08/01/26 23:23:54 eYN3+c0W
>>786 >>のちに広田の行動原理には、『地元の期待』という文字が深く刻まれる
「福岡出身者なら尚更」なのですが、これは後で触れましょう。松岡洋右は米国で
成功した親戚を頼って、少年時代に海外へ旅立ってしまいます。もし松岡に学費を
出すという地元の篤志家がいれば、日本の運命は大きく変わったのでしょうが……。
さて中学時代の広田弘毅には、「大きな節目」が存在します。本当の広田の名前は
「丈太郎(じょうたろう)」と云いました。しかし外交官になろうと決心した広田は、
名前が『庶民風』だったのを嫌い、改名したいと考えたのです。
親から貰った名前を変えるのは如何なものかと思いますが(そんな適当に付けた名前
でもなかろうし)、信仰している禅宗の住職に相談に行くと、●「お前が自分で自分に
責任が持てると思うなら、自分で名前を考えろ」と言われて決心します。
『論語』の泰伯篇にある「士不可以不弘毅」(士はもって弘毅ならざるべからず)から採って
「弘毅」に変名したのです。ちなみに「弘」は広い見識、「毅」は強い意志を表します。