?)
永禄7年(1564)正月の第二次国府台合戦で里見・岩槻太田氏と連合し北条方と合戦に及びます。』
太田康資の寝返り画策は上記の1563年説以外にも、1564年とする説もあるようで
『永禄7年(1564)、江戸城にあった太田康資は、資正と内応し、
謀反を企てたが、露見して岩付城へ逃げた。
氏康は里見義弘と資正の連合軍を国府台合戦で破る。』
と、紹介している所も在る
第二次国府台合戦では太田康資以外の江戸城守将、北条方の遠山と富永が戦死
初戦において里見・太田軍は大勝
が、それに油断した里見・太田軍は正月気分という事もあり、酒宴を催した
それぞれの大将が各部署を労い、居場所が分からなくなるほど、陣は乱れきったと言われる
それを知った北条氏康が奇襲、敵前で酒宴を開いた里見・太田軍は壊滅した
131:人間七七四年
07/09/20 09:19:28 IJ0YalAV
その時謙信は臼井城攻めてたんだっけ?あれ小田氏の城を攻める予定だったんだっけ?
132:仙台藩百姓
07/09/20 11:17:03 YU0woI+2
小田城を攻めていたお( ^ω^)
永禄6年12月、里見義弘は太田康資らと呼応して国府台に出陣
同6年12月、上杉輝虎は上野和田城を攻略して東進
永禄7正月、北条氏政・北条氏照が里見義弘・太田康資らの篭る国府台城を包囲
同7年正月、上杉輝虎・佐竹義昭・宇都宮広綱ら小田城を攻略。上杉輝虎、上野厩橋城に帰陣
永禄7年2月、国府台城落城し里見義弘ら敗走
同7年2月、上杉輝虎ら下野佐野城攻略。上杉輝虎帰国
翌、永禄8年2月に北条氏政は前年の戦いで里見側に通じた土気城の酒井氏を攻めた
酒井氏は上杉輝虎に援軍を要請
これを受けた輝虎は越山し臼井城攻めが発生するわけだお(^ ω^)
133:人間七七四年
07/09/20 18:15:53 ozOfyemU
>>131
小田城から国府台は来援できない距離じゃないしね
里見・太田も初戦の大勝で油断せず、防御陣形を緩めず、謙信を呼んでいたらなぁ
地形的にも非常に優位だった里見・太田軍
まさか謙信もその八千の軍勢が五千以上もの死傷者を出し、壊走
上総が制圧され~久留里まで落城するとは思わなかったろう
北条氏康は三日分の食料しか持たなかった(持てなかった)とも言われてるし
謙信が南下してきた場合、里見・太田との挟撃を恐れ、小田原へ引き揚げるしかない
城主が討ち取られ、後詰めが帰国してしまった江戸城は降参するしかない
小田原包囲から国府台までの数年間は
成田一族も味方につけ、武蔵でも勢力圏を広げ、上杉&関東連合は優勢だった
そもそも里見の本拠、久留里城が北条の大軍に囲まれ、
正木時茂から救援依頼を受けた謙信
・・・北関東を切り従え、それが1561年の小田原包囲にまで繋がったのに
1552年・関東初出兵~1564年・江戸城牽制までの12年に及ぶ快進撃が水泡に帰した
正月ドンチャン騒ぎによって
134:人間七七四年
07/09/20 21:06:49 IJ0YalAV
久留里城は落城してないのでは?
135:人間七七四年
07/09/20 21:35:23 o41XFXsE
めっちゃ地元だけど臼井に城があったなんてこのスレで初めて知ったw
>>1の本佐倉城の「本」が意味分からなかったけど本佐倉城と佐倉城があるんだ
佐倉城は国立歴史民族博物館になってるし小学校の遠足でも行くから地元民はみんな知ってるけど
本佐倉城と臼井城は地元民に存在すら知られてないと思います
臼井はどっち行ってもデカイ急坂があって日常生活も車が無いと大変だけど城があった関係なのかね
でも佐倉城の方は平らなんだよなぁ
まあ佐倉城を本城として見た場合に敵が攻めてくるとしたら臼井側からだから
臼井地区を防衛に使ったんだろうけど今は関係無いから平らにしてくれ
136:仙台藩百姓
07/09/21 00:48:42 SxiH6EdB
上杉勢は八千だったの?
どのみち上杉本隊の数だおね
臼井城方は二万やそこら居たのに八千で本丸まで迫ったなら化け物だお(;^ω^)
137:人間七七四年
07/09/21 06:25:33 a49iY5Cj
臼井城に二万も収容できるか?
138:仙台藩百姓
07/09/21 14:38:46 SxiH6EdB
篭城戦はみんなで城に引きこもるのではなく
城の周囲に出城や陣地を構築し内外で敵を迎え撃つものだお
臼井城自体も東西1.1km南北1.7kmの巨大城郭だし余裕で収容できるお
ちなみに城方の勢力は
臼井城主原胤貞 5千騎
小金城主高城胤辰 1千騎
手賀城主原筑前 3百騎
本佐倉援軍 5百騎?
陣代松田憲秀 5千人
139:人間七七四年
07/09/21 16:20:51 D6wSrHXM
籠城方の方が兵数多いのに、謙信追い詰めたの?
神じゃん・・
てか、北条方情けねーw
140:人間七七四年
07/09/21 21:12:57 9hUdL6Dx
それって城に篭った人数ちゃうやろw
松田憲秀なんて現場に来てないし。
141:人間七七四年
07/09/22 01:15:27 CP5IMgMB
>>134
同じ年の十月に一時陥落している
二年後に里見氏が奪還
142:人間七七四年
07/09/22 02:24:40 g02fly0x
相変わらず上杉の事になるとかばい始める百姓には、政宗ヲタを騙らないで欲しい。
正直に上杉ヲタらしいHN名乗れば良いのに、ウザ過ぎ。
143:人間七七四年
07/09/22 02:49:02 d8JxdQQm
こいつは関宿合戦に絡んだ越相同盟の話題じゃ
謙信を批難してたが
144:人間七七四年
07/09/22 04:13:56 XXQbWci3
>>142
ヒント:上杉オタ関係なしに北条が負けたという事実をみんな常識として語ってる
145:人間七七四年
07/09/22 04:22:12 Ftx9ItvP
その通り。史書に記され、人々の記憶に残るものが歴史上の事実。後はガラクタ。
146:人間七七四年
07/09/22 16:04:49 xR5ejphC
じゃあやっぱり謙信の負けじゃん。
147:人間七七四年
07/09/22 16:32:51 kNHNr6jD
上杉>佐竹>里見>北条>宇都宮
148:仙台藩百姓
07/09/22 17:10:06 MWlBeHx6
あれだけ北条が躍起になって攻めても最後まで宇都宮は落ちませんでしたお( ^ω^)
149:人間七七四年
07/09/23 23:05:51 D8hyeBX0
恣意的だな
まるで宇都宮氏が宇都宮で徹底防戦して、守りきったような言いぐさだ
逃げ出した癖に
150:人間七七四年
07/09/24 13:52:14 kmPoAKjy
北条が戦国大名でもかなり弱いってのを早く認めろよ。
武田・上杉の大軍がきたら殻に閉じこもるだけでなく佐竹に破れ、挙句の果てには本能寺の変後の織田領切り取り合戦でも
徳川軍の方が圧倒的に兵数が少なかったにも関わらず家康の強気の交渉にビビリまくり信濃・甲斐をプレゼントしたろwww
もしあそこで家康を敗死に追い込めば・・・つか兵力が北条5万に対して徳川8000だぜwww
家康が死んだら、信濃・甲斐・駿河を奪いとって遠江・三河を圧迫し柴田・羽柴の天下レースに参加できたのにwwwww
答え・・・相当にアホでヘタレだった北条。
151:人間七七四年
07/09/26 00:29:36 dqvLVfiC
↑
メガ豚
152:人間七七四年
07/09/29 01:09:13 GNjyGYEj
>>150
キモイからw
北条がヘボいからと言って、オマエが偉いわけじゃねえんだよ。
このチンカスがw
153:人間七七四年
07/09/29 03:02:00 ZalCQC0N
でも北条のおかげで
上杉謙信を臼井から撃退できたんじゃないの?
154:人間七七四年
07/09/29 03:39:40 0d1RN7fs
ただ単に謙信が無理押しして自爆しただけ
155:人間七七四年
07/09/29 04:11:06 Wg4oBYj6
千葉県はもっとこの城をアピールすべきだな。
まずは地元民にアピール開始しろ
156:人間七七四年
07/09/29 06:02:17 kOHy7dwT
せめて謙信配下の有名武将を一人でも討ち取ってないとな
砥石崩れの横田備中みたいな感じで
北条軍は上杉の武将を討ち取るどころか
逆に殿の北条高広、新発田治長の猛攻を受けたって噂も聞く
金山城~厩橋城の裏切りも臼井城云々より
箕輪落城が原因だと思う
あと国府台で大敗してる里見って
この臼井城攻めじゃ援軍は500人しか送れなかったと
仮に臼井城が落ちた所で保持するのは困難だったのでは
三船山合戦と臼井攻めが逆だったら分かるけど
157:いすみん市民
07/09/29 06:03:51 C58X6xZs
万喜城もヨロシク!
158:人間七七四年
07/09/29 08:25:37 PMaf4glm
厩橋以外の由良氏等の集団裏切りは箕輪城落城以前。
ただ集団裏切りについては箕輪城が窮地に陥っていたのに利根川以西の遠征なんかやっていた謙信の戦略ミスが原因だろう。
謙信は永禄九年に臼井城の後にも二回越山しているから臼井城でそこまで大打撃を受けたとは思えない。
けど城が落城寸前になったときにそこで城外の軍勢が攻城側を攻撃して敗走させると言うのは真田の第一次上田攻めと同じだ。
狙ったものかわからないけど十分な勝ちではあると思う。
でも和田城の方が凄いよ。(近世成立の史料性に欠ける軍記では二度謙信を撃退したことになったいるが、実際には三度)
159:人間七七四年
07/09/29 13:56:50 FVCU+90x
>>158
箕輪はその支城群がほぼ切り崩され、その落城は防ぎようが無い
と、由良(金山城)の目に映ったのでは
謙信も大規模な西上野奪回計画を企図、
宇都宮などの兵を集めるも
氾濫した利根川に阻まれてしまった事もあったらしい
あと里見が滅亡の危機に晒されていたので、そっちも救援したかった
神の目で見ると、里見はほぼ自力で復活するって分かるけど
あの時点で里見の消滅に危機感を抱いても仕方がないような
160:人間七七四年
07/10/03 12:52:48 5M9niKm7
あげ
161:人間七七四年
07/10/08 07:43:25 m+wFFfo2
謙信亡きのちに北条打倒に燃えて立ち上がり、秀吉の元で謀を巡らし千里の外で勝利を決する稀代の策謀家。
家康と北条が最も恐れた天才軍師渡瀬繁詮は秀吉の関東政策の頭脳として仕えて
その智略で危機に陥った自分の兄弟たちを救援すべく佐野・宇都宮・佐竹・上杉を動かし北条包囲を形成し北条始まって以来の最大の危機に叩き落とし小牧長久手の戦いに北条が援軍を送れないようにした鬼才の持ち主。
162:人間七七四年
07/10/08 18:22:35 eEcyytoG
謙信は臼井城での失敗で関東諸将に見限られてしまった。
この後の謙信の勢力は沼田領まで後退して、反北条の勢力は佐竹義重を
中心に戦う事になる。
163:人間七七四年
07/10/09 07:08:57 xfkakNxS
えっと…
164:人間七七四年
07/10/09 13:09:04 dKpJUBYy
最強は太田金山城が一番だろ。臼井城は忍城よりレベル落ちるだろ。
165:人間七七四年
07/10/09 13:42:19 dKpJUBYy
和田城ってなぜ落城しなかったんだろう…支城網がしっかりしてたんかな?
