07/09/06 15:31:20 YVLJsWIG
光秀に限らず戦国大名は大抵そんな胡散臭い出自だってこと。
だから大御所同士の桑田さんと高柳さんの意見だって対立してるだろ?
史料検証の第一人者同士でさえ見解がわかれるほど光秀の出自は
怪しいんだよ。ちなみに二人が対立しているのは、出自というより
本能寺の変の理由付けの方じゃなかったか?
本当に守護大名の近い縁続きで濃姫と従兄妹関係にあったら
半生がそこまで不詳だらけなわけないだろ?
大抵の大名家ではそういう胡散臭いご先祖のことをさらに
子孫が家系図書換えをしてるもんでますます複雑にされ、
諸説でてしまい特定にいたることができない。
光秀の出自に関しては勝手に子孫を自称しているものらが
都合いいように改ざんしてしまっているようだが、それも
完全に否定するだけの根拠もないので、それも諸説の一つと
なってるわけ。
725:人間七七四年
07/09/06 17:15:39 YXqebqI5
自称子孫って本当害でしかないよな
光秀だけじゃなく全ての歴史上の人物たちの自称子孫達
726:人間七七四年
07/09/06 18:55:41 o8t32LmE
斎藤って大奥のイメージが強い
武将としての斎藤氏って織田や武田に遠く及ばない
727:奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
07/09/06 23:26:49 Z3M241Uh
末端の分家が本家と同じ苗字を名乗るのはなんとなく奇妙。
728:人間七七四年
07/09/07 07:17:01 pWSaUPeN
>>727 ガラシャの嫁ぎ先の細川家は途中から改名して名乗っていたぞ。
729:人間七七四年
07/09/07 11:37:49 W4p7bf50
>>724
そもそも濃姫の人生が謎だらけ。
斎藤道三が滅ぼされたとき、濃姫生母はどうなったかもさっぱり分からんし。
光秀が濃姫の本当の従兄妹だったとしても、その半生はほとんどわからんだろうよ。
道三の正室だったとされる、明智夫人の生涯すらさっぱりわからんのだから。
730:人間七七四年
07/09/07 12:33:19 kHdATfNJ
小見の方の没年ていつなのかな。
美濃国諸旧記に書かれてるのは違うよね。
その後に例の壷事件に出てくるから。
でも何で小見の方の亡くなったことは書かれていて
濃姫については、まったくスルーされているんだろうね。
濃姫が美濃に入った頃に亡くなっているなら何か記録が書かれていても
いいと思うんだけどな。
731:人間七七四年
07/09/07 18:59:19 tlqZ1/wr
>>718
兼見卿記に光秀関連で出てくる妻木藤右衛門広忠が光秀の実父と言う説だっけ?
他に、妹と姉が出てくるんだよな。
多聞院日記にも、妹の妻木が出てくるな。
732:人間七七四年
07/09/09 20:19:19 GlA6Ei06
妻木氏出身で、明智に婿入りしたんじゃないか?
遠い親戚関係にある家とかに。
武家の次男以下は大抵は婿養子にだされてたもんな。
土地をわけてもらって分家にしてもらえるほど、
相当の資産家でもあれば別だろうが。
733:織田信長
07/09/12 03:52:31 mVCeuYL0
変の黒幕は濃姫じゃねーの?もしかして
734:人間七七四年
07/09/12 08:49:32 qtits7RH
はいはいはいはい 妄想~
735:人間七七四年
07/09/13 08:54:55 afcLTCq6
光秀と和泉元弥がかぶるな。
怪しげな宗家認定状を盾に「和泉流宗家」を自称する一人宗家の元弥。
明智という苗字を盾に「土岐明智本流の庶家当主」を自称する光秀。
736:人間七七四年
07/09/13 20:11:03 tb6W8Tda
>>735
和泉元弥はそもそも父ちゃんが随分と我侭言って
他家と喧嘩していたからな。
それが尾を引いているらしい。
元弥は出自が分からないということではないので、
光秀とは違うだろうが。
737:人間七七四年
07/09/14 08:00:59 mEKSV2eK
光秀の場合も当人が生きていた頃はありのままの出自で勝負していた
と思うぞ。その結果織田家でNO.3に入るだけの実績を残したわけで
その結果はけして出自に関係はなかったろう。
直系の子孫があらかた亡くなり、それをいいことに極めて怪しい
「先祖は光秀庶子」と言い張る子孫たちが
勝手に先祖をご立派なものにすり替えていったのだろうから
元弥親子の方が悪質だと思う。
738:人間七七四年
07/09/14 09:28:45 vo0cNWvc
和泉元彌はスレ違いだと思います。
光秀と妻木氏との関わりは、気になるな。
正室が妻木氏出身といわれているが、3番目の妻だし、
1~2番目の妻が明智出身で、養子に入った可能性はあるのかな?
739:人間七七四年
07/09/14 10:45:57 CQjY1uIy
光秀が主君を転々と変えたのは先祖から受け継いだ土地がないからに
他ならない。出自はどうあれ、次男以下であった可能性が高いと思うな。
妻木氏が姉妹なら、光秀は妻木出身で、明智家に婿養子に入り、
明智姓を名乗っていたということだろう。
ただ明智家といってもどこの明智家かは結局のところ不詳のままだろうけど。
740:奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
07/09/15 00:41:52 /rZNVvQa
毎年光秀の産井戸に参ってたりする。
741:人間七七四年
07/09/16 09:49:29 F2hvPlPs
濃姫からだんだん光秀が遠ざかっていくのは確かだな。
742:人間七七四年
07/09/16 22:44:16 8SWbXtAN
>>739
主君が戦に負ければ、たとえ先祖代々の土地があっても、
勝利した新しい領主に奪われる。
明智光秀はもともと美濃の土岐氏、ついで斎藤氏に仕えていたが、
斎藤氏が滅んだので放浪したということになっているんだろう?
戦国武将が領地拡大を進めてどんどん部下に土地を与えていくのに、
負けた旧主方の武将が土地を奪われないはずがない。
743:人間七七四年
07/09/16 23:13:45 au6lpkKK
>>742
光秀が放浪した時期は別に斉藤氏は滅んでいないんだが。
744:奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
07/09/16 23:15:35 6CGdeZ2O
本領安堵という手もあるしなあ。
745:人間七七四年
07/09/17 18:56:01 EU8Ex8+W
史板濃姫スレで正妻の立場は凄かったんだぞと力説してたと
思われる人が今度は大河板の三条夫人スレにご迷惑を
おかけしたみたいで具体的な例を出されて反発されてた。
正直この頃は三条好きさんだけじゃなく濃姫好きさんも
かなりうざったくなってきたよ。
746:人間七七四年
07/09/17 23:11:42 vvjtQbUQ
>>745
ならわざわざ来るなよ。
うざったいのはお前の方だろ。
747:人間七七四年
07/09/17 23:57:47 SIn4R2No
>>745
「側室間のトラブルを調停するのは正室の役目」を力説してましたね。
側室訪問する正室なんていないのになw
側室間の争いを、正室じきじきに意見や調停することを、
それが定説みたいに思い込んでるから始末の悪い。
んじゃ、なんで醍醐の花見の盃争い(信憑性はおいといて)を
北政所がいさめなかったのかなーと言ってやりたかったのだが、
(あれは芳春院サマのお手柄話で胡散臭くもあるんだけど)
やめときました。
748:人間七七四年
07/09/18 08:58:58 z736vf2i
>>747
>醍醐の花見の盃争い
は創作だということですよ。
側室同士のいざこざなんてあったかどうかも定かでないので、
ドラマはドラマとして楽しむといった方向にいった方がいいと思うんですが・・
史実だ、いや史実でないとかあまり頑なに反応しても仕方ないですしね。
確かに
>「側室間のトラブルを調停するのは正室の役目」を力説~
は基本的にはそうかも知れないですが、必ずしもそうであったとも言えないので
目くじら立てるのもどうかなとは思いますね。
749:人間七七四年
07/09/18 13:13:00 BhfITUM8
>>748
すまん、醍醐の花見については
>信憑性はおいといて、とちゃんと書いてるのだよ。
あの事件は前田家にしか伝わらない記事だからね。
>史実だ、いや史実ではないとか頑なに
あの大河板で正室についての自論を語ってた人にこそ、
それを言ってやって下さい。
750:人間七七四年
07/09/18 17:45:42 SNNVujdz
>>749
何にしろ関係ないスレに迷惑かけるのはやめなよ。
751:人間七七四年
07/09/18 23:06:55 DRV+biFu
日本史板はもうスレ立てないのかお?
752:人間七七四年
07/09/19 01:12:19 iAoFWXo+
少し頭冷やすために、スレ立てない方がいいんでね?
変なのがやり合ってたし。
753:人間七七四年
07/09/19 07:09:48 RXOIeFDv
スレの消費も異常だったしなぁ。
あの消費は正直自演がいるとしか思えなかったよ・・・
754:人間七七四年
07/09/19 07:22:14 iBkaXnjE
言い負かされた人たちの溜まり場としてしか機能してないのか、ここは。
755:人間七七四年
07/09/19 08:37:24 3tdRu8PE
というか、ネタ切れでは。延々同じ話の繰り返しで濃姫のことが
少しでも解明できるならいいけど、結局今ある説以上のことが全く判明できずだし。
しかも史板なのに全く一次史料すら読んでいない連中が
自作自演でスレ消費しているだけだし。
何か新しい情報でもあるなら披露して欲しいけど。
756:人間七七四年
07/09/19 17:42:36 pGPDGRog
新スレ立てようかと思ったけど、今立ててもまた例の煽り合いでスレ消化するだけだしな。
大河板でまで煽り合ってるみたいだし。
スレの最後でネタがあるって言ってた人はこっちに書き込んでみれば。
757:人間七七四年
07/09/19 18:29:07 XOWdkxou
大河板なんか、日本史板常駐の人間で見てるなんて
ちょっとびっくりだな。
大河と日本史なんか、むしろ、反目し合う仲だろうに。
758:人間七七四年
07/09/19 21:32:44 RXOIeFDv
>>757
自分は大河も好きだから、結構常駐しているよ。
あそこはドラマを楽しむためのものだし、別に史実がどうとか気にした事ないやw
結構気にする人っているんだね。ドラマ設定と史実の違いについて。
759:人間七七四年
07/09/19 23:11:07 IkCwO1Fs
早世説、長寿説ともに各論者の希望願望がかなり入ってるし
煽り気味のレスの応酬が続くことがあるものの
異なる説を全力で排除するようなことがなくなってよかった。
ねねの手紙は最愛の濃姫を思い浮かべて書いたというレスが
堂々と載ってたときに比べれば。
760:人間七七四年
07/09/20 00:27:28 avcmWY/x
でも、ねねへの手紙なんてググれば現代語訳だって出てくるのに
信長とねねは実際に会ってない、二人が会うのは不自然だからとか
手紙の内容すら全然わかってないレスにはそんな妄想より萎えた。
761:人間七七四年
07/09/20 08:04:30 6UXiNVq+
信長の死後も生きていたという説にこだわりたいのは構わないが
何が何でも養華院や正覚院にしたてあげようと必死なのは同意しかねる。
あげくに両者は同一人物だとまで言い出す始末。
そういうやからに矛盾を指摘すると、早世した証拠もないのに、
と勝手に決め付けて逆切れされるし。早世と養華院や正覚院を否定することは
別問題ということも理解できてない。
スレッド名を変えてそのうちリニューアルオープンするよ。
最初にあれこれ規定を決めてね。
IDがでないことに不満のある人もいるようだけど、ID攻撃を始めて
その人の他スレでの書き込みまで持ってくるやつもでてくるから
IDはでない方がまだましだと思う。どうせ言い合いや荒らしは避けられない
テーマだしな。
762:人間七七四年
07/09/21 03:52:40 5tloB5Uz
763:人間七七四年
07/09/24 21:31:29 Gjgsrvi7
764:人間七七四年
07/09/28 22:56:11 a9zGZ7lh
濃姫って自己主張強そう
だしこれ程謎に包めれているのはなんかおかしい
淀君や政子はとても逸話を残しているのになぁ
765:人間七七四年
07/09/28 22:59:00 DLGM9xiL
またおまえか
766:人間七七四年
07/09/29 23:07:35 79odGDSb
>>764
道三の娘だし、
名前からしてキャラ濃そうなんだけどね。
自己主張強かったら強烈な逸話が残っていてもよさそうなんだが。
767:奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
07/09/29 23:11:52 ybOSW7vT
濃姫の母親が土岐頼尚の孫だという主張なら認めてもいいけどな。
768:人間七七四年
07/10/01 18:56:39 507SguSx
濃姫は美濃攻略前に離縁されたか、もしくは自主的に離縁し
美濃に戻っていたのではないかな。
義龍、龍興の治世下での美濃では、血縁とはいえ濃姫が
厚遇されたとは考え難いから、記録にも残らないほどの
扱いだったということだろう。
信長が建立した総見寺に妻の位牌や供養搭を設置することが
なかったあたりで、信長と婚姻関係にあった状態で亡くなったということも
考えられんし、信長より長生きしていたなら信長の葬儀や法要を
他人任せにしているのがおかしい。
美濃のどこかの寺によくよく探せば濃姫の位牌ぐらいあるんじゃないかな。
769:人間七七四年
07/10/01 21:16:46 sRAO4Ypx
でもそれなら、濃姫は実家に戻ったということだし
斉藤家の菩提にも墓や位牌がないのはおかしい。
また、それなら言継卿記に「信長本妻」などと書かれるのはおかしい。
しかもその壷事件の後に信長が小見の方の所にわざわざ出向いているのもね。
二人が婚姻関係を解消したとしたら、小見の方のことを「しうとめ」という
表現をするのも?
また、信忠が濃姫の養子になったまま亡くなっていることの説明がつかない。
濃姫がいなくなった後の北の方や御台所とされる人物の特定もまるで出来ないし
あと、天正年間に入ってから元助の嫁に濃姫の妹が嫁いでいるのだが
わざわざ濃姫の養女になって嫁がせる意味は?
