08/01/01 12:35:31 z5faxEuK
まるで『ブラックホーク・ダウン』か、土民の群集に死体を引き摺り回される
米軍兵士の世界ですが、ようやく城門を通り過ぎる際、蒋介石の総司令部から
使者が迎えにきており、佐々木は解放されました。
蒋介石の総司令部に戻った佐々木は、ベッドの一室に倒れこみ昏倒します。
命こそ助かったものの全身打撲状態で、右手が上がらず、下顎の骨を折り
しばらく流動食しか取れませんでした―。
この暴行事件は、佐々木の「支那観」を大きく揺さぶります。もちろん
『幻滅』の一言です。後で述べますが、良く云えばトラウマかPTSD、
悪く云えば、もはや「発狂状態」です。
他にも国民革命軍がいかに烏合の衆で、蒋介石直系軍と勝ち馬に乗ろうとする
軍閥の集合体であることかが分かります。後の支那事変でもよく言われますが
出身地方が大きく違えば、支那人同士で言葉もろくに通じません。まあ、ソ連も
似たようなものですが。
575:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/01 19:32:21 xQiCeZdH
さて時間を少し巻き戻しましょう。佐々木到一がリンチに遭ったのが1928年
5月3日の話であり、その前日の5月2日の出来事です。
(再確認ですが、国民革命軍が済南に到着したのが5月1日。同じく蒋介石が
入城してきたのが5月2日)
>>日本人居留区の警備責任者が、第6師団・第11旅団長の斎藤瀏少将だった訳ですが、
>>何を思ったか斎藤少将は、南軍を刺激するようなバリケードや砂袋陣地、有刺鉄線
>>などを、福田師団長の許可を得ずに独断で撤去させました。
>>541 で自分はこう前述しましたが、実は斎藤瀏少将にバリケードを撤去するよう
使者として訪れたのが佐々木到一本人だった訳です。これは蒋介石の申し入れの中に
「商業地の防御設備を撤去してほしい」という項目がありました。「革命軍の将兵を
刺激し過ぎるから」というのがその理由でした―。
576:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/01 20:04:26 xQiCeZdH
斎藤旅団長は、上司の福田彦介中将(第6師団長)の許可を取らず、現場の
独断でこれを受け入れました(>>540も参照)。警備区の土嚢、拒馬(きょば:
柵などの障害物)、鉄条網、その他の防御設備を取り除いてしまいます。
斎藤少将はあくまで無用の衝突を避けるために「宥和的な態度」を取った
訳ですが、これは結果的に仇となりました。支那の土人相手に「こちらが
妥協したから向こうも…」あるいは「こちらが善意なり誠意を見せれば…」
と見返りを期待するのが根源的な大間違いなのです。
防御設備を撤去したおかげで、支那の土人兵どもが日本軍の警備区域内に
入り込んできて、かえって摩擦が強くなりました。そして翌3日の午前、
ついに武力衝突が勃発した訳です―。
その当時、支那側の異常な「対日敵愾心」にヒートアップするかのように、
日本側も異様に殺気立っていました。若い将校の中には佐々木に、●「なぜ
革命軍のために世話を焼いているのか!?」と詰め寄ってくる者もいたと云います。
577:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/01 20:57:48 xQiCeZdH
>>576 >>そして翌3日の午前、ついに武力衝突が勃発した訳です―。
日本軍と衝突したのは、日本の陸士留学組で35歳の軍長・賀輝祖が率いる
第40軍の兵士だったと云います。
衝突の原因は、満鉄の機関紙的存在だった『満州日報』の販売店で革命軍兵士が
掠奪を働いた(日本側言い分)とも、その販売店の近くに反日宣伝ビラを貼ろう
としたら日本人が妨害した(支那側言い分)とも云いますが、どちらでも良い
でしょう。要するに、似たような衝突が同時発生的に各所で起こった訳です。
そして同日には上記のように、双方の軍使の役割を急遽担っていた佐々木が
リンチに遭います。職務からとはいえ、「自分で蒔いた種」と言えなくもない
でしょう。翌4日までの戦闘で早くも支那側の死傷者は1000人を超えたと
云います。日本側は、軍人の戦死者が10人、民間居留民の死者が13人でした。
578:元32(予備役少佐)
08/01/01 21:53:02
>>577
ようやく規制解除。イナゾウ班長殿、あけましておめでとうございます。
今年もまったりいきましょう。
佐々木の屈折した心境も泣けますが、
しかし、そこまでして中国についていくだろうか。
579:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/02 03:47:12 6Z2icJNd
>>541 >>衝突の原因は諸説あるので割愛しますが、青島で待機していた第6師団
>>第36旅団も来援、さらに5月8日には名古屋第3師団と関東軍から1個旅団の
>>増援が決定されます。そして日本軍は5月11日に済南城を完全に占領しました。
上記が「済南事件」の概要、そして第2次・第3次山東出兵となる訳ですが、
斎藤瀏少将(第11旅団長)は事件の現場責任を取らされて「予備役編入」の