厩橋城から利根川を渡るにあたり渡河ポイントはどこだったんだ…
166:人間七七四年
07/10/10 07:51:20 ZR2aw1Yu
謙信は北条との同盟に踏み切り、武蔵羽生領まで回復するが、
佐竹義重から不信感をかってしまう。
その後、北条氏政と同盟が破棄され、関東で再び対立する事になる。
関宿城救援の為、謙信は佐竹義重に協力を要請したが、謙信に不信感を
持つ佐竹家の重臣達は、白河領確保を優先して北条との単独和議を結び、
兵を退いてしまった。
謙信は佐竹の背信行為に怒り、羽生城を破却し武蔵領から完全撤退して、
厩橋領までの維持で関東支配を終える。
167:人間七七四年
07/10/10 10:55:36 ZnhLB68z
ここまで読んで知らない件も多くためになったが、つくづく謙信ってのは戦は得意だが
何も考えてない天然君だったんだなーと思った。あと里見、太田は馬鹿過ぎだなw
しかし、こんな里見相手に二度も大敗してる北条も、強いんだか弱いんだかよく分からないね。
168:人間七七四年
07/10/10 12:01:28 RsAz88+/
>>166
それ以前の1567年に佐野氏が謀反したので上杉・小山・太田・佐竹で攻撃する予定が佐竹の背信行為で謙信が怒ってる。
佐竹の為にわざわざ前年に常陸国まで出向き小田城攻めをしてあげたのにこたびの佐竹は北上し白河結城攻めを始めた。
しかも前年に佐野氏を討伐した際の助命嘆願したのは佐竹・宇都宮なのに見事に再度謀反してる不始末なのに出兵してこない。
俺でも佐竹の態度に怒るわ。
169:人間七七四年
07/10/10 12:44:13 jmoEY5Zu
>>168
その離反の原因は、謙信自身が「北条高広のせいである」としているが
つまり身内の不始末から離反されたんでしょ
何一方的背信に仕立ててるのさw
170:人間七七四年
07/10/10 13:10:19 6uUFXOTZ
つか佐竹が宇都宮と組んで北上したのが2月くらいだろ。
4月に北条が謙信に謀反してんだからクダラン謀略に乗せられて恩を仇で返した佐竹が悪いだろ。
北方での権益拡大をはかって佐竹の利益を優先したのが原因なのは明白。おかげで北関東同盟は破綻し、のちのち佐竹は後北条氏と伊達政宗の南下の圧迫に崩壊寸前まで追いつめられたんだからアホすぎ。
171:人間七七四年
07/10/10 13:50:52 RsAz88+/
穿った見方をすると最初から佐野・宇都宮・佐竹・北条は裏でつるんで謙信を欺いていた可能性すらある。
172:人間七七四年
07/10/10 21:43:18 ZR2aw1Yu
佐竹義重は実力のある武将だけど、保身的なとろこが多々あり、
最後まで謙信のよき協力者にはなれなかった。名家の誇りがそうさせたのか、
関東管領風を吹かせる謙信にアゴで使われるのを嫌がっていたのだろう。
景勝と良好な関係になったのは、景勝が義重に対し、低姿勢だったのでは?。
173:人間七七四年
07/10/10 22:12:13 ZnhLB68z
>>171
謙信=日本
佐野・宇都宮・佐竹=韓国、北朝鮮、中国
北条=ロシア
今で言えば、こんなとこか。
174:人間七七四年
07/10/10 23:02:29 BPj+jBtX
結局何の成果も信頼も得られず敵にも味方にも欺かれた謙信が一番アホって事じゃんw
だいたい長尾自体が旧体制の破壊者なのに今更北条糾弾しても白々しいだけだわな
アホで力持ってるから周囲から見ればいいカモ
敵にまでいいように利用されてるのだからとんだ道化だw
175:人間七七四年
07/10/10 23:19:40 USeyr1vq
>>173
正義厨・謙信は、世界の警察・米国以外無いなw
手前勝手な正義を振りかざして武力で何とかしようとしている辺り特に。
176:人間七七四年
07/10/10 23:55:05 RsAz88+/
論破されて必死に謙信の足を引っ張って引きずり降ろそうと必死でつw
醜い姿をさらしてるのが織田厨w
177:人間七七四年
07/10/11 14:06:28 K4n85mDz
関東情勢は複雑奇怪
上杉と佐竹の関係もそうだけど
一旦手切れした連中がまた都合であっさり手を結んだりその逆だったり
北条氏綱の「義を守って滅びるのと、義を捨てて栄華を極めるのは全く違う」という遺言は、実は約束なんてあってなきが如しの関東武士に対する痛烈な皮肉だったりして
178:仙台藩百姓
07/10/11 15:11:48 8zIfyEaJ
謙信など一国治めるのも上手くいかない程度の能力であり
一地方を治めるような人物ではあるまいお
そんなのに頼らなければならない時点で終わってるお┐ (´ω`) ┌
179:人間七七四年
07/10/11 15:43:55 N/1xmGhh
足長信玄が火をつけてまわってる
11月になると雪で活動が阻害されるのをいい事に北条が火事場泥棒する。
こんな状況じゃ普通の主では速攻で死ぬと思うよ。
180:人間七七四年
07/10/11 18:39:08 IbrfXsCK
>>172
越相同盟以前から、佐竹は謙信から参陣を求められるが拒否している。
謙信が「やめろ」と言っているのに、白河と戦ったり・・。
もともと仲が悪いんじゃないか?
佐竹は関東管領家の血筋を引いているから、謙信の関東管領就任を嫌がっていたともいう。
181:人間七七四年
07/10/11 18:48:38 N/1xmGhh
父の佐竹義昭が上杉憲政から関東管領職を譲るって打診してきた時に断ってる。
子の義重は「本来なら佐竹が関東管領だったのに!なんで長尾風情の下風に立つハメになるんだよ…しかも佐竹は源氏の家柄なのに血は関東管領上杉だし」みたいに思ってたって言うしね。
182:人間七七四年
07/10/11 19:36:45 +/0VQfjx
そんなくだらない対立を続けているから北条の拡大を許す結果になるんだよ。
まったく東のアホ大名どもは救い様が無いね。
183:人間七七四年
07/10/12 09:22:56 0GZmuSDS
みな、自分の利益のために動いてるだけだからな
そうなって当然
信長包囲網とかもそうだけど、野合集団が大勢力を打倒できた例はほとんどないから
184:人間七七四年
07/10/12 21:09:05 5xm8RSQD
戦国の関東の諸勢力の研究をもっと強めるべきだと思う。
だた単に、上杉謙信対北条氏だけではなく。
185:人間七七四年
07/10/12 21:23:08 ajWNfy9c
資料があまりなくわからない事が多いから状況証拠の積み重ねで証明していくしかないのよ。
せめて関東の諸将の婚姻の相手とその時期がわかると解けそうな問題も多いが…なんでだよ?ってのが多すぎ。
北条五代や上杉謙信がメインで大河化しないのもそういう側面が多いのでは?
186:人間七七四年
07/10/12 21:25:31 H0EPQKjm
中国のように捏造しちゃえばいいじゃん。
187:人間七七四年
07/10/12 21:27:25 5QCYMV7K
>>184
唐沢山城の佐野家を調べると、そう思うねw
「一度も謙信に落とされなかった!」から「謙信に降伏と反乱を繰り返したので、色部父子が駐屯した」まである。
どうやら後者が正しいようだが。
188:人間七七四年
07/10/12 21:43:04 8Q2wKrb2
『長野記』、『和田記』、『佐野記』、『成田記』…
ここら辺の関東諸勢力に関する軍記モノはたいていは先行の軍記物からの地元マンセー創作だろう。
ただ、『和田記』のように、ここでは謙信を二度撃退したとなっているものが、
他の信頼できる史料で検証してみると四度だったという例もある。
189:人間七七四年
07/10/12 22:02:54 5xm8RSQD
ここのレスの書き手さんは、有能な方ばかり。
勉強になります。
190:人間七七四年
07/10/13 06:14:05 5H6zXTuX
謙信の臼井城失敗と敗戦は、謙信の関東統治失墜の一番の原因なので、
くわしく知りたい。その後の謙信が関東の勢力範囲を取り戻すのは北条氏
との同盟によってもたらされたのであって、実力では回復は出来なかったのだ。
北条高広が謀反を起こしたのは、北条氏との同盟交渉を失敗したのを謙信に詰られた
からだ、という説もあるけど他にも原因があるような気がしてならない。
191:人間七七四年
07/10/13 08:39:10 q3dTJ1I6
臼井城での敗北は、上杉側の公式な資料にでてこないらしいからね。
謙信の関東統治のターニングポイントなのに、あまり注目されなかった
のは、この点が影響してるんじゃない?
上杉家としては隠したいもんな。
192:仙台藩百姓
07/10/13 09:07:24 POMyhXmr
武力じゃ上野一国切り取れない謙信としては
上野と武蔵北部の割譲は魅力的な提案だったのではないかお
関東管領も容認されるから一応の体面も保たれるし越後の防衛上も安心だお
それに謙信は一度関東政策を棚上げしたかったのだと思うお
足利義昭が上杉と北条の和睦を催促していたからだお
臼井城攻撃中も義昭から帰国を促されており
いつまでも無視する事も出来ず無理押しして敗退した背景がある
だが、足利家と確執があり戦略上も優位に立ってる北条に和睦する理由はない
その後、三国同盟が破綻し武田に苦戦する北条が上杉との和睦を謀るという事態が発生する
謙信にしてみれば将軍の意向に沿いながら領地もゲットできる提案は悪くない
まさに渡りに舟であったわけだお( ^ω^)
193:人間七七四年
07/10/13 10:31:52 rEtBobdE
あのね、謙信にしてみたら下総の関宿や臼井なんてどーでもよいわけ。常陸の小田もねみーんな佐竹や里見のお手伝いなわけ。
関東管領上杉の領地は上野武蔵相模なわけ。
謙信は足元を固めたいのよ本心はね。松山→川越と進軍して敵の本拠地小田原をつきたい。佐竹や里見の手伝いはウンザリなのだよ。
特に白河結城を勝手に攻めるアホ佐竹と姻戚関係の宇都宮。もうね佐竹は勝手にやれと。
春日山から敵地深く乗り込み常陸や下総だよ。遠いんだっつーの!小田原狙わなきゃシーソーゲームなんだっちゅうのアホ佐竹&里見めらが!
正月早々に戦陣で酒盛りして勝手に負ける太田・里見のせいで武蔵権益が大きく後退するわ足ひっばるんじゃねーつの!
苛々するわな。足利将軍さまの働きかけもあるし北条が敵だらけで低姿勢だし和睦して上洛戦やるからアホ佐竹は勝手にやれと!まっそんなこっちゃ。
194:人間七七四年
07/10/13 10:49:23 RhYoJAqJ
>>192
箕輪城の陥落で、足利長尾と由良と北条高広が寝返った
それがショックで、関東鎮撫をあきらめ始めた気がするw
「せっかく秩序を取り戻そうとしているのに、誰もわかってくれん・・」とか思ってさ。
越相同盟で謙信は勢力を戻した。だけど同盟破棄された後も活発に動いていない。越中・能登・飛騨の北陸のほうに興味をそそられたみたいw
越相同盟破棄後の謙信の関東戦歴
・厩橋城対岸の上野石倉城制圧
・上野膳城・白井城の奪還
・由良氏の本拠地・上野金山城攻撃(落とせず)
・利根川対岸で、武田信玄・北条氏政と睨み合い
・武蔵各地の城下を乱取り程度。
最後に北条軍に囲まれた関宿城を助けようとしたが、佐竹との仲が本格的にこじれて失敗。
ついに謙信は「勝手にしろ」とホン投げて、以後越山せず。
195:人間七七四年
07/10/13 11:01:07 rEtBobdE
倉賀野城も落城し箕輪城孤立により由良金山城が寝返った→箕輪城落城が歴史の流れです。
まぁ謙信にしたら箕輪城は不落の城だから大丈夫だと過信したんではないでしょうか?
196:仙台藩百姓
07/10/13 11:21:53 /qOTzoFm
>>194
まあね
元々謙信の狙いは上洛と自領の保全にあるわけだし
出来れば関東の支配権を確立して関東衆を率いて上洛したかったのだろうけど
さすがに一朝一夕に北条を潰す事は無理だと諦めて
越後の周囲を固めて北陸支配に乗り出す政策に移行していったわけだお
それが顕著に現れたのが越相同盟
結果、関東衆とは決定的な不和が生じたが
北条を滅ぼす気がなくなれば謙信にとっては大した障害にはならないお
197:人間七七四年
07/10/13 13:30:37 CMLLJRA1
URLリンク(www.library.city.sakura.lg.jp)
里見氏と千葉氏についての講演があるので、臼井城の話題が出るかも?
