日中戦争(支那事変)10 参謀本部第二部支那課at ARMY日中戦争(支那事変)10 参謀本部第二部支那課 - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト750:イナゾウ伍長 ◆FU/OcfTlfM 08/01/21 23:07:45 BBIc2S7f さて松岡洋右は1935年8月に「満鉄総裁」に就任し、1939年2月までの3年余り 同職に留まります。振り返ってみれば、満州国の建国と引き換えに国際連盟の 脱退という『一生の痛恨事』が起きた訳ですが、いくら外務省で中国勤務が多く また満鉄副総裁も務めていたとはいえ、引き金となった『満州国』の中で再び 権力を握る心境というのは如何なるものでしょうか。 松岡洋右が『ファシズム』に取り憑かれてしまったのは、連盟脱退の大失敗を チャラにしたいという精神的な自己防衛もあったでしょう。雨降って地固まる、 災い転じて福となす――。国際連盟を脱退して、むしろ日本の国益にとっては 良かったのだという『世界』を思い描いたのではないでしょうか。 さて松岡が満州で雌伏するなか、日本の情勢は激変していきます。まず1936年 2月26日には「2・26事件」が。1936年11月には日独防共協定が成立、さらに 1937年7月には盧溝橋事件が起き、支那事変が勃発します――。 751:イナゾウ伍長 ◆FU/OcfTlfM 08/01/21 23:47:53 BBIc2S7f >>738 >>>今こそ日本に必要とされるのは、ナチス・ドイツの『一党独裁』である! 松岡洋右は『政党解消連盟』でドイツと日本の連携を訴えましたが、いまや急速に それは現実性を帯びてきました。まず「支那事変」が泥沼化するなか、ドイツの力を 借りて蒋介石を屈服させようという陸軍の思惑が強くなります。 そして1939年9月には第2次世界大戦が勃発します。1940年6月にはフランスが ドイツに屈服し、西ヨーロッパのほとんどはナチスの物となりました。1940年 7月22日には第2次近衛文麿内閣が成立し、ついに松岡洋右は念願の外務大臣に 迎えられる訳です――。 >>745 >>大政翼賛会(1940年~)ができる5年前のことです(その時歴史は動いたw)。 ご丁寧に『近衛新党運動』によって米内内閣が崩壊し、政友会や民政党といった既成 政党が「バスに乗り遅れるな」とばかりに解党して、大政翼賛会の雛形が生まれますw。 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch