08/01/02 03:47:12 6Z2icJNd
>>541 >>衝突の原因は諸説あるので割愛しますが、青島で待機していた第6師団
>>第36旅団も来援、さらに5月8日には名古屋第3師団と関東軍から1個旅団の
>>増援が決定されます。そして日本軍は5月11日に済南城を完全に占領しました。
上記が「済南事件」の概要、そして第2次・第3次山東出兵となる訳ですが、
斎藤瀏少将(第11旅団長)は事件の現場責任を取らされて「予備役編入」の
憂き目となりました。佐々木の要請を独断で受け入れたばかりに気の毒ですが、
蒋介石に対する何とはなくの期待、あるいは南軍の大部隊に対するプレッシャー
もあったのでしょうか。
後に上司の福田師団長が「居留民保護」→「膺懲(ようちょう)戦争」に方針を
大きくシフトすると、事前にバリケードを撤去して事態を不利にしてしまった格好の
斎藤旅団長の過失がことさら大きく見えます。必ずしも現場が詰め腹を切らされた
だけとは云えないでしょう。