08/02/07 14:59:28 WIR1vl220
471です。何度もすまない。ミノムシ氏、思い出せたらで構わないので
よろしく頼む。吉乃は現在ではよくわからないナゾの人になっている。
いつから城に上がって(部屋のひとつなりをもらって)暮らしていたのか
あまりわかってないらしい。そもそも吉乃って呼ばれてた?
通説で考えると、吉乃苦情説話は吉乃が生きていた頃の話だろうから、
お市の方も浅井家輿入れ前、ここでの「市」さん曰く「泥沼だった」時期
なんだろう。ここでの「市」さんの泥沼昼ドラ愛の劇場話は、清洲か
小牧山での話なんだろうと考えている。岐阜城には基本的にお市の方は
住んでないはず(通説では)。奥方たち女性が住まう、いわゆる「奥御殿」
なるものが、どの城に存在したのかというのもよくわかってないらしい。
天守の中心で愛を叫ぶ説話については、そもそも「天守」というものが
安土城が初めてその概念を表したとか言われているらしい。
天守に通じる部分は濃姫だけが行けた、という城は安土城だと思っている。
ただ安土城以前にも天守というものは他の戦国大名たちの城にも存在した
らしいから、安土城以前の城ではありえない!とまでは言えないが。
なので小牧山や清洲城に当時天守と思われるような建物があれば、
ここでの「市」さんの天守での愛の劇場話も可能性があるかも、と。
「市」さんが天守と表現した建物は、実は厳密には天守ではないかも
しれないが、中国古代史には強いが日本史にはあまり強くないらしい
「市」さんの勘違い、思い違いで「天守」と表現しているのかも
しれないしな。
なのでミノムシ氏の昔話はとても重要だと思っている。自分としては
ミノムシ氏の話も信じてるし、ここでの「市」さんの話も信じたい。
両方に都合良くつじつまあわないかな~なんて思って考えて
楽しませてもらってる。ハンパな歴史好きですまない。