08/01/01 19:32:21 xQiCeZdH
さて時間を少し巻き戻しましょう。佐々木到一がリンチに遭ったのが1928年
5月3日の話であり、その前日の5月2日の出来事です。
(再確認ですが、国民革命軍が済南に到着したのが5月1日。同じく蒋介石が
入城してきたのが5月2日)
>>日本人居留区の警備責任者が、第6師団・第11旅団長の斎藤瀏少将だった訳ですが、
>>何を思ったか斎藤少将は、南軍を刺激するようなバリケードや砂袋陣地、有刺鉄線
>>などを、福田師団長の許可を得ずに独断で撤去させました。
>>541 で自分はこう前述しましたが、実は斎藤瀏少将にバリケードを撤去するよう
使者として訪れたのが佐々木到一本人だった訳です。これは蒋介石の申し入れの中に
「商業地の防御設備を撤去してほしい」という項目がありました。「革命軍の将兵を
刺激し過ぎるから」というのがその理由でした―。