日中戦争(支那事変)10 参謀本部第二部支那課at ARMY
日中戦争(支那事変)10 参謀本部第二部支那課 - 暇つぶし2ch630:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/09 01:18:55 Fi5ysRLj
日本は不平等条約の改正にも、涙ぐましい努力で時間をかけて列強と
交渉で解決しました。

しかし日本の不平等条約といってもタカがしれていますので、租借など
莫大な負債を背負わされた支那は、「交渉」で解決しようとすれば100年
あってもまるで時間が足りないでしょう。

後の蒋介石の国民政府にもいえますが、あまりに支那の社会制度が
前近代的であったために、そこから一足飛びに近代化しようとして
色んなところに無理が出てきます。利権の武力回収なんてその典型
です。

そして相手は「侵略国」なのだから、武力で不平等条約をご破算にしても
文句あるか?と考えるかどうかが、近代国家としての別れ目でもあります。

631:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/09 01:25:07
あ、>>629-630 は、1930年ごろまでの話ね。満州事変以降は、まったく
状況が変わってくるから。

今日はなんか「殴り書き」もいいところでしたw。

632:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/09 01:31:48
>>625 >>佐々木到一ら一部の「新」支那通が考えたことは、そんな『可哀相な』
>>支那が国家統一を目指す近代革命に共感し、また支援し、いずれは新しい支那と
>>日本が手を取り合って結ぼうというものでした―。

しかし結果、佐々木が受けたのはリンチです。

633:名無し三等兵
08/01/09 04:47:02
>>629
その通りですね。>武力回収
それが流れであるなら、日本は戦略的撤退をしたらよかった。
少なくとも満州で止めておけば大けがはしなかったでしょうね。
返す返すも戦略眼がないのは大問題です。
ただ怪我の功名でアジアの植民地解放が付いてきたってことだけが救い。

634:名無し三等兵
08/01/09 05:01:23 /gOGyZ3V
>>623
>松岡は、日独伊三国同盟にソ連を加えて「四国同盟」とし、米国に圧力を加える
>ことで大東亜共栄圏から手を引かせるという自分の構想に酔っていました。

アメリカと仲良く手を組むこともできず、
アメリカに屈服もできず、
かといってアメリカとの戦争も回避したいとくれば、
やっぱり松岡構想になってしまうような気もするけどな。

まああんたの言うとおり破綻したわけが。

635:名無し三等兵
08/01/09 05:04:45
>少なくとも満州で止めておけば大けがはしなかったでしょうね。

我らが蒋介石総統の主張によれば、
満州及び台湾は支那の正当な領土ということになっており、
いずれ取り返すつもりなのだが。

636:名無し三等兵
08/01/09 19:56:41 XxbXWg3I
モッチとケボに大量に焼き殺された日本兵の多さに爆笑

637:名無し三等兵
08/01/09 21:27:55
>>636
日本軍が昆明に侵攻できなかったのはそのケボ&モッチやワンワンとか
ストレッチマンや歌のお姉さんとかが頑強に抵抗してたからだぞ。
彼らに手間取ってるところをアメリカに突かれて日本は負けた。

638:名無し三等兵
08/01/09 22:35:17
.        /::::::::::::::::::::::::::::::::i:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ
        i::::::::::::::::::::::::|::::::::ハ::::::|::::::::::::!:::::::::::::::::::::::::::::}
        |::::::::::::::イ|::::ハ:::::/. |:::::|、::::::::::|:::::::|::::|:::::::::::i:::|
        |i::::::::::::! ||:::i‐|:::ト i::::::| ヽ-::├:::::|、::|:::::::::::|::|
        ||::::::、:::|´||/__|/  \i.  \_|\:|、:::|::::::::::|::|   <アメリカ軍の戦死者29万2千人に対して、(対日対独)
        〉::.:::::|、|,,イテ心      r"テミ、ヽY:::::::::::|::|
        i:::::::::|i.  弋zン     弋z__ソ" |::::::i:::::|::|     日本軍230万人。民間人80万人は明らかに
        |::|::::.ト|    ̄        ̄   /::::::|:::::|::|
        |::|:::::|_|  xx     、     xxx /|::::::|:::::|:::|    「日本軍はメッサ弱かった!!」ってことですよねwww
.        !:|:::::|::ハ              ,'-|::::::|:::::i:::}
         ||::||:|:::::::ヽ、   ー‐     , イ:::/:::::::i::::::/     なにせ、合計310万人以上も戦死して、
        ヽi|ト|:::」|_:::|ヽ     , <___|_/|:::::/::::/
          |_|iー‐‐|  >- ' ./      |:::/::::/     対日対独で、約半分としたら15万人。
       r=ニ=-、、_/       ト、     |_/ ̄
     | ̄ ̄     "' 、,_   |、 ヽ、_          桁違いのワンサイドゲームですわねwwww
     |           ヽ ヽ, }:::| ヽ "'ヽ、
    / ̄ ̄ ̄  "' 、    \y:::::|  _|  /ヽ \      これで、本土決戦??  アホですわねwww
   /        /ヽ\     \/  | | ̄ └‐,.\
.  /      l ̄Y    ) \.   /  ヽ| o。 /   ヽ
 /      、ヽ|   o   ̄ヽ \ /   /|  y、 ヽ   }

639:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/09 23:35:33
>>629 >>日本は隣国であまりに近すぎました。武力介入は容易です。
>>文句があるならやってやれと。

それこそが「山東出兵」であり「済南事件」な訳です。

>>少なくとも満州で止めておけば大けがはしなかったでしょうね。

まあ「北支分治工作」については、いずれやります。

640:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/09 23:50:38
>>634 >>かといってアメリカとの戦争も回避したいとくれば、
>>やっぱり松岡構想になってしまうような気もするけどな。

とっとと支那事変で『宣戦布告』した方が良かったかもしれませんけどね。
ドイツに和平工作を依頼するよりも、早めにアメリカの介入を招いた方が
結果としてすんなり足抜けできたかも。また何気に1939年2月の海南島
占領(海軍の強い要望)がアメリカの心証を悪化させています。

>>633 >>ただ怪我の功名でアジアの植民地解放が付いてきたってことだけが救い。

仰るとおり、まさに「怪我の功名」です。

641:楽園の素敵な巫女 博麗霊夢 ◆FU/OcfTlfM
08/01/10 00:00:24
>>637 >>そのケボ&モッチやワンワンとかストレッチマンや歌のお姉さんとかが

   .「^ヽ,ry'^i
   ,ゝ"´ ⌒`ヽ  ♪
  くi Lノノハノ)」 
   λ[i ゚ ヮ゚ノi!   お尻かじり虫~♪ かじってかじって、かじってなんぼ♪
   レ|Y(つ旦)
   く_,//つつ

642:イナゾウ一等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/10 00:22:03 G4EW+s0x
>>619 >>ていうかこの人って、てめえの国が侵略した相手と仲良くなれると
>>本気で思ってたのか。凄いな。

佐々木到一が登場して以来、『済南事件』から全く話が進んでいかず
収拾がつかなくなりましたw。しかし、とてつもなく濃い人物なので
一体どこまで取り上げるべきか匙加減が難しい……。

まあ、佐々木到一は支那の『国民革命』に共感していた訳ですが、もっとも
基本的な目標は「国家統一」にあると理解していました。佐々木は陸軍の軍人
なので、支那がそれを実現するためには、軍隊の改造(近代軍の成立)こそが
先決であると信じていたのです―。

そして支那が目指す国家統一を妨げ、また「近代軍の対極」にあるものとして
『軍閥』を非常に敵視しておりました。佐々木の軍閥観は以下の様なものです。

643:イナゾウ一等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/10 00:36:56 G4EW+s0x
●「軍閥は、各々その権勢の争奪、地盤の獲得に熱中して、国家を忘れ、私利私欲
 以外、外国利民福を思わないために、支那の内乱は終息する日なく、その統一は
 何れの日にも期することが出来ないのである。この意味において、支那の軍閥は
『支那の統一を妨げる有害無益なる武力集団』である」

ちょっと文章が硬いですが、佐々木の軍閥観を一番「マトモ」に表しています。
あとはもう読んでみて下さいとしか言えませんw。

 ●「支那の兵は、社会の落伍者を集めたものである」●「こうまで堕落しきった
 乞食、悪漢、博徒、スリの群れを軍隊の名によって呼ぶことは余りに勿体無い
 気がする」●「私欲を軍紀に代えて、辛うじて団結と統制を維持する戦争苦力の
 烏合集団」●「戦陣の間に身命を賭せしむるものは軍紀ではない。一にも銭、二にも
 銭である」●「彼らは軍服を付けた匪」●「掠奪、強姦は不可分の関係にある」

以上はすべて、佐々木の『軍閥観』です―。

644:イナゾウ一等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/10 00:52:03 G4EW+s0x
そして軍閥を解体し、国家本位の精神教育を兵士に施して『私兵』である
ことを辞めさせ、中央政府の統制に絶対服従する近代軍に改造しなければ、
中国は滅びてしまうと佐々木は絶叫します―。(以下、要所抜粋)

●「現状をもってすれば、支那の将来は亡国あるのみである。腐敗せるものは
 軍閥に止まらず、支那の全社会にわたり滔々として皆腐敗して居るのである。
 
 支那統一は不可能であるか? しかり、近く統一を予期することは出来ない。
 ただ望むところは、支那人の腐敗である。腐敗作用はこれを促進すべし―。

 腐敗の促進と共に『浄化作用』は有効となる。腐れ! 蛆虫の涌くまで腐れ!
 支那の運命は、腐敗の極点にまで達すべきものである。臭気紛々たる腐敗の
 うちより、何者か現ざれば支那は滅亡のみ―」

これこそ佐々木の真骨頂でしょう。この激情と思い込み、支那通軍人の鑑です。

645:イナゾウ一等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/10 00:58:31
>>644 >>支那の運命は、腐敗の極点にまで達すべきものである。
>>臭気紛々たる腐敗のうちより、何者か現ざれば支那は滅亡のみ」

関西に、松下幸之助のような大人物が忽然と現れるようなものだと
思ってください。

646:イナゾウ一等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/10 01:19:50 G4EW+s0x
>>609 >>遅ればせながら、図書館でKO大出版会の「日中戦争の軍事的展開」を
>>借りてきたニダ

このスレでも大変お世話になっている良書です。『ディスティニーガンダム』
ぐらいの破壊力はあります。第11章の「北ビルマ・雲南作戦と日中戦争」は
これを参考にして本格的にいつか取り上げたいですね。

それにしても今日、草思社が倒産したと聞いてビックリしました。どうせ
潰れるなら幻冬社が潰れればいいのに……。昨今の出版業界は、新書しか
売れませんので(空前の新書ブーム)、単行本しか作らない草思社は
壊滅的状況だったのでしょうねえ。

あと全く関係ありませんが、西安事件で『24』をやって下さいと以前要望を
受けたのですが、よくよく調べて考えてみると、済南事件の方が『24』に
合っています。佐々木到一が、ジャック・バウアー役ということで(核藁)。

647:ばばぼん♪ ◆gdH1Km1a0U
08/01/10 01:41:44
》 草思社が倒産したと聞いてビックリしました。

ワタシもさっき、ビジネスN板見ててびっくりしました。
「間違いだらけのクルマ選び」の徳大寺が脳溢血で原稿書けなくなったこともマイナス要因だったかも。

》 新書しか売れませんので

ぶっちゃけワタシは元々は雑誌編集だったので……⊂⌒~⊃。Д。)⊃

》 「日中戦争の軍事的展開」

個人的には第1~2, 9章あたりが興味深い感じでしょうか。

648:ばばぼん♪ ◆gdH1Km1a0U
08/01/10 01:45:56
失礼、徳大寺有恒がかかったのは脳梗塞でした。

649:名無し三等兵
08/01/10 01:47:00
>>640
なんというか、松岡が辣腕を振るいはじめる前から、無体というか手詰まりな状況になっているような。
ノモンハンでソ連にボコボコにされ、国民党とは実質戦争状態、米英との関係は悪化の一途…。
どう考えても終わっている。
そもそも、この時期に外務省本流の連中は一体何をやっていたのだろうか。

650:イナゾウ一等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/11 00:08:06
>>647 >>ぶっちゃけワタシは元々は雑誌編集だったので……⊂⌒~⊃。Д。)⊃

そのAA面白いですね、他で使わせていただきまふ。草思社はせっかく財産となる
ベストセラーを沢山もっているのに、「草思社」文庫も作りませんでしたからね。
経営者の方針でしょうが、もったいないお化けが出てきそうです。

「文庫の値段なら買いたい」という読者は大勢いたでしょうに。特に草思社の
コンテンツだと。あの微妙なウェッジでさえ文庫を出すぐらいなのに…というか、
「ウェッジなんかは種本があるのか?」と小一時間…w。

今の出版業界は、ベストセラーさえ出せば一極集中―ウハウハの現金を刷っている
ようなもので「業界全体の不振」なんてどこ吹く風になるのですが、その肝心のベスト
セラーが出ないとひたすら悲惨ですw。

651:第九代阿礼乙女・稗田阿求 ◆FU/OcfTlfM
08/01/11 00:18:43
         _......_     
         , ´  <*y     
          i,(i ノノハ)_)    
         ノ_iパ ヮ゚ノハ    イナゾウさん、あともう少しですからね。 
        _φi'_ソノj,⊂)__     
      /  /三/ /|       
    .| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| .|             ……⊂⌒~⊃。Д。)⊃
    .|稗田  阿求|/
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

652:イナゾウ一等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/11 00:31:07
>>645 >>関西に、松下幸之助のような大人物が忽然と現れるようなものだと
>>思ってください。

