【道三の放った】濃姫(帰蝶)総合スレ【毒苺】at SENGOKU
【道三の放った】濃姫(帰蝶)総合スレ【毒苺】 - 暇つぶし2ch465:人間七七四年
07/05/08 22:51:37 7jGu6S5S
嫡男信忠の生母が生駒で、一方正室のはずの帰蝶は消息不明。
よって生駒が実は正室で、帰蝶は美濃へ帰されたか死亡したという
推測が幅を利かせてたんだろう。
事実、信頼できる研究者と思われる谷口克広や桐野作人も、
「事実上の正室といわれる生駒氏」などと書いている。
そこから生駒腹の信雄が生母の身分が低い信孝より優遇されてた
と見なされたりもしているし。

466:人間七七四年
07/05/08 22:56:44 Rw87yYF1
>465
でもその説が間違っていたとわかった今、やはり書き直すべき。
それを改定しないで売り出すなんて横着すぎ。


467:人間七七四年
07/05/09 10:22:05 j17ZfVaO
>>465
生駒が正室で、信雄が信長の嫡腹の子であったら、
そもそも異母弟信孝との地位の格差は明白で、
それぞれ秀吉と家康に擁立されて戦おうなんて思わなかっただろうね。
両方とも庶子だったから、こんなことになった。

468:人間七七四年
07/05/09 11:46:59 UE/4zWmD
>>463
>小和田は武功夜話をきっかけに有名人になったから
へっ、そうかぁ?
他にもいろいろ著書はあったと思うけどな。
戦国大名家臣団事典や、他の大名家研究で良い仕事もしてるのに
2ちゃんは武功の件だけで叩く奴が多いからな。極端

>>466
自分が納得できない理由を文章化して
出版社に意見してみたら?
上手くいけば、出す側の事情も聞けるかもしれないしね。



469:人間七七四年
07/05/09 20:45:02 ozZ9qgTa
小和田さんは自ら前野文書の検証してなかったっけ?
中を詳しくは見せてはもらえなかったがぱっと見た目に江戸後期編纂だと思った
とどっかの本に書いてあったが。

470:人間七七四年
07/05/09 20:51:01 oL2GC/8L
後北条氏や今川関連では結構業績もあるんだけどねえ

471:奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
07/05/09 20:54:38 pcWb6M5v
浅井もね。

472:人間七七四年
07/05/09 21:03:51 +E+g7atF
信忠・信雄同腹に固執するわけではないが・・・
信雄が嫡男信忠の同母弟の割には優遇(?)されてない
ことについては、信長が信忠を後継者として他の一門衆とは
隔絶した地位に置こうとした、という説明でいいのでは。
同母弟と言っても跡目争いの元になることは信長自身が
同母弟信勝を殺さればならなかったことで十分認識している。
また、信雄が伊賀攻めを行って失敗した時の譴責状に、
「兄城介大切」なる一節がある。
これは信雄が信忠の同母弟であればこその表現ではないか。
そして信長死後の信孝との争いについては、信孝の方が
武勇に優れてたと周囲から見られてたから信雄に対抗できた
と思う。


473:人間七七四年
07/05/09 21:10:42 w6VuEPxW
十分固執しているように見えるが。

信忠は正室の養子に入っているので、生駒の喪主は茶筅丸がおこなったとされているにも関わらず、
久庵慶珠の喪主を奇妙のままおこなっていると推測できる当時の一次史料である制札の文書が
残っている事を考えると、後年作り出された史料よりは信用できるだろうな。
もしも、久庵慶珠が生駒の事で、奇妙が喪主をおこなったのなら、生駒では自信満々でそれを記載すると思うよ。

474:人間七七四年
07/05/09 21:34:50 ozZ9qgTa
>>472
それは完全な読み違いだよ。
信長の叱責文は「信長の作戦に従え、それは天下のため、父への奉公
兄を大切にすることであり、それが信雄自身のためなのだ云々」
と書いてあって、要するに信雄は父や兄には従え、次男以下は嫡男の家臣
だから立場をわきまえろと諭している。
仮に同腹であっても次男であれば嫡男の家来扱いされたのは当時の慣習。
それに信雄はその時北畠家に養子にだされて織田家の人間ではないのだから
同腹であったとしても扱いは他の庶子と一緒。

475:人間七七四年
07/05/10 00:10:23 wlB2zjdX
実際に同腹か異腹かは別にして、信忠と信雄は妙覚寺に一緒に宿泊してたりで
殺伐とした戦国の時代に仲の良い兄弟だな~という印象はある(信長公記)
フロイスの手紙でも、セットで登場していて微笑ましい。

476:親馬鹿
07/05/10 04:48:36 qy49Lrr1
「信長は公家に、信雄は将軍になるのでは」と噂されたこともあるんだけどね。
信雄は信長に甘やかされていて、兄を軽んじるところがあったんだよ。
じゃなかったら、伊賀攻めの失敗でもっとキツイ処分が下されていたハズだよ。

477:人間七七四年
07/05/10 07:46:10 EFxGcyj2
某国のやんごとなきお立場のご兄弟もそうですね。
嫡男である兄君は2才の頃から専門の養育係が帝王教育をたたきこみ、
御両親も遠慮なさるほどご立派に成人あそばされた。
一方次男は自由奔放に育ち、車を乗り回し、学友(悪友)と遊びほうけて
自由恋愛で結婚。兄弟仲が良いが、親や国からの兄弟の扱いは歴然とある。
次男はしょせん他家を継ぐものだから親は甘やかすというより、
次男には関心が薄いということなのではないか?

478:人間七七四年
07/05/10 08:05:22 HUzHUXBs
>>475
フロイスの日本史にセットで出てくるのは、そのとき信孝は既に神戸に行っていたから。
別に3人の中からピックアップされた訳ではない。

479:人間七七四年
07/05/10 08:12:12 EFxGcyj2
>>476 連投すまんが>>伊賀攻めの失敗でもっとキツイ処分が下されていたハズだよ。

これは真逆だと思う。
しょせん次男なのであの程度の叱責で済んだんだよ。
あの粗相を嫡男である信忠がしたら廃嫡されたかもしれないぐらい
信長の逆鱗に触れたと思う。嫡男の粗相は織田家を左右する一大事。
基本的に信雄の粗相は北畠家の問題となるので、信雄の粗相には
そんな重要視されなかったんだと思うよ。その後信雄を総大将にして
伊賀攻撃で名誉挽回したけど、そこでゲットした伊賀領は信雄の領地
つまり北畠領になったわけで、信雄の立場は織田家一門の北畠当主にすぎない
ということがはっきりしてる。信忠に男子が産まれた時点で、織田家の
家督相続継承の可能性はなくなったわけだし、嫡男との超えられない壁は
さらに強固なものとなっていっただろうな。

480:人間七七四年
07/05/10 10:01:20 b89ta8OS
道三の娘のスレで信雄信孝はスレ違いだと何度言えば

481:人間七七四年
07/05/10 19:34:02 DGjlFb3w
史板の濃姫スレ、どんどんおかしくなっていて 
怖いよ(´・ω・`)

482:人間七七四年
07/05/10 20:04:26 tMZkQR1f
>>481
史料の検証をしている時はいいんだが、
チャチャを入れる人間が来ると、とたんに荒れるな。
煽り耐性がなさ過ぎるんだな。

483:人間七七四年
07/05/10 20:14:42 DGjlFb3w
荒れてるのが怖いんじゃなくて 
まともな意見すら叩くあの雰囲気が怖い(´・ω・`) 
だからウィキの意見は同意なんだけど 
怖くてレスできないよ(´・ω・`)

484:人間七七四年
07/05/10 20:24:09 tMZkQR1f
まともな意見を叩いてるのは、荒らしてるのの自作自演じゃないの?
史板の濃姫スレの荒らしは、いつもそういう自作自演の仕方するよ。

485:人間七七四年
07/05/10 22:02:51 +TziVLQa
そしてここに愚痴が書き込まれるのも、毎回のパターンだw

486:人間七七四年
07/05/10 23:21:41 3WRJHpFv
史板は反論意見は全てバロンだからな・・・

487:人間七七四年
07/05/10 23:43:06 6u7g6rgi
>>483
まともな意見ってどれ?

488:人間七七四年
07/05/10 23:43:30 mHyM6dm+
信長の閨閥関連に書いてる人のなかに、
平明さを欠いて、視野の狭いのがいるのは事実。

489:人間七七四年
07/05/10 23:49:32 tMZkQR1f
それは言える。
武功夜話が偽書だからといって、徳姫まで信雄と異腹であるというのはどうだろう?
信忠は確かに、他の何よりも有力な、奇妙自身の制札があるけど
それ以外も、何でもかんでも、違うというのは疑問だね。

永姫の生駒腹説は、永姫の輿入れの年齢を考えると、生年はもっと前と考えられるので
十分あり得る話しだと思うけど。

490:人間七七四年
07/05/11 00:00:13 DZM1VvV2
>>488
平明さを欠いてる意見ってなんだ?
ちゃんと資料を基に考察されたものだし
それに正当な反論があるならそれを書き込めばいい。
それが出来ない奴はただの生駒厨。つまりバロンの確立が高いってわけだ。

>>489
有り得るのなら、十分説としてまかり通ると思うぞ

491:バロン曽志崎
07/05/11 00:07:27 yu63Pe6P
あんまり個人サイトにまで出向いて迷惑かけるなよ。
管理人、困ってたぞ。

492:人間七七四年
07/05/11 00:21:43 gO7A0tkp
>>489
○○という史料にはこう書かれてるから、五徳は生駒腹の可能性が高いのでは等書き込んで見たら。
脊髄反射で反発する人もいるだろうけど、史料に裏打ちされた説得力のある意見なら
納得してくれる人も多いんじゃないかな。
個人的には五徳は生駒腹かな?と思ってるけど、通説の刷り込みが強いだけかもしれないので
いろんな意見を聞いてみたいし。

493:人間七七四年
07/05/11 01:33:07 DgmyE8zv
>>490
>平明さを欠いている意見って何だ?
ほら、すぐそういう風に突っかかってくる。
489氏も指摘しているけど、
「何でもかんでも違う」
の出発点が、考察をもとにした意見なら聞き易いのだが
単に自分の好む人物以外の事跡を否定しようという、
出発点からの偏りを感じさせるレスが見受けられるんだ。

>ただの生駒厨
否定の意見や疑問を投げると、即生駒厨のレッテル貼りか?
そういう大人気ない発言はいい加減やめたらどうか。


494:人間七七四年
07/05/11 07:13:50 DZM1VvV2
>>493
じゃあ五徳が生駒腹じゃなく、永姫が生駒腹と証明付けられる
資料を否定してみろよ。
それが間違っていると思うならきちんと資料出して議論すればいい。
出来ないでいちゃもんだけつけてるから、生駒マンセーな流れ否定な生駒厨かと思うだけだ。

495:人間七七四年
07/05/11 08:12:28 IQNXDmSi
>>494
永姫が生駒腹(信雄と同母かは不明)なのはガチだと思うけど、
だからといって、永姫が生駒腹だから徳姫が生駒腹じゃないとは言えないんじゃ?

信雄、徳姫、永姫が生駒腹なのかも知れないし
一人一人検証するべきだと思うな。

496:人間七七四年
07/05/11 12:48:30 9TUik2zd
>>永姫が生駒腹だから徳姫が生駒腹じゃないとは言えないんじゃ?

そうじゃなくて、元々信忠・信雄・五徳が同腹だという説があって、
でも信忠は久庵慶珠が生母である可能性が濃厚になったので、
そうなると、通説が覆るから、後の二人はどうなんだ、という話になった。
しかも永姫が生駒腹という説も浮上したので、ますますいままでの通説の
信憑性が怪しくなった。

信雄は生駒家との関わりから生駒腹は間違いないとなるが、五徳が生駒腹である
ということを示す根拠が薄いので、五徳の生母は?となった。

497:人間七七四年
07/05/11 17:43:03 sTCHj0Xl
>>496
いや、その流れは分かってるよ。
あっちもずっとROMってるから。

>五徳が生駒腹じゃなく、永姫が生駒腹と証明付けられる
>資料を否定してみろよ。
という書き方だと、永姫が生駒腹なら徳姫は違うと読めるんだよ。
一人一人検証しようと言うのは、
・徳姫が生駒腹ではないと検証するという事
・永姫が生駒腹だと検証するという事、また、生駒腹なら信雄と同腹か異腹か検証する事
の別の話しだと言う事だよ。
>>496の書き方だと、>>496は分かっていると思うけど。

498:人間七七四年
07/05/11 17:44:19 sTCHj0Xl
あれ、IDが変わってるな、>>497書いたのは>>495書いたのと同一です。

499:人間七七四年
07/05/11 18:09:58 fYH+Onxx
だから、信忠、信雄、五徳は同腹であるという説は揺らいでるんだから
いったん先入観なしの素に戻して考えてみようってことでしょ。
それで偏りがあるレスが気になるというなら、自分でこの辺りが偏ってるんじゃないかと
書き込んでもらうしかないな。
その際には史料を出してもらう方が他の人も判断しやすいね。

500:人間七七四年
07/05/11 18:30:30 sTCHj0Xl
>>499
その通りだよ。
だから、一人一人検証すればいい。
永姫が生駒腹なら徳姫は生駒腹ではないと読める書き方だから
そう思っているのかと思って指摘しただけ。

「永姫は生駒腹の可能性が高い、徳姫は生駒腹ではない可能性が出てきた」
という書き方ならいいと思うよ。
「永姫が生駒腹だから、徳姫は違う」と読める書き方は、変だねという事だけ。

501:人間七七四年
07/05/11 18:35:16 sTCHj0Xl
徳姫存命時の徳川方の史料では、徳姫は生駒腹と書かれているんだろうか?
それとも、信忠、または信雄と同腹と書かれているんだろうか?
信忠と同腹と書かれているのであれば、信雄が信忠と同腹とされていた時に
自動的に徳姫も同腹という事になってしまった可能性が出てくる。