198:人間七七四年
07/10/13 15:10:58 RhYoJAqJ
>>196
うん。
謙信没時の勢力圏をみれば、増水多い天険・利根川の東側は抑えている。この辺りが越後防衛の要。
1574年に武蔵羽生城を自ら破却し、本格的に利根川東岸に「引きこもった」
利根川を越えて武田勝頼・北条氏政が大軍で攻めるのは困難だから、ある意味安心したのかもしれん。
1578年に予定された関東出陣だけど多分、北条に敗れた小山秀綱の祇園城を奪還するぐらいだと思う。
199:人間七七四年
07/10/14 02:04:24 1yt/Z9rP
>>196
お前はいつも大した事を書けないんだから正直コテ名乗るの辞めて欲しいな。
ああ、NG登録して欲しかったんだな。悪い悪い。
200:人間七七四年
07/10/17 07:28:11 feQ/f2V/
>>199
同感
仙台藩百姓は
よく分かってない話を勢いで書き込んでる
相越講和に関宿城を救う意味は含まれてない、とか嘘言ったり
永禄十二年の勢力図で
上杉謙信は早く関宿に到達できる!なんて力説したり
無茶苦茶
201:人間七七四年
07/10/21 19:59:46 NUmzFSMm
>>191
この臼井陣の前から足利将軍家から何度となく和睦の使者がやってきてマジでヤバイから一刻も早く上洛しろと和睦斡旋してきてた。
その為に臼井から去ったのであって臼井城で白井入道が先負の日だから戦わずにいるように言ったのに謙信が気にせずにいたら崖が崩れて越後勢が下敷きになったとか白井入道が謙信を破ったとかあれ全部ことごとく架空話だから。
リアルに白井入道なんていないからw
202:人間七七四年
07/10/21 22:24:09 tLmB/xao
足利家の使者と合戦の結果は無関係やろがw
使者の事実だけみて敗戦は無視?都合のいい処理してんなや。
203:仙台藩百姓
07/10/21 23:06:08 tvyEyYVL
五千余手負死人令出来
話し半分としても上杉軍の大敗北には違いないお( ^ω^)
この敗走で上杉の関東支配は頓挫したも同然
将軍は北条との争いを望まず大義は薄れ
関東諸氏の謙信を見る目は冷たくなる一方
謙信の戦略はお粗末な限りだお┐ (´ω`) ┌
結局保身が精一杯ってとこだったお
204:人間七七四年
07/10/22 06:57:50 hg0uqvMU
>>203
白井入道なんて英雄は存在しない、なんて断言されたり
上杉軍の規模からして有り得ない死傷者数を吹聴したり
越後の武将が一人も死んでなかったり
かなりガセ臭いな
まず五千人っつー数字を提示し、
そこから「話半分としても~」って主張する方法ってさ
「南京では30万人大虐殺された!」って騒いでる輩と同じくね?w
>>200
これが本当だとしたら恥を晒してるとしか
205:仙台藩百姓
07/10/22 09:09:31 ks+kgA4j
上杉軍の規模とか言ってるけど、どのくらいか知ってるのかお?( ^ω^)
206:人間七七四年
07/10/22 09:25:50 ydQ/U5Pk
軍配の名人白井入道は戦勝をデッチあげた北条の得意技。
北条は川越夜戦などデッチあげ勝利ばかりじゃんwww
なんだよたまたま白井入道が臼井城に修行の為にやってきてたってw
とって付けたような捏造をするなよw
松山城救援と翌年の国府台の戦いをごちゃまぜにしてた時もあり、
最近じゃ臼井城攻略してたと思われた槍の正木大膳の生没年が変って息子の功績になったし、
太田や里見が正月から酒宴してたら負けたとかガセっぽい。
数少ない北条の大勝の一つ国府台合戦もそのうち化けの皮が剥れるよwww
207:人間七七四年
07/10/22 09:43:28 ydQ/U5Pk
北条厨は大規模決戦の川越夜戦の感状が一枚も発見されてない事実を隠匿してますね。
208:仙台藩百姓
07/10/22 10:07:23 ks+kgA4j
関宿救う為に同盟結んだわけではなく同盟結んだから関宿攻めが中断されたわけだお
越相同盟結めば上杉方と北条方の戦闘は当然全て中断される
関宿もその一つと言うだけだお
越相同盟自体は関宿攻めが始まる2年前から上杉側では求めていたお
だが臼井での敗走後、北条優勢な戦況でまとまるはずもなかったが
三国同盟破綻で武田北条の戦いが勃発し苦戦する北条側からも上杉と同盟を望む声が出た
これ幸いと謙信も飛び付いたと言うわけだお
だいたい国単位で譲渡する状況で北条が関宿なんか構っていられないお┐ (´ω`) ┌
越相同盟成立で関東での憂いがなくなっても結局武田に敗北したし
でも敗北したと言え北条の外交は上手くいったおね( ^ω^)
駿河に釘付けになってる間に本命の関東荒らし回られたらたまんないお┐ (´ω`) ┌
209:人間七七四年
07/10/22 10:32:51 r9hM2rgq
>>208
北条氏康は、関宿城を一国相当とみていたよw
210:仙台藩百姓
07/10/22 10:53:09 ks+kgA4j
>>209
だったら尚更だお( ^ω^)
北条は2ヶ国丸投げにしなくてはならない程追い詰められていたのに
謙信は餌に釣られて北条を助けるような真似をして
関宿攻められてる当事者の簗田にまで「裏切り者」と非難されてるんだから世話ないお(≧ω≦)アホヤ
同盟成立しても煮え切らず直ぐに破綻したし
結局敵にも味方にも恨まれただけ
世界史に残る下手糞外交だお┐ (´ω`) ┌
211:人間七七四年
07/10/22 10:54:46 VkUPGCIn
関宿の戦略的重要性は軽視できるもんじゃない。
小田原遠征の第一目標が鎌倉での管領就任なら
第二目標は関宿の公方重臣中の重臣で関宿海上交通の要たる水利権を保持する簗田氏を味方に組み込み、ひいては佐竹・里見との連絡線を保持すること。
関宿を失う事は同盟国の佐竹や里見を失う事に等しい。そして水運を手放し補給すらままならなくなる。さらに無力化してた古河城との連絡まで完成し現在の渡良瀬遊水地のあたりの大湿原地帯を迂回が可能になり小山や宇都宮まで危機に陥る。
忍城や騎西城や深谷城、唐沢山城、金山城とはワケが違う。
ここを保持するために和睦したと言ってもよい重要性がある地帯だ。
212:人間七七四年
07/10/22 11:08:02 r9hM2rgq
世界史に残る下手糞外交は伊達政宗だろwwww
秀吉相手には派手な振る舞いして目を引いた割には、所領を半分以上没収。米沢も没収。
家康相手には100万石もらえるはずが、自分の欲深さがあだとなって2万石程度の加増のみ
奥州王と自称して欧米へ使節を出すも、空振り
213:人間七七四年
07/10/22 11:13:20 VkUPGCIn
謙信側も関宿救援にあたり佐竹のヘタレぶりにウンザリしてたし将軍を助ける上洛戦をやりたかった。
とにかく佐竹の援軍がなければ関宿が北条の手に落ちる確実な情勢だったから話を早くまとめた。
佐竹や里見や簗田との話し合いの妥協点を見いだす時間が少なかったのはやむを得ない。
第三次関宿合戦で関宿が落城した後に佐竹や宇都宮や下総結城が危機的な状況になったのは自業自得で、佐竹義重の妹が宇都宮で生んだ子を養子にもらった結城氏が必死になって謙信に救援要請したのはアホとしか言いようがない。
謙信はというと加賀で織田軍を撃破して加賀・能登・越中を支配し越前でも謙信側に寝返る者がいた。
それでも再三にわたる悲痛な越山要請にいままでの越後だけでなく越中にも大動員をかけて関東へ雪解けとともに向かう予定で一説にはびびった北条は氏照に1万を付けて上洛の援軍にしたいと言ってきたとか。
まぁ素直に佐竹と宇都宮が謙信に頭を下げればいいのに面子にこだわる情けない連中www
214:仙台藩百姓
07/10/22 11:25:44 ks+kgA4j
謙信は佐竹、宇都宮、結城、里見辺りが協力してくれないと何も出来ないものね
彼らに臍曲げられると細々と近辺荒らすのが精一杯
武田や北条と違って自力で戦う力がない
結局謙信は息巻いてるだけで役立たずだったおね┐ (´ω`) ┌
215:人間七七四年
07/10/22 11:28:59 jLZCYQUQ
こんなところでしか憂さ晴らしできないお前ほどでもあるまい。
216:人間七七四年
07/10/22 12:21:29 YPCtgJbQ
仙台藩百姓って謙信のこと嫌いだろ?
217:人間七七四年
07/10/22 12:59:19 ydQ/U5Pk
つうか越後から遠く常陸や下総まで助太刀に行ってるんだから佐竹や里見の協力なきゃムリだろアホか。
むしろそこまで蹂躙されて不敵にも領内深々と侵攻される北条がヘタレ。
謙信の場合は奇襲され一戦負ければ渡河ポイントが限られる大河利根川に叩き落され1人も上野国に帰れない死地にいるのにね。
218:仙台藩百姓
07/10/22 12:59:53 ks+kgA4j
他スレじゃ上杉厨扱いされてますお┐ (´ω`) ┌
好き嫌いでしか物事を考えられんやつが多くて困るお
219:人間七七四年
07/10/22 13:25:45 jLZCYQUQ
あんたは周囲を煽って、人より一等上になった気分を楽しんでいるだけだな。
人に誤解させる言動を自ら行って、誤解されたらそれを嘲る。幼稚なやり方だよ。
目障りだが、若いんならそれぐらい元気があっても仕方ないか。
でも、たまには一ヶ月ぐらい書き込みを控えていろいろ見つめ直してみたらどうかね。
少しひねているが、いい素質があるんだから、きっと自分のためになるよ。
220:人間七七四年
07/10/22 18:38:38 +r9C7NK4
>>208
『永禄十二(1569)年五月七日、北条氏照は柿崎和泉守景家宛の書状で、
山王山砦の破却と「山王山人衆」を引き退かせることを了承したと報じ、
翌閏五月七日には破却が行われた旨を上杉謙信に書き送っている』
関宿救援は越相同盟の一要素だったというわけ
同盟締結前の五月七日に「撤退を了承した」と柿崎に報告しているなら、
翌閏五月三日の同盟締結から遥か以前に、謙信が提示していた条件だわな
よって「同盟結んだから関宿攻めが中断された」というのは間違い
「相越講和に関宿城を救う意味は含まれてない」というのは認識不足
必死になって顔文字を連発するより、まずその発言を否定するなり、取り繕わないと×
>他スレじゃ上杉厨扱いされてますお┐ (´ω`) ┌
確か兵八千で臼井を追い詰めたから謙信は凄いって内容だったな
謙信の兵が八千と思うなら、
臼井城で死者五千云々~白井入道なんて講談を信じてしまうのは尚更不様
ただ都合良く、話をゴチャマゼに繋げてるだけ(認識不足な妄想も混入してるし)
221:人間七七四年
07/10/22 20:54:08 iGTDV+HV
なに必死で関係ない話してるの??
222:人間七七四年
07/10/22 21:10:11 uCmZ+jK6
つーか、上杉軍って最大で5000なんだけど。大体は3000程度だったのに、
臼井城で死者五千って凄いね。
そんな状況でも一人もしななかった上杉の武将達ってリアル戦国無双だったんだね!
223:人間七七四年
07/10/22 21:58:34 KvYrOrJn
>>222
里見は国府台で大敗した直後だけに数百の援軍しか送れなかったとか
それでも八千くらいは居たと思うな
ぶっちゃけ白髪三千丈な話より顔文字の自爆を見てる方が面白いw
224:人間七七四年
07/10/22 22:45:39 S2BzLshJ
>>222
死者5千人じゃないよ?死傷者ですよ??
関東の諸軍勢も加わっておりますよ?
225:人間七七四年
07/10/23 02:34:39 SiTCwSeE
>>208
北条が国単位で謙信に譲渡したとは言うものの。実質厩橋と館林くらいじゃない?
由良はあくまで北条「方」であって独立に近い大名。だから成繁の次男は謙信の死後、
北条の足を大きく引っ張るわ。金山城で北条の死体を積み上げるわ。由良だけでなく
佐野も北条「方」とはいえ思うがままにならない存在。同時に謙信が置いた城代を追放したり。
この上野~下野(要するに佐野)北条にとっても支配が浸透してないから、「譲渡」って言葉ほど
実が伴ってないんだよな。北武蔵も岩槻に太田三楽は戻ってこない。北条は認めてるのに
資正が拒否ったんだろうか?
