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日本の航空部隊のカミカゼ転換
1944年夏には、いかなる点においてもアメリカの航空戦力に匹敵し得るどのような手段
も存在しないことは、日本の航空部隊指揮官にとって明白になった。かれらの損失は壊滅的であり、
一方彼等が達成した結果はとるにたらないものであった。かれらがまだ持っていた唯一の長所は、
彼等パイロットの確実な死にを喜んでおこなう決意であった。このような状況下で、かれらは
カミカゼ戦術を開発させた。飛行機を艦船まで真っ直ぐ飛ばすことができるパイロットは、
敵戦闘機と対空砲火のあるスクリーンを通過したならば、彼の目標に当る為にわずかな技能
があるだけでよかった。もし十分な数の日本軍機が同時に攻撃したなら、突入をある割合で
阻止することは不可能であっただろう。したがって、機体とパイロットが100%失われたとしても、
結果はとるに足らないどころか、我々が耐え得る以上の損害を引き起こすのに十分だったかもしれない。
1944年10月から沖縄作戦終了まで、日本は2550機のカミカゼを飛ばし、うち475機18.6%が有効で、
確実に命中あるいは至近弾効果となった。空母12隻、戦艦15隻、16隻の軽空母・護衛空母を含むあら
ゆる艦種の軍艦が損害を受けた。しかし、沈没した一隻の護衛空母より大きい艦はなかった。およそ
45隻が沈没したが、その多くは駆逐艦だった。日本は大型艦を沈めたという膨張された主張に彼等自身騙され、
大型艦を沈めるにはより重量のある爆発弾頭が必要であるという技術者達の忠告を無視した。アメリカが
被った実際の被害は深刻であり、大きな心配をもたらした。のべ2000機のB29が日本の都市と産業への
直接攻撃から、九州のカミカゼ飛行場を攻撃する為に振り向けられた。日本がより大きなパワーで
集中的な攻撃を持続し得たなら、我々の戦略計画を撤回若しくは変更させ得たかもしれない。
降伏時、日本は本土にカミカゼ攻撃用として利用可能な9000以上の航空機を有し、少なくとも5000機
は我々が計画していた侵攻に抵抗するために自殺攻撃用の装備をすでに備えつけていた。
URLリンク(www10.ocn.ne.jp)
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