と書きましたら、「松下電器産業」の名前が無くなってしまいました。
社名変更で「Panasonic 株式会社」……。激しく違和感があります。

昨日は、虫の予感でしたか。

653:翡翠(星砂) ◆X9uEcr1WoA
08/01/11 01:56:11 cifp5fL+
>松岡洋右ってよく分からん。

とりあえず、豪腕政治家に良くいるタイプで、
暴走しすぎて失敗するタイプかしら。

まだ40台にならない 岸(後の首相)に対し、
岸の年齢の若さを羨ましがっていますね。
俺があと20若かったら、日本を一新できるのに残念だ、
そんな感じ。

良くも悪くも猪突猛進タイプですね。はい。
当時の日本には
最悪の目が出てしまった訳ですが。

まあ、当時の日本の人材の払底でしょう。
誰も彼も軍部や暗殺に怯えてしまうような状態では、
人材の払底も糞もないのですが。

無責任日本、ここに極まれり、と。


654:俄将軍
08/01/11 02:28:09
>>653
>まあ、当時の日本の人材の払底でしょう。
>誰も彼も軍部や暗殺に怯えてしまうような状態では、
>人材の払底も糞もないのですが

21世紀の現在も、何の変わりもないどころか、「スキャンダル」「事故」「自殺」など、現
状は、悪化している、ということもあるのか、などと、何の根拠もないままに書き散らして
みたり。

655:俄将軍
08/01/11 02:28:48
>>654
「ブラックメール」が抜けていた、ということになるのか、などと。

656:翡翠(星砂) ◆X9uEcr1WoA
08/01/11 02:36:57 cifp5fL+
>21世紀の現在も、何の変わりもないどころか
アイゴー (TT)

いや、悪い人ではないんですけれどね。洋右さん。
おそらく、幕末に生まれたら幸せだった方。
それも洋右さんが尊敬している吉田松陰さんの下であったのなら。
今のセンセ達はどんなでしょうね。
濱口雄幸さんか貫太郎さんの下なら幸せなのかもですが・・・

日中戦争スレなので、これくらいで・・m()m

657:俄将軍
08/01/11 03:00:51
>>656
帝国議会の成立も、薩長政府との対立、ということになると、衆議院の中の人など、二世三世
といった世襲議員の誕生など、ということになるのか、国会の開催機関などからすれば、英
国の議会政治などとは、似ても似つかぬのは、戦前から、ということにあるのか、などと、
適当な思いつきなど書き散らしてみたり。

戦前の政党政治も、官僚政治家、党人政治家など、ということになるのか、政党の後ろ盾の財
閥など、ということになるのか、などと、思いつくままに書き散らしてみたり。

658:名無し三等兵
08/01/11 13:27:56
>>653
>当時の日本には最悪の目が出てしまった訳ですが。

本当に最悪なのは、まったく孤立した状態のまま、ソ連中国と喧嘩しながら対米英戦をはじめることだろ。
つまり、1930年代の外交関係がそのまま敵対関係に移行すること。

659:名無し三等兵
08/01/11 13:41:42
>>653
>まあ、当時の日本の人材の払底でしょう。

外務に関して言えばそこそこ人材は揃ってると思うが。
吉田、佐藤、鈴木、幣原、東郷、重光、加瀬とか。

660:法務大尉
08/01/11 18:19:22 KJ7LB83B
下總の法華經寺へ初詣に行つたら、境内に蒋介石總統の銅像が聳えてゐた。
勿論、拜禮して來た。


661:元32(予備役少佐)
08/01/11 19:25:34
>>659
吉田は松岡の大親友で二人の絆には説明不可能なものがあります。
加瀬は松岡の秘書もしていたでしょうか。
ちなみに松岡の評価で当時最高の日本人外交官は斉藤博さんと思います。

ただ、普通の方法で当時の外交的窮地は離脱できないので、
松岡の行動そのものは理解できます。

松岡はそもそも顧維均と英語の議論で対抗できる唯一の日本人として、
国際会議などで活躍して脚光を浴びるのですが、
もっと早く、できれば満州事変前に外交を指導したかったのが、
松岡の本音ではないでしょうか。


662:名無し三等兵
08/01/12 01:26:04 cLifoQn9
ホラーより怖い中国の現実

★1 URLリンク(jp.youtube.com)
★2 URLリンク(jp.youtube.com)
★3 URLリンク(jp.youtube.com)
★4 URLリンク(jp.youtube.com)

どーみてもゴキブリより酷い支那人


663:名無し三等兵
08/01/12 04:14:35
ゴキブリに失礼ですぞ。

664:イナゾウ一等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/12 09:36:55
>>646 >>佐々木到一が、ジャック・バウアー役ということで(核藁)。

さて「済南事件」後の佐々木到一ですが、まだまだ受難は続きます。革命軍に
リンチに遭ったのが5月3日、その2日後には上海経由で本国に帰朝するよう
呼び戻されます。もちろん状況報告のためです。

東京に着いて参謀本部に顔を出したはいいが、いきなり後輩から新聞記事を
突きつけられました。そこには●「許されるなら再び南京に戻って革命軍の
ために尽くしたい」という佐々木の談話が載っていたのです。もちろん、
身に覚えはありません。

東京に戻る途中、新聞記者のインタビューに対して「何も話すことはない」と
答えただけなのに、勝手に記事を捏造されてしまったのです。週刊誌のような
話ですが、「佐々木ならそのぐらいのことは喋ってもおかしくない」という
周囲の無責任な期待があったのも問題でした。

665:イナゾウ一等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/12 10:00:34
当時の白川義則陸相からは当然、「余計なことをしおって!」と佐々木は詰問を
受けました。さらに東京の新聞社幹部に対して、陸相官邸で「済南事件」の概要を
レクチャーしたところ、事件の原因を支那側の非行だけに求めず中立的に論じたのが、
またもや陸相の勘気に触って「いらんことを言い過ぎる!」と怒りを買いました。

また別の機会に、新聞社に請われて講演を行なったところ、「革命軍の肩をもつとは
けしからん」と暴力団に凄まれ、「暴行を受けながら仇も取らず、おめおめと生きて
戻ってくるとは腰抜けめ!」と罵倒する差出人不明の手紙も舞い込みます。

軍人がもっとも嫌う「卑怯者、臆病者、売国奴」扱いですが、佐々木の回想では
●「縁の下の力持ちが踏んだり蹴ったりにされた挙句、縁の下から這い出るところを
またもや頭上に放尿されたような体たらくであった」とあります。

革命軍にも裏切られ、日本国内にも味方がいない、という余りに悲惨な状況です。
陸相に目をつけられた佐々木は、伊豆に転地療養を命じられます。「頭を冷やせ」
という訳ですが、もはや「病人」「何をしでかすか分からない人」扱いですw。

666:名無し三等兵
08/01/12 11:57:18
          - ニ二 ニ ‐-
       ,ィ ´ ̄      ̄` .` 、
      〃      l      `  、 、
       |  ,. - ─ -  .     ヽ!
      ', /     ☆     `ヽ   l
       ∨r========、、 ヾ ノ
       ( ─------─ ヽ )'
       l  _,.ェァ .' ;:..rェt.、  ノノ
       r !   ,:'  ' .     ,rヘ
      | l!   ー--‐、     )/
      ヽ     _-_-__      レ      <ここは私が支配する
        ヽ  '´ー-‐ `   ,.ィ
         ` .        ,.   ヽ
            i ー一   ィ´ ハ
          ト、      ´    ゝ ._
     _,. - ´ | ` v ´     ,ィ     ̄ ̄77ヽ
  rrア´     ヽ   |   ,.  ´       ///   ヽ
 /LL!          `↓  ´            /   i
./          }爻ソ              /     l


667:翡翠(星砂) ◆X9uEcr1WoA
08/01/12 13:19:44 V2WHkdxy

>>657 :俄将軍:氏
>戦前の政党政治
大和政権統治→幕藩体制→という流れで、
昭和まで辿り着いたシステムを構築できた訳ですので、
そこは片目を瞑るべきかもしれません。

>>658
>本当に最悪なのは、まったく孤立した状態のまま
過去は「後悔」の坩堝でありますね、本当に。

>>659
>外務に関して言えばそこそこ人材は揃ってると思うが。
同感ですが、軍の暴走を止められる人材がいなかった、
と言う事で如何でしょうか。
軍縮でサラリーマン化しつつあった軍を
「暴走させてた」のは誰か、と言うのも未来への戦訓。

たびたびスミマセン・・
ここ、日中戦争スレなので、これくらいで。m()m


668:名無し三等兵
08/01/12 18:45:11

203 名前:カタログ片手に名無しさん[sage] 投稿日:08/01/10 14:50 ID:???
俺の友人(参加2回目)が基地外すぎて困った。りんかい線の混雑に興奮し、しまいには助けてえーりん!とか叫ぶ始末・・・。もう次回からは一緒に行かない。

669:名無し三等兵
08/01/12 19:07:45 cLifoQn9
ホラーより怖い中国の現実 part2

★5 URLリンク(jp.youtube.com)
★6 URLリンク(jp.youtube.com)
★7 URLリンク(jp.youtube.com)
★8 URLリンク(jp.youtube.com)

こんな国で五輪開催できるのだろうか?

670:イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/13 00:54:31 2oYjyiJz
松岡洋右の特異なキャラクターは、その全く日本人離れした特殊な生い立ちから
生まれたモノですから、その辺りをきちんと押さえないと議論が迷走するでしょう。

>>656 >>おそらく、幕末に生まれたら幸せだった方。

松岡洋右は1880年3月4日、山口県に生まれます。まあ、安倍元首相と同じ長州な訳
ですが、もう少し生まれるのが早かったら藩閥の恩恵を受けれたのかもしれません。

ちなみに実家は「廻船問屋」の四男ですが、松岡洋右が11歳(1881年)のときに
父親が事業に失敗して破産します。しかし親戚が既に渡米して成功を収めていた事が
松岡の人生の最初の分岐点となりました。13歳(1893)のときにこの親戚を頼って
渡米し、オレゴン州ポートランド、カリフォルニア州オークランドで学びました。

松岡はもっとも多感な思春期をアメリカで過ごした訳ですが、日本人蔑視も強く
米国に対する特殊なコンプレックスを育むことになります。

671:イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/13 01:16:11 2oYjyiJz
自分は学生時代、英語のサークル(ほとんど遊び系w)にも顔を出して
いましたが、先輩の1人が帰国子女であり、やはり外国人コンプレックスを
お持ちでした。いや「日本人コンプレックス」と言うべきか。人種的な
イジメがかなりあったようです。

松岡洋右も特殊な信条を作り上げることになり、幾つか例を挙げれば、
●「道を歩いていてアメリカ人に衝突しそうになったら、絶対に道を
 譲ってはいけない」●「殴られたら殴り返さなければいけない」●
「米国では一度でも頭を下げたら、二度と頭を上げることはできない」
というものでした。

この辺はまだ大人しい表現で、もっと言えば●「米国人と論戦する場合は
マシンガン・トークでなければならない」●「喧嘩に弱いものは米国では
生きる資格はない」●「引っ込み思案は殺される」●「腕で勝てなくとも
口で勝つべき」●「何かやられたら即座に言い返す覚悟で日常を過ごせ」…。

また当時の米国エリートは「ドイツ系」が幅を効かせており、後の松岡の
深層心理に大きな影響を与えます。

672:イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/13 01:54:20 2oYjyiJz
さて松岡洋右も18歳を迎えます。松岡は帝大(東京帝国大学)への進学を
考えたという話もありますが、旧学制のエリートは英語の他に欧語もマスター
しなければなりません(特に独語ができないと帝大の授業が受けられない)。

その辺りの自身の受験準備の問題もあったでしょうが結局、松岡はオレゴン大学
法学部に進学します。並行して早稲田大学の法学講義録も取り寄せるなど、勉強
熱心ではありましたが、帝大進学を諦めたことは松岡の『外交官』人生に大きな
影を落とすことになります―。言うまでもなく現代と同様、外務省は東大閥であり、
宮澤喜一は財務系で関係ありませんが「東大法学部にあらずんば人にあらず」……w。

その話はさて置き、松岡洋右は1900年にオレゴン大学を卒業して1902年まで
しばらく米国で仕事をしつつ滞在します。一説には、アイビー・リーグ等の
大学(or 大学院)に留学することを考えていたと言われますが結局、母親の
健康状態の悪化により日本へ帰国することになります―。

673:イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/13 02:24:09 2oYjyiJz
結局、松岡洋右の最終学歴は『オレゴン大学卒』という「微妙なもの」に
なってしまいます。もしアイビー・リーグやオックス・ブリッジなりに
留学できていれば、松岡の「外交官人生」も多少は好転したでしょうか。

いや無理ですね。戦後の話ですが、ハーバード大学卒で外務省に入省した
人でも、「東大閥」には敵わなかったと云います。

さて日本に帰国した松岡洋右は、1904年に外交官試験にトップで合格して
入省を果たします。ただし外務省への希望は積極的なものではなく、日露
戦争が始まった年である事からも分かるとおり、徴兵忌避が目的ではないか?
との説が根強くあります。まあ、これだけ海外経験が長い人間を一兵卒として
やおら朝鮮や満州に送り込むというのは、さすがにどうかと思われますがw。

しかし外交官となった松岡ですが、帝大閥の中で、出世は大変厳しいものが
ありました。長年の滞在に基づく『抜群の英語スピーチ能力』が最大の武器
でしたが、同時に松岡の日本人離れした気質は、外務省という典型的な官界
の水には全く合わない人材に変えていたのでした。

