08/01/19 23:52:40 /aetMLx4
サイモンやボンクールが国連総会を去ったあと、英国にはイーデン外務次官が、
仏国にはマッシグリーが留守役として残っていましたが、2人はそれぞれ36歳と
40歳の若造です(松岡洋右は52歳)。とても老獪な政治的判断ができる訳もなく、
この2人は『純理論』ばかりに熱心となります。
松岡は●「青二才が理屈ばかりこねる」と嘆きますが、もはやこれまで。満州国
独立を認めない「対日勧告案」が1933年2月24日の連盟総会に提出され、教科書に
載っているとおり、日本だけが反対票を投じた『42対1』で採択となりました。
そして日本は国際連盟を脱退します―。
松岡は痛恨の「外交的大失敗だ」と考えておりましたので、楠山記者に対して
●「えらいことになった。日本に戻ったら政界を引退する」とこぼします。
そして失意の内にアメリカへと渡るのですが、下記のとおりな訳です。
>>682 >>1933年に53歳となった松岡はオレゴン大学のあるポートランドを
>>再び訪れ、米国留学時代に世話になったベバリッジ夫人の墓を立てますが、
>>青春時代を過ごした留学先を再び訪れたのは、まさにジュネーブの国際連盟で
>>松岡が議場を引き揚げた帰路のことでした。何か思うことがあったのでしょう。