07/08/29 17:04:54 oh/THkJi
前スレッド
古代~近代(19世紀)迄の戦術・兵器・軍装等 5
スレリンク(army板)
3:某研究者
07/08/29 17:19:07 oh/THkJi
URLリンク(www.uraken.net)
>日本の伝統的騎馬戦闘術は、流鏑馬型の横向き騎射が基本なのは、
>間違いないようです。
>騎馬武者同士が、すれ違いざま、矢を打ち合うというスタイル。
>遠距離射撃ではなく、流鏑馬や絵巻の犬追物のように、
>至近距離から、相手の内兜(顔面)に射込むのが理想のようで。
馬や足を狙わないので有れば
袖で胴体が防御されて居る以上は
頭部や腕を狙うしか無いのかも知れぬが
一騎打ちで無い場合は遠距離から馬を狙って居たと言う
事かも知れぬが
>上からの弓矢は馬自体がカタパルトの役目を果たす分、徒からよりも威力は上でした(たとえば馬の進行方向に矢を放つ場合、矢は馬の移動速度に弓の運動エネルギーが加わるのでその分運動量は上乗せされます、物理の初歩ですね)。
双方が向かって走っている場合は
貫通力は可也の物に成ると言う事かも知れぬが
袖と鎧を同時に貫くのは無理かも知れぬが
4:名無し三等兵
07/08/29 17:38:28
アレクサンダー大王までは
単に数でごり押しじゃなかったっけ?
5:某研究者
07/08/29 17:45:12 oh/THkJi
URLリンク(www.magyarsag.org)
此れも大袖と同様の機能を持つ
射撃中でも利用可能な盾かも知れぬが
上腕部の装甲は二重に成るだろうが
(大鎧も小型の篭手はこの部分に
装備される場合も有るだろうが)
矢の貫通を防げるのか
どうかだが
6:某研究者
07/08/29 18:41:26 oh/THkJi
>アレクサンダー大王までは
>単に数でごり押しじゃなかったっけ?
ファランクスや斜線陣は
戦術では無いのかだろうし
マラトン等も単なる突撃なのかだろうし
軽歩兵を後方に回り込ませる等の戦術も
用いられて居た訳だろうか
7:名無し三等兵
07/08/29 18:55:17
戦場の全容が全く把握できない時代の戦術及び戦略って
運40%:勘40%:知20%
みたいな感じ?
8:某研究者
07/08/29 20:11:49 oh/THkJi
長巻でも
銃剣程度の長さは有る訳だろうから
槍騎兵で無ければ恐らく阻止は出来た訳だろうが
元軍に槍騎兵は居たのか
どうかだが
9:某研究者
07/08/29 20:16:34 oh/THkJi
URLリンク(ihbaa.org)
為朝の弓なら袖と鎧を
同時に貫けるかも知れぬが
馬を旋回されれば容易に背後に回り込めるのかだが
10:某研究者
07/08/29 20:29:40 oh/THkJi
URLリンク(www.lib.kyushu-u.ac.jp)
元軍の槍騎兵も描かれて居るが
この程度の長さの槍で
長巻に対抗可能なのか
どうかだが
11:某研究者
07/08/29 20:44:11 oh/THkJi
石垣部分は低いので騎兵は確か
阻止出来無いだろうが
元軍は密集突撃していたとすれば
弓で可也打撃を与えられたと言う可能性も
有る訳だろうし
混乱した槍騎兵や槍歩兵なら
長巻でも仕留められたという可能性は
有る訳だろうか
12:名無し三等兵
07/08/29 20:49:57
久しぶりに見たが某研ノリノリだな!
13:某研究者
07/08/29 21:07:18 oh/THkJi
船上で密集している元軍に対して
散開して矢を放ったのが
勝因と言う事かも知れぬが
地上での突撃時にも
散開して矢を放っている訳だろうか
14:某研究者
07/08/29 22:18:57 IlZWHXyF
多少は槍騎兵や槍歩兵の突撃を受ける事も
有り得たかも知れぬが
混乱から逃れた一部の兵だけなら
数で仕留められたと言う可能性は
有るだろうか
15:某研究者
07/08/31 03:40:32 MCextDqv
URLリンク(kyoto.cool.ne.jp)
>宋の軍隊は、歩兵主体で騎兵戦力に劣り、鈍重で、異民族の騎兵部隊の機動力に、対抗できなかったのである。
槍で騎兵は防げなかったのかどうかだが
戦場では騎兵を防げたが
モンゴル軽騎兵の機動性を生かした焦土戦術に
敗れたのだろうか
16:名無し三等兵
07/08/31 10:02:54 RR4nVDWX
>>7
戦国時代なら偵察部隊を出してから戦場と戦法を決めてたんじゃないか?
頭使わないと生き残れない時代だし。無能は当主に選ばれんでしょ。
17:名無し三等兵
07/08/31 10:07:45
マケドニアファランクスなら、元軍の突喊をとめられますかね?
18:名無し三等兵
07/08/31 11:06:49
元は弓騎兵だから、突撃するの??
19:名無し三等兵
07/08/31 12:41:55
>>18
勝敗を決するには突喊しかあるまい。
翼側包囲運動による近距離からの騎射と金床からの圧力だけで敵を壊乱させ得るのだろうか?
20:某研究者
07/08/31 13:19:01 +uwhODax
元軍騎兵は恐らく弓を扱うサーベル騎兵主体だろうし
宋の軍隊は騎兵は少ない訳だろうから
可也長巻で阻止は出来たと言う事かも知れぬが
高麗の騎兵はどうなのかだが
弓騎兵主体なのだろうか
21:某研究者
07/08/31 13:35:46 +uwhODax
>槍で騎兵は防げなかったのかどうかだが
>戦場では騎兵を防げたが
>モンゴル軽騎兵の機動性を生かした焦土戦術に
>敗れたのだろうか
戦車を利用したフス教徒も
ハンガリー軽騎兵の焦土戦術には苦戦しているし
ハンガリー軽騎兵を奇襲で殲滅しなければ
敗れていたと言う事は無いのかだが
日本の地形で機動力を生かした焦土戦術は
可能なのかどうかだが
22:某研究者
07/08/31 13:52:01 +uwhODax
モンゴルの槍騎兵と言うのは確かに見ないし
絵に書かれて居るのは南宋軍や高麗の槍騎兵なのか
どうかだが
23:名無し三等兵
07/09/01 19:27:22
>モンゴルの槍騎兵
それってここに出てる投槍じゃないんですかね?
URLリンク(www.teamrenzan.com)
24:某研究者
07/09/01 23:28:43 YLFvLlr4
軽騎兵の射撃後
別の軽騎兵が槍を投げてから
重騎兵が突撃と言うが
重騎兵に槍が無いなら
軽騎兵・重騎兵に対して歩兵も弓を
応射出来るのであれば
少数の槍も無い重騎兵は長巻で阻止出来るなら
余り脅威では無いかも知れぬが
25:某研究者
07/09/01 23:37:30 YLFvLlr4
まあしかし
URLリンク(www.teamrenzan.com)
>重騎兵の主武器は槍(ランス)であった。
と有るし
此れに突入されれば長巻で阻止するのは
厳しいかも知れぬし
射撃で可也打撃を与える必要も有る訳だろうし
例の石垣は騎兵を阻止出来る物では
無い訳だろうか
26:某研究者
07/09/01 23:42:54 YLFvLlr4
>軽・重騎兵はいずれも三日月刀か、戦斧を携帯し、戦闘直前に着用する絹シャツを携行していた。
>ジンギス・カーンは矢が厚手の絹地を貫徹することが難しく、単に将兵を負傷させるだけであることに気付いていた。
>中国人の軍医は絹地を引っ張るだけで、しばしば突き刺さった敵の矢頭を負傷した将兵の体から引き出すことができた。
西欧のギャンベゾンと比べたら
防御力は有るのかだろうし
大鎧と比べも防御力は有るのかだが
一応貫通して居る様だし
日本側の弓が全く通用しなかったと言う事でも
無い訳だろうが
14世紀の西欧の騎士が
プレートアーマーの上にギャンベゾンを着て居る例も
有る様だし
弓に対する防御力向上を狙ったと言う
事なのかどうかだが
27:某研究者
07/09/01 23:47:42 YLFvLlr4
日本の甲冑の場合は袖部分や吹き返し部分は
基本的に槍を完全に防御出来た訳だろうが
>典型的な1個モンゴル師団の40パーセントは衝撃行動を主たる使命とする重騎兵であった。
モンゴルに重装騎兵が4割も居たとは驚きだが
彼等も弓を装備していたかも知れぬし
矢を止める為の盾は構えて居たのかどうかだが
盾は大鎧・胴丸の袖と異なり
射撃中には使用出来無いと言う
事だろうか
28:某研究者
07/09/02 00:38:56 h5T8505n
>14世紀の西欧の騎士が
>プレートアーマーの上にギャンベゾンを着て
>居る例も
>有る様だし
>此れは弓に対する防御力向上を狙ったと言う
>事なのかどうかだが
プレートアーマーの上に
ギャンベゾンを着て居る絵が出て来るのは
14世紀後半だろうし
ゲクラン辺りがロングボウ対策に
考案したと言う事は無いのかだが
15世紀以降には何故か無く成って居るが
ゲクラン死後に仏軍が
野戦で英軍に対抗する事を諦めた故なのか
どうかだが
29:名無し三等兵
07/09/02 08:46:02
>>17
このページ読んで考察した感想ですけど
URLリンク(www.k2.dion.ne.jp)
ファランクス戦術は側面を守る騎兵が鍵のようです。モンゴル軍は機動力で包囲して
遠巻きに射撃を繰り返すドクトリンなので、騎兵が駆逐されて丸裸にされてしまうと
かなり悲惨な結果になりそうです。
あと、密集歩兵戦術って、会戦のお約束を心得た軍同士がぶつからないと防御としては
機能しないような気がします。
30:某研究者
07/09/02 16:44:51 zt4w64dq
ファランクスには
全周を防御する陣も有ったかも知れぬが
矢張り射撃を受け続けて壊滅と言う事に
成るかも知れぬが
機動力の低いモンゴル重騎兵に対して
一部の長槍騎兵が突入する事に成功する可能性は有るだろうが
騎兵の比率に差が有り過ぎるかも知れぬが
31:某研究者
07/09/02 16:50:00 zt4w64dq
URLリンク(www.k2.dion.ne.jp)
マケドニア軍も騎兵が1/5程度だろうし
モンゴルは4割が重騎兵であるなら
全兵力が同数であれば
多勢に無勢である訳だろうか
32:名無し三等兵
07/09/02 17:40:44
騎兵集団対密集歩兵といえば、カルラエの戦いが参考になりますね。
この時のパルティア軍の戦術はモンゴルのそれに近いと思います。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
33:某研究者
07/09/02 18:28:27 zt4w64dq
重装槍騎兵には
ローマの亀甲隊形も勝てなかったと言う事だろうし
ローマの騎兵はパルティアの重装槍騎兵には
勝てないと言う事かも知れぬが
歩兵や騎兵に射撃能力が有れば
一方的に亀甲隊形で矢を受け続ける必用は
無かった訳だろうか
34:某研究者
07/09/02 19:09:09 zt4w64dq
URLリンク(encyclopedie-ja.snyke.com)
トラヤヌス等はパルティアに勝って居る訳だろうが
騎兵を如何に封じたのかだが
35:名無し三等兵
07/09/02 19:16:47
トラヤヌス、パルティアに勝ってないだろう。首都を占領できたがゲリラ
戦に苦しめられて、結局撤退してる。トラヤヌスも心労で病死してるだろうが。
36:某研究者
07/09/03 03:06:01 bGU2DwLP
まあしかし戦場で敗れたなら首都に行けるのかだろうし
補給線を軽騎兵等に襲撃されたのが
敗因と言う事かも知れぬが
戦場では騎兵にどう対抗したのかだが
37:某研究者
07/09/03 03:09:43 bGU2DwLP
狭い地形に引き摺り込んで
マラトンの様に歩兵が騎兵に対して
突撃すると言う様な形を取れば
ローマも勝てないのかどうかだが
重騎兵の突撃には勝てるのかだろうし
道等を利用して上手く逃げられる可能性も
有るかも知れぬが
38:某研究者
07/09/03 03:29:07 bGU2DwLP
URLリンク(ja.wikipedia.org)
>この時のトラヤヌスの侵攻では西部を支配したオスロエス1世らは内部分裂で有効な対策が取れず、
>首都クテシフォンが陥落し略奪され、バビロニアがローマの支配下に入れられた。
内部分裂に拠る兵力不足等で
パルティアは敗れたという事かも
知れぬが
39:名無し三等兵
07/09/03 08:13:04
流れぶったぎってスマソ
ぼしん戦争(変換不可)の倒幕軍は西洋みたいに隊列組んで鼓笛の合図で行進したの?