674:名無し三等兵
08/01/13 02:36:39
>>667
日中戦争時代の外交状況がそのまま松岡外交につながっているわけで、
そう場違いでもないと思うけど。
ここでは幣原外交を取り上げていたこともあるし。
幣原外交が満州事変や日中戦争の前触れなら、松岡外交はその後と言える。

675:イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/13 03:03:48 2oYjyiJz
>>674 >>同時に松岡の日本人離れした気質

1941年の太平洋戦争開戦直前に松岡が失脚したあと、軍務局長の武藤章は
佐藤賢了(陸大卒業後の海外駐在で米国へ)に対して、

●「松岡は協調性がない。あれでは一定の地位に長く留まることはできない。
 彼はトルコかどこかで参事官か何か勤めたのを最後に外務省から消えたが今に
 してその理由が分かった。彼が何を考えていたのか俺には結局分からなかった」

と答えています。しかしトルコ云々は正確ではありません。松岡の外務省での
最終ポストは、大連総領事です。松岡は一旦はベルギー勤務を命ぜられましたが、
「これからの日本には大陸が大切だから」として中国勤務を望んだと云います。

松岡の職歴を挙げると、はじめは領事館補として中華民国の上海へ。その後、関東
都督府に赴任して後藤新平(初代満鉄総裁)や三井物産の山本條太郎の知遇を得ました。

676:イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/13 03:30:42 2oYjyiJz
松岡はアメリカやロシアにも赴任していますが、ごく短期間です。寺内正毅
内閣(後藤新平が外務大臣)の際には、総理大臣秘書官兼外務書記官として
シベリア出兵にも深く関わっています。

また1919年の「WW1」パリ講和会議では、随員(報道係主任)として派遣され、
日本政府のスポークスマンとして「得意の英語スピーチ」に力を発揮しています。
このとき近衛文麿も随員として同行しており、因縁が生まれました。

様々な松岡の出会いの中でも、とくに後藤新平は台湾総督だった児玉源太郎の
懐刀であり、台湾経営を軌道に乗せたことは特筆に価しました。この辺りの
業績が後藤の満鉄総裁への道に結びつく訳ですが、松岡の進路にも大きな影響を
与えています(松岡ものちに満鉄総裁に)。

余談ですが、児玉源太郎は日露戦争後、機密費など自身の台所であった台湾
総督の地位を奪われ、今度は満州に自身の王国を作るべく野心を燃やします。
しかし番頭格であった後藤新平に裏切られ(山県有朋に鞍替え)、憤死しました。

677:イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/13 03:41:27
松岡の話はもう半分ぐらい続きます。

>>654 >>21世紀の現在も、何の変わりもないどころか、

「現状をもってすれば、日本の将来は亡国あるのみである。腐敗せるものは
 政治に止まらず、日本の全社会にわたり滔々として皆腐敗して居るのである」

「腐敗の促進と共に『浄化作用』は有効となる。腐れ! 蛆虫の涌くまで腐れ!
 日本の運命は、腐敗の極点にまで達すべきものである。臭気紛々たる腐敗の
 うちより、何者か現ざれば日本は滅亡のみ―」

もうすぐ福田自民党か小沢民主党か、究極の選択を迫られる選挙がやってきます。
まあ、自分は自民党に入れますけどねw。福田は無策無能ですが、小沢に政権を
預けたら本気で国を誤らせます。

678:イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/13 03:51:25
雑誌の選挙予測を読んでいましたら、小泉純一郎は首相を辞めた後
議員も引退すると豪語していたのに、次の選挙も続投する方針で
支援者には幻滅感が出ているというのは本当かしらん?w

何でも長男の孝太郎が芸能活動にまだ未練があるみたいで、次男を
育成するにもまだ時間がかかるんだとさw。

まあ、安倍元首相の「政権投げ出し」は、福田首相の「無策無能」の
お陰でかなり同情というか、あまりキツく思われなくなってきている
のではないでしょうか。たとえ「美しい国」でも、首相にヴィジョンが
全く無いよりは全然マシ。

679:名無し三等兵
08/01/13 06:06:49
福田政権にもあるでしょ・・・八方美人全方位土下座三跪九叩政策が

680:名無し三等兵
08/01/13 06:35:29
>>679
>八方美人全方位土下座三跪九叩政策が

要するに従来路線でしょw

681:元32(予備役少佐)
08/01/13 11:02:05
>>671
松岡はアメリカでスクールボーイ(書生)をしていて辛酸をなめ、
そこでの経験とポーカーが彼の特異な米国観を形づくったようです。

>>675
良かれ悪しかれ武藤に振りまわされるのではなく、
武藤を振りまわした外交官・外務大臣は松岡だけなので、
そのあたりが私が松岡を好きな理由のひとつです。

682:イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/14 01:27:14 JJsVByHX
>>681 >>松岡はアメリカでスクールボーイ(書生)をしていて辛酸をなめ、
>>そこでの経験とポーカーが彼の特異な米国観を形づくったようです。

松岡の最初の寄宿先では留学生ではなく『使用人』の1人としか見られなくて、
いきなり薪割りを命じられるなど大変苦労したようです。他にも皿洗いや農作業
などの重労働で学費を稼いだと云います。まあ、知らずに「奴隷契約書」に
サインさせられた高橋是清に比べれば、屁でもありませんけどw。

しかし2番目の寄宿先であるベバリッジ夫人は、自分の息子と分け隔てなく松岡を
優しく励まし、大きな心の支えとなりました。1933年に53歳となった松岡は
オレゴン大学のあるポートランドを再び訪れ、留学時代に世話になったベバリッジ
夫人の墓を立てますが、●「余はかつて人生の発育期をこの国で過ごし、生涯忘れ
べからざる愛着の情をもつにいたった」と回想しています。

もちろん松岡は、米国の全てを憎んでいた訳では決してありませんでした。

683:イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/14 02:00:46 JJsVByHX
まあ、山本五十六もトランプの『ブリッジ狂』でしたが、真珠湾攻撃も
ミッドウェー海戦も、松岡洋右の四国同盟構想も、大博打という点では
共通するところがありますw。

>>681 >>良かれ悪しかれ武藤に振りまわされるのではなく、
>>>武藤を振りまわした外交官・外務大臣は松岡だけなので

軍務局長時代の武藤章は、言ってみれば「キングメーカー」でもあり
陸相すら屁とも思わないところがありましたからね。後で述べますが、
2・26事件後に広田弘毅が組閣する際も、武藤(まだ軍務局幕僚)は
閣僚人事にゴリゴリと口を出しますし、外交官や外務大臣など本来は
路傍の石でしたでしょう。

逆に言えば、だからこそ松岡(本来なら広田も含まれる)に白羽の矢が
立ったとも言えます。陸軍の容喙にも対抗できる、という意味でです。

684:イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/14 02:32:55 JJsVByHX
さて松岡洋右は1920年に41歳の若さで外務省を退職してしまいます。帝大卒で
なければ出世は困難でしたし、何より松岡の性格では外務省内でも浮いていたでしょう。

松岡の最終ポストは前に述べたとおり「大連総領事」です。松岡の外務省での経歴は
支那勤務が多かった訳ですが、松岡を引き抜いたのは満鉄社長の山本条太郎でした。

松岡は1921年に満鉄入社。ちょうど満鉄は単なる鉄道会社から「国策会社」へと
変身を遂げていた頃にあたります。理事として迎えられた松岡は石炭液化プラント
拡充などを指導しながら、1927年には「満鉄副総裁」にまで登りつめました。

しかし『北伐』の最終局面で「張作霖爆殺事件」が起こり、その不始末で田中義一
内閣が辞職に追い込まれます。その後に浜口雄幸内閣(幣原喜重郎外相)が成立
すると、猟官制度よろしく松岡は満鉄に留まれなくなり1929年に帰国しました。

ちょうど「世界大恐慌」が起きた年ですが、松岡洋右の大きな転機となります。
翌年の1930年に政友会から国会議員に立候補したからでした―。

685:イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/14 02:59:15 JJsVByHX
松岡は「満鉄副総裁」でしたから、当然『満蒙は日本の生命線だ』という
主張になります。また民政党内閣によって満鉄から追われた身ですから、
もちろん「幣原外交」には恨みというか批判的でした。

1930年2月に行なわれた第17回衆議院選挙に郷里の山口2区から
立候補して当選。政友会のこの『新人議員』は幣原外相の対米英協調・
対支内政不干渉の方針を厳しく非難し、その威勢のよさからメディアや
言論人、国民から支持を受けることになります。背景には世界恐慌の
影響もあるでしょう。

また「満蒙の分離独立」を望んでいた陸軍とも利害が一致する事になります。

1930年11月に浜口雄幸首相が狙撃され(入院時は幣原外相が首相
代理、また政友会の鳩山一郎らの執拗な登院要求に押され、傷が癒えない
うちに無理したため5ヵ月後に死去)、後を継いだ若槻礼次郎内閣時に
満州事変(1931年9月)が起こるなど、時代は一気に動いていくのでした。

686:名無し三等兵
08/01/14 15:43:21
>>683
>逆に言えば、だからこそ松岡(本来なら広田も含まれる)に白羽の矢が
>立ったとも言えます。陸軍の容喙にも対抗できる、という意味でです。

確かに松岡は、外務省独自の戦略を構想し、そのためには軍部とも一歩も退かぬやり取りをしていたわけが、
不思議と暗殺やテロの標的にされることはなかった。

むしろ松岡を失脚させたのは味方のはずの近衛だったわけで、そこがよく分からないんだよね。

687:イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/14 22:49:37 VKfPTywH
>>661 >>もっと早く、できれば満州事変前に外交を指導したかったのが、
>>松岡の本音ではないでしょうか。

さて満州事変です。日本が満州国を建国するなか(1932年9月15日正式承認)、
国際連盟は1932年12月に「満州事変問題」を特別総会にかける事になりました。

同じ年の9月にはリットン調査団から報告書が提出され、その「対日勧告案」が
ジュネーブ特別総会での採択を待つ状況だったのです。翌10月には、松岡が
日本側の首席全権として送り出されました。

日本国内の状況もゴタゴタで、第2次若槻礼次郎内閣が満州事変の処理をめぐる
閣内不一致で総辞職(1931年12月)、後を継いだ犬養毅内閣も金解禁の後始末を
したはいいが「5・15事件」で海軍将校に暗殺されました(ちなみに井上準之助も
同年に血盟団によって射殺されています)。

その後を継いだのが元海軍大将の斎藤実内閣ですが、問題の外相が内田康成でした。

688:イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/14 23:11:36 VKfPTywH
ちなみに斎藤実内閣の陸相が荒木貞夫、海相が岡田啓介です。のちの(1936年)
「2・26事件」では内相になった斎藤実が暗殺されてしまいます。また荒木も
反乱将校側の当事者、岡田も首相として襲撃されていますから、もういかに
グチャグチャな時代か分かるでしょうw。

>>元海軍大将の斎藤実内閣ですが、問題の外相が内田康哉でした。

外相の内田は『焦土外交』、つまり「日本を焦土にしても満州は守る」と
国会で大見得を切り、英語のスピーチに堪能だった松岡洋右をジュネーブに
派遣します。この背景には、松岡が満州事変をきっかけに(幣原外交批判)、
軍と国民から人気が高まっていた点も大きいでしょう。

後世のイメージですと、いかにも松岡洋右が国際連盟で勝手に啖呵を切って
日本が連盟から脱退する羽目になった―というのが強いですが、この時の
松岡の立場は「政友会の現役・国会議員」でしかありませんでした。

689:名無し三等兵
08/01/14 23:19:23
>>688
>後世のイメージですと、いかにも松岡洋右が国際連盟で勝手に啖呵を切って
>日本が連盟から脱退する羽目になった―というのが強いですが、この時の
>松岡の立場は「政友会の現役・国会議員」でしかありませんでした。

そう。
このときの松岡は内田のパシリに過ぎず、勝手に交渉条件を変えるなんてことが出来る立場ではない。
松岡の主張は外務省と政府の主張であり独走でもなければ暴走でもない。

690:イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/14 23:41:01 VKfPTywH
すでに閣議では、日本の主張である満州国建国が認められなければ(リットン
報告書が採択されるならば)、総会から代表(松岡洋右)を引き揚げることを
決定していた訳です。「これは連盟からの脱退もやむなし」とするものです。

それに対する松岡の返事は、「脱退のやむなきにいたるが如きは、遺憾ながら、
あえてこれをとらず」とあくまで日本が国際連盟に残る事を主張していました。

松岡は1932年12月8日の特別総会で1時間20分にわたる演説を準備原稿なしで
ブチかまします。それは―、

●「欧米列強は20世紀の日本を十字架の磔刑に処しようとしているけれども、
 イエス・キリストが後世になって理解されたように、日本の正当性は必ず
 認められるだろう」という日本をキリストに喩えた内容でした。

現代の私達がこれを読んで『正直引く』ように、列強のキリスト教国からは
猛反発を買うような結果となりました。むしろ挑発でしょうw。

691:元32(予備役少佐)
08/01/14 23:55:54
>>689
松岡自身はジュネーブで東京(内田)の硬直した外交方針と、
必死に戦って譲歩と連盟残留を勝ちとろうとしています。

連盟では満州国の建国を認める用意は各国にはないものの、
妥協の余地はあり、日本にとって本来そんなに悪い状況ではないので。

それでも焦土になっても原則を貫くと内田は叫んで、
実際に日本は焦土になりました。

>>690
有名な「十字架上の日本」演説ですね。
松岡全権は自分が最後まで絶対に反対な連盟脱退を、
美辞麗句をもって強烈に擁護せねばならないという、
ものすごく皮肉な立場に追いこまれて、
それをあまりに効果的に行いすぎたとでもいえるでしょうか。

692:イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/15 00:04:44 tVdpo4bn
松岡洋右は米国留学時代にキリスト教に興味をもち、プロテスタントの
クリスチャンとなりました(ただし東京裁判時〈肺結核を患う〉に主治医の
影響を受けてカトリックに改宗、死の数時間前に洗礼も受けています)。

松岡洋右の英語が卓越しているのも、こうした外国人向けのスピーチが考えられる
ところにあったのですが、このときは完全に裏目に出ました。いくら青春時代の
大部分を米国で過ごしたとはいえ、骨の髄まで欧米圏の文化に浸っている訳では
なかったのです。やはり松岡は日本人であり、嗚呼一生懸命が空回り―。

ただし、キリスト教のことがほとんど理解できない(現代の私達だって五十歩百歩)
日本国民からは拍手喝采の内容でした。

693:イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/15 00:13:44
>>688 >>この背景には、松岡が満州事変をきっかけに(幣原外交批判)、
>>軍と国民から人気が高まっていた点も大きいでしょう。

前にも述べた「満蒙は日本の生命線」は松岡洋右が考えたキャッチコピーです。
当時は民政党の浜口雄幸内閣であり、野党の政友会議員である松岡が幣原外相の
協調外交路線を批判するのに議会の演説で使ったのが最初です(1931年1月)。

今ならならば文句なしに『流行語大賞』にノミネートされたでしょうが(「聖域
なき構造改革」みたいなもの)、国民にも受けて龍角散の宣伝文にもパクられ
ました。「咽喉は身体の生命線、咳や痰には龍角散」がそうですw。

694:イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/15 00:20:17
>>689 >>このときの松岡は内田のパシリに過ぎず、勝手に交渉条件を変えるなんて
>>ことが出来る立場ではない。松岡の主張は外務省と政府の主張であり独走でも
>>なければ暴走でもない。

まさに仰るとおりでございます。

>>691 >>連盟では満州国の建国を認める用意は各国にはないものの、
>>妥協の余地はあり、日本にとって本来そんなに悪い状況ではないので。

満州における中国の主権を認めるが、同時に日本側の既得権益も認めるという
実質「玉虫色」でしたので、やりようは幾らでもあったかと思います。

>>それでも焦土になっても原則を貫くと内田は叫んで、
>>実際に日本は焦土になりました。

幣原外交(民政党)の反動でしょうが(内田は政友会)、日本人はどうしても
極端に触れますw。

695:名無し三等兵
08/01/15 00:44:58
>日本人はどうしても極端に触れますw。

いやいや、大陸進出は明治時代からの国是ですよw
ある意味一貫しています。

696:俄将軍
08/01/15 07:15:51
>>690-691
「十字架上の日本」演説

将来、パラダイムシフトによって、松岡洋右の中の人の考えとは別に、「十字架上の日本」と
いった考え方が、ということもあるのか、などと、適当な思いつきなど書き散らしてみたり。

列強各国の国賊、売国奴、共産主義者などの焙り出しと、同様、ということになるのか、など
と、思いつきなど書き散らしてみたり。

>>695
大陸進出が、如何なる意味なのかはよくわかりませんが、米国による中国の門戸開放の「下心」
や、中国租界だけでも、日本、米国だけでなく、ベルギー、オーストリアなどの欧州各国に、
香港返還、マカオ返還などは、何時、ということになるのか、などと、嘯いてみたり。

697:名無し三等兵
08/01/15 07:31:30
>大陸進出が、如何なる意味なのかはよくわかりませんが

文字通りの意味だよ?
日本帝国は、朝鮮、台湾、満州、華北、さらには大陸中国全土を、
自らの覇権下にいれるべくして動いている。最初から最後まで。

まあアメリカやソ連が冷戦でやってたことと同じだよ。

698:俄将軍
08/01/15 07:51:39
>>697
台湾併合以外は、単に、世界情勢、極東情勢をベースに、朝鮮半島、満洲、華北など、それぞ
れの時代の情勢によって、といったような、当たり前の結論、ということになるのか、など
と、適当な思いつきなど書き散らしてみたり。

満洲の場合、ソビエトによって、ロシア帝国が崩壊しなければ、ということもあるのか、など
と、思いつくままに書き散らしてみたり。

覇権下に云々というのは、植民地、租借、租界など、ということになると、というだけのこと
であり。

699:イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM
08/01/15 22:27:50
>>696 >>大陸進出が、如何なる意味なのかはよくわかりませんが

最初はロシアの南進から「間合い」が取りたい一念でしたが、満州をプロシア的な
「兵営国家」にしたい(児玉源太郎)という野望が生まれ、最後は中国をインドに
してしまえ、というのが日本の大陸進出の簡単な流れです。

700:イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM
08/01/15 22:50:17 BhTRZVZf
さてジュネーブの国連特別総会に話を戻します。少しでも日本史を習ったことが
ある人ならご存知のとおり、1933年2月21日、「リットン報告書」(対日勧告)は
賛成42票、反対1票(日本)、棄権1票(シャム)、投票不参加1票(チリ)の
圧倒的多数で可決されました―。

前述したように日本政府はリットン報告書が採択された場合、代表団を引き揚げる
ことを決定していました。松岡は可決直後、演壇に登って次のような発言をします。

●「この会議で採択された勧告を、日本が受け入れることは不可能である」

そして「さいなら!」と日本語で捨てゼリフを残して、ひとり退場したのでした。
もちろん松岡の発言には、日本の国際連盟脱退を示唆するような文言は含まれて
おりません。松岡が受けた指示に「代表団の引き揚げ」はあっても、そんな自暴
自棄は無かったからです―。

701:イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM
08/01/15 23:10:45 BhTRZVZf
>>691 >>松岡全権は自分が最後まで絶対に反対な連盟脱退を、美辞麗句を
>>もって強烈に擁護せねばならないという、ものすごく皮肉な立場に追い
>>こまれて、それをあまりに効果的に行いすぎたとでもいえるでしょうか。

松岡は日本政府の方針(『焦土外交』)を、国際連盟の場で断固として伝える
使者でした。そして期待された以上の役割を演じたのですが、名役者が過ぎた
かもしれません。

日本政府は1933年3月8日に国際連盟からの脱退を決定、同月27日に連盟へ
通告しました。せっかく第1次大戦で世界の五大国にまで登りつめた日本は
満州国の建国と引き換えに、あっという間に孤立無縁の状況に陥りました。
同じ3月27日に昭和天皇は「連盟脱退」の詔書を下すのですが、まさに痛恨事
だったでしょう。

702:イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM
08/01/15 23:24:14 BhTRZVZf
>>689 >>松岡の主張は外務省と政府の主張であり独走でもなければ暴走でもない。

国際連盟からの脱退は、首席全権だった松岡洋右の責任でしょうか? 条約の批准など
外交上の重要な決定は、当時の松岡ひとりでフィックスできることではありません。
天皇の詔書を筆頭に、枢密院での同意が必要であり、日本の連盟脱退は斎藤実内閣の
責任だったと云えるでしょう―。

連盟脱退の翌日の新聞には、「連盟よさらば! 連盟、報告書を採択。わが代表堂々
退場す」の見出しが一面に報道されていました。

松岡自身は、●「日本の立場を理解させることが叶わなかったのだから自分は敗北者だ。
国民に陳謝する」と失意のコメントを出しています。

703:イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM
08/01/15 23:38:21 BhTRZVZf
>>682 >>1933年に53歳となった松岡はオレゴン大学のあるポートランドを
>>再び訪れ、米国留学時代に世話になったベバリッジ夫人の墓を立てますが、

青春時代を過ごした留学先を再び訪れたのは、まさにジュネーブの国際連盟で
松岡が議場を引き揚げた帰路のことでした。何か思うことがあったのでしょう。

ひょっとしたら失意なり挫折などという、殊勝なところが人並みにあったの
かもしれません。

そんな松岡が日本へ帰国すると、自身の失意に反して国民からは熱狂的な歓迎を
受けました。一説には「皆、狂っている」と松岡はひとりごちたと云います―。

704:イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM
08/01/16 00:02:07 4mIWYex1
●「言うべきことを言ってのけた」
●「国民の溜飲を下げさせた」
●「欧米にこびへつらわず、毅然としていた」

などという理由で、国民は松岡洋右を『ジュネーブの英雄』として歓呼で迎えます。
新聞も、「松岡の姿は、凱旋将軍のようだった。わが国は始めて『我は我なり』
という独自の外交を打ち立てるにいたったのだ」と絶賛して報じます。

わずかに石橋湛山や清沢洌などの一部の言論人がこの熱狂を冷めた目で見ていた
だけで、大部分のメディアは「松岡のパフォーマンス」を大いに支持していました。

この熱病に浮かれたようなムードのなか、松岡洋右はある重大な発見をします。
それは日本に『ファシズム』の可能性を見出したのでした―。

705:永遠に紅い幼き月 レミリア・スカーレット ◆FU/OcfTlfM
08/01/16 00:13:57

    ,ヘ/L─- 、
    Lニ)r_」=== イ
   ,ヘ、i ノノλノハノヘ
   ,'  `(ハリ ゚ ヮ゚ノi) ',  ここが、運命の転換点、ね。
  .i   >〈(つ,i!と)  i
   vヘγk´_/___i,ゝヘノ
      `゙r_,ィ_ァ゙´

706:名無し三等兵
08/01/16 00:45:23
微妙に昇進して行ってるな。

707:名無し三等兵
08/01/16 15:57:12
内なる野心の現れですな

708:名無し三等兵
08/01/16 16:16:16
まあリットン調査団が来日した翌日に満州国建国の宣言とか猛烈に独走した関東軍には
リットン卿もたまげただろな

709:名無し三等兵
08/01/16 16:39:36
二枚舌が看板のイギリス紳士を仰天させるとは、本邦もなかなかやるではないか。

710:名無し三等兵
08/01/16 17:04:56
国際連盟なんかに調停されたら、関東軍の目論見もすべて水の泡
関東軍もあせっとったんだろーなー
関東軍は満州国軍となって日本と対決するという噂が流れるほど

711:名無し三等兵
08/01/17 01:00:05
──わが国の名はクウェート。北京五輪に出場するハンドボールチーム。イカサマ判定で予選突破の愛されチーム♪
アタシがつるんでる友達は石油を売ってるカタール、国連にナイショで
カジノ開いてるUAE。訳あって中東グループの一員になってるイラン。
 友達がいてもやっぱり五輪に出れなくなったらタイクツ。今日もIHLとちょっとしたことで口喧嘩になった。
イスラム同士だとこんなこともあるからストレスが溜まるよね☆そんな時アタシは実力で予選突破したことになっている。
がんばった自分へのご褒美ってやつ?自分らしさの演出とも言うかな!
 「あームカツク」・・。そんなことをつぶやきながらしつこい日本と韓国を軽くあしらう。
「AHLさー、ちょっと再試合してくれない?」どいつもこいつも同じようなセリフしか言わない。
IHLは世界規模だけどなんか金もってなくてキライだ。もっと拝金主義のアタシを見て欲しい。
 「すいません・・。」・・・またか、とセレブなアタシは思った。シカトするつもりだったけど、
チラっとIHLの反応を見た。
「・・!!」
 ・・・チガウ・・・今までの通告とはなにかが決定的に違う。スピリチュアルなニュースが世界中を
駆け巡った・・。「・・(ゲっ・・!!・・これって再試合・・?)」
男はホスト国だった。連れていかれて出場停止にされた。「キャーやめて!」シカトすることにきめた。
「ガシッ!ボカッ!」アタシは死んだ。スポーツ(笑)

712:三途の水先案内人 小野塚小町 ◆FU/OcfTlfM
08/01/17 01:05:42
>>706 >>微妙に昇進して行ってるな。

   ,>ッ-ヘ。__。ヘ
. / ,レ, '´゚   `,〉
( (( i ハ)))ハ))ノ)
 ` ,)).イオi ゚ ヮ゚ノヘ    内心、早く「中佐」に戻りたいんだとさw。
  ((  .,ぐ`i盃、ツぅ   
     ,メ∪イ-i、ゝ. \
      ゙'ーi_'ォ_ァ"

713:イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM
08/01/17 01:26:12
すいませんが、今日明日と仕事がテンパリまして今夜はお休みさせて頂きまふ。

714:イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM
08/01/18 01:10:35 mwW2Pp+0
>>708 >>まあリットン調査団が来日した翌日に満州国建国の宣言とか猛烈に
>>独走した関東軍にはリットン卿もたまげただろな

まあ、先にも述べたとおり、東京にリットン調査団が訪れた1932年2月29日の
翌日に関東軍は満州国に独立宣言を出させていますし(年号は大同、建国式は
3月9日)、リットン報告書が日支両国と国際連盟に公表される(1932年10月2日)
直前の9月15日、日本は満州国を承認し「日満議定書」を結んで一体感を全世界に
アピールしています。いや挑発かw。

更にトドメとばかりにリットン報告書の「対日勧告案」が採決される(1933年2月24日)
直前から「熱河作戦」を開始し、最終的には万里の長城から先の北支を窺おうとして
いました。

日本の国際連盟脱退は、斎藤実内閣の外相・内田康哉の『焦土外交』の暴論が
大きいですが、陸相だった荒木貞夫が●「国際連盟を脱退しないと、また暴動が
起こる」と強硬論で脅していたのも影響しています。

715:イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM
08/01/18 01:32:24 mwW2Pp+0
何せ1931年には「三月事件」「満州事変」「十月事件」、1932年には
「5・15事件」とクーデター未遂が目白押しですからねw。