憂き目となりました。佐々木の要請を独断で受け入れたばかりに気の毒ですが、
蒋介石に対する何とはなくの期待、あるいは南軍の大部隊に対するプレッシャー
もあったのでしょうか。
後に上司の福田師団長が「居留民保護」→「膺懲(ようちょう)戦争」に方針を
大きくシフトすると、事前にバリケードを撤去して事態を不利にしてしまった格好の
斎藤旅団長の過失がことさら大きく見えます。必ずしも現場が詰め腹を切らされた
だけとは云えないでしょう。
580:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/02 04:27:13 6Z2icJNd
>>578 >>ようやく規制解除。イナゾウ班長殿、あけましておめでとう
>>ございます。今年もまったりいきましょう。
あけましておめでとうございます。こちらこそ今年もどうぞよろしく。
いま深夜映画の『八甲田山』を観ながら書いています。ろくな防寒装備も
付けずに体感温度マイナス20℃……。冬のコミケ3日目も超寒かったですが、
それでも気温2℃程度です。体感を含めてマイナスにいくかどうか……。
>>先頭で教導していた神成大尉は誰ともなく命令する。「ここで部隊を解散する。
>>各自勝手に青森へ帰るように。」それまで何とか落伍せずに頑張っていた
>>多くの兵士が、この一言により箍が外れ、発狂して服を脱ぎ始める者、
>>「この崖を降りれば青森だ!」と叫び川に飛び込む者、「筏を作って川下りを
>>して帰るぞ」と叫び樹に向かって行きそのまま倒れこむ者と、この一言で
>>倒れこんで凍死する者が続出した。
581:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/02 04:44:51 6Z2icJNd
>>イナゾウ班長殿、あけましておめでとうございます。
ようやく「懲罰大隊」の班長から抜け出せそうですw。マトモな部隊に
転属される日も近い?……
>>「ここで部隊を解散する。各自勝手に青森へ帰るように。」
「ホームレス中学生」の『解散!』を上回りますw。
582:イナゾウ三等兵@悪質な閑話休題 ◆FU/OcfTlfM
08/01/02 05:21:05
>>567 >>元中佐殿は今頃東部戦線か西部戦線か
毎回そうですが自分は、全日通しで参加しました。つくづく思いますが、
やはり「コミケの華は3日目」よのうw。
3日目は「西部戦線」におりました。東方スペースの西2を彷徨っていただけで
ほとんど1日が終了してしまいました。資金的には充分な余裕がありましたが、
実家への帰省の関係もあって3時前には切り上げざるを得ず、また1人で持ち運ぶ
量には限界があったのですw。
まあ、話の賞味期限が切れる前に、恒例の『悪質な閑話休題』ということで……。
◎事前の予想では、大寒波到来とのことでしたが1日目・2日目はむしろ暖かい
ぐらいで、夜に降った雨の方がキツかったですね。
583:イナゾウ三等兵@悪質な閑話休題 ◆FU/OcfTlfM
08/01/02 06:06:22
◎自分は3日目の深夜1時ぐらいに「西部戦線」に到着いたしました。
「半徹組」のほぼ先頭に並ぶことができましたが、午前3時半ごろに
階段上に移動してビックリ!
奥の方から「整理券組」が2~3リットルぐらい出るわ出るわw、結局
階段を上がったすぐの通路のところで列が確定となりました。前年と
比べましても異常な「整理券組」の量です?。まあ、「FLIPFLOP」を入手
できただけで、先行できた時間はチャラになりましたがw。
◎2日目の「やん家」さんの新刊がなくて、しょんぼり。
◎1日目の場内放送で、「来場する際に、タクシーの運転手さんの
荷物をいっしょに持っていった参加者の方、運転手さんが困って
いますので至急本部まで来てください」という内容に場内苦笑。
まあ、複数人でタクシーに乗ってトランクに荷物を預けたはいいが、
仲間かサークルの荷物だと勘違いして持っていったのかしらん?w
584:イナゾウ三等兵@悪質な閑話休題 ◆FU/OcfTlfM
08/01/02 11:49:03
◎1人場所取りしているところに、1~2人列に割り込んでくるのはまだ許せるが、
1人場所取りしているところに、5~6人列に割り込んでくるのは止めてくれw。
アキレス腱、蹴り切るぞ。トイレから戻ってきたら列のあまりの惨状にビックリ
します。仕方ないので、その内のお一人様に集中して報復させて頂きましたw。
◎3日目の東方スペースに、ものすごい可愛い「霊夢」のコスプレをしている娘さんを
発見してビックリ。小柄な背格好といい、少し痩せぎすの体形といい、服装のデザイン
の良質といい(当然、寒風吹きすさぶ中、腋全開w)、可愛いながら少し陰のある表情
といい、誰がどう見ても80~90点は固いだろうさw。ツボにはまりまくりです。
◎帰省で急いでいる関係で、戻りの秋葉原までタクシー使ったら4千円もかかりましたw。
運転手が「ヨドバシカメラの位置関係が分かりません」という基地外で、通ったルートも
怪しいものです。信号待ちで時間も早くならないので2度と使いませんw。参考までに
東京駅から超時空要塞ビグザイトまでは「深夜料金」でも3千円弱、石原都政の