家忠日記などの一次史料では、生母にまで言及されていなかった気がするが。

502:人間七七四年
07/05/11 21:53:19 wbmtQOzo
どうでもいいけど、
・五徳
・徳姫
後者は小説やドラマでの名前だと思うから
前者に統一しようよ。

503:人間七七四年
07/05/11 22:16:45 9TUik2zd
>>502 信康室の名は「徳(姫)」と記す史料に「武徳編年修成」「徳世系譜」
「朝野旧聞褒藁」があり、「五徳」と記す史料は「織田家雑録」「源流綜貫」がある。
「織田家雑録」では「信忠・信雄・五徳」が鼎の足となって織田家を支えるように
「五徳」と名付けたなどと、胡散臭い伝承を記していることからむしろ
「徳」が信康室の名前ではないかと思う。
信長の他の姫が二文字名で(二文字名は当時の女性名の主流)あることを考えても
「五徳」説には疑問がある。

504:人間七七四年
07/05/12 09:30:41 SvWMtLnP
徳川家の史料と織田家の史料が食い違ってるなんて、一体どっちが正しい
のだろう?娘の名前すら史料によって違いが見られるのだし、まして嫁いだ
年齢や生年などが史料によって違っているのは必然なのかな?
徳姫が信康と同い年というのもどこからきてるのだろう?
「織田家雑録」では徳姫は信忠の姉と記されているそうだけど、そうだと
信康よりも年上になるのではないか?その辺りの信憑性はどうなのかな?
徳姫の生年によっても生母が誰か推測するには大事な情報だと思うし。

505:人間七七四年
07/05/12 10:33:41 S+GwsyOB
多分、徳川方の方が正しいと思う。
徳川では、徳姫の事だけ記録が残っているだろうが、
織田では、徳姫だけじゃなく、早世したり、その後の文献に出てこないような姫の出産記録も残っている。
そういう、実際にあった出産記録と、生き延びた子供を照らし合わせて考えるので、
年代がバラバラになる事はよくあること。
姉としているのに、信忠、信雄が既に生まれていなければおかしい逸話など最たる物。

506:人間七七四年
07/05/12 11:31:03 SvWMtLnP
>織田では、徳姫だけじゃなく、早世したり、その後の文献に出てこないような姫の出産記録も残っている。

その出産記録って生母が誰とか詳しく書かれてないの?
今わかっている子供以外にもかなり生まれているってことだよね。
濃姫にも生まれていたのだろうか?
なんか気になる。

507:人間七七四年
07/05/12 11:47:52 dr5bBElN
当時の乳幼児死亡率からしたら夭逝した子供が何人かいてもおかしくないよね。

508:人間七七四年
07/05/12 13:28:55 aaRhKqAP
徳川家斉の子供は57人生まれて、そのうち32人が5歳未満で亡くなってるそうだ。
死亡率56%!信長は諸説あるけど仮に20人実子がいたとしたら35人ぐらいは
生まれていたかもしれないとなる。名前や生年月日にばらつきがでてくるのは
当然かもしれない。

509:人間七七四年
07/05/12 18:48:25 Oc666iqH
信忠の姉にあたる女児(早世?)がいたのかもしれないな。

510:人間七七四年
07/05/12 20:26:53 xrDOrDrx
徳川に嫁いだ姫の名が「徳」って、できすぎじゃないか?
幼名は別にあって、信康との結婚が決まってから改名したんじゃないだろうか?

511:人間七七四年
07/05/12 20:42:53 9RBdhnOk
徳姫が嫁いだのは松平姓の頃だよ。


512:人間七七四年
07/05/13 22:17:04 BUKK5n9z
確かに当時の女性の名前は二文字名が多いな。
接頭語の「お」をつけて三文字。
茶茶という名も二文字ではないけど、けっこう多かったという。
五徳というのは信長の子供につける名前の傾向からしてちょっと違うかな。

513:人間七七四年
07/05/14 09:18:19 YTKTKLsW
息子に「奇妙」とか付ける感覚の信長だから、
娘に変わった名前つけても不思議ではないが。
信長の子供も、後に産まれた子ほど、信長自身、
珍しくもなくなったのか意外と普通の名前だが、
初期に産まれたと思われる奇妙、五徳(徳姫)の場合、
信長独自の世界感満載の名前だったかもしれぬ。
まあ、茶々の末の妹が、
お江(おごう)→お江与→達子などと改名しているのを見ると、
信長のもとで五徳と呼ばれていた娘が、婚家の松平家で徳姫と呼ばれる事も
ありえないわけではない。

514:人間七七四年
07/05/14 09:19:58 ng939ZbB
この板は近日中に取り潰されるようです。

続きは三戦板でやりましょう。
URLリンク(ex21.2ch.net)

スレリンク(sengoku板:554番)


515:人間七七四年
07/05/14 21:04:04 5xyzlJLh
>>513
崇源院の数種の名だけど、改名といわないと思うが。
信長の独特な命名感覚も過去に色んな意見が出てたし・・・

516:人間七七四年
07/05/14 22:42:54 5jeJf2G0
独特な名前の付け方(奇妙、茶筅など)を信長流の愛情という人もいれば
あの時代の普通の名前(坊など)を愛情という人もいたね。
あと「大して深く考えずに思いつきで決めてるんじゃないか?」って意見もあった。

信長の「これこれこういう理由でこの名前にしました(*>ω<)=3」みたいな
日記でも出てこない限り、どういう意図で名づけたかなんて一生わかんない問題だろうね。
あの時代ですら奇特な人だったんだから、現代の人間に胸中が理解出来るわけもない。

517:人間七七四年
07/05/15 01:15:35 c5NVfHX5
やはりこの板の伸び具合は異常杉だ罠 
一方戦国板の濃スレは伸びないな。 
極少人数による自演ξで晒し上げをしといてあげよう

518:人間七七四年
07/05/15 02:54:11 0sDRBid3
ほれほれ、ここが伸びない戦国板の濃姫スレだってばw

519:人間七七四年
07/05/15 08:37:32 rzid5FrH
安土城が燃えてしまっているからなぁ。
信長や濃姫が、仮に日記を付けていたとしても、城と共に燃えてしまったんだろうな。
燃えていなければ、もう少し濃姫の事も分かったかも知れないな。

520:人間七七四年
07/05/16 11:01:30 H18pS1MD
安土城は全焼じゃないんだよ。
一部焼けてその後修復して三法師の居城となってる。

521:人間七七四年
07/05/21 15:34:02 f9hmJjTF
居住空間として利用していたと言われる、天主が焼け落ちているから
ピンポイントでもかなりの書類が焼けたかもな。

522:人間七七四年
07/05/22 07:55:37 fsHDnah2
仮に秀信の代まで残っていたとしても、彼で断絶し
そういうものを維持、保持していったものがいなかったからな。


523:人間七七四年
07/05/23 21:57:45 PMpuTOmZ
安土城が焼ける前に大事な書類はどこかへ非難?できていればな。
しかし、秀信が断絶したが、織田家の大事な書簡や書類などが
ゆかりの寺にでも保管されていないのだろうか。
やはり嫡流が滅びると、たとへ庶流が残っても肝心の資料は
乏しいのだろう。

524:人間七七四年
07/05/31 23:47:16 8Gp1/siR
信長のファーストレディー ヒラリークリントンでーす


525:人間七七四年
07/06/09 21:52:06 Mr/Z+MIN
俗に濃姫と呼ばれる織田信長正室(斎藤道三の娘)についての
史料は少なく、消息ましてや個人的資質についてはほとんどわからない。
とりあえず信長の正室についてのことだと思われる史料を挙げておきます。


「さて、平手中務才覚にて、織田三郎信長を斎藤道三婿に取り結び、
 道三が息女尾州へ呼び取り候ひき」(改訂信長公記・新人物往来社)

 この道三息女の名前は信長公記には載ってません。『美濃国諸旧記』という
江戸時代に書かれた史料では、「天文十八年二月廿四日、尾州古渡の城主
織田上総介信長に嫁す。帰蝶の方といふ。又鷺山殿ともいふ。」となってます。

それから公家の山科言継が美濃に下向したときに見聞した事件として、
彼の日記『言継卿記』の永禄12年7月27日の記録に、
 「故一色義龍後家壷可為所持、可被出之由信長連連被申、一乱之刻被失云々、
  尚於責乞者可自害云々、然者信長本妻兄弟女子十六人可為自害、國衆大なる衆十七人、
  女子之男以上卅余人可切腹由也、仍中分失弗に治定、今日無事に成了、」
というのがあります。簡単に説明すると信長が故・一色(斎藤)義龍の未亡人所有の壷を
欲しがったが、未亡人は無くしたといいこれ以上責められたら自害すると言った。
これに対して信長の本妻とその兄弟や主だった国人衆などが、
(未亡人が自害するようなことになれば)自分たちも自害・切腹するといって、
信長に反抗、結局信長が無くしたという未亡人の言い分を認めて無事解決、
という事件です。
ここでいう信長本妻はどう考えても信長の正室で斎藤家に深い関係のある女性なので、
俗にいう濃姫のことかと思われます。彼女の性格がわかるような史料はこれぐらいしか
知りません。

526:人間七七四年
07/06/09 22:37:56 +YWtUUIa
だから何?

527:人間七七四年
07/06/10 00:49:38 629LRpAg
史板の濃姫スレが尋常でないのは事実だな。
いったい、何人で回しているのやら・・・

528:人間七七四年
07/06/10 01:44:05 gS2Ob9KF
濃姫スレはすごい量のコピペで埋められてるなw
自分が以前書いたレスもコピペされてたよ。

529:人間七七四年
07/06/10 09:18:25 Y4KfAU2x
どなたかがまた発狂なさったようで・・・

530:人間七七四年
07/06/10 09:32:19 8rzCX1Sz

    \
      \  r‐─-n=ニコ
       \.{ 〈 ̄ /`ヽ、_}`>
        く ``フ′ ヽ\ト、
          /.Y´   |   l__,=ヘ
        {.ニ|二ニ|ニ二_|二ミ}    そんな餌で雛苺がなの―!!
        ヾ大=三}ー=ヲ^ーイ
         {wv _ ,.-、lvへ、
           /  〈__ノl\_)`ヽ、`ヽ、   ====
         /    l!  |  \  \ j| |ヨ   =====
       /‐-、  l!.  |  _,. -‐┬-ヾノ
        仁>、 ∨ァ‐T ̄[_,.ィ又_人{、
       ヽ __ソ〈ァ、」フー大′  rュァ‐'′   =====
          ヽ}〉L__)〈ノ=L{_r<.V>   ====
            くr'K_>|      V^∧
            K_>|     V^∧
            ├‐┤     V ,ニ! ====  (´⌒
            |⌒ |        |/ |  (´⌒;;(´⌒;;
            ヽ_,ノ (´;;⌒  ヽ_ノ (´;;⌒  (´⌒;;


531:人間七七四年
07/06/10 12:18:39 goUzqYGs
なんか、史板の濃姫スレ、書き込めないんだけど。
これってなんだろ?
いやがらせ?

532:人間七七四年
07/06/10 13:27:48 5vcHvXKt
連続コピペで規制入ったのかもな。

( ゚д゚)ハッ!これがコピペの目的か!!

533:人間七七四年
07/06/10 13:45:15 goUzqYGs
せっかく検証が進んでいたのにな~

534:人間七七四年
07/06/10 13:59:17 5vcHvXKt
吉乃に続き、土田御前まで捏造か?って検証されるに足る文献が登場したためかな?

535:人間七七四年
07/06/10 14:07:57 goUzqYGs
いいかげん事実は事実と認めればいいのに・・・

536:人間七七四年
07/06/10 14:32:55 W+iWttl6
まぁ連続コピペをされたのもそれによって 
容量規制が入ったのも自業自得ですな 
検証ならこのスレでも十分できるのだから 
ここで続きをやるがよろしかろうて 
史板より戦国時代に特化した人間が集まる板だけに 
それなりのツッコミも入るかも 
しれないでしょうが逆に言えばそれだけ 
有意義な論議に展開するでしょうな 
 
いやはや楽しみですな

537:人間七七四年
07/06/10 18:56:21 n91KWFzH
信孝スレに張ってあった系図、元は史板の濃姫スレに
あった物みたいだけど
どんな文献とか系図を元に作ったんだろう?
津島四家七党と信孝があそこまで絡んでいたのに、
何で信孝生母は熱田にとどまっていたんだろう?
正式な側室にするのに、不足はない出自だと思うのだが。

538:人間七七四年
07/06/10 19:13:26 adCTPr5O
>>536
あのコピペで埋め立てした人の目的は何か知らないけど
厨房と認定されても仕方ない行為だな。

539:人間七七四年
07/06/10 19:47:57 07AqoLrH
信忠は信長の子なんで秀吉の場合は参考にならないかと
近いのは伊達家かな
政宗の側室の生んだ第一子は、分家になってる
でも秀宗は正室の養子にはなってないから単純に比較は出来ないよね

というか、正室がまだ23才なのに養子をとっているのが異例な気がする
養子にするまでも無く、側室にしか子供が出来なかったら
側室の子を側室の子のまま世継ぎにすることが多いし
側室の子が継いだら、濃姫が尊重されないかもしれないこと気にして養子という流れなら
もう数年、濃姫が30超えてもう子作りは無理と諦めがつくまで待つんじゃないかと
美濃が欲しいだけで濃姫についてはどうでも良いっつんなら別だけど……
後は濃姫本人が諦めていて養子でも良いから早く子供が欲しいと思っていたとか