40:名無し三等兵
07/09/03 10:20:46
>>39
そうみたいですね。こことか参考になります。
URLリンク(www7a.biglobe.ne.jp)
藩によって装備がバラバラでは、さぞかし苦労しただろうな…
41:某研究者
07/09/03 19:51:16 qmCmjWoz
まあしかし戦国時代の軍の様に散開して
精度の高い火縄銃で狙撃と言う
方向の方が
強かったと言う事は無いのかだが
騎兵突撃は密集して対処と言う
方向も有っただろうし
日露戦争でも日本軍は(ボーア戦争の戦訓等で)
散開していたが
コサック騎兵の突撃に対しては
機関銃+密集しての防御を考えて居た訳だろうか
(ボーア戦争前は密集隊形は
ナポレオンも含めて使用されていた訳だろうが
縦隊突撃は日本はしたのか
どうかだが
ロシアは日露戦争時も密集隊形だったから
日本側の銃砲撃で可也打撃を被ったと言う
事だろうし
欧米の軍隊も密集隊形は残って居たかも
知れぬが)
42:某研究者
07/09/03 19:58:00 qmCmjWoz
>精度の高い火縄銃で狙撃と言う
>方向の方が
>強かったと言う事は無いのかだが
まあしかし後装式銃の方が
流石に上かも知れぬが
数は無かった訳だろうし
マスケット銃よりは火縄銃の方が精度は
ましな訳だろうか
43:某研究者
07/09/03 20:04:32 qmCmjWoz
>ゲベール銃 - 前装滑腔銃で、火縄以外の点火方法と、頬に当てる和式銃床ではなく肩に当てる洋式銃床を持つもの。火縄を用いないため運用が楽になったが、
>フリントロック式では命中精度は火縄銃並以下、パーカッション式も、命中精度、射程距離共に火縄銃と変わらない。国内でも生産された。
まあしかしゲベール銃もパーカッション式なら精度は高かったのか
どうかだが
44:某研究者
07/09/03 20:07:57 qmCmjWoz
URLリンク(ja.wikipedia.org)
>ミニエー銃 - フランス製の前装ライフル銃。「ミニエー弾」と呼ばれる弾丸の発明により、弾込めが簡単になる。命中精度も高かったため、両軍の主力銃として用いられた。
主力銃の此れを散開して利用すれば
良かったと言う事かも知れぬが
45:某研究者
07/09/03 20:14:45 qmCmjWoz
仏の影響を受けた幕軍は
散兵や縦隊は用いて居たのか
どうかだが
薩長軍を支援した英軍は散兵や縦隊は用いて居たのか
どうかだが
46:名無し三等兵
07/09/03 20:49:27
スカーミッシュ(散兵)はナポレオン戦争で既に実施されていた戦術ですから
まぁ、当然やってるでしょう。縦列突進は…どうなんでしょう。地形的なこととか
抜刀部隊とのオーダーミックス(?)とか考えると、ダメと知りつつやったのでは
ないかと想像しますが。
>>41の近世の騎兵VS歩兵を考える上で参考になるページがありましたのでコピペ。
URLリンク(www2.dokkyo.ac.jp)
でもまぁ、日露戦争は20世紀なので、スレの主旨から考えると深追いしないほうが
よろしいかと。
47:某研究者
07/09/03 21:52:54 qmCmjWoz
薩長軍の方が戦術は古いが
榴弾砲の数で勝利したと言う
事なのかどうかだが
48:某研究者
07/09/03 22:06:51 qmCmjWoz
散兵は兎も角
残りの密集した隊形に榴弾が打ち込まれれば
容易に壊滅すると言う事だろうか
49:名無し三等兵
07/09/03 23:19:18
>>47
上野戦争の研究とか見る限りでは、単に火力で圧倒したわけではなく、効果的に運用する
能力が新政府軍にはあったということです。大村益次郎が有名ですな。
50:某研究者
07/09/04 02:48:56 nQL7BszN
URLリンク(www7a.biglobe.ne.jp)
>その彰義隊と応援諸隊の装備ですが、彰義隊本隊は多少の銃隊は居た模様ですが、大多数は刀鎗部隊だったと思われます。応援諸隊の方は脱藩左幕部隊は刀鎗部隊が多かった模様で、
>小銃を持っていても良くてゲベール銃悪くて火縄銃程度で、施条銃は所有してなかった模様です。しかし幕府歩兵隊第8連隊等の幕府歩兵隊残党は、ミニェー銃やエンフィールド銃等の前装銃を装備してた模様です。
>また砲数は不明ですが砲兵隊が存在し、特に山王台からの砲撃に新政府軍は苦しめられます。
>余談ですが対する新政府軍の装備ですが、上記の通り全兵が銃隊の新政府軍は前装施条銃のミニェー銃ないしエンフィールド銃を装備していて、後述しますが長州藩兵はスナイドル銃、佐賀藩兵はスペンサー銃の後装銃を装備していました。
>以上のように決して刀鎗部隊の集団では無かった彰義隊ですが、軍令により銃隊と砲兵隊以外の従軍を許さなかった新政府軍(*注1)と比べると、やはり兵装の面では新政府軍に劣ったと思われます。
>また彰義隊の稚拙さは、この攻撃前日の集団脱走だけではなく、戦闘に先立っての陣地構築を殆ど行っていない事からも現れていると思われます。本気で上野山内で新政府軍を迎え撃つ気があるのなら、
>陣地構築をすべきなのに、実際には徳川贔屓の侠客新門辰五郎の一派が上野山を囲む柵を築いた他は、畳や土嚢を積み上げた程度の陣地構築とは呼べない程のお粗末な対処しかしていませんでした。
まあしかしこんな装備差で陣地も無いのでは
戦いに成ったのかどうかだが
彰義隊も槍騎兵で乗馬突撃でも掛ければ
多少は善戦出来たのかどうかが
51:某研究者
07/09/04 02:52:52 nQL7BszN
>このように黒門に追い込まれ、そこに広小路と御徒町通りから殺到する新政府軍の攻撃を受けた彰義隊ですが、この黒門口で意外な善戦を行います。
>前哨戦の三枚橋の簡易陣地の攻防では、薩摩藩砲兵隊の砲撃力で完勝しましたが、黒門の攻防では今度は彰義隊の砲撃が効果を発揮します。彰義隊は上野山内の山王台(現在西郷像が在る辺り)に砲台を築き(7門?)、
>ここから黒門を攻撃する新政府軍に砲撃を開始します。薩摩藩兵も熊本藩兵も鳥取藩兵も砲を有していたので、砲門の数では新政府軍の方が上回っていたのですが、如何せん高地から低地を砲撃する彰義隊に比べると、
>低地から高地を砲撃しなくてはいけない新政府軍の砲兵隊は威力を発揮出来ず、広小路と御徒町通りから黒門に進軍した新政府軍は、この山王台からの砲撃と黒門内からの銃撃(幕府歩兵隊か?)に阻まれ、中々黒門に迫れないでいました。
彰義隊には榴弾は確か無い訳だろうし
密集隊形を取らなければ脅威では無いかも知れぬが
密集隊形で突撃したのかどうかだが
52:某研究者
07/09/04 03:00:19 nQL7BszN
>このように黒門口と天王寺・谷中門口とも戦線は膠着しましたが、その均衡を破ったのは本郷台に砲台を構える佐賀藩砲兵隊でした。
>佐賀藩砲兵隊の持つアームストロング砲は当時最新鋭でしたが、そのアームストロング砲を持ってしても不忍池を越える事は出来ませんでした。しかし佐賀藩兵の優れた所はアームストロング砲を所有してる事ではなく、
>弾着点の修正技術でした。佐賀藩砲兵隊はこの技術で徐々に弾着点を修正していき、遂に正午頃には山内に弾着させる事に成功、その後はその砲撃技術で次々に山内に弾丸を撃ち込み、山内の吉祥閣や中堂を次々に炎上させていきます。
>一方の助攻撃軍ですが、弾薬補給の為一旦退いていた長州藩兵と佐土原藩兵も戦線に復帰し、更に兵力不足から王子宿場から残りの津藩兵全兵が駆けつけ、
>佐賀藩兵・長州藩兵・大村藩兵・佐土原藩兵・岡山藩兵・尾張藩兵・福岡藩兵・津藩兵の全軍により寺院を一つづつ攻め落とし、遂に上野寛永寺最大の支城と言うべき天王寺に攻め寄せます。
>この天王寺にはかなりの数の彰義隊が篭り(兵力不明)防戦しましたが、佐賀藩兵と長州藩兵の猛射撃を始め諸藩兵が攻めよせ、遂に天王寺を攻め落とし天王寺境内に火を放ちます。
銃の差を埋める為に近接戦に持ち込もうとしても
建物に篭れば砲撃や火責めで
アウトと言う事かも知れぬし
槍騎兵での突撃程度しか善戦する術は
無かったと言う事かも知れぬが
53:某研究者
07/09/04 03:07:51 nQL7BszN
槍騎兵を突入させた後
槍歩兵が突入する等と言う方向で
敵の密集陣を混乱させ銃砲撃を封じ
壊滅と言うのは無理だったのかどうかだが
(突撃して来る歩兵や騎兵に対しては
榴弾砲も余り役には立たぬかも知れぬし
散開して前進し突入直前で密集する様な事をすれば
銃砲撃でのダメージも少なかったかも
知れぬが)
54:某研究者
07/09/04 03:15:22 nQL7BszN
砲撃及び散兵を利用して銃撃を加えつつ
槍騎兵を突入後
槍歩兵を突入させれば
或いはどうだったのかだが
砲兵が砲撃前に敵砲兵に殲滅されるリスクは
有ったかも知れぬが
55:某研究者
07/09/04 03:26:02 nQL7BszN
発射速度の遅い前装式ライフル銃相手なら
槍騎兵の突撃は十分可能かも知れぬし
銃剣で槍騎兵は阻止出来ぬ訳だろうか
56:名無し三等兵
07/09/04 08:34:35
槍騎兵の突撃…クリミア戦争のバラクラヴァの戦いでそれをやってヒドイ目にあったイギリス軍が
そんな手法を教えることはないと思いますが。つーか、槍装備してるかどうかすら疑問。
あとは、馬の質の問題もありますね。西洋流騎兵操典を当時の日本の馬で再現できたのかどうか。
大雑把に言って、士気崩壊していない密集歩兵に対する騎兵の衝撃力はルネサンス時代以降
消滅してると思いますよ。
57:名無し三等兵
07/09/04 10:33:34
無電柱化率
100% パリ
100% ロンドン
100% 香港
100% ボン
100% ワシントン
100% ハンブルグ
99% ベルリン
88% ミュンヘン
75% クアラルンプール
72% ニューヨーク
7% 東京
3% 大阪
58:某研究者
07/09/04 14:30:16 uRxZGZ23
>槍騎兵の突撃…クリミア戦争のバラクラヴァの戦いでそれをやってヒドイ目にあったイギリス軍が
>そんな手法を教えることはないと思いますが。つーか、槍装備してるかどうかすら疑問。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
英軍は槍の無い軽騎兵が突撃したと言う
事かも知れぬが
高地連隊に突入したロシア騎兵は
槍は有ったのかどうかだが
ワーテルローでは重騎兵がやられたと言う事かも知れぬが
槍騎兵では無くサーベル騎兵の突撃かも知れぬし
槍騎兵なら銃剣で槍襖を作られても
突破は可能と言う事かも知れぬし
其の為に槍騎兵は配備されたと言う事だっただろうか
59:某研究者
07/09/04 14:35:11 uRxZGZ23
新政府軍が陣地でも築いていたら
無論騎兵での突入は困難だろうし
陣地から出た所に突入する必要は有る訳だろうが
前装式銃は兎も角
後装式銃或いは後装式連発銃相手に
騎兵突撃は無謀かも知れぬし
普墺戦争以降は騎兵突撃は
無かったと言う事だっただろうが
槍騎兵はWW1迄残って居た訳だろうか
60:某研究者
07/09/04 17:33:30 uRxZGZ23
信長軍の傭兵と言うのも
西欧の傭兵同様余り戦意は無く
信玄等の動員された農民兵より弱かったと言う
事は無いのかだが
農民と異なり年間を通して使えると言う
事だろうか
61:某研究者
07/09/04 17:53:43 uRxZGZ23
壕の内部から一方的に
銃や弓を放つだけなら
傭兵でも可也出来るだろうが
銃撃を受けたり
近接戦に成ると逃走し易いと言う事かも知れぬし
長篠での信長軍の苦戦と言うのも
此れが理由で有る訳だろうか
62:某研究者
07/09/04 17:59:37 uRxZGZ23
URLリンク(ja.wikipedia.org)
>1870年8月16日の戦い。右に描かれたフランス軍砲兵にプロイセンの騎兵が襲いかかる。この戦いでフランス軍は大敗し、戦況は一気にプロイセン有利となった
こんな段階でも騎兵突撃が成功して居るが
仏砲兵は歩兵や陣地で守られて居たのか
どうかだが
陣地も無く歩兵が砲兵等で壊滅した後
騎兵が突入したのだろうか
63:名無し三等兵
07/09/04 18:53:58 tQ3ZEmV6
陣地構築を容易にし陣地に基づく戦略の現実性を高めたという点で、
鉄製スコップの配備は戦争を変える革命であったのだろうかだが!?
