08/03/22 17:17:47
京大で原爆開発をしていた荒勝教授が造っていたサイクロトロンは、敗戦後GHQにより琵琶湖に投棄された。
荒勝は「純粋な学術目的で原爆とは無関係。」と説明して投棄をまぬがれようとしたが、それはウソだった事が判明した。
海軍が建造を積極支援したサイクロトロンは、原爆研究の一環だったと証明する日誌が発見された。
URLリンク(www.nikkei.co.jp)
第2次大戦中、旧海軍から原爆開発を命じられた旧京都帝大(現京都大)の荒勝文策教授が造っていた円形加速器「サイクロトロン」の詳細な建造に関する日誌が、京大化学研究所(京都府宇治市)に現存していることが分かった。
加速器は原子核の基礎実験を主目的としながらも、海軍が建造を積極支援するなど原爆研究の一環だったことを裏づける記述があり、日本の原爆研究史をひもとく貴重な史料として専門家も注目している。
京都帝大の加速器は終戦直後、GHQ(連合国軍総司令部)が「原爆開発につながる」として理化学研究所や大阪帝大の3基とともに一斉に破壊。設計図など関係文書の大半がGHQに接収され、建造経緯はほとんど分かっていなかった。
日誌は「京大サイクロトロンの生立」と題し、荒勝教授の部下の木村毅一助教授(後に教授)が大学ノート約30ページにわたり記録。建造大詰めの1944年11月から破壊直前の45年11月中旬まで、作業内容や協力企業の名前などが克明に記されている。
この中では京都帝大が海軍から受けた原爆研究「F研究」を巡り、45年2月中旬に「艦本(海軍艦政本部)ト打合ワセ」とあり、これまでに分かっている2回の公式会合以外に京都帝大と海軍が情報交換していた事実が判明した。
また戦争末期の物資不足で加速器の資材集めが難航。艦政本部や海軍監督官事務所(大阪)に特別配給を依頼したことも書かれ、海軍が原爆研究の一環として加速器建造を支援したことが明らかになった。
ノートはGHQによる接収の際、木村助教授がひそかに残したとみられる。京大化研の後任教授らの手を経て岩下芳久・准教授が保管していた。
荒勝教授は戦前、理化学研究所の仁科芳雄氏と並び日本の原子核研究の第一人者とされ、42年ごろに加速器造りに着手。43年に海軍から原爆研究を命じられると、加速器計画もそれに組み込まれたが、海軍の支援内容は不明だった。
2:名無し三等兵
08/03/22 17:18:41
ちなみに京大と並び原爆開発をしていた、理研(陸軍が推進)のサイクロトロンは東京湾に投棄された。
3:名無し三等兵
08/03/22 17:18:45
あれえ >>2か
4:名無し三等兵
08/03/22 17:26:07
>>3
介錯してやるから切腹な
5:名無し三等兵
08/03/22 17:26:32
琵琶湖と東京湾は1万年は汚染された
GHQは謝罪して賠償すべきだな
6:名無し三等兵
08/03/22 17:26:55
>>4
だが断る
7:名無し三等兵
08/03/22 17:27:54
>>6
亀田じゃねぇんだから腹くくれよ
8:名無し三等兵
08/03/22 17:28:43
>>7
いやだ。オレは居直る!
9:名無し三等兵
08/03/22 17:30:01
3:名無し三等兵 2008/03/22(土) 17:18:45 ID:???[sage]
あれえ >>2か
潔く散れ
10:名無し三等兵
08/03/22 17:32:08 q8/Ht8Ad
京大=海軍 理研=陸軍
大日本帝国のセクショナリズムは原爆開発でも…
11:名無し三等兵
08/03/22 17:37:12
>>5
サイクロトロンで放射能汚染は起こらないぞ。
12:名無し三等兵
08/03/22 17:41:13
>>10
統一プロジェクトのマンハッタンを見習えと
13:名無し三等兵
08/03/22 19:11:13
理解が足りなかったんだろう日本は
国の総力をかけないと開発は失敗すると分らなかった
14:名無し三等兵
08/03/22 19:28:54
政治がグタグタだとリーダーシップを発揮できるものがいなくなってダメだな
15:名無し三等兵
08/03/22 20:10:57
>>13
>国の総力をかけないと
薩英戦争(1863年)で学習して、満州事変(1931年)までに忘れた。
(対華21ヶ条要求 1915頃かも知れない)
16:名無し三等兵
08/03/22 20:28:32
>>15
一説には日露前にはもう…
17:名無し三等兵
08/03/23 09:29:27 Ff03H3X9
京大サイクロトロンのドキュメンタリー映画を制作 東大の研究生
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
18:名無し三等兵
08/03/23 09:32:56
戦時中、核物理学の研究のために建造され、終戦直後にGHQ(連合国軍総司令部)が原爆開発への転用を防ぐために破壊した京都大学の「サイクロトロン(加速器)」の実像に迫るドキュメンタリー映画を東大の研究生らが制作し26日、京大付属図書館で上映会が開かれる。
一部の部品が廃棄を免れ、京大施設に保存されるまでの経緯を探った。
封印された科学史の一断面に光を当てた作品といえ、研究生らは「戦後60年以上を経て、改めて戦争と科学を考えてほしい」と話している。
タイトルは「よみがえる京大サイクロトロン」。科学史を専攻する東大総合文化研究科研究生の中尾麻伊香(まいか)さん(26)らが約1時間の作品にまとめた。
加速器は粒子を加速させて核分裂反応などを研究する装置。当時国内に計4基あったとされ、旧京都帝大では海軍の支援を受けて物理学会の権威、荒勝文策教授(甲南大初代学長)が建造したとされる。
京都帝大では完成をまたずに取り壊されたという説もあるが、東京にあった理化学研究所では実際に原爆研究も行われたという。
京都帝大の加速器は琵琶湖に廃棄されたとされるが、磁場発生のために使われる「ポールチップ」という直径約1メートルの鉄製円盤だけは、京大の研究者によって保管され、最終的に京大総合博物館(京都市左京区)に移された。
19:名無し三等兵
08/03/23 21:32:01 PFcvrOSI
敗戦国は飛行機開発さえ禁止だったのに
原爆の開発施設なんか廃棄に決まってるだろ
20:名無し三等兵
08/03/23 21:37:14
参考までに、どのレスでアホのスイッチが入ったのか聞かせてもらおう