元寇って本当に台風で勝てたの?何かおかしくない?at ARMY
元寇って本当に台風で勝てたの?何かおかしくない? - 暇つぶし2ch250:名無し三等兵
07/11/30 23:10:34
>249
223ではないが


スイーツ=菓子
お前かわいいな、俺の手の上で従ってればかわいいから守ってやるが、逆らえばお菓子のように食うよ?

どうとでも解釈できる、食おうか食うまいか微妙な感情を表した、褒めてるようにもけなしているようにも感じる、政治でよくある政治言語。

政治言語に正式な意味もとめる方が無理がある。
無視するか、意味を考えず書き換えず転載するのが政治答弁に対する処世術。

政治言語には政治言語で返すがよろしい。

251:名無し三等兵
07/12/01 11:55:29 DaiB2gRb
>>249
スイーツ(笑)
にかんしては恋空関連のスレ見てみれば概略理解できると思う
多分その女の文章が発祥だろうな
>>250は意訳として間違ってるわけでもないけど別に政治とは関係ない

252:名無し三等兵
07/12/01 12:03:09
>>1はこのスレ印刷して、授業で配ってみろよ。
これだけ高度な軍事学的知見から、頭の悪い馬鹿左翼教師の嘘が明白に誰にも理解できるだろw

253:名無し三等兵
07/12/01 12:21:58
>>243
蒙古馬やイリ馬も結構小さいから大丈夫と思うよ。
わしは,イリ馬を持っているが100kg以上の人間を乗せても
結構走るし…。
木曽馬も似たようなものではないかな。

254:名無し三等兵
07/12/01 12:28:10
>>253
うらやましいなー
在来馬は消化器官と骨格が頑丈で西洋馬にくらべて怪我に強いらしいね
蹄鉄がいらない理由の一つにそういう身体的頑健さもあるようだね

255:名無し三等兵
07/12/01 12:37:06
>>237
支那涙目だな

256:名無し三等兵
07/12/01 12:44:30
食い物スレだと思って見たみたら
エライ良スレでびっくりした。
お前らすまんかった

257:名無し三等兵
07/12/01 14:35:54
>>194

韓国では「元寇」の事を、「日本征伐」と呼んでいる。

こういう傲慢さはあの国の特徴。

征韓論も日本の「皇」を認めない対応が「無礼」として巻き起こった。
(未だに韓国は日本の「天皇」は「日王」と呼称している。)

話は逸れるが、朝鮮でも開国時に日本の様に攘夷運動があり、
フランス人宣教師9人と8000人ものキリスト教徒を処刑、
アメリカのジェネラル・シャーマン号の乗組員を虐殺した。

報復を恐れた朝鮮は、江戸幕府に救援を要請しているが、
この際に幕府の返礼使節が「大軍」で来ると疑心暗鬼になり、
今度は幕府使節を拒否するという訳の解らない対応をしているw
(ちなみに仏・米は個別に江華島へ報復攻撃を行っている。
米国の侵攻「辛未洋擾」では、戦死者は朝鮮が約350名、米3名だったが、
この惨敗でも、韓国では「撃退・米国に勝利」なんだそうだ…w)


比較して、幕府軍約4万と博多周辺の20㎞の大防塁で元軍14万人と戦い、
元軍11万人を戦死・溺死させる勝利をしても「台風のお陰だよ!」か…
「歴史」って怖いね。

258:名無し三等兵
07/12/02 02:39:43
>>237
そういう他板からのイタイコピペはしなくていいです

259:名無し三等兵
07/12/02 12:58:43
>>258
支那涙目だな

260:名無し三等兵
07/12/02 15:43:36
元寇=韓国大敗戦w

261:名無し三等兵
07/12/02 18:24:40
>>257
征伐されちゃったのは蒙古軍なのにねぇ

262:名無し三等兵
07/12/02 18:48:25
辛未洋擾、丙寅洋擾は米仏が目的を達せないままに引き揚げてるし
李氏朝鮮側の勝ちと言っても良いんじゃないか?
目的の達成のために許容できる損害、とか、そもそも敵の目的不達成が利益となったのかってのはあるけどね
朝鮮半島の黄海側は潮の満ち引きが激しい
そこいら辺の情報を集めてなかった米仏の手抜かりがあった
李氏朝鮮の批判されるべき点は、それについて勝った、と言ったことよりも、
その勝利を欧米列強への侮蔑に繋げて欧化を拒否したことにある、と言える

263:名無し三等兵
07/12/02 18:56:30
>>257
征伐の理由は何と設定してるんだ連中?

264:名無し三等兵
07/12/02 19:53:43
そりゃ倭寇じゃね


中の人の比率はともかく

265:名無し三等兵
07/12/02 20:08:50
>>263
理由なんかいるか常考

266:名無し三等兵
07/12/02 20:12:04
元寇の理由は厨劣王が故郷に帰りたかったから日本征伐を元に吹き込んだからだろう

267:名無し三等兵
07/12/02 20:13:56
そもそも倭寇が活性化したのは文永の役のせいなわけだが

268:名無し三等兵
07/12/02 20:27:42
まあ戦争の大義名分にそんな細かいこと気にするわけが無い

特に時代が時代、国が国だし

269:名無し三等兵
07/12/03 08:22:25
>>263
元の第二次日本遠征に際し、高麗の定慧寺の禅僧冲止(1226~1293)が
日本遠征の威容をマンセーする「東征領」の中で述べたもの↓

皇帝(フビライ)が天下を統御するに
神功は放勲(帝堯)より越えた
徳は寛大で断折を包容し
広い恩沢は隅々にまで及んだ
車は千途の轍と共にし
書は天下の文章と共にした
ただ醜い島夷だけが残り
仮に鼎魚のように群れをなして生きていた
ただ滄溟を隔てていることを頼りにして
よって領域を分けることを図った
苞茅(朝貢のこと)はかつて入ったことがなく
班瑞(朝貢のこと)もまた聞いたことがない
そこで帝がこれに怒って
そのとき我が君に命令した
千隻の龍鵲(軍艦カ)の船と
十万の勇敢な軍兵で
扶桑(日本)の野において問罪し
合浦(馬山)の水辺で軍師を興した
鼓声が大海に鳴り響き
旗は長い雲を揺さぶった
(以下略)

偉大な元皇帝の属国にならないから「征伐」ということらしいよ。

270:名無し三等兵
07/12/03 10:24:16
なるほど時代主義で奴隷根性が骨の髄まで染みとおった朝鮮らしい論理展開

271:名無し三等兵
07/12/03 10:38:47
事大主義だった

272:名無し三等兵
07/12/03 14:38:15
>>270
違うね。
新羅や高麗前期の政権は事大主義といいながら巧みにシナ王朝の動静を利して
国益につなげていた。
それが元の侵攻で三別抄や各地の義軍に加わったような気骨ある高麗人は死滅し
奴隷根性の持ち主だけが生き残ったんだよ。
その後は李氏朝鮮が清に受けた扱いのように、朝貢国というよりは属国として徹底的
に搾取されるだけで、そのしわ寄せがすべて庶民に回ってくる「李朝五百年の腐敗」
が始まるわけで。
文禄・慶長の役で再び数少ない国士が斃れてますます腐敗濃度が濃くなったし。

273:名無し三等兵
07/12/03 16:10:17
>>272
>三別抄や各地の義軍に加わったような気骨ある高麗人

三別抄も裏では元に対して「朝鮮半島南部の支配権を認めてくれるのなら元に直接臣従したい」
とか申し入れていた卑怯者だけどな

274:名無し三等兵
07/12/03 16:58:13
「卑怯」ってのと、「巧みに強者の動静を利して国益につなげる」ってのは
言い方が違うだけでかなり似たようなものなんじゃないかと思うの

275:名無し三等兵
07/12/05 08:25:01
>>274
三別抄のやろうとしたことは国益に反する行為でしょ。
自分たちの利権を守るために、高麗の国土を切り売りしようとしたんだから。

276:名無し三等兵
07/12/05 08:46:52
鎌倉が三別抄を支援していれば元が日本に侵攻する余裕を奪うことができた
という意見があるようですが、どんなものですかね?

277:名無し三等兵
07/12/05 10:55:38
>>275
自分たちの利権のためだろうと、世界最強の蒙古に立ち向かったのは大したもんだと思わんか?
後の「大清国属国」の時代を考えると特にw
日本みたいに大陸の情勢がわからずにうっかり開戦しちゃったのとは違うんだし。
19世紀末にアメリカやフランス相手に交戦したのは明らかに世界情勢を把握していない夜郎自大
だったけどなw

278:名無し三等兵
07/12/05 15:51:40
>>277
三別抄は蒙古に立ち向かうつもりなんか最初からないの。
反乱前、高麗では王族と武臣たちの対立が続いていた。
王族側が上手くフビライに取り入ることに成功し、モンゴル軍をバックに武臣たちを
弾圧しようとしたから、それに反発した三別抄の乱が勃発。
三別抄は南下して半島南部に勢力を築くと、それを取引材料にフビライに直接臣従
しようとした。
つまり、三別抄の立ち向かった相手は高麗王朝で、ようするに国がモンゴル軍に征服され
ようとしてる時に、お互いモンゴル軍の威光を利用して権力闘争していただけなんだよ。

それから、日本が大陸の情勢がわからずにうっかり開戦しちゃったというのは嘘。
日本側は最初から大陸情勢を正確に把握していた。

『外記日記』文永4年11月25日条
「二十五日戊申、高麗の牒状、到来す。蒙古国、高麗を打ち取る。また日本を打つべしとの由と云々」

『元史』にも、元軍を朝鮮半島南部の金州に配備したところ、来日した元の使節が日本側から
抗議されたという記事がある。
当時の日本は、朝鮮半島内の元軍の配備状況まで把握していたってこと。

279:名無し三等兵
07/12/05 15:54:04
>>276
それも間違い。
日本に救援要請してきた時には既に三別抄は壊滅状態だった。

280:名無し三等兵
07/12/09 17:48:25
>>278
>日本側は最初から大陸情勢を正確に把握していた。

が、直接見聞してそれを記録に残していない以上、
どこまで大陸情勢に通じていたか疑問と言わざるを得ない

281:名無し三等兵
07/12/09 18:08:24
>>280
何で?
日本、元、高麗、全ての関係国の文献が鎌倉幕府が正確に大陸情勢を把握してたことを示してるじゃん。

282:名無し三等兵
07/12/09 18:34:35
>>281
なんでそれだけの記述から、最初から大陸情勢を正確に把握していた、ってことになるんだよ
無知ではなかった、と言えるくらいだろ
詳細な記録を残してるんなら、正確に把握していた、と考えてもいいかもしれんが

283:名無し三等兵
07/12/10 17:39:45
相手の事がわからずにうっかり開戦しちゃったのは、ボロ負けしたフビライの方だったな

284:名無し三等兵
07/12/11 08:32:02
元をそそのかして日本侵攻を企てた高麗の愚かさは普通ではないですね

285:名無し三等兵
07/12/11 09:48:12
宋とは存外関係が深かったのであるが。

平家なんかドップリと漬かっていたし、
武家の棟梁は「利権」の大親分の意味合いが濃い。
誰でも「利権」は欲しいが「血統」と「武力」で、
実際にそれを確固としたものにする大義名分が源氏。

鎌倉幕府も正式には交流していないが、
鎮西奉行を中心に宋・高麗との貿易交流は行っていた。
勿論情報も存外大量に集まっていたと推測できる。

それに北条得宗家は禅宗の保護者として名高い。
禅僧から学問を学び長じても相談役として繋がっていた。
その禅僧も中国からの渡来僧・留学僧が沢山いたから、
鎌倉幕府はかなり高いレベルで中国情報を持っていたと思う。

286:名無し三等兵
07/12/11 15:05:21
博多にはかなりの情報が集まっていたでしょうね
博多自体、宋から逃げてきた商人たちによって大きく発展を遂げたわけですから
宋の商人たちも何とか元に一矢報いたいとさまざまな情報を積極的に鎌倉に流したようです
鎌倉側がその情報を十分に活かしたかどうかは議論のあるところでしょうが






287:名無し三等兵
07/12/11 15:28:08
鎌倉幕府は元に対して正確な対応を続けていたのに、これ以上何の不満があるの?

288:864
07/12/11 17:50:04 HhTQKCN6
>>287
>>222>>269

289:288
07/12/11 17:55:09
スマン。途中誤爆だ。アンカーも打ち間違ってるorz
>>287
それについては、>>223,>>269
要するに、日本人から見たら誤りのない対応でも、向こうさんとしては面子を潰されたということになるわけだよ。

290:名無し三等兵
07/12/11 18:02:09
>>289
そういう国に対しては日本も面子を守るために戦うしかないじゃん。
何で戦えば勝てる国の属国にならなくちゃいけないの?
元の属国になり、侵略戦争の尖兵となってこき使われるのが正しいことなの?

291:名無し三等兵
07/12/11 18:07:41
まったく
相手は勝てもしない相手に向かって脅しつけてるわけだよ
アホなのはどっち?