自分は濃姫の墓や位牌は岐阜市には無い気がする。
もしあるなら、もっと話題になっている筈だし例の「おのうの墓」という
ホームページにある墓を濃姫の墓として岐阜市が認めているのがおかしい。
もし本当に岐阜市に濃姫の墓や位牌があるなら、どこかの寺が名乗り出るはず。
なのに未だに岐阜市でそれがないのは、濃姫の葬儀の行なった寺が岐阜市でないこと
を意味していないだろうか。
770:人間七七四年
07/10/02 00:08:45 PUpGELtJ
自分も濃姫は本能寺前に織田家を出たんじゃないかと。
本能寺の原因が、四国討伐が有力とされているよね。
それがもし本当なら、光秀に謀叛をけしかけたとされている斉藤利三だけど
濃姫の姉妹と結婚してるんだよね。
だとすると、長宗我部討伐が決定した時に利三はもちろん光秀にも
信長に四国討伐を中止してもらうように哀願したと思われるけど、濃姫にも
同じように義理の兄弟姉妹という縁を利用して働きかけたと考えられないかな。
信長は光秀が頼んでも駄目で、もちろん濃姫が頼んだとしても信長は聞き入れない。
それが原因で濃姫が家を出たとは考えられないかな。
尾張の頃は二人の仲は良かったと思っているんだよね。道三が信長に対して国譲状を書いているし。
二人で力を合わせて美濃を治めて欲しいと書き残してあったんじゃないかな。
その後、濃姫に男子が生まれなくても信忠を濃姫の養子にしたりして、美濃国主としての正当性を
持たせているし。でも最初はうまくいっていても年月が経つうちに気持ちが変化していくことって
あったんじゃないかな。
「自分は信長様のおかげで~」と言っていた光秀でさえ最後は裏切っているんだし、佐久間信盛や林秀貞達が追放さ
れたりとか、天下人になってから天狗になってきたので、信長のやり方に濃姫がだんだんとついていけなくなってし
まったとも考えられるんじゃ。
だから本能寺時の安土城には濃姫はいなかったんではないかな。
信長と口論になった後、弟の所に身を寄せたか美濃に戻っていたかはわからないけど。
本能寺から逃げる人の中に北の方や御台所が書かれているのは、安土にいたかわからないけどいたと解釈されて
書かれたとも思えるんだよね。若君や親族等はあちこちに散らばって非難したと思われるし。
濃姫は本能寺の原因を知っていたんじゃないかな。別に濃姫が黒幕だとは思っていないけど
自分が信長を説得出来なかったせいでこんなことになってしまいショックだったんではないかと。
また、謀叛を起こされた信長を自業自得だと思っていた面もあったんではないかな。
その後の三法師の後見のことや織田家の家督のことに濃姫が出てこないのも、信長の法要を行なった形跡がないのも
こう考えると納得いくんじゃないかな。
濃姫がいつごろ亡くなったかは定かでないけど、おそらく織田家に葬られるのを嫌がった可能性もあるかなと。
夫婦といっても所詮は他人なんだし、濃姫としても妹とか兄弟への情の方が強かったとも考えられるし。
ああいう死に方をした夫と共に祀られるのを望まなかった可能性もあると思う。
もしかしたら、尊敬していた父道三の娘として死にたいと願ったとか。
だとすると、美濃辺りに特定できていない道三の娘の墓とかないのかな。
信長の娘の墓が小田原にあるらしいけど、それも特定できていないんだよね。小田原といえば北条だけど?
北条家には信長の娘は嫁がなかったと思うんだけど、一説では信忠室ではないかとも言われているし・・
信長娘と信忠室では全然ちがうじゃんかー。
信長娘だけでは、どの娘かわからないしね。○○室とか書かれていれば特定できるけど。
同じことが道三の娘にも言えるんだよね。道三の娘も全員がどうなったか判明していないし、
なので墓があっても特定出来なくなってしまったということはないのかな。
771:人間七七四年
07/10/02 00:47:13 JgPHYNk/
ものすごい長文の妄想だ
772:人間七七四年
07/10/02 09:22:17 tCpT1lfb
義経の正妻も謎だよね
何の記録もない
773:人間七七四年
07/10/02 09:28:49 tCpT1lfb
変で斎藤利治も森蘭丸も死んでいる
明智光秀は同胞までころしてる
774:人間七七四年
07/10/02 09:31:36 i4YBTSzp
利三の継室は稲葉一鉄の娘で、確か天正6年頃には嫁いでた。
濃姫の姉妹はそれ以前に亡くなっていたと考えられるし、
四国討伐にこじつけるのは無理があるよ。
775:人間七七四年
07/10/02 10:36:45 C93fPQ25
だいたい光秀の出自は特定されてないぞ。
明智といっても広範囲にいたはずだから、どこの明智さんか不詳。
濃姫の輿入れに一緒に付いてきたというのでもあれば濃姫と近い親族の
明智さんという可能性もなくはないだろうが違うしな。
俺は前から思っていたんだが、例の「しうとめ」への信長の訪問は
何の用事があったんだろうな?
本来なら迎えの輿でもやって参城させればいいわけで、
わざわざ出向いていったのはどうしてなんだろう。
離縁したと仮定したら、実母の元に身を寄せていた元嫁にでも
会いに行ったのかな、とも思ったのだが。
776:人間七七四年
07/10/02 11:09:36 P3vXAjJV
だけど、元嫁に会いにいったんならそう書かれているんでは?
しうとめに会いに行ったという書き方をしないと思うな。
しかも言継の日記によると濃姫のことを「元嫁」とは書かれていないしな。
「本妻」という記述になってるから、まだこの段階では別れていないんでは
ないか。
わざわざ信長が出向いているのは、例の壷事件のことがあったからとも
考えられるし。しかも壷事件の2日後?に信長が小見の方のところへ出かけている
と書かれている。関連性を考えるのは自然だと思うが。
自分は四国討伐のことがなくても、濃姫が信長に愛想をつかして家を出てしまった
ということも考えられると思うな。正式に離縁という形をとらなくても別居という形を
とっていたということも考えられるし。
小見の方や兄弟姉妹が美濃にいたのなら、濃姫も一緒にいた可能性はあるんじゃないか。
しかし、それだと斉藤家の菩提寺にも濃姫らしき墓や位牌がないのは不自然だけどな。
道三親子の墓はあるらしいから、そこにそれらしき墓はないのだろうか。
あと、小見の方はいつ頃亡くなったんだろうな。濃姫がまだ生存していたなら
供養の記録などが何か残っていないんだろうか。
どっちにしても断定するだけの史料不足に欠けるね。
今のままだと推測の域を出ていないと思う。
777:人間七七四年
07/10/02 11:44:38 C93fPQ25
>>776 言継自身はそこまで事情を知らず、信長が言ったそのままのことを
書いただけかも。元嫁に会いに行くとは言いにくいだろうし。
あくまでこれは離縁したという仮定のもとの俺の推測だけどな。
それから「本妻」は濃姫に間違いないだろうが、生きていなくても、
側にいなくても濃姫は本妻であることは変わらない事実だったのだから、
「本妻の」という現在形も、「本妻だった」という過去形での解釈も可能だな。
斉藤家の菩提寺には位牌も墓もない、というのは現段階での情報で
本気で斉藤家の菩提寺に濃姫の足跡を求めて調べた人はいないのではないかと思う。
それに斉藤家も没落したのだから、斉藤家の菩提ではない寺に
埋葬されている可能性もあると思うよ。
いつ亡くなったのかは定かではないが、信長の権威が低い頃に亡くなると
必然的に濃姫の足跡を示すものが少ないのは当然のように思うので
比較的早い段階か、もしくは本能寺の変後織田家の権威が失墜した後に
亡くなったのではないかと思うな。
778:人間七七四年
07/10/02 12:17:34 P3vXAjJV
でも壷事件の詳細は信長から聞いたというより、家臣の佐藤から聞いた話
ではなかったか。
その時点で亡くなっていたか離縁していたかの話ぐらいは聞いていたと思うが。
というか、そのどちらの記録もないのはおかしいと思っている。
美濃を攻略した頃は美濃衆が正式に信長の傘下に入った頃だし、その前国主の娘である
濃姫に変わった出来事があるなら斉藤家や美濃国関係の史料に書かれてもいいと思うん
だが、全くスルーされている。特に特筆すべき事件もなかったので書かれなかったとも
解釈できる。
自分は濃姫の墓や位牌は美濃にはないと思うよ。
あればもっと話題になっているはずだし、現在の岐阜にしても道三関係の祭りや
イベントも行われているし、その道三の娘でこれだけの有名人なんだから、あれば必ず
名乗り出る寺が必ずある筈。なのにそれがないのは濃姫の墓や位牌どころか
葬儀の行った寺が美濃ではなく別の場所にあるんじゃないか。
自分もこれだけ濃姫が亡くなったという情報が不詳なのはおかしい。
信長が尾張の田舎大名の頃か、あるいは織田家没後の死亡かどちらかだと思うな。
尾張の頃ならまだそれほど信長の地位や評判は高くないし、大体が信長が若い頃の
資料自体がほとんどないから不明なのもわかる。
織田家没後なら、三法師の史料さえ満足に残らなかったぐらいだから
濃姫のことが記録から漏れてしまうのも仕方ないのかと思う。
斉藤家も宗家は滅んだけど、道三の子孫の末裔は今でもいるわけだし、斉藤家の菩提寺も
存在している。濃姫の葬儀や墓などがそこにあったというなら、寺の言い伝えの類も全く
美濃にはないというのはどう考えてもおかしい。
779:人間七七四年
07/10/03 05:12:05 8Sic9ysb
信長は生駒
義経は静御前が有名
郷御前や濃姫は謎に包まれている
両方とも千と千尋の神隠しにあっちまったwwwwww
780:人間七七四年
07/10/03 07:53:15 8Sic9ysb
765
何故俺がわかる?
お前こそ何者だ?
781:人間七七四年
07/10/03 08:29:01 exwp21ON
生駒が有名たって信憑性のある史料はひとつもないじゃんw
ぷっ。
あるのは、あやしーい捏造文書だけなんだし。
そんな後年に捏造された文書しかないんだったら
何もない方がよっぽどましだよ。
782:人間七七四年
07/10/03 10:05:59 AkqEdx9e
>>777
離縁していれば、「信長本妻」とは書かないよ。
もう本妻じゃないのだから。
あの時点で、信長本妻は斉藤氏(濃姫)で、
生きていたとしか読み取れないがな。
>>778
これから先、出てくる可能性もあるけどな。
武家貴婦人の場合、たとえ正室であっても、夫の菩提寺に葬られるのは稀。
実家の菩提寺に葬られる例はあるが、全く別の寺である場合も多い。
783:人間七七四年
07/10/03 11:37:35 exwp21ON
養華院を見つけてきた岡田氏だけど、
斉藤家の菩提寺は調べなかったのかな?
濃姫がいつ頃亡くなったかわかるような記録なりあったかも知れないのに。
尾張時代に亡くなったなら斉藤家の菩提寺にも位牌ぐらいは置いてあった可能性も
あるんだし。
784:人間七七四年
07/10/03 11:59:06 W8gN2jrW
>>782 >>夫の菩提寺に葬られるのは稀。
稀か??
大徳寺だけをみてもガラシャ夫妻や前田夫妻は一緒にあるが?
徳川将軍家も全員ではないが御台と同じ墓所に埋葬されてる将軍はいるぞ。
「本妻」に関しては、その後に何かしらの史料に明らかに
濃姫が生きていたと思わせる記載が見つかれば
あの時点で生きていたとしか読み取れない、という結論になるわけで
それがないのだから、両方の可能性からアプローチして検証していく
べきだと思うがな。すでに死別していたら「本妻」と書かれても
なんの不思議もないしな。
785:人間七七四年
07/10/03 12:13:39 W8gN2jrW
>>783
肝心の総見寺に信長御台とする養華院の位牌がないのだから
岡田氏も養華院が濃姫だと決めつけたのは問題があったかもな。
総見寺の過去帳は二次史料なわけだし。
寺ではなく庶流織田家には信長の御台の位牌が伝わっていなかったのだろうか?
大名家には先祖の位牌を奉る仏間があるのだから、もしあるのなら
信長夫妻の位牌も奉っていただろうと思う。
もし伝わっていなかったのだとすると、早い段階で濃姫は織田家とは縁を
切っているか、長生きしたけど各織田家とはすでに疎遠になって
亡くなったことすら伝わらなかったということになるな。
786:人間七七四年
07/10/03 12:16:07 qvZsLzRa
信長晩年の身台所と呼ばれた人はお鍋の方じゃ?
濃姫に子供がいなかったのも、
信長が斉藤家の血が子孫に反映するのを嫌ったとかさ、
美濃攻略後に戻されたとかさ。
787:人間七七四年
07/10/03 13:31:41 exwp21ON
だけど、嫡男生母でもない側室が御台と呼ばれることはないんじゃない。
しかもお鍋なんて稲葉氏が生んだ子供よりも
順番が後にまわされてんじゃんw
総見院にある墓石だってずいぶん粗末なもんだしね・・
織田家でそれほど御台と呼ばれていたにしてはあまりにも
一族扱いを受けていないような扱いだけど?
濃姫を美濃に帰すったって誰が受け取るんだよw
父親は亡くなってんじゃん。しかも父を殺した敵の所にのこのこ帰る馬鹿いるかよ。
しかも濃姫を帰したんなら信忠を養子に迎える理由はないけど?
788:人間七七四年
07/10/03 15:03:31 OBCO/ndU
>濃姫に子供がいなかったのも、
>信長が斉藤家の血が子孫に反映するのを嫌ったとかさ
逆に美濃攻略の大義名分のためにも、濃姫の子は欲しかっただろう。
そうでなきゃわざわざ信忠を濃姫の養子にする必要はなかったのでは?
