07/11/14 16:36:38 5qHWumzG0
>>66 自己レス
最後の行が分かり辛いね。
×「在るもの」に対するフィードバックとして「在り方」に影響を与えるんじゃあるまいか。
○「在るもの」に対するフィードバックとしてさらなる「在り方」に影響を与えるんじゃあるまいか。
いや、おれが言いたいのは、>>65の言っていることは禅の「十牛図」でいうところの、
8番目の人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう)の自分と宇宙が溶け合い、相対の世界が消える
境地としては分かるし、それが実相だというのも分かるつもり。
でも、「十牛図」はさらに続き、
9.返本還源(へんぽんげんげん)牛を探す主体は消え、ありのままの自然が展開する。
10.入てん垂手(にゅうてんすいしゅ)探すでもなく、探さぬでもなく愚者のごとく市井に交わる。
要するに、実相を知りながらも、夢を夢と知りつつ夢の中で遊ぶ、というところまで禅は行く。
「たかが夢、されど夢」というのが3次元の人間存在という「夢」が出来た
摂理というか、慈悲が隠されているんではないだろうかということ。