08/01/31 00:04:14 o4dY1pe1
もうお気付きの方もいると思いますが、広田の進学年齢はかなり遅いものです。
東京帝国大学に入学したのが「24歳」ですから、現代の感覚ですと大学院まで
卒業できてしまうような年です。
大学在学中に、前述の山座円次郎(福岡出身。当時、外務省政務局長)と運命の
出会いを果たす訳ですが、これも「玄洋社の頭山満」の紹介によるものです。
山座は既に述べたとおり小村寿太郎外相の腹心的存在で、日英同盟成立にも
関わるほか、孫文がシンガポールに脱出するための資金を秘かに工面してやる
など、玄洋社の国士ばりの行動もありました。
その一方で、●「彗星の尾を貫くやほととぎす」など優れた俳句や格調高い
文章を書き、幼いころ玄洋社の教育機関で漢学や漢詩を学んでいた広田とは
意気通じるものがあったでしょう。広田にとっては山座は自分が目標とする
「理想の外交官」像だった訳です。そして山座も広田の面倒をよく見ました。