789:人間七七四年
07/10/03 18:12:16 t3ctMfz7
仮に信長正室のものと伝わってる位牌があるのに、それを表に出さないケースがあるとしたら
ホントに濃姫(斎藤道三の娘)であると確証がもてない場合とかなのかな。
総見院のように寵妾になってるとか、子供がいないはずなのに5人ぐらいいることになってるとか
道三の娘じゃないように書いてあるとか。
790:人間七七四年
07/10/03 18:58:42 Jkc1sSiA
位牌の主が信長の妻だったと誰もがすぐにわかる書き方をされていないからかも。
「織田上総介室」とか「織田尾張守室」とか、あるいは
信長死後なら「総見院室」みたいな書き方で、信長のことに詳しくないと
信長と直結しないので寺の住職も誰のだか特定できないまま置いてあるとか。
道三の娘であるかどうかも「斎藤山城守女」という書き方だと
ぴんとこないしな。
791:人間七七四年
07/10/03 21:29:44 yEko6NdP
>>790
それはそうだね。
寺の関係者も歴史に詳しい人間ばかりでないだろうし、あまり歴史に興味の無い
人が管理しているとわからないのかも。
ネット社会だというけど、検索機能を知らなかったりとか家にパソコンがないとか
メールも携帯でしかしたことないとか、大体が2ch見てる人間がそんなにいないし。
濃姫の墓などが話題になっていることすら知らない人大勢いるしね。
というか、それほど信長や戦国時代に興味のある人が少ないということだろうけど。
ある番組で小説家?の人が歴史クイズに答えてて、今川義元を知らなかったのは驚いた。
今川義元なんて学校の歴史の教科書にも載ってる人物なのにね。歴史に全く興味のない人
からしたら、今川義元も毛利元就も山本勘助も同じに見えるんだろうね。
世間の興味がそれほどないから、濃姫の位牌があっても表に出てこないのかも。
792:人間七七四年
07/10/04 08:57:25 NW2Yw3Fd
「濃姫」と書かれていないからだよね。たぶん。
道三の娘=濃姫=信長の妻
としか知らないからでは。
濃姫というのは本名ではないんだけど、本名だと思っている人が多いんじゃないのかな。
もしくは「お濃」とか。
信長が濃姫のことを「お濃」と呼んでいたというのも、秀吉が「猿」と呼ばれていた
というのと同じくらい信憑性のない話なんだけどね。
793:人間七七四年
07/10/04 21:45:18 +bmipUxR
岐阜の濃姫の墓といわれているものも、「濃」が本名だと思った末の勘違いなんだろうな。
794:人間七七四年
07/10/06 05:38:32 ixoWvQWt
この人の死因
①信長が美濃平定後龍興共々自害または離縁
②変で光秀や利三らによって追い詰められ自害
③生き抜いて寿命で死ぬ
信長が直接的に殺害した可能性はほぼない
もしそうだとしたら醜聞がでないわけないし
後に家康や
幕府に取り入った春日局や明智家の子孫(天海やら)によって
そういった信長の悪事が暴かれることは間違いないはずである
家康自身信長の命令かまたは自身の命令で築山を殺害している(後者の説のほうが有力)
家康側からしてみたら築山殺害は信長のせいにしたいわけだから
信長の正妻殺しを喜んで噂にしたがるはずである
家康は信長がいかに女に冷たいか世間の方々に知らしめておいたほうが
自身の正妻殺しををより信長の責任にしやすい
しかしそういった事実が
ない以上家康の築山殺しは事実でありまた信長の濃姫殺しもありえるわけがない
795:人間七七四年
07/10/06 06:41:16 ixoWvQWt
この人が歴史上から抹殺された理由って
別に織田家の工作ってわけでもないだろうに
どっちかと言うと信長公記書かせた秀吉やら明智軍記記した
春日局らによる歴史上からの抹殺工作であるとする可能性のほうが
有力だと思われ
織田家や斎藤家って単に書かれるだけの存在だに
豊臣は織田家を書くし徳川家は全て武家について書けるわけで
796:人間七七四年
07/10/06 06:59:51 ixoWvQWt
濃姫の記録は濃姫が歴史上でどういった生涯だったか知られては
まずい何者かによって闇に葬りさられたわけだ
信長の女性関係っていまいち不明な部分が多いわけで
そういったものもこの人の謎めいた生涯に拍車をかけている要因の一つだろう
797:人間七七四年
07/10/06 07:20:02 ixoWvQWt
逆に信長殺しを変で光秀や利三に協力して
行ったのが濃姫であり後世に「信長殺しの正妻濃姫」で語られることを
怖れた春日局らによる隠蔽工作ともとれるよな
798:人間七七四年
07/10/06 10:39:42 HIS+iaSW
濃姫が歴史から隠蔽されるほど重要なポジションなわけないじゃんw
濃姫が光秀に協力することのメリットってなに?
光秀が信長のポジションについたところで、得をするのは光秀の
親族ばかりで、濃姫なんて厚遇されるどころか
それこそ没落した織田家の後家として表舞台から消えて
ひっそり暮らすしかなくなるじゃん。
それなら信長の正室、信忠の義母として君臨していた方がはるかに得だろうに。
799:人間七七四年
07/10/10 02:10:26 LUydQFRk
本能寺の変の首謀者って、ありとあらゆる人たちの名が上ってるので
その一貫で濃姫も名があがってる・・・程度にしか思えないけどねw
800:人間七七四年
07/10/10 08:54:42 poqCpdDT
濃姫が龍興とともに自害はないと思うな。
龍興は信長に美濃に攻められて、降るように勧められながらも
最後まで抵抗して、結局信長は斉藤道三の孫だということで、龍興を助命して美濃から追放している。
その後龍興は朝倉家へ頼り、信長を討とうと朝倉軍に加わっている。
龍興は濃姫の甥だけど、父を殺した男の息子でもあるしね。そういう龍興に濃姫が故郷の美濃を捨ててまで
付いていったとは思えない。
また、そういったことがあったなら濃姫の死亡に関して記録が一切ないのは絶対におかしい。
本能寺の変の原因自体がはっきりしていないから
濃姫が協力者だったとしてもおかしくはない。
濃姫の隠蔽工作をしたのが、春日局らの明智側なら、
濃姫が明智側についたとする足跡が残っていると困る
人物によって葬られたと考えられる。
明智軍記などでも、光秀が信長を討ったことを正当化する為の
でっちあげ事件(領地召し上げ事件や接待役などの不祥事やせっかんを受けていた)
等を記しているぐらいだし、濃姫が信長を見限って明智側についた等の変の協力者
であったならそれをアピールするはずである。信長は正妻にも愛想をつかされるほどの
人物であったという風に。でもそういう記録が一切残されていないことを見ても
濃姫が光秀に協力したということをむしろ隠さなくてはならなかった理由があったか
(光秀の行為を正当化出来ない等)あるいは、濃姫は全く変に無関係かのどちらかではないか。
光秀の協力者だったとしたら、濃姫は変後も織田家となんらかかわりなく過ごしたため、
後継者争いにも一切名前を残さず、織田家庶家の信雄側などにも情報がほとんど伝わらなかったのも
信長の供養を行った形跡がないのも納得がいく。
死後も織田家の菩提などに葬られることもなく(斉藤家の菩提か、ひっそりと斉藤家の親族などによって)
全く別の寺に葬られたということは十分考えられる。
織田家宗家は三法師で絶えているし、三法師の情報さえ満足に記録にない為その養祖母にあたる濃姫の情報なども
庶家にもほとんど伝わらなかった事を見ても、信雄はじめ織田家庶家は信長死後瀕死の状態であり、
改易などの処分を秀吉や家康から受けていたりと、彼ら自身が大変な状態だったため、
宗家うんぬんどころではなかったということだと思う。
斉藤利三の最初の妻は濃姫の姉妹であり、二人の間には男子も生まれている。
利三が後妻を稲葉家から迎えたとしても、利三の息子は濃姫にとっては甥に当たる。
織田家の人間よりかは血がつながっている分、関係も思い入れも深いともいえる。
光秀の出自ははっきりしないが、もし濃姫と血縁関係があるのがホントなら織田家の人間よりも
光秀に協力する気持ちがあったとしてもおかしくはない。
それにいくら父の国譲状があったとしても、信長が美濃を支配するのは濃姫としては複雑な思いがあったんでは
ないかな。養子に迎えたという信忠にしても濃姫からすると血がつながっているわけでもないし。
信忠の生母が生駒でなかったとしても、諸説あって誰かはっきりとはしていないからなんとも言えないが、
社会的な立場として、信忠の美濃の後継者としての正当性をもたせるための形式的なものだったということも考えられる。
濃姫としては、斉藤家と血がつながっていない人物に美濃を支配されるのは、快く思っていなかったということも考えられる。
801:人間七七四年
07/10/10 11:07:50 fH3ZhPEO
変に濃が関連して出てくるのか~。
朝廷黒幕説でもそうなんだけどそういう陰謀に長けた人物がいた、濃が政治的策略的な人物だった、そういう傍証はあるのかな。
それならそれで公記あたりに濃のことが出てきそうだし。
まったく当時の出来事に関与せずにいきなり本能寺に関与するというのも理解しがたい。
ただ牛一はどうして書かなかったのだろう。シンプルにそこが不思議だ。
802:人間七七四年
07/10/10 11:27:02 NvyNFB7R
>>800
濃姫が龍興と一緒に自害がないにしても、織田家中で旧齋藤家一族のものが
冷遇されるのを見て信長に愛想を尽かし、自分の意思で織田家を出た可能性はあると思う。
壷事件の経緯を見ても、濃姫は、齋藤家を庇い続けただろうから。
だからといって、濃姫が当初から夫信長に不信感を持っていたとも思えない。
濃姫が、信長に美濃国を支配してほしくないという確固たる意思があったのならば、
そもそも父道三が信長宛てに美濃一国の譲り状を書く意味がない。
この頃は女性の守護も認められていたのだから、
道三が実娘濃姫を譲り状の宛て主としも良かったはず。
道三が譲り状を書いたのは、道三は信長を息子同様かわいがっていたこと、
濃姫も当時、これに同意していたからとみるべきだろう。
齋藤氏滅亡のあたりから、夫のやり方に不満が募って織田家を出た・・・・
というのならばありえそうだが。以降、濃姫の記載がないことの理由にもなる。
しかし、濃姫が光秀に加担したとは妄想が行き過ぎてる気が。
濃姫が光秀の協力者なら、本能寺の変の後で当然、処分されただろうし、
信長正室が光秀内通となれば、いくら武家が隠しても、公家が日記に書きたてただろう。
本能寺の前後に濃姫が登場しないのは、濃姫が無関係かつ、
なくなっていた可能性すらあるということだろう。
803:人間七七四年
07/10/10 11:50:30 poqCpdDT
>>802
濃姫が信長に愛想を尽かして家を出たならなおさら
光秀に協力した可能性も出てくるんじゃないか。
協力といっても何も策略的な知恵を出すだけではないぞ。
黙って黙認しているだけでも十分だしな。
斉藤家親族を大事に思っているならなおさら
利三の息子辺りの情にほだされてということも考えられる。
濃姫が信長のやり方に反発していたというなら
当然裏切ることもありえるんではないか。
変の原因がいまだはっきりしていないから
なんとも言えないんだが、濃姫が無関係とはっきりとはわからん。
光秀謀反に実際にはどのくらいの人間がかかわっていたかも
はっきりせんのだし。
濃姫が信長生前に亡くなっていたとはっきりわかっているなら
変には濃姫は無関係だといえるんだがな。
804:人間七七四年
07/10/10 13:13:18 th+ASZgv
旧斉藤家親族が織田家中で冷遇されたなんて、どこからそんな意見が出てくるのやら。
805:人間七七四年
07/10/10 22:50:26 sVMUfrXE
自分の意思で家を出る、って今時の夫婦ケンカじゃあるまいし
そんな簡単に出られるの?
不信感ってのも当時の政略結婚の当事者がそんな自由意志を持つ、それによって行動
できるわけもないと思うけど。
本能寺の変に濃姫が関わってると言うのからしてトなんだけど、最近は普通なの?
806:人間七七四年
07/10/11 00:32:56 WS3x/lAx
今も昔もトンデモです
807:人間七七四年
07/10/11 01:11:00 765CGxpk
昔のトはもう少し風情があったよな。
信長と家康がにゃ古屋で手に手を取り合い共に天下を狙おうぞ、と誓ったとか。
808:人間七七四年
07/10/11 14:37:36 wyikRu/B
濃姫に関してなんだけど・・
あるスレで・・
>奥ばかりでなく、情報分析や作戦アドバイスしたとか
>お濃が男だったらと信長に言わしめたらしい。
>しかし、一方では寝首をかかれるからと遠ざけれれた。
>それで子宝がなかったと
↑これ本当?
809:人間七七四年
07/10/12 10:26:28 qHTcVMSy
濃姫が政治や戦にアドバイスしたなんて話・・聞いたことないがな。
おおかたどっかの小説の類じゃないのか。
また濃姫がそれほどまで信長から恐れられるほどの人物だったらもっと記録が
残ってもいい筈だ。
濃姫に寝首をかかれるほど用心していたというなら、それ以上の光秀に謀反されて
あんなまぬけな死に方するわけないだろ。
ったく、言ってることがまるで矛盾してるな。
810:人間七七四年
07/10/13 12:15:20 SgiaFo4n
茶々と信長ってタイトルの小説だったかなぁ。
とにかく茶々が主役(なんだけど前半は生まれてないw)の小説で
濃姫が安土殿として出ていた。
これからもどんどんメディアに濃姫=長生きという事を広めて欲しいな。
もう偽りの史実=生駒マンセーの風潮はいらないよ。
ちょっとわがままを言えば、その小説では濃姫と信長は
戦国の敵国の者同士という事で心の底から愛し合っては居なかった。
というか、わざと愛さないようにしていた感じ。
それを乗り越えて愛し合い支えあった夫婦として描いて欲しかったなー!