64:名無し三等兵
07/09/04 20:20:52
とりあえず、傭兵の話。
難しいですねー、兵の質の話は。士気とか錬度ってイメージで話すしかないから、先入観
入りまくりだし、AよりBのほうが強い、とかあんまり言いたくないですし。
まぁ、結果だけ見て判断するしかないわけですが、言われてるほどヨーロッパの傭兵は
ヘタレではないようですぞ。ちと長いですが面白いのでコピペ。
URLリンク(www.bun.kyoto-u.ac.jp)
他の騎兵の話にも関係あるので、読んでみて下さい。
65:名無し三等兵
07/09/04 21:14:10
歩兵主体の塹壕戦の走りは露土戦争で、本格化したのが南北戦争…だっけか。
移動障害として掘るのは塹壕とはいわないよね。
日露戦争では兵士が個々にスコップ持ってたらしいですが、それまではどうしてたんだw
66:某研究者
07/09/05 10:12:41 h8TmwIJl
クリミア戦争でも塹壕戦が有ったと言うが
露土戦争は1870年代より前の物と言う
事なのだろうか
67:某研究者
07/09/05 10:27:01 h8TmwIJl
まあしかし徴兵された兵より傭兵の方が強いかは
ナポレオン戦争等を見る限り
疑問も有る訳だろうか
68:某研究者
07/09/05 10:35:08 h8TmwIJl
URLリンク(ja.wikipedia.org)
30年戦争のスウェーデン軍や
フリードリヒ大王の軍も
農民兵が多かった訳だろうが
他国より強力な軍隊である訳だろうか
69:某研究者
07/09/05 10:52:18 h8TmwIJl
URLリンク(ja.wikipedia.org)
>ロシア軍は英仏艦隊から直接セバストポリを砲撃されないよう湾内に黒海艦隊を自沈させ、陸上でも防塁を設けて街全体を要塞化したため、同盟軍は塹壕を掘って包囲戦を展開する以外に手がなく、
URLリンク(ja.wikipedia.org)
要塞の砲を避ける為に塹壕を利用するのは
17世紀にも有ったかも知れぬし
クリミア戦争では歩兵同士の塹壕戦は無かったと言う事かも
知れぬが
70:某研究者
07/09/05 11:15:22 h8TmwIJl
重装槍騎兵が廃れたのは
パイク兵では無く
ピストル騎兵登場が原因だろうし
16世紀後半迄重装槍騎兵は残って居た訳だろうが
重騎兵もピストル騎兵に反撃する為
ピストルを装備した為に槍は廃れたと言う
事だろうが
槍騎兵も後で復活している訳だろうが
銃も同時に携帯していた訳だろうし
槍は銃を使う際には肩に紐で掛けられる形式に
成って居た訳だろうか
装甲はピストルを止める為に
胴体のみ厚い装甲で防護される様に
成った訳だろうか
(まあしかし3クオーターアーマーでも
胴体はピストルなら止まるのか
どうかだが
後には胴体と頭部のみに装甲が
施されたのはどう言う訳なのだろうか)
71:名無し三等兵
07/09/05 13:16:50
グスタフ・アドルフもフリードリヒ二世も兵制や戦術で一日の長があったわけで、兵の質に
直結させていいのかどうかはわかりません。南北戦争も徴兵制の戦争でしたが大量の
脱走兵に悩まされたそうです。
>パイク兵では無くピストル騎兵登場が原因だろうし
これ、どうなんでしょうね。ピストル騎兵が有効だったというより、やることがないから装備改編
したという印象がありますが。騎兵は男の子の憧れの職業だったそうですから、裏方ばかり
させるわけにもいかず…とか想像してますw
ナポレオン時代のフランス騎兵のコラムがありましたのでコピペしておきます。
南北戦争もそうでしたが、19世紀の騎兵は竜騎兵(騎乗歩兵)が主力だったようですね。
URLリンク(www2.dokkyo.ac.jp)
72:某研究者
07/09/05 17:27:46 xQuzm0nd
>南北戦争も徴兵制の戦争でしたが大量の
>脱走兵に悩まされたそうです。
傭兵ならば更に脱走していたと言う事は
無いのかだが
ピストルを持たない槍騎兵が
ピストル騎兵に遠距離から一方的にピストルを撃たれて
敗北したから
槍騎兵は廃れたと言う事だっただろうし
パイクの登場後も槍騎兵は
残って居た訳だろうか
73:某研究者
07/09/05 17:35:08 xQuzm0nd
>南北戦争もそうでしたが、19世紀の騎兵は竜騎兵(騎乗歩兵)が主力だったようですね。
後装式銃を持つ歩兵相手に騎兵突撃は
槍騎兵を以ってしても困難と言う事かも知れぬが
塹壕外の歩兵であれば
重砲撃で陣形を崩せば突撃は普仏戦争を見る様に
依然可能な訳だろうし
WW1迄槍騎兵は残って居た訳だろうが
塹壕戦が多く成る状況では竜騎兵以外は余り
役には立たなかった訳だろうか
74:某研究者
07/09/05 17:40:59 xQuzm0nd
>(まあしかし3クオーターアーマーでも
> 胴体はピストルなら止まるのか
> どうかだが
> 後には胴体と頭部のみに装甲が
> 施されたのはどう言う訳なのだろうか)
ナポレオン時代の胸甲騎兵の装甲は
20kg程度だっただろうし
後10kg程度は増やせたと言う事かも知れぬが
騎兵銃を扱う重騎兵も多かった訳だろうし
騎兵銃を扱う関係上腕の装甲が軽装化されたと言う
可能性も有る訳だろうか
75:名無し三等兵
07/09/05 19:49:11
傭兵隊長を名乗る地方領主とその常備軍をカネでまるごと雇って自軍を補強する方式の場合は
もう少し信頼できたかもしれません。ヨーロッパの傭兵は脱走より略奪のほうが有名ですね。
もともとのプロの常備軍が優秀であれば、そこに新兵を注ぎ足す徴兵制でも上手く回りますが
南北戦争の場合、北軍側の常備軍が質量ともにしょっぱい上に、兵士の契約任期が短いという
問題があって質の向上が難しかったと聞いています。
パヴィアの戦いの戦訓で16世紀後半フランス軍は槍をサーベルに変えた、と、学研の本には
書いてありましたので、騎兵のカウンターチャージの優劣が決め手になったようには感じないのですが
もうちょい調べてみましょう。
>WW1迄槍騎兵は残って居た訳だろうが
ポーランド騎兵はWW2まで槍騎兵いましたね。優劣を超越したお国柄とか財政上の問題とか
あるんじゃないでしょうか。
76:某研究者
07/09/05 22:17:02 V87iaZm3
>パヴィアの戦いの戦訓で16世紀後半フランス軍は槍をサーベルに変えた、と、学研の本には
>書いてありましたので、騎兵のカウンターチャージの優劣が決め手になったようには感じないのですが
>もうちょい調べてみましょう。
サン・カンタンでスペインのピストル騎兵に
仏の槍騎兵が敗北したから
槍騎兵は廃止されたと言う様な記述も
何処かに有ったかも知れぬが
77:某研究者
07/09/05 22:25:06 V87iaZm3
>ポーランド騎兵はWW2まで槍騎兵いましたね。優劣を超越したお国柄とか財政上の問題とか
>あるんじゃないでしょうか。
WW1でも胸甲兵が居たと言うが
ピストルを止める様な薄い装甲では無く
歩兵が装備していた分厚い装甲を装備していたと言う
可能性も有る訳だろうか
(騎兵のピストルはWW1では廃れて居たかも知れぬし
騎兵銃を止める必用が有ったと言う事かも
知れぬが)
78:某研究者
07/09/05 22:36:45 V87iaZm3
URLリンク(yasai.2ch.net)
> 1557年のサン=カンタンの戦においてフランス軍は皇帝軍のピストル騎兵と
>騎乗アルケブス兵に包囲され、大敗北を喫した
> フランス王アンリ2世は、従来の装甲槍騎兵6000名を補完するために軽騎兵
>3000名で軽騎兵連隊を編成していたが、この中にピストルを所持した騎兵は少数しか
>含まれていなかった
> アンリ2世はこの敗北をピストル騎兵の不備だと考えた
> 結果、1558年にはフランス軍の保有するピストル騎兵は8000を数えたが、
>その一部はその後グラヴリンで皇帝軍の複合射撃によって壊滅した
矢張りサンカンタンで仏軍が
スペインのピストル騎兵に敗れたのが
槍騎兵衰退の原因と言う事なのか
どうかだが
79:某研究者
07/09/05 22:53:08 V87iaZm3
長篠の様に城塞や土塁の銃眼から
一方的に銃や弓を撃つだけなら
傭兵も有用かも知れぬが
白兵戦や自分が銃撃を受ける様な戦いには
使えるのかだろうし
テルシオの様な密集隊形での逃走防止と言うのも
何処迄役に立ったのかだが
80:名無し三等兵
07/09/06 00:03:18
>>79
騎兵戦の件は参考になりました。レイターに負けてサーベルに転換して再逆転という流れですね。
脱走と士気崩壊点はまた別のものなので分けて考えたほうがよいでしょう。脱走・脱落は行軍中や
給料未払いの際に発生するものですからw
予想どおり、士気の評価は様々でイメージ論が多く掘り下げるのが難しいですね。姉川の合戦が
判りやすい例だと思ったんですけど、ウィキペディアでは疑問符ついてるので実際のところは
どうなんだかだが。
やる気のないレイターはカラコールの際、有効射程まで接近しないで発砲して適当に仕事をしてる
フリをしていたそうです。ありそうな話ですね。
81:某研究者
07/09/06 00:49:10 FIkdEIna
>騎兵戦の件は参考になりました。レイターに負けてサーベルに転換して再逆転という流れですね。
グスタフ・アドルフのサーベル騎兵も
ピストルは有るだろうが
敵ピストル騎兵に対して歩兵や竜騎兵が
銃でアウトレンジ射撃をして混乱させてから
騎兵(此れは軽騎兵主体だろうが)が
サーベルで突入すると言う方向だった訳だろうか
(歩兵に対しては多数の軽量砲の砲撃で混乱させた後
騎兵或いは歩兵が突撃したと言う事だろうか)
82:名無し三等兵
07/09/06 12:31:54
傭兵はチェスの様な「勝ちの形を作ればおk」な戦い向きだよな。
南北戦争はその点、組み合ってガッツリ殺り合ってるから厳しい物は有る
83:某研究者
07/09/06 17:16:39 XCs4v1rc
傭兵も城壁や土塁越しに
一方的に銃砲撃を加えるだけなら
逃走も少ないかも知れぬが
城壁や土塁が重砲で攻撃されたり
兵糧攻め等を受ければ
逃走も多く成る訳だろうか
84:名無し三等兵
07/09/06 20:03:14
傭兵を雇う理由も様々ですからねー。ヌミディア騎兵や初期テルシオみたいにプロじゃないと
できない戦術が流行ったり、ヴェネツィアみたいに人口の絶対数が足りないからとか
神聖ローマ帝国みたいに国としてそれはどうよな状態になったりとか。
中央集権化がどうとか以前に、傭兵のイナゴ的性質をみれば廃れていくのも必然でしょうかね。
>グスタフ・アドルフのサーベル騎兵
手元の資料では、騎兵のペアに対してピストル一丁装備、とかあります。ほんまかいな。スピード
重視ならこれで正しいのかもだが。ちんたらカラコールやってる騎兵を蹴散らすには充分なのか。
85:某研究者
07/09/06 21:59:59 PlRmpyk8
>>グスタフ・アドルフのサーベル騎兵
>手元の資料では、騎兵のペアに対してピストル一丁装備、とかあります。ほんまかいな。スピード
>重視ならこれで正しいのかもだが。ちんたらカラコールやってる騎兵を蹴散らすには充分なのか。
歩兵と竜騎兵に敵のピストル騎兵を銃撃させ
十分混乱させた後に
サーベル騎兵が突入するなら
サーベル騎兵のピストル装備は
必須では無いと言う事かも知れぬが
86:某研究者
07/09/06 22:17:33 PlRmpyk8
サーベル騎兵には確か
歩兵を随伴させている訳だろうし
彼等が敵歩兵及び騎兵に対して
銃撃を行い混乱させた後
サーベル騎兵が突入すると言う事だろうか
87:名無し三等兵
07/09/06 22:42:23
>>86
>彼等が敵歩兵及び騎兵に対して銃撃を行い混乱させた後サーベル騎兵が突入すると言う事だろうか
そのようです。可能なら砲兵も使用した、と。戦闘の概略図だと判りにくいですが、どうやら
行ったりきたりの反復突撃だったようです。
88:名無し三等兵
07/09/07 19:56:30
反復突撃をこなすと云うことは甲冑や旗なんかは、識別し易い独特のものだったのかな?
乱戦の中で指揮者の下、密集突撃を行うのは大変なんだろうな
89:名無し三等兵
07/09/07 21:06:04
>>88
歩兵はカーキ色で統一、騎兵も胸当て、背当て、ヘルメットのみの防具、もしくは防具なし、と
他国の騎兵より軽装で識別もしやすかったのではないかと。
軍服のはしりがこの頃のスェーデン国民軍と言われてますね。グスタフの軍もドイツの諸侯やら
傭兵やら吸収していたので、揃ってるのは子飼いの部隊だけだとは思いますが。
90:名無し三等兵
07/09/16 21:09:37 er7YBx7U
サーベルのような短い武器の場合、
馬上から正面を攻撃することは難しく
利き手側の側面方向にしか攻撃できないと思われるのですが、
集団対集団の場合どうしても馬の正面が必然的に、
歩兵と接触せざるをえなくなると思うのですが、
馬の正面と歩兵が衝突した場合、どのようなことになるのでしょうか?
91:名無し三等兵
07/09/16 21:48:25
運の悪い歩兵ならそのまま馬に跳ね飛ばされるか踏みつけられるだろうな
運良く馬をかわした(それはそのまま馬の脇に出る)歩兵が馬上の騎兵と相対するって形になるとオモ
92:名無し三等兵
07/09/16 22:01:35 er7YBx7U
>>91
なるほど。
実際に馬と歩兵が正面から衝突するとしたら
口先か足が当たると思われますが、
馬のほうが倒れるということはないのでしょうか?
93:名無し三等兵
07/09/16 22:18:45
>>92
人の勢いと馬の勢いの差を考えれば馬が倒れる確率は低いかと
まあ馬が倒れるっていう可能性そのものは十二分にあるんだけどね
94:名無し三等兵
07/09/16 22:30:52 er7YBx7U
>>93
なるほど。
確かに馬からすれば人間の質量なんて1/10ほどですから、
当たってもびくともしないかもしれませんね。
横隊を組んだ歩兵が、横隊を組んだ騎兵と対峙したときに
ちょうどサーベルで攻撃されるであろうスペースと、
馬が正面衝突するであろうスペースを考えると、
正面衝突する歩兵が半分以上になると思われるのですが、
騎兵による突撃というのは正面衝突による効果も
十分に想定されているのでしょうか?(というよりこっちがメイン?)
95:名無し三等兵
07/09/16 22:51:30
>>94
相手によるかな。槍衾とかによる対騎兵突撃の迎撃陣を組んでない歩兵相手には十分有効だと思うよ
さらに騎兵の損害を減らしたり歩兵への損害を増やす為に槍持たせたり敵陣の脇や後ろを突けばなお良いんだろうけどね
96:名無し三等兵
07/09/16 22:57:00
馬に付けるスパイクとかありそうでないよな
97:名無し三等兵
07/09/16 23:07:54 er7YBx7U
>>95
騎兵というのは馬がメインで騎手がおまけなんでしょうか?
もしくはその逆?
98:名無し三等兵
07/09/16 23:21:06 er7YBx7U
日本語には”蹴散らす”英語には”trample”という言葉がありますが、
これは騎馬隊が歩兵を踏み潰すということが語源なのでしょうか・・・
走っている馬が足で立っている人間を蹴るというのは少しイメージしにくいですが・
99:名無し三等兵
07/09/16 23:51:07
頭蓋骨踏んだらコケるだろうか。問題なくかち割れる?
