07/12/01 23:15:46 m3bGkoRN0
>>666
この場合、願望の波動と信念は果たして本当に「快」なのか?
というところがポイントだと思います
つまり、AさんはBさんの失敗を本当に
心の底から喜ぶという波動になっているかということです
現象を極端にして考えてみましょう
Aさんの望みがBさんの惨たらしい死、ということだとします
そのためには、AさんはBさんがそういう状態になることを
リアルに実感してイメージする必要があります
そのとき、Bさんのそういうイメージを、本当に心から喜んで
受け入れることが果たして出来ているでしょうか?
たとえた対象が自分でなくても、その人の不幸を本当に
「快」という状態で受け入れられているかどうか
例えば昨日の朝青龍の謝罪会見を、アンチ朝青龍の人は
ただ純粋に「ざまあみろ」という風に、本当に心から喜んでいるかどうか
心地よいという感情より、むしろ不愉快な感情の方が大きいでしょう
憎たらしい人が無惨に死ぬ映像を見せられて、本当に喜びだけの波動でいられるでしょうか
嫌なものを見せられた、という感情の方が圧倒的であると思います
心は本当に支配的な感情をちゃんと知っています
この場合、Aさんは実は失敗したときの嫌な感情を「喜んで」育み、
その実現を期待し、失敗したときの嫌な波動も含めた形で宇宙に送り出しているのです