信房について、もし濃姫の実子で、だから養子の信忠は美濃支配に留めて
織田を継ぐのは源三郎信房というプランがあったとしたら
信忠は即効で信房を殺したと思うんだよね
与力だから、戦でちょっと危険な所を任せて、うっかり指揮を取り間違えたように見せかければ
簡単に殺せる
殺したところで誰も信忠を罰することが出来ない
信房が居なくなってしまったら、信忠しか織田を継ぐ人が居ないからね
「源三郎」が、いずれ織田の跡取りにいう意味なら、戦国の常識に従うと同母の兄弟でも殺すし
信長も伊達に弟に謀反起こされた訳じゃないから
信忠が嫡男というのが揺るがないことが内外に明白なのでなければ
信房を信忠の与力にはしないと思う

源三郎については、後で周囲に誤解招くかと反省したんじゃないかと思うけど
だから半年後、信忠に「天下の儀も御与奪」とわざわざ言ったのかも

つーことで、信房が濃姫の子なら、信忠も濃姫の子と、セットで考えてる
逆に言うと、信忠が濃姫の実子でないなら、信房も違うと思う

信忠に関してはやはり側室腹と考えるのが自然だと思う。
それも>>342のような流れであればなんら不思議はない。
濃姫の認めた人柄の女性を側室に差し出し、自分の代わりに
子供を産んでもらったというだけの側室。
立て続けに子供を3人も産んだから寵愛が深かったという
誤解を与えたけど、逆に年子3人ということは、褥の数は最小3回でも可能。
妊娠中は褥をすることもなかったろうから、信長との関係は
側室と当主のそれを超えるものはなかったと思う。
第3子出産後はぱったり子供が産まれてないのが寵愛がその程度であった
証拠。

勝長は実子である可能性は大いにあるけど、信長が目の黒いうちは
嫡男を退けてまで勝長をという考えはなかったと思う。
その気持ちがあれば養子にだしたりはしないはず。

嫡男として育てておきながら当主の怒りをかい、廃嫡されるというケースは
あるので(細川家、ガラシャの長男は廃嫡)、家督争いのためというのではなく、
信忠に嫡男としてあるまじき粗相があったら廃嫡して、勝信が嫡男に
ということはありえるだろう。

いろいろ考察すると、濃姫は世間が思うほど影の薄い正室ではなく、織田家に根を
はって、正室として実権を握っていたというのが本当のところではないかと思う。
それには信長の理解あってのことだから、夫婦関係は良好だったんだろうとも
思える。信長が道三のかたきをとってくれた、濃姫のおかげで念願の美濃を手に入れた、
というお互いの利害関係も一致していたしね。

540:人間七七四年
07/06/10 19:48:57 07AqoLrH
武功夜話に関しては、実際に読んでみたら分かる事だけど、
信長と生駒屋敷が絡んで出てくる辺りは本当にめちゃくちゃ。
吉乃の夫が弘治2年に亡くなったと書いてあるのに、
同じ人間が、吉乃は濃姫が嫁ぐ前の天文20年頃には信忠を身籠っていたとか
弘治元年の正月に信忠が生まれたので祝いに踊り興行を生駒屋敷でやったとか
証言していたりする。
信忠の生年は弘治3年というのはほぼ間違いないので、まずそこからして違う。
もちろん、濃姫の輿入れは弘治以降って事にしたいらしい記述。
墨俣の一夜城に関する記述がおかしいというのはよく言われるけど、それは説明
しやすい箇所だからピックアップされているだけで、そこだけじゃなく
桶狭間の戦いの記述とかもおかしい。
最近じゃ、桶狭間は正面衝突のガチンコで、上洛戦じゃなく鳴海城などの
救援に今川が出てきたと分かってきているから分かる事だけど、
小六が村人に化けて画策してたり、まぁ、所謂昔から講談なんかで書かれている
奇襲戦を更に色付けしてある感じ。
あと、信長は、財力的には最近では熱田湊や津島湊をおさえていて豊かだったと
考えられているけれど、お金がなくて生駒に援助してもらってる事になってる。
ちなみに、昭和以降の市町村合併による合成地名が出てきたり、戦国期に実際に
生きていた人間だったら知っている筈の、当時の河の流れが、後世変わってしまった後の
河の流れで記述されていたりもする。
他には、閏月のあった年の記述など、閏月があったのを知らない状態で書いたのか
閏月が無視されていたりする。
戦国期、特に織田を専門にしている史学者などは、はなから相手にもしてないし
偽文書と言われている。
発表された頃、本当だとお墨付きを与えたのは、織田を専門にしていなかった
小和田氏とかだね。
あと、遠藤周作などの小説家とマスコミ。
結局、ある程度信憑性を有していると考えられているのは、織田とは関係のない
朝鮮戦役の記述の辺りだけというのが最近の見解。

普通、偽文書を歴史捏造目的ではなく、各家の記念的顕彰作品として作る場合
作者は専門家が見ればすぐに偽文書だと分かるようにしておくものという。
武功夜話などは、専門家からすると、このパターンに当てはまるらしい。
「門外不出」
「当本貸出しの儀平に断るべし」
などの一文は、常套句である(武功夜話にもしっかりこの一文がある)。
だが、
>自分の家にあった古物を津田応助に売ったら、いつの間にか吉田家に
>代々伝わるものとして吉田家で見せられたなんて話も聞くし。
というのが、本当の事だとすると、吉田龍雲という人は
自己顕示欲と名誉欲が強いと思われる。
しかしながら、元の持ち主に誇ったりする程度に粗忽者とも言える。
武功夜話の中身がそういうパターンに当てはまると気がつかないまま、
津田応助死後に本物だというふれこみで出版してしまったと考えられるのではないか?

541:人間七七四年
07/06/10 19:49:43 07AqoLrH
なるほど、信忠と信雄が同腹なら「次男信雄モ生駒ノ息女之腹也、」ってなりそうだよな。
ところで勢州軍記っていつ頃成立で著者は誰なんだっけ?
「勢州軍記」は神戸良政が書いたもので、基本は伊勢の戦国史だね。
寛永15年(1638)に「勢州軍記」の抄録の「兵乱之記」を書いてるから
「勢州軍記」そのものの成立はそれ以前。
17~18歳くらいから、蒲生氏郷に仕えた父親の政房の記録をまとめる形で
「勢州軍記」を書き始めたと言われているから、1609年生まれだから
1626~1627年にかけて書き始め、その後伊勢に戻ってから更に
伊勢の人に聞き取りながら加筆したと言われている。
まぁ、神戸氏なので、信孝の事がよく出てくる文献ではあるけど、
だからと言って、信忠や信雄を貶めたりしているような記述は
特にはないと思うけど、これは私見なので信雄贔屓の人から見たら
どのように見えるかはちょっと不明。
信長死後40年位してから書き始めたものではあるけど、信長公記の
成立直後くらいだから、信長公記にあまり影響されてないように
自分には思えるかな。
生駒が信忠の母親なら「嫡子信忠卿モ亦妾人ノ腹也」と書かずに、
信雄同様に「駒ノ息女之腹也」と書いてあるはず。
お濃が信忠を養子にしたのは23歳の時だから、彼女の子であっても不思議はないけど
「妾ノ腹」と書かれるのはもっと不自然だな。
嫡男になるほどの実母なら、生駒よりも身分が高いと推測されるんだけど、
それなら生母についてきちんとした資料が残っていてもよさそうなものだ。
考えれば考えるほど謎。
普通、偽文書を歴史捏造目的ではなく、各家の記念的顕彰作品として作る場合
作者は専門家が見ればすぐに偽文書だと分かるようにしておくものという。
武功夜話などは、専門家からすると、このパターンに当てはまるらしい。
「門外不出」
「当本貸出しの儀平に断るべし」
などの一文は、常套句である(武功夜話にもしっかりこの一文がある)。
だが、
濃姫が中心とは言えないまでも、当事者になった事件は
永禄12年の壷事件だろうな。

武功夜話って、地元の逸話や伝承や系図に詳しくて、大久地古事記って偽書の
制作も疑われている津田応助が作って、所有者である吉田龍雲が清書したって
話をよく聞くよね。
元の原書自体は、朝鮮戦役の辺りくらいだけで、その他の信長と関わるような
辺りの話は、津田応助が地元に伝わる逸話とかを取り入れて作ったって。
土田弥平次なんかも、江南市に伝わってる逸話を利用したと考えると
結構納得いくんだけど。
でも、津田応助って江南市では地元に貢献した立派な人物って評価だけど、
生きてた当時って、古物の転売してたんでしょ?
特に、吉田家に売ってたらしいね。
自分の家にあった古物を津田応助に売ったら、いつの間にか吉田家に
代々伝わるものとして吉田家で見せられたなんて話も聞くし。
津田応助は死んじゃってるけど、吉田龍雲は生きてるんだし、その辺弁明はないのかね?

542:人間七七四年
07/06/10 19:51:30 07AqoLrH
お鍋の方も諸説あるんだけど、こういう説もあるよ。
小倉左近大夫良親の息女で、本能寺の変後に実家の小倉に帰って親元にいたそうだ。
「近江輿地志略」「淡海温故録」参照。
ちなみに小倉賢治の室で切腹後どうのこうのは後年の創作話と考えた方がいい。
小倉家出身だったので、小倉なべ、と名乗っていたのだろう。

本能寺の変の時お鍋の長子である信高は大垣城主の氏家氏のもとで養育されていたこと、
安土城内の信長の親、妻妾、子供たちは蒲生家の保護のもと近くの日野城に
避難しているのに、お鍋が日野城に避難せずに実家にいたことから、           
お鍋は安土城の奥で公認されていた側室ではなかったのではないかと考えられる。
坂氏同様に城内におかれず、安土城下もしくは、居館を与えられていたのではないだろうか。
ただ実家のある小倉は滋賀県で安土とは遠いので緊急時の避難先にはちょっとリスクが
高いので不自然さは残るが、とりあえず日野城に避難して落ち着いてから
実家に逃れたとすれば不思議はない。

お鍋は濃姫たちと行動を伴にした様子はなく、信雄に庇護されていた痕跡もない。
秀吉の取立てによってお鍋が表舞台にでてきた経緯から、
正室の息のかかっていないことから、信長の男子をもうけた側室を                            
秀吉が利用したのだろう。                     
                                        
お鍋が正室格といわれてきたのは崇福寺への書状が根拠だったんだ。
あたかも正室クラスのがだす命令書だし、家臣の丹羽にもあのような指令を出せる
立場なのは安土城内でも相当権力のある女性であるはず→お鍋は正室格、
となっていただけ。                        
もしお鍋の書状でないと判明したら、たんなる側室以外の何ものでも
なかったことになる。                              

信忠の養子の時期は7才以降だと思う。
当時の乳幼児の高い死亡率から子供は7才ぐらいまで神様の預かり物
という認識だったので、乳児の頃養子にすることはしないと思う。
7才過ぎたあたりで早い子は元服を迎えたりしたので、
峠を越え、無事に成長をしたことを見届けたあたりで
養子にしたと思う。
正室の子でなければ嫡男になれなかったわけではないし、
養子にしたのは美濃支配のため信忠に正嫡性をつけたかったからだと思う。

543:人間七七四年
07/06/10 19:53:56 07AqoLrH
生駒家の家系図でも「吉乃」なる女性は存在せず該当すると思われる女性は「類」。
信忠、信雄、五徳は清洲城内で産まれた記されているので、生駒屋敷に類がいて
信長がせっせと通ったこととも矛盾する。
濃姫公認の側室として清洲にあがり、奥で側室奉公をしていたという事実を歪曲
しているのは確か。
武功夜話の年代的な矛盾も甚だしく自分で調べてみるといいよ。
呆れるほどだから。
信長の寵愛が深かったという証拠となるのは武功夜話に書かれていることだけが
根拠。
一般史料からわかることは、類はその他大勢の側室となんら変わりない扱いを
受けていた。それどころか、生前出家していたことがわかっているので
五徳を産んでから信長のもとを去っているんだよ。
寵愛が深かったらそんなこと信長が許さないし、する必要もないでしょ?

年子で3人産むということは、さほど信長と交渉回数がなかったということの
裏返しでもある。何を根拠に信長の寵愛が深かったと信じられるのかな?