100:名無し三等兵
07/09/16 23:58:28 er7YBx7U
頭蓋骨踏んづけたら間違いなく足ひねりそうです・・・
まぁ人間の身長と馬の足の動き方を考えると、
膝蹴りみたいな感じになってしまうと思いますが・・・
101:翡翠(星砂) ◆X9uEcr1WoA
07/09/17 00:04:38 UqnC47R8
頭蓋骨といえば、頭蓋骨踏んでショック起こした自衛官の話があったですね。
まあ、なれちまえば米兵はコレクションで持ち帰るし、
戦国の女房たちはお化粧までする訳ですが(生首だけど
102:名無し三等兵
07/09/17 00:21:59
いや、倒れてる人間を踏むとき、
角度によっては頭蓋骨を踏んだら危険かなーというのが気になってて。
滑るとか、関節を傷めるとか、そういう話はあるんかなと。
103:名無し三等兵
07/09/17 12:47:31 WlfgW34p
URLリンク(www.youtube.com)
これだけ密集してれば絶対馬とぶつかりますよね
104:名無し三等兵
07/09/17 17:59:41
密集隊形の死因ナンバーワンは将棋倒しによる圧死の様な気がする
105:名無し三等兵
07/09/18 01:09:01 loBMJMKa
よく騎兵の突撃で勝負が決まることが多かったって聞くけど、
これって歩兵の戦闘で既に勝敗は決まっていて、
騎兵の突撃は戦果拡張のための追撃に入り始めただけ
だという風に解釈してるんだが、どうだろうか?
106:105
07/09/18 01:14:00 loBMJMKa
つまり、
騎兵の突撃→敵に戦意がない場合→追撃戦に入る。
騎兵の突撃→敵に戦意がある場合→馬が立ち止まる。
どう考えても密集した歩兵の大群の中に馬が入り込もうとするとは思えないし
こういう解釈でいいですか?
107:名無し三等兵
07/09/18 07:46:23
密集した歩兵の大群に入り込もうとするとは思えないといってるけど、
そもそも歩兵が密集して長槍を構えるのは騎兵突撃を防ぐためのものなんだから順序がおかしい
逆にそこまでしないと突撃を満足に防げず壊滅的なダメージを受けるという見方も出来る
108:名無し三等兵
07/09/18 07:52:34
射撃戦で戦列を崩して、騎兵を崩したとこに突入させて決定打にする、というのが三兵戦術の
理想形なのではないかな。ただ、個々の会戦の記録を見たかんじでは、理想どおりに決まらない
ことも多々あるようで。
敗走する敵を追撃して戦果拡大するのはこの後で、そっちは割りと普通に決まってるようですな。
この二つは別モノなので、分けて考えたほうがいいです。
109:名無し三等兵
07/09/18 14:34:54
騎兵突撃の真の目的は突撃の衝撃力をもって敵の士気を破壊すること
近世における戦列歩兵同士の戦いでフィニッシュに
銃剣突撃をもってくるのもこの効果を狙ったもの。
ナポレオンの時代になると射撃だけでカタが付く場合も増えてたようだけど
騎兵はその機動力で「敵戦力の最も弱ってる部分」に戦力を集中でき
歩兵の突撃より高い効果を発揮することができる。
そして敵をすべて打ち倒すことができなくとも
戦列歩兵が突撃に恐れをなして逃げ出せば目的は達せられる。
110:名無し三等兵
07/09/18 16:52:30 loBMJMKa
>騎兵を崩したとこに突入させて決定打にする
>騎兵突撃の真の目的は突撃の衝撃力をもって敵の士気を破壊すること
決定打になるということは、
騎兵が接近してきた時点で相手が逃げ始めて追撃戦が始まるということじゃないですか?
つまり騎兵の突撃というのは見た目だけの恐怖で、
実際に歩兵とぶつかり合った場合、たいして強くはないのではないかと思います。
111:名無し三等兵
07/09/18 17:10:52
当時の馬が現代に比べて随分と小柄だったらしいという話をを考慮しても、
鎧を着て槍を持った棘付鈍器のような騎兵が加速して突っ込んでくるんだぞ
そんなもんと正面衝突すれば間違いなく無事ではすまない
十数人ぐらいが束になって死を覚悟して壁になれば騎兵側も転倒するかもしれないが、
はっきりいってそんなことをするよりその場は放棄して側面から攻めた方がいいだろう
その時点で陣形は完全に崩壊してるわけで、かといって命を投げ出して盾になれと歩兵にいって聞くはずも無く、
仕方ないんで絶対安全になるようアホみたいに長い槍を持たせるようになった
戦術におおきな影響も与えた騎兵を強くないとしたら何が強いんだ?
112:名無し三等兵
07/09/18 17:56:03 loBMJMKa
>>111
確かに重量と速度をもって突撃する際のエネルギーは凄まじいですが、
逆に速度が出ているということは、足に銃剣が少しでも触れれば絶対に馬はこけるでしょう。
つまりスピードがでることによって有利になるのは騎兵だけじゃないということです。
113:名無し三等兵
07/09/18 19:07:10
>>112
そのこけた馬は歩兵に向かって勢いよく突っ込みながら圧し掛かってくるんだぞ
銃剣程度の長さじゃ間違いなく歩兵は直撃されて死ぬか重傷
しかも正面からこられたら足へ攻撃できるチャンスなんて一秒も無いだろう
しくじれば体当たりorランスが待ってるわけでどこが有利なんだ?
114:名無し三等兵
07/09/18 19:12:34
走ってようが止まってようが足を切りつけられりゃ馬なんて即戦力外
銃剣が使われるような時代には既にランスチャージなんて廃れてたろ
115:名無し三等兵
07/09/18 19:17:26
>>112
私が思うに19世紀騎兵突撃の速度・重量によるエネルギーは正直疑問です。白兵戦レンジに
なれば止まってチャンバラしてるような気がしますし。むしろ、数頭が組になって馬術で翻弄して
切り刻んでるんじゃないかと思うんですが、どうでしょうね。
あと、騎兵は完全なプロであるのに対し、歩兵は徴兵で編成されたニワカ兵士が多いケースが
想定されるので、そういう場合では騎兵に一日の長があるかもしれません。
116:名無し三等兵
07/09/18 20:23:08
>>115
状況を色々混同していないか?
その白兵戦レンジに有利な状況を強いる為の騎兵突撃だろうが・・・
君の理屈だと、歩兵と騎兵が胸先三寸で睨み合ってから戦闘開始しているようじゃないか?
117:名無し三等兵
07/09/18 20:28:33
その時代の騎兵突撃となると正面から突っ込んでいくというよりは、
機動面での優位性を生かして側面や背後へ回り込み白兵戦じゃないか?
馬に乗っただけで相当の高さになるし、そんなところから打ち下ろされたら防御出来ないだろ
118:名無し三等兵
07/09/18 20:50:51
>>114
うっかり敵戦列の中で立ち止まってしまった騎兵は悲惨だろうなあ・・・
ナポレオン戦争の時代に一度槍騎兵が兵科として復活してることを考えると
銃剣と騎兵槍(昔の重騎兵のランスとは形状が違うが)では間合いの点で
槍騎兵に一日の長があったんじゃないかと思う。
騎兵の、とくに軽騎兵の強みは
不利そうならば間合いをあけて様子を見る、有利と見れば襲いかかる。
負けそうになったら逃走する。見通し効かない地形で歩兵に先行し待ち伏せる
といった柔軟な戦術的行動がとれるところ。
騎兵突撃そのものの不利、有利よりも機動力を生かすことにより
有利な戦いを展開できる状況を選んで戦うことができるわけだ。
ナポレオン軍の戦列歩兵とエジプト、マムルークの場合だと
真っ向からの戦いではナポレオン側が方陣で一方的に勝利してる。
しかし行軍を少数のマムルークのグループで追尾し列からはぐれた奴を狩ったり
わざと姿を晒し襲撃のプレッシャーを与えて野営を邪魔したりと
会戦以外のところではナポレオン軍に一方的なダメージを与えている。
銃剣が林立する中に突っ込んでいくのは重騎兵や槍騎兵の仕事。
それだってきっちり銃兵や砲兵の援護を受けられれば戦列が歯抜けになった
状態で有利に突撃を敢行できるだろう。
敵の戦列が健在な場合は(歩兵がどーゆー陣形組んでたにもよるが)騎兵側が不利。
衝撃力が生かせるのは戦列に接触した瞬間だけで
あたあ歩兵の「肉のクッション」に突撃力を削がれ
騎兵との正面衝突を免れた兵士につつかれてエンド。
そうなりゃ敵戦列後方へ走り抜けるか反転逃走するしかなくなる
119:名無し三等兵
07/09/18 20:58:48
>>118
命を省みなければ騎兵と騎馬で歩兵を数人は殺せるわけか
まぁ、軍馬の調教の手間を考えると割に合うものじゃないな
120:名無し三等兵
07/09/18 21:12:11 loBMJMKa
でもたしかに曙3人が40kmくらいの速さで飛んでくることを考えると、
斬る斬られる関係なしに突撃には一定の効果はありそうですね。(一種の大砲みたいなもんですね)
121:名無し三等兵
07/09/18 21:33:21
英国の制式小銃だったブラウン・ベス マスケットライフルのレプリカを持ってる、
これ、着剣して銃床を脇に抱えるようにして上向きに構えると銃剣の先のとこが
ちょうど騎兵の胸の当たりに来るようになってるんだよね。
遊んでたらうっかり部屋の天井に穴あけちまって親にボコられた。
これが林立する中で突撃を敢行する重騎兵は本当に命知らずだと思う・・・
122:名無し三等兵
07/09/18 21:48:43
>>121
順序が逆
突撃されないようにそれらが作り出された
それじゃダイアモンドを加工できるダイアモンド用カッターは凄いと思うってのと一緒
ダイアモンド用のカッターなんだからダイアモンド加工できて当然だろうが
123:名無し三等兵
07/09/19 01:01:21
時代によっては歩兵こそが敵の列に穴を開けるハンマーと呼ばれてた事もあるし・・・・
大規模だとあまり馬の出番が無い印象が
逆に小規模だと弩とかの出番が無いというし
124:名無し三等兵
07/09/19 02:56:44
>>123
たとえばワーテルロー野戦いにおけるネイの騎兵突撃においては
ナポレオン軍の全騎兵合わせて一万騎が投入された。
(ちなみに歩兵騎兵砲兵あわせたナポレオン軍全戦力は約7万2000)
はっきり言って一万騎の騎兵突撃なんて規模がでかすぎて想像もつかないが・・・
この突撃は歩兵、砲兵の支援も無く結局は失敗するけど
ウェリントンが命じて作らせた13(20?)の方陣のうち7つは突撃に耐えきれず
打ち崩されてしまった。
騎兵突撃はひとたび行えば正否に関係なく敵味方双方に大損害をもたらすという例
125:名無し三等兵
07/09/19 08:48:14
一度つっこんでやっぱりバックしますとかできんから
最初の突撃で蹴散らせんと双方カオスだろ
126:名無し三等兵
07/09/19 17:42:54 +gGRF2Rt
そもそも突撃が失敗するというのは
突撃しようとしても馬が止まってしまったということ?
それとも突撃はできたが被害が大きかったということ?
127:名無し三等兵
07/09/19 17:55:29
なんだよ某研は普通に話せるじゃないか!
やっと打ち解けたんだね。いいことだ
128:名無し三等兵
07/09/19 18:46:27
騎兵単独で突撃したら英軍が方陣形を敷いててまともに射撃をくらって
撃退された。だったか(下手な日本語orz
129:名無し三等兵
07/09/19 20:43:00 +gGRF2Rt
射撃で撃退されるってのは分かりやすいな。
そもそも命中率は悪いとはいえ、2~3mの距離だったらほぼ確実に当たるだろうし、
槍なんかよりこっちのほうがよっぽど騎兵対策になりそうだ。
あと騎兵って敵陣のなかではかなり強いのかなと思う。
たとえば槍兵の密集陣なんかの中には入り込めば
近くで人が密集した状態で槍を使うなんてほぼ不可能だから
剣をもった騎兵側が一方的に攻撃できるのではないかという訳だが、
当時の歩兵階級(大部分が農民)の者が持っているようなもので短くて強い武器はあるのだろうか?
130:名無し三等兵
07/09/19 20:51:14
その農民の時代によるが百年戦争時ならこん棒。
131:名無し三等兵
07/09/19 20:55:46
歩兵が簡単に使える近接武器で最強なのは間違いなくモーニングスター
キルレートが歩兵1:騎兵2とまでいわれるに至った必殺武器
まぁ、まだ鎧をガチガチに固めてた頃の話だけどね
132:名無し三等兵
07/09/19 22:09:18
射撃だけじゃ騎兵突撃の撃退は難しいと思う
ギャロップまで加速した馬は30秒で400メートルは走るので
マスケットの有効射程に入ってからあっという間に間合いをつめられてしまう
騎兵を銃剣で迎え撃つための準備も必要だから
接触までに一斉射撃を1,2回できれば上等、てとこかな
砲兵の支援が受けられるなら接触前にかなり頭数を減らせそうだけど
>>131
モーニングスターて騎兵が主に使う対装甲騎兵用の武器じゃなかったっけ
農民兵だと専らフットマンズフレイル,トライデント,ミリタリーフォーク等の
長柄武器だけ装備してたんじゃないかと思う
短いのだと農具から転用できる鎌とか斧とか、かな。
中世の農民反乱とかで騎兵を引っ掛けて馬から引きずり倒すため「だけ」の武器があって
長柄の武器を持たない農民がそいつで地面に引きずりおろされた騎兵をよってたかって
ボコってる様子を描いた絵があったな
いくら装甲騎兵が鈍重だといっても対騎兵用の障害物か長柄の武器がないと
騎兵の足どめは難しいと思う。短い武器使うのはとどめさす時くらいかと
133:名無し三等兵
07/09/20 01:25:34 oiNYhzqL
>>132
1,2回しか撃てないのなら、最初から我慢して接近する直前に撃ったらどうだろうか?
ピストル騎兵が騎士を駆逐したとよく言われるが、マスケットだって同じようなものな訳だし。
ただ馬の生命力というのがよく分からないな。
人間なら確実に当たれば戦闘不能になるだろうが、
馬なら興奮して暴れまわって逆に敵を跳ね飛ばすかもしれない。
134:名無し三等兵
07/09/20 01:44:41
ナポレオンの頃になると騎兵、歩兵、砲兵の諸兵科が連合してあたるのが
普通で騎兵が単独で突入するのが難しくなったもより。
防御側も対騎兵戦術というか定番が出来ているので簡単に突破蹂躙される
わけではないもより。
135:名無し三等兵
07/09/20 16:39:05
>>134
そうなると歩兵、砲兵が援護なんじゃなくて、
騎兵が援護っぽいな。
136:名無し三等兵
07/09/20 20:09:42
昼は歩兵を守り夜は戦車を守りってか?