226:人間七七四年
07/10/23 02:41:32 H0rZtkPT
息子の梶原だったか?を北条に人質を出せば岩槻城を返すと言われ拒否した。
227:有楽斎 ◆URAKUMSP2U
07/10/23 05:44:28 Sl9hUzSX
資正は謙信が小田原に侵攻してからは徹底して反北条の姿勢を貫いてますね。
228:人間七七四年
07/10/23 08:41:24 lHT7w5nx
第二次関宿合戦は、武田信玄の三国同盟破りの侵攻で破綻しかけてたわけで
はっきりいえば越相同盟のネタにするような話じゃない
だからダシにされた、と当事者の簗田氏らが謙信に不信を抱いて離反した
謙信にとっては北条高広ら、厩橋賢忠を親族の失態に託けて殺してまで配置した子飼い武将の離反を戻すために北条との講和を必要としたが
ぶっちゃけ関東諸勢にメリットは殆どなかった
229:仙台藩百姓
07/10/23 08:48:28 UJCO8AO+
8千人とか言ってるのは上杉厨だお( ^ω^)
漏れは上杉軍が8千人ばかりで攻めてたとしたら人間離れしていると言ったのだお
だいたい関東軍だけで2510騎いたのに、それに上杉本隊足して8千人のわけないお
上杉厨は足し算できないのかお┐ (´ω`) ┌ヤレヤレ
230:人間七七四年
07/10/23 09:06:37 H0rZtkPT
ダシも何もない。関宿は陥落寸前で簗田も何度となく謙信に使いを出して悲鳴をあげてる。
すでに関宿城の周囲は複数の砦を作られ北条は持久戦のかまえだ。
簗田が人望薄い為に佐竹・宇都宮が援軍を出さず、謙信も怒ってたくらい。
関宿が落ちて一番困るのは謙信じゃない。佐竹や宇都宮・下総結城が一番困るはずなのに一番苦悩してたのが謙信だ。
そもそも関東諸将があいついで越山要請しまくるから管領としてやってきてるのであって領土を奪う為じゃない。
厩橋の場合は松山城救援を拒否し進軍中にも不穏な動きをして謀反したから。
この時は関東管領上杉憲政もいたわけだから謀反した部下という関係だ。
231:人間七七四年
07/10/23 09:22:36 lN+CwPW8
北条を潰さなくては関東争乱は永遠に終わらない、北条の危機に謙信が手助けするとは奇天烈怪奇 北条討伐をうたって度々協力を求めてきたのに180度態度を変えた 謙信の二枚舌に関東中の武将が怒り軽蔑したのは当然の事だろう
232:人間七七四年
07/10/23 10:05:45 jDsZqn6t
その関宿を救ったのは信玄の進撃
越相同盟が結ばれたのはその後だからな
関東諸侯が信玄に靡くのは当然
別に謙信が同盟者じゃなきゃいけない理由は無いしな
まして敵手の北条と手を結んだ日には信頼なくして当然
謙信の人望と実力不足が招いた当然の結果
233:人間七七四年
07/10/23 12:01:29 E5U6rKt7
えっ?信玄が関宿を救う意志あったのw
信玄は利用しまくった後にみごとに里見や簗田、太田、佐竹を見捨てて甲相同盟を結びましたが何か?
しかも謙信が苦心して里見や太田などの利益を考えて交渉して越相同盟を結んだのに、それを蹴ってまで武田と組んだくせに越山要請するDQNぶりが笑える。
里見とかの融通性のない「何が何でも反北条」とかもう盲執すぎて異常すぎ。
234:人間七七四年
07/10/23 12:31:58 zv03uZWp
まあ謙信は武力じゃ結果残せてないし同盟して良かったじゃん
武田に感謝しなよ
235:仙台藩百姓
07/10/23 12:40:55 UJCO8AO+
反北条じゃなかったら謙信なんか相手にされないじゃんお┐ (´ω`) ┌
北条を毛嫌いしていた連中がいたから謙信もお山の大将気取っていられたわけで
北条と結ぶのに抵抗なかったら謙信なんぞ必要ないお( ^ω^)
236:人間七七四年
07/10/23 14:09:56 zv03uZWp
謙信最強スレでは列強がビビって謙信との合戦を避けたから最強だと
主張してるが仙台藩百姓のこれについてどう考える?
237:人間七七四年
07/10/23 14:49:52 H0rZtkPT
越山は謙信の為じゃなく、みんなが再三にわたり望んだから仕方なく奉仕の為に出陣したんだがな。
238:人間七七四年
07/10/23 14:55:38 qgBQ7jcm
百姓の戯言なんてどうでもいいな
史実を捻じ曲げ煽ってばかりいるゴミだし
関宿合戦中止と越相同盟の流れを捏造
その挙句、越後と関宿間には障害が無いような自論も吐く
これにも間髪置かれず、否定レスがついた
指摘されると余裕を装いたいのか
顔文字が極端に増え出すザマは失笑物
239:仙台藩百姓
07/10/23 15:25:25 UJCO8AO+
>>236
強さの定義が明確でないと水掛け論になるだけだお( ^ω^)
ハッキリ言ってしまえば、実際に戦わなければ勝敗なんて分かるわけないけど
240:仙台藩百姓
07/10/23 15:39:10 UJCO8AO+
>>238
何度同じ事言わせるんだお(´ω`)
関宿攻めが始まる前から謙信は越相同盟の道を探っていた
関宿救出はそれに後から付随したものであると言っているのだお
例え北条が関宿を攻めていなかったとしても謙信は同盟を結ぶつもりだったのだお
241:人間七七四年
07/10/23 16:05:59 Z05DFinl
>>225
厩橋は独立した領主として行動しようとしていたことが明らかな越後北条であり
館林も足利長尾であることを考えれば上野下野については
これらの勢力が北条と上杉の講和を望み、どちらかと言えば上杉側に復帰しようとしたいうだけで譲渡とは言えないよね。
>>230
>厩橋の場合は松山城救援を拒否し進軍中にも不穏な動きをして謀反したから。
もう既出だがこれは厩橋長野賢忠の名が誤って伝わった長尾謙忠におそらくあとから付け加えられた話で
実際には最初の越山の際、厩橋城開城後に伊勢崎に進軍した時に厩橋長野軍の馬が暴れたので謀反の嫌疑をかけられ同族化していた大胡氏ごと滅ぼされ。
補足すれば厩橋長野は鷹留長野とは違い箕輪長野から独立した勢力であり、上杉憲政が落ち延びた後は北条に味方して
沼田氏の内紛に乗じて沼田城を攻め落として北条に差し出すなどしていたが、謙信の越山では城下に兵が集まったのを見て敵わないと思って開城した。
そんなわけで謀反の嫌疑をかけられるいわれは十分あったが、それにしても降伏した相手をいきなり滅ぼして自分の家臣に城をあげたわけで、
和田城の離反には大きな影響があっただろうな。
なお越後北条の家臣団には同じ大江氏でありやはり謙信に滅ぼされた那波氏も加わっていた。
242:人間七七四年
07/10/23 18:20:37 y0HxnbMD
>>229
天正三年に謙信が纏めた軍役が5509名だから
ここには手明(荷駄隊)も含まれている
そこに2~3000の兵を足した数字が越後の総軍だろうと、検証本に書かれている
北陸、川中島、国内にも配置するだろうから>>220が言う通り、
5000というのが正しいと思う
謙信自ら纏めた軍役(5509名)がそのまま、遠征軍の実態に近い
そこに関東軍(臼井攻めは上杉・里見連合だったと聞くが)を加えた所で
せいぜい八千前後だろう
243:人間七七四年
07/10/23 18:44:07 EgjXSoka
しかし里見ってのはホントDQNだなw
大事な所で勝手に大敗したり、邪魔したり、かと思えば二度も北条に大勝するし・・・変な大名だ。
244:人間七七四年
07/10/23 18:51:27 +VgFXQvY
臼井攻めで謙信が課した軍役は
里見氏が五百騎、土気酒井氏が百騎(浅間文書)だね。
245:仙台藩百姓
07/10/23 19:15:52 UJCO8AO+
>>242
この時、下総攻略に謙信が関東衆に課した兵役は
里見500騎、横瀬300騎、結城200騎、佐竹200騎、宇都宮200騎、佐野200騎、成田200騎、簗田100騎、
小山100騎、酒井100騎、長尾100騎、太田100騎、野田50騎、木戸50騎、広田50騎、榎本30騎、富岡30騎
さっきも書いた様に総勢2510騎
上杉厨の言う通り上杉が5000人とすると
8000-(5000+2510)=490
関東衆は騎馬武者5人に対して徒武者1人なのかお(;^ω^)
どこでも騎馬武者なんて1割前後なのに関東はモンゴル軍団かお
246:仙台藩百姓
07/10/23 19:45:18 UJCO8AO+
>>244
こらこら
浅間文書には17将2510騎書いてあるじゃんお
なに捏造しようとしてるのだお(#^ω^)
一体上杉厨はなんなのだお(;´ω`)
247:人間七七四年
07/10/23 20:10:19 gIdRsv5m
仙台藩は、伊達政宗でも語っとれ!!。
248:人間七七四年
07/10/23 21:01:23 4aX5Jw1H
>>238
謙信は越相同盟を求めたけど、断られたじゃん。
そこで交渉は終わっている。
しばらく時を置いて、今度は北条が越相同盟を求めてきた。
249:人間七七四年
07/10/23 22:31:54 H0rZtkPT
謙信は前々からしつこく上洛して将軍を助けるように言われてたからね。
250:人間七七四年
07/10/23 23:30:15 ttM71PP6
謙信の何が凄いって、現代においてこれだけ狂信的な
厨房を生み出したことが一番凄いわw
251:人間七七四年
07/10/23 23:37:12 Q58x0ooH
>>248
そこで交渉が終わってるのなら
しばらくして始まった交渉は、付随する条件も又違ってくるって話だろ
情勢は目まぐるしく変化してる
同盟の持つ意味合いが情勢に従って変化するのは当然
「氏照は関宿城の近くにある栗橋城(野田弘朝の居城)を接収し、
ここを足がかりに関宿を攻めようとしたが、
翌年、上杉謙信との「越相同盟」に基づく上杉氏からの停戦要求で関宿攻撃は中止され」
越相同盟に停戦要求が含まれていたのは間違いない
252:人間七七四年
07/10/24 03:24:24 NkLiYfqh
つーか里見って臼井攻めには大して派兵出来なかったんだろ?
里見が軍役を果たせなかったので落城まで到らなかったって読んだ事あるぞ
義重も臼井攻めでは何をやってたのか分からんし
253:人間七七四年
07/10/24 06:26:12 gG4u/idO
>>225
>>241
幾つか突っ込まれてる以外にも、まだ変な解釈があるのか(呆
彼に触発されたのか『第二次関宿合戦は、(中略)越相同盟のネタにするような話じゃない』
なんて書き込まれてるようだけど
関宿合戦を綴ったサイトを色々調べてみると
ほとんどが『越相同盟によって城が救われた』とする文で締められてるよ
文章や単語が多少違う【越相同盟→越相一和など】とはいえ
254:人間七七四年
07/10/24 07:45:24 U3rserps
上杉厨涙目で屁理屈乙WWWWW
255:人間七七四年
07/10/24 08:24:30 Wr+cWvWk
謙信は傲慢だったからね
勝手に京都からつれてきた近衛を関東公方に押し付けようとしたり
敵手と手を結んだことの再発を心配する佐竹家臣団の当然の心配を解こうともせず「天魔」呼ばわりしたり
明らかに関東諸侯を見下していた
ただでさえ成り上がりってことで反感買いやすいのにこれじゃどうしようもない
256:人間七七四年
07/10/24 08:27:03 ZwDzRJKb
>>253
Webサイトで量が多いものが正しいってどんだけwww
257:人間七七四年
07/10/24 08:53:13 3zeIJVuo
>>251
これから平和交渉するってのに戦い続けながらするわけなかろう
258:人間七七四年
07/10/24 09:01:55 s0jI0Og/
>>255
おまえアホだろ。
259:人間七七四年
07/10/24 09:27:42 aWYNZkV3
>255
とりあえず近衛に謝れw
260:人間七七四年
07/10/24 10:24:57 j8zP/grR
謙信て関わったほとんどの大名の悪口言ってるよねw
少し思い通りにいかないとすぐに陰口叩く
やたら感情的なところを見ると謙信女性説てのもなんとなく納得いくな
261:人間七七四年
07/10/24 10:40:01 JcXzOQSR
夢見る乙女だったのかもな
262:人間七七四年
07/10/24 10:52:43 VoyTTCJa
いや、女性は粘り強いから
国主の責任を放り出して遁走したり、あちこちに喧嘩売ってすぐ飽きて別方面にかかったりしているんで
典型的なチャラ男だったんだろう
263:人間七七四年
07/10/24 11:05:16 rAgMRN8k
謙信のことチャラ男なんていうやつ始めて見た
264:人間七七四年
07/10/24 11:12:09 j8zP/grR
チャラ男w
でもほんと謙信って飽きっぽいよね
あれだけ滅茶苦茶やっても御家保てたのだから
ちゃんと政策練って計画的に動けば上杉も繁栄できたろうに
265:人間七七四年
07/10/24 12:37:51 6cITm9Xs
もうね謙信を貶めようとやたら必死なのがワラタwww
キモイくらい執拗に何が何でも引きずり落とそうとして何かメリットあんの?もしかしてツンデレ?