292:288
07/12/11 18:08:50
>>290
待て待て。悪いが、オレは難癖をつけてるわけではないぞ。
別に、元の味方でもない。
小国が属国になるのを拒否して、大国の勘気に触れる。
ありがちだよな、と言いたいだけだ。

293:名無し三等兵
07/12/11 19:30:29
別に元は属国になれと言って来たわけではないし
戦争には勝ったが、慎重に外交してれば避けられた無用の帥で
いらん被害出して、鎌倉幕府滅亡の遠因になっただろ

294:名無し三等兵
07/12/11 20:41:09
>>223で国書の内容が超意訳されてるけれど
これを「属国になれと言ってきた」という内容と見なすのかそうでないのかって
議論があるところなのどうなの

295:名無し三等兵
07/12/11 21:04:35 6SSZbMku
>>292
鎌倉時代の日本は世界でも相当な大国の部類に入る国。
まず小国史観、後進国史観から脱却しましょう。
明治維新まで日本はいつの時代も後れていて小さい国だったという考えに凝り固まっていると真実が見えなくなるよ。

>>293
元の国書はまさに属国になれといってきたもの。
大体、自分を大蒙古皇帝とし日本国王より一段高く書いているくらいだから
完全に日本を臣下扱いだった。
こういう国とは当然対等な外交関係など成り立つはずがないし、正式に臣例を取れば南宋との戦争に借り出されることは必定。
まともに外交なんかしたらそれこそ無用な被害を出さなければならなかった。

あれだけ領土を拡大したモンゴルが日本とだけは対等で健全な外交関係を結びたがったなんて阿呆なこと本気で思っていますか?


296:名無し三等兵
07/12/11 22:03:54
モンゴルと対等で健全な外交関係を結んだ国ってあるの?

297:名無し三等兵
07/12/11 22:06:16
>>295
>大体、自分を大蒙古皇帝とし日本国王より一段高く書いているくらいだから
そんなもん歴代の中華帝国だって全部同じだろw 
「属国」と「冊封・朝貢国」の区別つけろ
モンゴルが中華帝国である「元」になる前に占領された高麗は完全な属国
だったけどな

>正式に臣例を取れば南宋との戦争に借り出されることは必定。 
南宋と断交して元と通交しろ、という国書だと思ったが
どこからそんな妄想がw

298:名無し三等兵
07/12/11 23:05:55
このスレ全部読んですごい参考になった。ありがとう。

299:名無し三等兵
07/12/12 00:12:12
>>297

この時代の、宋の主要貿易相手国ってのが日本なんだっけ?
元側は最初に宋と日本の関係を遮断して、宋の孤立化を計るつもりで最初に日本に使節を派遣したんだろな。


300:名無し三等兵
07/12/12 00:13:58
元の弓と日本の弓の違いによる有利さはどうなの?

301:名無し三等兵
07/12/12 07:19:39
元寇防塁は海岸から約50メートルのところに築かれましたが
それは当時の日本の弓の射程に合わせたものだったと言いますね


302:名無し三等兵
07/12/12 08:11:58
>>297
元は最初から日本の征服が目的だったよ。
だから使者を送るのと同時に日本征服用の戦艦の建造を開始している。
「慎重に外交してれば避けられた無用の帥」なんてのは当時の世界情勢を無視した空想平和主義。

303:名無し三等兵
07/12/12 10:13:44
>>302
使節派遣と同時に艦船建造開始したのは日本が二度までも国書を黙殺した後の
はずだが?

304:名無し三等兵
07/12/12 10:42:21
>>303
艦船建造開始したのは最初の使節の日本滞在中。
つまり日本の対応とは無関係に日本侵略の準備が開始されたってこと。

305:名無し三等兵
07/12/12 19:01:19
何しろ馬王来訪者には苦しめられたからな

306:名無し三等兵
07/12/15 16:52:31
朝鮮が大国の手先になって日本に攻めてくるってのはまさしく明治日本が恐れてたこと
ま戦後はタブー扱いされるわな

307:名無し三等兵
07/12/18 15:25:10
>>306
手先というか場所が悪かったというべきか、それに認識方法がその事大先の位置という
救い様のない思想の賜物というのがなんとも・・・・・・。

308:名無し三等兵
07/12/18 16:42:13
>>306
まあアホすぎれば勝手に潰れて、中国や露西亜の手先になりかねないし
こっちが併合したり保護国にしたりするのは御免被る、つかもう懲りた
適当に援助してホルホルさせとくのが次善の策だったかも知れないが、アホ杉てそれでも潰れそうだし
ホルホルしすぎて勘違いして餌をやる手に噛みつく始末・・・
本当に救いようのない連中だ

309:名無し三等兵
08/01/01 12:26:04
>>297
占城はモンゴルが中華帝国である「元」になった後の「冊封・朝貢国」だけど、
完全な「属国」扱いで東南アジア諸国との戦争に借り出されそうになったから
反乱を起こしたんだよ。
モンゴル帝国と他の歴代の中華帝国とを同列に考えちゃダメね。

310:名無し三等兵
08/01/06 19:45:44
hosyu

311:名無し三等兵
08/01/13 14:11:06 EzpYpo/9
日本軍のモンゴル軍に対する勝利は全世界の戦史に燦然と輝く偉業

312:名無し三等兵
08/01/13 23:52:45
案外、護衛艦がタイムスリップして大暴れしたとか。

313:名無し三等兵
08/01/14 02:05:39
タイ風

314:名無し三等兵
08/01/14 10:27:32 y8KVOgDE
世界中の国がモンゴル軍相手にヒーヒー言ってた時代に、日本だけは楽々とモンゴル軍を粉砕。
大陸の興亡なんて日本から見れば数段レベルの低い争いだったということだ。

315:名無し三等兵
08/01/14 13:38:30
そんなことないだろう

316:名無し三等兵
08/01/14 14:21:34 y8KVOgDE
>>315
何を根拠に「そんなことないだろう」なんて言ってるの?
現実に大陸で圧倒的な強さを誇ったモンゴル軍が鎌倉武士には全く歯が立たなかったんだから、
当時の日本は同時代の大陸より数段進んだレベルだったってことじゃん。

317:名無し三等兵
08/01/14 17:10:16
対馬や壱岐の部隊は蒙古軍が来襲して1~2日程度で玉砕。
伊松に上陸した蒙古軍にも現地部隊が撃破され、
博多湾から上陸した高麗軍にまで現地部隊を撃破される始末。

鎮静軍主力が到着してやっと蒙古軍の進出を停止することが出来たが、
戦場となった百道原は湿原地帯で蒙古軍の機動力が発揮できなかったことが大きな要因と考えられる。

結論
 どちらかというと歯が立たなかったのは鎌倉武士の方であった。


318:名無し三等兵
08/01/14 17:43:01 y8KVOgDE
>>317
対馬や壱岐や博多湾上陸地点を守っていた兵力なんて元軍よりも二桁以上少ない数なんだから、
撃破できるのはあたりまえ。
むしろ対馬制圧に約一週間、壱岐制圧に丸二日もかかってることの方が異常。
あきらかに戦闘力はモンゴル軍よりも鎌倉武士の方が遥かに上。

博多湾から上陸した後だって、鎌倉武士の方はしっかりと騎馬の機動力発揮してモンゴル軍を
圧倒してるのに、地形のせいだなんて言い訳は通用しない。

だいたい、敗北したのはモンゴル軍の方なのに、「歯が立たなかったのは鎌倉武士の方」なんて
結論になるわけないだろ。

319:名無し三等兵
08/01/14 17:52:32
勝つだけなら核で皆殺しだから簡単なんだよ
それで最強名乗っておもしろいかね?

320:名無し三等兵
08/01/14 18:20:34
>>318
>対馬や壱岐や博多湾上陸地点を守っていた兵力なんて元軍よりも二桁以上少ない数なんだから、

現代じゃないんだから、対馬や壱岐をそんなすぐに制圧できるわけ無いだろう常識で考えて。
対馬上陸、撃破、制圧、そして次の目的地への進出準備を1週間で終わらせている。
これはこの時代の軍事レベルからしたら驚異的な速度だぞ?

>博多湾から上陸した後だって、鎌倉武士の方はしっかりと騎馬の機動力発揮してモンゴル軍を

箱崎、今津じゃ蒙古軍に正面撃破されているよ。
博多、百道原方面はよく言って引き分けだよ。両軍戦場から引き上げる結果になってるからね。
鎌倉武士が蒙古軍を圧倒していたならなぜ追撃を行わなかったのか?ということになる。

>だいたい、敗北したのはモンゴル軍の方なのに、「歯が立たなかったのは鎌倉武士の方」なんて

正面戦で勝てなかったのだからまぁ少なくとも「」モンゴル軍が鎌倉武士には全く歯が立たなかったんだか」は否定されるね。


321:名無し三等兵
08/01/14 18:42:08 Ry5NXp3h
武士団は昼過ぎには蒙古軍を海岸まで押し戻してるんじゃないの?

322:名無し三等兵
08/01/14 19:14:45
ご存知だとは思いますが
文永の役のとき戦闘が行われたのは鳥飼、別府、赤坂といった内陸ですよ
百道浜から上陸してきた高麗・元連合軍は一気に西新の南、祖原山へと進出しました
蒙古襲来絵詞で有名な竹崎李長はこのとき自身を含めたわずか五騎で祖原山に奇襲をかけています、当時29歳ですね
鳥飼から西新にかけては湿地帯で騎馬での戦闘には支障があったでしょうね
弘安の役のときは防塁によって上陸を阻まれた高麗・元連合軍は一旦志賀島に集結しましたが
このとき鎌倉側はボートで高麗船を奇襲したり、海の中道から志賀島へ進軍して攻撃したりしていますね
地の利があったとはいえ鎌倉武士たちの活躍ぶりは見事だと思います


323:名無し三等兵
08/01/14 19:36:19
>>320
>対馬上陸、撃破、制圧、そして次の目的地への進出準備を1週間で終わらせている。
>これはこの時代の軍事レベルからしたら驚異的な速度だぞ?

全然速くない。
1019年の刀伊の方が速いし。

>箱崎、今津じゃ蒙古軍に正面撃破されているよ。

それを裏付けるような信用できる史料は存在しない。
モンゴル軍は攻撃目標の大宰府に到達できないまま僅か一日で敗退したんだから、
当然正面の戦闘では鎌倉武士に手も足も出なかったと考えるべきだろ。

324:名無し三等兵
08/01/14 19:39:59
>>316
つか、モンゴル軍の撃退に成功したのは日本だけじゃないし。

325:名無し三等兵
08/01/14 19:59:33
>>324
マムルーク朝がアイン・ジャールートで勝ったモンゴル軍は僅か1万2千程度の兵数。
文永の役のモンゴル軍の約三分の一、弘安の役だと一割にも満たない兵数。
北ベトナムの陳朝だって攻め込まれる度に首都征服され、ゲリラ戦でやっと撃退だろ。
比較すれば、14万もの大軍を九州に橋頭堡を築かせないまま壊滅させた日本の凄さが際立つだけ。

326:名無し三等兵
08/01/14 20:06:51
>>323
>モンゴル軍は攻撃目標の大宰府に到達できないまま僅か一日で敗退したんだから、

敗退?
鎮西軍も策源地まで下がってるだろうが。

>当然正面の戦闘では鎌倉武士に手も足も出なかったと考えるべきだろ。

というのだったらなぜ追撃が行われなかったの?
つまるところ痛みわけだったからではないか。


327:名無し三等兵
08/01/14 20:23:30
なんか、現状を正確に認識しようというよりも、「負け」と言われたくなくて
必死になってるように見えますが。。。

328:名無し三等兵
08/01/14 20:24:58
必ず追撃しないといけないか?

329:名無し三等兵
08/01/14 20:29:15
勝敗はついたけど、敗走する敵を追わなかったという戦闘はいくらでもあるよね。

330:名無し三等兵
08/01/14 20:34:22
「痛み分けだから追撃しなかった」と「追撃しなかったから痛み分けだった」
言葉が逆でも意味は大きく違うわな。

331:名無し三等兵
08/01/14 20:43:33
>>326
日本の史料にも元の史料にも高麗の史料にも「元軍が戦って負けた」と書いて
あるんだから文永の役は「痛みわけ」ではなく明確に「元軍の敗退」。

332:名無し三等兵
08/01/14 20:47:49 2k933+n2
追撃をしない理由がないのに追撃をしない馬鹿はいない
理由がないのに追撃をしなかったとしたら、追撃を出来なかったと考えるのが妥当
では、何故追撃が出来なかったのか?と考えるのがロジック

333:名無し三等兵
08/01/14 20:51:26
>>332
日本軍はしっかりと追撃してるけど。。。
「蒙古襲来絵詞」には敗退する元軍を追撃する武士の様子が描かれている。

334:名無し三等兵
08/01/14 20:53:06
敵戦力が定かではない時は追撃しないという選択もあると思うが・・・。

335:名無し三等兵
08/01/14 20:56:35 2k933+n2
追撃が出来なかったとしたら、ハード面で出来なかったのか?ソフト麺で出来なかったのか?
損得勘定から敢えて追撃をしなかったのなら、それによって何を得たのか?
僕はこう思う!!みたいな小学生みたいなおおざっぱな意見なんかいらない、そう思うに至った過程を端的かつ明確に書け書け

非建設的すぎる

336:名無し三等兵
08/01/14 20:59:45
>>335
だから追撃してるって

337:名無し三等兵
08/01/14 21:05:44
>>335
小学生みたいな癇癪もいらない。

338:名無し三等兵
08/01/14 21:07:53
>>332
>追撃をしない理由がないのに追撃をしない馬鹿はいない

一般的な話だけど、戦闘の目的が敵を退却させる事であって、全滅させることでなければ、追撃はしないよね。
追撃しなかった理由を考えるのは止めないけど、「痛み分け」に短絡するのは良くないよ。
まあ、台風の後に日本に残った元軍の人たちは、掃討・虐殺されたみたいだけど。。