544:人間七七四年
07/06/10 19:59:34 W+iWttl6
なんでこっちのスレにまでコピペしまくるんだよw

545:人間七七四年
07/06/10 21:32:03 goUzqYGs
こっちでやると自作自演バレバレだよ。
生駒厨さん。

546:人間七七四年
07/06/10 22:03:58 W+iWttl6
すぐに生駒厨を持ち出すおまいさんも 
かなりウザイんだがな。 
生駒や武功叩き路線でやりたいなら 
偽書スレにいけよ。

547:人間七七四年
07/06/10 22:43:03 adCTPr5O
これまで何かというと生駒厨がどうとか言う奴がウザいと思ってきたけど
そういうのにすぐ反応して煽る奴の方がはるかにウザく思えてきた。

548:人間七七四年
07/06/10 22:50:50 9XwFUIsC
スレリンク(history板)
【第五巻】まむしの娘・濃姫の謎

スレタイは間違えた
というわけで迷惑かけていた皆さんはこちらに移動してください
あと500KB規制くらい気にしてください

549:人間七七四年
07/06/10 23:08:48 goUzqYGs
>>537
確かに信孝生母は津島七党のひとつ、岡本家の縁者だし出目としては
全然悪くない。
信孝が生まれたのが、熱田で岡本家の屋敷だそうだけど、このとき
何か用事があって信孝生母が岡本家にいたのじゃないかな。
普通は清洲で生まれてもおかしくなかったのに、たまたまその日に岡本家
の屋敷にいた時に産気づいたとか。
そして清洲へ知らせに行く者がちょうどその時いなくて、報告が遅れたとか
なのかなと。

550:人間七七四年
07/06/11 00:05:19 ohHipPhb
お鍋の方も安土から馬でも小半時かかる所に住んでいたし
信長が側室を城に上げない主義だった可能性もあると思う。
生駒も武功に長期間城に上げてもらえなかった描写あるけど、
生駒に不利な部分については、案外史実に基づいているのでは。
信雄と信孝だと3男扱いの信孝が先にしょぼい目のとこに養子に出されていたりと
信雄の方が優遇されているが、これも信孝が城に住んだことがないからじゃないかと。
信雄はお袋さんが早くに亡くなったので、特例でその後城に住んでいたんじゃないかな?
一緒に住むと情が移るし、信雄と信孝の扱いの差ってそこから来ている気がする。

551:人間七七四年
07/06/11 07:03:41 N4VCpwb1
>>539
子供産めない年齢になる前に何かあって
不妊か、子供を作らない方が良いと医者に言われたんで
諦めたってケースを妄想した。

552:人間七七四年
07/06/11 08:03:29 aGWWF1Af
>>550
お鍋が安土城にいなかったのは小説の創作だよ。

553:人間七七四年
07/06/11 10:11:32 mYhheC18
信孝と信雄の差ってそんなにあるかな?
はっきりいって嫡男信忠以外は他家に養子に出されて、織田の名乗りは出来なかった
のだから。信孝は神戸家の養子に先に行っていたけど、これは諜略目的のため。
本能寺がなかったらいずれは三好家へ養子にいくはずだったわけで、そうなったら
信孝>信雄になっていた。武将の能力からしてもともと、信孝>信雄だったわけだし。
一緒に住んでいたからとかってのは特に関係ない気がする。

554:人間七七四年
07/06/11 11:29:18 sheYXT56
伊勢国司家を継いだ信雄
一土豪家を継いだ信包と信孝

どう見ても大差があるんだが。

555:人間七七四年
07/06/11 11:47:29 mTaa0cpw
信孝が神戸の養子になったのは坂氏がらみでしょ。
その後、三好の養子になる事も決まってたし。

556:人間七七四年
07/06/11 17:52:13 qdEVcOXj
ある織田家研究者がとても冷静に信長妻妾に関しての文を
書いているのだが、明瞭簡潔に述べていて好感が持てる。

濃姫についての解釈も平明で腑に落ちる部分が多いのだが、
この人の公平な文章でも、一部の過剰濃姫派から見たら、
生駒厨の類に入れられてしまうのだろうな。

もう、何にも言えない雰囲気だ。

557:人間七七四年
07/06/11 18:14:07 poqdoqUv
>>556
だったら書き込むなよ、鬱陶しい。

558:人間七七四年
07/06/11 18:15:53 qdEVcOXj
>>557
早速に条件反射ですか

559:人間七七四年
07/06/11 18:19:58 poqdoqUv
○○という研究家が○○の史料を元にこういう説を書いてるよという情報なら大歓迎だけど、
556のようなグダグダした愚痴を読んでも不愉快になるだけ。
何も言えない雰囲気だと思うなら、どうでもいい愚痴なんて書きこむなよ。

560:人間七七四年
07/06/11 18:45:59 6CsDZTrh
禿同。
空気嫁よ。

561:人間七七四年
07/06/11 19:05:11 maDikRos
>>559-600 
556さんの文章をもう一度よーく読んでみたら? 
冷静に公平な視点の意見すら生駒厨にされる 
今の雰囲気では書き込みたくても 
書き込みにくいと言っていると思うんだけど? 
それと多少の愚痴は言いんじゃないの? 
あっちのスレはまともじゃないんだし。 
 
>>556さんもこっちなら大丈夫だと思うから 
その話を書いてみたらどう? 
私は何て書いてあるか知りたい。

562:人間七七四年
07/06/11 19:17:15 Lt+ccwNI
>>561
> 冷静に公平な視点の意見すら生駒厨にされる

そうはいっても>>556のは根拠のない思い込みだし。

> この人の公平な文章でも、一部の過剰濃姫派から見たら、
> 生駒厨の類に入れられてしまうのだろうな。

↑の部分ね。

563:人間七七四年
07/06/11 19:45:35 mTaa0cpw
>>561
その、冷静で公平な意見を出典付きで書けばいいんじゃね?
それを書かないで、思い込みだけ書いてればいやがられて当然。

564:人間七七四年
07/06/11 19:59:14 xcmYaFln
>>556
自分もどういう意見を書いているのか知りたい。
きちんと史料や根拠のある検証などを基に出された内容なら公平だと思うし。


565:人間七七四年
07/06/11 19:59:39 maDikRos
根拠のない思い込みかな? 
多分史板を見てそう思っているんじゃなくて? 
それにどうみても反論しているようには 
捉えられないんだけど。

566:人間七七四年
07/06/11 20:10:15 poqdoqUv
>>561
その織田家研究者の冷静な意見をこんな説もあると紹介しただけなのに
生駒厨扱いされたとかの愚痴ならまだ気の毒にと思えるけど
自分の意見が受け入れられない愚痴を、自分が好きじゃない意見の人を貶める形で
書き込んでるだけの文章だし。

567:人間七七四年
07/06/11 20:34:15 mTaa0cpw
例えば、
URLリンク(www.kanda-zatsugaku.com)
にあるように、養華院殿要津妙玄大姉の解釈を総見寺と総見院の両方の記録を
併せて紹介しているのは評価できる訳だ。
だが、それより前に書いている生駒家宗の娘に関しては、大して文献の考察もしてないで
美人だとか武功夜話をそのまま言っている訳。
こんな風に、一見公平に見えても、信じている説が如実に出てしまう事もある。
読み手も、その書いている人間の信じてる説を、同じように信じていると、
その辺り冷静に書いていて公平だ、と感じてしまう。
それをその説に疑問を感じてる者からすると、粗が見えてしまう事になり、指摘される。
もちろん、上記サイトに書かれている内容は、史学会の公式な研究としては、とてもまともな事だよ。
今、例えばここでこれを書けば、久庵慶珠のことは?とか、妊娠期間の計算の合わなさは?とか
突っ込まれる事は必至だとは思うけどね。

568:人間七七四年
07/06/11 20:39:08 xcmYaFln
>>567
この系図研究家の文章だけど、以前のスレに紹介されていたよ。
はっきり言って根拠のない思い込みが多い説だと思う。


569:人間七七四年
07/06/11 21:26:36 mTaa0cpw
>>568
論文じゃなく、講演だから、ある程度差し引かないとね。
それに、養華院殿要津妙玄大姉についていろんな説を紹介していて
一見公平に見えるけど、生駒のくだりを見るとそうではないと
でも、生駒を信じている人からはまともなことを言っているように見える
という事を言いたかったから引用した。

ただ、これが史学会でおおっぴらに言われている説でもあるから、
文献研究など、もっと突っ込んでやる人が出てきてくれればなとは思う。

570:人間七七四年
07/06/12 02:19:31 x/GknBZq
やはり「寵妾」のひと言が気になる。

571:人間七七四年
07/06/12 18:49:27 FhILZBgN
織田家研究者のとても冷静な信長妻妾に関しての文とやらを読みたいんですが

572:人間七七四年
07/06/12 22:07:22 vt2CK1Dl
>>571
おそらく上スレ>>567の系図研究家の講演の文章の事だと思う。

573:人間七七四年
07/06/12 23:38:20 IN91BOnM
>>567の講演の文章の中に「信用できる尾張徳川藩に残っている文書によりますと、そのときあの剛毅な信長が生駒屋敷に向かって涙をながしていたと言います」
とあるけど、その信用できる文書って何なんだろう?

574:人間七七四年
07/06/12 23:50:42 Pdt0SDCG
浅学でそのエピソードは武功くらいしかしらないんだが。
もし本当に尾張藩に残された文書にそのエピが記載されているのなら、武功の
信憑性にもそれなりの一石を投じることになるよな。

是非とも、その「信用できる文書」をみてみたいところ。

575:人間七七四年
07/06/13 00:01:20 C2weYgD0
ほんと、なんていう文献なんだろう。ぜひともその文献をみたいもんだね。

576:人間七七四年
07/06/13 07:59:18 ZRRT4x/7
尾張徳川藩って、徳川家に残ってる文書?
それとも、尾張徳川藩の地域に残ってる文書?

是非とも読んでみたいものだ。

577:人間七七四年
07/06/13 08:02:06 ZRRT4x/7
>>574
そのエピソードは武功には書かれてないよ。
久昌寺縁起に書かれてたはず。

578:人間七七四年
07/06/13 09:06:49 G2/3fr77
でも
>信用できる尾張徳川藩に残っている文書によりますと・・・

って曖昧な書き方をしないで、ずばり文献名を書いてくれればいいのにね。
まさか久昌寺縁起のこと言ってるんじゃないよね。

579:人間七七四年
07/06/14 22:21:32 QJyPO3D4
今、話題になってるのは>567で紹介された内容なのか?

だったら、どれほどの歴史知識のある人向けの講演か不明だし
初心者向けの講座だったら、詳細はしょってわかり易くするし
余計な混乱させないために、詳しい史料名とかは
あえて出さないこともあるんじゃないのかな。
 ↑
そういう省略は良くない・・・という意見もあるだろうけど
講座みたいなもの段階を踏んで知識を深くしていくもんだからね。


580:人間七七四年
07/06/15 07:58:10 7wumX9GP
>>567 家系図の専門家の意見だからこそこれだけは信用できるのではないか?

「家系図は信用してはいけない!」

寛政期幕府編纂の家系図は信用できないということになると、
今検証されている生駒家や織田家の家系図からの考察は
信憑性が乏しいソースからということになり、
無意味なのかもしれない。

581:人間七七四年
07/06/15 09:14:11 gvYk5k0L
当時の日記や、軍記物なども、系図よりは信憑性があったりして。

成菩提院の記録を調べてみたいな。

582:人間七七四年
07/06/15 19:45:10 6eYtXPn5
>だから系図ははっきり言って一級の資料ではございません。あくまでも2級の資料です。
>正史に対してあくまでも補助的な役割をする資料、それが系図でしょうね。

言い伝えとかの方が信用度は高いんだろうか。

583:人間七七四年
07/06/15 20:07:35 +DkgoW3B
「織田信長の謎」という本に、吉乃が正室になり濃姫とは別居していた。
濃姫は岐阜にいた。などと嘘書いてある。
理由が信長貴公記に濃姫が年中行事に参加したと書かれてないから、などと
書いてある。じゃあ、正室になったとされる吉乃は信長公記に書かれてるのかよ。

また濃姫が安土殿と呼ばれて信雄より化粧料をもらっていた。
なんて書かれてる。なんで安土城に入らないのに濃姫が安土殿と呼ばれるんだよ。
ばかかよ。こいつ。
しかも、養華院は安土総見寺の過去帳では「信長御台」と書かれている。と
紹介したあとに、小○田が、「信長御台」=濃姫ではない。
などの意見まで載せてある。
なんで、小○田は、信長御台=吉乃という説を唱えているの?
矛盾だらけなのがわからないのか。
あー、それにしても真実が本に載るのは一体いつになるんだろう。


584:奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
07/06/16 00:05:13 dzrtToel
誰かが大学の卒論ででも書いたヤツを出版するくらいでひっくり返せるな。

585:人間七七四年
07/06/16 23:16:53 jCkVc5iQ
>>583
それって川口某が書いたPHPから出た本?
あれなら足利義昭が将軍位を剥奪され・・・なんて
嘘書いてる本だからその程度のものだよ。

586:人間七七四年
07/06/16 23:56:38 OcRNVvuq
>>582
織田信行とか林通勝とかの誤った名前が流布したのも
系図が元凶だからな。
余り知られてないが森乱の実名、成利も系図では「長定」と
誤って記されている。兄に長可がいたことも関係してるんだろうが。

587:人間七七四年
07/06/20 05:37:49 sQb5IO4D
緒形直人の大河「信長」を見ていたので帰蝶という名に
愛着があるのだがこんなのは少数派なのかな?
そもそも「濃姫」とは名前も通称も分からないから
「美濃から来た姫さま」ということで後世の学者などが
そう呼んだまでらしい。
これに対して「帰蝶」は江戸時代にできた「美濃国諸旧記」
というものにでてくる名前だが、「名前が分からない」から
濃姫と呼ばれたことを考えればこれも確かな名前ではないのだろう。
が、やはり「帰蝶」と呼びたいな。

588:人間七七四年
07/06/20 08:31:40 3uPbcnan
>>587
身分の高い女性は本名で呼ばない事が礼儀であり、武家の慣習だったの。
だから実家の姓や住んでいた城の名や地名に殿とかをつけて呼ぶことが一般的。
周囲も高貴な奥方を名前で呼ぶなんて無作法な事はしなかった。
なので本名すら不明のお姫様は多い。
本人の残した手紙の署名ぐらいしか特定しようがないから。
帰蝶という名だって信憑性は低いと思うよ。

589:人間七七四年
07/06/20 18:30:07 OCB3ExBN
>>588
うん。
濃姫が帰蝶と出てくるのは、「美濃国諸旧記」だったような。
この「美濃国諸旧記」は江戸時代に編集された地誌だそうだし、
うわさや俗説なども特に検証せずにそのまま載せたようだし、
あちこち史実と違う箇所なども目立つそうだし、あまり信憑性の
高い書籍ではないそうな。
なので、濃姫の名前も本当かどうかわからない。


590:人間七七四年
07/06/24 10:29:59 IZYiGIRL
日本史板の濃姫スレはどうしてあんなに香ばしいのだろう。

591:人間七七四年
07/06/25 20:23:50 viY3FJaZ
とうとう生駒は本能寺後も生存していたとまで 
言い出している椰子も出没してきてるしな…

592:人間七七四年
07/06/25 22:08:08 Xu3uuNnc
>>591
生駒なんかはどうでもいいけど、全ての人物事柄を濃姫に絡める思考回路どうにかならんのかね。
これもあれもそれも濃姫の可能性がある。可能性がないって資料がないから、全て可能性があるんだし、
つまりこれもあれもそれも濃姫かもしれない!
という思考回路なのに、その他の場合だとそういう「考察」を一切せず「この時代それは有り得ないから」
で済ませるのがなんとも・・・・・。
濃姫の場合は「でも家々で違うんだし、もしかしたらその可能性ある」ってアンタ。。。('A`)

593:人間七七四年
07/06/25 22:52:35 PzrmrrIt
史料から丁寧に読み解きをする冷静な人のレスは
読んでてふむふむと思うけど、
何でもかんでも「それは濃姫なんじゃないの?」人が困る。


594:人間七七四年
07/06/25 22:53:11 P0qlPHhk
そりゃ濃姫スレなんだから、あれもそれも濃姫かも?になるのは仕方ないだろ。
その際に裏づけになる史料は出して欲しいけど。

595:人間七七四年
07/06/26 06:45:57 xxoK8I24
こちらが本家からの負け犬の巣窟になっている件w

596:人間七七四年
07/06/26 08:45:08 vYKm+w+X
煽るならもう少しうまくやれば?