137:名無し三等兵
07/09/20 22:25:00
ナポレオン戦役以降の騎兵は、
確かに損害が酷い事が多いかも…
翼側援護や包囲旋円運動や前衛に使うなら兎も角、
騎兵突撃には場所とタイミングを読むセンスと、
二度目が有るとは考えない思い切りが求められそうですな。
138:名無し三等兵
07/09/20 23:13:23
たとえ側面からでも
槍を持った歩兵の陣形に騎兵が入っていっても
槍の柄につっかかってこけそうな気がする。
139:某研究者
07/09/21 07:00:41 IHToMP+Z
槍騎兵なら銃剣相手なら
問題無く突撃は出来たかも知れぬが
ネイの騎兵に槍騎兵は何処迄居たのかだが
ハルバードでは2m前後の物も多いから
ランスを持った騎兵の阻止は困難かも知れぬが
パイクなら当然阻止は可能だろうし
パイク登場前に3.5m程度のポールアームも
絵には結構描かれて居るだろうか
ヘースティングスに出て来た
サクソンのシールドウォールの様な物でも
槍騎兵の防御は可能と言う事だろうが
>歩兵が簡単に使える近接武器で最強なのは間違いなくモーニングスター
>キルレートが歩兵1:騎兵2とまでいわれるに至った必殺武器
>まぁ、まだ鎧をガチガチに固めてた頃の話だけどね
まあしかしフットマンズフレイルは確か2m程度だろうから
クルトレーの様に騎士を泥沼で動きを止めた状態で無ければ
ランスに刺されてアウトかも知れぬし
動きの止まった騎士なら
槍やハルバードでも倒せると言う事かも知れぬが
止まった騎士からのランスでの反撃と言うのも
威力は低いかも知れぬが
有り得る訳だろうか
140:某研究者
07/09/21 07:34:42 IHToMP+Z
下馬騎士が敵乗馬騎兵を阻止等と言う
記述も有っただろうが
一体何を構えて阻止したのかだが
ランスで馬を狙うと言う様な
方向だったのだろうか
(ポワティエでは仏の下馬騎士が乗馬騎士に蹴散らされて居るが
下馬騎士はランスは構えて居たのか
どうかだが)
或いは英の下馬騎士の様に
下馬騎士を下馬騎士で阻止すると言う様な
局面が大半だったのか
どうかだが
英騎兵がシルトロンの真似をして
下馬して長槍を構えたと言う様な
記述も何処かに有ったが
此れはランスを構えて居たのかどうかだが
マクシミリアン1世が下馬してパイクを構えた等と言う様な
記述も有るが
16世紀の下馬騎士は下馬戦闘時にはパイクを構えたのか
どうかだが
此れ以前は(対乗馬騎兵では)ランスを構えて居たのか
どうかだが
下馬騎士や歩兵相手にはランスやパイクを構えて居ない例も
多かったのかどうかだが
141:名無し三等兵
07/09/21 07:36:13
動きが止まったら、高さの利得はあるだろうけど、
馬を攻撃されてアウトなのでは。
前に、スカパー当りで見た、トーナメント再現するイギリスの番組の専門家とやらが、
歩兵用のポラックス(POLE AXEか?)のポールは馬の首の意味と言ってたので、
馬を狙うのも常道だったんだろうし。
142:某研究者
07/09/21 07:53:58 IHToMP+Z
URLリンク(www1.neweb.ne.jp)
アルベドでは下馬騎士にパイク兵がやられている訳だろうし
下馬騎士に乗馬騎士を阻止出来る長柄武器を持たせれば
最強と言う事かも知れぬが
テルシオのランツクネヒトが使った様な塹壕には
対処出来ぬ訳だろうか
143:某研究者
07/09/21 07:56:23 IHToMP+Z
>動きが止まったら、高さの利得はあるだろうけど、
>馬を攻撃されてアウトなのでは。
泥沼等で動きが止まっていても
2m程度のフットマンズフレイやハルバードでは
ランスで反撃を受ける恐れは有るかも知れぬが
威力はどの程度有るのかだろうし
歩兵の数でやられる可能性は
有るかも知れぬが
144:某研究者
07/09/21 08:07:33 IHToMP+Z
百年戦争の英軍は
柵や杭・泥沼で乗馬騎兵を防御
下馬騎兵で敵の下馬騎兵を迎撃と言う様な
戦術だったと言う事かも知れぬし
下馬騎兵で乗馬騎兵を直接阻止したのかだが
何れにせよゲリラ戦を行うゲクランには
通用しなかった訳だろうか
>騎兵の、とくに軽騎兵の強みは
>不利そうならば間合いをあけて様子を見る、有利と見れば襲いかかる。
>負けそうになったら逃走する。見通し効かない地形で歩兵に先行し待ち伏せる
>といった柔軟な戦術的行動がとれるところ。
機動性の低い歩兵や重騎兵を迂回して
農地等を攻撃して焦土戦術をやれるのが
最大の強みかも知れぬし
フス教徒も神聖ローマのハンガリー軽騎兵に
此れをやられて敗れ掛けて居たが
戦車に橇を付けての奇襲攻撃で
(戦車での攻勢を想定して居なかった)
ハンガリー軽騎兵に勝利したと言う事だっただろうが
(まあしかしこんな手は何度も通用したのかだろうが
軽騎兵に農地を蹂躙される前に
ローマを早期に攻略すれば
勝てたと言う事かも知れぬが)
145:某研究者
07/09/21 08:12:22 IHToMP+Z
森林地帯や山岳地帯であれば
道路等に陣地を作って
少数の兵を分散配置し
軽騎兵を阻止すると言う様な方向も有るだろうが
(日本ではモンゴル軽騎兵に対して
この様な戦術が取れた訳だろうか)
平地では困難な訳だろうか
(まあしかし軽騎兵に対して軽騎兵で対処すると言う
方向も有る訳だろうし
バイバルス等は此れを考えたのか
どうかだが)
146:名無し三等兵
07/09/21 08:14:09 EHyH5/+A
>>141
歩兵が馬を狙ってる間、騎兵は死ぬ危険なく歩兵を狙える
馬をやられても騎兵は即座に戦闘不能になるわけじゃないし、
少なくとも俺はその馬を狙う歩兵役にはなりたくないな
147:名無し三等兵
07/09/21 08:39:57
たとえば、一列目は馬狙いで二列目は人狙いとか?
パイク兵の陣形みてるとそんな気がする。
一列目は出来るだけパイクを寝かせて構えて、馬にぶっさす。
二列目は同時に人に向けて。
ともかく騎兵への歩兵対応は共同作業してたと思うけどな。
148:某研究者
07/09/21 08:51:17 IHToMP+Z
>(まあしかし軽騎兵に対して軽騎兵で対処すると言う
> 方向も有る訳だろうし
> バイバルス等は此れを考えたのか
> どうかだが)
敵軽騎兵での農地への攻撃に対抗するには
軽騎兵を派遣しつつ
農民を武装させて対処と言う方向が
良いのかどうかだが
149:某研究者
07/09/21 08:56:48 IHToMP+Z
URLリンク(www.myarmoury.com)
一番上の画像に有る
ポールアーム(此れは3m程度だろうか)では
ランスに対抗するにはやや短いと言う事は
無いのかだが
150:名無し三等兵
07/09/21 09:02:54
>>147
パイクは装填の隙に騎兵が突撃するのを防ぐためのものだからちょっと違うと思う
後方で待機し、前衛が発砲し終わったら入れ替わるって感じだろう
151:名無し三等兵
07/09/21 09:11:11
それが、その再現番組のシーンでは、
わりと短い、人の身長よりちょい長い鍵爪つき斧みたいなので、
騎士一人に10人くらいで囲んで群がって馬の首狙いながらボコってた。
いつのどこという設定だったのか知らんが。イギリス国内か?
番組のクライマックスが、ペンブローク城でトーナメント再現だったが。
152:名無し三等兵
07/09/21 21:54:32
スイス槍兵が登場するまで中世の戦場は騎士の独走場だったというが、
スイス槍兵もごくごく普通の槍の密集陣なんだよな。ファランクスとほとんど変わらない。
そんなものが一世を風靡するとは、スイス槍兵が登場する前のヨーロッパの歩兵ってどんな感じだったんだろうか?
恐らく駆り出された農民が歩兵の大部分だったと思われるが、
装備は誰が用意したのだろうか?どんな装備をしていたのだろうか?
153:名無し三等兵
07/09/21 23:48:50
>>150
それだけでもないらしいよ。
以下、勝手に引用。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
URLリンク(w3.shinkigensha.co.jp)
確かに銃兵が現れるとそれの防護の役割も受け持つようになる。
最後は銃兵が槍兵にもなれるバヨネットによって廃れる事になる。
154:名無し三等兵
07/09/21 23:56:52
そういえば、瓶詰の発明がナポレオンの行軍に大きく影響したって読んだなぁ。
板的には激しく既出だけど。(数年前に読んだけど、戦争の科学面白かったよ。
今は湯浅赳夫氏の環境と文明を読んでる。まぁ広義的でスレ違いだけど読みやすくてオヌヌメ。
社会状況や背景がつかみ易いよ。
155:名無し三等兵
07/09/22 00:34:28
>>152
装備は自前が基本
騎士みたいに鎧や刀剣、軍馬なんかの維持費がバカにならないから
いくら騎士が身分とは独立した概念だったらしいとしても農民なんかじゃ用意できたはずがねえ
156:名無し三等兵
07/09/22 01:14:42
>>155
だとすると農具を武器にしていたのだろうか?
157:名無し三等兵
07/09/22 02:48:15
>>156
ヌンチャク状の脱穀器具がフレイルに、藁積み用フォークがミリタリーフォークに、
両手持ちの刈り入れ鎌がサイズになってったし、農具ルーツの武器は結構あるよ。
でも防具にまで手が回ったかどうかは分からないや。日本だと刀や槍よりも鎧の方が高価だったらしいし。
ちなみに白兵武器の大半は槍・弓の狩猟武器か斧や鎌とかの道具がルーツであり、
剣やメイスみたいな最初から対人武器として生まれた白兵武器はそんなに多くないとか。
158:名無し三等兵
07/09/22 03:37:01
鎖鎌みたいなもんか
159:名無し三等兵
07/09/22 08:00:40
何とかフォークだけで一度参加して騎士様の死体から奪うんじゃないの?
160:名無し三等兵
07/09/22 09:03:56
たいがい騎士の数<農民の数だから
城の武器庫でも襲わない限り
奪い取っても十分な数いきわたんないでしょ。
結局農具や生活用品をそのまま武器に転用するんが
一番手っ取り早い
そいやフランス革命のバスチーユ襲撃も
平民達の武器の入手が目的で始まったんだよな・・・
161:某研究者
07/09/22 13:19:15 7basrzPT
>スイス槍兵が登場するまで中世の戦場は騎士の独走場だったというが、
サクソンの様なシールドウォールや
スコットランドのシルトロンでも騎兵は防護され
イングランド軍が用いた柵や杭・フス教徒の戦車
リチャードが用いた荷車等でも
騎兵は阻止されて居た訳だろうか
(障害物を利用して騎兵を防いだと言うのは
何時頃からなのかだが
リチャードの荷車が一番最初なのかだろうし
中国にも可也古くから有ったかも知れぬが
城で防いだと言うなら
万里の長城以前でも無論有る訳だろうか)
>スイス槍兵もごくごく普通の槍の密集陣なんだよな。ファランクスとほとんど変わらない。
マケドニアファランクスより槍は短いだろうし
盾も構えて居ない訳だろうか
162:某研究者
07/09/22 13:19:54 7basrzPT
>そんなものが一世を風靡するとは、スイス槍兵が登場する前のヨーロッパの歩兵ってどんな感じだったんだろうか?
>恐らく駆り出された農民が歩兵の大部分だったと思われるが、
>装備は誰が用意したのだろうか?どんな装備をしていたのだろうか?
