08/01/29 18:31:45
鎌倉期に騎馬(侍)以外の歩兵がどの程度だったか?
「御家人」が騎兵なのは解りますが、全国総数で500人弱で
その郎党(侍)や非御家人を入れていけば数では確かに数万になります。
また源平~鎌倉で、戦記に普通に数万~数十万「騎」と記されており、
歩兵戦闘の記述があまり無い事から、「鎌倉武士」=「騎兵中心」で、
郎党(侍)より下の歩兵は積極的に戦闘していなかったとも考えられますが、
この時代だけ歩兵が存在しないのは非現実的ではないでしょうか?
戦闘では槌「打撃」と金床「拘束」が必要ですが、
騎馬隊に騎射され続けて逃げない敵など考えられません。
敵の動きを止める歩兵がいなければ必ず逃げられる筈です。
義経に見られるような将クラスの有力家門の馬廻り郎党衆や
東国中心に「牧」を持つ地域は騎馬の部隊もあったかも知れませんが、
換馬や荷駄を運ぶ家人が随伴しただけでは恐らく戦果が薄すぎます。
律令時代~国衙時代の「軍団」は歩兵の比率が高かったですが、
以降の「健児」では郡司の子弟を中心に騎兵の比率が高く、
南北朝~で今度は足軽歩兵の比率と動員兵数が急激に増えます。
戦国になると「備」と呼ばれる部隊編成が行われ始めましたが、
弓・槍・鉄砲・騎馬(全侍)・荷駄等に分かれて「侍」階層だけが騎乗でした。
(「本陣備(中核部隊)」等に多数の騎馬を集中させる事はあったようです)
鎌倉当時も騎馬の比率が高いにせよ、これと似た構成ではないでしょうか?