06/12/19 13:21:26 9rHK0/4w
>>266
記録がなくても史実として認められる場合が、史学という学問でもあります。
それは自然法則を根拠とした推測が成立する場合。だいたい、歴史なんて記録
されていることよりもされていない事項の方がはるかに膨大なんですから、記録
の合間の不確定な部分を類推で補うことは普通に史学という学問で行われます。
というか、ぶっちゃけるとこの類推の部分にどれほど説得力を持たせられるかが
学説のキモなわけで。そのために史料、記録というものが活用されるのです。
逆にいうと、記録があっても自然法則からありえないと否定される歴史記録だって
たくさんあります。
この場合、信忠の母親の明確な記録はありません。しかし現存している記録から
自然法則に則って推測すると、生駒女の可能性はかなり厳しい。だったら、記録
に残っていない生母の存在が推測できるとなるわけで、根拠がないわけではない
のです。直接的な記録だけが史料ではないのですよ。