前世に謙信に嫉妬でもしてたのか?
266:人間七七四年
07/10/24 13:11:16 E5PitezL
>>255
URLリンク(messages.yahoo.co.jp)
「これについては、まともな根拠が無く、ただの俗説でしょう。
永禄4年(1561)に謙信と関東諸将の合意によって、足利藤氏が関東公方として古河城に入ると、
近衛前嗣は違約(?)を責めるどころか、謙信宛の書簡で
「とくに藤氏のこと(古河入城)は私も大慶に思っております」と述べており、
関東公方の地位を狙っていたとは到底考え難いです。
謙信は、関東足利氏以外の人間を公方に擁立したことは、ただの一度もありません。」
佐竹の家臣達の心配は状況から考えて異常
謙信は義重が求めるままに誓紙を書いて誓ったというし、
その後、武蔵にある北条方の城下を幾つも焼き払うなどして、関宿城救援へ向かっている
267:人間七七四年
07/10/24 13:16:44 E5PitezL
>>252
URLリンク(www2.harimaya.com)
「謙信勢に対する援軍を後北条勢に阻まれて里見氏が送れなかったこと、
また、後北条氏が後詰めにおり、長陣を嫌った謙信は包囲を解いて越後に引き揚げたことで
臼井城の危機は去った。」
謙信から求められた兵を里見が出せなかった~というのは本当かもしれない
これは里見だけに限らないだろうし
268:人間七七四年
07/10/24 14:39:15 /ayLGqq3
>>257
この停戦要求は平和交渉する前に出された物じゃないだろ
北条による関宿城包囲は破綻するどころか、山王山砦に兵を詰めたままの状態
同盟成立の約一月前5・7に氏照が砦の破却と兵の撤退を了承してる
この時期から考えて
4・27上野新田で行われた同盟条件の討議中に、停戦要求も出されたと考えられる
そもそも前年の12・9に北条から打診してきた同盟交渉(春日文書)なんだし
交渉が始まる直前&4~5ヶ月にも及ぶ交渉の間、関宿城攻撃が中断してるのは当たり前
269:人間七七四年
07/10/24 18:27:19 6Dpvu6g9
>>253
この際( ^ω^)ブーン使うより( `ハ´)シナー使った方が良いな
語尾も「~お」から「~アル」に変えて欲しい
「臼井城戦勝記念館!!5000人討ち取ったアル!( `ハ´)」
「玄関に5000の数字を掲げるアル!(# `ハ´)」
「白井入道の銅像を建てるアル!(; `ハ´)」
千葉県民は相手にしないだろうけどw
270:人間七七四年
07/10/24 21:21:27 3zeIJVuo
>>268
結局同じ事言ってるだけじゃないのか?
和睦交渉相手に、和睦持ちかけた側から積極的に攻撃するなんて考えにくい。
結局そういうことだろ?
271:人間七七四年
07/10/24 21:45:28 flerfAXB
>>214
流れぶった切って悪いが
越後と上野って近辺なのかな?
1000m以上の三國峠が横たわって
酷い時は3ヶ月以上も往来できない。
そりゃノブヤボとか電車、車の感覚だったら近辺なんだろうけど。
ノブヤボも数ヶ月雪で閉ざされるイベントが起こるものの
CPUがアホだから大して痛くない。
個人的な体験で悪いけど、
震災の年、三宮から元町へ向かう緩い坂で行き倒れになりかけた。
通行人にお握りをもらって湊川まで歩いたけど。
坂って予想以上に体力を奪うから恐ろしく思った。
湊川で一年間手伝った後、電車で帰る途上涙がチョチョ切れた。
「電車って便利だ」って。
だから峠を越えた越後兵だけでなく
謙信にとっても関東平野は近くて遠かったのでは。
救援を待つ関東大名にとっても。
272:人間七七四年
07/10/24 22:13:46 LJfF+IdL
>>271
永禄6年11月の関東出兵なんて地獄だわ
越後国内ですら、豪雪に阻まれて進めず
冬の三国峠で何人死んだやら…
273:人間七七四年
07/10/24 23:15:13 h9qNs3u3
何を今さら。。おまえら戦国なめとんのか。
274:人間七七四年
07/10/24 23:16:07 s0jI0Og/
悔しかったら謙信を破った天才軍師の白井入道の存在を明かす北条からの感状を提示しろよwww
275:人間七七四年
07/10/24 23:36:04 h9qNs3u3
悔しかったらって、どのレス対していうとんねん。
この合戦では北条に2通、上杉に1通の感状が残ってるらしい。
276:人間七七四年
07/10/24 23:42:52 s0jI0Og/
だからよ。白井入道だよ。白井入道が謙信に勝ったんだろ。勝った張本人への感状を出せよ。
277:人間七七四年
07/10/24 23:51:35 h9qNs3u3
白井入道っていうのは、今さらだが千葉氏の一族の白井胤治のことやな。
彼への感状は残ってない。あったかも分からない。
278:人間七七四年
07/10/25 00:20:21 m7QM/JNG
まず白井胤治は関東では有名な今公明と言われたとか言われる典型的講談キャラでそのくせ他家ではまったく登場しない。
しかもたまたま臼井城にきてたとか都合がよく、この件以外では登場しない架空人物。
臼井城攻めはそもそも謙信は出馬してないと言われ代わりに顕長が本来の臼井城正統城主千葉久胤が佞臣の原氏に城を乗っとられて結城氏の元に逃げていた事を憐れみ謙信に頼んだ事から城攻めが行われた。
臼井城は薄壁一枚と言われるまでに攻めたてられ落城寸前で足利将軍の矢継ぎ早の和平斡旋で撤退しただけ。
無論、とっくの昔に北条の後詰めは来ていたが手をこまねいていた。
うがった見方をすればむしろ困ってたのは北条で将軍に和平工作を北条が働きかけたんじゃないのかと。
ひいては越相同盟に至る叩き台の役割になったともとれる。
279:人間七七四年
07/10/25 00:32:20 n5fyKj/z
>>278
けつろんがでちゃった
280:人間七七四年
07/10/25 00:41:26 vHDk+ymZ
北条家が将軍を頼る訳ねーだろ。
朝廷ならわかるが。
281:人間七七四年
07/10/25 01:02:53 WUkpWbw6
>>280
北条早雲は将軍足利義澄の命令で母弟の仇である堀越公方を襲い伊豆一国を得た。
長尾顕長の軍を謙信が派遣したって言われてるね。北条の後詰は里見の軍勢の牽制で精一杯で
小田城で残務処理してる謙信・佐竹の本軍が後詰で来援したら崩壊確定だったから必死だったと言われてる。
白井入道は凶日だから兵を戦いの出さないようにと言ったが謙信が凶日とか気にせず攻め立てた愚か者だから崖が崩れて
越後勢が数千人生き埋めになって敗北したとかもう講談話の極地で笑うw
282:人間七七四年
07/10/25 01:42:13 vHDk+ymZ
>>281
早雲と氏綱は全く違う。もっと言うと伊勢家と北条家は違う。
本拠を小田原に移したのも、姓を北条に変えたのも、それによって
将軍家に関係する今川らと対立を始めたのも、上杉や鎌倉公方らとも対立が始まったのも
朝廷から左京大夫を貰ってるのも全部氏綱の代になってから。
そしてその後の北条家の指針を示したのも氏綱。
283:人間七七四年
07/10/25 01:58:48 ESaiCX5O
>>278
胤治は講談的なキャラかも知れんが架空ではない。
千葉一族白井氏の歴とした11代目だ。故に臼井城には
千葉胤富からの援軍として入城していたと見るべきで、
たまたま滞在していた軍配の名人など正しく講談だわな。
千葉(臼井)久胤に関しては諸説あり。
父が亡くなった時、幼少だったため原胤貞が招かれ、善政を敷いたため
久胤は居場所がなくなり結城氏を頼った、とか正木信茂によって臼井城から
追い落とされたのを、原胤貞が回復したとか。
どっちにしろ謙信が、ゆかりもない久胤のために合戦などするものか。
佞臣の原氏とか、謙信が哀れんだとか、こっちのがよっぽど謙信マンセー史観
の講談らしいわ。しかも落とせなかったもんだから謙信は居なかったことに
しちゃってるしw
北条が将軍に和平工作に至っては、ご自分でも穿った見方と分かってらっしゃるようでw
284:人間七七四年
07/10/25 02:18:25 WUkpWbw6
>>282
自分史観乙
>>283
wikiの丸パクリ文章乙
285:人間七七四年
07/10/25 06:13:28 NJMJJG0e
>>270
和平交渉中の停戦は北条が同盟締結を願い、自発的に行った行動
ビデオで例えるなら、北条が自ら一時停止ボタンを押しただけに過ぎない
もう一度(交渉が決裂などして)一時停止ボタンを押せば、総攻撃が開始される
>>251の停戦要求とは、越相同盟の一環として謙信が求めた条件
これをビデオに例えるなら
一時停止から改めて、停止ボタンを押して(関宿攻撃の見直し)
テープを巻き戻して
(上野~下野~北武蔵の帰趨を其々交渉を持ちながら定める)
→越後毛利は帰ってきたが、由良は北条寄りとして留まった、館林城を接収
羽生は当然上杉方だが、岩槻は戻ってこなかった等
テープをデッキから取り出して(北条が山王山、不動山に配備した兵の撤退)
ビデオのコンセントを外し、箱に片付ける(山王山砦の破却)
286:人間七七四年
07/10/25 06:45:35 B5mMfhDr
>>285
その書き込みだと北条の掌の上で全てが踊っていたように思える。
例え話しっていくらでも自分の都合のいい様に捻じ曲げれるから、やめとけ。
厨認定されて罵倒されかねないぞ。
287:人間七七四年
07/10/25 07:47:44 szymMgAZ
>>285
だから、越相同盟で梁田の進退保障が話し合われたのは知ってる。
越相同盟締結の条件にその時点でなってたのは確かだ。
んが、北条が和睦を持ちかけた段階で関宿への攻撃を手控えたのは、あくまでこれから交渉するからであって、上杉からの要請によるものじゃないって事。
考えてみ?
お前が喧嘩して、相手から仲直りしようぜっていって右手を差し出してきてるのに、左手にナイフもってたら真意を疑うだろ?
288:人間七七四年
07/10/25 08:49:08 m7QM/JNG
>>287
くだらねぇ屁理屈でムリヤリ自説を押しつけんなアホか。お前の言ってる事は単なるこじつけ屁理屈。
289:人間七七四年
07/10/25 08:53:53 RUUldrtC
どうせ結ぶのなら、信玄と長年の敵対関係を解消するウルトラCをやるべきだったな
これなら関宿城を間接的に救われたことで信玄に好意を持ち接近した簗田氏らに嫌われることもない
ま、北条氏のように当主の健康不安等がないから相手が受けてくれるかどうかは難しいか
290:人間七七四年
07/10/25 08:55:40 szymMgAZ
>>288
人の事言う前に自分のケツ拭いたらどうだ?
>>283
291:人間七七四年
07/10/25 08:58:00 m7QM/JNG
ついでに言っとくが個々のケンカと戦略を一緒にするのは厨らしくてワラタよwww
お前な戦略における外交ってのはより有利に交渉できるように立場を強化しようとするから軍事的ポイントをあげて圧力をかけるんだよ。
ナイフを下に置くのは降伏同然だ。
そして謙信は関宿を支援しつつ交渉を長引かせ時間稼ぎをして佐竹の来援を待っていた。
そして関宿はなかなか落城しないから北条は困っていた。
292:人間七七四年
07/10/25 09:01:47 szymMgAZ
>>291
満足な受け答えもできないやつとまともに話すつもりはない。
またIdでも変えてからこい。
293:人間七七四年
07/10/25 09:26:02 m7QM/JNG
ワラタwww
294:人間七七四年
07/10/25 09:28:46 gxFgWLeR
謙信だって当たり前の武将
裏切り上等・二枚舌当然
なのに謙信は講談でいわれるような真面目な人じゃないとどうしても駄目らしい
295:人間七七四年
07/10/25 09:49:45 z7nUKjpB
そりゃ謙信から「義の人」という虚像をとったら何も残らんものw
296:人間七七四年
07/10/25 10:07:37 YGvHGR5w
さて論破されて負け惜しみの悪態の時間がやってきましたw
むしろ異常なまでに謙信を貶め引きずり落とそうとしないとならない君の精神の歪みの方に興味があるよ。
小さい時に出家して良い師に恵まれたら謙信みたいな厳しい道を自ら選択する修行に似た生き方をしても不思議な事じゃない。
信玄や信長みたいな強欲な生き方ばかりが人間じゃない。
297:人間七七四年
07/10/25 10:21:40 5eFwJtEg
論破という手垢のつきまくった勝利宣言、久しぶりに見たwwwwwww
298:人間七七四年
07/10/25 10:27:01 v+6OXWlz
>>297
まともな発言をしてください。ここは悔し紛れのレスをするゴミ箱ではありません。
ちゃんとした発言を心がけましょう。恥ずかしい人ですね。
299:人間七七四年
07/10/25 12:39:39 jAgzIWoS
謙信って甲越与和と越相同盟で武田北条の二股かけてるしな
関東諸豪族を含めればさらに二枚舌を重ねている
今更謙信が義の人なんていわれてもね……
むしろ義の人で実際になかったからこそ一度は謙信を信じて同盟した勢力が悉く信頼しなくなるという結果になったのではないか
300:人間七七四年
07/10/25 12:43:26 of4kYN/C
>>281
>越後勢が数千人生き埋めになって敗北したとかもう講談話の極地で笑うw
数千人なんて書いてあったか?
