07/11/07 10:39:57 9STmY3/2
>>569
いや、私は>>567の言わんとしている事はよくわかるな。
「人を我侭だと言ってしまう事が我侭」ってそんな事は一概には言えないと思う。
これってあくまでも個人の人格の成長度によるんだけど、
例えば、人格が未熟で他人から結構見限られちゃってるような人間でも、
その人にとって業の人間からは、最後の最後まで見捨てずに信じ、支えてもらえるような気がする。
他人から見て「何で別れないの?」っていう様な状況でも、業は胎を信じ続け傍に居続けるというか。
でも胎がそれを当たり前の様に受け取り、相手の気持ちも尊重せず傍若無人に振舞い続けていると、
その濃い縁も段々と擦り減ってきて、最終的に業ですら去って行ってしまう。
それで、自分の傍若無人さに気付く胎もいれば、
別離の事実でさえも、真っ直ぐに受け入れられず、
ただ見捨てられたと逆恨みして、最後まで全てを業のせいにする胎もいる。
業という存在は胎にとって「保護を約束してくれるギフト」のようなもので、
その縁を生かすも殺すも胎に掛かっているような気がする。