>>709 >>二枚舌が看板のイギリス紳士を仰天させるとは、
>>本邦もなかなかやるではないか。

英国は日本を何とかコントロールしようとしていました。あまり強い制裁を
加えて、今後日本に開き直られても困るからです。それではヤブヘビ以外の
何物でもありません。

当時在野にいたチャーチルは、「国際連盟が日本と喧嘩するのは愚である。
国連は欧州で遂行すべき大事業を持っている」と演説しています。これは
ナチスの台頭を予期しての言葉です。1932年7月にはヒトラー率いるナチ党が
ドイツの比較第一党に躍進していました―。

716:名無し三等兵
08/01/18 01:43:31
ヾ丶\ 、\ヽ 、丶\ \ヽ丶丶 \ \ \ ヾ 丶 ヽ丶 丶 \ヾ 
 ヽ 、ヾ 、ゞ ヾ丶 ゝ丶\ヽ ゝヽ丶丶\ \ 丶 \ 丶 ヾ丶\ \
 ヽ \ 丶\丶ヽ\ 丶 丶 ヽ ヾ ゞ\ .ヾ丶 丶丶 \丶 ヽ \ \
\ 丶 ヾ 丶v \ ヽ \\ \. 丶丶丶、 丶\ ヾ 丶丶\、 ヽ 
ヾ丶\ 、\ヽ 、丶\ \丶丶 \  \ ヾ 丶 ヽ丶 丶 \ヾ ヽ \
 ヽ 、ヾ 、ゞ ヾ丶 ゝ丶\ ゝヽ丶丶 \ 丶 \ 丶 ヾ丶\ \ヽ \
 ヽ \ 丶\丶ヽ\ 丶  ヽ ヾ ゞ\ヾ丶 丶丶 \丶 ヽ \ \丶
\ 丶 \ ヾ 丶丶\、 丶丶、γ´ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 丶 ヽ \ \. 丶ヾ
ヾ丶\ 丶 ヽ丶 丶 \ヾ \ |  テシェキュウ ヾ  \ ヽ丶丶 \ 、
 ヽ 、ヾ \ 丶 ヾ丶\ \  ヽ、  ______ 丶\ヽ ゝヽ丶丶 
 ヽ \  \丶ヾヽ \   \ /二∧ )ノ 丶 丶丶丶 ヽ ヾ ゞ\丶\丶ヽ
\ 丶 \ ヾ 丶丶\ ○( ´∀` )○ヽ \ \. 丶ヾ 丶v \ ヽ \丶
ヾ丶\ 丶 ヽ丶 丶 \ヾ ヽ丶丶 \ 、\ヽ 、丶\ \ \ ヾ  \
 ヽ 、ヾ \ 丶 ヾ丶\ \ヽ ゝヽ丶丶 、ゞ ヾ丶 ゝ丶\ \ 丶 \
 ヽ 、ヾ 、ゞ ヾ丶 ゝ丶\ヽ ゝヽ丶丶\ \ 丶 \ 丶 ヾ丶\ \
 ヽ \ 丶\丶ヽ\ 丶 丶 ヽ ヾ ゞ\ .ヾ丶 丶丶 \丶 ヽ \ \
\ 丶 ヾ 丶v \ ヽ \\ \. 丶丶丶、 丶\ ヾ 丶丶\、 ヽ 
ヾ丶\ 、\ヽ 、丶\ \丶丶 \  \ ヾ 丶 ヽ丶 丶 \ヾ ヽ \
 ヽ 、ヾ 、ゞ ヾ丶 ゝ丶\ ゝヽ丶丶 \ 丶 \ 丶 ヾ丶\ \ヽ \
 ヽ \ 丶\丶ヽ\ 丶  ヽ ヾ ゞ\ヾ丶 丶丶 \丶 ヽ \ \丶
\ 丶 \ ヾ 丶丶\、 丶丶、 丶 ヽ \ \. 丶ヾ 丶v \ ヽ \
\ 丶 ヾ 丶v \ ヽ \\ \. 丶丶丶、 丶\ ヾ 丶丶\、 ヽ 


URLリンク(tana.pekori.to)

717:JY
08/01/18 01:44:52 RQ7rMXUX
イナゾウ先生、さしいれでーす。
(´・ω・)つ URLリンク(www.youtube.com)

718:イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM
08/01/18 01:53:35 mwW2Pp+0
当時の英国外相サイモンも日本の立場に理解を示し、満州事変は単なる
国際法の解釈ではなく、情状酌量論で穏便に解決しようとしていました。

日本側全権の松岡洋右も、元老・西園寺公望の意を受けて、サイモン外相を
頼りに突破口を開こうと努力しましたが、ここに運命のいたずらが起こります。

国連特別総会が行なわれている最中の1933年1月30日に、英国が怖れていた
ナチス政権が誕生し、ヒトラーが首相の座に就いたのでした。これに驚いた
英国のサイモン外相は「満州事変」問題どころではなくなり、急ぎ帰国し、
松岡洋右は最大にして唯一の『頼みの綱』を失ってしまいます―。

松岡の朋友に、「リットン報告書」の内容を公式発表前に大スクープした
『東京日日新聞』記者の楠山義太郎がいますが、「このときほどヒトラーを
怨めしく思ったことはない」との松岡の言を聞いています。

719:イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM
08/01/18 02:11:30
>>717 >>サンキューベリマッチ。youtubeなどロクに見ない人なので、
こういうのもあるのだと知ってビックリしました。

てゐの「呂律の回らなさ」が何とも言えません。今日は仕事のトラブルに
駆けずり回って2万歩も歩いたので(万歩計所持)幼分が補給できましたw。

720:JY
08/01/18 02:14:33 RQ7rMXUX
本体はニコ動らしいですけどね。
(´・ω・)つ URLリンク(www.youtube.com)
じゃあ、萌え死んでもらいますwww

721:JY
08/01/18 02:24:44 RQ7rMXUX
イナゾウ先生のお陰で立派な東方・ひぐらし厨になりましたwww、ありがとうございます(・ω・) w。
流れをぶった切ってスイマセン、気にせず続きをどうぞ~。

722:イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM
08/01/19 01:02:19
>>720 >>本体はニコ動らしいですけどね。

超サンクス! 仕事に追われていると、なかなかこういう世界があるのに
気付きませんねえ。時間も無いですし。でもマニーを稼がないと、お話に
なりませんw。

>>イナゾウ先生のお陰で立派な東方・ひぐらし厨になりましたwww、
>>ありがとうございます(・ω・) w。

どういたしまして。今年の例大祭は「超時空要塞ビグザイト」ですw。ところで
昨日の深夜、たまたまテレビで「グレンラガン」の一番良いところ(最終決戦)
だけ見て、「ひょっとしてこれって面白い?」と思ってしまいましたw。

723:楽園の最高裁判長 四季映姫ヤマザナドウ ◆FU/OcfTlfM
08/01/19 01:10:13

         彡 ト、,. -‐‐/ [ 閻 ]\─- 、..,,_,. - 三
          彡 :::::\:::::|.l Y魔Y  〉〉:::::::::/::::: Ξ し 説 言 好  ど  東
  わ こ し  三 :::::::::\」__L二」__/__::::/:::::::::: 三 て 明 葉. き れ  方
  か い ょ  Ξ ´へ_,.r_二トー-L___ハ二_'rへ;::: Ξ も    で  か だ  が
  ら つ せ  三 7´::::/::i、::/:::::ハ:::::::;::ヽ::ヽ、7 ` 彡 :         け
  .ん に ん  Ξ ::/:::ハ/__ゝ、::| '|::::::ハ::::|::;!-ト、__/彡
  ! ! は    三 ::i:::;:イハ ̄ヽ、:;| |:::/ レ´!_ハ::::::ト、_ /// 川 | | l | l l | l |
         三 ::::i:::::ハ ! 辷リ ´  レ'イ´ ̄ハ |::::/:::::ヽン、.,______- 、_
ミ      -=ニ ヽ;::ハ:::::! //// ,    ゞニリノ|/V:::::::::::|`>、 \`ヽ`ヽ.
         彡 /:::i::从        ////"イ:::::/:::::l:::::::|//ヽ/  ノ  i
  せ 説 だ  Ξ :::|:::::::!ヽ、   ‐-  u  ,.イ:::::/:::::::|:::::::ト、___!,,..-''"´ /
  ん 明 か  三 、!::::::ゝ;::`ヽ、.____,,,..イi´::|:::::!:::::::ハ::::::|`'ーrr--‐''"´
.  ! ! は ら  Ξ ::::ヽ、__`ヽr「 `「lー''"ハ、_!__l、__/_,|:::::|  ヽ\
          三 `'i''ー=!r':::::ヽ、;|」__;;:イ:::::::::`|l レ^ヽ!、   〉 〉
          ミ ´`ヽ/::::::::::::::/o::::::::::::::::::::::::ト!、二イ7 ヽ く___/

724:イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM
08/01/19 01:45:42 af6WSHy+
文字がちょっとズレた…w。しかも正しくは「ヤマザナドゥ」です…orz.w

>>718 >>日本側全権の松岡洋右も、元老・西園寺公望の意を受けて、

「松岡洋右と西園寺公望」という組み合わせに違和感を覚える人は多いのでは
ないでしょうか。しかし西園寺の秘書だった原田熊雄の回想によると、1932年9月に
松岡洋右が西園寺のもとを訪れて、

●「ぜひ1つ年寄りを連れて行かなければ困る(首席全権の意味、内田康哉外相は
清浦奎吾元首相の出馬を持ち出したが松岡は断った)。そうして今度はもうできる
だけ穏やかに事をまとめて帰るように努めなければならぬ」

と言いに来たとされます(『西園寺公と政局』)。また1932年10月に松岡は主席
全権として国連総会に派遣されますが、出発前の挨拶に西園寺を訪れ、●「必ず
まとめて帰るようにしたいと思います」と伝言を残して行ったと伝えています。

725:イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM
08/01/19 02:03:46 af6WSHy+
また1932年11月21日から、リットン報告書を中心に満州事変問題を討議する
国連特別総会が始まりますが、松岡洋右は「朋友」の楠山義太郎(東京日日
新聞のロンドン特派員記者、このときロンドンからジュネーブに応援取材に
来ていた)に、●「俺は連盟を脱退したくない」●「サイモンがいるから
俺も助かる」と心中を漏らしています。

楠山(後に主筆)はリットンを口説き落として超スクープをゲットするような
敏腕記者ですから、総会を訪れた英国外相のサイモンにも直ぐに近づきます。

サイモン外相は楠山に対して、●「私は弁護士だが、外相に就任したため
収入が数十分の一に減った」などと内輪話をし、●「満州事変問題に関する
日本の行動は国際諸条約違反だ。しかし私は長い弁護士経験から、法律違反
ではあるが、止むを得ず罪を犯した同情すべき事件を何回か弁護したことが
ある」などと、非常に意味深な発言をしています―。

726:イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM
08/01/19 02:23:29 af6WSHy+
また話が長くなっていますが、太平洋戦争直前の松岡のイメージしか
ない人には新鮮でしょうから、もう少し続けましょう。

松岡洋右は楠山記者に対して、こう愚痴をこぼしています。

●「いったい俺はどうしたら良いんだ。斎藤(首相)は軍人のクセに腰抜けで
 閣内意見の統一が取れない。荒木(陸相)は連盟を脱退しなければ帝都治安の
 責任は取れんと、まるで『駄々っ子』である。本国政府がこの調子では、外に
 使している(外交使)者の立つ瀬がない―」

さもありなんの話です。楠山は軽口を叩くようにして、松岡を励まします。

●「あなたは陛下のご信任厚い日本の首席全権である。『外に使して君命を
 辱しめず』という言葉がある。今あなたは難しい立場にはあるが、ここで
 君命を辱しめるような外交は禁物だ。浮薄な一部の意見に左右されるべき
 ではない―」 

727:イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM
08/01/19 02:44:46 af6WSHy+
さらに2人の問答は続きます。

松「だが俺は政友会のボロ代議士に過ぎんよ」
楠「私は陣笠代議士松岡を相手にしているのではない。首席全権松岡と
  話をしているのだ」
松「そんなに買い被られても(苦笑)」

もちろん一連の上記は、楠山の回想で何やら自分がカッコ良く書かれ
過ぎている気がしますが、実際の雰囲気的もこれに近いものがあった
と思われます。でなければ特派員の記者が、これほど要人の懐に入り
込むのは難しいからです。キャッチーな才能があったのでしょう。

また楠山はリットンに、松岡評として「あれはインターナショナル・
ギャングだね」と耳にしています。ジュネーブでも松岡の傍若無人
ぶりは健在だった訳ですが、さすがに総会の雲行きを気に病んで
プレッシャーにより憔悴していました―。

728:JY
08/01/19 03:03:22 JkqBVAZy
(閑話)わたくし、例大祭に初参加しようと思っておるんですが、
あんな広い会場で大丈夫なのかすらなどと不安に思ったりwww。
れいまりは、自分の中ではジャスティスwww山田さんもいいですがw

729:名無し三等兵
08/01/19 10:12:55 J36P51jk
>>716殿


是非とも続きをm(__)m  m(__)mm(__)m

730:名無し三等兵
08/01/19 11:32:27
>>723
>>668

731:イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM
08/01/19 23:26:42 /aetMLx4
>>723 >>松岡評として「あれはインターナショナル・ギャングだね」(リットン卿)