339:名無し三等兵
08/01/14 21:18:10
元軍というより高麗軍ですね
高麗は元の力をバックに日本を侵略できると喜び勇んで出撃したのでしょうが
結果は悲惨なことになりました

340:名無し三等兵
08/01/14 21:19:51
>>335
>ハード面で <--- これは正しく変換できているのに、
>ソフト麺で <--- その直後のこれが変換できないのは興味深い。

給食を食べてる人なのかな?
というか、古い戦闘を分析する上で、何の定義づけもせずに
ハード面、ソフト面という言葉を振り回す人も珍しい。

もちっと冷静になってくれ。

341:名無し三等兵
08/01/14 21:33:38
>>335
>損得勘定から敢えて追撃をしなかったのなら、それによって何を得たのか?
追撃というリスクの回避

342:名無し三等兵
08/01/14 21:35:11
>>335
蒙古襲来絵詞・詞書
「武房に、凶徒赤坂の陣を駆け落とされて、二手になりて大勢は麁原に向きて退く。
小勢は別府の塚原へ退く。塚原より鳥飼の汐干潟を大勢に成り合はむと退くを追ひ
駆くるに馬干潟に馳せたばして、その敵を延す。凶徒は鹿原に陣を取りて、いろいろ
の旗を立て並べて、乱鐘暇なくてひしめきあふ。季長馳せ向かふを、藤源太資光申す。
御方は続き候らん。御待ち候ひて、証人を立てて御合戦候へ、と申すを、
弓箭の道先を以て常とす。ただ駆けよ、とて、をめいて駆く。凶徒麁原より鳥飼潟の
塩屋の松のもとに向け合はせて合戦す。一番に旗指馬を射られて跳ね落とされる。
季長以下三騎痛手負ひ、馬射られて跳ねしところに、肥後国の御家人白石六郎通泰
後陣より大勢にて駆けしに、蒙古の軍引き退きて麁原に上がる。馬も射られずして、
夷狄の中に駆け入り、通泰通かざりせば、死ぬべかりし身なり。思いの外に存命して、
互ひに証人に立つ。筑後国の御家人光友又二郎、首の骨射通さる。同じく証人に立つ。」

元軍は赤坂で日本軍に敗北。
その後、日本軍は麁原まで敗走する元軍を追撃してる。
納得した?

343:名無し三等兵
08/01/14 21:41:39
>>332, >>335 ID:ID:2k933+n2
どうした? 他人の分析と書き込みを心待ちにしているようだけど、
元寇のレポートでも書いてて、提出期限が迫って困っているのか?

344:名無し三等兵
08/01/14 22:08:57 7irO0Uyh
憲法9条のお陰です。

345:名無し三等兵
08/01/14 22:13:40
ここまでのレスで幾つか気になった点を指摘したい。
先ず、南宋は海洋国家の一面も持ち、その交易圏は広大で、
遠くインド洋にまで及んでいた。また、造船技術も
高く、欧州に先駆けること800年、既に密水構造を
完成させていた。(当然、竜骨も備えている)
その南宋が滅亡した崖山の戦いは海戦史上、初めて
火砲が使用された戦いだが、この戦いの南宋側の戦術的な敗因は
1南宋軍の司令官張世傑は船団を連結したため、機動性が損なわれた。
2水場を元軍に知られ、之を断たれた為、脱水症状を
起こす者が続出した、等である。
バイパルスに負けた事と鎌倉幕府にそれぞれ敗北した事を
比較し、バイパルスが勝ったのは一万数千と比較的少数だが
鎌倉幕府が勝ったのは14万だから鎌倉幕府の強さが
際立っているとの趣旨のレスがあったがこれは決定的に
間違っている。そもそもバイパルスが破ったのはイルハン国の精鋭
であり、鎌倉幕府が破ったのは、二線級の戦力であるが
そういった瑣末な点よりも根本的な違い、即ち戦略的状況と
地政学的な相違がある。よって比較するのは無意味である。
またモンゴル軍は決して無敵ではなく、日本やエジプト以外にも、
東南アジア等でも敗北しており、モンゴルに勝利し得たから
と言って日本が格別優れていたとは言えない。ただし、
当時の日本が先進国の一つであった、というのはあながち
間違いではなく、GNPでは上位10カ国に入っている。
さらにモンゴルはその覇業の当初から多民族国家の性格を持ち、
(所謂、バルジュナトもモンゴル人だけではない)殊に経済面
ではウイグル人に実権があった。また南宋掃討戦においても
その司令官(都元帥)は漢民族の張弘範であり、副司令官は
西夏の王族出身の李恒であった。
尚、南宋の残党の一部は南宋滅亡後、ベトナムに亡命し、
対モンゴル戦で奮戦している。


346:名無し三等兵
08/01/14 22:27:29
>>345の補足
中国における密水構造の発見は南宋代ではなく、唐代。

あと言い訳になるけど、只今外出中につき、ちと見辛いかも・・・。
ソースも挙げられないので、その点は御容赦頂きたい。
(手元に無いんですよ。)

347:名無し三等兵
08/01/14 23:04:46
>>345
>バイパルスが破ったのはイルハン国の精鋭であり

これ間違い。
バイパルスが破ったのはフレグ率いるイルハン国の精鋭ではなく、留守を任された
二線級の戦力。

あと、歴史学の基本的な方法論は「比較」。
東南アジアにもモンゴル軍に対して日本ほど圧倒的な勝利を収めた国はない。
だから東南アジア諸国は、日本と違って最終的には元への朝貢を受け入れてる。
元と戦いながら最後まで独立を保ったのは日本のみ。

348:名無し三等兵
08/01/14 23:09:43 o/Wmaut5
蒙古襲来絵詞を見れば解る様に元軍はろくに馬を連れていない。
地に足を付けて戦っている蒙古兵の絵は世界的にも珍しいのではなかろうか?
更に、そもそも軍勢の主力は奴隷たちである。
蒙古兵は見張りとして少数存在しただけ。仮に馬を連れて来ていたとしても、大規模な騎馬戦などは生起しない。

349:名無し三等兵
08/01/14 23:27:59
>>348
ちゃんと蒙古襲来絵詞を見れば騎兵はたくさん描かれてるよ。
それからね、モンゴル軍に蒙古兵が少数で後は征服した民族で構成されてるなんて
ことは当たり前なの。
ヨーロッパに攻め込んだモンゴル軍も、中東に攻め込んだモンゴル軍も、
中国に攻め込んだモンゴル軍も全部同様。
例えば中東に攻め込んだモンゴル軍だと、蒙古兵は見張りとして少数存在しただけで、
軍勢の主力はトルクメン人やタジク人だったんだけど、タジク人ってペルシア系の
都市定住民。
つまり歩兵なのね。

350:名無し三等兵
08/01/14 23:33:39 H+wghIY+
仮に元側が博多に拠点を確保して長期戦になったら、日本側の戦術を把握したり、
日本側からも寝返りがでて危なかったんじゃ?

351:名無し三等兵
08/01/14 23:37:13
>>347
指摘サンクス。
しかし、置かれた戦略的な状況、地政学的な相違を無視するのは
史学のとるところではないと思う。
史学の真価とは、思想や善悪の彼岸から離れた、科学的論理的な
思考と分析にあるのであり、決して単純な比較を以て良しと
するのでは無い。
比較するならば、置かれた戦略状況、地理(軍板的には地政学的な、
と表現したがよいと思う)、文化、政治状況、経済状態、外交関係
・・・そういった全ての把握し得る限りの情報を資料から得て
論理的に思考しなければならない。

確かに、攻撃された東南アジア諸国は朝貢はしたが、実際には
その影響力の排除に成功しており、戦略的に勝利を
得ている点は日本と変わらない。中国諸王朝における
朝貢には文字通りの属国にする場合もあるが、形式に
止どまる例も多く、後者の場合、『独立を失った』とまでは
言えない。

352:名無し三等兵
08/01/14 23:40:28 o/Wmaut5
>>349
あまりにも「蒙古=騎兵」と言う書き込み多かったんでな。


353:名無し三等兵
08/01/14 23:59:31
>>347
それと>>351で書き忘れた事があった。
キト・ブカが率いていた軍勢が留守を守ったのは確かだが、
元々はシャーム(シリア方面)地方をフレグが征服した時の
先鋒隊であって、二線級とは言えないと思うが。(ただし、
規模は変えて無くとも中身を変えた可能性あり)
集史にも『強兵数千の騎兵』と言う表現があった筈。

354:名無し三等兵
08/01/15 00:19:44
蒙古襲来絵詞って、後世の加筆があるとかってしばらく前に話題になっていなかったか?
確かに貴重な史料ではあるが、あれだけに頼るのもどうかと思う

355:名無し三等兵
08/01/15 00:53:41
>>354
本当に疑念を提示したいんなら、
 >しばらく前に話題になっていなかったか?
みたいなうろ覚えをひけらかすのはやめとけ。

356:名無し三等兵
08/01/15 01:04:58
>>354
蒙古襲来絵詞は元寇で実際に戦った人物が残した唯一の史料。
それに、元軍が戦って負けたと書いてある史料は蒙古襲来絵詞だけじゃないし。

『高麗史』八十七巻
「十月、金方慶與元元帥忽敦洪茶丘等征日本、至壹岐戰敗、軍不還者萬三千五百餘人。」

『鎌倉年代記裏書』
「十月五日、蒙古寄来、着対馬嶋、同廿四日、大宰少弐入道覚恵代藤馬允、於大宰府合戦、異賊敗北、」

『帝王編年記』
「六日。飛脚到来。是去月廿日蒙古与武士合戦。賊船一艘取留之。於鹿嶋留抑之。其外皆以追返云々。」

357:名無し三等兵
08/01/15 05:01:37 9ixSPqci
>>341
撃退はしたが撃破しての潰走ではなく、追撃隊を伏撃出来る余裕がある状態での後退だった
ということだな
ようするに、分が悪くなったら勢力を保ったまま軍を退いたわけだな

野戦で撃破した潰走する相手を追撃しない理由はないからな
近代以前の戦争での死人なんて大多数が正面戦闘ではなく追撃戦で出てるわけだし

“撃退はしたが追撃出来る余力はなかった”でも我彼差を考えると大戦果なのに、完全勝利厨は何を根拠に敢えて追撃をしなかったなんて言ってるの?
鎌倉武士達は男気溢れるナイス兄貴な集団だったって主張したいわけ?ここ軍板だよ?
追撃すら出来ないのに一方的な勝利のわけねーだろ

358:名無し三等兵
08/01/15 05:25:11
>>357
追撃そのもののリスクを言っているのだろ?
追撃=無敵・一方的な攻撃じゃないわけで。


359:名無し三等兵
08/01/15 07:04:18
川船多数だったという話も。

360:名無し三等兵
08/01/15 07:06:26
>349
んで騎兵の割合はどのぐらいなのよ。
まず数字を出してくれ。
絵図からじゃ元軍も乗馬した将兵がいたということしかわからんよ。

361:名無し三等兵
08/01/15 08:45:49
鎌倉武士は執拗かつ狡猾ですよ
元寇は侵略してきた軍勢を撃退した時点で勝利でしょう
リスクを背負って追撃する必要はありません、鎌倉が朝鮮侵略を考えていたのならば別でしょうが
今まで戦ったことのない戦法をとる軍勢を相手にこれを一日で撤退させた
文永の役での武士たちの戦いぶりは見事です、この戦いから学んで防塁など軍備を整備し
後の弘安の役でも高麗・元軍による日本侵略を許さなかった、これらの戦役はもっと研究されるべきでしょうね
内輪での戦闘ばかりしてきた日本人が「日本」という国家を初めて意識するきっかけにもなったのではないでしょうか

362:名無し三等兵
08/01/15 08:58:48
>>357
史料ではっきりと鎌倉武士が追撃してるんだから、日本軍の一方的な勝利じゃん

363:名無し三等兵
08/01/15 15:33:56
>>357
例え遅滞戦術の末の撃退で追撃戦を行なっていなくても、
最終的に敵に凄まじい損耗を強いたケースは多々ある。
気象条件は確かに大きいが、気象が影響しない戦争などありえない。
また当時の戦況から、「台風が無ければ蒙古軍に日本は占領されていた」
=「蒙古勝利・日本敗北」という展開も、まず考え難いであろう。

「勝敗の判定」は見方によって変わる為に確かに難しい所ではある。
損耗率で敵を上回っても、敵の戦争目的を挫けば勝利と言えるし、
逆に敵に凄まじい損耗を与えた場合だけ、勝利とされる事もある。
しかし「追撃戦」をもって勝敗の判定を行うのは寡聞にして聞かない。
まさか「カンネーの包囲殲滅戦」を敗北とみなしてしまうのか?!

彼我の損耗率で圧倒し、彼の戦争目的を阻み、我の戦争目的を達成して、
「勝利」でないなら、これはもう戦争の議論の範疇から逸脱している。

364:名無し三等兵
08/01/15 16:25:44
追撃されるソフト麺www

365:名無し三等兵
08/01/15 17:02:06
>>345
文永の役の副司令官の劉復亨は、キト・ブカがフレグの先鋒として中東遠征に参加していた時、
モンケ・ハーン直属の武将として萬戸を率いて南宋遠征に参加し、釣魚山攻めで手柄を立てた人物だよ。
元寇の元軍が二線級の戦力なわけないでしょ。
それからキト・ブカが率いていた戦力については、集史に『五千の騎兵と歩兵』と言う表現もある。

366:名無し三等兵
08/01/15 17:04:39
・元軍は「機動力が発揮できなかった」=機動力が発揮できれば日本より強い

地政学上の有利不利や地形もその国の戦力です。
攻め込まれやすい地形と攻め込まれ難い地形で差があるのは当たり前です。
イギリスが島国だから弱かった事になるでしょうか?

