08/01/29 00:16:31 uT8uKUyw
>>798 >>修猷館(中学)の先輩に当たる『山座円次郎』の勧めがあったとされます。
この山座円次郎もビッグな外交官で、広田の16歳年上です。福岡藩の藩校(修猷館の前身)に
学び、上京して共立学校(開成中学・高校の前身)・東京大学予備門(一高の前身)を経て、
東京帝国大学法科を卒業します。要するに「広田の学歴ルート」とほとんど同じで、先駆者
とも云えます。まあ、広田を「同郷の先輩」が引っ張り上げてくれた訳です―。
ちなみに山座円次郎の東京大学予備門の同期には、夏目漱石、正岡子規、南方熊楠、秋山
真之などの壮々たるメンバーがいます。ちなみに山座が外務省に入った理由も、これまた
修猷館の先輩である栗野慎一郎(外交官・駐米公使・駐伊公使・駐仏公使・駐露公使を歴任)
の引きです。もう延々と同郷の先輩繋がりで辿れそうですが、これも時代でしょう。
自分が大学生の頃は、「47都道府県」の県人会がありました。まだまだ「お子ちゃま」
でしたので、「なんで上京してまで地元の人と必要以上に付き合い直す必要があるのか?」
と思っていましたが、全然間違ってましたねw。やはり単身上京して、もっとも頼りに
なるのは同郷の人間なのです。広田が大学生だったのは、まだ1890年代です―。