597:人間七七四年
07/07/02 22:53:58 +8cN2TqL
そろそろ一人逃げ込んでくる頃だからよろしく頼むね

598:人間七七四年
07/07/02 23:16:08 vpNlJn5B
え~、悪いけど、ねねの手紙の原文の内容が分かってないような人間、ここでもいらない。

599:人間七七四年
07/07/03 00:12:39 OgN/W04v
>>597-598
前者の奴はpgrだったが、後半の奴は
内容は間違った事は言ってなかったと思う俺がきましたよ。

けんか腰な発言多かったからスレ荒れたことはふざけんなって感じだが。
俺も何でも濃姫につなげりゃ満足みたいな今のあのスレはあんま好きじゃないから
感情論の話題(資料から読み取れない個々の感情など)はレスしてない。
墓の話題とかは面白かったけど夫婦間の仲睦まじさとかは全部憶測にすぎんからどうでもいいわ。

600:人間七七四年
07/07/03 00:37:00 cKJEGPv2
でも、あの最初から煽りまくりの文章じゃ内容も説得力を欠くって。
けんか腰レスが多くなると、電波濃姫ヲタ風レスで大漁を狙う釣り師が現れたりして
荒れるだけなんだよな。
淡々と史料を語ってる時はいいんだけど。

601:人間七七四年
07/07/03 01:06:17 qeLyCnSB
なんか反論ができなくなってきたんで、開き直ってきたって感じだな。

602:人間七七四年
07/07/03 02:22:49 W94yYKny
>>600
>淡々と史料を語ってるときはいいんだけど。
同感です。
「それは濃姫なんじゃない?」「きっと濃姫だよ!」
「生駒厨はでていけ」
「そんなに正室が大事にされてたことが気にいらないわけ?」
・・・の?とwが好きで、タメ話口調でやってるのが来ると
話がいらぬ方向にとびまくる


603:人間七七四年
07/07/03 06:25:08 qeLyCnSB
>>602
史料の裏づけがあるなら別に「それは濃姫かも」でもいいんじゃないか。
全くなんの根拠もない話なら、それはまだ可能性としては低いからといえば
いいし。
濃姫好きの中には行き過ぎる人もいるのはわかるが、違う意見をいうときも
もう少し言葉をつつしんでもらいたいのも事実。
濃姫好きを興奮させるような煽るような書き方せんでもいいんでは。
だから、

>「生駒厨はでていけ」
「そんなに正室が大事にされてたことが気にいらないわけ?」

のように感情むき出しのスレが出てくるわけで。


604:人間七七四年
07/07/03 07:06:44 Op+1NfjJ
それは濃姫好きにも言える。 
要はどっちもどっちなんだがきつい口調に 
なってしまうのもわからんではないよ。 
あのスレではね…

605:人間七七四年
07/07/03 07:20:12 OgN/W04v
こっちのスレはまともな意見が多くて驚いたw
みんなあっちが感情論の話題の時はスルーしてる人か?(俺はそうw)

個人的に今回の手紙にしても信長が理想の正室像をねねに諭したとは判断されるけど
それも茶化すような文章(きれいになったねとか)もあるからどこまでが本気でどこまでが真面目なんだかと思うんだよな。
それを濃姫と夫婦円満だったから言えた事だとか発展して考える奴の想像力には恐れ入ったがw

606:人間七七四年
07/07/03 07:42:33 1b52iFLT
>>603
>>「生駒厨はでていけ」
>「そんなに正室が大事にされてたことが気にいらないわけ?」
意外と、自作自演の香りがする書き逃げの場合が多いけどな。
普段の住人より、反論できなくなった方の。
あと、煽り厨が常駐しているのもあるだろうな。

>>605
きれいになったねの部分と、正室に関しての部分が、
明らかに、現代風にいえば段落的に分かれているからな。
原文で書かれているから、そこが全く解釈できていないみたいだったが。
自分は、どこまであの書状の内容が分からないまま突っ走るのか
生暖かくヲチしてたよ。
史板は、資料を読み慣れてて、原文もその時代背景を合わせて
解釈きちんとできる人と、
現代語訳になっていても文意が読み取れない文盲が混在している。
本来は、後者は出入りするなと言いたいな。
本当かどうか知らんが、途中で別人になったという人間は、前半の人間も
後半の人間も、少なくとも、原文じゃ分からなかったんだろう。
同一人物だと思われる理由は、原文の間違った内容理解が一緒だからだしな。

607:人間七七四年
07/07/03 08:35:44 U656fk6c
こちらでいくら息巻いても、しょせん庶家のこちらは負け犬の巣窟ですから。
負け犬の遠吠えすら本家には聞こえないでしょうねw

608:人間七七四年
07/07/03 09:16:20 6nDnHXdC
>>606
自分は後の人は言ってる内容は正しかったと思うよ。
最初の人の意見否定してたし。言い方が熱狂的濃姫ファンをいらつかせる喧嘩口調だったから大事になっただけの話なきがする。
最初の奴は正室側室の違いもわからず反論に反論する感じだったが後の奴は感情論を語るなと言ってただけな気がする。
自分は少なくとも濃姫と夫婦円満だったからねねにあの手紙を書けたとか言ってる
夢見がちな恋愛価値観大好きちゃんの意見が香ばしいと感じたよw
必要以上に濃姫持ち上げる評価する奴は真実を歪曲して理想で語るからちょい迷惑だな。


ま、どっちにしても好いた惚れたの感情論話題はお腹いっぱいだw

609:人間七七四年
07/07/03 09:23:27 1b52iFLT
>>608
だったら、二人とも同じところで解釈が間違っている理由が分からんな。

ヒントを与えたくないから、どこが間違っているかはいわないよ。
原文が読めて、現代語に訳せるなら、分かる部分だしな。

610:人間七七四年
07/07/03 09:37:37 6nDnHXdC
自分は濃姫を熱狂的に持ち上げる人間がそんなにいるとも思えなかったw
自分は今回あっちにレスしてないんだけど、2人で言い合いしてんのかなぁと感じたんだがw

少なくとも、信長の行動を濃姫基準に考える香ばしい奴の書き込みはお腹いっぱいなんだよ。
濃姫は正室だった。
その地位は側室に脅かされるものではなく本能寺の変までその地位にいた可能性が高い。
これだけを柱に文献検証して濃姫の軌跡を調べるだけでいいと思う。
大切とか愛とか円満とかいらんw

611:人間七七四年
07/07/03 10:27:45 SdR+72jL
濃姫は信長が美濃を統一してくれたことは
すごく意気に感じていたと思う…。

612:人間七七四年
07/07/03 12:08:00 KkHX3lQV
なんだか、あっちは、一人で自作自演しているようにしか見えなくなって来てるな

613:人間七七四年
07/07/03 15:07:40 dpo5BGie
IDは欲しいなあ
あのスレだけではなく日本史板全体に
邪馬台国のスレとかも酷いし

614:人間七七四年
07/07/03 17:42:35 PuNy1Izp
気持ちはわかるがおまいら、ここを日本史板のヲチスレに使うのはやめようZE。
俺は知識がないから全然話題振れられんけどな。

615:人間七七四年
07/07/03 20:44:26 ySVfxVcq
あっちのスレに書き込むにしろロムだけにしろ何人ほど住人がいるのかは不明だけど
大半の人はあんな感情論の対立にはうんざりしてるんじゃないの。
感情論も感情論はやめろの人も、結局双方とも感情論なんだし
普通に史料の解釈等を楽しみに見てる者にとっては、荒れるだけで迷惑。

616:人間七七四年
07/07/03 20:59:37 QgHdhz3N
>>615
かなり同意。
元々隙あらば荒らそうとしている奴がいるのは
過去のスレッドでも分かっている事なのに、
どうしてスルーを覚えないのかね?

夕べ史料を出してくれた人もいたのに、反応したの2人だぜ。
正室の解釈が違うって、反応したときのレス見れば、
もっといそうに思うのにな。

検証したい史料があるんだが、こっちだと
趣味板だから、出すのは躊躇するよ。

617:人間七七四年
07/07/03 21:02:14 OgN/W04v
濃姫は大切にされてたに違いない。
こういう事からも愛されていないなんて考えられない。

こういう書き込みをする奴は、恐らく史料解釈はどうでもいいんだろうなーと思う。
単純に濃姫マンセー出来りゃ満足って気がするよ。
高台院への手紙を濃姫につなげて考える奴らは、多分他のどんな史料でも
濃姫につなげて考えられる奴らだと思う。

618:人間七七四年
07/07/03 21:16:53 ySVfxVcq
>>617
そういう感情論に対する批判レス?も、あっちでは結構あるけど
そんな個人批判どうでもいいし、そんなレスの応酬でけんか腰になって
スレが荒れても意味ないと思うんだよね。
一部には616のいうように、わざと荒らそうとしてる輩がいるんだろうけど。

619:人間七七四年
07/07/03 21:17:13 OgN/W04v
>>616
反応したうちの一人、俺ですw
あれだけ人いたっぽかったから、もっと食いついてくるかと思ったけど
高台院の手紙にある理想の正室は濃姫がモデルだ、いやそうじゃないって話題に
結局戻っていって・・・何だかなあとw

個人的にはあの手紙からは何もわからんと思うんだが。
単純に信長がねねに、この時代のそれなりに地位ある大名や武将の正室は
こうあるべきだという形を諭しているというものしか俺には読み取れないんだけど、
あの手紙からもっと深い意味合いのこと読み取れたりする?
単純にエピソードを見て、創作するとすれば信長が濃姫を模範にしたという
おいしいネタになりそうだなぁとは思うんだけど、それってすでに小説家の仕事な気がするw

620:人間七七四年
07/07/03 21:34:21 PuNy1Izp
戒名の話面白かったな。
ああいう話題キボンヌ。

621:人間七七四年
07/07/03 22:02:04 QgHdhz3N
そういえば、家康は信長をどう思っていたのかってスレで
築山殿の話題で、やっぱり戒名の話しになってて、
濃姫スレで書かれてた、宗派の違いによる戒名の話しと
似たような事が書き込まれてたな。
やっぱり、日本の歴史を検証する為には、
仏教の知識は絶対必要なんだと、改めて思ったよ。

>>619
あの書状はさ、朱印が押してあるんだよ。
で、あの内容だろ?
一般的な正室像だけじゃなく、
信長の個人的な女性観まで書かれてある。
かなり特殊だよね。

622:人間七七四年
07/07/03 22:07:04 OgN/W04v
>>619
朱印は押されてた事は、前半部のせいじゃないかなぁ。
そもそも信長への献上品の礼としての手紙だったわけだし。
そういう手紙に、さらに個人的な内容が書かれていた事はすごい意外だったんだけど、
前半部を考えるなら“当主”から“部下の奥方”への正式な手紙として
朱印が押されていても不思議はない気がするんだけど。
その辺よくわからんのだけど、俺個人としては礼状としてのものなら
朱印があってもおかしくないんじゃないのかなーと思ってる。

623:人間七七四年
07/07/03 22:12:57 QgHdhz3N
>>622
そりゃ、前半部分があるから朱印があるという解釈は当たり前なんだが
朱印があるってことは、単なる代筆じゃなく、祐筆の手による物なんだよな。
だから、形式的な文書だったら、別に誰も疑問を持ったりしないんだが、
祐筆に書かせているのに、個人的な感情を書いている部分がな。

ま、どうでもいい事だが。

自分的には、言継卿記の事で話したい事があるんで、
早くあっちが落ち着いて、話せるようになって欲しい物だ。

624:人間七七四年
07/07/03 22:28:04 OgN/W04v
>>623
はやく聞きたいな、それ。
もういい加減恋愛小説の続きみたいな展開は胃もたれする。

625:人間七七四年
07/07/04 01:12:10 AC5dhOrF
やれやれと思うのは、「正室嫌い」という言葉を用いる人。
「何でもかんでも濃姫」説に意見を投げると「生駒厨」だし。
(家中での正室という位置はじゅうぶんわかってる上で、)
疑問を述べると「正室嫌い」と書かれる。

好きな戦国女性の中には正室側室、両方いるってば。
正室だから、側室だから、で好き嫌いを感じてるわけじゃないのに。

626:人間七七四年
07/07/04 02:00:17 jodH91dK
これまでの傾向からして、「生駒厨」とかの言葉をすぐに使う人は
それにすぐ反応するレスがつくのを面白がってる愉快犯じゃないの。
まぁ、これまで散々そのパターンの繰り返しなのに、スルーもせずに延々と相手をしてるから
自分で煽って、自分でその反論レスする自作自演荒らしの可能性もあるけど。

627:人間七七四年
07/07/04 07:14:54 HX9pcKgz
「何でもかんでも濃姫」の説って実際みんなどう思ってるの?
今回の手紙の件にしても、御局だ安土殿だって件もそうだけど。
御局とかの件はまだ史料的にも納得できる部分も多かったし
「可能性はありそうだな」と自分でも思ったんだけど、
今回の手紙、個人的には有り得ないと思うんだけど。


あっちのスレでは「信長は濃姫を理想の正室として考えながら、あの手紙を書いた」
という意見に同意してる人が多かったけど、自分としてはそりゃないだろーと
思っていたんだが・・・。
自分の方が少数派なんだろか。

628:人間七七四年
07/07/04 07:24:04 09E1WaR+
>>627
全くありえないとも言えないんでないの。
誰をイメージして書いたかどうかは信長当人でしかわからないわけだから。
実際はどっちの意見が正しいかはわからないから、あまりこういう話題で
対立して揉めるのもちょっとね・・

629:人間七七四年
07/07/04 07:40:07 Mxn8qBXn
>>627
あり得ないってほどの事でもないし、絶対そうだと言える物でもないって事じゃね?