811:人間七七四年
07/10/13 17:27:48 DbY4ePr2
濃姫の小説なら、最近出版されたやつは濃姫主役で長寿説だったな。
養華院=安土殿=濃姫としているのはいいんだけど
尾張に嫁ぐ前になぜか光秀といい感じだったのはちょっとなあ・・
しかも、織田家に嫁いでからは信長とラブラブだったのはいいけど
濃姫と光秀が仲いいので信長がジェラシーを感じていたりというのは
いまいちなあ・・
あと、壷事件や地誌の御台出産の話が入っていなかったのは寂しいなあ。
濃姫主役ならぜひともはずせない出来事なんだけど。
それをクリアーしていたら満点だったのに残念。
自分ならもっとこう書くなあ・・と思ったシーンも結構あった。
だけど、最近は濃姫の長寿説の小説が増えてきているみたいなので嬉しい。
812:人間七七四年
07/10/13 17:30:53 bc4GJMD1
濃姫が信長の参謀役で、というのはどこかの小説でみたことある。
ところで信長が斎藤氏を冷遇したってどこから?道三の子と言われる、つまり
美濃斎藤氏道三流の最後の嫡流(?)ともいえる斎藤新五郎は織田家継承者信忠に
つけられて別段冷遇もされていない。むしろ越中派遣に見られるのように目を
掛けられていたともいえる。
ちなみによく出てくる斎藤利三はたしかに美濃斎藤氏の出身だが、道三流ではない。
(婚姻関係でつながりはあったが)
813:人間七七四年
07/10/13 17:38:34 uK00UivE
そんな濃姫小説があるのか、ほとんどオカルトだな。
濃姫スレってあるから一度見てみ。
どえりゃぁ濃い内容で語ってるから。
814:人間七七四年
07/10/13 21:38:25 dCdGlhvi
濃姫は信長に殺されたかも
815:人間七七四年
07/10/13 21:48:08 dCdGlhvi
こいつについて考えてもしょうがないって
こいつについては何もわからんでいいだろ
816:人間七七四年
07/10/13 22:18:46 DbY4ePr2
しかし~アンチも必死なんだなw
ぷっ、笑える
>>814>>815
考えてもしようがないならここに書き込むことないぞ。
てか、ここに出入りする必要ないんじゃないか。
今日、名古屋まつりだったんだね。
濃姫役の人、いいなあ~
でも、織田家、豊臣家、徳川家でそれぞれ当主とセットで姫が登場するけど
信長には濃姫で、秀吉にはねねなのに、なぜに家康には築山殿でも亀姫でもなく
千姫なんだ?やはり知名度が高いからなのか。
817:人間七七四年
07/10/14 01:47:33 T1rcqucH
>>810
「茶々と信長」は、その後「茶々と秀吉」「茶々と家康」と続く
三部作の一つ。力作ではあるけれど・・・
作者は幕末新選組オタというか、
同人臭のする土方歳三小説で脚光をあびた人。
818:人間七七四年
07/10/14 06:08:35 IIO+O64f
面白いんだけど、ラスト近くで急に
「秀頼や淀は現在言われてるような無能じゃなかった!」
とか作中の地の文で力説しはじめたのには閉口
それさえなければ文庫落ちを条件にオススメしたい作品
ハードカバーで全巻そろえる必要はない
819:人間七七四年
07/10/14 06:23:48 gNX2kNcy
濃姫小説、もっともっと増えればいいね。
生駒マンセーなんてやっつけてやれ!!
820:人間七七四年
07/10/14 07:21:28 unPCZziN
生駒にそこまでライバル心燃やさなくても…
濃姫オタにとってはそんなに許しがたい存在なのかな
ライト層には生駒の存在自体知らない人の方が多いのに
821:人間七七四年
07/10/14 07:54:55 5LpmgzDt
>>816
同意wアンチってどうしてあんなに必死なんだろ?w
必死すぎて見てて痛々しいwwww
あともともと秀吉のお相手役は数年前まで淀って聞いたなー。
大河ドラマの影響でねねになったらしいけど・・・。
湖衣姫祭りも今年は大河の影響で由布姫祭りになってるらしいね。
大河の影響って大きいんだなぁと思う。
今度信長を大河でやる時は、マニアックに濃姫を頂点とした奥事情を描いて欲しいなぁ。
生駒とか出てくるけど所詮一側室に過ぎない、みたいな描写希望!
822:人間七七四年
07/10/14 14:05:41 CdlnM86e
来年の大河も奥事情だしな
823:人間七七四年
07/10/14 15:14:33 gNX2kNcy
生駒なんて出なくていいよ。邪魔なだけだしw
濃姫が信長を影で支えたという設定がいいなあ。
清洲にある濃姫の銅像はとっても可憐なお姫様という感じだけど、
実際は賢くてしっかり者だったような気がするなあ。
824:人間七七四年
07/10/14 15:59:02 Zy9M1YZZ
>>820
なんというか、痛々しい濃姫ファンの書き込みに引くことも多いんだが、
武功夜話が出た当時、信長の若き日の姿が解明された、
信長は生駒氏に対してだけは深い愛をもった男だった、みたいな煽りがすごくて、
自分もすっかり騙されて、生駒氏の存在感の大きさに感じ入ったクチだけに、
それが、実は前野家の同人誌みたいなもんでした、と知った今となっては、
以前は別になんとも思ってなかった生駒氏に(濃姫オタというよりは信長オタなので)
かえって妙な反発心が湧いてくるようになってしまった、というか・・・
ド素人の自分には、武功流布からしばらくの期間、信長初期の歴史が、
あのネタ本で世間的にいっきに塗り替えられそうな勢いに見えたよ
(秀吉は生駒氏との繋がりで仕官できたとか、諸々ね)
だから今、鼻白んでる感が強いのかも知れない。こういう人、他にもいるんじゃないかな
825:人間七七四年
07/10/14 16:17:34 lkUt6sHd
>>824
自分もその口だな。
武功夜話は、出版された当初に読んだので、武功の中では生駒氏持ち上げているけど、
濃姫全否定ってこともないってのは分かっていたんだが、
武功を元ネタにした小説や、まして、濃姫全否定の解説本にはびっくりして
教授のところに武功の解釈聞きに行ってしまったくらいだ。
教授には、「そんなの単なる先祖憲章小説だ」と言われて再度驚いたし。
で、教授(織豊期が専門)みたいな人がスルーしているのに、
世の中がどんどん生駒マンセーになっていって、ヤバくないか?って思ってたら
偽書説が、当然なんだが出てきてくれて、胸を撫で下ろした覚えがある。
だから、濃姫がどうだとかよりも、いまだに武功夜話かよ、いまだに生駒かよ
って思いが強い。
826:人間七七四年
07/10/14 16:29:13 ZR0TnU/m
昔の小説や大河は信長といえば濃姫だったんだよな。
その頃の印象が強くて濃姫好きだったから、武功夜話が史実のように語られるのは
正直えーーーーーって感じだったけど、それが史実なら仕方ないかって諦めもあった。
信憑性が高くないってことが明らかになるうちに、振り回されただけかよって脱力感が。
あんなにえらい先生や有名な小説家やNHKの大河ドラマで取り上げて
世の中に広まっちゃうと、それがホントのように定着しちゃってなかなか消えないよ。
827:人間七七四年
07/10/14 16:52:22 unPCZziN
>>824-826
なるほど。
メディアはとかく人が食いつくようなネタを確証もなしに取り上げるし
それで反響がよければ嘘でも真実のように広げていく傾向もあるからね
嘘だったとなればそれだけ落胆も大きいし、反動で拒否反応起こすのも仕方ないか
子供が出来なくても正室としての面子は大事にされて
濃姫の実家とも良好な関係を持とうと気配りしてた風に感じるから
信長じゃないけど、正室ファンならどんと構えてればいいと思うが
828:人間七七四年
07/10/14 17:15:26 5LpmgzDt
未だに民放でやってる「歴史裏話」みたいな番組では
「信長の最愛の側室が、織田家を裏で支えていた」みたいな展開多い品。
自分の友人なんてそういう番組みて、信じているし。
自分たちみたいな歴史に造詣高い人間は、あぁまた馬鹿なことやってるよって
感覚だけど、一般的にそうじゃないライト層が多いわけだし
いい加減嘘の歴史を広めるのはやめてほしいよ。
そのたびに友人知人家族に「これ嘘だからw」って説明するのがだるくってしょうがない。
大学の講義前にライト層が理解出来るように説明するのって難しいんだよなぁ
829:人間七七四年
07/10/14 19:38:11 gNX2kNcy
しかし、武功が世間で認識っていうほどそんなに広まってるかなあ~
自分のまわりは信長アンチというか、戦国時代の人にそれほど
興味の無い人やどっちかというと嫌いな人が多いので、
大河ドラマ観てる人もほとんどいない。
生駒がとか話をしても「それ誰?」って感じだし。
ある程度興味ある人が歴史関連のテレビなんかを見るんだろうし
史料など見ないでドラマや小説しか見ないようなライトな人は信じやすいんだろうけど、
世間一般の人はそれほど信長の奥関係なんか興味ないのでは。
830:人間七七四年
07/10/14 20:09:51 unPCZziN
>>829
自分がまさにそれだ
戦国時代に興味持つ数ヶ月前までは
信長・秀吉・家康の名は知ってても、彼らの妻のことなんて全く知らなかったし
かろうじて、ねねと淀の名前を見聞きした程度で
それもメディアでよく言われる正室vs側室の対立云々と言う
戦国板の住人には鼻で笑われそうなデタラメ知識w
戦国時代=血生臭い時代だと思って避けてた戦国初心者な自分は
濃姫はおろか、生駒の存在すら本格的に調べ始めてから知った位だし
信長の妻にしては濃姫(と生駒やその他側室)は世間で知名度はないと思う
ねねや淀のようにトンでもない説で有名になるよりいいと思うが
831:人間七七四年
07/10/14 20:42:03 gNX2kNcy
自分は昔から濃姫好きなので、濃姫全否定の生駒説には断固戦うよ!!
周りは興味ない人ばかりで、議論もできないのは寂しいけど
ここのスレ荒しにくる香具師がいることを見ても
生駒マンセーがいるのは事実らしいし。
もっともっと濃姫の知名度が高くなって欲しいな。
やはりネットで書き込みしたり、小説を書いて広めるしかないのか。
832:人間七七四年
07/10/14 21:49:50 hvHIXj6i
濃姫を貶めたうえでの生駒マンセーと戦うのは別にかまわないが
一部の三条ヲタみたいに鼻息荒すぎて
濃姫自身が他の戦国ヲタから悪印象与えるような
行為は控えてくれよ。
すでに今でも変なのいるんだから。
833:人間七七四年
07/10/14 22:38:43 ZR0TnU/m
別に生駒マンセーと戦う気なんてないな。
ある意味武功夜話のおかげで、織田家の奥関係が調べられるようにもなったわけだし
何か濃姫に関して新たな発見があればと望むだけ。
濃姫が早世したって意見も、信憑性の高い史料が出てきたら納得できると思う。
ただそんな確かな史料もないのに早世だ離縁だと決め付けられるのは嫌だけどね。
834:人間七七四年
07/10/15 00:40:55 jI8j/eJC
戦国女性全般に興味があるので、濃姫でも生駒氏でもお鍋でも、
わかることがあるのなら知りたいし、聞いてもみたい。
が、武功での諸逸話「吉乃の墓のほうを眺めて涙を流した」
・・・なんてのを読んだときは、
(誰が見てたんだよ、そんな場面w あまりに芝居じみてて
作りもん臭いじゃん)と直感しました。
835:人間七七四年
07/10/15 09:04:53 c/5kyedm
濃姫や三条夫人に限らずどこの戦国ヲタも似たりよったりだよ。
信玄スレも秀吉スレもひどいもんだし、信長スレも痛いヲタが必死で持論を展開してるし・・
好きな人物が自分の中でかなりの過大評価なのは仕方ないよ。
記録や資料から読み取れるものだけがその人物の全ての面ではないしね。
信長の泣いた場面は生駒はもちろん嘘くさいけど、平手政秀の死に信長が
号泣したというのもかなりの創作らしいね。
実際にその場面を誰が見ていたんだ~という感じだし。
信長公記にしても、首巻は牛一が実際に見聞きしたものでないため
かなりの創作や話が誇張されているといわれているしね。
またそれほどに生駒が信長にとって重大な人物だったら、一行でも
公記に書かれてもいいんだけどねえー。
836:人間七七四年
07/10/15 10:48:48 2pEw2gxQ
信長公記には濃姫も最初のほうにしか(嫁取りの部分)
出てこないね
837:人間七七四年
07/10/15 11:26:40 c/5kyedm
>>836
そうなんだよねえ。
濃姫に関しては織田家に嫁いで来たことしか記録がない。
もし、美濃攻略前後に亡くなったなら書かれていてもよさそうなのに。
壷事件なんかも書かれてないし、牛一としてはそれほど記憶に残る出来事
でもない限り書かなかった可能性は高いけどね。
信長と共に戦った合戦の記録や政治的な記録等は、牛一がメモを日頃から
とっていたので信長の記録を書くときにまとめて参考に出来たんだろうけど、
それ以外の部分はどうかな?かなりの部分は記憶がおぼろげだったんじゃないかな。
年代のミスなどがあるのもそうだしね。
信長公記を書いたのも信長死後かなり経ってからだから。
濃姫や側室達の話がないのは、信長の奥関係に牛一が全く興味がなかったか
いくら側近だといっても当主の奥の内情にまで首をつっこむことがなかったからだろうね。
信長が後継者に信忠だけを指名しているため、他の兄弟達は全く争うこともなかったし、
争いが起こっていたらはっきりと記録に残ったかも知れないけど。
だけど、勝長に関しては詳細に記録を残しているんだよね。かなりページを割いてるし。
よほど安土での信長との対面というか、信長の勝長に対する行動などが
印象的だったんだろうね。
838:人間七七四年
07/10/15 12:32:21 HNI3LltC
つうかなぜ急にここで生駒と生駒マンセーの
ネガティブキャンペーンが始まったかな……。
戦うのも叩くのも結構だがやるなら他所でやってくれ。
特に戦うとか歴史の造詣が高いなんて平気で言う
おバカは来ないでくれ。
839:人間七七四年
07/10/15 12:52:15 Pb58WTs+
ブコウヤワは完全に偽書というか創作なんでしょう。
これとか大河のイメージで信長ちゅうか歴史を語るのはどうかな~。
公記に関してなんだけど、濃姫に関しては本当に不思議だよね。
ただ興味が無かった、というのも牛一のメモ魔性格からみてどうだろう。
書きたくても書けない事情があった、みたいな井沢流のほうの可能性もあるような。
特に首巻の創作っぽい点を考慮すると内情まである程度知ってて書けなかったのじゃないか
そんな気もする。
840:人間七七四年
07/10/15 13:06:51 c/5kyedm
>>839
書きたくても書けない内情って何だろう?