弓や槍は狩猟用の物が転用出来る訳だろうし
鎌や斧・ハンマー・短剣等も有る訳だろうが
防具は奪った物も多かったと言う事かも知れぬが
盾の作製程度なら技術は無用かも知れぬし
鎧も只の毛皮や
木の板を布に縫い付けるだけでも
可也防御力は有るかも知れぬが
この手の鎧は使われたのかどうかだが
綿甲や皮甲程度なら農民が自前で容易に作れないのか
どうかだが
163:某研究者
07/09/22 13:23:25 7basrzPT
>(障害物を利用して騎兵を防いだと言うのは
> 何時頃からなのかだが
クルトレーでの泥沼と言うのも有るだろうが
落とし穴等を使用したと言うのも
何処かに有ったかも知れぬが
164:某研究者
07/09/22 13:25:03 7basrzPT
パイク兵も下馬騎士にやられているし
下馬騎士は下馬騎士で阻止するか
地形を利用し無いと阻止出来無いと言う事かも知れぬが
165:某研究者
07/09/22 18:25:09 fLbyswz1
モンゴル軍も重騎兵と軽騎兵が
別々に動いて居るのかだろうし
焦土戦術をやられても
重騎兵でも追いつけなくは無いかも知れぬが
騎兵が歩兵無しで単独で長距離移動すると言う発想は
西欧には有るのかどうかだが
フス派に対して焦土戦術を取った
ハンガリー騎兵は騎兵のみで
移動して居たのかも知れぬが
166:某研究者
07/09/22 18:26:18 fLbyswz1
日本に関しても騎馬武者だけで
長距離行軍すると言う発想は
無いと言う事かも知れぬが
モンゴルの戦術を知るバイバルスは
どう対抗したのか
どうかだが
167:名無し三等兵
07/09/22 20:01:30
陸軍学校でガラスを拳骨でブチやぶって
移動速度の重要性を教えていたが
168:名無し三等兵
07/09/22 20:34:20
>>161
騎士対策が成功しているのはいずれも騎士を近づけさせないことによるものが多いんだな。
逆にそれは接近した時の騎士の強さを物語っているのか、
もしくは手軽にできるからとりあえずやってみたのかが気になるところだが。
169:名無し三等兵
07/09/22 22:12:30
>>168
接近は接近でも猛スピードでの接近だからこそヤバイんでしょ
ただの接近だったらそこまで騎兵を恐れる必要はないとオモ
170:名無し三等兵
07/09/23 04:34:31
中世(12~14世紀)の戦争において戦闘が
歩兵や騎兵を含む大兵力同士の野戦に至る例はかなり稀でした。
当時の戦争の形態として一般的だったのは
一,騎兵同士の小競り合い、遭遇戦。
二,少数の騎兵が敵領土の奥深くまで侵入し農村や畑を荒らして回る
「騎行」と呼ばれる行為。
三、そして攻城戦と防衛戦。
これらの戦争は騎兵同士、小兵力で行われることが多く
個々の戦闘における歩兵の役割は無いに等しかったといえましょう。
せいぜい三の攻城、防衛戦で民兵に動員がかかる程度でした。
当時の騎士階級にとって農民は戦力や兵士ではなく
馬や城と同じ己の財産であり
むしろ外敵から庇護すべき存在だったのです。
ですから農民が自らすすんで武器をとるということは
封建領主への反抗(一揆)
異民族の侵入に対する防衛&反撃(十字軍、レコンキスタ)
などを除いてはほとんど見られません
171:名無し三等兵
07/09/23 04:58:28
いっぽう低地地方(フランドル)など中世において早期に
都市と商業が発達し余剰人口をかかえる地方。
あるいはスイス、スコットランド、ウェールズなど
土地が耕作に向いておらず封建制の保持と食糧の自給に困難をきたす地域は
傭兵の発生も西欧の他の地域に先駆けておこりました。
流通と商業の発展によって生じる富。
その富を通じて主権の拡大をはかる都市は
たいがい既存の権力である封建領主とは仲が悪く
免税特権や自治権をめぐりしばしば争いを起こしています。
そして中央集権を目指す王と封建領主との間に争いが起きた時
これらの都市はしばしば国王側に味方し、
国王にとってよい戦力(あるいは軍資金)の供給源となりました。
この軍資金によって集められた傭兵たちは封建制の崩壊とともに
しだいに歴史の表舞台に登場してきます
172:名無し三等兵
07/09/23 06:25:36
長々と考察続けます。すみません
個人的には中世の戦闘において騎兵がその主力を担ったのは
その戦闘力の高さよりは上で示したような中世の戦闘の形態
によるものだと考えます。
暗黒時代のただなか、ヨーロッパ全体がまだ文明の遅れたド田舎
だったころ、ヨーロッパはしばしば外部の異民族による侵略に
さらされていました。
北方からはバイキング。東からは騎馬民族マジャール
南と西からも同じく騎馬をその戦力の主体とするイスラムの軍。
いずれも騎兵、あるいは船の機動力をいかした攻撃を行い
民族大移動期のカオスから立ち直りつつあった町や村を襲って
国土を荒廃させていきます。
彼等は自らの足のかわりに潮の流れや馬の脚などを利用することにより
飛躍的な行動範囲の増大をはかり、いずれもヨーロッパ周辺に
一大勢力を築きます(ただし当時の西欧より文化レベルの低かった者たちや
キリスト教に勝る宗教的なアイデンティティーを獲得できなかった者たちは
支配の過程でしだいに同化していく)
173:名無し三等兵
07/09/23 06:26:17
当時の西欧の王や支配階級はこれら異民族との戦闘に苦しみつつも
しだいに打開策を見いだしていきます。
城壁による辺境の町や村の防備強化。砦や城の建造
(騎馬民族は体質的にあんま高度な攻城能力を持てない故に有効な対策。
モンゴルは攻城技術を持つ被支配民族の編入によりその弱点を克服)
封建制の導入による騎兵の主力化。(馬の機動力には馬の機動力で対応)
そして最終的には一定距離毎に建造される城や砦のネットワークで国土を覆い
そのうち一か所が攻撃を受ければ他の隣接する城から騎兵を出し
城壁で敵を足留めしてる間に内と外から逆包囲→殲滅という
城の防衛力と騎兵の機動力を組み合わせた効率的な戦術を編み出します。
(軍事用語で機動防御というんだっけか?)
これは当時の気候が厳しく人的資源の乏しいヨーロッパにおいて
極めて限られた戦力で効率的に国土を防衛する優れたシステムでした
そうしてこの戦争の形態は、外部からの侵攻が止み、ヨーロッパの内側で
国々や貴族たちが争うようになってからも継続されることになります。
174:名無し三等兵
07/09/23 07:07:51
ヨーロッパの周辺部、たとえば
イングランド、東欧、イベリア半島などに多数の城塞やその遺跡が
見られるのがその証拠です。
それらの地域においては外部からの侵攻がやんだ後の膨張期にも
征服地域に城塞のネットワークを作り上げ、支配の基盤としていったため
最終的に建てられた城塞の数は万の位にまで達しました。
一方で例外もありました。
イスラムの侵攻にさらされたビザンツ帝国です
彼等は他のヨーロッパの地域と違い
・既に十分に開発された穀倉地帯と多くの人的資源を持つ。
すなわちそれによって支えられる大規模な野戦軍を有する
・当時ヨーロッパで最大規模の海軍と東部地中海の制海権
・ローマより直接受け継いだ優れた石造建築技術
(ローマの支配からはなれた初期の西欧の城塞建築の多くは木造であり
石造建築の技術は十字軍によって再度西欧にもたらされることになる)
・科学技術(ギリシヤの火とかね)
これらの要素によりヨーロッパの中では唯一城塞のネットワークに頼らず
イスラム帝国の侵略から国土の防衛に成功します。
尤も、ビザンツに関してはその語も東方からの異民族の侵入がやまず
西のノルマン、東のセルジュークトルコからの攻撃を経て
最終的にオスマントルコに潰されちゃいますが・・・
175:名無し三等兵
07/09/23 07:56:16
自力で「城塞ネットワーク」という方法論をあみだし防衛に成功した彼等に対し
いわばほとんど「ローマから受け継いだもの」だけで自らを守り続けていた
ビザンツがいずれ衰亡していくのは避けられない運命だったと思います。
そしてその後もヨーロッパの列強諸国は
ビザンツからローマ時代の技術、文化を学び
オスマントルコやモンゴル帝国から中央集権によって作られた軍隊の強力さを学びます
ルネサンスを経た西欧の王たちの多くが封建制を見捨て王権を強化する方向に向かった時、
彼等の手の内にはヨーロッパの貧しい地域からやってきた多くの傭兵たちと
資本主義が発展を遂げる都市部より吸い上げた莫大な軍資金があったのです。
176:名無し三等兵
07/09/23 10:38:03
>>168
それらの罠や穴、盾を用意する手間は容易じゃない
槍にしたって、7mのパイクなんて持ち運ぶだけで一苦労
それらと全く同じ対策をすれば、騎兵じゃなくても、
大半の飛び道具以外は封じられることを考えれば、
騎兵がどれだけ徹底的に対策されていたか分かるんじゃないか
177:某研究者
07/09/23 19:50:13 JreBirJY
>槍にしたって、7mのパイクなんて持ち運ぶだけで一苦労
3.5m程度のパイクやシルトロンの槍が
確か多用されたと言う事だろうし
此れは日本の槍足軽の短い槍とほぼ同様と言う
事だろうか
178:某研究者
07/09/23 20:03:03 JreBirJY
>そして最終的には一定距離毎に建造される城や砦のネットワークで国土を覆い
>そのうち一か所が攻撃を受ければ他の隣接する城から騎兵を出し
>城壁で敵を足留めしてる間に内と外から逆包囲→殲滅という
>城の防衛力と騎兵の機動力を組み合わせた効率的な戦術を編み出します。
此れは敵の戦力が多ければ
頓挫すると言う事も有り得る訳だろうか
(騎士だけではイスラム弓騎兵には
アルスーフ等を見る限り
全く太刀打ちは無理な訳だろうか)
179:某研究者
07/09/23 20:04:29 JreBirJY
篭城すればイスラム兵の弓は無力かも知れぬし
敵兵力が少なければ騎士だけでも勝てるかも知れぬが
救援に来た騎士は弓でやられる可能性も
有る訳だろうか
180:某研究者
07/09/23 20:10:24 JreBirJY
騎士が単独で
野戦でモンゴルやイスラムの弓騎兵と戦えば
全く勝ち目は無い訳だろうし
アルスーフの様に弓歩兵の援護が無ければ無理だろうか
181:名無し三等兵
07/09/24 02:28:21
>>178
イスラム軍と直接対峙していた
イベリア半島のキリスト教軍における騎兵は西欧の他の地域の騎兵と異なり
軽騎兵が騎兵部隊の主力を成し、重騎兵は補助に回っていたようです。
イベリア半島北部~中央部は乾燥した山岳地帯が多く
あまり重騎兵の運用に向いていなかった、ということと
矢張り軽騎兵の機動力無くしてはイスラムの騎兵軍には
対抗できなかったのではないか、という事が大きいと思われます。
182:名無し三等兵
07/09/25 19:29:08
Mount&Blade 途中までタダなんで試してみてください。
183:某研究者
07/09/26 17:02:37 JAfwr7R4
>イスラム軍と直接対峙していた
>イベリア半島のキリスト教軍における騎兵は西欧の他の地域の騎兵と異なり
>軽騎兵が騎兵部隊の主力を成し、重騎兵は補助に回っていたようです。
スペインの軽騎兵は弓は有るのか
どうかだろうし
無ければイスラムの軽騎兵には
対抗不能かも知れぬが
ハンガリー軽騎兵には確か弓は
有ったかも知れぬが
184:名無し三等兵
07/09/26 20:38:34
アンダルシアのイスラムは中央アジア出身はほとんどいなかったから
大半が騎馬弓兵には不向きの大型のアラブ式の弓を使ったと思うよ。
双方に騎馬クロスボウ兵もいたらしいけど
一般的に言う騎馬弓兵と同じように戦ったかは知らないなあ。
185:名無し三等兵
07/09/27 00:11:35
TV放送済みのはさすがに外してくれると助かるな
アニメでHDレこ録画はもはや不可能
186:名無し三等兵
07/09/27 00:41:22
レコンキスタで活躍した軽歩兵及び軽騎兵の装備を見てみると
歩兵はクロスボウ中心で騎馬クロスボウ兵とかも居た。
手もとの本(オスプレイ)には「騎乗しながら射ることもあった」とあるけど
下馬か停止状態での射撃がメインだったんじゃないかな?
軽騎兵は投げ槍,刀剣を主装備とするベルベル人傭兵(どこの民族だろう?)
「ヒネーテ」と重騎兵。
野戦では重騎兵が戦列中央に陣取り軽騎兵が側面を固める。
重騎兵も、重たいグレートヘルムやプレートアーマーは
さほど用いられなかったとこを見るとドイツやフランスと違い
あまり重装化は進まなかったようです
ジブラルタルを渡ってきて西ゴートをやっつけたイスラム軍は
いわゆる遊牧騎馬民族ではなかったのだろうか?
彼等の騎兵の装備を見るとやっぱ投げ槍が多くて所謂弓騎兵ぽいのは見当たらない
イベリア半島に渡ってきたことで変化したのかもとから違うのか。
北アフリカと中央アジアの軽騎兵で戦う民族の性質の違いが気になるところだ。
187:名無し三等兵
07/09/27 00:48:46
そもそも
「狩り、遊牧、交易」を生業とする騎馬民族でなけりゃ
練度が高い弓騎兵を常時まとまった数そろえるのは難しいので
やっぱ半島に渡ってきて定住したことで性質が変化したのかな・・・
アラブ側の装備の変遷に関する資料が乏しい
188:名無し三等兵
07/09/27 03:16:28
馬上ではクロスボウ一発しか撃てないよね?
189:名無し三等兵
07/09/27 03:46:48
どう考えても武器と馬が水と油に見えてしまう>騎馬クロスボウ兵
190:名無し三等兵
07/09/27 05:15:18
中世末期のクロスボウが装填にひじょーに手間のかかる武器になったのは
装甲騎兵の防御力向上に威力UPで対抗しようとしたため、というのが
おそらくは最大の要因でしょう。
イベリア半島においては敵は比較的軽装備のイスラム軍だたので
そこまでの威力向上は必要ないと思われます。
だから馬上で使われるようなクロスボウは手だけで再装填が可能な
割と小型なものだったんじゃないでしょうか。
イベリア半島以外でこの騎馬クロスボウ兵が使われた地域はあったのかな
191:名無し三等兵
07/09/27 21:40:01
上のオスプレイ本では14,15世紀の中央ヨーロッパでも
馬上でクロスボウが使われたと書いてあった。
ドイツあたりで使われていた歯車をつかって巻き上げるタイプなら可能そうだけども
192:某研究者
07/09/28 12:57:29 ySzPsj2e
クロスボウでは
トルコ弓には勝てるのかだろうし
ピストルや騎兵銃でさえ
余程数でも無ければ
トルコの弓には勝てない訳だろうし
欧州の騎兵は同種の弓を持つ
ハンガリー騎兵以外ではトルコ騎兵には
対抗は困難と言う事かも知れぬが
トルコ騎兵も後には銃を装備したので
ピストル騎兵や騎銃兵でも対抗は可能と成ったと言う事かも知れぬし
グスタフ・アドルフの軍の様に歩兵から騎兵への銃撃と言うのも
増えた訳だろうか
193:某研究者
07/09/28 13:00:39 ySzPsj2e
>上のオスプレイ本では14,15世紀の中央ヨーロッパでも
>馬上でクロスボウが使われたと書いてあった。
クロスボウも歩兵相手では無く重騎兵や
同種のクロスボウ騎兵に対して発射されたと言う事かも知れぬが
馬上で手銃を使用している絵も確か有っただろうし
ピストルが出る前に馬上で手銃を使用して居たと言う
事かも知れぬが
此れは何時頃からなのだろうか
194:某研究者
07/09/28 13:06:12 ySzPsj2e
>上のオスプレイ本では14,15世紀の中央ヨーロッパでも
>馬上でクロスボウが使われたと書いてあった。
彼等がピストル騎兵の様に
重騎兵を駆逐出来なかったのは
余り数は投入されて居なかった故と言う
事なのだろうか
(ピストルと異なり短時間に連射は
無理だったと言う事故かも知れぬが)
195:名無し三等兵
07/09/28 20:35:24
ピストル騎兵が重騎兵を駆逐したのなら
マスケット銃歩兵でも重騎兵を駆逐できるのでは?
