08/01/18 01:10:35 mwW2Pp+0
>>708 >>まあリットン調査団が来日した翌日に満州国建国の宣言とか猛烈に
>>独走した関東軍にはリットン卿もたまげただろな
まあ、先にも述べたとおり、東京にリットン調査団が訪れた1932年2月29日の
翌日に関東軍は満州国に独立宣言を出させていますし(年号は大同、建国式は
3月9日)、リットン報告書が日支両国と国際連盟に公表される(1932年10月2日)
直前の9月15日、日本は満州国を承認し「日満議定書」を結んで一体感を全世界に
アピールしています。いや挑発かw。
更にトドメとばかりにリットン報告書の「対日勧告案」が採決される(1933年2月24日)
直前から「熱河作戦」を開始し、最終的には万里の長城から先の北支を窺おうとして
いました。
日本の国際連盟脱退は、斎藤実内閣の外相・内田康哉の『焦土外交』の暴論が
大きいですが、陸相だった荒木貞夫が●「国際連盟を脱退しないと、また暴動が
起こる」と強硬論で脅していたのも影響しています。