何はともあれ、松岡洋右は英国代表のサイモン外相、そしてリットン卿(元インド
総督)とも、お互いの腹の内を読みあって『円満解決』に努力していました。

そんななか前述したように1933年1月30日、独国にヒトラー政権が誕生します。
この緊急事態に英国のサイモン外相は本国に戻ってしまい、さらに仏国のボン
クール首席全権もジュネーブから帰国の途につきます。

さあ、これに青ざめたのは松岡です。英仏の2人の実力者がいなくなると、連盟の
特別総会は、チェコ代表のベネシュ外相、スペイン代表のマダリアガ駐仏大使が
声を大にして●『大国の取引き反対』を叫びます。中小国による日頃の鬱憤晴らし
みたいなものですが、国際連盟の規約を盾に『純理論』に終始しました。当然、
日本の立場は苦しくなる一方です―。

732:イナゾウ伍長 ◆FU/OcfTlfM
08/01/19 23:52:40 /aetMLx4
サイモンやボンクールが国連総会を去ったあと、英国にはイーデン外務次官が、
仏国にはマッシグリーが留守役として残っていましたが、2人はそれぞれ36歳と
40歳の若造です(松岡洋右は52歳)。とても老獪な政治的判断ができる訳もなく、
この2人は『純理論』ばかりに熱心となります。

松岡は●「青二才が理屈ばかりこねる」と嘆きますが、もはやこれまで。満州国
独立を認めない「対日勧告案」が1933年2月24日の連盟総会に提出され、教科書に
載っているとおり、日本だけが反対票を投じた『42対1』で採択となりました。
そして日本は国際連盟を脱退します―。

松岡は痛恨の「外交的大失敗だ」と考えておりましたので、楠山記者に対して
●「えらいことになった。日本に戻ったら政界を引退する」とこぼします。
そして失意の内にアメリカへと渡るのですが、下記のとおりな訳です。

>>682 >>1933年に53歳となった松岡はオレゴン大学のあるポートランドを
>>再び訪れ、米国留学時代に世話になったベバリッジ夫人の墓を立てますが、
>>青春時代を過ごした留学先を再び訪れたのは、まさにジュネーブの国際連盟で
>>松岡が議場を引き揚げた帰路のことでした。何か思うことがあったのでしょう。

733:イナゾウ伍長 ◆FU/OcfTlfM
08/01/20 00:10:53 4S5XqPj5
土橋勇逸(のちの参本第二部長、支那派遣軍総参謀副長)中佐は、当時
「国際連盟臨時総会帝国代表部随員」としてジュネーブに送り込まれて
いましたが、松岡洋右の様子を次のように語っています―。

「事志と違って日本に帰っても顔向けできまい。ままよ、しばらく
 アメリカに姿をくらましてホトボリが冷めるのを待とうと決心した
 松岡さんは、アメリカヘ行く孤影悄然たりである。

 行って日本の情況を眺めた。そして驚いたり、自分の耳を疑ったりした。
 内地では42対1を誇らしげに口にし、脱退した松岡を礼讃し、まさに
 英雄に祭り上げている。狐にツママれたというのはこの事であろう―」

松岡が「みんな狂っている」と一人ごちたのは、この時でしょう。

734:名無し三等兵
08/01/20 00:19:27
幣原外交を叩いて人気取りをやったのに、そんなことで驚くとはなぁ…。
まあ、松岡にとってはただの与党叩きパフォーマンスに過ぎなかったんだろうな。
ところが松岡の予想を超える勢いで国民は強硬論に傾いていたと。

735:イナゾウ伍長 ◆FU/OcfTlfM
08/01/20 00:43:44 4S5XqPj5
>>718 >>このときほどヒトラーを怨めしく思ったことはない」との松岡の言

ちなみに同じ年の1933年10月、ヒトラーは国際連盟からの脱退を表明しています。
11月にはその可否を問う国民投票がドイツで行なわれますが、4500万人の
有権者のうち96%が投票し、さらにその内の95%が連盟脱退に賛成しました。
同時に行なわれた総選挙でも、ナチス党は92%の票を獲得しています。

「狂っている」と云えば、こちらの方が『狂っている』のですが、15年間
耐え続けてきたヴェルサイユ体制からの離脱は、ヒトラーに魂を売るだけの
価値があったのでしょう―。

>>704 >>この熱病に浮かれたようなムードのなか、松岡洋右はある重大な発見を
>>します。それは日本に『ファシズム』の可能性を見出したのでした―。

ドイツほどではないにせよ、「国際連盟脱退」という熱病に浮かれていたのは
日本も同じです。松岡洋右は、当初こそ●「日本の立場を理解させることが
叶わなかったのだから自分は敗北者だ、国民に陳謝する」と述べていましたが、
帰国後はその政治活動が激変します―。

736:イナゾウ伍長 ◆FU/OcfTlfM
08/01/20 01:16:13 4S5XqPj5
>>734 >>まあ、松岡にとってはただの与党叩きパフォーマンスに
>>過ぎなかったんだろうな。

政友会と民政党の「足の引っ張りあい」は国を滅ぼすレベルです。

満州事変直前に起きた「統帥権干犯問題」も、1930年2月の総選挙で大敗した
政友会総裁の犬養毅と鳩山一郎が、民政党の倒閣をもくろんだのがきっかけ
ですが、日本の針路を捻じ曲げるほどの火を付けました。

当時、国際連盟の脱退がどのくらいのインパクトだったか? 現代の日本が
国際連合を脱退するというのと大差ないのではないでしょうか。何といっても
あの時の日本は「常任理事国」であり五大国です。

737:イナゾウ伍長 ◆FU/OcfTlfM
08/01/20 01:27:52 4S5XqPj5
>>735 >>帰国後はその政治活動が激変します―。

松岡洋右は日本に帰国後、インタビュー対してこう答えます。

●「私が平素申しております通り、桜の花も散り際が大切 」
●「いまこそ日本精神の発揚が必要です」

先に取り上げた、

>>●「日本の立場を理解させることが叶わなかったのだから、自分は
>>敗北者だ、国民に陳謝する」

とは180度変わっています。そして1933年12月には政友会を離党し、
国会議員も辞職し、松岡は『政党解消連盟』を結成します。さらに
その後1年間にわたって全国遊説を行なったのでした―。

738:イナゾウ伍長 ◆FU/OcfTlfM
08/01/20 01:44:44 4S5XqPj5
松岡洋右の転身の背景には、日本に『ファシズム』の可能性を見出したことが
挙げられます。もちろん国際連盟脱退をめぐる国民の熱狂(と自分への絶賛)
ですが、>>735 で述べたドイツの選挙結果(ナチス圧勝)も大きいでしょう。

>>718 >>●「このときほどヒトラーを怨めしく思ったことはない」との松岡の言
>>726 >●「いったい俺はどうしたら良いんだ。斎藤(首相)は軍人のクセに
>腰抜けで閣内意見の統一が取れない。荒木(陸相)は連盟を脱退しなければ
>帝都治安の責任は取れんと、まるで『駄々っ子』である。本国政府がこの調子では、
>外に使している(外交使)者の立つ瀬がない―」

ここで1つ疑問が生まれますが、一生の痛恨事である「国際連盟脱退」について
松岡はヒトラーを怨んでいました。しかし松岡は、ヒトラーと同じファシズムへの
道を選択し、日本とドイツとの連携を訴えました。これは何故か?

松岡は「政党政治の体たらく」の方がより重罪だと考えたのでしょう。ほとほと愛想が
尽きたと。今こそ日本に必要とされるのは、ナチス・ドイツの『一党独裁』である!―

739:名無し三等兵
08/01/20 02:06:33
>一生の痛恨事である「国際連盟脱退」について
>松岡はヒトラーを怨んでいました。

昭和天皇毒吐く録
「一体松岡のやる事は不可解の事が多いが彼の性格を呑み込めば了解がつく。彼は他人の立てた計畫には常に反対する、また条約などは破棄しても別段苦にしない、特別な性格を持っている」

また条約などは破棄しても別段苦にしない、特別な性格を持っている
また条約などは破棄しても別段苦にしない、特別な性格を持っている
また条約などは破棄しても別段苦にしない、特別な性格を持っている

要するに典型的なマキャベリストだろう。
後のあからさまな態度使い分けを見てもそうとしか考えがえられない。

740:名無し三等兵
08/01/20 11:40:46
ピー屋で頭を冷やして来い

741:☆魔除け☆ (magic word to access from China)
08/01/20 12:53:42
To Chinese reader:  You must know hidden true history!

六四事件 天安門大屠殺 天安門事件 Tienanmen Square
Red China army killed great number of Chinese democratization's people
in Tienanmen Square in 1989 Jun.
Their China military's tanks that's killed many democratic citizen.
many nations watched barbaric never seen shock event , it was awesome!
and many nations people and we hate it.

文化大革命 Chinese culture revolution
Over 40 million Chinese were massacred by red China of Mao Zedong
in Chinese culture revolution (1966-79) .
It's awesome cruel!! , communism that... ,just a mad dog !
Unbelievable! ... but that's all truth.
Cause, red China bloody red beast or Satan's country and area
in Bible's John's holy prophecy.

(To Japanese reader: You have to believe that for our safety , if you have morality.)

742:名無し三等兵
08/01/20 17:13:09 VheG6jje
マキャベリズムと条約破棄は何の関係も無い。
その上不経済と来ては 739=異常者

743:名無し三等兵
08/01/20 19:16:03
マキャベリズムは「レッテルの張り方」として、間違った使い方されすぎだねぇ。

744:名無し三等兵
08/01/20 19:50:26
>>742
>マキャベリズムと条約破棄は何の関係も無い。

そう。マキャベリストとは、どんな理由があっても、例え目的から外れようとも条約や信義を守る存在。
言い換えれば、マキャベリストにとっての条約や信義とは、手段ではなく目的なのですw
つまり幣原がマキャベリストですw

>その上不経済と来ては 739=異常者

不経済って何をさして言ってるのw

>>743
じゃあマキャベリズムを定義してみてよw

745:イナゾウ伍長 ◆FU/OcfTlfM
08/01/20 23:28:28 7RQ+2yrC
>>737 >>国会議員も辞職し、松岡は『政党解消連盟』を結成します。

要するに「既存政党をブチ壊す!」ということです。まあ、小泉純一郎の
『自民党をブチ壊す!』に似ていなくもありませんが、松岡洋右のそれは
政党政治自体の否定であり、ファシズム体制への呼び水です。

松岡は1年間に渡って全国を遊説し、得意の弁舌で驚くことなかれ、政党解消
連盟の会員を200万人獲得しました。ちょっとした教祖様であり、信者です。
テレビもない時代に驚異的なことです。やはり連盟脱退の『英雄様』であり、
いかに国民から人気があったことを端的に示しています。

しかし特に見るべき政治活動もなく失速し、松岡は1935年に今度は満鉄総裁に
就任しました。まあ、時代が早過ぎたこともありますし、何より「一党独裁」の
ファシズム体制を作ろうにも肝心のナチス党のような軸がありませんでした。

大政翼賛会(1940年~)ができる5年前のことです(その時歴史は動いたw)。

746:イナゾウ伍長 ◆FU/OcfTlfM
08/01/20 23:43:05 7RQ+2yrC
>>738 >>松岡は「政党政治の体たらく」の方がより重罪だと考えたのでしょう。

松岡洋右が振り回された「斎藤実内閣」(1932年5月~1934年7月)は、「5・15事件」
による犬養毅首相暗殺を受けて組閣されたものです。奏薦の任にあたったのは西園寺
公望ですが、昭和天皇から鈴木貫太郎侍従長を通じて、次期首相に対する自らの「希望」
を伝えられます。その「希望」とは―。

1.首相は人格の立派なるもの。
2.現在の政治の弊を改善し、陸海軍の軍紀を振粛するのは、一に首相の人格如何による。
3.協力内閣、単独内閣等は敢へて問ふところにあらず。
4.『ファッショに近きもの』は絶対に不可なり。
5.憲法は擁護せざるべからず。しからざれば明治天皇に相済まず。
6.外交は国際平和を基礎とし、国際関係の円滑に努むること。
7.事務官と政務官の区別を明かにし、振粛を実行すべし。

747:名無し三等兵
08/01/21 00:06:21 A2iSBl1C
              , ‐ ' ´  ̄ ̄ ` 丶、
            /              丶
              , ' r、'´    _ _      ヽ
           /  /ヽヽ__ ' ´   _____,, イ ヽ
          ,'  ,'  {_r'‐'',ニ二、ー===-‐'|l 、`、
           iヽ i //  '´  ̄`ヽヽ       l| l  i
        ,' ヽ l /  、>‐=、、      =ニヽ ! l  l
        ,' /⌒ l |  ´ /(__,!゛       `、! |  !    大日本帝國は最高よ!
       ,' ! '^> |!   i。_oソ     , ニ、,  ノ 丿        
       ,'  ヽ ヽ     ` ─       '⌒Y, ' /       
        /   |`T 、            j     /}´       ,'^!
     /   l l i iヽ     i` ーァ   /ノ      / /
      /    | | i i ! \   l_/    ノ |   {ヽ  / /
     ,'    | | i iノ   丶、 __  , イ | |   l } 〃 二ヽ
    ,'    r| | '´\_  / ,' ,′  | |   |└'{_/ ,─`、
   ,' , --─/ l | ─ 、 `X´ト、 ,′  | |  |  '-イ_ィ、 〉

748:イナゾウ伍長 ◆FU/OcfTlfM
08/01/21 00:07:42 yFjz3yYl
西園寺も悩みどころでした。「憲政の常道」からいえば、犬養後任の政友会総裁
である鈴木喜三郎に組閣させるべきですが、人物が人物です。鈴木は検事総長を
務めるなど、もともと「司法畑」ですが、田中義一内閣の内相として「特別高等
警察の強化」「治安維持法の改定」、また「内相の職権乱用で、全国の府知事から
野党の民政党をパージ」など、首相にしたらロクでもなさそうですw。