196:某研究者
07/09/29 13:39:07 2CLzgHcG
シルトロンや
ロングボウと柵
或いは銃とパイク・壕の組み合わせが出た後でも
騎兵は消えなかった訳だろうし
歩兵は歩兵が混乱させた後で
騎兵が突入するなら
騎兵の価値は有ると言う事かも知れぬが
歩兵に突入する前に重騎兵が
ピストル騎兵にやられたら
重騎兵の価値は無くなる訳だろうか
(故にピストルを防ぐ為の部分的な装甲を施した
騎兵が主流と成った訳だろうか)
まあしかしピストル騎兵もグスタフ・アドルフが運用した様な
騎兵に連携する歩兵の銃砲撃後に
サーベル騎兵を突入されて
やられた訳だろうか
197:某研究者
07/09/29 13:44:54 2CLzgHcG
まあしかしナポレオン時代の鎧でも
20kg程度は有る訳だろうし
鎧は然程軽量化された訳では
無い訳だろうし
ピストルを止める為に防御する部分が
狭く成っただけと言う事かも知れぬが
槍も銃剣対策で復活して
胸甲も含め
WW1迄使用された訳だろうか
198:某研究者
07/09/29 18:02:06 2CLzgHcG
鎧の下に着るバフコートと
篭手が廃れたのは何故なのかだが
フェルトでもバフコートと防御力は大差無く
篭手は騎兵銃を扱う為に
廃れたと言う事なのだろうか
199:某研究者
07/09/29 18:05:53 2CLzgHcG
篭手が廃れる前に
肩や腿部の装甲が廃れたのは
この部分はピストルは防げず
銃で金属鎧を貫かれると傷口が広がる故と言う
事なのだろうか
(篭手は剣の防御の為に
残された訳だろうか)
200:某研究者
07/09/29 18:10:39 2CLzgHcG
マクシミリアン鎧が廃れたのは
コストが理由なのかだが
(あの溝は確か手作業で打っている訳だろうか)
201:名無し三等兵
07/09/29 21:33:00
今までに作った鎧はどうして使われなくなったんだろう?
やっぱり銃弾は防げないからだろうか
202:名無し三等兵
07/09/29 22:35:50
30年戦争ごろ作られた騎兵用の胴鎧にゃたいがい
銃で撃った痕が窪みになって残ってます。
これは試射で鎧が銃撃に耐えられるかテストしたもので、
これらの鎧は銃撃に対し相当の耐久力を有していたことを伺わせます。
(ただこれらの鎧は兵士たちには重たいと不評で行軍が長期間にわたったり
軍規が乱れたりすると捨てられたり金にかえられたりした)
この時代の鎧は以前の全身をがちがちに固める方式から、装甲の厚みを増す代わり
胴体など射撃が当たれば致命傷になる部分だけ守る集中防御方式に移行していきます。
これは当然火縄銃の発達のせいもあったでしょうが
上で指摘されていたようにコストの問題が最も大きいと考えます。
軍団全体に対する騎兵の占める割合は傭兵が戦場の主役となると大きく減少しますが
騎兵そのものの数はむしろ以前の封建時代に比すると著しく増加しています。
そん中で封建時代末期のような重騎兵を大部隊で運用しようと思ったら
そのコストは天井知らずになるわけで、指揮官が二の足を踏むのも当然といえます。
ですから一般の騎兵部隊は軽装備化が進み、直接敵陣に突撃をかけるタイプの騎兵も
規格化された高い生産効率を持つ鎧を装備するようになります。
一方、高級指揮官や近衛騎兵の中には30年戦争の末期になっても防御部位が
上腕部や太腿などほぼ全身にまで及ぶ鎧を着用して戦に臨むものが多くいたようです。
203:名無し三等兵
07/09/29 23:27:26
>>195
その頃のマスケット銃兵は銃撃だけで騎兵の突撃を駆逐できるほど
火力に厚みを持たせることができなかったようです。
火縄銃なんてのはまあ「常に火のついた縄と大量の火薬を同時に扱う」
危険極まりない代物な訳で、自爆した際の危険を避けるため銃兵と銃兵の間の距離は
マッチロック銃が主力の時代に比べるとかなり広く開いてました、
それでもって有効射程は300メートルを切り、連射速度は1分に2発も撃てりゃ上等
とくりゃ重騎兵相手に単体では殆ど抵抗できないのも当然でしょう。
そしてピストル騎兵が槍騎兵や弓騎兵を駆逐したのは、戦術上の優越ではなく
部隊を揃え、運用するコストの面で差がついたためだと考えてます。
敵陣に危険を冒して突撃するよりゃカラコール戦術を使ってる方が
部隊の損害に関するリスクは押さえられますし、数を揃えるにあたり
突撃を嫌がる士気の低い者や馬上で弓を扱う技術の無い者もアテにできる分
お手軽です。
(一方で突撃抜きでは敵陣に決定的な打撃を与えられないという問題も存在する)
204:某研究者
07/09/30 12:26:50 jesHfuCn
>30年戦争ごろ作られた騎兵用の胴鎧にゃたいがい
>銃で撃った痕が窪みになって残ってます。
>これは試射で鎧が銃撃に耐えられるかテストしたもので、
>これらの鎧は銃撃に対し相当の耐久力を有していたことを伺わせます。
URLリンク(www.xn--u9j370humdba539qcybpym.jp)
上を見る限りピストルを止めるのが
精々と言う事かも知れぬし
通常の銃の放たれる距離から撃たれる
マスケット銃は全く
止まらない訳だろうか
205:マオー
07/09/30 12:32:28
ちなみに、陸戦においては小競り合いなどは日常茶飯事なわけだが
相手の前線の主力を撃破した後で休止して、上司の判断を仰ぐのが賢いやり方である
これすらできない野盗並の軍隊は、日中戦争の旧日本軍のように疲弊してアボーンするわけである
206:某研究者
07/09/30 12:46:14 jesHfuCn
ワーテルローの時ネイが胸甲に銃弾を受けたが
傷は負っていないと言う様な記述も有ったが
此れはピストルや遠距離からの銃の流れ弾を
受けたのだろうか
>一方、高級指揮官や近衛騎兵の中には30年戦争の末期になっても防御部位が
>上腕部や太腿などほぼ全身にまで及ぶ鎧を着用して戦に臨むものが多くいたようです。
URLリンク(members.tripod.com)
>Field armor of King Charles II, c. 1645.
此れは上の様な鎧だろうが
胴体以外は恐らくピストルは止まらないだろうし
金属装甲の有る腕や太股をピストルで貫かれると傷口が広がるので
後には敬遠されていたと言う事は無いのかだが
(篭手は防御に必要とされて
暫く残ったと言う事かも知れぬが
騎兵銃を扱う関係から廃れたと言う
事かも知れぬし
ピストルを騎兵銃に持ち替えた兵も
後には増えたと言う事だろうか)
最初にバフコートと胸甲を組み合わせた鎧を用いたのは
グスタフ・アドルフだっただろうか
207:某研究者
07/09/30 12:50:57 jesHfuCn
>その頃のマスケット銃兵は銃撃だけで騎兵の突撃を駆逐できるほど
>火力に厚みを持たせることができなかったようです。
パイクや塹壕と組み合わせれば
阻止は出来ると言う事かも知れぬが
ピストル騎兵は単体で重騎兵を阻止出来る訳だろうか
>そしてピストル騎兵が槍騎兵や弓騎兵を駆逐したのは、戦術上の優越ではなく
>部隊を揃え、運用するコストの面で差がついたためだと考えてます。
まあしかし弓兵1名にピストル騎兵が10人掛かっても
勝てるのかどうかだが
トルコも17世紀には弓騎兵は
消えて居たのかどうかだが
>敵陣に危険を冒して突撃するよりゃカラコール戦術を使ってる方が
>部隊の損害に関するリスクは押さえられますし、
此れは銃兵の反撃で逆にやられていたと言う
事かも知れぬが
ピストルの無い重騎兵に対しては一方的に
勝利出来た訳だろうか
208:名無し三等兵
07/09/30 13:02:01
ちなみに、中世だとファンタジー作品が多いが、
有名なロードス島戦記には竜牙兵というのがあってね、
竜の牙を銀の剣で加工し、銃弾に使用して無敵だったそうだ
民明書房刊「~これが本当の龍騎兵~より抜粋」
209:某研究者
07/09/30 13:14:37 jesHfuCn
>それでもって有効射程は300メートルを切り、連射速度は1分に2発も撃てりゃ上等
照門の無い西欧の火縄銃では
50mでも当たるのかだが
(更に精度の低いマスケット銃等は至近距離での射撃のみに
アドルフ等は限定していた訳だろうが)
日本の火縄銃の場合は敵から200m程度の距離に成った段階で
射撃を始めて居たと言うし
この距離でも一応当たる訳だろうか
210:某研究者
07/09/30 13:15:46 jesHfuCn
>有名なロードス島戦記には竜牙兵というのがあってね、
ロードスにはパイクを馬で飛び超えて
歩兵に突撃したと言う様な記述も有ったが
此れは可能なのかどうかだが
211:名無し三等兵
07/09/30 15:58:44
>>204
リンク先の実験だと胸甲の厚みは最大2ミリで
銃弾の直径は10ミリですね。
文章の前半からすると
『試し撃ちの痕跡がある=当時の鎧は銃撃に耐えられる!」
とするのは早計だったです
西欧だと、最終的に銃の威力が鎧の防御力に勝利を収めるまでに
騎兵の胸甲は厚さ5ミリ、弾丸の直径は20ミリまで達したそうですが
こちらの方は何か実験データとか無いかな
自分の説に修正を加えるとしたら・・・
「鎧の守備力向上と銃の威力の競争の中で鎧は徐々に防御力,重量,コストの
釣り合いがとれなくなっていき最終的には廃れた」くらいになるか
当時の銃の方にもピストル、フュージリア、マスケット等その用法や威力に応じて
いくつか種類があるので実験したとて一概に「皆防げた」「全部防げなかった」と
断言するのは難しそうなんですけどね
212:名無し三等兵
07/09/30 16:56:40
なんでこのスレはコテハンばかりがレスしてるのですか?
213:某研究者
07/09/30 17:21:14 jesHfuCn
試し撃ちで貫通していないのは
ピストルを使用したか
日本の場合は試し撃ちの際には
鎧を固定していないので
通常の火縄銃でも貫通しなかったと言う
事だっただろうか
214:名無し三等兵
07/09/30 19:59:47
つっても火縄銃の大威力化は鎧の変化に比べると
そんな分かりやすいもんじゃないからなー
グスタフアドルフ以降はどっちかつーと
叉杖も無くなり小型化の傾向にあるし・・・
ちなみに「マスケット」てえ言葉は昔(16世紀くらい)は火縄銃全体を指す用語ではなく
特に大型の火縄銃を指す言葉だったそーです。 以下武器甲冑図鑑から引用
『射程は550m近くに達し,270mで敵を確実に倒した。当時は360~430mの距離で
一斉射撃を行うと必ず敵を倒した。金属鎧なら200mで何らかの効果を示し
100m以内なら確実に打ち抜いた。ただしその分反動が強く胸ではなく肩に当てて撃ち
叉杖を必要とした。』
ナポレオンの時代に用いられたマスケットと比べてもかなーりパワフルな印象です。
重量とか連射性能とかで後世のマスケットに勝てなかったんで衰退したんかな
215:某研究者
07/10/01 09:35:40 R5s7BSlo
>グスタフアドルフ以降はどっちかつーと
>叉杖も無くなり小型化の傾向にあるし・・・
此れでも最低でも50mでは
胴鎧を貫けたと言う事かも知れぬが
>『射程は550m近くに達し,270mで敵を確実に倒した。当時は360~430mの距離で
>一斉射撃を行うと必ず敵を倒した。
西欧の火縄銃には照門は無いから
精度は余り高くは
無いかも知れぬし
360~430m等で当てられたのかどうかだが
216:某研究者
07/10/01 09:44:53 R5s7BSlo
早合の様な物は
西欧には16世紀には有ったのかだが
URLリンク(ja.wikipedia.org)
>西欧でも日本で早合が使用される20年程前の1550年頃から、「ペーパーカートリッジ」と呼ばれる早合と似た物が使用されていたが、日本の早合はこれを真似したものか、或いは独自に考案されたものであるかは、定説が定まっていない。
1550頃には出て居た訳だろうか
217:某研究者
07/10/01 09:55:34 R5s7BSlo
>ペーパーカートリッジは、火薬と弾を紙でソーセージ状に包んだ物であるが、使用するときは早合と同じように、カートリッジの弾の入ってない側を歯で噛み破って、中身の火薬を銃口から入れ、そののち弾と残りの紙を?杖(英語ではランマーまたはラムロッド)で押し込んだ。
此れでは早合より速やかな装填は可能なのかだろうし
紙迄銃身に入って仕舞う訳だろうが
>西欧では火縄銃時代においては、木製の早合を2本の細紐で印籠繋ぎにしたものを多数ベルトに吊るしそれを袈裟懸けに掛けて携行したが、
此れは何時頃
出て来たのかどうかだが
フリントロック時代には紙に戻っている訳だが
精度の低いフリントロック銃は至近距離の射撃しか考えないから
素早い装填は無用とされたのかも知れぬが
218:名無し三等兵
07/10/01 11:38:37
>>217
紙も一緒に突っ込むのは弾が脱落するのを防ぐためなのでわ?
あと木→紙への変化は重量軽減と携行弾数の増加を狙ったものだと予想。
装填速度はフリントロックの方が火縄銃よりかなり素早くなってると思う
219:某研究者
07/10/01 12:41:17 R5s7BSlo
>あと木→紙への変化は重量軽減と携行弾数の増加を狙ったものだと予想。
>装填速度はフリントロックの方が火縄銃よりかなり素早くなってると思う
木を使えば更に高速には成るだろうが
至近距離で一発放って突撃するだけなら
装填速度は無用だった訳だろうか
220:某研究者
07/10/01 12:51:34 R5s7BSlo
狙撃銃は遠距離からの攻撃が主体だろうし
此れには木の早合も有用だったかも知れぬが
利用はされなかった訳だろうか
(まあしかしフリントロックの狙撃銃では
精度はどうだったのかだが
100m等で当てられたのかどうかだが)
221:名無し三等兵
07/10/01 16:15:35
某研究者はWW2時代のドイツ君軍服とかには興味ないの?