あの書状って、ねねの懊悩(とまで大袈裟じゃないにせよ)という
「奥関係への感情」に対する返答な訳だからね。
そういう場合、普通は一般論でおさめるのは逆効果だし、
実際信長は、形式的な言葉だけじゃなく、自分の女性観も書いてる。
正室側室の関わる、奥についての女性自身の思いなんて、
他家の場合、表面的な物は分かっても、
感情込みの実情なんて分からないんだから、
それに対して信長が意見を言うとしたら、
自分ところの奥を念頭に置いたと
解釈するのは無理がないからね。
でも、もちろん念頭に置いてないんだとするのもありだと思う。

大体が、信長クラスの家なら、他家の男性にそんな感情を漏らす女性が
ぶっ飛んだ存在だろうしな。
出身階層の差というのがあるから、無視しないで教え諭したんだろう。

630:人間七七四年
07/07/04 10:46:44 4uR/cmmB
まあ、信長が自分の個人的な感情を書いているということで、
濃姫に結びつけたくなる人がいるのは仕方ないのでは?
まあ、自分の奥ことというよりも、一般的な大名家の正室像を
ただ話しただけということも考えられるし。
でも、どういう心情をもってこの手紙の内容になったかは、本人に
インタビューでもしないとわからないわけで。
だからどっちの可能性もあるということでいいんでないの。
ことさらどっちかの意見に決めないといけないわけでもないし。
史料ひとつとっても受け取り方って人それぞれだし。
もう不毛の争いはやめようよ。

631:人間七七四年
07/07/04 16:52:43 5vW/fp4f
子供がいなかったから存在感薄いわね。道三が生きていた頃までは色々な書物に出てくるが、それ以降は想像枠だわね。生駒の吉乃が子供を産んでいる為存在感はあるが、信長が一番愛していたのは誰なんだろ?

632:宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c
07/07/04 17:20:19 +cnmwN45
実質正室の生駒の方が死んだ後、信長は毎夜泣いていたそうな。
なんかの本(小説ではない)で読んだぞ。

あの信長が、信忠信雄徳姫と3人立て続けに生ませてる事自体珍しい事。

633:人間七七四年
07/07/04 18:01:06 ec9eDimy
>>627
こういう史料にこう書いてあるから、その説はないんじゃないかなって意見ならともかく
個人的には有り得ないと思うって意見じゃ、個人的に有り得ると思ってる意見と
感情的に対立してずっと平行線。
実際にどういうつもりの手紙だったのかは、信長本人に聞くしかないことで
そんな答えのでない話題で対立して煽り合ってもスレを無駄に消費するだけ。

634:人間七七四年
07/07/04 18:02:08 /Kl/k1Hy
「武功夜話」にある話だね。
例の、日本史板では否定されてたがな。
信長の長男信忠の母は久庵慶珠という人で、
生駒ではないとかいうことだ。
生駒が愛されてなかったとは言わんが、
信長も側室が多かったからな。
20人ぐらいいる信長の子供の母親に加え、
子供を産まなかった側室、正室もいるから、
まあ、結構な数の女性と交渉があったということだな。

635:人間七七四年
07/07/04 18:59:58 09E1WaR+
>>634
信雄は生駒が生母で確定だけど、一次資料に出てくるし。でも信忠に関しては
生母は生駒ではなく久庵慶珠という人ではないかとあったね。
実際に信忠が位牌所を設置してるんだったっけ。
没年も生駒とは違うので、信雄生母の生駒とは別人と判断してたね。
信長が誰を一番愛していたかは、本人の日記でも出てこないわからない訳だし。
まあ、それぞれ自分の思い入れのある女性が一番だと思えばいいのではないかな。
信長の奥がみだれていなかったのは確かだし、ねねの手紙から察すると信長は決して
女性に淡白だったわけではないと思う。女性は妬くものだと理解していたと思う。
だとすると数多くいた側室たちが揉めたり争ったりしないように気を配ってそれぞれ
の女性達に接していたとは思うな。


636:人間七七四年
07/07/15 07:38:45 3pJH3vRT
久々に信長の閨閥関連に萌え再燃でネットまわってみたら新説続々でびっくり
浦島太郎な気分だ

久庵慶珠については以前、歴読で吉乃の久庵桂昌の誤字か別称のように書かれていて
(誤字ってのも凄いが)さらに高野山悉地院の過去帳には、
また別の非常によく似た戒名が残されてるらしいことも某所で読んだよ

武功以後、生駒氏正室格上げ説と斉藤氏没説が蔓延して辟易してたもんで
嫡男の生母が別人であると反証できるなら正直晴れやかな気分なんだけどどうなんだろ
過去ログで久昌寺と崇福寺の宗派の違いをあげてる人がいたが
宗派を超えての複数戒名ってないもんなのかね?
あるいはどっちかが本来の戒名で、あとのは写しの際に誤字発生とか
信忠側から生駒家・永姫側に正しい戒名が伝わらなかったとか・・・
慶珠の没年が元亀2年ってのも果たしてFAなのかなぁ
ただ、慶珠が生駒氏だとするならば、
どうして嫡男が位牌所設定を天正5年まで引っ張る必要があったのか?という疑問が。
濃姫が信長について安土城へ去ったあと岐阜の主になって晴れて遠慮なく?
などなど、疑問は尽きん

637:人間七七四年
07/07/15 13:03:57 GCWKqCJ0
久庵慶珠の位牌所設置は天正5年じゃない。
天正5年の制札では、既に設置してある事を前提に書かれている。
元亀2年の制札は奇妙の名前で出ている。
元服前の奇妙では、通常は制札を出す事はない。
出すとしたら、当時の慣習通り、側室だった生母の喪主になった時くらいだ。

宗派どころか、宗派が一緒でも寺が違えば、法名は変わる事は多い。
信長自身でも、複数法名を持っている。
だが、宗派は違うが同じ禅宗なので、法名をつける方法はにたようなもの。
久庵慶珠と久庵桂昌はどちらも信長の側室なので、
同じような立場の女性に、同じような法名をつける事はあるかもな。
どちらにせよ、久庵慶珠が生駒氏なら、後々生き延びた信雄が
久庵慶珠の菩提を弔っていない事が、不思議なんだがな。

638:人間七七四年
07/07/15 14:08:26 evI1NJrl
信雄は桂昌の菩提にすら無関心だったからな。
葬儀の喪主をしたとはあるが、その後の法要をしたという記録はない。
生駒家の菩提寺なので、生駒家の方で法事なりをしていたらしいが。

久庵慶珠は桂と慶の字が異なるのは異字体ということは大いにありえるんだけど、
昌と珠の違いは誤記、あるいは元々違う戒名だったという以外
説明がつかない。ただ書状を出したのが奇妙なんだから誤記はありえんだろう思う。

639:人間七七四年
07/07/15 18:10:28 x4aqw0gg
だけど久庵桂昌と久庵慶珠同一人物で生駒なら、久庵桂昌の方は信雄が元服
前に制札を出し、その後何年も後に信忠が奇妙の名で久庵慶珠の方に制札を
出すのはおかしくないか。最初から久庵桂昌の方も信忠がやればいいのに、
なぜこちらは信雄が喪主をしているんだ?二人の母親が別人と考えた方が
すっきりするんだがな。
信忠は濃姫の養子になっているから、生駒の喪主を務めるのを遠慮して、信雄
が務めたと考えられてきたが、信忠は崇福寺に制札を出しているし、通説の生駒
の没年と久庵慶珠の没年が違うので二人の母親は別人と判断できる。
また、久庵慶珠が崇福寺に葬られていることからも、嫡男生母として気をつかわれ
ていると判断できる。
まあ、生駒の久庵桂昌説も正しいかどうかはわからないがな。
武功や久昌寺関係の資料は捏造が多いから。しかし今の段階では生駒の没年は
永禄9年であるとされている。だとすると信忠が制札を設置した久庵慶珠とはやはり
別人であると考える方が自然だな。

640:人間七七四年
07/07/15 18:59:53 thGq+SAP
久庵桂昌の誤記が久庵慶珠だったとしたら
信忠が間違えた事になって、おかしくなるんじゃないか?
生母の法名を間違えて、公的な制札出すとは思えん。

そして、久昌寺なんだから、本当に生駒の法名からとったのなら、
「久」庵桂「昌」の「久」と「昌」は正しい事になる。

久昌寺や武功夜話は捏造が多いから、何とも言えないが、
それぞれの法名が正しいと仮定すると、別人という事になるな。

怪しげな久庵桂昌の方が間違っていれば、
久庵桂昌は信長の側室ではない別人、または捏造の法名で、
茶筅は喪主もしておらず、久昌寺は茶筅経由で知行ももらっていないという事になる。
それらすべてが捏造であるならば、久庵慶珠が信忠信雄両人の生母で、
実際の没年は元亀2年という可能性が出てくる。
もちろん、久庵桂昌が間違っていても、久庵慶珠が信雄の生母である事を
裏付ける文献は一切ないがな。
信忠の生母である可能性は、制札を見る限り、かなり高いが。

641:人間七七四年
07/07/17 11:38:23 as9zqLHK
でも不思議なのは、信忠は嫡流が滅んだんで生母?の墓がそのままなのは
わかるんだが、生駒は信雄の系統が現在も続いているのに、なぜか生駒の
墓は全く手を加えられていないところ。
ホントなら自分たちの系統の基になった生母なのに、織田家の菩提寺にも
入れられず、法名などもグレードアップしているわけでもない。
久昌寺にあるという生駒の墓にしても、信雄が喪主をした記録はあるらしいが、
その後の供養などをしているということもない。信雄の子孫が供養に訪れたという
こともない。
信雄は生母に対して関心が薄かったんだろうか。

642:人間七七四年
07/07/17 14:13:11 BDBNaRMu
>>641
信雄系統にしてみたら藩祖の生母よりも、藩祖の正室のほうが
敬い大切にする気持ちが強いんじゃないかい?
北畠氏の墓などは今どうなってるの?

643:人間七七四年
07/07/24 07:32:40 VBYUn2Et
>>642
そんなに気になるなら、自分で調べればいいんではないか。

644:織田信長
07/08/16 08:59:38 X7nq2q7j
本能寺で死んどけばよかったのに この女

645:人間七七四年
07/08/16 17:55:07 owUj7dO5
『寛政譜』には順慶の室が斉藤道三の娘であったと記されていますが、
『諸家系図纂』には畠山昭高の室が道三の娘で信長養女であったと記されています。
畠山昭高は天正元年に亡くなっているのでその後家の再稼とすれば、
信長(室の)の妹もしくは娘(養女)として
英俊(多聞院)のもとに伝わったと考えるにも無理はありませんね。


646:人間七七四年
07/08/17 11:22:39 TEZG6B3Y
>>644
負け犬が何をいまさらほざいてるのか・・

信長という人は、身内を大事にする人だったんだよ。
そのことは残された史料を見てもわかる。
斉藤家美濃衆が織田政権下で重用されたのは事実なのだから。
いくら斉藤家及び濃姫を落としいれようったって無駄だよ。
残念だったな。信長はお前の妄想するような人物ではなかったんだよ。

647:織田信長
07/08/20 03:52:46 67aQYSQJ
僕斉藤氏嫌い

648:織田信長
07/08/20 04:05:19 67aQYSQJ
即追い出しとけばよかったと思うがね
こいつ

649:人間七七四年
07/08/20 06:28:40 yFrUyGuG
>>647 >>648
また荒しに来たのか?
よっぽど暇人なんだな。
お前がいくら煽っても無駄だがな。
真実はひとつしかないからな。

650:織田信長
07/08/21 02:35:09 ++cWCtHV
信長 こんな糞女と縁を結んで可哀想だ

651:人間七七四年
07/08/21 08:31:47 rUe1Aj1M
>>650
ついに敗北宣言かw
ぷっ

652:人間七七四年
07/08/22 13:22:21 XswC36qK
>>650
お前みたいなやつに、事実と全く違う妄想されている信長が非常に気の毒だ。

一生、そうやって妄想してろよ。

653:人間七七四年
07/08/27 17:05:38 ttvFUUN8
生駒厨~きもーいw
武功夜話が偽書だったのがそんなに気に入らなかったのかねえ~
そんなに正室になれなかったのがくやしいのかね。
しかし、捏造文書武功夜話でも生駒が正室になったなんて一言も書かれてないのだけど。
なのに勝手に都合のいい妄想して~ぷっっっ笑えるw


654:人間七七四年
07/08/27 17:25:06 XC2OIw0z
正室になったとは書かれていないけど、
武功夜話では生駒のことを内室と書いているからな。
そこから正室になったと解釈したんだろ。
ただ、それと並行して斉藤氏のことを御台と書いている。
御台がいて、さらに内室と書かれているから、
正室格なんてことになったんじゃないか?

でも、創作した人間は、
内室=内縁の妻って解釈で書いたんじゃないかと
個人的には思っているけどな。
それなら、武功夜話の記述って、辻褄が合っちゃうんだよな。

655:人間七七四年
07/08/27 17:36:19 ttvFUUN8
だけど、内室=内縁の妻って解釈って当時の時代にあったのかな?