「大陸」が島国型の兵備に負けたら「平原機動戦なら勝てる!」
「島国」が大陸型の兵備をしなかったら「平原機動戦なら勝てまい!」
こんなダブルスタンダードは有り得ません。


・元軍は「台風で負けた」=日本に負けた訳ではない

気象条件があるのが当たり前です。
突然の暴風雨や水不足・寒気の所為でどれだけの軍が滅んだか。
偶発性の「台風」でなくとも、日本では荒天は必然だった筈です。

元軍が九州制圧にどれだけの期間を見込んでいたのかは判りませんが、
「夜襲を恐れて船に戻る」戦況が続くとなれば来寇しなかった筈ですので、
短期間で九州を制圧可能と見込んでいたのは間違い無いでしょう。

この見込み違い(見込み違いを生じさせた高麗)が元軍の敗因であり、
更に言えばその見込み違いを生じさせたのは鎌倉幕府軍です。

「夜襲を恐れて船に戻る」戦況が短期間で大きく動いたでしょうか?
(短期間で終わらない限りは、必ず荒天が来るはずです)
台風の損害が船だけに限定され、地上兵力の損害が軽微だったとしても、
船が沈み補給が絶たれた状態で、九州を制圧可能だったとは思えません。

367:名無し三等兵
08/01/15 17:27:23
>>366
元軍が「夜襲を恐れて船に戻る」というのは史料の裏付けがまったくない俗説。
文永の役の元軍は「撤退するために乗船した」と明確に史料に書いてある。
弘安の役でも元軍は日本軍に連戦連敗で台風が来るまでの2ヶ月間逃げ回ってただけだし。
実際、台風の損害は船だけに限定され、地上兵力の損害は軽微だったけど、元軍10万以上は
日本軍の掃討戦で皆殺しにされちゃったのね。

368:名無し三等兵
08/01/15 19:50:15
>>365
文永の役の時、元の精鋭の大半は対南宋戦に投入されている。
問題なのは指揮官よりも率いていた兵力の内容じゃないかな?

集史の表現についてはサンクス。

369:名無し三等兵
08/01/15 20:10:38 Y/wjMWBD
>>368
それは事実だ。高麗征服は主力を南宋戦に派遣して一部を高麗に遣わし、
高麗はその一部にやられた。
だから韓国人の学者がほざいているような高麗人の抵抗でモンゴルはへとへとに疲れて日本が救われたなんていうのは全く事実無根。
しかし俺は中学時代教師にこの韓国人の大嘘を教わった。


370:名無し三等兵
08/01/15 22:47:34
>>354
そのしばらく前のレスを見て貰えれば分かると思うが
後世の加筆がなされてるのは、よく教科書等に取り上げられる部分

従って、元軍の集団戦法、鎌倉武士の一騎打ち、台風による勝利
という教科書どおりの解釈をしている解説は眉に唾をつけて見る必要がある

371:名無し三等兵
08/01/15 23:07:09 Y/wjMWBD
モンゴルは世界帝国で世界史にも大きな影響を与えただけに『蒙古襲来絵詞』は世界中の学者が研究対象にしている。
そしてイルハン国の史書「集史」の挿絵と細部にまで渡って一致している点が多く極めて価値が高い史料という形で史料批判はなされた。
しかし教科書に登場する3人の元軍兵士は他の鎌倉武士の集団騎馬攻撃に逃げ惑い、中には矢が刺さって死んでる兵士たちと色彩や冑など異なっているのでこの3人は後世の加筆で史料としての価値なしと判断された。

ひどいもんだよ。戦後の歴史教育。
世界中の学者の史料批判を経た史料の中で価値が高い部分を全部カットして無価値なところだけ載せて子供に嘘教えるんだから。


372:名無し三等兵
08/01/15 23:11:12
>>370
竹崎季長自身も筆を加えたそうですね
自身の額に刺さる矢や、ここの石垣は違う、こうだったとか
しつこく頑固な鎌倉武士の典型でしょうか、本当に興味深い人物です
こういう人物を映画化したものを見てみたい気もします

373:名無し三等兵
08/01/15 23:24:44
蒙古襲来絵詞の加筆説を検証した佐藤鉄太郎氏の本って、1万近くもするのね
学術書なら当たり前か……近くの図書館にあるかな?

どうでもいいけど、帝国海軍のあの人と同姓同名なんだな、通販サイトで著者が混同されてるぞw

374:名無し三等兵
08/01/16 04:24:15
>>366
>・元軍は「台風で負けた」=日本に負けた訳ではない

こういうふうに考えたい人って、今もいるのかね?
でも、結局日本に負けたわけで。


375:名無し三等兵
08/01/16 10:16:16
>>368
フレグの中東遠征も元寇も両方とも対南宋戦と同時に行なわれてるんだよ。
それなのに、元寇についてのみ対南宋戦を理由にして二線級の戦力なんていうのは
矛盾してるでしょ。

376:名無し三等兵
08/01/16 11:22:02 T7gv+h+C
元寇について一般的な知識しかない私には、このスレは本当に色々と
目を開かせてくれます。時々2チャンネルらしい、アカデミックでない
物言いをする人もいますが、ほとんどは熱心に歴史の事実を探求して
いる方たちですね。これからも更なる論争を期待しています。

377:名無し三等兵
08/01/16 12:27:18
>>376
読めば解ると思うけど、最初から結果ありきで議論を進めようとしている
カキコやしうろ覚えを元にした意見も混じってるから、真面目に受け取らない方がいいよ。
受け取る意見や資料も、自分で検証可能なものにとどめるのが賢明です。

ソフト麺食べてがんばってください。

378:名無し三等兵
08/01/16 12:27:29
元寇の目的のひとつに博多の壊滅があった可能性もあるのではないでしょうか
対南宋戦をすすめるうえでも数多くの宋商人による後方支援をしていた博多は目障りな存在だったことでしょう
住吉宮など寺社勢力が強く、海外事情にも通じた貿易商人が多かったのが博多の特徴でしょうが
その情報収集力や財力が武士団を支援した点も見逃せない感じがします


379:名無し三等兵
08/01/16 15:27:04
>>378

「元寇の目的」は興味深い所です。

モンゴル帝国は世界にまたがる大帝国でしたので、
日本と元だけの関係で考えると見誤りそうです。
文永と弘安では恐らくモンゴルの目的は別だったと考えます。

大局で考えると、モンゴルにとって大切だったのは
「宋攻略」が第一義と考えて間違いないでしょう。
(第ニ義としては、「世界制覇」がありますが)
大理(タイ)・安南(ベトナム)・吐蕃(チベット)を攻め、
四川側から壮大に宋を攻略してのけたのがフビライです。
前帝モンケも宋攻略の陣中で没していますが、
「宋攻略」へのモンゴルの執念は凄まじいものがありました。

私見ですが、当初、そして文永の役時のモンゴルの考え方は、「宋」を滅ぼす為に
周辺国(日本)との通商関係を裂き、宋を孤立化させるのが主目的だったと思います。
侵略侵攻が目的であれば、国書の文面に「不宣」(皇帝として命令している訳ではない)とし、
更に数次に亘って粘り強く交渉する必要などありません、即大規模侵攻が行われたはずです。

宋滅亡後の弘安の役の時点では日本侵略に目的が移っていたと考えます。
この時期のモンゴル帝国の運営方法して、降軍を用いて更に拡大を図る方法が、
帝国にとって非常に効率的だったのではないでしょうか?降軍をそのままにすれば
反乱の可能性がありますが、これを未然に防ぎ更に帝国の拡大を図る一挙両得です。
弘安の役の失敗後も日本侵攻が続けて計画されている事からも、
日本侵略を企図していた事が裏付けられるかと思います。

380:名無し三等兵
08/01/16 16:07:13
鎌倉幕府軍が弱かったら、日本は確実に負けてます。

「文永の役」でも「弘安の役」でも、元軍は日本到着までは成功してます。
即座に九州を奪えなかった=鎌倉幕府軍が強かった ではないでしょうか?

弘安の役後は、計画だけで実際に侵攻なんかして来なかった訳ですが、
「鎌倉幕府軍なんか簡単に勝てる!短期間で九州くらい楽勝!」という見込みを
元軍が持っていたら、暴風雨の季節を避けて渡海すれば良いだけですから、
何度でもすぐ侵攻して来たと考えられないでしょうか?

また、「北条時宗」にスポットライトが当たらないのが不思議です。
日本が侵略される未曾有の危機に断固として立ち向かった英雄です。
彼の様な人を「英雄」とすると、都合が悪い人々がいるとしか思えませんが…

381:名無し三等兵
08/01/16 16:33:50
>>16

今更だが読み返しててワラタw

382:名無し三等兵
08/01/16 17:16:10
「元軍」と言うが、主力は東路軍=高麗軍、江南軍=宋軍?
だとしたら、全くやる気なんかないよな?

モンゴル兵も、士気は低かったんじゃないかな?
簡単に楽勝で勝てるなら良いけど、苦戦しだしたら絶対帰ろうとする筈。

~想像~
遙か東の聞いたことも無いような島国で、夜は野蛮人が襲ってくる。
長期間不潔な船にギュウギュウ詰めで、シラミとか疫病出まくりで臭いわ汚いわ。
「現地のイイ女選び放題!」「好きに略奪してヨシ!」
「勝てば一生お大尽だぞ!」「行かなきゃ頃すけど?」
こんな事を上に言われても…なんとかして適当に切り上げて帰るだろ普通?

で、「ヨッシャ帰ろう!」とした所で暴風雨でアボーンしたのが真相か?
もしくは暴風雨で統制が解けた所で集団脱走したとか。

383:名無し三等兵
08/01/16 17:20:34
>>382
東路軍=高麗軍じゃないよ。
高麗軍は東路軍のごく一部。

384:名無し三等兵
08/01/16 21:06:31 eD4MRaRU
南宋だって高麗だってモンゴルに征服されていじけまくり。
こういう性根が卑しい連中はそれこそ次の侵略に大いに活用できる。
何故なら主に苛められてるから自分が苛められる奴を見つけるために。
大帝国の侵略と支配ってこんなもんだよ。
イギリスがインドを支配できたのはインドのカースト制によるところが大きい。
第2次世界大戦だって朝鮮人部隊の残虐は凄かった。
モンゴルに征服された連中が戦の士気が乏しいなんて簡単に決め付けられない。


385:名無し三等兵
08/01/16 21:21:38 7mfd+7iF
高麗兵の数は?
捕まった元の兵のうちいやいや来たと思われる南宋兵は殺さず奴隷にしたとか?


386:名無し三等兵
08/01/16 21:37:25 eD4MRaRU
>>385
いやいや来たって史料はどこかにありますか?
南路軍の司令官、南宋の名将といわれた男。
そんな将軍が士気の低いいやいや連中ばかりをつれて来たってそんな馬鹿げたこと信じられる?
物見遊山に行くんじゃない。戦争にいやいや行って負けたら待っているのは死か奴隷か。


387:名無し三等兵
08/01/16 21:41:19
創竜伝でガイエの主張では、
文永の役、弘安の役は日本軍は大したことはないとかいう論調だったような。
元を破った国は日本だけじゃなく多数あるというような感じで。

388:名無し三等兵
08/01/16 22:33:49
>>387
元に負けた国の方が圧倒的に多いような…

389:名無し三等兵
08/01/16 22:52:35
太平洋戦争末期のアメリカ潜水艦は
「攻撃準備完了」を「カントウセイシンオウセイナリ」
「魚雷発射!」を「トキムネ!」と信号していたようですね
「カミカゼ」という言葉を生んだ元寇をよく研究し、北条時宗をそれなりに評価していたのでしょう
時宗は若くして執権になったせいか、時頼に仕えていた家臣団からはよく思われていなかったのでしょうか

390:名無し三等兵
08/01/16 23:01:59
>>387
虚構の中の人物による評価を論拠に持ち出してどうする?
歴史小説ですらないだろ、あれは。


391:名無し三等兵
08/01/16 23:53:01
元が負けて船乗っ取って倭寇になった呉や越住民が多かったでFA

392:名無し三等兵
08/01/17 05:41:25 cvy1gxkr
面倒だから朝鮮半島の造船技術の欠陥のせいで
モンゴル軍は勝手に沈没しましたってことでいいよね(´・ω・`)

393:名無し三等兵
08/01/17 05:52:03
 ∧∧
<,,`∀´>
「汚らしいモンゴル軍の将軍を口先で騙してイルボンにおびき寄せ、
 船の欠陥を利用して始末してきたニダ。
 我ながら賢く誇らしい計略ですねホルホルホルホル」

   ∧ ∧
  <`∀´l|l>
「……で、大陸にいるモンゴル軍が怒ってウリたちの地元を燃やして
 暴れてるけど、ウリたちはどうすればいいニカ?」

 ∧∧
<l|l`∀´>
「い、今すぐ謝るニダ!ウリの船は強かったニダ!!史上最強ニダ!!
 負けたのはモンゴル軍が弱いからで了解スミダ!!
 アイゴー!!鞭で打つのはやめて欲しいニダ!!アイゴ~~~!!!11」

394:名無し三等兵
08/01/17 05:53:52 KvL8RB0y
>>1

実際のところはどうだったのだろうか?
答えは簡単である。当時にかかれた絵をみればわかる。

当時に書かれた絵を見れば解ると思うけど
元兵は騎馬戦で戦ってない。日本兵の方が馬にのっている。

また日本兵の武器が太刀と言うのは誤りだな。
弓矢を使用している

蒙古襲来絵詞
URLリンク(record.museum.kyushu-u.ac.jp)

395:名無し三等兵
08/01/17 06:31:02
う~む、やっぱり男女入れ替えは失敗かな
ファンとしてもイメージの問題があるからな
普通に俳優を探すとするか

396:名無し三等兵
08/01/17 07:52:47
>>390
創竜伝は歴史小説だし、
論拠になるだろ。

397:名無し三等兵
08/01/17 07:57:29
元に協力してた(させられてた)朝鮮が、元への復讐の為に、自分達ともども意図的に元軍を道連れにした


て何かで読んだ

398:名無し三等兵
08/01/17 07:59:18
>>396
ワロタw

399:名無し三等兵
08/01/17 08:05:23
>>396
創竜伝は歴史著述が多いからな。

400:名無し三等兵
08/01/17 08:13:32
400

401:名無し三等兵
08/01/17 08:43:19 vyZvjRGb
日本中世史オタは馬鹿が多いので嫌いなんだが
そんな頭の悪い君らでもとりあえずすぐに理解できることを書いてやろう

16世紀の後半、日本軍は朝鮮の侵略をはかりましたが
結局領地を残せず全軍撤退しました。つまりは日本人は朝鮮人に負けたのかね?