それとも秀吉の意向が反映されてってことなのかな。
公記も内容は秀吉に逐一チェックされていたんだよね。
濃姫のこと意外でもほとんど女性に関しての記録は少ないしね。
気になっているのは、wikiの信長の欄に、道三の国譲状が信長公記にしか記載がないため
牛一の創作ではないかと書かれていたけど・・?
でも、内容はわからないけど道三が死の直前に信長に書状を出したのは間違いないんでしょ。
公記にしか書かれていないから、創作だとするにはちょっと根拠がない気もするんだけど。
841:人間七七四年
07/10/15 15:15:10 /z8PjG8c
妙覚寺で仏門に入っていた息子宛の道三の書状に、譲り状をやったと書かれているからな。
原本かどうか分からないが、花押のある書状が一つと、
その写しと思われる花押のない書状が一つ現存している。
花押のある方は、大阪城に展示されていたように思う。
842:人間七七四年
07/10/15 18:37:28 jZzNgMH7
そだね、譲り状は面白い問題だけどここは牛一を信用してそういう事実はあったと思いたいよね。
それで特におかしな点もおきないし。
>>840
内情ってのはあくまで織田家内の問題でね。
これ仮説があるのだけど面白いもので。
例えば信長がうつけなのに信行は「折りめ高なる~あるべきごとく」だもんね。
信長に謀反おこしたのならそんな風に書かなくてもいいのに。
ちなみに喜六郎も「容姿美麗人~」だからね。
この兄弟は似ていてしっかり者のイケメンだったんだろうね。
牛一を信用してのことだけど。
843:人間七七四年
07/10/15 18:37:51 4gNbCqgi
単に牛一が織田家の奥とはかかわりが薄かったというだけの話では?
太田牛一って昔は信長の祐筆とか言われていたけど、今はそれも否定されて
精々親衛隊の一員だったくらいにおちついている。これじゃあそうそう奥の
話は聞けないでしょう。乱丸のような、信長の私生活にも関わる小姓・坊主
ならともかく。
奥の方から表向き(政治)に関わってきたというのなら記録も残るだろうけど。
(壷事件なんかがそうなんだろうな)
844:人間七七四年
07/10/16 12:03:59 OKm1jhxG
>単に牛一が織田家の奥とはかかわりが薄かったというだけの話では?
それはそうかも。
風林火山でも大井夫人の勘助に会った事ない発言もあったし。
あれは笑っちゃったけど・・
当主の母親や奥方に会える身分の人ってかなりの重臣だけなんじゃないの。
武田家でも板垣や甘利などの重臣達だけだよね、大井夫人や三条夫人と
会ったりするのは。
織田家で重臣だと丹羽長秀とか柴田勝家ぐらいなのかな?
信忠の世話役の家臣とか。
あと濃姫と義理の兄弟姉妹に当たる元助や斉藤利三とか金森長近とか・・
牛一はどう見ても、信長の奥方に会って会話する身分ではないでしょう。
845:人間七七四年
07/10/17 11:28:07 Fc1X1WUt
「信長公記」の性質によるのでは?
信長公記はあくまでも、信長の政治的な成功を主眼に置かれて書かれた書物だったために、
奥のことなど枝葉のことは切り捨てられたのだと思う。
面会せずとも織田家中に仕えていれば、それなりに伝聞することもあっただろうが
(殿様はあの女とできているらしい・・・的な噂話)
そういう話は一切切り捨てて、信長の政治的な動きに限定したのだと思う。
秀吉だって、晩年の側室たちは良家の子女たちだったから、それなりに記録が残ったが、
ねねが嫉妬したという長浜時代の側室(愛人?)のことなど、公式な記録には一切残っていない。
成り上がりの秀吉の妻だったねねは、尾張時代、後に大名となる加藤清正や福島正則など、
同じく成り上がりの秀吉の子分たちに対して食事の世話から破れた着物を縫ってやることまで世話をしてやり、
そのために逸話も多く残るが、大名育ちの濃姫と立場が違うことは言うまでもないし。
846:人間七七四年
07/10/17 12:11:55 gYPZnOWB
というより、秀吉の場合は天下統一後に統治期間かかなりあったから
なんじゃないかな。だから子孫が絶えてしまったといってもかなりの
消息文などが残されている。ねねにしてもしかり。
だけど、中途半端でああいう死に方をした信長の場合はほとんど残ってない。
せめて安土城でも当時のまま残されていたならもっと史料などが残った可能性は高いと思うけど。
早く濃姫の没年や葬儀をおこなった寺が確定されるといいね。
自分は妙覚寺あたりに何か記録がないのか期待してる。
道三の書状が残っているらしいし、他にも信長・信忠関連や濃姫の実兄関連で
史料などがある可能性はあるんだけどな。
847:人間七七四年
07/10/17 13:57:42 tJo4uunb
むしろ池田関連の方が何かしら残っていそうに思うな。
輝政先妻の位牌が見つかって実は死別ではなかったことが
判明したらしいし斎藤末裔も池田の元藩士で位もそこそこ、
藩主の目通りが許されてもいたというそれなりの家だから
残っていても不思議ではない。
案外と違う方面にはきちんと残っているのかもしれんな。
表に出ないか出せないだけでね。
848:人間七七四年
07/10/17 15:01:15 hDsSdlej
公記が信長の公的立場の側面から書かれたというのは同意なんだけど
もし普通に亡くなっていたらその葬儀の様子とかはさすがに書かれたのじゃないかな。
だから変までは生きていた、方が可能性は高いとは思うのだけど。
849:人間七七四年
07/10/17 17:21:34 gYPZnOWB
あと、養華院の管轄だったという高洞院には「妾」とは記載されてないようだし、
養華院の事について何か詳しく書かれた記録なり史料なりないのかな。
葬儀の記録や位牌のありかについてもわかるかも知れないんだけど、
高洞院で養華院について調べた人いるんだろうか。
850:人間七七四年
07/10/17 17:26:19 IzeNMquD
児島の斉藤家でも史料残ってないかな?
道三からの直系にあたる訳だしさ。
851:人間七七四年
07/10/18 16:10:16 paubv4F4
>>848
公記には濃姫の嫁取り以降、信長の女の話など一切出てこないからな。
隣国美濃から嫁を娶ったということは美濃譲り状にもつながる信長の政治的立場の
重要な伏線になるから外せなかったのだと思うが、
もともと、信長の女たちのことを書くつもりはなかったのだと思う。
公記が、日記の形式ではなくて、あとから自分で記した記録を元に編纂された書物だという点からも、
はっきりした編纂意図があり、不必要なものは省いていった可能性が高いから。
正室の死によって信長の政治的地位に大きな変革を及ぼしたのならばともかく、
そうでなければ省かれていてもおかしくない。
公記は明らかに編纂意図をもって書かれているから。
852:人間七七四年
07/10/18 23:23:45 4IAuvpKs
公記が不必要な話は書かなかったというのはそうかも知れないけど・・
信長が、自分の留守中に勝手に持ち場を離れていた侍女達を成敗した
というエピが載っているんだけど、なんでここに濃姫が登場しないのか
以前から不思議だったんだけど。
信長が外出中は濃姫が代わりに城を管理する筈だよね。すると勝手に侍女達が
外出したのは濃姫の管理がなってないと、濃姫が真っ先に怒られる筈なんだけど
公記には、信長が濃姫に怒ったという記述はない。
ここに濃姫が登場しないのは、この時既に濃姫は安土にいなかったのではないかと
感じるんだけど。すでに別居していたか、亡くなっていたかはわからないけど。
もしくは、たまたまこの時に濃姫も別の場所に外出していたか。
まあ、侍女達も濃姫がいたなら、鬼の居ぬ間にという感じで勝手に桑実寺に行ったり
しなかったんではないかな。
また、このエピをわざわざ牛一が書いているのは何がねらいだったんだろう。
信長の性格を表す為?信長の政治的な地位に関係ない話は、たとえ濃姫の死亡であっても
書かなかったというなら、この話は何で書かれたんだろ?濃姫の生死の事より重要な出来事とは
思えないんだけど。
853:人間七七四年
07/10/19 00:34:30 a5TPHAgr
>>852
それ、竹生島への参詣の時の話でしょ。参詣だったら濃姫も一緒に行った
かも知れないよ。
854:人間七七四年
07/10/19 01:20:57 +m14obWp
政治の、というよりは(奥に対する)表向きのエピソードを集めたってことじゃね。
実際、公記には政治に関わらない話も少数だが載っている。老婆を保護した話とか。
855:人間七七四年
07/10/19 03:20:18 a46A6pmJ
信長が侍女を罰した話のいきさつは長々と語られて
○○年の何月に正室が亡くなり○○寺で葬儀が行われたなんて1行ですむ話は書いてない。
編集意図に合わないネタだったのか、まだ死んでなかったのか。
856:人間七七四年
07/10/19 10:53:59 tKooAPdv
侍女の話も、実際には殺されていないらしいのが近年分かってきたけど
ずっと惨殺されたって逸話で語られてきた箇所だろ?
その辺りからして、不自然に挟み込まれている気はするよな。
857:人間七七四年
07/10/19 12:02:44 Tf8Rz1Lp
しかも、「成敗」なんていかにも信長が怒りに任せて侍女たちを殺した
というエピをのせて、こんなに暴君だったんだよといわんばかりの話だよな。
公記に不自然に載せられたエピがあったとしたら、巧妙に削除された話も
あるよね。信康の件とか・・江戸時代になってから削られたみたいだし。
とにかく、信長関連に関しては江戸時代からかなり捏造されて、徳川のフィルター
がかかっていることは間違いない。
858:人間七七四年
07/10/19 13:44:23 tKooAPdv
「成敗」という言葉そのものには、惨殺したという意味はないし、
罰を与えたという意味でしかないがな。
信康に関しては、牛一直筆版にもないし、徳川フィルターとばかりも言えないような。
859:人間七七四年
07/10/19 13:59:36 UBG6tXPf
侍女の一件は、信長が身内の統制にも心を砕いていたというエピソードであって、
たとえ登場するのが女であっても、表向きの出来事だったんじゃない?
勝手な行動をする奴は侍女であっても許さない、ましてや家臣は・・・
という話じゃない?
信長がどこぞの娘を連れ出してとか、侍女に手をつけて、と言う話じゃないし、
十分、表向きの話だと思う。
860:人間七七四年
07/10/19 18:03:42 a46A6pmJ
正室の葬儀だって表向きの話じゃないか。
盛大な葬儀、多数の出席者などは権勢を表すものだし。
861:人間七七四年
07/10/20 10:01:24 OSlC6qpE
盛大な葬儀が行われていなかったらどうする?
信長の出兵中、濃姫が死去、信長の意向で
身内だけで細やかな葬儀が行われていたとしたら?
やはり奥向きの事として公記には取り上げられないんじゃないか?
信長の大勢いた姉妹たちの葬儀だって特に取り上げられていないのだから。
862:人間七七四年
07/10/20 11:39:28 Qa7IMHLe
密葬とまでいうとなんだが、正室の死が政治上のことにならなかったというのはあると思う。
ただ、仮にひっそりにやったのだとしても、普通養子の信忠が参加しないというのはまずあり
えない話だろう。他にも血縁者(姉妹の配偶者)なども、参加しなかったとしても身内の死
なら記録には残すのでは?関係者でなくとも、織田家とつきあいのある公家なら葬儀に参加
しなくとも記録にさらっとでも残すこともあるだろうし、そもそも葬儀を執り行う寺院の記録
に残らない方がおかしい。(天下人信長の正室の葬儀なら、きちんとそのことを記録するだろ)
普通に、信長の生存中(織田家が権力者だった時期)には死んでいなかったでいいと思うが。
863:人間七七四年
07/10/20 14:31:07 r5OIkCNd
やっぱり、
本能寺で死んだんじゃなかろうか?
義理の息子信忠、弟斉藤新五も死んだから、
その後の織田家の混乱の中、葬儀もおこなわれなかったとか?
864:人間七七四年
07/10/20 16:02:46 OSlC6qpE
>862
信長が都人と親しく交わり、安土城を築いてからその正室が死んだのなら
当然、たとえ公記が書かなくても誰かが書いたかもしれないが、
京都進出前に正室が死んでも、さまざまな人が書き記した事はないだろう。
ましてや、密葬だったりしたら。
天下第一の人の正室だった人の消息を本能寺後誰一人書いていない方が不自然で、
それくらいならば信長が有名人になる前に正室は没しており、
ゆえに記録されなかったと解釈した方が釈然とする、
865:人間七七四年
07/10/20 16:18:50 Te2E6bns
やっぱり信長が名を馳せる前、
もしくは織田家没落後の二択かな。
866:人間七七四年
07/10/20 16:46:40 V8+VRd42
普通に考えたら、正室が死んで密葬ってことはないんじゃないの。
正室とは家と家との関係なんだし、正室の家の家臣に対しての体面もあるし。
仮に美濃攻略後の死亡だったら、美濃衆に対して自分の立場を見せるためにも
葬儀は密葬にはしないんじゃないか。
867:人間七七四年
07/10/20 17:01:50 V8+VRd42
尾張時代に亡くなってたとしたら、織田家としては美濃攻略は道三、正室の弔い合戦となるだろうし
斎藤家としては正室が死んだら信長に美濃とのかかわりはないって方向にもっていくんじゃないか。
何にしろ尾張と美濃をつないでた政略の対象だった正室の死がうやむやになったりはしないんじゃ。
868:人間七七四年
07/10/20 21:31:38 JmPz3uc3
>>858
信康事件に関してはもし本当に信長の命令だったとしたら
公記にもその旨記されたと思う。
少し別の話だが、「信長公記」にはいくつもの写本があり、
内容が少しずつ異なっている。その中でも最も古いと言われる
「安土日記」には、信康に逆心の雑説があった、つまり謀反を
企んでいたと書かれている。
ところが新しいものになるとこの事件そのものの記述が消えてしまう。
これは天下を取った徳川家に遠慮して、太田牛一が筆を曲げたと
考えられている。
だから徳川幕府の手が入っていない、というか影響がなかったとは
言えないだろう。
869:人間七七四年
07/10/20 21:59:02 JmPz3uc3
>>863
本能寺で死亡はまずない。
ドラマ・小説に影響されてるのかも知れんが、
信長の上洛は茶会などではなく西国出陣のため。
出陣のために上洛したのに妻妾を連れていたとは
考えられない。
870:奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6
07/10/20 22:27:56 o2SitoBf
新鮮だった頃の論調に戻っていてうれしい
871:人間七七四年
07/10/21 00:40:43 2X7Yyp/A
>>869
西国出陣が主目的だけど、
ついでに、
京都で公家や商人と交際し、茶会、あるいは珍しい茶器を見せる会をやったのは事実ですよね。
ならば、
そこに正室を連れて行っても不思議でないのでは?