656:人間七七四年
07/08/27 17:43:17 XC2OIw0z
>>655
当時にはないよ。
だから、武功夜話を創作した人間が無知だっただけじゃないかといいたい訳。

657:人間七七四年
07/08/27 17:47:04 XC2OIw0z
捕捉

武功夜話が創作されたと思われる時代は
「内妻」=「愛人」「内縁の妻」
というのが、今よりももっと普通に使われてた時代。
内室を内妻と同じようなものだと思ってたんじゃないのかな?

658:人間七七四年
07/08/27 20:39:51 lJvASDEH
それもそうだね。
武功夜話って信長と生駒の話だけでなく、他の話でもあきらかに創作とわかる
書き方をしているからねえ~
作者がよほど無知だったのか、当時の事を調べて書いたつもりが全く検討ちがい
の史料ばかり参考にしてしまったため、こうなってしまったのか。

しかし、生駒ファンだか武功ファンだか知らないが、生駒が側室として織田家を支えたのは
事実なんだし、正室でなかったからといって悲観する必要もないと思うが。
当時は今の婚姻制度とは全く違うのだし、当時だって権力者の側室になるだけでも
名誉なことだろうし。
信長にしてもあれだけ大勢の側室がいたのだから、たとえお気に入りがいたとしても
特定の女を贔屓したりは出来なかったというのはあると思う。当主自ら奥のみだれに
つながるような行動はとれなかったのではないかな。
またねねに宛てた手紙を見ても、信長は正室と側室との立場の違いっていうのは明確にしていたと思う。
それはどっちが偉いとかって事ではなく、役割の違いだから。
当時と全く価値観が違う現代の我々には、理解しにくい事だろうけどね。

659:人間七七四年
07/08/28 15:46:06 flYWUZ80
武功夜話のメインは生駒がどうのこうのではなく、「あの秀吉は生駒屋敷から誕生
した!」というところがいいたいがために生駒を登場させたようなもの。
そのための辻褄あわせに生駒に清洲城ではなく、生駒屋敷にいてもらわなくては
ならなくなったので、通い婚みたいな創造話が生まれ、三人の子供は生駒屋敷
で産まれた、なんていうことになってしまった。
生駒つながりで秀吉や蜂須賀が登場しているので、生駒なくしてあの物語は
あの展開にはなりえないから。

武功を創作した人物だって生駒はつなぎ程度のもんだったはず。
だからずさんな創作話で矛盾ばかり書いてもかまわないとおもったんだろ。
ところが後年信長の人気とともに妻子の研究が進んで、つっこみどころ
満載の武功夜話が槍玉にあがってしまった。
そこんところが嘘デタラメだったために、一応そこそこ信用してもよいという
点もあると言われても、武功=偽書の認定がされてしまったので
誰も史料価値を認めることがなくなった。

吉乃をさもありがちな側室として書いておけばよいものを、浅はかなことを
したもんだな。

660:人間七七四年
07/08/28 17:14:13 i7t2H2zt
台風被害を受けた我が家の蔵から、
こういう面白戦国草子が見つかりました。
小説として読んでください、なら良かったのにね。

661:人間七七四年
07/08/28 17:32:17 zZVYosFz
ホントだよね。
武功夜話がなかったら、生駒もここまで叩かれることもなかったろうし、
信忠生母の件やら永姫のことやら、あれこれ検証されることもなかったん
だろうしね。
武功夜話のせいで、生駒家の史料の信憑性が疑われてもいるわけだし。
墓穴を掘ってしまったってことかな。


662:人間七七四年
07/08/28 17:44:34 AMHvgHS6
信秀スレを覗いたら、土田御前の出身が小折土田家だとされたのも
武功夜話以降だと書かれていた。
確かに、そういわれてみれば、昔は土田御前の出自も不明だったなと思い出したよ。
六角氏息女という話も、昔は一つの可能性として普通に話されていたように覚えている。
秀吉が生駒つながりで出世したことを書くには、吉乃を出す必要があり、
吉乃が生駒屋敷にいたまま信長の寵愛を受けるには、信長生母の実家なので信長が
生駒屋敷に出入りしていたという設定が必要だったんだな。

663:人間七七四年
07/08/28 18:14:36 OSYcOlAA
とりあえず濃姫の話をしようぜ。

664:人間七七四年
07/08/28 23:07:27 SJ39fWz/
なんか、史板での濃姫スレだけど、最近過疎ってたのにまた復活してる。
言継卿記の信長本妻~の頃に濃姫が生存していた、いや死んでたと
意見が分かれてる。
もし、永禄12年頃の段階で濃姫がすでに亡くなっていたなら、それらしい
記述が言継卿記に書かれていてもいいと思うんだけど。

665:人間七七四年
07/08/28 23:28:23 AMHvgHS6
今更、濃姫を死んだことにしたかったために、
岡田氏の言継卿記の解釈以降
引っ張りだされた馬場殿のことが
話題に上るとは思わなかったな。

666:人間七七四年
07/08/28 23:41:49 SJ39fWz/
だけど、あの記述だけで濃姫が早世しているとはちょっとね・・
それならなぜ当時の文献に濃姫が亡くなった記述がないのか。
斉藤家の史料にもあってもいいと思うんだけどな。
また、その後に登場する御台は誰ってことになるし。
当時の信長が継室を娶ったならそれらしい記録があってもいいのに、それもない。
しかも濃姫が他界した後でも信忠は濃姫の養子という立場のままだし。
早世説を唱える人は、濃姫の没年や墓はどこにあるのか、また法名は何なのか
とか、裏付ける証拠を見つけてきて欲しいね。

667:人間七七四年
07/08/28 23:55:08 i7t2H2zt
揶揄するわけじゃ無いけどさ。

今日の午前中に見て、沈んでるなと思ってたら
その夕方からあの盛況ぶりはwww、いやはや何ともだな。
早世説を投下してくれた人のおかげじゃん。

668:人間七七四年
07/08/29 01:11:32 gHbouOv0
>>664
でも、言継卿記に出てくる「信長本妻」は濃姫と見るのが
妥当なんじゃないのか?

斎藤義竜未亡人の持っていた茶器?を信長が無理に所望したところ、
「信長本妻」とその縁者、”国衆の大なるもの”が結束して
それに反発し、結局信長が所望を諦めたという顛末からみても、
「信長本妻」が美濃衆に影響力を持って、義龍の後家とも関わりが
あった人物であったと見るのが妥当。

馬場殿の件については、その後娶ったならば何かしらの形で
書状や記事、過去帳などの記録があって良いはずだし、件の
エピソードにのみ登場するあたり、実在しても信長に嫁いでは
いないと思う。

そして、『勢州軍記』は蒲生氏郷の旧臣の息子が、父の残した記録や
人々から話を聞いて、寛永年間にはすでに完成していた。その中に、
「織田信忠を正室の斎藤道三娘の養子とした」という記事があり、
少なくとも勢州軍記が執筆されたころには「信長正室=道三息女で、
織田信忠の養母」という認識があったということだと思う。また、
ベースが信長の娘婿でもある蒲生家臣の記録であるところから考え
ても、濃姫が正室の地位にあったとみていいと思うんだが。

長文失礼しました

669:人間七七四年
07/08/29 07:11:19 TfsYoywd
>>668
それは、そうなんだけど・・信長正室は濃姫だけで間違いないと思う。
けど、その肝心の濃姫がいつ頃まで生存していたかという話に、史板
では意見が分かれてる。
自分としては、安土城から逃げる人の中に「御台所」「北の方」があれほど
見られるし、実際に氏郷の父親が北の方を説得していることをみても
正室不在だったら、御台所を説得するという表現を使うだろうかというのが
自分の疑問。丹羽長秀に宛てた手紙も同様。
しかし、早世説をかたくなに信じている人は、濃姫が記録に登場していない
ので既に他界していると主張している。
しかし、信長正室が早世なら、蒲生氏が説得した北の方は一体誰かということになる。
その謎に対して納得のいく答えが見つからない以上、濃姫早世説は自分としては
無理があると思っている。

670:人間七七四年
07/08/29 09:47:57 cRH7uhCC
濃姫早世説も生存説もどちらにも揺れてしまう。

どちらの説にしろ、死亡時の記録、葬儀録、位牌、過去帳などの
「死」に関する物証が発見されていないところが辛い感じ。
至極単純で乱暴な感覚で申し訳ないんだけど、
決め手にかけるのだから仕方ない。

>>666
>早世説を唱える人は濃姫の没年や墓はどこにあるのか、
 また法名は何なのかとか・・・・証拠を見つけてきて欲しいね。
早世して「いない」派から早世派へ、言及したい点の一つがそれですね。
でも、総見院の墓や法名についての検証をロムっていると
アレもほんとに濃姫のものなのだろうか?という疑問もわく。
生存・長寿説にしても、明確な死亡状況を説くのは実は難しいのでは?

ここはIDも出て、文章も過激な人がいないのでぼそっと言ってしまったけど
議論をふっかけているわけでは無いので、気にさわったらゴメンなさい。

671:人間七七四年
07/08/29 12:08:25 pYbjzxbL
どちらの説も、自分に都合のいい箇所を都合のいいように解釈をして
自分の信じている説の主張をしているだけだから、
仕方がないことでしょうね。
また、武功夜話で濃姫早世説が主流にならなければ、
これまでの一般的な歴史上の解釈では、濃姫とすんなり解釈されただろう説だったものが
否定される情勢にあるというのも、大きいのかもしれないね。

誰かが書いていたが、濃姫長寿説側が、長寿の証拠を出してこいと
一方的に突きつけられている感じはあるよ。
早世説側は、死んでいて史料に残っていないのだから出す必要はないと
ある意味開き直ってるようなもので、確定的な史料はなくて出せないから、
濃姫が生きていると考えられる史料も、死んでいると解釈しているものもあるし。

馬場殿の史料、武功以前の解釈が載っている古い本を探しているんだけど、
見つからない。
大学の頃の図書館にあったのかな?

女性についての史料など、残っている方が珍しい時代ですし、どちらの説も確定的なことは結局わからないでしょうね。
史料として残っているのは室町前期までと、江戸中期以降が多く、
戦国時代に関しては、男性に関する史料も、他の時代に比べれば少ない時期だし、難しいでしょう。

672:人間七七四年
07/08/29 12:45:06 KJ+C0Ixf
>>馬場殿の史料、武功以前の解釈が載っている古い本

手元にある桑田忠親の本では「その夫人はすでに死去したが」とあります。
すでに死去してるが、信長は道三の女婿なのでいまさら差し出せぬ、と
解釈してますね。桑田氏は武功に関係なく解釈してますよ。

桑田氏以前の歴史家はほとんど濃姫早死説です。
生駒を後室(事実上のと表記のある場合もありますが)
と考えているようです。彼女の長生きを証明する史料がないからみたいですが。
武功が生まれたのはこういう背景もあったかもしれません。



673:人間七七四年
07/08/29 13:03:16 2VrbmCN5
だけど、生駒が後室になったとする確たる史料もないんだよね。
生駒に関しては資料がないのに、後室になったとしてるのは疑問。
生駒が信忠生母である証拠もないしね。
嫡男生母でもない人物が、第三者からみて「御台」や「北の方」と
呼ばれるのは不自然。
濃姫が長生きした証拠がないからというなら、生駒が本能寺の段階まで
生きていたとする証拠もないし。
本能寺後の「北の方」は誰を指すのか。また、生駒が本能寺の段階まで
生きていたとすると、信雄の史料に登場しないのは?
色々と疑問が出てくる。

674:人間七七四年
07/08/29 13:34:38 pYbjzxbL
>>672
桑田氏の解釈だけを信じるとそうなるのですが、
馬場殿の逸話が収められた背景も一緒に考察した論の載っている本を
30年くらい前(おそらく大学時代)に読んだので、それを探しています。
そこには、濃姫の生存がどうこうなどという話は軽く書かれていて、
信長と義興の関係と、美濃におけるそれら二人の評価についてのことが主でした。

675:人間七七四年
07/08/29 14:13:34 KJ+C0Ixf
>>674 
桑田氏の師匠筋にあたる高柳氏なども濃姫早世説をとっているから
たぶん同じような解釈だと思います。
濃姫長寿説は例の総見寺の「泰巌相公縁会名簿」の「養華院殿要津妙玄大姉
信長公御台」という記載が発見されてからだと思います。
それ以降、それを裏付ける話があれこれ出始めたと記憶しております。

676:人間七七四年
07/08/29 14:20:21 pYbjzxbL
武功以前は、濃姫の早世説そのものも、ほとんどありませんでした。
高柳氏の早世説も、そこまで古いものではないです。
普通に、正室を全うしたという説も多々ありましたよ。
それ以前に、濃姫の動向を気にした説がほとんどなかったんですけどね。

武功以降、早世説が一気に世を席巻し、
養華院殿要津妙玄大姉で揺り戻しが起きたというのが、
自分の印象ですね。

677:人間七七四年
07/08/29 14:52:39 cRH7uhCC
>>676
>武功以前は濃姫の早世説そのものも、ほとんどありませんでした。
うーん、早世とまで言い切らずとも、
「斎藤家凋落の後の濃姫の消息は不明」とか
「その後、濃姫の名は記録から消え、没年も墓所も不明」
みたいな論調だったと思うのですが。

>濃姫の動向を気にした説がほとんどなかったんですけどね。
これは言えますね。
取材や資料の発掘が足らない時期でもあったろうし、
文献に登場しない→消息不明としか言えない
→そして、それ以上の探求もしないし興味もない、、、
こんな感じでしょうかね。