陸軍は「荒木貞夫首相」「平沼騏一郎首相」を望みますが、西園寺は断固として
はねつけます。まあ、こうした紆余曲折の「中間派」として海軍出身の斎藤実に
白羽の矢が立った訳ですが、世間からは「スローモー内閣」と揶揄されました。

政友会、民政党からも閣僚を引き抜く「挙国一致内閣」の体裁でしたが、斎藤実
自身が「派手な立ち振る舞い」をできる人物ではありません。結局、外相の内田
康哉の暴走(焦土外交)、国際連盟脱退、内田外相をクビにした後は広田弘毅が
後を継いで支那に対する「和共外交」を推し進めますが、情報部長の天羽英二が
「アジア・モンロー主義」をブチあげて(天羽声明)、欧米の反発を喰らうなど
『迷走』といっていいものでした。最後は政友会が仕組んだとされる「帝人事件」の
スキャンダルで総辞職を余儀なくされます。(その後は、岡田啓介内閣へ―)

749:イナゾウ伍長 ◆FU/OcfTlfM
08/01/21 00:29:08 yFjz3yYl
>>739 >>また条約などは破棄しても別段苦にしない、特別な性格を持っている

いやしくも日本の条約は、すべて天皇の御名御璽で発効されており、それを
破棄することは、近代立憲君主としての「日本国天皇」の名誉に泥を塗る
ことになる。下賎の身分から成り上がった松岡洋右にとって、自身の野望は
国家や天皇の名誉より重いのか―。

『昭和天皇独白録』を読むときは、こうした行間を読む必要があります。

また松岡が第2次近衛内閣で外相になるとき、昭和天皇から「外相の松岡は
危険ではないのか?(ついでに陸相のヒデキも同様w)」と言われましたが、
同じ外交官の広田弘毅も首相になるとき、天皇は西園寺に「広田で大丈夫か?」
と念を押しています。

松岡がひと段落しましたら、広田弘毅を少し取り上げる積もりです。同じ外交官で
連続して比較したほうが、より多くのことが見えてくると思ったからです。

750:イナゾウ伍長 ◆FU/OcfTlfM
08/01/21 23:07:45 BBIc2S7f
さて松岡洋右は1935年8月に「満鉄総裁」に就任し、1939年2月までの3年余り
同職に留まります。振り返ってみれば、満州国の建国と引き換えに国際連盟の
脱退という『一生の痛恨事』が起きた訳ですが、いくら外務省で中国勤務が多く
また満鉄副総裁も務めていたとはいえ、引き金となった『満州国』の中で再び
権力を握る心境というのは如何なるものでしょうか。

松岡洋右が『ファシズム』に取り憑かれてしまったのは、連盟脱退の大失敗を
チャラにしたいという精神的な自己防衛もあったでしょう。雨降って地固まる、
災い転じて福となす―。国際連盟を脱退して、むしろ日本の国益にとっては
良かったのだという『世界』を思い描いたのではないでしょうか。

さて松岡が満州で雌伏するなか、日本の情勢は激変していきます。まず1936年
2月26日には「2・26事件」が。1936年11月には日独防共協定が成立、さらに
1937年7月には盧溝橋事件が起き、支那事変が勃発します―。

751:イナゾウ伍長 ◆FU/OcfTlfM
08/01/21 23:47:53 BBIc2S7f
>>738 >>>今こそ日本に必要とされるのは、ナチス・ドイツの『一党独裁』である!

松岡洋右は『政党解消連盟』でドイツと日本の連携を訴えましたが、いまや急速に
それは現実性を帯びてきました。まず「支那事変」が泥沼化するなか、ドイツの力を
借りて蒋介石を屈服させようという陸軍の思惑が強くなります。

そして1939年9月には第2次世界大戦が勃発します。1940年6月にはフランスが
ドイツに屈服し、西ヨーロッパのほとんどはナチスの物となりました。1940年
7月22日には第2次近衛文麿内閣が成立し、ついに松岡洋右は念願の外務大臣に
迎えられる訳です―。

>>745 >>大政翼賛会(1940年~)ができる5年前のことです(その時歴史は動いたw)。

ご丁寧に『近衛新党運動』によって米内内閣が崩壊し、政友会や民政党といった既成
政党が「バスに乗り遅れるな」とばかりに解党して、大政翼賛会の雛形が生まれますw。

752:イナゾウ伍長 ◆FU/OcfTlfM
08/01/22 00:05:15 bKoMfESk
>>751 >>ついに松岡洋右は念願の外務大臣に迎えられる訳です―。

要するに近衛文麿が、松岡洋右の『政党解消連盟』の音頭を代わりにやって
くれたようなものです。

近衛新党運動は、既成政党が全て解党したのはいいですが、その後、親軍的で
ナチスのような「一国一党」組織にするか、それとも天皇を補翼する精神運動
的な緩やかな組織にするかで揉めに揉めます。

そうこうして名称が『大政翼賛会』に決定しますが(1940年10月12日)、総裁兼務と
なった近衛文麿が、「これは政治結社ではない云々」の眠たいことを今さら抜かして、
近衛新体制は最初から失敗したものとなりました―。

脱線が長くなるのでこの辺で止めておきましょうw。まあ、「大政翼賛会はみんなの
心の中にある―」レベルの発言だった訳です。

753:元32(予備役少佐)
08/01/22 00:09:12
松岡話はいろいろありますが。

シベリア超特急の松岡洋右は、会話が盗聴されていると聞いて、
大喜びでかなり長い旅行の間一日中例のマシンガン・トークで語りつづけ、
聴き手は交代で一日数時間ずつ松岡の話を聞き(それでも苦しかったそう)、
ずっと盗聴しているであろうソ連諜報員を責めさいなんだそうです。

随員達はソ連諜報員が生きていられたかどうか心配したそうな。

だが、もちろん松岡は、くだらない政局論をしながら、
心の奥で日ソ中立条約のタイミングをはかっていたわけです。

松岡はよくわからない人です。

754:イナゾウ伍長 ◆FU/OcfTlfM
08/01/22 00:27:39 bKoMfESk
近衛文麿の側近で、「新党構想」を投げ出しそうになった親玉をなだめつつ、
ようやく翼賛会の成立にこぎつけさせた後藤隆之助という人物がいますが、

●「もうこれで大政翼賛会は駄目だと思った。成立と同時に『死児』が生まれて
 きたのと同じだと思った―」と失望をあらわにしています。

まあ、近衛内閣は陸軍と国民の支持を受けて成立しました。同様に国民の人気が
高い松岡洋右が外相に選ばれたのは、要するに近衛と松岡が実は似た者同士だった
ということに他なりません。

755:イナゾウ伍長 ◆FU/OcfTlfM
08/01/22 00:37:31
>>753 >>聴き手は交代で一日数時間ずつ松岡の話を聞き(それでも苦しかったそう)

それは地獄ですね。30分でもキツイと思います。列車の中にはテープレコーダー
はなかったのかしらん? 実は自分も明日、似たような書記(?)の仕事をしないと
いけないので気が重くて仕方がありませんw。

756:名無し三等兵
08/01/22 01:42:56 nQSeelxM
.        /::::::::::::::::::::::::::::::::i:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ
        i::::::::::::::::::::::::|::::::::ハ::::::|::::::::::::!:::::::::::::::::::::::::::::}
        |::::::::::::::イ|::::ハ:::::/. |:::::|、::::::::::|:::::::|::::|:::::::::::i:::|
        |i::::::::::::! ||:::i‐|:::ト i::::::| ヽ-::├:::::|、::|:::::::::::|::|
        ||::::::、:::|´||/__|/  \i.  \_|\:|、:::|::::::::::|::|   <アメリカ軍の戦死者29万2千人に対して、(対日対独)
        〉::.:::::|、|,,イテ心      r"テミ、ヽY:::::::::::|::|
        i:::::::::|i.  弋zン     弋z__ソ" |::::::i:::::|::|     日本軍230万人。民間人80万人は明らかに
        |::|::::.ト|    ̄        ̄   /::::::|:::::|::|
        |::|:::::|_|  xx     、     xxx /|::::::|:::::|:::|    「日本軍はメッサ弱かった!!」ってことですよねwww
.        !:|:::::|::ハ              ,'-|::::::|:::::i:::}
         ||::||:|:::::::ヽ、   ー‐     , イ:::/:::::::i::::::/     なにせ、合計310万人以上も戦死して、
        ヽi|ト|:::」|_:::|ヽ     , <___|_/|:::::/::::/
          |_|iー‐‐|  >- ' ./      |:::/::::/     対日対独で、約半分としたら15万人。
       r=ニ=-、、_/       ト、     |_/ ̄
     | ̄ ̄     "' 、,_   |、 ヽ、_          桁違いのワンサイドゲームですわねwwww
     |           ヽ ヽ, }:::| ヽ "'ヽ、
    / ̄ ̄ ̄  "' 、    \y:::::|  _|  /ヽ \      これで、本土決戦??  アホですわねwww
   /        /ヽ\     \/  | | ̄ └‐,.\
.  /      l ̄Y    ) \.   /  ヽ| o。 /   ヽ 経済大国といいつつ中国に10年後GDP抜かれるらしいですわ。
 /      、ヽ|   o   ̄ヽ \ /   /|  y、 ヽ   }


757:元32(予備役少佐)
08/01/22 02:21:35
>>755
自分の場合、テープ起こしで一番イヤなのは自分の声を聞くことです。
それはそうとまた昇進おめでとうございます。

758:名無し三等兵
08/01/22 06:50:04
>>754
>要するに近衛と松岡が実は似た者同士だった
>ということに他なりません。

松岡は下からの人気が高く、近衛は上流階級にやたらと評判がいい。
それはもう買いかぶりかと思われるほどに評価されている。
で、戦後になると評価が急落。
そんなところまで似ている二人。何かある!

759:名無し三等兵
08/01/22 07:06:35
>>754
>要するに近衛と松岡が実は似た者同士だったということに他なりません。

人気があったのは似ているが相性は最悪。

松岡が一党独裁を指向したのは、つまるところ、今後の国難を乗り切るには強力なリーダーシップと独裁権力による牽引が必要だと考えたからだろう。
この考え自体、明治以来の日本の政治機構とはまったく相容れないものだが、
その上トップになった人間が、御輿にはよくても果断さなどまったく期待できない近衛では終わったも同然。

かくなれば、できる限り近衛一派の横槍を排し、独自の外交を進める他ない。

760:イナゾウ伍長
08/01/23 23:09:14 3I/9AajL
「専ブラ」テスト、テストw。

761:イナゾウ三等軍曹 ◆FU/OcfTlfM
08/01/23 23:34:34 3I/9AajL
>>759 >>人気があったのは似ているが相性は最悪。

結局、「天皇をどう考えるか」です。天皇制とファシズムはどう考えても
相性が良くありませんw。松岡洋右は日本にファシズムを成立させるため
なら天皇は駒扱いです。

近衛文麿は、最後まで「輔翼」という一線を超えることができませんでした
ので、大政翼賛会の創設でも「眠たいこと」を言っています。近衛の場合、
「輔翼」と「無責任」は紙一重です。

「大政翼賛会の綱領は大政翼賛・臣道実践という語に尽きる。これ以外には、
 実は綱領も宣言も不要と申すべきであり、国民は誰も日夜それぞれの場に
 おいて方向の誠を致すのみである―」

これでは『朝の挨拶運動』と大差ありません。百歩譲って単なるスローガンです。

762:イナゾウ三等軍曹 ◆FU/OcfTlfM
08/01/23 23:56:58 3I/9AajL
>>761 >>天皇制とファシズムはどう考えても相性が良くありませんw。

相性を良くしようとすれば、「2・26事件」で青年将校が夢見たような
『天皇親政』への国家改造計画になりますw。

>>758 >>松岡は下からの人気が高く、近衛は上流階級にやたらと評判がいい。

松岡が下に人気があったのは、要するに松岡が外務省内に恩義や引け目を
感じるような先輩がひとりもいなかったことの表れでしょう。どうせ帝大
ではなくオレゴン大学出身ですw。

第2次近衛内閣の外相として古巣の天下を握った松岡は、外務省をトップ
ダウンの組織に「改造」するのに何の躊躇も必要ありませんでした。自分の
イエスマンでないと見込まれた大使・公使ら40人が更迭されましたが、
要するに「三国同盟」の障害となる親英米派をパージしたのでした。

763:イナゾウ三等軍曹 ◆FU/OcfTlfM
08/01/24 00:18:07 csjT2T2f
まあ、いわゆる『松岡人事』ですが、駐英大使として赴任したばかりの
重光葵も更迭され、さらに有力な外交官たちには「辞表」を出させて、
外務省そのものから退職させようという念の入り方です。駐ソ大使を
更迭された東郷茂徳らは、辞表提出を拒否して抵抗しました。

松岡の天下が続けば「上のポスト」が一挙にいなくなる訳ですから、若い
外交官は新しいボスに媚びれば、自身の活躍の場が増えそうだと期待します。

さらに松岡は、元軍人や代議士といった職業外交官ではない各界要人を
新任の大使として送り込みます。退役海軍大将の野村吉三郎もその一人
でした(駐米大使)。

これ以降は、日独伊三国同盟が締約され、日米交渉が始まり、独ソ開戦、
松岡が更迭され、お決まりの太平洋戦争へと続いていきます。このスレでも
さんざんやって来ていますし、松岡の初期の人生にスポットを当てるのが
今回の目的でしたから大幅に割愛させていただきます。