872:人間七七四年
07/10/21 00:57:39 nk2A5hI0
>>871
それは現代的感覚すぎる。
ごめんね、他の茶席で正室を同伴したかどうかを調べてからカキコしたほうがいいと思う。
公記の書かれた時期とか牛一の研究とか見れば、濃姫がなぜでてこないか二つしかない。
早くに死んだか、変後に死んだか。
早くに死んだ、というのなら美濃征服前後の諸問題の解決が必要なんだけどそういう論証はなされてないような。
ならば、変後のどさくさ、牛一でも知りえなかった時に死んでる、としか思えない。
当時の女の葬儀の研究なんてどっかにあるのかな。
873:人間七七四年
07/10/21 02:19:28 zow8KY+1
「おもてなし」に妻同伴?論争、史板でもあったよなw
874:人間七七四年
07/10/21 08:31:10 9FdH0Cvm
濃姫が美濃攻略前後の死亡だったら、斉藤家関係の記録などにも
書かれていてもいいんだけど、何でスルーされてんのか不思議。
実際は違うみたいだけど、一応小見の方の没年は記されてんのに。
自分は織田家没後の死亡の可能性が高いと思うな。
875:人間七七四年
07/10/21 09:30:44 CJuzJajw
本能寺後、あの有名人信長の正室の動向がどの文献にもあらわれないほうが変。
安土城入城前に死んだのならば、公家の日記には残らなかったと思う。
公記は、妻妾の話は枝葉のこととして徹底的に排除したということで。
本能寺後生きていた濃姫の動向が何の記録にも現れないのと、
安土城入城前に死んでいた濃姫の葬儀の様子が描かれないのとどちらが不自然かと言えば、
本能寺後、正室の消息誰も記録せずのほうがありえない。
876:人間七七四年
07/10/21 17:02:38 STkFAEMr
濃姫の政治的な利用価値は、信長がまだ権力者でなかった頃の方が大きいよね。
道三の娘婿である自分が美濃の正統な後継者であるって立場だし。
尾張、美濃はしっかり押さえて大きな権力を信長が持ち始めれば
道三や道三の娘の利用価値は終わっただろうけど。
美濃攻略前後の頃の方が、濃姫自体の存在感は大きかったんじゃないか。
織田家没落後だとただの後家だけど。
877:人間七七四年
07/10/21 21:35:38 9FdH0Cvm
濃姫の本能寺後の記録がないのは確かに解せないけど
でも、織田家宗家を継いだ三法師の記録さえ満足に残っていないので
信長死後の織田家について興味が無くなったので記録されなかったんではないか。
せめて三法師で絶えずに後何代か織田家宗家が続いていたら
何らかの記録は残った可能性が高いけど、三法師で宗家は無くなり
織田家庶家の信雄は、秀吉などから改易になったり散々な目にあっている。
信孝は秀吉によって滅ぼされるし、秀勝は早死だしね。
記録をきちんと残すほど安定した立場だった子供たちはほとんどいなかったから
宗家の三法師の情報すら庶家に伝わらなかったんではないか。
もちろん濃姫の情報もしかりだと思うね。
なので、自分は織田家没後の死亡の可能性の方が高いと思うね。
878:人間七七四年
07/10/21 23:10:48 ZALt1V1d
そもそも信長の子たちの母親でさえ実証されているのは
稀だからな。
生駒腹とされている信忠でさえ異論が出る始末。
こうした中いくら正室でも子がなければ記録には
残りにくかったのではなかろうか。
879:奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6
07/10/21 23:15:58 Bdpdftmo
徳川の大奥に共通する要素があるな。正室の子が家光だけってヤツ。
880:人間七七四年
07/10/22 00:04:27 9FdH0Cvm
>>879
それはそうだね。
いかに側室制度が大事だっかわかるね。
当時の大名家で、正室の子供が後を継ぐよりも側室の子供が後を継いだ家が
圧倒的に多かったんじゃないか。
今の皇室存続の問題も側室制度を復活させれば、解決する話なんだろうけどね。
でも、日本も国際社会の仲間入りしたから、側室制度の復活は今後ないだろうけど。
881:奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6
07/10/22 00:14:13 XxuxY8BG
あと正室はそれなりの勢力を持った家から迎えるため、外戚権力を避けたという側面もあるでよ。
882:人間七七四年
07/10/22 01:44:56 bP/PGSqS
今側室制度を復活させたら
金持ってる男ばっかり女集めてハーレム作っちゃうから
貧乏な男は結婚できなくなるな
万が一出来ても不細工女しか残ってない悲惨だ
883:人間七七四年
07/10/22 01:56:24 TagQBBLf
>>880
戦国時代までは、割と(というか殆ど)正室の子が後継いでるが、
江戸の安定してきたころから、側室腹の子が跡継ぎになる
パターンが増えてきている感がある。
小五月蝿いしきたりや、環境の変化による武家の
上流層の弱体化がもろに出るようになり、大奥制度の
比重が増したような。
884:人間七七四年
07/10/22 02:08:21 bP/PGSqS
昔は母親の身分で息子の身分が決まったから(娘は父親の身分で)
正室はちゃんとした家柄の娘を貰って
正室から生まれた男児を嫡男としたけど
江戸時代になってからは、本格的に女はただの産む道具になっちゃったからなぁ
885:人間七七四年
07/10/22 08:52:38 WIeaRs0t
>>882
今どきそんな不細工女なんてほとんどいないでそ。
男はひどいけどな。
まあ整形すりゃいいじゃん。
芸能人なんてほとんど整形男、整形女ばっかしだしな。
886:人間七七四年
07/10/22 09:25:23 A1RAhTTQ
>>880
戦国時代は、まだまだ一夫一妻制が戦国大名の中に色濃く残っていたせいだと思うよ
大大名に出世すれば多くの側室を養えたが、1代限りで上がってきた成り上がり者にはそれができない。
信長本人は城主の子供だし、父親にも多くの側室がいたからその例ではないけどね。
天皇家や公家ではそれ以前から、当主の多くは妾腹に代わっていたし、
成りあがりだった戦国大名も、江戸時代に身分が安定すると妾腹が多くなる。
それだけ側室を多く持ったと言う事。
戦国時代には、妻の数が少なかった為、正室に子がなければ甥や弟に継がせる例がまだまだ多くあった。
(柴田勝家、山内一豊等。正室がいなかったという稀有な例では上杉謙信も甥に家督を譲った)
887:人間七七四年
07/10/22 13:40:39 HKQFCfuJ
>>886
ええっ?
>戦国時代は、まだまだ一夫一婦制が戦国大名の中の色濃く残って
えええ~www
ウッドベキア・・・の書き込み?じゃないよね?
888:人間七七四年
07/10/22 15:22:52 nWzmBibp
一夫一婦制というより、成り上がりものは妻以外の女性を養う程の財力がなかった。
戦に追われていて、子作りする暇がなかったっていうのが大きいだけだろ。
889:人間七七四年
07/10/22 21:54:19 H/psnQc4
山内一豊は生殖不能者だったのではないか、という説があるらしいね。
正室・見性院との間に娘が一人生まれたのみで
あの当時の家制度を考えれば、足軽大将だった頃はともかくとして
城持ちになった頃は跡継ぎを作らなければならないのにそれをしなかったのは
明け暮れる戦のストレスが原因で性不能だったのではないかという説を見た事がある。
890:人間七七四年
07/10/22 23:48:12 HKQFCfuJ
見当違いの思い込みと妄想、偏った知識、>886はウッドベキア。
891:人間七七四年
07/10/23 04:33:09 Bpn14y2M
>883
それって鉛入りの白粉のせいなんでしょ
天皇家でも後水尾天皇くらい
までは多くの子供が育っているし
892:人間七七四年
07/10/23 10:11:23 I6DnPibt
>887.890
ID:HKQFCfuJ
ウィキのどこにそんな記述が?
頭おかしい人?
893:人間七七四年
07/10/23 10:37:37 l9gRMtgl
>>891
鉛毒についてはよく言われるけど、
おしろいの成分的に大きな違いが生じていったのだろうか?
あと将軍家に関しては、公家や宮家の出である御台所の子が
将軍職を継ぐことの政治的弊害という理由もあるのだろうけど、
旗本や御家人の娘で健康体である側室に比べ、
公家や宮家の女性たちの線の細さやひ弱さから、
健康な子が生まれにくかった・・・と説かれることも多いよね。
で、少しは濃姫の話題に戻らなければ。
894:人間七七四年
07/10/23 11:37:44 FdAcpmLy
信長本みたいなの見てもブコウヤワとかNHKドラマの引用って多いのだね。
濃姫の墓がなべの横にある、なんて書いてるのもあるな。
895:891
07/10/23 12:32:43 pFQW9E/m
>893
スレ違いですが当時の上流階級が愛用していた中国からの輸入品の白粉は鉛入り
その白粉を赤ちゃんに授乳するときも乳房にまで塗っていたものだから…
明治になってから無鉛の白粉が使われるようになって多くの子が育つようになったとか
896:人間七七四年
07/10/23 14:36:49 852derpn
昔から中国産は危険だったのか
897:人間七七四年
07/10/23 16:33:41 tbr0Gbt7
>>894
特に作家に多い>武功信奉者
藤本正行らの偽書説本を読めばとても
史料として使えないことは分かるはずなんだが。
このスレに関することでは、帰蝶(濃)の輿入れが
吉乃(武功による名)の懐妊と同時期とされてたり。
それでは信長と斉藤道三の会見はどこに入るのやら。
898:人間七七四年
07/10/23 21:38:36 3XV+3oBF
>>897
津本あたりは何か言ってるのかね、ブコウを信じてたことを。
信長の母とされる土田御前なんかの話もブコウからかなり取ってるから実際
今はかなりグタグタになってそうでこわい。
そういえば道三会見の日付なんかは公記でも明確にはなってないけど
あれ、ちゃんと史実で鉄砲500なんてのはどこまで信用できるのだろうね。
なんか疑い深くなってしまって困るな。
899:人間七七四年
07/10/23 22:15:53 QWsSn++U
>>898
「公記」には弓鉄砲500挺とある。
従って極端に言えば弓499、鉄砲1でもこういう
表現になる。
900:人間七七四年
07/10/23 22:36:17 QWsSn++U
連投だが、信長上洛以前の話は公記の「首巻」に
記されてるが、まとめられたのは上洛以降の話より
後らしく、そのため筆者の太田牛一の記憶違いによる
間違いなどもある。
また誤りでなくても月日は書いてあって年の記載の
ない場合も多い。
稲葉山城落城、美濃平定も年の記載がないため
いつのことか明治まで論争が続いていたし。
901:人間七七四年
07/10/23 22:41:53 IGWdK+Dc
でもこいつが変の黒幕だとしても
斎藤利治は殺させまいと思うんじゃないかな
902:人間七七四年
07/10/23 23:25:49 3XV+3oBF
>>900
わかるよ。
鉄砲と弓、それぞれ500とだって読めるしね。
ただ首巻が単に記憶違いなのかなって。
結構なメモ魔だし、かなり創作とか意図まで入ってそうでね。
スレチだからまぁいいが。
903:人間七七四年
07/10/24 10:57:39 Wbwfjp3E
「濃姫のひざまくら」って本読んだことある人いる?
どんな内容かちょっと気になる
904:人間七七四年
07/10/24 13:42:42 e/1ATLuz
>>877
>信長死後の織田家について興味が無くなったので記録されなかった
本能寺後、信長正室の消息がつかめないことに対し、
これはさすがに乱暴じゃないかな
信長の母土田御前の没年が分かっているのに
妻は消息不明
信長が有名になる前に死んだんじゃないのか
905:人間七七四年
07/10/24 14:40:39 cWVHs7PK
>>904
そういうけど、濃姫には実子がなかったんだからしょうがないんじゃないの。
信長の生母は他にも息子がいたから墓やその他もキチンと記録に残ったんだろうけど。
でも没年がわかってるっていっても、信長生母は土田氏だと確定に至る史料は皆無。
信長生母については複数の名前が挙がっているわけだし。
それほど重要視されていたんだったらこれほど諸説でるわけないじゃん。
それに信長死後の織田家宗家に興味がなかったから、三法師の記録なんかもろくに
残ってないんだしさ。信忠のあとを継いだ息子に興味がないのに、その信忠の養母だった
濃姫が生きていたとしても、よほどの出来事でもない限りは書かれなかったんじゃないの。
逆に信長生前に亡くなってんだったら、必ず何らかの形で記録は残るはずだよ。
小見の方などの没年などは記録されてんのに、濃姫がスルーされるのはおかしいと思うな。
なので、自分は織田家没後の死亡の可能性が高いと思ってるけど。
906:人間七七四年
07/10/24 15:04:38 N6rhAjHW
本能寺後に信雄が安土殿に600貫文の知行を受け取ってるから
信雄の元で大人しく暮らしてたんじゃないかな
世も世だし、織田家が急速に豊臣に飲み込まれていく状態で
正室には表立った行動はしないで欲しかっただろうし
生母ではないから、それほど信雄も気を使わなかっただろうし
下手なことされたら自身も危なくなるから
正室として知行を与えられて行動制限されてくうちに
歴史から姿を消して行ったんじゃないかな
907:人間七七四年
07/10/24 15:06:04 N6rhAjHW
×本能寺後に信雄が安土殿に600貫文の知行を受け取ってるから
○本能寺後に信雄が安土殿に600貫文の知行を与えてるから。でした
908:人間七七四年
07/10/24 19:24:01 SRPMMavf
そういえば、信長生母の出自って、本当のところ、どうなんだろうな。
生駒の親戚の土田氏出身ってことになったのも、確か武功からだろ?
