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神風は吹いたか?
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文永十一年(一二七四)と弘安四年(一二八一)の夏のころ、元のフビライの軍(蒙古軍)が日本に攻めてきた時、二度ともに暴風に遭って大損害を受け、上陸することなく退却した。
このときの国難を救った暴風を、日本は神国だからというので、「神風」と呼んだ。
第二次世界大戦の末期、多くの艦船を失った日本軍は神風特別攻撃隊(特攻隊)による非人間的な「体当たり」作戦を敢行した。
神国日本を救ったという元寇の役の「神風」に因んだ名を冠して戦況挽回を図ったのである。
沖縄本島を包囲していた連合軍機勤部隊の規模は、前年(一九四四年)に実施されたノルマンディー作戦をはるかに上回るものであった。
沖縄攻略戦はスプルアンス提督が率いていたアメリカ第三艦隊が主カであったが、イギリスの空母や艦艇も加わって、戦艦一八隻、空母四〇隻、巡洋艦など二〇〇隻、
輸送船など四五〇隻、その他の小型艦を舎めると、一二一三隻という史上最大の大艦隊であった。
日本軍は一九四五年四月六日から第一次航空総攻撃(菊水一号作戦)を展開、十日までに特攻機二三〇械が出撃し、
米艦艇六隻を撃沈、二〇隻を撃破したという。この菊水作戦は六月三日までに九次に及び、延べ三〇九〇機が出撃し、そのうち特攻機は七〇〇機であったという。
沖縄攻略戦で米軍側が碓認した損害は次のとおり。
艦船沈没 三六隻(内、特攻で二六隻)
艦船破損 三六三隻(内、特攻で一六四隻)
航空機損害 七六三機(内、英空母の六八機)
右の連合軍の損害は、神風特攻によって失われた幾千もの尊い命に比べると、大きなものであったとは言えない。