222:某研究者
07/10/02 16:43:23 6APgYADA
>某研究者はWW2時代のドイツ君軍服とかには興味ないの?
プロイセンの髑髏のマークの付いた軽騎兵の軍服には
特に興味が有るが
此れはフリードリヒ大王の父親が死んだ後に
出て来た物だろうが
此れはWW2の戦車兵迄消える事無く
残って居たのだろうか
223:某研究者
07/10/02 16:58:30 6APgYADA
URLリンク(en.wikipedia.org)
髑髏の軍服もWW2迄は基本的に使用されて居たと言う
事だろうか
224:某研究者
07/10/03 12:50:58 /q4jI82b
URLリンク(en.wikipedia.org)
>In its initial incarnation (dated to 25 July 1809), the 2300-strong 'free' corps consisted of two battalions of infantry, one Jäger battalion, a company of sharpshooters, and a mixed cavalry contingent including Hussars and Uhlans.[1][4]
髑髏のマークを付けて居た
Black Brunswickersと言うのは
重騎兵は居たのかどうかだが
URLリンク(www.amazon.com)
上を見れば分かると言う事かも知れぬが
225:某研究者
07/10/03 13:41:47 /q4jI82b
URLリンク(www.ospreypublishing.com)
URLリンク(www.ospreypublishing.com)
URLリンク(www.ospreypublishing.com)
URLリンク(www.ospreypublishing.com)
URLリンク(www.ospreypublishing.com)
URLリンク(www.ospreypublishing.com)
URLリンク(www.ospreypublishing.com)
URLリンク(www.ospreypublishing.com)
URLリンク(www.ospreypublishing.com)
上辺りにも恐らく有るだろうし
他の独帝国・プロイセン関連の物にも
有るだろうか
226:某研究者
07/10/11 06:06:18 kZZiadr7
島津兵は槍兵迄銃を携帯していたと言うが
同時に持ち運べる物なのかどうかだが
227:某研究者
07/10/11 06:14:42 kZZiadr7
スレリンク(asia板)
>「関狩」には2つの方法があり、「長篠の戦い」のように1ユニット3人が3人とも射撃手で、交代しながら銃撃する方法と、
>紀州雑賀衆のように1人が射撃手で、残る2人が後ろで装填・玉篭めして銃を射撃手に手渡していく方法がある。
>ちなみに後者の方は慣れると、3~4秒で1発撃てるとの事。
3秒に一発とは
ロングボウ以上の発射速度だろうし
此れは脅威だろうが
島津の場合は少なく共装填手は槍兵を兼ねていたと言う
事なのだろうか
(この戦法も銃は1名1丁は必用だろうし
装填手は片手に銃・片手に槍を持って行軍して居たのか
どうかだが
射手は流石に無いかも知れぬし
騎乗して従者が銃や槍を持って居たと言う事は
無いのかだが
他国は槍兵が銃兵を兼ねては
居なかった訳だろうか)
228:某研究者
07/10/11 06:18:18 kZZiadr7
騎馬武者も銃を持っていたと言う意見も有るが
矢張り装填は従者2名が行っていたと言う
事だろうか
229:某研究者
07/10/11 06:23:26 kZZiadr7
>3秒に一発とは
>ロングボウ以上の発射速度だろうし
>此れは脅威だろうが
まあしかし遠距離狙撃の際は短時間で狙いを付けるのは
厳しいかも知れぬし
装填する時間も含めて10秒程度は掛かっていたと言う事は
無いのかだが
230:某研究者
07/10/11 06:28:15 kZZiadr7
>紀州雑賀衆のように1人が射撃手で、残る2人が後ろで装填・玉篭めして銃を射撃手に手渡していく方法がある。
>ちなみに後者の方は慣れると、3~4秒で1発撃てるとの事。
此れは可也早期に
普及していたと言う可能性も有るだろうし
遅く共関ヶ原辺りでは島津以外もやっていたと言う
事だろうが
槍兵が装填迄しているのは
島津だけと言う事かも知れぬが
231:某研究者
07/10/11 06:55:04 kZZiadr7
装填と言うのも
一人が火縄の取り外しと
早合で弾の装填を行い
もう一人が着火薬を入れ火蓋を閉じ
火縄を取り付けると言う方向なのか
どうかだが
232:名無し三等兵
07/10/11 17:31:53
早盒の装填は10秒程度で出来るらしいね。
学研が最近出したビジュアル……日本の武器? とかいうのに再現実験の結果が載ってた。
233:某研究者
07/10/11 18:57:05 kZZiadr7
早合から弾と火薬を入れるだけなら
5秒も掛からぬかも知れぬし
着火薬をフラスコから注いで火蓋を閉じ
火縄を付けるのも
慣れれば5秒程度で出来るかも知れぬが
何れも3秒では流石に無理かも知れぬが
234:某研究者
07/10/11 18:59:41 kZZiadr7
火縄の取り外し・取り付けは
射撃手が行った方が早いかも知れぬし
込め矢と火縄は3人で1個有れば
問題は無いと言う事だろうか
235:某研究者
07/10/11 19:03:54 kZZiadr7
射撃手が発射後火縄を取り外して持ち
一人が早合から弾と発射薬を装填
もう一人が火蓋に着火薬を入れて火蓋を閉じ
射撃手が銃を受け取った後
火縄を付けて火蓋を開き
発射と言う事なら
5-10秒程度間隔での射撃は無理なのかどうかだが
236:某研究者
07/10/11 19:17:38 kZZiadr7
弓・クロスボウより火縄銃
矢より銃弾・火薬のコストの方が
可也安いと言う事かも知れぬし
射撃手の訓練も余り必要は無い訳だろうか
237:某研究者
07/10/12 01:22:42 Lm9OyE8u
テルシオの銃兵は射手と装填手は分かれて居ないだろうし
使用されて居るのも可也大型の銃である訳だから
発射速度は遅く
精度も照門の無い銃だから低いと言う事かも知れぬが
オランダ式大隊やスウェーデン式大隊の場合も
射手と装填手は分かれて居ないから
装填速度が速い訳では無い訳だろうし
前進し乍らの射撃が可能であると言うだけだろうか
(足軽の場合も射撃後3人が後退するか
其の場で止まって装填すれば
同様の事が可能な訳だろうが
此れは行われたのかどうかだが)
238:某研究者
07/10/12 03:47:56 Lm9OyE8u
URLリンク(www.bomb.ne.jp)
>島津家も古くから鉄砲を合戦に用いていた。司令官クラスの武将でも銃を持ち、馬上で撃てる技術もあったという。
実際には馬上で発射して居たのかどうかだろうし
騎馬武者は特に的に成らぬ様に
竹束や土塁に隠れて射撃したと言う事かも
知れぬし
追撃時には槍を使用したと言う可能性も有るだろうが
装填は徒歩の従者がやり
火縄の取り外し・取り付けと射撃は
騎馬武者が馬上でやったと言う様な例も
有るのかどうかだが
追撃時にこんな事をやったら速度が落ちて
相手を取り逃し得る訳だろうが
敗走する際の反撃時はこの様な事も
有り得たかも知れぬが
井伊直正を狙撃した兵は馬上からの
射撃だったのかどうかだが
239:某研究者
07/10/12 04:09:00 Lm9OyE8u
>薩摩の武士達は「短筒」や「馬上筒」を携帯するのが常識でした
>その鉄砲で!!!次々と東軍の武将達を狙撃して退却の血路を開
>きました。(島津豊久公が義弘公の身代りとなり討死しています)
敵の足軽の銃撃には対抗出来たのか
どうかだが
逃げる際相手を突破する寸前には
騎馬武者は乗馬して
射撃し穴が空いた所を素早く突破して逃げたと言う事も
有り得たかも知れぬが
味方の足軽の銃撃の方が効果は
大きかったと言う事かも知れぬが
240:某研究者
07/10/12 04:09:43 Lm9OyE8u
逃げる時以外では
下馬戦闘が基本だったと言う事かも知れぬし
騎馬武者も下馬して銃を射撃後
槍を持ち徒歩で突入したと言う事かも知れぬが
馬上筒成る物が有ると言う事は
野戦で乗馬して射撃後槍を持って素早く
突入したと言う事も有り得たかも知れぬが
短筒は遠距離狙撃等は無理だろうから
馬上での銃撃は
突入直前の近距離での射撃に限定していたと言う事かも
知れぬし
馬に乗って敵に遠距離から狙撃される様な事は
したのかどうかだが
下馬時は障害物が有る場合は騎馬武者も此れを盾にして
射撃していたが
障害物が無い場合は下馬して
足軽の後ろに隠れ
突撃時には乗馬して短筒を近距離で一発発射した後
槍に持ち替えて突入していたと言う事だろうか
(敵の追撃時は乗馬して槍を構えていたと言う
事だろうか)
241:某研究者
07/10/12 04:12:38 Lm9OyE8u
逃げる際は騎馬武者だけで槍を持って逃げたか
歩兵が随伴し乍ら逃げる場合は
近距離で馬上筒を使用した事も有るかも知れぬが
此れは近距離で一発放つだけの物だろうし
下馬して通常の銃を放っていた場合も
有るかも知れぬが
>そこで、薩摩勢は退却する道筋に~点々と「狙撃手」を残して
>行ったそうです、薩摩勢の狙撃手達は地面に伏せて~潜伏し
>追撃してくる「井伊直政」の部隊が来ると「狙撃」して斬り込ん
>で行くという~「置き捨て」にする生還は望めない戦法です。
>世に言う・・・・・・・・「捨て奸(すてがまり)」の戦法です。
騎馬武者は先に馬で逃げて
敵の騎馬武者に追い付かれる足軽は
上の様な形で時間を稼いだと言う
事かも知れぬが
>薩摩の武士達は「短筒」や「馬上筒」を携帯するのが常識でした
まあしかし薩摩以外でも馬上筒は
恐らく使用されて居た訳だろうか
242:某研究者
07/10/12 04:19:50 Lm9OyE8u
乗馬戦闘が全く無いなら
馬上筒や騎馬武者用の短い槍等必要なのかだろうし
此れ等が存在するのは
乗馬戦闘が有った事の証明と言う事かも知れぬが
逃げる時以外や追撃時以外は
乗馬戦闘する場合でも
歩兵が随伴した上で戦闘したと言う事だろうし
通常の戦闘では騎馬武者も遠距離からの狙撃を避ける為に
敵陣付近迄は下馬して行動していたと言う
事かも知れぬが
騎馬武者も追撃時は馬上筒で近距離で射撃してから
剣で切り込んだのでは無く
槍を構えていたと言う事は無いのかだが
足軽を捨てて逃走する場合は槍を持って逃げたのか
馬上筒を持って逃げたのかだが
前者である可能性も有る訳だろうが
重いので両方共捨て
鎧迄捨てたと言う可能性も有る訳だろうか
243:某研究者
07/10/12 04:27:52 Lm9OyE8u
スレリンク(korea板)
>島津家の鉄砲装備の特徴は、織田軍団の足軽による小から中程度の口径銃の
>大量使用と違って、侍筒と呼ばれる十匁程度の大口径銃を士分が率先して使用
>するのものです。
此れは下馬戦闘時に放たれる物だろうが
発射速度はどうなのかだろうし
携行弾数は多かったのかどうかだが
乗馬戦闘時には馬上筒を近距離で放っていた訳だろうか
244:某研究者
07/10/12 04:31:10 Lm9OyE8u
まあしかし近距離で馬上筒を撃つ際に
相手の足軽等の銃撃は受けないのかだろうし
リスクの有る戦法だったと言う事は無いのかだが
(騎馬武者も足軽や竹束・土塁等の背後に隠れて銃弾を避けつつ
下馬して槍を構えて突入と言う方が
合理的では無いのかどうかだが)
245:某研究者
07/10/12 05:08:28 Lm9OyE8u
URLリンク(page.freett.com)
>火縄銃の一種で、主に士分、即ち足軽以上の武士が持つ事からこの名が付いた。
>10匁(約37.5g)玉を撃ち出し、その威力は騎馬をも倒し、甲胄も粉砕する威力がある。
>もし首や腕に弾丸が当たれば、ちぎれ飛んでしまう。しかし、滑腔式なので命中率と飛距離が無い上に前装式で装槙に時間がかかり雨に弱いという火縄銃の共通の難点を持っている。
>口径:18.6㎜
此れは精度が高いとは思えないし
日本の兵は密集隊形では無いから
この様な大型の銃を用いても意味は無い訳だろうが
騎馬武者が下馬して突入する寸前に近距離で発射すると言う類の
兵器だったと言う事かも知れぬし
遠距離戦時には騎馬武者は下馬して
銃撃はせず足軽の背後に隠れて
狙撃を避けていたと言う証明と言う事かも知れぬが
竹束の背後や土塁の銃眼からの
小型銃を用いての遠距離狙撃はしていたのかどうかだが
白兵戦に備えて疲労を避ける為に
行わなかったと言う可能性も有る訳だろうか
士筒も中距離で竹束の背後に居る兵を
狙う様な使用法をしたと言う可能性も有るだろうが
土塁や塀・竹束等の背後から撃たねば
敵の狙撃を受けるリスクも有る訳だろうし
土塁や塀は兎も角竹束の背後に居た場合は
敵の士筒での反撃も考慮する必用は有る訳だろうし
竹束の背後からは撃たなかった可能性も有るだろうが
白兵戦に持ち込む寸前には敵も密集しているかも知れぬし
其処に打ち込んだと言う可能性も有るだろうが
大筒は遠距離から竹束・土塁・塀を狙っていたと言う可能性も有るだろうが
大筒は兎も角士筒では
土塁や塀は貫けたのかどうかだが
246:某研究者
07/10/12 05:12:12 Lm9OyE8u
URLリンク(www.dewa.or.jp)
>小筒 ロ径1 o m m (2 匁筒) 以上~ 1 4 m m (5 匁筒)
>中筒より長く命中率が高い、足軽筒と狭間筒がある
>中筒 口径1 5 m m (6 匁筒) 以上~ 1 9 m m ( 1 2 匁筒)
>鉄砲隊の実用銃として使用され、土筒と言われる
小筒でも恐らく鎧は十分貫けるだろうし
中筒は精度が落ちるなら
此れを主力とする意味は有ったのかどうかだが