909:人間七七四年
07/10/24 20:27:01 iVmWOjQQ
>>904
有名になる前ってのがわからん。
全国レベルでいけば無名でも、尾張一帯というローカルレベルでは超有名人。
さらに妻当人だって美濃一国の支配者というローカルレベルでも超有名人な
斎藤道三の娘。
ローカルレベルでも死亡の記録がないのなら、それは死んでいなかったと見る
べきでは?
910:人間七七四年
07/10/24 20:52:11 +LjjxZ4T
あの『言継卿記』に出てくる壺の一件は証明にはならんの?
911:人間七七四年
07/10/24 21:05:57 LecgAIK8
>>908
そうそう、それが気になってる。
公記ではどうなってるか詳しい人いないかな。
わしは信長の出自にはかなり疑問を持ってる方だもんで。
912:人間七七四年
07/10/24 21:10:49 SRPMMavf
公記に信長生母についての記述はないよ。
913:人間七七四年
07/10/24 23:29:40 LecgAIK8
>>912
でしたか。
同腹云々というのがあったぐらいだったかな。
とすると濃姫に限らず今流布してる信長の常識はかなり危ない感じだな。
914:人間七七四年
07/10/24 23:29:59 iVmWOjQQ
公記の記述をあげると
まず稲生合戦のくだりに「信長の御袋様」が弟信勝と末森いたこと、和議の仲介を
取り持ったこと。
もう一つ、信勝生害の記事で信長が病臥したことについて「御袋様」が見舞いを
信勝に勧めたとある。
この「御袋様」が具体的にどのような出自の人物なのかは公記には記述されていない。
915:人間七七四年
07/10/25 00:20:26 q+HYt7Jc
っうか・・
信長って本当に信秀正室の子供だったのか?
まずその辺りからかなりあやしい。
「信長御袋様」って表現もなんかな~
「秀頼御袋様」って意味と同じにも思えるし。
916:人間七七四年
07/10/25 00:27:46 FoOKbG4V
つまり側室腹って意味だよな
お袋様って
917:人間七七四年
07/10/25 01:18:51 3vzLwZtW
あくまでも生母という意味での御袋様じゃないかとは思うけど
正室ではなかったとも考えられるよね。
918:人間七七四年
07/10/25 03:52:37 svjTVKlo
織田氏徳川氏=高潔で清貧なる騎士団 神の騎士
美濃斎藤氏=金津園と吉原の生みの親であり高潔で清貧なる天才織田信長を殺し
江戸260年の大平を築いた徳川幕府にソープランド(大奥)みたいな下品な施設を
設置して財政を食い物にし倒幕に導いた天下を嫉む卑しい連中wwwwwwwww
美濃斎藤氏なんて天下人に迷惑かけてるだけのクソ畜生共なんだよ
919:人間七七四年
07/10/25 07:29:17 svjTVKlo
斎藤家なんか華のある人間を嫉み嫌がらせする
卑しい連中じゃねーか
920:人間七七四年
07/10/25 08:26:45 5OXKuUVE
ID:svjTVKlo=生駒厨
921:人間七七四年
07/10/25 10:18:50 jRP6ka3T
「津島大橋記」「干城録」によれば、信秀正室、信長生母は小嶋日向守信房息女とされているって
本当?
また、父信秀には子供が多く、庶兄もあったにもかかわらず
信長が後継者に指名されたのは、信長の母親が正室だったからだと思うのだけれども。
922:人間七七四年
07/10/25 11:59:44 6eJkhbaz
>>921
津嶋大橋記
「信長母 号御大母 美濃国藪田小嶋日向守信房女也」
923:人間七七四年
07/10/25 21:54:39 q6sf/GIX
>>917
そう思ってる。
>>921
信長が後継者に指名されたならあんな織田家内紛が起きるのもおかしい。
信行と一緒に住んでだから信行の母ではあったろうけど、信長とは違ったのではないか。
権六あたりが信行についたのも嫡統は信行であり、庶子信長が本家に謀反を起こしたのではないか
そういう可能性を強く感じる。
喜六郎が殺害された時もすぐに守山城に向かったのは信行であり、信長はぐずぐずしてる。
このあたりも信行が本家というのを示唆してる。
スレチで悪いのだけど、このあたり牛一は案外内部のことを詳しく知っていたようにも思う。
924:人間七七四年
07/10/25 23:20:09 pKCVENd8
今更だけど信行じゃなくて信勝な。
本人が発給した文書には信勝とあり、
信行は系図にしか登場しない名。
925:人間七七四年
07/10/25 23:58:00 HT5/N5HT
>>923
織田家というか、正確には織田弾正忠家が内紛を始めたのは美濃の道三死亡以降で、
信秀死亡の時点ではまだ一族兄弟は信長に従っている。清洲織田家との合戦でも、
信勝は信長の命令あるいは要請に従って軍を出している。
なお柴田勝家が信勝についたのは信秀生前からの主君の命で、本人の意思で誰につく
かを決定したのではない。というか、その手の決断で信長についたのだが。
ついた背いたなら、例えば信長からは林一族が離反して信勝についているが、逆に
信勝付からは佐久間一族が本来は信秀から付けられていたが稲生の頃までには背いて
信長についている。また叔父たち(信光や信次)の対応、守護斯波一族の行動なども
「信長ではなく信勝こそが織田家の本嫡(信秀の継承者)」とは言えない。
926:人間七七四年
07/10/26 00:48:35 w+NNjj12
父親は信長が後継者だからこそ斎藤道三の娘と縁組させたんだろ。
927:奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6
07/10/26 00:56:22 zbCDlJZh
どうでもいいけど当時の尾張なら信行の訓みは「のぶつら」かも。
928:人間七七四年
07/10/26 01:10:35 iUHfDbDh
>>926
嫁取りからして違うわな。
信長の嫁は隣国美濃一国の太守斎藤氏の娘。信勝の嫁は尾張の土豪荒尾氏の娘で、
信勝生害の後に信長はその妻を信勝を刺した者に与えたという。このぞんざいな
扱いからして、程度が知れる。
929:奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6
07/10/26 01:19:04 zbCDlJZh
信澄の母親どうすんの。
930:人間七七四年
07/10/26 10:45:23 6nn4ie58
>>928
だが信長は信澄は自分の息子並みに扱ってるんだよな。
普通自分に逆らった者の遺児は生かしておかないものだが。
豊臣秀頼の子が殺されてるように。
信澄も結局本能寺のあおりで殺されてしまうが。
931:人間七七四年
07/10/26 11:40:29 kOjsZwfe
>>930
その辺りが、身内には甘いって言われる所以なのかもな。
932:人間七七四年
07/10/26 21:11:01 FlUans3B
>>925
よくわかるのだけど、信勝嫡統というのは正室の子、という意味ね。ちと大胆だけど
その前のスレの流れで、信長庶子、信勝本嫡、という意味なのですよ。
権六が生前信秀からそういう命を受けていたのなら、信勝こそ本嫡という傍証にこそなると思うし
一族の行動はあくまで付帯的なものでそれを元に、信勝本嫡、を導き出したのではないので
念のために。
あと、うつけ信長に対して信勝を「折り目正しき~」とか牛一が対比させて記述してるのも、別腹の傍証には
なる。
喜六郎もね、イケメンに記述してる。
だから信勝と喜六郎は同腹であり、事件で殺された時に信勝はすぐに行動し信長はぐずぐずしてた、
というのも素直に理解できる。
ま、他人の説で受け売りなんだけど首巻はいろんな解釈が出来るから興味のあるところで。
933:人間七七四年
07/10/26 22:38:00 8gPEO2Je
>>930
本能寺の変当時において、一門の№5の地位にあるんだよね。信澄。
徹底的な能力マンセーな信長だったから、いくら謀反を起こした弟の息子といえども
優秀なら可愛がるというのは不思議ではないけど・・・。
幼い頃から賢い子だったんだろうか。
934:人間七七四年
07/10/26 23:37:21 iUHfDbDh
>>932
>権六が生前信秀からそういう命を受けていたのなら、信勝こそ本嫡という傍証にこそなると思うし
意味不明。それだったら、信秀の命令で信長に付けられた家老たちをもって、信長こそ
本嫡とみなすことだってできるだろうに。
それと、信長と信勝が別腹という可能性は自分も同意ですが、だからって信長が庶子
ということにはならない。なぜならすででにでているが、信秀正室が複数名確認される
ので。仮に信長が庶子だとしたら、すでにでているがその他の兄弟との待遇の差が説明
できない。それと喜六郎の件については、公記の記述では信長は事情を知って、はっきり
と「弟の方に落ち度がある」と決断している。これは別腹からくる兄弟愛の差かもしれ
ないが、少なくとも「ぐずぐずしてた」なんていわれる程のものでもない。
(これについては、言葉尻の問題かもしれないが)
935:人間七七四年
07/10/27 02:05:59 H+x/eZf0
信長の生母は継室だった可能性もあるのかな
936:人間七七四年
07/10/27 08:53:04 jD66h4vc
生母が信秀正室なら、継室だった事は間違いないでしょ。
信秀の一番最初の正妻は織田大和守達勝息女で
天文の始めに離婚している事は、史料に残っているんだから。
937:人間七七四年
07/10/27 12:07:00 k1npIoDD
>>934
なるほどね、よくわかりますよ。
で、喜六郎事件も信長の仕組んだこと、とまで言うとオカルトですがそういう説もありましてね。
他の兄弟との待遇の話ですが、当時はやっぱり強いものに家督をつがせたいわけでしょう。
複数の自分の子供を信秀がどうやって処していたか、これはまた別に検証すべきでしょうね。
つまり、結論言うとさらにオカルトで申し訳ないけど信長は自分が嫡統でないことを知ってて
織田家乗っ取りをはかった、これは1577の広信殺害から始まる、最後が信勝だましうち、
叔父も兄弟も全部信長にやられた、という説で。
ちなみに前にも書いたけど信秀葬儀でどうして信長があんな無礼な行動を取ったか、それは
葬儀によばれてなかったからではないだろうか、実際庶長子信広の記述もない、
これもよばれてなかったのではないだろうか、それに怒った信長が、なんていうといかにも
現代劇ですがうつけだったら十分にそういう行動取ったのも理解できそうで。
さらに平手自害も信長のした非道な行動を知ってたのではないか、そういう風に続きます。
受け売りなので反論というか詳しい人に聞いてみたいところ、というわけで。
スレチで申し訳ないが。
938:人間七七四年
07/10/27 12:37:14 w192PaAz
信長公記の「稲生合戦」の「御袋様」と書かれている前後の原文を知りたいな。
この時代なら御袋様とあると「側室の生母」という意味で使われていたから
信長の生母は側室=土田御前は側室、という可能性もでてくる。
信雄分限帳にある「大方殿様」は信秀の正室であって、信長の生母ではないと
いうことになるかもな。
正室腹に男子がいれば文句なく嫡長子が家督相続する。
でも側室腹にしか男子がいない場合は、長子優先に納得できないやからもでて
私利私欲に走る側近の意向でお家騒動が起きて来るんだと思うんだ。
家光や政宗みたいに正室同腹でもおきるぐらいだから。
そう考えると信長は側室腹の長子であったために、当初は庶子として
自由に育てられ(うつけと呼ばれるような自由奔放な言動)、
途中から正式な嫡子となったので、反対勢力が内部からでてきたのかもしれない。
939:人間七七四年
07/10/27 13:25:27 5QChId4D
>>938
すると、信長は当初は庶子として織田家を継ぐ予定がなかったが、
途中で嫡子となったというわけか
その場合でも父の正室の養子になる手続きがいるわな
それでは公記が、信長に養母と実母がいると書かなかったのはなぜだろう?
少なくとも濃姫が嫁いだ時点では織田家の跡取りは信長
正統な後継者でもない若造に、道三も嫡腹の姫を嫁がせたりはしない
信秀葬儀の喪主は後継者信長だろう、
そこまで否定したら、当時の史料も公記も嘘っぱちになる。
940:人間七七四年
07/10/27 14:24:54 w192PaAz
>>父の正室の養子になる手続きがいるわな
普通はそんなことしないよ。
側室腹のまま家督を相続するケースの方が圧倒的に多い。
正室と養子縁組しなきゃその資格を得られないというのは
信忠が濃姫の養子になったので、それが一般的と誤解している人が多い
だけで、実際は嫡子になるために養子縁組をしたのではなく
別の意図からだと思う。濃姫の養子にしなくても決定権は信長にあるわけだから。
それに世継ぎがいなくて親族の子供を養子にする時は
奥方ではなく当主の養子にするだけでOKだったよ。
信長と濃姫が婚姻した時はすでに家督は信長に譲られたのだろうということは
もちろんそう思ってるよ。信秀葬儀の喪主は信長だと思ってるよ。
他に該当するような喪主はいたの?
自分もあくまで臆測を述べただけ。
「御袋様」と表記してあるとどうしても当主の正室をさす言葉じゃないから。
うちうちでそう言うことはあっても、信長公記は公の文書なので
そのような表記をするかとても違和感があったので。
戦国大名なんて実両親さえも不詳のものも多く、父親だけでもはっきりしている
信長はましなほうなんだよね。実母が土田御前じゃない、もしくは正室の子じゃ
なかった、としてもなんの不思議もないけど。
941:人間七七四年
07/10/27 15:25:40 k1npIoDD
信長が庶子としても、その年上に信広がいるのではなかったっけ。
ほんで信秀葬儀の喪主は信長なの?
