07/01/16 10:23:28 dYfk+k61
信長は、側室は子供を産ませるために必要と考えていただろうから
後家で子供を産んだ経験がある女性は、条件にかなっている。
家康も、天下を掌握するまでは、後家を側室にして子供を産ませているし。
持ち駒としての子供が必要な時代には、そういう風潮があったのかもしれないな。
また、経産婦なら、婚姻した事もなく側室に上がった女性よりも
子供を確実に産める可能性が高いし、だから史実に残りやすいという構図かもしれない。
処女のまま側室に上がって、子供を産んでいない女性などがいても、
歴史には残らないからな。
また、生駒もお鍋も、秀吉といくらか関わりがある。
生駒家そのものが秀吉の与力で譜代だし、関ヶ原で家康側に「も」ついて生き延びてる。
お鍋も秀吉の法要に出席して、信長の後継者という権威付けに貢献している。
秀吉が天下を取ったから、その2人が目立っていると考えると、
スタートラインをフラットにしてみたら、信長の側室としては、
それほど飛び抜けていた訳でもないのかもしれない。
複数の子供を産んでいる側室が、他にいたとしても、特定されていないから残っていないしな。
もし本当に、お鍋が信長の奥で力があったら、信雄が知行を与えていただろう。
秀吉の庇護下に入ったのは、織田家から捨て置かれていたからだ。
信雄の分限帳を見れば、織田家で重きを置かれて当然の女性には知行を与えているからな。