678:人間七七四年
07/08/29 15:30:14 pYbjzxbL
>>677
「斎藤家凋落の後の濃姫の消息は不明」も、多かったですね。
「婚姻後の動向は不明」も多かったです。
でも、「死んだ」と確定的に言われだしたのは、武功以降ですね。

高柳氏も、早世したとはっきり言い切っているものは自分は読んだことがないんですよね。
消息不明とか、政治的には全く無縁というような形のものは書かれていたと覚えていますが。
どちらにしろ、信長の奥に光が当たったのも、武功以降なので、
早世説も長寿説も、それほど歴史ある論じゃありませんね。
個人的には、児島の斉藤家あたりから、何か史料が出てこないかと期待しているのですが。

679:人間七七四年
07/08/29 15:47:20 2VrbmCN5
あと、濃姫のお兄さんが妙覚寺にいたから妙覚寺にも何か
史料がないかなと思っています。
妙覚寺は信長も信忠も利用していましたし、手紙の類などあるかなと
思っているのですが。

680:人間七七四年
07/08/30 08:57:21 EglgOuLy
武功以前の古~い歴読なんかを読むとだいたいが
生駒登場以前に病死あるいは斉藤家との戦が始った頃離縁、
その後消息不明なので恐らく離縁後まもなく亡くなったのでは?
というかんじの物が多いかな。


681:人間七七四年
07/08/30 09:16:30 cbbc/wfF
濃姫早世って言ってる人ははやく濃姫がいつどこでどう死んだのかを示す史料を提示してくださいw

682:人間七七四年
07/08/30 10:08:31 HkFOFg6v
坂口安吾の「信長」は古今東西の信長小説の中で最高傑作だと個人的には思っているが、
濃姫早死説をとっているのだけが不満だった(実際に死ぬまでは話進まないんだけどさ)

683:人間七七四年
07/08/30 10:15:56 doUvZCH5
濃姫が早世している確たる史料なんてないんだよ。
あったら、とっくに出してるしもっと話題になってるさ。
濃姫早世の根拠にしても全く弱いし、妄想が多すぎるし、笑える。

>>680
濃姫が美濃攻略時に不明というが、言継卿記に濃姫が出てくるし、
道三の娘が道三死後に濃姫の養女となって元助に嫁いでる。
あとイエズス会の史料にも濃姫と思われる記述があるというし、
まだまだ未発見の史料がある可能性はあると思うな。

684:人間七七四年
07/08/30 12:03:17 cbbc/wfF
>>683
ねw 早世派って何でそこまで必死なのかが理解不能w

685:人間七七四年
07/08/30 14:59:50 jbd5o5d9
まぁ、あんなに有名な道三の娘で、信長の正室にもかかわらず、
史料上ほとんど消息不明だから、いろんな説が出てくることになるんだよな。
濃姫早世説を唱える人間だって、有名な濃姫で妄想しているんだし、
長寿説派だって妄想。
みんな濃姫が潜在意識下で大好きなのさ。

でもさ、高台院や淀のようにさんざん政治の表舞台に出てきて、
あの時代の女性にしては珍しいほど史料が残っていた女性なら、
今色々と言い合っている人達も、最初からほとんど興味を持たなかっただろう。

686:人間七七四年
07/08/30 17:27:59 LhMnJaAJ
>>683 言継日記の書き方だと明らかに生存しているとはいいがたいです。
どっちともとれる。その他も同様。その時点で亡くなっていても文脈が
通じるし、死後であっても問題がないから、早世派がそう簡単に
納得するわけないですよ。
本能寺の変前後まで生きていたならあれだけの有名人の妻となってからの足跡が
あまりにないのも過去の研究家たちが早世と決め付けていた理由だと思います。
寺社への祈願、参拝、寄進等の記録も足跡をたどるにはけっこう有力な手段
なのですが、濃姫に関してはまったくありませんしね。

687:人間七七四年
07/08/30 17:56:21 OVuDXmib
本能寺以後も出来れば生きていて欲しいって願望があるだけに
現時点でわかってる史料では、早世説に賛成できないな。
どこかの寺から葬儀の史料とかが出てきたら流石に納得するしかないけど。

688:人間七七四年
07/08/30 18:24:30 jbd5o5d9
言継は死んでいる女性などは亡妻なんて書き方をしている箇所があるから
本妻で出てきていると、生きているんじゃないかと考えうることはできるんだけどね。

689:人間七七四年
07/08/30 21:07:13 k8WcNky1
桑田忠親ってさ、古文書の崩し文字の解読には長けているけど、
その解釈がおかしかったり、当時の常識を知らなかったりするよな。
一番有名なのは、女性の署名が頭文字一文字の場合が普通にあるのを全然知らなくて
寧々のことを「ね」一文字が名前だって、大々的に発表しちゃったことだろ。
桑田忠親の古文書の現代語訳には信頼を寄せているが、解釈の方は
それほど信頼できないってのが、普通の歴史やってる人間の認識だと思ってたけど。

690:人間七七四年
07/08/30 21:10:04 k8WcNky1
>>689
>古文書の現代語訳
間違えた
古文書の崩し文字を崩してない文字にする事だ。

691:人間七七四年
07/08/31 00:09:37 y428bVAS
なんか早世説の連中、早世の証拠を提示しろと言ったら
久庵慶珠が濃姫だと主張してやがるw
以前もこの話題が出ていたが、美濃国主の娘だった濃姫が院殿号もついていない
久庵慶珠の法名の筈がないから、それは絶対違うと言ってたのにな。
今更濃姫だと主張されてもな。それに大体が久庵慶珠が正体不明の人物なのに
信忠が位牌を設置していることから、信忠生母に違いないという意見だったのにな。
崇福寺に久庵慶珠の位牌や墓があるのか、どこの誰と記録にはなっているのか
とか、もっときちんと裏づけを取ってからにして欲しいな。
しかも、濃姫が天正年間に入る頃に亡くなってるんなら、その後に登場する
北の方や御台は誰を差しているのかという質問にもまるではぐらかしてる。
しかも、それほど濃姫に対して興味が無くなったって・・
ってか、最初からさほど濃姫に対して興味なんてないんじゃないか。
ほんと、笑える。

692:人間七七四年
07/08/31 03:12:27 KXtEzMZa
>>681
681他の早世派でない方々も、
相手方に求めるばかりではなく、あちらのスレに戻って
負けずに、総見院の農姫墓の信憑性を示す事跡や
濃姫がいつどこでどう死んだのかを示す、
覚たる史料を探ったらどうでしょうかね。



693:人間七七四年
07/08/31 07:30:05 d/tfrRdF
>>691
そう思うならあっちに参戦して、持論を披露すればいいだけのこと。
影でこそこそ言ってるほうが負け犬っぽいよ

694:人間七七四年
07/08/31 08:18:19 2I93kFSs
>>691
久庵慶珠が濃姫じゃないかと言っている人は、早世説派じゃないだろ?
早世説派が出してきた史料の矛盾点を指摘しているし、
長寿派に有利な解釈も示してくれているじゃないか。

それに、院殿号がついてないから違うってのは、
久庵桂昌の方はついてないのがはっきりしているけど
久庵慶珠の方は、ついていないと判断できないってことで収まっていただろ。
位号がついてない臨済宗の法名なんてないんだから、
省略されていると解釈する方が、当然じゃないか。

それに、元亀2年に亡くなったんなら、早世じゃ全くないだろ。
まして、生駒女が正室格になった説も覆せる。
嫡男がきちんと2度も判物を出している、
それも最初のは信長の判形を使って出しているんだぞ。
織田家で重きを置かれていることの傍証になる。
早世説派の、無理矢理な解釈よりは、まだ信憑性が高いと思えるね。

もちろん、天正年間の北の方や御台に関しての問題はあるだろうが、
久庵慶珠派の人は、生駒女が正室格になんてなってないということが、
はっきりすれば何でもいいとまで、言っているところを見ても、
天正年間の北の方が濃姫だと考えられる高い精度の史料が見つかれば、
それでいいと思うんじゃないか?
専門家でも、天正年間の北の方=斉藤女と確定して判断はしにくいという意見があるから
早世説派がいいように言っていることもあるが、長寿派にしても北の方=斉藤女を
証明できる史料を探してくる必要はあるんだよ。
そこはきちんと押さえて史料探しをしているぞ、自分は。

695:人間七七四年
07/08/31 08:21:30 ONc+FpPj
主張するなら主張するだけの裏づけを取ってからにすべきでは。
何もかもかも知れない、可能性がある。
だけじゃなあ。
可能性だけなら、どんな可能性もゼロではないんだし。
持論を展開ったって、史料の裏づけも取れていない今の状況では
単なる妄想大会になるだけ。
きちんとした寺なりの調査をしてから言うべきでは。

696:人間七七四年
07/08/31 09:13:23 H3fGfQLq
信長正室の位牌所であるから、ということであれば省略した戒名などではなく
はっきり「信長公正室の位牌所、お方様の位牌所」なりという表現に
なるんじゃないか?
お鍋がだした崇福寺の手紙では「上の位牌所」となってるし
信孝は「上様の位牌所」として、戒名なんかでは書いてない。

それから崇福寺だって信長親子の廟を現在まで継承しているのだから
もし濃姫の位牌所であったなら同じく濃姫の廟なり墓なりを親子の近くに
残しているのでは?崇福寺に現在濃姫がらみのものがまったくないのは
ありえない話だよ。

697:人間七七四年
07/08/31 14:23:26 DgqLVhVF
道号+戒名だけで記載することが、超絶イレギュラーで
当時の、どんな史料や書状にも出てこない書き方ならともかく、
普通に出てくる書き方なんだから、色んな解釈ができるんじゃない?

698:人間七七四年
07/09/01 11:44:11 ez1kOvF+
でも、濃姫の位牌所というなら、その後信長親子の墓が建てられたなら
当然彼女の墓も近くに建てられるか、もともと墓があったとしたら
そのまま親子同様現在まで供養を続けるんじゃ?
現在濃姫の位牌や墓どころかなんの足跡も残されていないのは、
どう解釈してもありえないぞ。

699:人間七七四年
07/09/03 10:45:39 hqkoHbp3
自分も、久庵慶珠は濃姫ではないような気がする。
もし、久庵慶珠が濃姫で崇福寺に墓も位牌もあるんだったら
総見院にある養華院と混同なんてしないと思うし。
それに、濃姫の寺への寄進や供養などが全くないという話ですが
対象とされる全ての寺の調査などは行われていないのでは。
濃姫と関係が深いとされる妙心寺や妙覚寺や常在寺などに
何か記録がある可能性もありますし。
妙心寺の法要の記録にしても、お市などが法会を開いているような記録が
あるらしいけど、それ以降の三回忌や七回忌などの節目節目の法要の記録
とかも本当に全然ないのかな。


700:織田信長
07/09/04 19:03:27 XwJSaBVb
濃姫早世って言ってる人ははやく濃姫がいつどこでどう死んだのかを示す史料を提示してくださいw
まるで

僕が殺したみたいに受け取られているようでイヤ
です!僕自身も斉藤家がらみの確執にはうんざりしているのです。
本当に
明智光秀のような馬鹿には勘弁してもらいたいです。

701:人間七七四年
07/09/04 19:59:41 0RmbVdqS
濃姫長生き説って言ってる人ははやく濃姫がいつどこでどう死んだのかを
示す史料を提示してくださいw



702:人間七七四年
07/09/04 23:37:34 APzbAflo
>>701
誰も長生き説なんて唱えている人なんていないんだけど?

>>700
またまた、例の妄想始まったか?史板では濃姫が早世の場合の見解が
色々出てるがな。誰もお前のせいだなんていってるやついないんだが。
明智光秀がどうのとかいってるが、奴は朝倉家に仕える前は全く不肖の
人物だぞ。秀吉級の成り上がり者だという説もあるぐらいだしな。
斉藤家との関わりなんてあるかどうかも不明だし。


703:織田信長
07/09/05 00:07:52 KVJJ2MNc
光秀自体道三の部下だったとウィキに書いてあるけど

704:織田信長
07/09/05 00:17:06 KVJJ2MNc
>>702 光秀と斉藤氏は密接な関係が絶対あるに決まってる
道三自体正室に光秀の母親いれてるぐらい明智との関係性は深い

705:人間七七四年
07/09/05 00:36:51 Sh63bL5U
道三の正室が光秀の母親?
小見の方の子供に、光秀がいたなんて話し、初めて聞いたぞ。
小見の方の兄の養子という説がこれまであっただけだろ、光秀は。
それも、最近じゃ、光秀は光秀の正室だけじゃなく、光秀自身も妻木氏出身で、
明智家の長山の明智城じゃなく、城山の明智城に住んだから妻木から
明智氏になったって説も注目されてるんだぞ。
光秀自身の姉妹が、妻木氏を名乗っている。
妻木姓の武将が実父と推測できる状態で史料に登場するなどな。
まだまだわからない事だらけだぞ。

道三が明智を重視したのは確かだが、光秀が明智とは断定できてないんだよ。

706:織田信長
07/09/05 01:15:05 KVJJ2MNc
どう考えても明智の血縁だろ
そういった謎めいた説を議論するのが戦国板の楽しみの一つ
かもしれんが光秀=明智はほぼ90%間違いない
戦国の謎なんて
家康影武者説だの変の真犯人だの秀吉の出自など

いっぱいありすぎてわからん
濃姫自体もかなり謎めいているしな
あと子見の方は伯母だ すまん

707:人間七七四年
07/09/05 06:49:29 fXos7IEV
光秀に関しては明智といってもかなり没落した庶家程度だろう。
あるいは下級武士出身で、土岐妻木に養子に入ったとかだな。
妻木氏の姉妹がいたのは、自身が土岐妻木氏出身という説も成り立つけど
光秀が土岐妻木氏に養子に入ったから、という解釈も成り立つ。

少なくとも信長正室の従兄妹説だけは絶対にない。
それならフロイスが卑しい身分だった、なんて書くわけがない。


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