08/01/18 00:07:07 iDF67/Ed0
>>119
忍辱論に追加、
無生法忍→現代的に漢字を使うと無生法認
生ずる事も無く、滅する事も無いという法を認識して形あるものも無いものも
究極の無でしかないという認識にあることを言う。漢訳仏教で意訳されて
屈辱にも忍耐するという意味になってしまったけれど、ぶん殴られて血肉が朽ち果て
ていくさまを目撃しながらも心を動かさず滅することも生ずることも無い真理を認識し続ける
ようにという指示が本来の意味です。
座禅でケットしようとする微細なエネルギー世界はこの無生法忍の意識で
得られるもの。つまり、我執の強い意識は荒くて特に肉体への執着している意識では死を向いいれても
尚清浄な意識となり座禅で獲得する究極の静寂粒子をゲットできない。
という事で六波羅蜜の目的は神人=真人の獲得にある。
考えてみればこの世でもあの世でも波動の荒い魂は苦しみが多く生物として下降していく。
これは重い物質が下に行くのと同じ原理。
普賢明王と地蔵降三世はどう考える?