402:名無し三等兵
08/01/17 09:05:21
>>401
朝鮮人には負けてないよ。
秀吉の朝鮮侵攻の時、朝鮮は日本軍に速攻で完敗。
その後の朝鮮半島は明軍と日本軍の戦場になっていただけ。
だから明も秀吉も李氏朝鮮は亡国扱いで頭越しに交渉を進めたのね。

403:名無し三等兵
08/01/17 09:33:00 vyZvjRGb
慶長の役

目的 朝鮮を占領下におくこと
結果 目的を果たせず完全撤退、李氏朝鮮はその後も続く


404:名無し三等兵
08/01/17 09:34:15 vyZvjRGb
へー援軍を得ると戦勝国にならないのか
やっぱ中世オタは頭悪いなぁ

405:名無し三等兵
08/01/17 09:41:37
ていうか、「朝鮮人には負けてない」とかが
どうしようもなく情けない

406:名無し三等兵
08/01/17 09:54:16
第二次大戦で、ドイツ軍はポーランドの侵略をはかりましたが
結局領地を残せず全軍撤退しました。
でも、ドイツ人はポーランド人に負けたとはいわないよね。
それと同じ。
朝鮮も日本軍にボロ負けし、その後は戦場になっていただけ。

407:名無し三等兵
08/01/17 09:57:01
だって、ドイツはソ連の奥深くに踏み込んでから負けてるし。

408:名無し三等兵
08/01/17 10:00:43
日中戦争も日本の大勝利ですね^^

409:名無し三等兵
08/01/17 10:03:15
じゃあ元寇の勝利でいいよ
日本が朝鮮人に負けたことにされるならそれでいい

410:名無し三等兵
08/01/17 10:10:51
スレ違い過ぎる

411:名無し三等兵
08/01/17 10:13:13
朝鮮出兵を出してきたのはいい戦略だな

412:名無し三等兵
08/01/17 10:13:51
>>401
そもそもの目的は明国を占領することですよ
当時は「唐入り」と言っていました
日本は当時世界レベルで見ても最大最強と言ってよい軍事力を持っていました
朝鮮半島での戦闘では朝鮮の軍勢は簡単に撃破し、意外なほど容易に首都漢城を落としましたが
朝鮮には日本の軍勢を押さえられないだろうという危機感を持って駆けつけた明国の軍勢には苦戦しました
日本と明が半島を戦場として戦った戦役です

413:名無し三等兵
08/01/17 10:16:59
ところが慶長の役は朝鮮を占領することが目的なんだよな

414:名無し三等兵
08/01/17 10:17:00
戦争目的の達成・不達成で勝敗を決めるのも、あながち間違いではない。

直接交戦なしに朝鮮併合を果たしたのは、正に孫子的大勝利だろうな。

415:名無し三等兵
08/01/17 10:19:51
ってかそれが普通
フォークランド紛争はどっちの勝利だ?
戦争をハイスコア(被害額)を競い合ってるゲームと勘違いしてるんじゃないか

416:名無し三等兵
08/01/17 10:20:41
朝鮮出兵で日本軍は朝鮮の首都漢城を攻め落としたのに、元寇ではモンゴル軍と高麗軍と南宋軍が
束になっても九州に橋頭堡を築くことすら出来なかった。
同じ対馬海峡越えの軍事侵攻なのに。。。

417:名無し三等兵
08/01/17 10:39:52
フィンランドとソ連の冬戦争の様に、45万対16万の圧倒的な彼我差の中で、
ソ連に大損害を与える激戦の末、結局はソ連の大物量に押されて
要求を呑まざるを得なくなったが、あれは敗北か?
マンネルハイム元帥は「救国の英雄」なのだが。

「300」で有名なスパルタ軍は10万人相手に全滅したが、これも敗北?
「レオニダス(レオニード)」と言えば「勇者」の代名詞なのだが。

朝鮮がそんな「勇戦」をする姿を見てみたいな。
「三別抄」も首領の裴仲孫が裏切って自壊してるし、
勇戦してモンゴル軍に大打撃を与えた様子も無い。
戦争目的も戦闘内容も敗北ですよね?

418:名無し三等兵
08/01/17 10:55:39
負けを悟れない人間に成長はない
哀れなものを見てしまった

419:名無し三等兵
08/01/17 11:00:12
>>418
元寇でモンゴル軍が日本軍に完敗したって悟った?

420:名無し三等兵
08/01/17 11:00:21
戦争だからな。

清や明や唐から「援軍を貰える」のも当然戦争行為の一部。
例えそれが全く援軍に頼りきりであろうとな。

米軍と自衛隊の関係もそれに近いであろうし、
実際に「国土を防衛し、戦争を防ぐ」目的は達成しているので、
今の平和な不戦状態でも「戦争目的」を立派に果たしている。
合理的に勝利しているのだから、これで全く問題無い。

421:名無し三等兵
08/01/17 11:01:46
>>417の脳内では南北戦争は南軍が勝ったことになってそうだな

422:名無し三等兵
08/01/17 11:06:40
元寇に対して大打撃とか言っちゃうと
閑山島海戦で李舜臣に負けたのは相当痛いわな

423:名無し三等兵
08/01/17 11:10:32
マウントポジションでボコボコにしてたら、
ヘヴィ級のパパが加勢して来た感じか?

さして殴られないで生きて帰っただけで充分だ。


マントポジションでボコボコにされてた奴を
世間は「負け犬」と呼ぶだろうがな。

424:名無し三等兵
08/01/17 11:11:59
とまあこのレベルで君は戦争を語ってたわけだ

425:名無し三等兵
08/01/17 11:15:28
戦争を単純な殴りあいに例えるとはあまりにもゲーム脳

426:名無し三等兵
08/01/17 11:15:52
秀吉の朝鮮出兵について語りたければ、そのスレが軍版にあるでしょ。
ここは元寇のスレなんだから、13世紀の日本のモンゴル・中国・朝鮮に対する
輝かしい勝利について語ろうぜ。

427:名無し三等兵
08/01/17 11:22:00
朝鮮出兵が出てきたのは逆バージョンを提議することによって
元寇についての主張の矛盾点をつくためだろう
つか面白いからもっとやれ

428:名無し三等兵
08/01/17 11:23:15
元寇についての主張の矛盾点って何?

429:名無し三等兵
08/01/17 11:38:50
てかね。

朝鮮出兵文禄の役の撤退理由って知ってますかね?
別に明の援軍のせいじゃないですよ。補給が上手くいかなくなったからです。

じゃあ何で補給が上手くいかなくなったのでしょうか?
それは陸上輸送部隊が朝鮮人のゲリラに襲われたからです。

何で海岸輸送を積極的におこなわなかったのか?
そりゃ朝鮮人の提督に海戦で負けたからです。

日本人は朝鮮人に負けたの?
まあ完璧に負けですな。

430:名無し三等兵
08/01/17 11:44:31
>>429
明史にはそう書いてないぞ。
朝鮮軍も明軍も日本軍に勝ち目はなかったが、秀吉が死んだお陰で戦争が終わったと書いてある。
それが当事者たちの認識。

431:名無し三等兵
08/01/17 11:49:18
文禄の役と慶長の役の違いも知らんのか


432:名無し三等兵
08/01/17 11:52:58
>>431
文禄の役では朝鮮から撤退してないじゃん。
日本軍は朝鮮半島に居座ったまま。

433:名無し三等兵
08/01/17 11:54:24
>>429

              ☆ チン     マチクタビレタ~
                         マチクタビレタ~
        ☆ チン  〃  ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
          ヽ ___\(\・∀・) <  ソースまだぁ~?
             \_/⊂ ⊂_ )   \_____________
           / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /|
        | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |
        |           |/


434:名無し三等兵
08/01/17 11:55:29
文禄
目的 明征服
結果 補給が滞り撤退

慶長
目的 朝鮮征服
結果 明の奮戦、秀吉の死により完全撤退

435:名無し三等兵
08/01/17 11:59:00
>>429
何で日本軍が朝鮮半島に居座ったままなのに「完璧に負け」なの?

436:名無し三等兵
08/01/17 12:00:59
日本が勝つためには備えのない文禄の役で一気に決めるしかなかった
それが出来ず敵に備える機会を作り最終的には完全撤退

437:名無し三等兵
08/01/17 12:04:55
朝鮮出兵を出したのは逆バージョンを提議することによって
元寇についての主張の矛盾点をつくためなんでしょ?
何時になったら元寇についての主張の矛盾点が出てくるの?

438:名無し三等兵
08/01/17 12:07:21
しらないよ
実際そうなのか真意も知らないし

439:名無し三等兵
08/01/17 12:08:59
完全に撤退することになるから「完璧に負け」なんじゃないの

440:名無し三等兵
08/01/17 12:11:39
でも、文永の役では完全に撤退してないんだから「完璧に負け」じゃないでしょ。
「完璧に負け」ってのは元寇のモンゴル軍みたいなのを指す言葉。

441:名無し三等兵
08/01/17 12:12:52
>>440の「文永の役」は「文禄の役」の間違い

442:名無し三等兵
08/01/17 12:13:08
秀吉が死=台風
鎌倉武士の奮戦=明の奮戦


443:名無し三等兵
08/01/17 12:17:50
文禄と慶長は全然別の戦争って分けじゃなくつながってるんだが?
朝鮮出兵で朝鮮兵は大いに活躍し結局日本は完全に撤退することとなった
つまり朝鮮人は勝利し日本人は完璧に負けた
なににつっかかっているのやら

444:名無し三等兵
08/01/17 12:20:16
朝鮮出兵は秀吉の死がなくてもこの後戦線を維持することは困難だったろう
元寇は台風がなくても抑えられたかどうかはわからないな

445:名無し三等兵
08/01/17 12:20:20
>>442
朝鮮出兵で日本軍は秀吉が死ぬまで朝鮮南岸に拠点を確保していたし、漢城や
平壌を占領したこともある。
でも元寇の元軍は台風が来るまで鎌倉武士に歯が立たず逃げ回ってただけ。
海岸から10キロちょっとの大宰府に到達することすら出来なかったでしょ。

446:名無し三等兵
08/01/17 12:23:33
そりゃ時代の差航海術武装の差があるから単純比較するのは危険だな

447:名無し三等兵
08/01/17 12:27:43
やっぱこいつゲーム感覚で語ってんなぁ
「俺は3200点でゲームオーバー、友達は2200点だから俺の勝ち」てのじゃないんだけどね。

448:名無し三等兵
08/01/17 12:29:30
>>446
朝鮮出兵で日本軍は上陸してすぐに釜山を攻略したけど、元軍は文永の役でも
弘安の役でも上陸後すぐに撃退されてるじゃん。
航海術云々はまったく無関係で、陸戦で日本軍よりも弱かっただけでしょ。

449:名無し三等兵
08/01/17 12:41:12
>>447
戦争の犠牲者は一人でも少ない方が良いと考えるのは当然でしょ。
国土全部を戦場にして何年もかかって敵を撃退するよりも、敵に橋頭堡を築かせないまま
短期間で撃退した方が遥かに優ってるという認識のどこに問題がある?

450:名無し三等兵
08/01/17 12:52:08
醜い搾取を行っていた李氏朝鮮の王族や貴族たちから
朝鮮人民を解放した側面も見逃せないところですね
国家を見限った朝鮮人民は相手が日本軍であれ明軍であれ朝鮮軍であれ略奪を繰り返しました

451:名無し三等兵
08/01/17 14:10:55
>>447

彼我の損耗比も大事な要素だが?

