08/01/15 23:38:21 BhTRZVZf
>>682 >>1933年に53歳となった松岡はオレゴン大学のあるポートランドを
>>再び訪れ、米国留学時代に世話になったベバリッジ夫人の墓を立てますが、
青春時代を過ごした留学先を再び訪れたのは、まさにジュネーブの国際連盟で
松岡が議場を引き揚げた帰路のことでした。何か思うことがあったのでしょう。
ひょっとしたら失意なり挫折などという、殊勝なところが人並みにあったの
かもしれません。
そんな松岡が日本へ帰国すると、自身の失意に反して国民からは熱狂的な歓迎を
受けました。一説には「皆、狂っている」と松岡はひとりごちたと云います―。