764:イナゾウ三等軍曹 ◆FU/OcfTlfM
08/01/24 00:38:18 csjT2T2f
これだけ傍若無人だった松岡洋右ですが、最終的には日米が手を握れる日を
夢見ていたのは事実です。三国同盟締結をめぐる御前会議の席上でも、

「今やアメリカの対日感情は極端に悪化していて、わずかの機嫌取りくらいでは、
 回復するものではない。ただ我々の毅然とした態度だけが、戦争を避けしめる
 であろう」

と述べています。ここにアメリカ留学時代から培った松岡の「外交人生」が
集約されていると言ってよいでしょう。途中で降りたら何もかも失うのです。
ファシズム体制も、日独伊三国同盟も、ソ連を含めた四国同盟も、すべては
米国に「FOLD」(降りる)させるためのチップを積み上げていったのです。

しかし松岡の意に反して日米は開戦しました―。

765:イナゾウ三等軍曹 ◆FU/OcfTlfM
08/01/24 00:51:02 csjT2T2f
1941年12月6日、日米開戦の方針を知った松岡洋右は、

●「三国同盟は僕一生の不覚であった」
●「死んでも死にきれない。陛下に対し奉り、大和民族8千万同朋に対し、
 何ともお詫びの仕様がない―」

と涙ながらに無念の思いを周囲に漏らしたと云います。その後、結核を患い
急速に痩せ衰えていきました。東京裁判で巣鴨に入った時点で、松岡はもう
「生ける屍」状態だったでしょう。

同じ巣鴨に収監されていた大達茂雄(満州国総務庁長、松岡洋右が満鉄
総裁だった頃と同時期)は、その時の模様を以下のように述べています。

●「私とはフロアが違うもんですから、お互いに話をすることも出来んで、
 部屋の前を歩いていくとこを見て、うなずき合う位のもんでした。病み
 ほほけて脂が抜けたような顔でしてね、少なくとも格好としちゃあ松岡
 洋右の生涯で、あのときが一番立派だった―」

766:イナゾウ三等軍曹 ◆FU/OcfTlfM
08/01/24 01:01:15 csjT2T2f
また、●「日本人が持っている明治以来の伝統の外国人崇拝というような
ことが、松岡にはなかった」などと追憶しています。

松岡の肺病はますます悪化し、ついに1946年6月27日、東大病院で
死亡しました。もし東京裁判の結審まで生き延びたとしても、松岡洋右の
死刑は揺るぎなかったでしょう。

東京裁判はニュルンベルク裁判の鏡でもありますが、松岡洋右のカウンター
パートは、同じく外相のリッペントロップ(処刑の順序は一番先)だったから
です。もし松岡が死刑にされていたら(それまで生き延びていたら)、死刑人
総枠の関係で、代わりに広田弘毅あたりが助かったかもしれません。

辞世の句は、「悔いもなく 怨みもなくて 行く黄泉(よみじ)」でした。

767:イナゾウ三等軍曹 ◆FU/OcfTlfM
08/01/24 01:15:32 csjT2T2f
山田風太郎の著書で『人間臨終図鑑』という3部作があります。「何歳で
死んだ人」という括りで、数百人という著名人の『死に際』が描かれている
訳ですが、もちろん松岡洋右も66歳の項に収録されています。

●「松岡は相手の手を全然見ずに、己の手ばかりを見ている麻雀打ちで
 あった。彼はヤクマンを志してヤクマンに振り込んだ」

という山田風太郎の評は、つとに有名でご存知の方も多いでしょう。

しかし不正確です。松岡洋右という人間は、もうすでに『国際連盟脱退』
というヤクマンを前半生で振り込んでいるのです。松岡の人生は、その
不始末を何とか返そうと(チャラにしようと)、自分もヤクマンを志し、
更に大きなヤクマンを振り込んでしまったのです。

最初の国際連盟脱退が「国士無双」の振り込みだとしたら、三国同盟と
日米開戦は「大三元・四暗刻・字一色」のトリプル役満ぐらいでしょうか。

768:イナゾウ三等軍曹 ◆FU/OcfTlfM
08/01/24 01:23:52
●「松岡洋右はヤクマンに2度振り込む―」

この小テーマの結論でもあります。

769:イナゾウ三等軍曹 ◆FU/OcfTlfM
08/01/24 01:26:08
>>757 >>それはそうとまた昇進おめでとうございます。

まだまだ延々と道が長く続きますので、中佐に戻るまでそっとして
おいてくらさいませw。

770:名無し三等兵
08/01/24 02:02:02
>>764
おいおい、それでは松岡はベロベロの親米派じゃないかw

771:名無し三等兵
08/01/24 06:21:19
>>762
>要するに「三国同盟」の障害となる親英米派をパージしたのでした。

親英米派なんて、軍部と政府に引きずり回されて何一つ事態を好転させることができなかった連中じゃないか。
問題解決能力は皆無。
やったことといえば空念仏に等しい国際協調を唱えることだけ。
松岡に首を切られたのはある意味当然。

772:イナゾウ中佐
08/01/24 23:10:38
>>770 >>おいおい、それでは松岡はベロベロの親米派じゃないかw

松岡洋右は本当に難しい人物で、思春期の米国留学がどの程度
影響しているのか、正直よく分かりません。下手したら涼宮ハルヒ
並みの「ツンデレ」ではないかと思う時がありますw。

しかし、これだけは断言できます。日本がアメリカと戦争すればいい
なんて、松岡は絶対に思っていませんでした。横山信義の本では
ありませんが、極端な話、「全世界VSアメリカ」の状況にまで持って
いってでも、戦わずにアメリカを屈服させる(大東亜共栄圏の成立)のが
松岡の理想だったでしょう。

773:イナゾウ三等軍曹
08/01/24 23:16:39 sg9EJfPt
>>771 >>親英米派なんて、軍部と政府に引きずり回されて何一つ事態を
>>好転させることができなかった連中じゃないか。

もう1人これから「広田弘毅」をちょっとだけ取り上げますから、
そこで少しは見えてくるでしょう。

極小テーマ「松岡洋右と広田弘毅」という訳でw。

774:イナゾウ三等軍曹 ◆FU/OcfTlfM
08/01/24 23:31:48
>>728 >>(閑話)わたくし、例大祭に初参加しようと思っておるんですが、
>>あんな広い会場で大丈夫なのかすらなどと不安に思ったりwww。

えらい亀レスですが、『超時空要塞ビグザイト』に例大祭が移って良かった
のではないかと思います。主催者からすれば、「東方人気が終わっていたら
どうしよう」と気が気でないと思いますが……。

ちなみに自分は3年前から例大祭に参加しましたが、そのときは都産貿要塞
浜松町館でした。コミケでもここまで列を圧縮しないというぐらい、長時間
立ったまま4列でギュウ詰めになりまして、それでも外周列が都産貿を1周
して溢れてしまい、列整理のスタッフが「警察が来る! 警察が来る!」と
泣きそうになっていたのが良い思い出です。

去年までの超弩級要塞サンジャインのDホールでも、俗に言う「この会場の
一体どこにこれだけの人間が入れるんだっ?」状態でしたからねえ。しかし
一番悩ませられるのは早朝ペナルティの有無です。毎回毎回あるあると脅し
つつ現実上、列を移動させるスペースがないという理由で「正直者がバカを
見る」パターンでした。今年も何時に来るかで気を使いそうです…w。

775:イナゾウ三等軍曹 ◆FU/OcfTlfM
08/01/25 00:12:21 wVRbDDlt
>>773 >>極小テーマ「松岡洋右と広田弘毅」という訳でw。

さて広田弘毅です。松岡洋右と広田弘毅には共通点がありまして、もちろん
2人とも外交官であるのは勿論ですが、昭和天皇に「危惧の意」を表された
経緯があることです。

松岡は「第2次近衛内閣」で外相に就任する時、昭和天皇から●「外相の松岡は
危険ではないのか?」と事実上の反対意見を述べられています。これに対して
広田は「2・26事件」後の大命降下により首相に就任するのですが、推薦した
西園寺に向かって昭和天皇は●「広田は名門の出ではない。それで大丈夫か?」
と念を押しています―。

まあ、外相になるのと首相になるのとでは重要度がまるで違います。この差が
松岡洋右と広田弘毅の差と言っていいのでしょうが、もし松岡洋右が首相になる
としたら、昭和天皇は何と反対するのか聞いてみたい気もします。冗談でもなく、
松岡の夢であるファシズムが日本に成立したとしたら、十分にあり得たでしょう。

776:イナゾウ三等軍曹 ◆FU/OcfTlfM
08/01/25 00:39:30 wVRbDDlt
>>775 >>●「広田は名門の出ではない。それで大丈夫か?」

本編でも述べますが、広田は後でこれを聞いて非常に気にしまして、
●「陛下は自分に対して信任がないのではないか?」と悩みました。

さて、もう1つ大きな松岡洋右と広田弘毅の共通点は「東京裁判」です。
言うまでもなくA級戦犯の死刑者7名の内の1人に広田弘毅は入ります。
しかし『松岡編』の最後でも述べたとおり、もし松岡が判決まで病死する
事なく生き長らえていたら、100%松岡が死刑であり、広田は終身刑が
せいぜいだったでしょう。

さらに言えば、近衛が自殺さえしなければ200%広田は助かっています。
「近衛の代わりに広田が死刑になった」とはよく言われる話です。近衛こそが
真のA級戦犯筆頭であり(ついでに言えば、山本五十六も敗戦まで生き残って
いたら死刑でしょう)、広田の巡り合わせは気の毒としか言いようがありません。

777:イナゾウ三等軍曹 ◆FU/OcfTlfM
08/01/25 01:11:50 wVRbDDlt
さて、もう1つだけ先に触れておきますが、広田弘毅が必ず非難される
ものに、首相時代の「軍部大臣現役武官制」の復活が挙げられます。

しかし、これほどデマゴーグ的な「阿呆な話」はない訳で、広田が復活
させるまでもなく軍部の意向を無視するような組閣は既に不可能でした。

当の広田弘毅の組閣自体が、閣僚メンバーに対する陸(海)軍の横ヤリで
流産しかけており、広田が「軍部大臣現役武官制」を認めたのは現状を
追認した程度に他なりません。

前振りはこれくらいにして、次回から本編が始まります―。

778:名無し三等兵
08/01/25 01:58:31
三等軍曹?二等なら知ってるが三等なんてあったっけ?

779:翡翠(星砂) ◆X9uEcr1WoA
08/01/26 02:08:43 ymOt8DoO
とほほ。早くIEで見たいです。(現在・人大杉)
イナゾウ様、お疲れさまですー!

780:名無し三等兵
08/01/26 02:25:32
松岡洋右「日本人は道徳的共産主義者であり、この理想は太古から父から子へと伝えられた。」

781:名無し三等兵
08/01/26 02:52:30
どうせソ連あたりに向けたホラでしょ。

782:イナゾウ三等軍曹
08/01/26 08:51:19 gtNER8bP
>>778 >>三等軍曹?二等なら知ってるが三等なんてあったっけ?
きっとこれから「上級准尉」とか「准尉補佐」とかが出てきます……。
そりゃあもう、カプコンの『『19××』並みにw。

>>779 >>とほほ。早くIEで見たいです。(現在・人大杉)

自分はIEしか使って来ませんでしので最初、「人大杉」で戸惑って、
雑談スレで専ブラを教えてもらいました。「Jane]で最初に書き込んで
スレを上げて、その後はIEでやっています。これが分からなかったら
また「人大杉」が直るまで長期の戦線離脱でしたw。

>>780 >>松岡洋右「日本人は道徳的共産主義者であり、

松岡はウオッカで酔った勢いで「私は共産主義者だ」とスターリンに言って
いますので(日ソ中立条約締結の祝賀会)さもありなんです。こういう外国人に
対する臆面のなさは、松岡の大きな特質でしょう。

783:名無し三等兵
08/01/26 09:06:09
IEに切り替えるのは何故

784:名無し三等兵
08/01/26 14:39:37
コテハンなのにIEとは・・・キュベレイに執着したハマーンのような男だなw

785:JY
08/01/26 21:56:45
(閑話)こないだ本屋ぶらついてたら、まんが4コマKINGSぱれっと なる雑誌の表紙にうどんげとてゐが乗ってて腰抜かしそうになりました(´・ω・`) 。
商業展開しらんかったとです。
流れぶった切って、独り言です(´・ω・`) 。

786:イナゾウ二等軍曹 ◆FU/OcfTlfM
08/01/26 22:55:49 eYN3+c0W
>>777 >>前振りはこれくらいにして、次回から本編が始まります―。

さて広田弘毅です。1878年生まれの福岡県民で、松岡洋右よりも2歳年長です。
松岡は破産した廻船問屋の4男でしたが、広田も負けず劣らず貧しい家庭でした。
父親の徳平は石工ですが、明治初期にはほとんど需要がなかったと云います。

広田は小学校に入りますが、当然の事ながらその先に進む『お金』がありません。
しかし当時の地方の名声家には、何か優れた才能を示す少年が発見されたなら、
その学資を援助するという美風がありました。もし広田が「美少女」だったと
したら、まんま『あしながおじさん』のお話になる訳ですけどw。

しかしそんな「綺麗な話」だけでは勿論ありません。地元出身者が中央で立身出世
すれば、出資者の名誉や地元が受ける恩恵は計り知れないものがあります。いわば
立派な投資であり、同じようなことが日本中で行なわれていました。広田もそうした
篤志家のおかげで旧藩校(修猷館)である中学校に進学できましたが、のちに広田の
行動原理には、『地元の期待』という文字が深く刻まれることになります―。


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