勿論最終目標の達成を目的として全ての軍事行動は行われるが、
「我の損害を最小に抑え、彼の損害を最大にする」のも目標の一つ。
ほぼ全滅に近い大損害と、整然と撤退したのでは異なる。

また「国土の防衛」が守勢側の最終目標だったとするならば、
朝鮮は国土のほぼ全域を蹂躙されており、これに失敗している。
日本は壱岐対馬と九州の一部を蹂躙されたが、ほぼ全土の防衛に成功している。
戦争で失った「被害」もいずれが大きかったかは明白。

452:名無し三等兵
08/01/17 15:08:46
秀吉の失敗は譜代にやらせたこと
外様の家康や伊達にやらせりゃよかった

453:名無し三等兵
08/01/17 17:45:20
>>387,>>396に誰も反論できないかw

454:名無し三等兵
08/01/17 18:04:13
必死すぎてワロタw

455:名無し三等兵
08/01/17 18:12:32
だなw
>>387,>>396に誰も反論できていないしw

456:名無し三等兵
08/01/17 18:55:00
創竜伝?釣りか?

457:名無し三等兵
08/01/17 19:40:18
そういや、創竜伝の竜堂兄弟って、
今日が誕生日の設定だったような。

458:名無し三等兵
08/01/17 19:44:50
で?

459:名無し三等兵
08/01/17 20:36:13
で、ガイエの主張とは?

460:名無し三等兵
08/01/17 21:50:38 aMPDB4ac
なんか朝鮮っていつの時代も負け犬だな。

461:名無し三等兵
08/01/17 22:45:25
そのうち「ヤン語録」とか持ち出してきそうだな。

しかし地理的な位置関係が原因で(それだけじゃないだろうけど)、
属国、衛星国家、併合、内戦、分裂とかの憂き目にあってるわけで
災厄続きだね。

462:名無し三等兵
08/01/17 22:48:03 UNwvk/Kt
丁寧に史料を提示してくれる人と、自分の思い込みだけを語る人のギャップが凄くて笑った。


そんな中で、>>8を讃えたい。


463:名無し三等兵
08/01/17 22:53:57
>>230は神経症か何かか?

何百年も前の戦争の勝利を言うことに、何を怯えているんだw
これがサヨク思考なのか??
ナイーブというのか、外国マンセーなのか、思考回路が全く理解できない

464:名無し三等兵
08/01/17 23:11:49
規制解除があったからかな
最近遠投レスが多いよね

465:名無し三等兵
08/01/18 00:40:33
アカ狩りをやらない限り日本の歴史学会は腐ったまま。

466:名無し三等兵
08/01/18 08:04:41
>>455
日本以外のモンゴルに勝った国って元寇よりも一桁や二桁少ない兵数のモンゴル軍に勝っただけ。
それも国土を散々蹂躙された末にやっと撃退とかね。
文永の役や弘安の役の圧勝と比較すれば全部大した事ないものばかり。

467:名無し三等兵
08/01/18 17:38:01
やっぱ島国は負けにくいけど勝つのも難しい

468:名無し三等兵
08/01/18 17:46:09
>>467
そんなことない。
イギリスも島国だけど何度も大陸に征服されている。
日本が例外なんだよ。

469:名無し三等兵
08/01/18 17:58:57
ドーバーと対馬じゃ大違いだと思う
イギリスからフランス見えるんだろ

470:名無し三等兵
08/01/18 18:20:49
>>469
1016年にイングランドを征服したクヌートは遠くデンマークから北海越えて侵攻したんだし、
1066年にウィリアム征服王が渡ったのはドーバーではなくイギリス海峡。
イギリス海峡は100キロ位あるし、北海に至っては対馬海峡より遥かに距離が長い。

471:名無し三等兵
08/01/18 18:55:21
へーそうなんだ
でも、そのあと海峡を最大限に利用して帝国作ったんだしなあ
デンマークをロシアドイツの門番
オランダをドーバーで締め上げってなかんじで
征服される前のケルトやローマの占領民ってどれくらいいたんだ?

472:名無し三等兵
08/01/19 07:50:51
>>227
じゃあイタリアは強いんだ!

473:名無し三等兵
08/01/19 07:55:29
>>470
一度甘い顔をすると敵はとことんつけこんできますからね
当時のイングランド人はクヌートに貢物さえくれてやれば平和が守られると思っていたのでしょう
そういう意味では断固として元の要求を拒否した鎌倉の決断、そして侵攻軍を迎えこれを打ち破ったことは
後の明などによる日本侵略を抑止したという点で、その後の日本の歴史においても大きな影響を持ち続けたということになりますね

474:名無し三等兵
08/01/19 13:10:54
>>472
どの時代のイタリアを指しているのか分かりませんが
古代ローマなら世界最強クラスですし、
WW2ならば同胞で殺しあう羽目になっているので「うまくやった」とは言えませんね

475:名無し三等兵
08/01/19 14:17:12
元寇もひどいが、古代日本史もひどい。何人の天皇を実在しないことにして闇に葬れば気が済むのだろうか?
根拠もなく


476:名無し三等兵
08/01/19 18:11:54 vmJ8u2Ct
高麗がモンゴル(中国基盤政権)にけしかけて始まったのが元寇なんだよな。
50年後くらいにありえなくも無い話だな。

477:名無し三等兵
08/01/19 18:46:43
>>476

あの国は「常に緩衝地帯」にしておかないとな。
統一朝鮮が中国と日本のどちらに味方するかは明白。
韓国の小学生に日本の絵を書かせると、日本が燃えてるか沈んでる絵を描く。

478:名無し三等兵
08/01/19 19:22:01 DYQr8kE8
日本のゆとりは韓国の絵なんて描けないんだから笑えない

479:名無し三等兵
08/01/19 20:36:35
>>477
でもそのガキ共は日本の漫画とアニメとゲームに夢中なんだよねえ。
なんかいろんな意味で可哀想な連中だ

480:名無し三等兵
08/01/19 20:41:35
>韓国の絵なんて描けない

Q.嫌いな国に対する対応

1.殴る
2.甘い顔してだます
3.無視して、物資人材の移動を遮断して孤立させる

俺が、3.に気付いたのは22歳ころかなぁ。
敵を知ることは、敵に利益を与える「利敵行為」

Q.ネズミ(嫌いな動物)を駆除したい。

1.活きのいい家畜(ライオン)は、ネズミの拠点を見つけて食った。(そしておなかを壊したとさ、チーン)
2.頭のいい人間は、家の前に糞をするネコをネズミの巣に入れた。ネコとネズミ両方を始末して一挙両得

2.に気付いたのは20歳だったかな。

481:名無し三等兵
08/01/19 21:00:41
1.殴る
2.甘い顔してだます
3.無視して、物資人材の移動を遮断して孤立させる

人生経験からどうなるか。

1.→敵にデータ(殴り方、思考、拳の形、拳の強度、他沢山)を取られる。証拠が残る。日和見の第三者の疑心暗鬼を招く。

2.→証拠が残る。日和見の第三者の疑心暗鬼を招く。

3.→証拠はどこに?孤立させられた側が最初の1発を撃ったら、「悪役」になる。孤立させられた側が何もしなくても、勝手に「消耗・自爆」する。第三者は、別に気にしない。

まぁ、孤立の怖さを知りたかったら、服も水もなしに「穴」の中に6時間でも入ってみろ。

482:名無し三等兵
08/01/19 21:32:37
>>478
ヒント
普通の日本人は韓国に興味がない

483:名無し三等兵
08/01/19 22:43:37
興味がある日本人は嫌韓になるな
知れば知るほど嫌いになる国だから

484:名無し三等兵
08/01/19 23:00:07
私はいわゆる「韓流」で韓国についていろいろ調べてから嫌韓になりましたね
とくに韓国の歴史を勉強しようとして手にした在日の歴史学者?の著書を読んで呆れ果てました
「高麗がサボタージュしたおかげで日本は元に征服されなかったのである
日本人は子々孫々にわたるまでこの恩を忘れてはならない」
物凄い違和感を感じた部分です
韓国生まれで日本に来た小学生をひとり知っていますが彼女はセーラームーンが日本のアニメであるということを認められず
それが本当であることを知ったときかなりショックを受けていました
日本=韓国のパクリばかりやる国という認識だったのに、それが真逆であるという現実を突きつけられ
いまだに混乱しているようです

485:名無し三等兵
08/01/20 01:53:13
あーなんかわかるなそれ。中国の留学生と話したとき「上海がアジアで一番の大都市」と
教えられて育ったので東京に来たとき本気で驚いたよとか言ってた。笑ったのはその話を聞いてた
韓国人留学生のセリフで「私もソウルが一番だと言われてたんでそう思ってた」。その後その二人が
「いくら電車で走っても街がとぎれない」とか「ベンツが凄く多い」とかどこの田舎から来たんだよ的な会話で盛り上がりw

でも「国の束縛がほとんど無いからとてもいい国だよね」って二人がうなずきながら言ってたのが一番印象的だった。
統制思想を強制して闇の部分が多い韓国・中国に較べたら日本はやり放題に見えるみたいよ。

486:名無し三等兵
08/01/20 08:13:18
>>485
最後の台詞、深いねえ。

487:名無し三等兵
08/01/20 09:20:40
>>485
たまたま日本の、それも東京が世界一なだけで、
日本人でも地方都市の人は東京来て驚くだろうね。

488:名無し三等兵
08/01/20 12:28:10
日本語変

489:名無し三等兵
08/01/20 14:44:12
「いくら電車で走っても街がとぎれない」のはアメリカやヨーロッパの人間も驚くらしいな
あっちだと鉄道って基本的に都市と都市を「都市じゃない場所を走って」繋ぐものだから
東海道あたりの、別の都市へと移動する道程にも町並みが延々と続いてるってのは
かなり奇妙に写るらしい

490:名無し三等兵
08/01/20 14:57:44
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   ( `ハ´)                                   ∧__∧
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  (つ´゙(#   ) ……ねえよ
  | 'ヽ、    ノ
  ヾ ィ゙  , O)
   ~"(_) 、__)

491:485
08/01/20 16:31:18
>>486
ほんと心から出たセリフって感じだった。
その後自国の悪口が始まったんだけど韓国で学生運動やってた知り合いが秘密警察みたいなのに誘拐された話とか
中国が日本に就労ビザや留学生として送り込んでるスパイの話とか日本人には現実感のない話してたよ。

492:名無し三等兵
08/01/20 17:34:19
大陸の国だと、何も無い地域に都市が出現し、また延々と何もない中を延々と進むと次の都市が現れ・・という風景。
日本だと、山で区切られた少ない平地に人が密集し都市を形成し、山を越えると次の都市が出現するという具合。
関東平野は日本最大の平野だからそれはその分でかい都市が作られている。


493:名無し三等兵
08/01/20 19:58:28
元寇当時で賑やかな日本の都市はやっぱり京都?

494:名無し三等兵
08/01/20 21:15:12
萌え絵だらけの歴史的武器の本を読んだら

日本の弓は合成弓なのは良いが
腱やニカワなど、動物性材料を用いなかったため
どうしても弾性に乏しく射程で劣った

とか書いてあった

弓の大きさを考えても日本の弓の方が飛ぶ筈だ、という説は多い
それをこのように反論した例は初めてだ

打ち比べて検証すべきではないのかな

495:名無し三等兵
08/01/21 09:44:50
今まで見たことない火薬兵器で混乱したのは確かだろうけど、1人ずつ名乗り出てたら
途中で元軍に囲まれてフルボッコにされたなんてギャグみたいな展開は無かっただろう。
当時の武士って棟梁を頂点として血縁や郎党がいて一個のグループだったから
個人戦闘といっても文字通り1人1人が名乗りあって戦ってたんじゃなくて
各武将達が各々のグループ毎に戦ってて全体の軍としての統率は取れてなかったってことじゃないの?
名乗りを上げるってのも、あれって軍記物の物語上1つの演出で
実際は名乗ってる暇なんてなかったと思う。
当時頻繁にやってた夜討ち朝駆けなんか名乗り上げてたら奇襲する意味ゼロだし。

ただワールシュタットの時みたいなだだっ広い平原で会戦してたら
間違いなく東欧連合軍と同じ運命を辿ってたと思う。
でも実際はそんな状況になる前に波打ち際で撃破されるか、
仮に上陸に成功しても、戦線伸びきったとこでゲリラ戦仕掛けられてあぼーんだったかと。

496:名無し三等兵
08/01/21 10:27:15
>>495
1人ずつ名乗り出てたら元軍に囲まれてフルボッコにされたなんて話は、資料的な
裏付けが全くない作り話。
実際はその反対。
鎌倉武士は組織力でモンゴル軍よりも優っていたから元寇で圧勝できた。
元史に書かれている文永の役失敗の最大の理由は元軍側の「官軍整わず」だからな。


497:名無し三等兵
08/01/21 12:27:17
高麗・元の軍勢を博多湾まで手引きしたのはやはり朝鮮人商人なのでしょうか?
軍勢は博多湾の地図などを持っていたのでしょうか?

498:名無し三等兵
08/01/21 16:32:31
>>497
耽羅(朝鮮半島南岸の済州島)の人間がフビライのために博多湾の地図を描いて
「大宰府に侵攻するためには2~3万の兵力が必要」と進言したという史料がある。

その他に、日本に使節として来た趙良弼とかも大宰府周辺の地形とかを詳しく
調べてフビライに報告してるから、高麗・元の軍勢は事前にかなり詳細な情報を
得ていたはず。

499:名無し三等兵
08/01/21 18:33:55
>>494
そんなのだいぶ前にこち亀でも解説されてるぞ。上長下短で射るのが難しいとか

500:名無し三等兵
08/01/22 09:19:46
歴史群像シリーズの北条時宗では同じ筋力の射手が使用した場合、弦の素材や
矢の品質で優る和弓の方が、モンゴルの弓より飛距離や命中率が高いという
解説だったな。

501:名無し三等兵
08/01/23 16:57:24
弓のひき方が違うから、上から下に落とすようにする和弓の方が、同じ腕力の人でも肩の筋肉の分、モンゴル弓より強い弓をひけるんじゃないの?

