08/01/15 23:10:45 BhTRZVZf
>>691 >>松岡全権は自分が最後まで絶対に反対な連盟脱退を、美辞麗句を
>>もって強烈に擁護せねばならないという、ものすごく皮肉な立場に追い
>>こまれて、それをあまりに効果的に行いすぎたとでもいえるでしょうか。
松岡は日本政府の方針(『焦土外交』)を、国際連盟の場で断固として伝える
使者でした。そして期待された以上の役割を演じたのですが、名役者が過ぎた
かもしれません。
日本政府は1933年3月8日に国際連盟からの脱退を決定、同月27日に連盟へ
通告しました。せっかく第1次大戦で世界の五大国にまで登りつめた日本は
満州国の建国と引き換えに、あっという間に孤立無縁の状況に陥りました。
同じ3月27日に昭和天皇は「連盟脱退」の詔書を下すのですが、まさに痛恨事
だったでしょう。