07/11/14 23:22:14 aSyDUUKo
>>95
愛護が出来た経緯そのものがうさん臭いからあまりね。
ただ現在日本で唯一の猫の天敵である虐ヲタや猫嫌いを擁護するつもりはないよ。愛護だけでなく警察やFBIまで動物虐待が凶悪犯罪と直リンすることを度々指摘している以上、野放しにするのは危な過ぎるからな。
だから愛護を批判する気はない。容認。
しかし横浜アニマルファミリーが仮に猫愛護であったとしても極めて少人数だよね。
ああいうスタンス(「無責任な餌やり」を準虐待マニアと位置付けて控え目さをアピールするスタンス)でさえ日本には少ないんだよ。
要するに愛護のほとんどが犬愛護をベースにしている。現に猫の飼育本を読めば必ず犬が引き合いに出されている。
ところが犬の飼育本には猫のことなど書かれていない。
動物関連のテレビでもそうだね。あたかも犬が猫より上位であるように見せている。
その理由はやはり戦後日本に浸透した動物愛護が西欧型・管理型の犬愛護だったからだ。
ご存じの様にヨーロッパの犬愛護はイスラム勢力台頭の中世に起きたもの。
キリスト教そのものは猫を敵視しているわけではなかったが民衆のバステト崇拝を拭い切れない苛立ちから策謀を練って実現させたのが魔女狩り(猫愛護狩り)。
それは数百年続き尋常でない数の猫と猫好き女が焼かれたので、そのやり過ぎた反省から「猫は悪魔に魂を奪われた可哀相な子ども」ということに再設定した。(ペスト流行は割愛)
そこから、犬愛護が猫愛護を引っ張って行くスタンスが確立されたね。
ただアメリカでは犬愛護と猫愛護は完全に対立している。当然だ。魔女狩りまでやった潜在的猫嫌いである犬愛護が猫愛護など出来るわけがない。
だからアメリカでは猫虐待が深刻になり両者は対立したんだよ。(まあ日本もそうなっていくと思うね。)
そういううさん臭い経緯があるから俺は愛護を疑問視している、が、批判的ではない。容認している、というわけ。