08/01/09 00:41:59 Fi5ysRLj
>>619 >>ていうかこんな人の気持が分からん連中だからこそ、
もちろん佐々木到一の考えは、当時の陸軍の少数派であり(というか
支那通軍人としても少数派)多くの批判を浴びせられていました。
佐々木は「国民党にかぶれた」と馬鹿にされ、1924年当時、支那課の
兵要地誌班長だった頃(少佐)には、軍務局長だった小磯国昭から
「ササキイ、(国民)革命はまだかね?」と揶揄されたりもします。
要するに、当時の支那通では「支那なんて永久に統一されることなく、
分割統治されていれば良い」「支那の国家統一なんて不可能である」
という考え方が主流でした。そのような中で、孫文を『先生』と呼び
身内からも批判された佐々木は、よほど進歩的であり「人の気持ちが
わかる連中」だったでしょう。