08/02/10 03:23:42 D+MIb63d0
でも喜久子さまは愛子ちゃんが生まれたとき女帝容認を思わせる手記を
発表してたよね。雅子さんが何度も「高松宮妃殿下が…」「感謝申し上げ
ます」って言ってたのを覚えてる。もう「こんなに痛いのなら二度と
産まない」と言ったという雅子さん、その時にはすでに愛子ちゃんを天皇に
するつもりだったと思う。だから喜久子さまの手記は渡りに船だったのでは。
少なくともあの時点では「しかいし」なんて考えてなかったはず。
あの後喜久子さまは記者に聞かれて「まあ一姫二太郎とも申しますし…」
って意見を修正してた。ひょっとして次も頑張りなさい的な忠告があったの
かもしれない。それでぶんむくれたのだと思う。喜久子さまは愛子ちゃん
誕生の立役者(治療の資料を万端そろえて「グズグズされずさっさと
お作りになった方がよいですわよ」と皇太子の背中を押したのは喜久子さま)。
せめて一目お会わせするのが義理っつうもんだが。