なに微妙な捏造してんだよw
301:人間七七四年
07/10/25 12:46:08 ryxzlfSb
元々利害で結びついていただけだし
お互いの事情が変わって決裂しただけ
元から信頼関係など全くない
302:人間七七四年
07/10/25 13:18:57 Gma8XLmd
>>287
だからそう書いてあるじゃんよ
*1『北条が和睦を持ちかけた段階で関宿への攻撃を手控えたのは
上杉からの要請によるものじゃないって事』はそのまんま
=>>285の『和平交渉中の停戦は北条が同盟締結を願い、自発的に行った行動』
ただ越相同盟で取り決められた、幾つかの条件
越後から関宿までの道筋確保(厩橋、唐沢山などの帰服)
付け砦からの兵撤退~その各砦の破却などの条件は*1と別物だろ
その内容から実行される過程まで*1とは全く違う
これらを北条へ飲ませる代わりに、謙信も甲斐方面の出兵を承諾した
303:人間七七四年
07/10/25 13:36:54 szymMgAZ
>>302
始まりは>>257な。
で、>>268とレスされる。
俺が言いたいのは、越相同盟の交渉の過程で「関宿攻撃停止しろ(より正確には梁田を攻撃しないでねって要求)」って上杉方からの要請にしたがって北条が停戦したわけじゃなくて、
北条から和睦を持ちかけた段階で、交渉の為にすでに攻撃を手控えてるって事。
上杉が関宿城が落城しそうだから、その為に越相同盟結んだなんてとんでもない話に疑問を呈してるわけ。
304:人間七七四年
07/10/25 13:55:06 Gma8XLmd
>>303
その元は>>251の
「上杉謙信との「越相同盟」に基づく上杉氏からの停戦要求で関宿攻撃は中止され」
って引用文だろ
この停戦要求の意味は「和平交渉中に行われている停戦とは別物」と訂正された訳だ
そしたら>>270で
「和睦交渉相手に、和睦持ちかけた側から積極的に攻撃するなんて考えにくい。」
ここでもまだ越相同盟で取り決められた攻撃中止諸条件と
和平交渉時の停戦を混同してる
しかも謙信は和平交渉に入る時点で既に、関宿攻撃中止を目論んでいた~
ような事まで書き込んでるだろ
305:人間七七四年
07/10/25 17:38:40 szymMgAZ
>>304
どこで訂正があったんだ?
それに>>270でも「交渉」相手と表現して、さらに「持ちかけた側」としてるんだから区別してるだろ。
>しかも謙信は和平交渉に入る時点で既に、関宿攻撃中止を目論んでいた
これを言ってるのは上杉が関宿の為に越相同盟に踏み切ったといってるやつぐらいだろ?
306:人間七七四年
07/10/25 18:29:44 EDGGQ7Cf
>>303
「交渉の為にすでに攻撃を手控えてるって事。」
と
「越相同盟に基づく上杉氏からの停戦要求で関宿攻撃は中止され」
「関宿城はまさに落城寸前の危機にあった。この危機を救ったのは相越同盟の成立だった。」
との違いを考えたらどう?
北条が攻撃を手控えていても、それはあくまでも仮の状態で、依然城を攻略軍が取り囲んでいる。
そんな状態では謙信や関宿城にとって何の解決にもなってない。
同盟を成立させなければ、関宿に張り付いた北条の砦をひっぺがす事が出来ないのだから。
謙信が同盟を結ぶ動機の一つに充分成り得る。
北条が攻撃を手控えてるだけでは、城が危機的状況を脱した~なんて、とてもじゃないが言えない。
だから謙信は相越同盟の条件に関宿城救援に関する項目を幾つも提示したんでしょ。
307:人間七七四年
07/10/25 21:34:04 szymMgAZ
>>306
>「交渉の為にすでに攻撃を手控えてるって事。」
と
>「越相同盟に基づく上杉氏からの停戦要求で関宿攻撃は中止され」
は相反するし、そんな要求存在するのか?
いや、要求は存在するが、そもそもそれ以前の段階で攻撃自体は停止してるだろ?
>「関宿城はまさに落城寸前の危機にあった。この危機を救ったのは相越同盟の成立だった。」
これはものすごい結果論で、上杉が意図していたというのはあまりにも乱暴。
北条が最初から越相同盟結ぶことで上杉の支配、影響力が弱体化すると見越して上野、武蔵一部割譲なんて大幅譲歩までしてこれを成立させたなんていってるのと同じだ。
そもそも「交渉の為にすでに攻撃を手控えてるって事。」との関係がまったく見出せない。
ところで、その城を攻囲している北条から、その攻囲されてる側の総大将?的な存在である上杉に対して和睦を持ちかけてるわけだ。
少なくとも交渉してる間は安全だよな?
あるいはそうやって引き伸ばしてる間に戦力を整えて自ら救援に向かうか。
それをしようともせずに、関宿が重要だから、越相同盟はこれの為に結んだというのはな?
ところで関宿の安全だったか、梁田の安全だったかの保障要求は見たことあるが、救援に関する項目をいくつも提示ってのは三点何で確認できる?
できりゃ番号も含めて教えてほしい。
308:人間七七四年
07/10/26 01:00:58 OBlwFRm8
>>307
>そもそもそれ以前の段階で攻撃自体は停止してるだろ?
それはあくまでも仮の状態で、城が危機的状況を脱した~なんて、とてもじゃないが言えない。
よって謙信や関宿城にとって何の解決にもなってない。
同盟を成立させなければ、関宿に張り付いた北条の砦をひっぺがす事が出来ないのだから。
>これはものすごい結果論で、上杉が意図していたというのはあまりにも乱暴。
謙信は相越同盟の条件に関宿城救援に関する項目を幾つも提示したんでしょ。
>>268「同盟成立の約一月前5・7に氏照が砦の破却と兵の撤退を『了承』してる」
>あるいはそうやって引き伸ばしてる間に戦力を整えて自ら救援に向かうか。
この時点だと由良北条高広らが後北条についているため謙信は関東に出ることは困難、
それを踏まえた上で上杉が関東を救おうと思えば、越相同盟ぐらいしかない
これによって関宿も解囲されるし、上野などで交渉→帰服が起こり得る為に謙信が関東に出兵することも
現実的となる、将来北条が武田と再同盟しても、
上野を押えていれば関東諸勢力の救援は可能(これが第三次関宿合戦)
>>「交渉の為にすでに攻撃を手控えてるって事。」
>と
>>「越相同盟に基づく上杉氏からの停戦要求で関宿攻撃は中止され」
>は相反するし
北条が攻撃を手控えていても、それはあくまでも仮の状態で、依然城を攻略軍が取り囲んでいる。
攻撃を手控えてるだけでは、城が危機的状況を脱した~なんて、とてもじゃないが言えない。
309:人間七七四年
07/10/26 07:02:48 Wy7QYuNp
>>307
「交渉の為にすでに攻撃を手控えてるって事。」
と
「越相同盟に基づく上杉氏からの停戦要求で関宿攻撃は中止され」
は別に相反してないし、出来事の流れになってるだろう
ビデオの例えは我ながら上手いと思ったが・・・
それなら関宿「城」を関宿「姫」に置き換え、
「人質になった関宿姫!救出なるか?!」なんて物語にすると、さらに分かり易い
氏照「ゲヘヘ!!関宿姫を追い詰めたぜぇ~!!!! 親父ィ!!早速モノにしちまいやしょう!!!!ハァハァ」
氏康「フヒ!!フヒヒヒ~!!!! まぁ待て!! この姫を人質に、謙信を俺達の仲間に引き込むんだ!!」
「今は大事な駿河姫がエロ坊主信玄に狙われてる!!! 俺は謙信と協力して駿河姫を守りたい!!」
「関宿姫も欲しいが、上手く行けば駿河姫まで・・・フヒ!!フヒヒヒヒィ~!!!!」
氏政「ヒャハ~!!さすが親父だぜぇ!!! !エロ坊主信玄が俺達のアジトを襲ってくるかもしれネェからなぁ」
氏康「関宿姫は大事な人質だぁ!!!! 手ぇ出すんじゃねぇゾ!!?? 可愛い息子ども!!!!」
氏照・氏政「ヘェ~イ」「ヘェ~イ」
関宿姫「イヤー!!助けてぇ!謙信様~!!!!」
氏政「ヒャ~ハハハ!!!! 馬鹿な女だぜぇ!!?? 奴がノコノコ奪い返しに来るようだったら即、可愛がってやるぜ!!!!」
以上、ここまでが「交渉の為にすでに攻撃を手控えてるって事。」 に相当する
310:人間七七四年
07/10/26 07:06:12 Wy7QYuNp
つづき
謙信「おのれぇ~!!卑怯な北条親子めが!!!!」
直江「殿・・・我々が関宿姫の元へと辿り着くまでには、裏切り者達を迂回するか・・・」
謙信「ム、ム・・・ある程度、アジトを潰して進むかしかない・・・しかしそれでは間に合わぬかもしれぬぞ!?」
直江「・・・ここは北条親子の話を一応聞いてやり、代わりに関宿姫の解放を求める道こそ、最も確実でしょうな」
謙信「ムゥ仕方あるまい・・・北条如き盗人と組むのは不本意なれど、大切な関宿姫をこれ以上危険に晒す訳にはいかん」
~同盟交渉~
氏康「フ~ヒヒヒィ!!!!謙信の奴、色々ゴネおったが・・・我らに協力する、と返事してきおったわ!!!! フ~ヒッヒッ!!」
氏照「ゲヘェ・・・惜しいが、関宿姫は暫く諦めるとするか・・・ 野郎どもぉ! 姫を解放してやれぃ!!!!」
かくして関宿姫は危機一髪の所で北条親子の魔の手から救出されたのでありました
この後半部分が「越相同盟に基づく上杉氏からの停戦要求で関宿攻撃は中止され」に相当
311:人間七七四年
07/10/26 08:46:50 qrsNLjTn
関宿攻撃は既に信玄の攻撃で頓挫してたんだよ
だから当事者達がこぞって信玄に靡いた
後付けで関宿、とか持ち出されても謙信の本音が上野の自勢力圏引き戻しにあったのは明白
ま、上野も安定せしめられないのにそれ以上の進出なんてどうせもう無理という判断もあったんだろうが
だいたい謙信は同盟を完遂した例が一個も無い
312:人間七七四年
07/10/26 08:57:58 qrsNLjTn
仮にやむをえない一時凌ぎだとしても、それを相手方に説明して合意をとっておかないとその後齟齬が出るのは当然
このとき謙信が古河公方として義氏を認めちゃったのが信頼という意味では致命的であったのかな、と個人的には思うよ
藤氏こそ正統な公方ということで戦ってきたのに、その弟の藤政を見捨てる形でそれだから
完全に謙信は北条に寝返ったと思われない方がどうかしている
313:人間七七四年
07/10/26 09:35:05 1rAJ/wkz
藤氏は足利家の長男で将軍から認可されただけでなく関白近衛も正統な古河公方として認めた存在だから正統を重んじる謙信は擁立した。
だが謙信が越後に帰ると簗田らはあっけなく古河を落城させてしまう腑甲斐なさ。
翌年には藤氏は北条に捕まるマヌケぶり。
これみんな謙信が関東にいない時期の話で佐竹や太田・里見・結城・梶原・真壁・簗田などがあまりにもクソ。
序列では次は義氏になるんだから藤政などは最もありえない選択肢だろうが。しかも関宿落城寸前の危機。
アホ簗田が越相同盟により落城の危機を免れたくせに己の外祖父の地位にこだわって大局を見ずに藤政を擁立しただけ。そのくせ自衛できず謙信に越山要請を繰り返すも近隣の佐竹もロクに助けてくれない存在で案の定落城。
もうね、謙信に生意気な発言や態度を取るくせに結局最後はみんな謙信を頼ってくるわけ。朝倉や毛利や本願寺までもね。
頭の良い人ならなぜだかわかるよね。
314:人間七七四年
07/10/26 09:44:35 9oxMlB3h
利用されてただけじゃん
315:人間七七四年
07/10/26 09:51:34 oed4e5zd
まぁ、謙信側からの不実や背信の数々を完全スルーして相手方の非だけまくしたてればそう強弁できなくもないが……w
死期直前に組んだ本願寺や毛利を例外として、これだけの相手と関係をまっとうできた例が一つもないってのは凄いよな
ところで筋目が義氏になるのなら当然ってことで謙信を正当化した場合。その後越相同盟破綻して再び敵対したのとどう整合性つけるんだ?w
316:人間七七四年
07/10/26 10:07:31 LYyleywo
謙信は何故大事な旗頭(藤氏)を前線に放り出して置いたのか理解できん。自分で安全な後方にいて要人を敵の前に置くなんて謎過ぎる
317:人間七七四年
07/10/26 10:09:49 ji3MkLxJ
>>311
それでも山王山砦&不動山砦が完成してから同盟締結までの約半年以上もの間
北条は関宿を総攻撃出来る体勢を維持し続けていた
謙信が同盟を結ばずとも、北条(及びその同盟軍)は自ら兵を退いただろうなんて
それこそ後付け臭い (いや、後付けにすらなってない想像か)
(繁長などをアッサリ見捨ててきた)信玄がいつ関東へやってくるかも分からない
同盟締結によって救われた後、信玄へと靡いたのは反北条という志向だから
しかし当然の如く信玄に捨てられ、最後はやはり謙信を頼る
謙信の本音に関宿城の保持が含まれていたのは疑いようが無い
でなければ第三次関宿合戦の折、あそこまで危険な後詰はしない
この時謙信が見せた関宿城(簗田晴助)への執着は本物だろう
318:人間七七四年
07/10/26 10:13:27 7UQhsgk6
関宿については知らないが
面従腹背同盟しないでそのまま攻めたら今川見捨ててますます関東に専念されちゃうかもしれないぜ北条には。
そんな氏真が可愛いそうなこと謙信にはできないなまして相手が信玄なら。
319:人間七七四年
07/10/26 10:18:30 pwEuO+SL
ところで臼井城の話はどうなった?
