08/01/26 22:55:49 eYN3+c0W
>>777 >>前振りはこれくらいにして、次回から本編が始まります―。
さて広田弘毅です。1878年生まれの福岡県民で、松岡洋右よりも2歳年長です。
松岡は破産した廻船問屋の4男でしたが、広田も負けず劣らず貧しい家庭でした。
父親の徳平は石工ですが、明治初期にはほとんど需要がなかったと云います。
広田は小学校に入りますが、当然の事ながらその先に進む『お金』がありません。
しかし当時の地方の名声家には、何か優れた才能を示す少年が発見されたなら、
その学資を援助するという美風がありました。もし広田が「美少女」だったと
したら、まんま『あしながおじさん』のお話になる訳ですけどw。
しかしそんな「綺麗な話」だけでは勿論ありません。地元出身者が中央で立身出世
すれば、出資者の名誉や地元が受ける恩恵は計り知れないものがあります。いわば
立派な投資であり、同じようなことが日本中で行なわれていました。広田もそうした
篤志家のおかげで旧藩校(修猷館)である中学校に進学できましたが、のちに広田の
行動原理には、『地元の期待』という文字が深く刻まれることになります―。