08/02/01 00:07:49 j2HSOJSs
>>811 >>大学在学中に山座円次郎(福岡出身。外務省政務局長)と運命の出会い
東京帝国大学在学中、広田弘毅は山座の指示で『休暇旅行』の体裁を取りつつ、
シベリアや満州へ調査旅行を行ないます。これは日露戦争が始まる前年の1903年
のことで、学生の身分を隠れ蓑にした『半分スパイ』みたいなものです。
余談ですが「東亜同文書院」が上海に設立されたのが1901年で、日露戦争を目前に
控えて、外務省は根津一院長に対して支那西北地方におけるロシアの浸透状況の
調査を依頼します。結局、第2期生の卒業生5人が派遣され、その報告書の謝礼金を
もとにして、卒業論文のための支那調査旅行―『大旅行』が制度化されることに
なりますが、まあ別の話です。
いずれにせよ、学生の広田弘毅(25歳前後)が日露戦争を直前にして同様の
情報収集活動に駆り出されたのは事実です。そして外交官としての素質を計る
ために、山坐が広田に課したテストだったことは明らかです。