320:人間七七四年
07/10/26 10:24:49 pwEuO+SL
連続で失礼するが謙信の背信云々はこちらのスレで語ったらどうだね
越相同盟について
スレリンク(sengoku板:1-100番)
321:人間七七四年
07/10/26 10:28:15 zi7VU/ta
>>316
お前は古河公方がなんで古河にいるんだって言ってるぞワロタw
>>315
破綻後も古河城を謙信は攻めたりしてないがな。だいたい関宿城を救う道が他にあったとでも?
それに越相同盟は氏政が一方的に破棄し人質の弟を見殺しにしようとしたが
謙信は自分の景虎の名を与え厚遇してた。これのどこが不実背信なんだろうな。
322:人間七七四年
07/10/26 10:32:58 oed4e5zd
>>321
古河までいけなかったの間違いじゃ?w
直接本拠まで乗り込まないと敵対じゃないのなら、武田と上杉は徹頭徹尾敵対してませってことになるぞw
323:人間七七四年
07/10/26 10:37:49 pCGSa0gp
贔屓の武将を擁護したいのはわかるがなぁ……
共通の敵と勝手に同盟したり
ケチった上に実はこっそり共通の敵と通じてましたとか
謙信の酷さまで全く認めず無謬にしようってのは苦しすぎる。
324:人間七七四年
07/10/26 10:49:05 92NJ6lCd
「甲越与和」ってのは謙信は渋々結ばされていた物で
信玄は願ったり叶ったりの「与和」だろうけど謙信が望んでいた物ではないって偉い先生が解説してるな
越相同盟は仕方ない
結ばなければ関宿城という重要な拠点を失うんだから
325:人間七七四年
07/10/26 10:53:25 LYyleywo
同盟結んでも失ったじゃんw
326:人間七七四年
07/10/26 11:37:41 E77wpAPa
草加信者が必死すぎてワロタwww
もうムリヤリ歪曲してまで謙信を貶めてるよwww
327:人間七七四年
07/10/26 12:19:58 aX66Bwb4
草加信者とか言ってる時点でオマエの方が必死。
328:人間七七四年
07/10/26 12:20:55 yBI/dvLD
同盟を結んで関宿も信頼も一斉に失った
そしてその同盟も手抜きしたために破綻
いやいや結ばされた講和なんてありえないだろ
実際に謙信は将軍家からの和睦要請をそれまで何度も蹴ってるわけで
謙信・謙信信者嫌いを増加させるためにわざとアンチ謙信が自演してんのか?
既に嫌われ者だというのにw
329:人間七七四年
07/10/26 13:09:33 1rAJ/wkz
>>319
臼井城の話をそらしてスレとは関係ないところでひたすら謙信中傷しまくる
>>322
お前古河と関宿の位置さえわからないのかw
>>323
ケチって例えばどんなトコだよ?なら氏政みたいに一方的に越相同盟破棄したり信玄みたいに里見などを利用するだけ利用してさっさと甲相同盟して里見らをポイ棄てしたヤツらの方が立派だとでも?
勝手も何も誰も関宿の危急を救う手立ても策もなかろうが。
>>325
同盟結ぶ苦肉の策で関宿が救われたんだアホ。その後に氏政が人質の弟を見殺しにして一方的に破棄して利根川が増水して謙信が救えない状況の中で関宿攻めを再開したんだろうが。
佐竹のアホも関宿が落ちたら古河との連絡ラインが完成し圧力が強大化して困難になるはずなのに積極的救援をしなかったしな。
関宿落城して困るのは援助の為に遠征してきた謙信じゃない。佐竹と妹婿の宇都宮とその間に生れて下総結城の養子になった外戚関係ラインが危機に落ちるだけなのにアホすぎ。
330:人間七七四年
07/10/26 14:54:54 tekFjMUz
>>328
『どうも、「甲越和与」をより切実に欲していたのは信玄であり、
「公儀」の調停を断り切れない謙信が渋々従ったというのが実情かも知れない。 』
丸島和洋という研究家が書いた論文にそう書いてあるのか
この論文を読んだ歴史作家・桐野作人の感想か
イマイチ分からんけど
同盟結んでも関宿を失ったというのは結果論に過ぎない
あの情勢下では最善の選択をした訳だし
関宿に絡む厩橋~館林そして唐沢山との関係改善や、
その後の由良領の奪取を鑑みると、良い同盟だった事は間違いない
331:人間七七四年
07/10/26 17:13:03 /LaNYTUK
>>308
うん、謙信が求めるまでもなく、攻撃が中止してる、少なくとも北条方からの攻撃はとまってるってのは共通理解だな?
で、この攻撃が停止されてる状況下でも、上杉からみて、関宿の危機は去ってないと、お前は考えていると。
これもお前の言うとおりだろうと思う。
そこでひとつ聞きたいんだが、お前も越相同盟が梁田の、関宿の為に結んだと考えてるのか?
レス読んだ感じでは、そう考えてると捕らえられるが。
で、上杉が越相同盟で関宿に関する項目をいくつも提示ってのは聞いたことないんだ。
だから教えてほしいと、おそらくは戦国遺文に載ってるんだろうから、番号もできれば教えてほしいと。
自ら救援に向かうってのはひとつの手として考えたまで。
そんなにも関宿を重要とするならば、あらゆる手を尽くしてその維持に努めると思うんだがどうか?
それをしてないって事はそこまで重視してたわけじゃないと考えるのが普通じゃないか?
>>309
>>286
たとえるならたとえるで手短にしてくれないか?
物語調にされたところで読む気しないから。
332:人間七七四年
07/10/26 17:49:16 /LaNYTUK
>>317
三方敵に回した北条が戦線維持し続けられると考えるのはちと無理じゃないか?
謙信自身は自身の書状で、越相同盟よりも里美、佐竹らとの手切れのほうが痛いなあと述べてるが、果たして関宿にそこまで執着していたのかどうか。
333:人間七七四年
07/10/26 18:35:03 dh8jzJX3
>>332
交渉決裂した場合、相手の判断に委ねる部分が大きい
北条の判断(ここまで追い込んだのだから、関宿は取り合えず落としておこう)、
信玄の判断(謙信が北条退治に出てきたなら、俺は行かなくて良いや)
謙信は間に合わず、信玄は出馬せず→関宿落城なんて最悪のケースも充分起こり得る
リスクが高い割に非常に危険な博打、これは関宿の重要性を考えると全く釣り合わない
謙信が同盟を結ばずとも、北条は(破綻していたので)自ら兵を退いただろう~
関宿をあの状態で長期間放置しかねなくとも心配御無用!
なんてのは無責任極まる推測であり、暴論
334:人間七七四年
07/10/26 19:56:11 SXwC8+gN
>>331
わざと分からない振りしてんだろ?
>謙信が求めるまでもなく、攻撃が中止してる、少なくとも北条方からの攻撃はとまってるってのは共通理解だな?
こんなもん>>285でとっくに書き込まれ、否定レスも付かず>>302では>285の主張を確認してる。
しかもだ・・・>>308は>>306の文章を並べ替えただけじゃんか。
+αとして「この時点だと由良北条高広らが~」以下の説明文があるものの、
この程度は二次関宿合戦を語るなら、説明されるまでも無く背景として理解できてないとおかしい。
>上杉が越相同盟で関宿に関する項目をいくつも提示ってのは聞いたことないんだ。
「埋もれた古城」関宿合戦に書かれてある。
『永禄十二(1569)年五月七日、北条氏照は柿崎和泉守景家宛の書状で、
山王山砦の破却と「山王山人衆」を引き退かせることを了承したと報じ、』
URLリンク(www.asahi-net.or.jp)
越相同盟を結んだのは永禄十二年閏五月三日。
その締結前の五月七日に氏照が『了承した』と柿崎に返事を送っているのだから、
さらにそれより前の月日に上杉(柿崎か)から氏照へと提示された条件だ、と考えるのが普通。
同盟締結直後の閏五月七日には砦の破却報告まで届いてる。
>あらゆる手を尽くしてその維持に努めると思うんだがどうか?
それが越相同盟。 上杉が提示した付け砦からの撤退、及び、砦の破却といった条件だろ。
下手に越後で兵馬なんか整え、三國峠越えのような軍事行動を起こした場合、
それを北条は交渉破棄と受け取り、山王山砦&不動山砦から関宿城へ総攻撃を加えてしまうわな。
335:人間七七四年
07/10/26 19:56:47 LYyleywo
同盟以外に救う手がなかったと言うのも何の根拠もない暴論だけどな
336:人間七七四年
07/10/26 20:37:30 ba2gFSqn
まあまあ臼井城で負けたっていいじゃん。
337:人間七七四年
07/10/26 21:27:19 /LaNYTUK
>>333
交渉は北条方がだいぶ譲歩しての申し込みで、いわば弱みを見せてる状況。
少なくとも北条方としては三方同時に相手というのは困難だという認識で交渉してるんだろう。
でなきゃ上野から武蔵一部まで譲らないし、関東管領なんてのも譲らない。
もうすでに駿河には氏政隊が乗り込んで武田と敵対してるし、確か越相同盟の一ヶ月か二ヶ月後に甲越和与が成ってる。
上杉ー北条間が決裂した場合、どっちが不利だ?
北条が仮に関宿落としたところで、武田の圧力を防ぎきれなければ北条家そのものの存在が危うくなるぞ?
>>334
ひねくれてるなあ・・・
こっちは確認してるだけなんだから素直に答えればいいのに。
ほかに反応してないところは全部こっちの言うとおりって事?
338:人間七七四年
07/10/26 22:04:26 2bhMiAOc
謙信厨は、困るとすぐ人を創価信者扱いするんだよなwww
ほんとクソ
339:人間七七四年
07/10/26 22:40:14 sIXxoY37
謙信厨はほんとアホだな
謙信は上方や関東北陸の状況
将軍家や武田北条との関係など様々な条件を考慮して宿敵との同盟に踏み切ったのに
謙信厨の言ってる事じゃ関宿城守る為に慌ててその場凌ぎの同盟結んだ事になる
裏切りだとか言われてムキになり屁理屈付けて自分で謙信を貶てる事に気付かないのか
340:人間七七四年
07/10/27 00:54:35 5FxecpHl
良スレアゲ
上杉関連はいざ合戦になると実証的裏付けあるのが素晴らしい
341:人間七七四年
07/10/27 01:04:32 51UpGicD
良スレか?