疑うようで悪いがそうではないような。
信長庶子とするならそうなる可能性が高い。
では誰かというと信勝ではなかったのかな。
庶子から正式な嫡子になったのではなくて、単に嫡統信勝を殺して織田家を乗っ取った、
そういう理解が妥当にも思う。
ちなみにいったんは許した信勝をどうしてあんなだまし討ちしたかと言うと、同じ年に
かわいいかわいい長男信忠が生まれたから、という説明がある。
つまり分家である自分が本家を乗っ取っても、自分がその織田家を継いでいける、そういう
立場になったから、というのね。
公記は嘘なのではなく、牛一はそのあたりの事情を知ってて書きたくても書けない、
なので首巻でいろいろ日付まちがいやあやふやな表現、創作的表現をしたというように感じる。
そしてそれは濃姫の記述がないことにも応用できると思うんだな。
やっとスレにつながった。
942:人間七七四年
07/10/27 16:56:16 w192PaAz
>>941 濃姫との婚姻時に信長が織田家当主あるいは嫡子でなければ
濃姫は信長に嫁がなかったと思うよ。信勝が嫡子だというなら道三は
信勝に嫁がせたはず。道三としては織田家とただの姻戚になるために
濃姫を嫁にだしたのではなく、織田家の家督相続者に嫁がせることに
意味があったはずだから。
なので信長が信秀葬儀の喪主であったことはまず間違いない。
信長が庶子であったのなら諸兄である信広に出自において何か問題があって
スルーされたか、信広は信正同様に信秀の庶子認定すらしてもらえない
立場だったのかもしれない。
それから信長公記は牛一が信長に仕える前のことは関係者から聞いた話や
噂話をまとめたものなので、幼少期の信長のうつけぶりや
葬儀でのエピはそんなに信憑性が高いとは言えないと思うし、
その頃の織田家の詳細なことは知らなかったと解釈したほうが自然。
濃姫の記述がないのは、意図的に書かなかったとかじゃなく
書く必要がなかったからじゃないの。濃姫が政治に介入してきて
織田家にとって欠かさぬ人物なら登場してきたかもしれないけど
普通に奥方の奥向きの仕事しかしていなかったら、
信長公記の史料としての性格上書かなきゃならないほどの重要性はない。
信長の戦略や戦歴、業績、信長のエピソードがメインの史料だし、
それ以外の織田家の女性に関する足跡だってないに等しい史料だし。
943:人間七七四年
07/10/27 17:03:49 aOK0qBpl
脳姫
944:人間七七四年
07/10/27 17:34:51 RQ+880Mp
>>942
信長公記自体、信長の表向きのことがメインだしね。
蒲生氏郷の家臣の子が書いた「勢州軍記」には信忠を
濃姫の養子にしたという記述もあるし、「言継卿記」の
壺の一件もあるから、少なくとも信長が美濃を平らげて、
義昭を奉戴しようとした時期までは存命だったと見ていい
んじゃないか?
945:人間七七四年
07/10/27 17:40:32 z6u33u05
道三には娘も大勢いただろうけど、土岐の血を引く正室の産んだ娘なら
政略結婚の駒としては大事な存在だっただろう。
それを家督も継げない庶子に嫁がせても道三としては意味ないよな。
946:人間七七四年
07/10/27 18:39:52 zGIIuEjr
>>944 いつまで存命だったかは本当に謎だよね。
諸説あって、それぞれ納得がいく部分と矛盾を感じる部分がある。
ただ信雄分限帳の「安土殿」は濃姫と考えるのが一番自然じゃないないかと
思うんだ。当時の女性にとって住んでいた場所で呼ばれていたのは
ステータスシンボルで、城の名なら城主夫人となって
女性にとって最高のステータスだったんだ。そうなると
安土殿と呼ばれるのに該当していた女性は濃姫以外考えられない。
信長や信雄の未婚の姫に知行が与えられることはないし、
安土城に一時期居住したという信雄の夫人は御内様で別にいるし、
知行の高さと名称から信長の正室だった女性以外
考えられないんだよな。
ただその後の安土殿の消息がぷつっと消えてる。
すぐに出家して、自ら俗世間から離れてひっそり余生を過ごしたのか?
ということになるんだけど、それもどこかひっかかるね。
947:人間七七四年
07/10/27 19:22:26 MM5Q7BwI
>>941
信秀の後継者が信勝で、信長が本来庶子だったというほうが様々な問題が発生します。
それは「なぜ尾張の他の勢力は、信長と戦って信勝と戦わなかったのか」ということです。
信秀死後背いた鳴海の山口親子と戦った(懲罰戦争)のは信長です。清洲や岩倉と戦った
のは信長です。三河における有力な味方である水野氏が今川に攻められたとき、救援に
かけつけて村木を攻めたのは信長です(道三から援軍をもらってまで)。信秀の財力の
源とされる津島や熱田を押えていたのも信長です。これらの点は、単に公記だけでなく
一次史料から確認されることもたくさんあります。
で、信勝が信秀の本嫡で後継者だったというのなら、これらの織田弾正忠家の危機の
間、なにをやっていたんですか?
それから、あなたは牛一が書きたくても書けない事情があって筆を曲げたと主張して
ますが、一体その事情とは?ちなみに牛一がそれまでの記録をまとめて公記という
書物に編纂したとき、すでに織田家は権力者の座が滑り落ちて、まったく無力な一
小名が数家存続しているという状況で、信長本嫡の家すらのこっていませんでした。
もう一度聞きます。牛一は何にはばかって、信長の過去を改竄する必要に迫られたと
いうのですか?
948:人間七七四年
07/10/27 19:57:26 RQ+880Mp
>>941
そもそも斎藤道三がわざわざ娘を庶子になぞ嫁がせるかということ。
信勝が嫡男ならば、信勝のほうにこそ、道三も信秀も濃姫との縁談を
まとめるだろうし。そこについて納得のいく説明を賜りたい。
949:人間七七四年
07/10/27 20:10:36 Oz3uuYo4
ただでさえ評判の悪い信長が庶子だったら濃姫が嫁ぐわけないだろ。
950:人間七七四年
07/10/27 22:51:42 D86xBBB6
まぁ信長が庶子にしても、嫡男扱いであったという事には違いないと思う。
じゃなきゃ濃姫は信長には嫁がないで、織田家跡目の誰かに嫁いだだろうから。
951:人間七七四年
07/10/28 00:52:56 PhOdFKIp
お袋様=側室の生母というのはどうだろうか?
正室であっても、子供を基準に記述する場合、生母という意味合いだけで
お袋様と書く事は当時でもあった。
お袋様が、側室にしか使われない訳ではない。
信長から見て生母である場合、公記に関していえば、
正室か側室かは問題ない箇所であると思うが。
952:人間七七四年
07/10/28 01:04:07 PhOdFKIp
>>938
信長公記の「御袋様」の箇所
「信長の御袋様、末盛の城に御舎弟勘十朗殿と御一所に御座候によって、
村井長門・島田所之助両人を、清洲より末盛へ召寄せられ、御袋様の御使として、
色々様々御詫言にて御赦免なされ、勘十朗殿、柴田権六、津々木蔵人、墨衣にて、
御袋様御同道にて、清洲において、御礼これあり。」
つまり、信長の御袋様が側室か正室かはこの際置くが、
勘十朗信勝と同腹であった事は、この一文から推測できる。
953:人間七七四年
07/10/28 01:34:12 6Nsxelc5
いつからか信長生母=土田御前が当たり前のように言われるようになってたけど
信秀の正室や信長の生母もよくわからないんだよな。
954:人間七七四年
07/10/28 07:01:07 xRGWRERq
ここは本編よりカットオフ好きな荒らしが多いスレだな
955:人間七七四年
07/10/28 13:07:07 pmgh9eg+
ところで質問です。信秀の正室あるいは信長の生母として「土田御前」の名前が
でてくる史料ってなんですか?少なくとも公記には御袋様とはあっても名前は
ないようで。
956:人間七七四年
07/10/28 16:52:55 avzfEA3F
武功夜話
957:人間七七四年
07/10/28 18:59:54 KKklJvKa
よく考えたら信長が正室の長男である、と明確に示す史料ってないのか?
信長公記の「御袋様」だと正室腹、側室腹、両方とれるな。
信雄分限帳の大方殿様は信秀正室に間違いないだろうが、信長生母では
ないかも?ということになる。もしかしたら
みょーに知行の多かった御局が信長生母なんじゃない?
信雄の実祖母にあたるわけだし、信長の生母ということで奥で
丁重に扱われていたのかも。
958:人間七七四年
07/10/28 19:19:54 pmgh9eg+
>>957
公記には「嫡男織田吉法師殿」とある。さすがに側室腹で嫡男はないと思うが
959:人間七七四年
07/10/28 19:33:42 KKklJvKa
庶子であっても嫡子がいない時で、後継者と認められれば、
嫡男と称されたよ。信忠だって庶子だけど、嫡男として
家督を継いでる。
信長の生母がどこそこの○○氏で、と明言されているものもないし、
濃姫が嫁いだ15才頃には嫡男であったことは確実だけど、
正室腹であったかどうかは確定するだけの材料に乏しいな。
960:人間七七四年
07/10/28 21:40:53 vUjOnRsC
叔父信光と謀って清洲城を乗っ取ったのも信長。
信勝が嫡男なら清洲に入城するのも信勝のはずだが。
ところで自分も信長が叔父や兄弟を殺しつくしたと
する本を読んだことがある。
それによれば秀孝の死、浅井朝倉と戦って死んだ
とされる信治、長島の一揆攻めで死んだ叔父信次、
同じく庶兄信広などはすべて信長による暗殺だという。
確かに公記にも長島の戦死者は名前を挙げず
「御一門歴々討死」とあるだけでこの書き様は不審と
言えば不審だ。
一般には信長が殺した近親は兄弟では信勝のみ、あとは
叔父信光が怪しいとされてるが。
961:人間七七四年
07/10/28 22:35:21 vUjOnRsC
連投だが、自分が殺した信勝の遺児を大事に育てさせて
有力な一門武将にしているくらいだから、この説は自分も
信じていないが。
信澄への厚遇を見ても、信長が信勝を殺したのは本意では
なかったとも考えられるし。
別の話だが、谷口克広は普通信長の弟とされる信時は庶兄の
秀俊と同一人物で、その死に信長がかかわっていたのではと
している。これは肯定できるかもと思う。
962:人間七七四年
07/10/29 09:02:38 eQ0a9G+5
>>952
信長の御袋様が信秀正室だった場合とそうでない場合でまた
信勝と同腹かどうかは解釈が違ってくるかも。
正室なら騒動を最小限に治めようと仲裁に入っただけということも考えられる。
後家の権限で織田家のために兄弟、家臣間の諍いを好まず、穏便に治めようと
信長を説得したのかもしれない。同腹の可能性も高いけど
この場合信勝が自腹の子でなくても立場上そうしたんじゃないかな。
信長の生母が側室ならやはり同腹ゆえに血の縁で信勝の命乞いをしたという
解釈が自然だと思う。いくら信長生母であっても側室の立場で
家のためにお家騒動に介入して、自分の子供でもない
信勝の命乞いをするというのは不自然だ。
963:人間七七四年
07/10/29 12:23:51 Vp6yesI1
>>960
信長が、信光、信時を殺したという根拠は?
964:人間七七四年
07/10/29 12:37:57 kus/rXR8
>>947
自分の説ではなくあくまで他人の説なので聞かれて答えるのも変ですけど
織田家危機の時はまだ信勝は子供で実戦経験が少なかったからではないですかね。
信長は戦国武将としての片鱗を見せて庶子ではあっても多くの兄弟の中でも
年上の方ですし、自分が織田家の中での地位を築くためにもそういう行動を
取ったのは十分理解できる気がします。
もう1つ、牛一が何にはばかって、というのはまさに、信長は嫡統ではなかった、という事実を
秀吉に対してはばかった、というように説明されてました。
分家信長が本家に謀反簒奪しかも調略だましうちなんでもありのひどいやりかた、
これでは秀吉の主君としてはさすがにそのまま記述は出来ない、つまりそのくらい
他にもひどいことがあったのでしょうか。
例えば平手の自害をも説明しています、つまりあれは信長を諌めるためではなく
庶子なのに嫡統を主張し始めた信長を説得できなかった、そういう織田家全体への
面目と言うか責任のため、というようにね。
長男だったかが馬を譲らなかったのも信長が正嫡ではなかったから、というようにうまいこと
話をつなげてます。
オカルトなのでうまく反論してもらえるとこちらも助かります。
スレチで申し訳ないので、どうして道三が濃姫を信長に嫁がせたか、こちらにも
行きたいですね。
965:人間七七四年
07/10/29 14:25:21 6vFByQzH
>>どうして道三が濃姫を信長に嫁がせたか、
当時の美濃国守と尾張の織田家庶流の織田家との
力関係を比較しても、縁組として成立させるには
信秀の嫡子が婿でなきゃ成立しないよ。
仮に信秀>道三という力関係での婚姻なら、濃姫が人質みたいな
立場での輿入れとなるだろうから、その場合は嫡子ではなく
他の庶子の信長の弟たちになってもおかしくないだろうけど。
信秀が生前中に家督相続はされているだろうし、庶子であろうが嫡子であろうが
信秀の意向で家督を相続したのだから、もし家督問題がおこるとしたら
信秀生前中におこっていたんじゃないか?
家臣の反対が多く家臣団が分裂するほど反対があれば無理に信長を
嫡男にすることもなかったろうし、いくら年少とはいえ嫡子がいたのなら
年長の庶子よりも家督相続権は優先される、普通はね。
側近がきちんとしていれば、年齢より正嫡性を優先させることに問題はないはず。
すでに家臣も承諾の上、信秀から家督を相続していたのに、
親族を暗殺してその地位を維持したというのは不自然に思える。
牛一が秀吉にはばかったという点も不自然かな。
どちらかというと、秀吉に気を使ったのなら、信長の欠点
を強調していたと思う。
現に比叡山の焼き討ちや虐殺の規模などはかなり大げさに書かれていることが
後年の調査で指摘されてるしね。
そうすることで秀吉政権を正当化することにもなるから。
もし正嫡性がなく、力ずくで家督を奪ったというのが事実なら
牛一は秀吉のご機嫌取り?もあってそれを書いたと思うよ。