502:名無し三等兵
08/01/23 23:30:00
武器の優劣って最終的には「実戦で勝った方の武器が優れてる」と考えるしかないんだよね

503:名無し三等兵
08/01/23 23:51:23
>>502
それは極端すぎる考えだな。敗れた側でも良い武器使ってる事がある。

504:名無し三等兵
08/01/27 13:40:27 3s5NrjfZ
蒙古弓はサイズの割には威力があるということであって、和弓と比べて威力があるという事実はない。
蒙古弓と比較するならば、半弓だろう

505:名無し三等兵
08/01/27 19:43:41
現代の洋弓と和弓では、洋弓の方がよく当たるとは聞いたことがある。
威力はともかく、難しいのかな。

506:名無し三等兵
08/01/27 20:04:50
>>505
西洋や中国の弓は、中央の部分を握って矢をつがえる
日本の弓は、中央より下の部分を握る

この位置を握ると、手にかかるショックは最小になるのだが、的に当てるのにかなりの技術が必要になる

魏志倭人伝にも、倭人の弓の使い方に関する記述があるくらいで、こういう握り方をするのは世界的にも珍しいらしい

507:名無し三等兵
08/01/27 20:38:56
いや、日本の弓は長いから中央を持つと下側が地面につかえるだろ

508:名無し三等兵
08/01/27 21:14:29
>>507
イングランドのロングボウも長いが、普通に真ん中を握るぞ

509:名無し三等兵
08/01/27 21:42:30
>>508
ロングボウ
4-6フィート(1.2-1.8メートル)

和弓
全長は七尺三寸(約221cm)を標準

510:名無し三等兵
08/01/28 00:04:13 KeStOezl
和弓の経験しかないけど遠距離までよく飛ぶんです。

511:名無し三等兵
08/01/28 03:24:17
弓道部の1m40ぐらいの女の子が使ってた弓もでかかったなあ。全然的に当たってなかったが

512:名無し三等兵
08/01/28 12:45:45
和弓と洋弓だと、上下だけじゃなく左右についても

和弓:中心より右
洋弓:中心、あるいは中心より左

に矢をつがえるという違いがあるけれど

513:名無し三等兵
08/01/28 18:11:12
弓の話で「騎射」が気になったのでまとめてみた。

モンゴル/複合短弓/軽騎兵運用
〇「軽騎兵隊が機動力を使用し、主に重装歩兵を弓で攻撃」
受ける側は、騎兵か弓兵でしか対応出来ず、
有効な兵科での反撃が出来ないと全滅する。
(元寇では軽騎兵の兵科運用は出来ていない?)

日本/長弓/兵科運用ナシ
●「地形的に細分化された軽装歩兵を少数隊で近接弓射撃」
当時は頭立った者しか騎馬には乗っていなかったと思われる。
(農耕民族では騎射三物等での騎馬兵育成に訓練時間と経費がかかり過ぎる)

・長弓騎射は弓が長大すぎて射角が「ほぼ横方向」に限定される
・長弓騎射は中長距離での命中精度が低い=集中運用が必要だが不可能
流鏑馬に見られるような極短射程、かつ少数騎で元軍の弩や複合弓を相手に、
日本側が騎射戦術を多用したとは考え難い。

時代が下がった戦国時代には「騎馬隊」としての運用もあった?が、
この当時に、大規模な弓装備の軽騎兵運用があったと思われない。

元軍も、多数の「戦闘に使用できる馬」を揃えられず、
日本には重装歩兵が無いため、最も有効な戦法が発揮できなかったと思う。


蛇足だが「元軍」は中国兵(重装/軽装歩兵)主体だったと推量するのだが…
(流石に島国に騎兵主体の軍を派遣しないのでは?長江以南の南宋戦役の間、
騎馬隊使用の大勝利は無く、歩兵主体での水戦・攻城戦の連続だったはず)

514:名無し三等兵
08/01/28 23:37:57
>>507
縄文時代の弓は160センチ程度だったらしいが、当時はどういう握り方をしているのか気になるな
魏志倭人伝に書かれている時代の弓は、既に人間の身長を超すサイズだし

515:名無し三等兵
08/01/29 10:26:10
>>513
元寇の時代、日本の合戦の主戦力だった御家人は全員弓騎兵だよ。
騎馬兵育成に訓練時間と経費がかるからこそ、それが可能だった武士が日本で
絶対的な武力を持った存在として、支配階級に上り詰めることができたのだ。

それから、流鏑馬が現在の様な横方向へ射るスタイルになったのは江戸時代から。
鎌倉時代は騎射と言えば「追い物射」、つまり逃げる敵を追いながら前方へ
射撃することだった。
文永の役の際に少弐景資が語った作戦も、蒙古軍が寄せ来たところを、全軍で
追い物射によって迎え撃つというものだった。
これが、実際に文永の役で武士たちが戦ってる様子ね↓
URLリンク(www.lib.kyushu-u.ac.jp)
URLリンク(www.lib.kyushu-u.ac.jp)

元寇は、弓騎兵として鎌倉武士の方がモンゴル騎兵よりも優っていたから
勝利したんだよ。

516:名無し三等兵
08/01/29 18:31:45
鎌倉期に騎馬(侍)以外の歩兵がどの程度だったか?
「御家人」が騎兵なのは解りますが、全国総数で500人弱で
その郎党(侍)や非御家人を入れていけば数では確かに数万になります。

また源平~鎌倉で、戦記に普通に数万~数十万「騎」と記されており、
歩兵戦闘の記述があまり無い事から、「鎌倉武士」=「騎兵中心」で、
郎党(侍)より下の歩兵は積極的に戦闘していなかったとも考えられますが、
この時代だけ歩兵が存在しないのは非現実的ではないでしょうか?

戦闘では槌「打撃」と金床「拘束」が必要ですが、
騎馬隊に騎射され続けて逃げない敵など考えられません。
敵の動きを止める歩兵がいなければ必ず逃げられる筈です。

義経に見られるような将クラスの有力家門の馬廻り郎党衆や
東国中心に「牧」を持つ地域は騎馬の部隊もあったかも知れませんが、
換馬や荷駄を運ぶ家人が随伴しただけでは恐らく戦果が薄すぎます。


律令時代~国衙時代の「軍団」は歩兵の比率が高かったですが、
以降の「健児」では郡司の子弟を中心に騎兵の比率が高く、
南北朝~で今度は足軽歩兵の比率と動員兵数が急激に増えます。

戦国になると「備」と呼ばれる部隊編成が行われ始めましたが、
弓・槍・鉄砲・騎馬(全侍)・荷駄等に分かれて「侍」階層だけが騎乗でした。
(「本陣備(中核部隊)」等に多数の騎馬を集中させる事はあったようです)
鎌倉当時も騎馬の比率が高いにせよ、これと似た構成ではないでしょうか?

517:名無し三等兵
08/01/29 18:32:47
>>513
和弓はあの長さなので「前に射る」のを想像すると、
馬体と馬首が相当邪魔になるのではと思われがちですが、
「前方射・押し捩り(パルティアのような後方射!)・馬手射」等の用語があり、
「X鞍に座ったまま射る」のではなく、「〇鞍から立ち上がって射る」
やり方をしていたようです。(和弓の下が短いのはこの意味も)
那須与一が遙かな船上の扇の的を馬上から射抜いた例もあります。

518:名無し三等兵
08/01/30 14:58:47
日本の歴史上の軍制とか兵器とか戦闘教義って、
研究してるスレありませんでしたっけ?

無ければスレ立てしても良い?

そうやって西欧・中国と比較してみないと、
本当に日本が強かったのかわからないし。

519:名無し三等兵
08/01/30 15:06:08
>>518
どれぐらい捜した?、又は、図書館とか通って文献調べた?
まさか思い付いて5分や10分じゃないよな?

>日本の歴史上の軍制とか兵器とか戦闘教義って、
図書館に行けばある。
ネットでも捜せば見つかる。

最低でも一ヶ月は自分で悪戦苦闘して捜せ、思いつきでスレ立てるな。


520:名無し三等兵
08/01/30 18:58:16
ハルジー朝のことも思い出してやってください。


>>505
アーチェリー(洋弓)やってるけど、命中精度は和弓よりずっと高いよ。
そもそも弓道(和弓)は“的に当てる”競技で、アーチェリー(洋弓)は“的の真ん中に当てる”競技だから。
それにアーチェリー(現代の洋弓)は命中精度を高めるために弓に色々つけたり、矢の硬さやポイント(鏃)の重さとか調節したりして、当てることに全精力を傾けているから昔の弓とは別物だぞ。比べる方がおかしい。
現代ので比較するならモンゴルの弓(正式な名称は忘れた)とか韓国の国弓と比較しないと。

まあ、昔の弓だったら和弓は結構優れていると思うが。少なくともヨーロッパのロングボウなんかよりはずっと良い。

521:名無し三等兵
08/01/30 21:22:36
>>518
この時代の武士の戦術などについて知りたいなら、お勧めは近藤好和の「弓矢と刀剣―中世合戦の実像」だな。
もう絶版だけど図書館なんかには置いてあるだろ。
主に源平合戦について考察した本なんだけど、笑っちゃうのは武士が集団戦法で戦う様子を描いた史料として
蒙古襲来絵詞を載せてること。
日本史研究者って、国内戦争の源平合戦と東アジア相手の対外戦争である元寇とで、平気で矛盾する説明を
使い分けてるのね。

522:名無し三等兵
08/01/30 22:13:22
>>521
「日本史研究者」という単独の人格がある訳じゃなし。それとも近藤氏=日本史研究者という
意味なのかい?

523:名無し三等兵
08/01/30 22:26:42
>>522
試しに最近書かれた源平合戦時の戦術についての本を何冊か読んでみれば?
中世の武士が一騎打ち戦法で戦っていたなんてことはありえないってのが常識。

524:名無し三等兵
08/01/30 22:54:32
>>523
悪いが、それくらいのことは知っているよ。じゃ、具体的に

>国内戦争の源平合戦と東アジア相手の対外戦争である元寇とで、平気で矛盾する説明を
使い分けてる

なんてことしている学者の名前でも挙げてくれないかな。俺が言っているのは最後の2行に
ついてだから。

525:名無し三等兵
08/01/31 00:21:33
>>524
中世合戦の本では、武士の一騎打ち戦法は否定されているのに、元寇関連の本には中世の武士は
一騎打ち戦法しか知らなかったと書いてある。
これって、日本史研究者は国内戦争と対外戦争である元寇とで、矛盾する説明を使い分けてるって
ことでしょ。

526:名無し三等兵
08/01/31 01:45:37
>>519

1ヶ月ロムれ!って定番で返されてもね…
ググれば充分な内容を質問してる訳じゃなくて
「そういう議論の場がいるかどうか?」ってだけだ。

研究書読めば如何にも判るようなセリフだが、
騎兵運用だけでも未だに異論反論が凄まじいぞw
騎馬民族日本征服説みたいな論破され尽くした説もあるが、
換え馬が無ければおかしいとか、馬体が小さかったかどうかとか、
武田騎馬隊なんか存在しなかったとか、下馬して戦ってたとか、
俘囚の弓射騎兵への影響とか、「教科書に無い」事は「定説」になってない訳だ。
しかもこれは歴史学の研究成果であって、軍事史学の学会なんかどんだけ寒いか。

527:名無し三等兵
08/01/31 02:21:00
元寇一つ取っても軍事学の見方からすると、
日本側は文永役の教訓を生かして、
弘安役ではその戦闘教義も変化させ、
防塁を築き、部隊編成や戦闘方法も一変させた。
当然元側でも文永役の教訓を元に弘安役を行ったはずだが、
こうした考え方は歴史学はしようとしないし、
勝因と敗因の分析も内線防御とか機動と言った見方では行わない。
元寇の教訓を日本の防衛に役立てる事もない。

528:名無し三等兵
08/01/31 02:51:56
たった一日で元軍を撃退した文永の役も普通に日本軍の圧勝なんだけどな

529:名無し三等兵
08/01/31 09:16:52
当時の日本にはまともな海軍はなく、海上の相手には小舟で切り込みかけるゲリラ戦法がせいぜい
大打撃となると自然の力が必要だった
台風がなくて継続攻撃かけられてたら歴史が変わったかもね
この偶然がカミカゼが困ったら吹いてくれるさという困った考えになってしまうわけだが

530:名無し三等兵
08/01/31 09:28:30
>>528

そしたら大苦労して防塁なんて作らなくね?

元軍の歩兵も弩や弓を装備していたし、
特に宋は騎馬民族との戦いの中で、弩の性能と用法を強力しており、
連射こそできないものの、集団で待ち受けて一斉射撃するので、
鎌倉幕府軍の弓射騎兵も射程内に入れば一瞬で大損害を受ける。
弩の弱点を突いて散開して波状的に攻撃するしかないが、
味方の数が少ないとそれだけ狙われるので近寄りにくく、
敵に与える損害も小さくなってしまう。

昼間は間合いと装填速度を経験で学びながらチクチクやって、
弩弓が使えない夜間に斬り込み攻撃するのを繰り返して、
常に機動して損害を軽微に抑えて包囲されるのを避ける。
これだと味方は絶対大敗しないし、逆に敵は包囲殲滅による
勝利の可能性も奪われて「士気」と「戦意」はガタ落ちになる。

ただ昼間に敵が大軍で一斉に移動するのを止めるのは、
やはり防塁が無いとどうやっても難しいだろう?