糞スレの間違えだろ
342:人間七七四年
07/10/27 02:01:02 UisrvyEM
>>337
全部こっちの言うとおりって・・・アホか
>あるいはそうやって引き伸ばしてる間に戦力を整えて自ら救援に向かうか。
→>>308&>>334で否定
>上杉が越相同盟で関宿に関する項目をいくつも提示ってのは聞いたことないんだ。
→>>268で既に説明 さらに>>334も殆ど同じ内容で説明、リンクまで貼って貰う
URLリンク(members.jcom.home.ne.jp)
このサイト内に書かれた「越相同盟に基づく上杉氏からの停戦要求で関宿攻撃は中止され~」
の「停戦要求」とは、>>268前半&>>334後半部の内容を指しているのであり、
そもそも>>303で主張する「交渉の為にすでに攻撃を手控えてる」状態を言っているのではない
「交渉の為にすでに攻撃を手控えてる」
と
「越相同盟に基づく上杉氏からの停戦要求で関宿攻撃は中止され」
は相反してないし、>>309が例えているように
「犯人が攫った人質を大事にしている行為」と「交渉によって人質が解放された」くらい意味が違う
要するにお前の主張は殆ど否定されるし、訂正されてる
同じ内容のレスを何度もされながら・・・
343:人間七七四年
07/10/27 08:03:28 2zBN6AY0
>>339
関宿の保持は重要だよ
謙信にとって関東への出馬は障害が多い
峠を雪で閉ざされ、利根川の増水で南下を阻まれるなど非常に不利
となれば関東に蟠踞する反北条勢力を維持しなければならない
つまり里見や佐竹、宇都宮らの事だが、彼らの勢力は関宿によって守られている
関宿が落ちた場合、ここを拠点に房総~北関東へと本格的な侵攻が始まってしまう
それは関宿が落ちた後から始まった里見領の著しい後退、
北関東へ強まった北条の圧力を見ても明らか
謙信が二次合戦でも三次合戦でも遮二無二関宿を保持しようとしたのは、その為
関宿城とはまさに氏康が評した通り、「一国に値する」城
相越同盟においても、関東方面軍の氏照が撤退したのは同盟締結の数日後
相と越が様々な条件を互いに取り交わし、難航していた最中、
氏照は同盟締結までの推移を見守りながら、最後の最後まで山王山に取り付いていた
この一事をもってしても、関宿城の存在がいかに大きかったかが分かりそうなものだ
344:仙台藩百姓
07/10/27 08:25:07 fXnQgzwm
謙信がそれほど重要視してたとは思えないお( ^ω^)
関宿攻めから同盟締結による北条撤退まで何ヶ月かかったと思っているのだお?
兵も出さないで万が一同盟が不調に終わったらそれこそ落城の危機だお
345:人間七七四年
07/10/27 09:00:20 ZiuFJTyp
百姓も稲刈りが終わって復活したみたいだな。
346:仙台藩百姓
07/10/27 09:26:34 fXnQgzwm
稲刈りは早々と終わったお( ^ω^)
山にキノコ狩りに行ってたのだお
現代は上杉軍に田畠荒らされたりしないからいいおね( ^ω^)
でも最近、猪やハクビシンが人里に増えて現代の上杉軍と化して困るお┐ (´ω`) ┌
347:人間七七四年
07/10/27 09:33:35 2zBN6AY0
>>344
それは交渉相手に切り札のカードを真っ先に捨てろ、
と主張するくらい現実味の無い話
さらに言うと、兵を出した方が同盟は不調に終わるだろう
348:仙台藩百姓
07/10/27 09:45:56 fXnQgzwm
>>347
何を言っているのだお(;^ω^)
交戦してない状況で上杉から戦仕掛けるなら問題だが
自分の拠点が攻められているのに後詰めをしてはいけない道理があるまいお
敵は侵略してもいいけど自分は手をだしてはいけないなんて
現代日本のマゾ外交より酷いおw
349:人間七七四年
07/10/27 09:52:32 x7RBlUa7
>>342
だから「確認」といってるわけだが・・・?
例えもほぼ斜め読みしてるしな。
それから少しは簡潔に言ってくれないか?
350:人間七七四年
07/10/27 09:58:58 2zBN6AY0
>>348
北条による栗橋城の接収~山王山砦&不動山砦が完成した1568年は
謙信にとって効果的な関宿後詰めが不可能な年
繁長叛乱、信玄飯山城~関山城攻撃、あと畠山義綱能登奪回計画もこの年
この情勢で厩橋も使えない
関宿を救うには同盟締結しか無い中、同盟交渉相手に兵は出せない
351:人間七七四年
07/10/27 10:11:19 tXSjEq1E
救援が頓挫した原因は、子飼いの北条高広ら現地豪族殺してまで配置した連中を統制できなかったことだからな
佐竹との中が悪くなったのも謙信自身が「高広の策動のせいで……」と愚痴るほど
結局、謙信が撒いた種
それを敵手との同盟という最悪の手段で凌ごうとしたら、そりゃ血戦してる側からすればたまったもんじゃない
352:人間七七四年
07/10/27 10:28:56 2zBN6AY0
>>351
謙信は一代で混乱越後を纏めた歪みが大きいし
この点で武田、北条との差は埋めようがない
せめて為景が女の子を沢山もうけてくれていたり、
越中遠征などで豪族達から総スカンを喰わず、政権安定&商売繁盛に努めてくれていたら
家臣との関係は全然違っていただろうね
そうなると虎千代が世に出る事も無かったかもしれないけど
353:人間七七四年
07/10/27 10:42:11 0I+MVtMx
高広も何も佐竹は白河結城や須賀川二階堂や棚倉での権益擁護という己の欲望を優先して謙信を裏切ったんじゃねーかアホか。
関宿救援してやってんのは誰の為だ?佐竹や宇都宮、下総結城のためだろうが。
354:人間七七四年
07/10/27 10:46:27 Xs70DYnp
今でもこんなにもめるんだから、当時の佐竹や上杉も相当行き違いがあったでしょう
355:人間七七四年
07/10/27 10:51:44 Z+9ixSJL
>>354
道理だなw
356:人間七七四年
07/10/27 10:55:31 tXSjEq1E
行き違いっつーか所詮、北条の伸張に反発した野合集団だから
それぞれの利害がズレればあっさり瓦解
この手の反○○連合っていうのは戦国期に幾つも成立したが、成功した例はほとんど無い
357:人間七七四年
07/10/27 12:01:49 eBRLP6Y1
>>353
何血迷った事いってるんだよw
白河や岩城に自領を攻められているのに放っておけるわけがないだろ
多賀や依上まで進入を許したら太田は目と鼻の先
本拠地が脅かされているのに放っておいて遠征してこいなんて言う方が正気じゃない
そもそも白河や岩城とは100年以上に渡る戦いが続いている
事の発端は上杉禅秀の乱辺りからであり
幕府、関東公方、関東管領の争いの中で佐竹への義人入嗣問題が重なり
宗家と山入との対立を中心に佐竹家中も一族被官それぞれ分かれて争うことになる
佐竹の家督争いも幕府と鎮守府との争いの一環でありそれぞれが支援し合う形で
関東東北諸将も討伐や援軍の為に佐竹領内に出兵した
その争いの中で宗家は本拠を失うほど逼迫し、結果的に山入を討伐して内訌を収める事には成功したが
宗家が疲弊した隙をついて江戸氏や小野崎氏など被官が宗家の領地を横領して台頭し
宇都宮、那須、白河、岩城などの周辺諸国も佐竹領の侵略を行い本拠の奥七郡の支配もままならない状態に陥っていた
それを義舜、義篤、義昭とかけて旧領の奪還を行っていった
旧領の北端である赤館付近を手中に収め奥七郡の安全と支配権を確立するのは佐竹の悲願であり急務であった
しかし白河も領地の半数近くを占めるこの地方を易々と返還するわけにもいかず
死守する構えの白河と奪還を試みる佐竹、さらに白河も奪還された土地を奪い返そうとし
白河を支援しようと葦名、二階堂、那須などが動き、岩城も佐竹の隙をついては常陸進攻を伺い
南奥州を巻き込んで長年に渡る合戦が続いていた
天正年間に入ると更に複雑化していくわけだが・・・
佐竹の北部だけでも非常に込み入った事情があり
佐竹に限らずどこも似たように複雑な事情を抱えている
何も知らない謙信が、管領の言う事聞けと言って簡単に動けるほど単純ではない
本来このような争いを正して治めるのが公方や管領の努めなわけだが
既にそのような力はなく、謙信も込み入った事情など知る気がなかった
謙信が関東で全く信頼されなかったのはこういった配慮のなさが原因
358:人間七七四年
07/10/27 12:20:33 0I+MVtMx
何言ってんだ。そもそも小田城の件も関宿城の件もみんな佐竹のためだ。
どちらが重要性高いと思ってんだ。
関宿落ちて宇都宮や下総結城と佐竹が危機的状況になったらまた越山要請かw?
そんなくだらん真似してるから北条と伊達に挟まれて泣きが入ったんだろが。
359:人間七七四年
07/10/27 12:23:35 tXSjEq1E
みんな佐竹のためなら、上野を北条に要求したりしないだろ
関宿こそ関東諸侯へのポーズ(しかし見捨てられて失敗)
謙信の本音は離反で失陥しかけた近場確保だよ
360:人間七七四年
07/10/27 12:27:36 0I+MVtMx
違う。謙信は白河結城と佐竹の和議斡旋も考えていた。
佐竹が常陸統一すらまったくできなかった理由を考えろ。
361:人間七七四年
07/10/27 12:29:01 tXSjEq1E
>>360
違わないのなら、上野寄越せと言った理由は何?
よく考えろといわれても、お前の思う事なんてこっちにはわからんからはっきり書いてくれ
答えが無いけど言ってみた、だけなら別にいいけどw
362:人間七七四年
07/10/27 12:33:45 0I+MVtMx
上野を要求すんのは当たり前じゃないか。ついでに武蔵も要求してるしな。
おまえなに言ってんだ頭大丈夫か?
363:人間七七四年
07/10/27 12:42:09 NF8GXpt1
>>361
関東管領を父佐竹義昭が断ってる手前、義重は本当はオレが管領だったのにと根にもって非協力的だったんだろ。
関宿陥落したら佐竹傘下の太田や梶原や真壁などみんな困るのに北上とはバァカだね。
364:人間七七四年
07/10/27 14:04:19 k/CcL24p
>>361
上野を欲しがったのは国防が第一だろうけど
理由が一つとは限らないしな
敵勢力に囲まれた中、一時的に簗田が助かってもあまり意味がないというか
それは>>308の
「この時点だと由良北条高広らが後北条についているため謙信は関東に出ることは困難、
それを踏まえた上で上杉が関東を救おうと思えば、越相同盟ぐらいしかない
これによって関宿も解囲されるし、上野などで交渉→帰服が起こり得る為に謙信が関東に出兵することも
現実的となる、将来北条が武田と再同盟しても、
上野を押えていれば関東諸勢力の救援は可能(これが第三次関宿合戦)」
これが正しいと思う
あと北条にとって主従関係が薄く、自立性が強い厩橋、金山、館林なら
北条も妥協しやすいだろう、などといった足許を見た交渉なのかもしれない
365:人間七七四年
07/10/27 14:34:08 38fyu+aR
>>358
そりゃ遥かに白河、岩城対策の方が重要に決まってる
本拠地奪われてしまったら終わりだろw
>>360
実際には当時、謙信は白河と佐竹との仲裁できなかった
むしろ白河は北条と組んで南下してくる有様
>>363
お前ほんと馬鹿だな
佐竹の奥州外交担当してたの太田や梶原だぞw
366:人間七七四年
07/10/27 15:12:22 NF8GXpt1
常陸太田周辺が奪われる?バァカ言うなよ。んなわけねーじゃん。
当時はそこまでひっ迫感してないし。
関宿落ちたらその梶原や太田が困るんだろ。
だいたい彼らは歴史的に奥州に未練もなければ何もないんだから陸奥方面よか北条から岩槻城奪回したいはずだよ。
367:人間七七四年
07/10/27 15:13:56 jl6/TOgp
>>
368:人間七七四年
07/10/27 15:14:55 jl6/TOgp
>>365
むしろ佐竹は北条に内通してただろ。