07/10/15 02:08:33 wXtaENCF0
>>223 南無如意輪観音明王さん
迷ってるんだね。
>>204
さて、レスを書き込んでから、言葉を省きすぎて(悪い意味で)飛躍した☆内容に
なっていたと気づきました・・・。文意をきれいに拾って整えてくださり有り難うございます。
宗教を横断的に学ぶと、その宗教が掲げる「神」のもうひとつ上に「神」の概念
(=普遍的真理)を構築する必要があると気づきます。例えば、中部経典(仏教)にある
「今日なすべきことのみ、熱心にこなせ。死は明日にも来るかもしれないのに、誰もこれを
知る者はないのだ」は、その日いち日が大切だという点で、イエスが弟子たちに説いた祈り
「(神よ)私たちに必要な糧を今日与えてください」に似ています。
どちらも正しく否定できないのですから、宗教を超えた神がいるはずと想像できます。
仮に、その上位概念にある神を「至高神」と呼ぶとします。その至高神の光に照らせば、
宗教に見出せる真理(普遍的真理)とそうでない物が判別できます。
「至高神の構築」と言うと難しく聞こえますが、作業としては理性と良心への問いかけです。
その宗教の述べていることは正しいのか間違っているのか? 善なのか悪なのか?
正しく普遍的であると判定した真理が、真理であり、その集合体(束ねる者)が至高神です。
だから、100人いれば100通りの至高神がいると考えます(自覚的、無自覚に関わらず)。
100通りの至高神は、平面上にいるのではなく、垂直線上に並ぶものと思います。
より高い境地とより低い境地に広がっていると考えます。誰の至高神が高い境地にあるのか否かは
その人の判断力およびその人が甘受するその結果により、知ることが出来ると思います。
社会法則、物理法則、霊的法則・・・多くの法則が判断力を試しますから、より多くの法則
に精通した者が、より高い境地に至高神を構築できます。ただ、より高い境地に至高神を
構築しても、言動(実力)が伴わなければ結果となって表れるのも法則かと思います。
私にとっての真理は
・宗教は全否定や全肯定されるものではなく、部分批判や部分評価されるべきもの
・神(至高神)は、外にあるものではなく内にあり、全宇宙的であり個人的、かな。。