531:名無し三等兵
08/01/31 09:32:55
防塁とそこで戦った武士たちに感謝ですね、近所の防塁跡へ今からジョギングしに行きます

532:名無し三等兵
08/01/31 09:34:30
文永の役では博多焼かれて批判されたからな。
それに防御施設があるのとないのとでは味方の損害に雲泥の差がでる。
戦域と被害を局限するという意味では大きかった。

533:名無し三等兵
08/01/31 09:34:40
>>529
スレも500過ぎてるのに、こんなレスを書けるお前が凄いよ。

534:名無し三等兵
08/01/31 09:37:10
しかも元軍は矢が補給できず、「弾切れ」を起こしたら、
退却するか全滅するかになる…実際そうなったようだが。

535:名無し三等兵
08/01/31 09:55:02
矢が無くても突っ込め、とかいわれなかったの?
だったらWWⅡの日本兵よりマシな扱いだったな

536:名無し三等兵
08/01/31 10:09:43
湾を延々と埋め尽くす大船団
元軍の千人単位の一斉射撃と黒々とした矢の嵐
矢羽が風を切る音の中で騎馬を乗り回す華やかな鎧武者
炎上する街、手に穴を空けられ繋がれ連れ去られる人々
夜間に音も無く目だけを光らせて斬り込む決死のサムライ達
北条得宋家の若き君主時宗、世界最大の帝国と大汗フビライ


…そんなスペクタクル映画が見たいニダ!

537:名無し三等兵
08/01/31 10:22:51
日本をモンゴルの奴隷の運命から救った英雄
北条時宗の時宗廟に先月お参りして来た。
鎌倉の円覚寺内で拝観料100円とお得。

538:名無し三等兵
08/01/31 10:33:20 mq2SNNJI
モンゴルの奴隷でしかも残忍な高麗人が支配する地獄絵図から救われた。
秀吉ナイスリベンジ。

539:名無し三等兵
08/01/31 10:50:40
朝鮮半島人民は秀吉の「唐入り」によって李氏朝鮮による奴隷支配から解放されましたが
そのことは忘れ去られているようですね、結果的にそうなっただけとはいえ
自分たちを解放してくれた人物に対してさえ感謝の念を持たないというのが朝鮮なのでしょうか
なぜか半島は日本が干渉するたびに人口も増え、良い時代平和な時代を迎えてしまうのです

540:名無し三等兵
08/01/31 10:52:56
そういうのを盗人にも三分の利、とそれこそ日本ではいうんだがなぁw>侵略したからありがたく思えとか

541:名無し三等兵
08/01/31 12:50:30
勝手に攻撃しておいて恨むな、とは無理w

542:名無し三等兵
08/01/31 12:59:49 GKmZSk+0
>>529
今更だが・・・・台風が来る前に蒙古軍は攻撃する意志はすでに消えております。
もう一度時系列で史実を振り返るけとをお勧めします

543:名無し三等兵
08/01/31 13:02:10
文永では帰り道に台風にあった説が有力だっけか?
弘安だと話はまた別だが

544:名無し三等兵
08/01/31 13:03:35
この勝利が後に「日本は神の国、敵が来たら神風が吹き飛ばしてくれる」という滅茶苦茶な思想となり
それは第二次大戦で敗戦するまで残留するという恐ろしさ
偶然を生かすも殺すも人次第って感じ

545:名無し三等兵
08/01/31 13:44:06
>>544

きちんと戦史研究をして後世に繋げないと、
亡国をもたらすという事か…
日露戦争も太平洋戦争もきちんと研究しなければ、
現在の俺達だってどうなるかわからんな。

546:名無し三等兵
08/01/31 15:19:43
>>544
WW2で終わってませんよ、未だにその名残は続いてます。

547:名無し三等兵
08/01/31 15:31:11
日清日露での努力無視ですか

548:名無し三等兵
08/01/31 15:51:23 GKmZSk+0
役後の資料で神風を吹聴しているのは祈祷をしていた寺社のもの。
実際に戦闘を行った武士は当然自らの手柄を主張している。
そもそも武士達は台風のおかげで勝ったという意識はなく記録もない。
それは当然だろう。
文永の役は蒙古軍は帰路で大風に会い難波しており、日本側がそのことを知ったのは数年後のことだ。
弘安の役では、完全に元軍の上陸を防ぎきり1ヶ月もの間元軍は海上をさまよい逃げ続けたのだから。また台風後も戦闘は続き、日本軍は皆殺しと言っていいほどの掃討戦を展開している。

神風思想などというものは近代人の、それも右翼左翼問わずリアリズムの欠如した人間の頭のなかにしか存在しないと俺は思う。



549:名無し三等兵
08/01/31 16:01:51
赤胴にゅーにゅー切りー!!

550:名無し三等兵
08/01/31 17:12:16
>>544
昔の人が本当に「日本は神の国、敵が来たら神風が吹き飛ばしてくれる」なんて
考えていたら明治維新は起こってない。
戦前の史書で文永の役は武士がちゃんと自力で元軍を撃退したと書かれていた。
台風のお陰で勝ったなんて嘘が広まったのは戦後になってから。


551:名無し三等兵
08/01/31 17:34:19
戦前、昭和天皇の歴史教科書に書かれていた文永の役↓

白鳥倉吉【国史】
『元はついに武力でわが国を屈服させようと、後宇多天皇即位の年に、高麗の兵を合わせ、
数百艘の船をつらねて、朝鮮海峡を渡り、まず対馬、壱岐をおかし、さらに博多地方に迫りました。
九州の豪族たちが奮戦してこれを防いだので、元軍は深く侵入できずに退却しました。文永末年の
ことでしたので、これを文永の役といいます。』

それが太平洋戦争で負けた後作られた歴史教科書だと↓

第七期国定教科書【くにのあゆみ】
『すると忽必烈は、文永十一年(西暦一二七四年)十月、九百せきあまりの船に、およそ四万の兵を
乗せて、博多湾に攻めこませました。武士たちは、勇ましく戦ひましたが、敵が上陸してきたため、
大そうなんぎをしました。ところが、大風がおこつて、敵の船をくつがえしたので、これを退ける
ことができました。』

552:名無し三等兵
08/02/01 00:45:02
>>550
>台風のお陰で勝ったなんて嘘が広まったのは戦後になってから。
それ大正生まれの婆さんに聞いたらあっさり否定されたよorz 
むしろ広まったのは戦前・戦中で「日本は神の国、敵が来たら神風が吹き飛ばしてくれる」
を軍人さんが女学校に来て日露戦争の輝かしい勝利と共に一生懸命喧伝してたとか。
戦後教科書はむしろその影響もあるんじゃないかねー

553:名無し三等兵
08/02/01 02:47:19
>>552
戦中の一番おかしな時期ですら元寇観は武士も散々元軍相手に活躍して最後神風が止めを刺すみたいな話。
戦後みたいに武士が元軍にフルボッコにされて神風のお陰で勝ったみたいな話じゃないだろ。

554:名無し三等兵
08/02/01 03:11:42
勝因は神風だよ。
日本武士も強かったけど、神風はもっと強かった。

555:名無し三等兵
08/02/01 04:57:58
>>554
文永の役で元軍が嵐に遭ったのは逃げ帰る最中なんだから勝因とは無関係。
弘安の役だって元軍が台風に遭遇したのは日本軍に2ヶ月間も上陸を阻まれた後。
日本軍が元軍よりも強かったから元軍は台風に遭遇するような状況になったわけで、
勝因が神風というのはおかしい。


556:名無し三等兵
08/02/01 08:52:10
WWⅡで「進駐軍」の上陸を許したのが悔やまれる…
国土防衛の輝かしいスコアが台無しになってしまった。
(「連合国」=「世界」を相手に負けたのだから仕方無いが)

少なくとも竹島とか尖閣諸島とか北方領土とか、
1:1で侵略を許したら、完全に「負け犬国家」になってしまう。
これ以上スコアを悪くして欲しくないね。

557:名無し三等兵
08/02/01 09:00:36
>>554

「神風」が無かったと仮定しよう。

機動力と地形を熟知した鎌倉幕府軍が大敗する可能性があったのか?
騎兵兵力が歩兵兵力に包囲殲滅される可能性はほぼゼロと言える。
そして補給ナシでエンドレスに戦い続けられる軍隊など存在しない。

負ける事が無い日本と、勝つ事が出来ない元、日本の勝率はほぼ100%。

しかも日本は「九州防衛」に出て行かなかった大部分の勢力が未だ健在。

558:名無し三等兵
08/02/01 09:30:11 7uSjo2We
弘安の役終了時点でまだ関東から続々と進軍中。

559:名無し三等兵
08/02/01 11:02:23
朝廷の呪詛が効果的だった

560:名無し三等兵
08/02/01 11:30:39
博多で小学生をしていたころ教師に
箱崎宮に奉納された亀山上皇による「敵国降伏」の額が元軍を追い払ったのだと習いました
軍隊を持つことや戦争をするのは悪いこと、平和への祈りが何よりも大切なのだと
この国の教育には本当に醜いものがあります


561:名無し三等兵
08/02/01 13:02:20
元寇で来たのは、大半が朝鮮人・中国人だろ?
神風が吹かなくたって、負けるわけがない。ただの野盗だからな。


むしろ、対日侵略戦争をしかけたかどて、モンゴル・朝鮮・中国に謝罪と
賠償をするんだ。

562:名無し三等兵
08/02/01 14:15:20
まあ、あれだ、ジンギスカンは源義経なのであるが。

ここだけの話だぞ?みんなには内緒だぞ?

563:名無し三等兵
08/02/01 16:19:10
元寇に朝鮮人なんて少ししか参加してない。
朝鮮の国力では自力で日本を侵略するのが無理だから、朝鮮国王は何度もモンゴルに
日本を侵略してくれって頼んだんだろ。
モンゴルの日本征服に自分たちも形式だけ軍を参加させて、おこぼれをもらうつもり
だったんだよ。

564:名無し三等兵
08/02/01 16:29:18
〇日本侵攻元軍の実態
・文永の役
元軍船舶 900
侵攻元軍総兵力 25000
内高麗兵 12700
内モンゴル兵 30
他漢人(旧金の兵)等
当時の元軍の主力は対南宋戦投入中
・弘安の役
元軍船舶 4400
侵攻元軍総兵力 50000
内高麗兵 25000
内モンゴル兵 150
他ほとんど旧南宋の老兵で征服した日本に植民目的、たいした武装をしていない
屯田兵であり、沈没船からの引き揚げ物を見ても武器より農具が目立つ
当時の元軍主力は対オゴタイ・ハン国のカイドゥ(ハイドゥ)戦投入中

565:名無し三等兵
08/02/01 16:47:14
>>564
モンゴル軍ってのは複数の侵略戦争を同時におこなうのが普通なの。
例えば、ヨーロッパ侵攻と南宋侵攻とか、中東侵攻と南宋侵攻とかね。
西方配備のモンゴル兵をカイドゥ戦に投入したら、東方配備のモンゴル兵は
バランスとって日本戦に投入ってのがモンゴル帝国のやり方。

566:名無し三等兵
08/02/01 17:10:00
なんだよ、ほとんど高麗軍が主力でモンゴルは軍事顧問団みたいなもんじゃん・・・

567:名無し三等兵
08/02/01 17:17:04
史料に残ってる文永の役の元軍の構成は、蒙漢軍2万5千、高麗軍8千、水手などの非戦闘員6千7百で
主力はあきらかに蒙漢軍。
あと、弘安の役で日本に置き去りにされて皆殺しにあった元兵10万の中には、モンゴル兵も含まれて
いたけど、よほど大勢が参加しない限り、モンゴル兵が置き去りにされるなんて事態にはならないだろ。


568:名無し三等兵
08/02/01 17:17:08
>>564
あれ?
俺素人で詳しくないから何なんだが、兵力って14万くらいなかったっけ?

569:名無し三等兵
08/02/01 17:32:08
>>564
元寇沈没船からの引き揚げ物

昭和55・56年度の調査
引き揚げられた遺物は、褐釉壷の破片143点(完形品3点)のほか、投石弾や片口などの石製品4点、
鉾先やインゴットなどの鉄製品8点、磚9点、青磁碗・小鉢3点など、総計171点を数える。

昭和57年度の調査
引き揚げられた遺物は、褐釉壷の破片など173点である。褐釉壷はいずれも破片で、ほかに磚57点、
碇石10点、石弾2点、青磁碗・石製片口・石臼各1点がある。

鉾先や投石弾などの武器は引き上げられてるけど農具は・・・?

570:名無し三等兵
08/02/01 18:50:14
ベトナム軍は元軍の司令官を捕虜にするなど大量の捕虜を得ている
かつて白村江で倭軍が一万数千の兵でわずか7000、170艘の軍船しかない唐軍に
惨敗し400艘の倭軍船を焼かれた時も生き残った倭兵のほとんどは唐軍の捕虜に
なった
一部の人間が言うように元冦において大きな戦いがあり、なおかつ勝ったと主張
するのであれば大量の捕虜を得てしかるべきである
陸続きでないのだからなおさらだ
しかし実際、大量の捕虜どころか少数の捕虜すら得ていない
本当に戦闘らしい戦闘があったのか?
太宰府を攻めるならモンゴル軍の戦術から考えて大型攻城兵器があってしかるべ
きなのにないし、日本軍が勝ったのであれば捕獲できたはずである


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