「オリンピック道路」のおかげで本当に近く早くなりました。
585:楽園の素敵な巫女 博麗霊夢@悪質な閑話休題 ◆FU/OcfTlfM
08/01/02 12:09:10
>>584 >>ものすごい可愛い「霊夢」のコスプレをしている娘さんを発見してビックリ
.「^ヽ,ry'^i
,ゝ"´ ⌒`ヽ
くi Lノノハノ)」 サークルの列に並んでいるときに発見して、あまりの
λ.[i ゚ ヮ゚ノi! ドハマリ具合にしばらく眺めていたら、偶然目が合って
レ',ヘ.i`ム'」つ 「キモッ」とばかりに顔を背けられたそうよw。ちなみに
,く_,//T.iλ イナゾウ三等兵の「霊夢」のイメージは、『徒歩二分』の
"ーr_,t_ァ'" 全宇宙を見下すような少し陰気のカリスマ巫女さんですw。
586:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/02 16:03:15
>>579 >>斎藤瀏少将は事件の現場責任を取らされて「予備役編入」の憂き目
>>527 >>栗原:「お…おじさん、斬ります!!(怒)」
>>斎藤:「斬れ!! 斬ってしまえ、クリコ!!(怒)」
さて「済南事件」の顛末ですが、斎藤瀏旅団長ならびに上司の福田第6師団長は
事件の責任を取らされて予備役編入されてしまいます。福田彦助中将は、ロシア
大使館附武官補佐官やWW1ではロシア軍の観戦武官、シベリア出兵、ニコリスク
特務機関長などを歴任するなど「ソ連通」の典型的な軍人でしたが、「済南事件」に
関わってしまったばかりに、そのキャリアを終わらせてしまいました。運が悪い
としか言いようがありません。
斎藤瀏少将は、直接の現場責任者ですから「予備役編入」は仕方の無いことでしょう。
しかし問題は、その後です。「2・26事件」に大きく関わってきます―。
587:名無し三等兵
08/01/02 19:49:17
イナゾウ氏は「東方」がお好きのようですが、もし仮に「ハルヒ」とかにはまってたとしたら
「ただの支那兵には興味ありません」とか「俺、便衣萌えなんだ」とかナリキリしていたのでしょうか。
588:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/03 09:14:00 aw65Rmdv
>>586 >>しかし問題は、その後です。「2・26事件」に大きく関わってきます―。
新年元旦の発売日で『昭和維新の朝―二・二六事件と軍師斎藤瀏』(工藤美代子著、
日本経済新聞社)が出ているそうですが、「軍師・斎藤瀏」はチト言い過ぎではない
でしょうか?w 「指導者」ではなく、あくまで「アドバイザー」としての軍師なら
あるいはそうでしょうけど。
しかし斎藤瀏予備役少将が「2・26事件」に少なからず関わっていたのは事実です。
きっかけは決起将校のひとりである「栗原安秀」中尉が、自分の娘と幼馴染であり、
家族ぐるみの付き合いが元々あったからでしょう。あるいは斎藤瀏は、佐々木信綱
門下の歌人でしたから、その方面も何かあったかもしれません。
そして「済南事件」で予備役編入された恨み節も多少はあったでしょう。統制派に
人誅を喰らわせ、天皇親政の国家改造を果たすという計画に少なからぬシンパシーを
感じたかもしれません。もちろん、現役将官だったとしても「2・26事件」に助力しな
かった保証はありませんけれど―。しかし決起は、天皇の怒りを買い鎮圧されます。
589:元32(予備役少佐)
08/01/03 09:19:11
>>588
班長殿、早いですなあ。
正月はゆっくり休まれてください。
>工藤美代子
謎の近衛賞賛本を書いた人ですね。
590:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/03 09:41:18 aw65Rmdv
その結果、斎藤瀏は将官のなかで唯一「有罪判決」となり5年の禁固刑に
処されます。そればかりか、位階勲章・年金などを全て剥奪され、一家は
経済的にも苦しい生活に追い込まれます。斎藤家パニック!w ジリ貧から
わざわざドカ貧になったとしか言いようがありません。
このように軍人としては不運というか、ボタンをどこかで掛け間違えたような
斎藤少将ですが、多少なりとも名前が残っているのは、娘の斎藤史が現代短歌の
女流歌人だったからでしょう。決起将校の栗原安秀・坂井直中尉とは旭川時代
からの幼馴染であり、事件後の斎藤史は「2・26」を偲んだ短歌を多く世に
残しました。
さらに斎藤史は、三島由紀夫の『豊饒の海』の鬼頭槇子のモデルでもあります。
591:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/03 10:34:36 aw65Rmdv
>>527 >>栗原安秀:「お…おじさん、斬ります!!(怒)」
>>斎藤瀏:「斬れ!! 斬ってしまえ、クリコ!!(怒)」
斎藤家は、栗原安秀のことを「クリコ」と呼んでいました。栗原安秀が
大変な美形だったことは有名で、樋口季一郎中将も「女にして良いような
美青年」だと言っています。
てっきり「クリコ」は「栗子」なのかと思いきや、実は「栗公」とのこと。
「栗公らはやりましたか」
「やった」
家族も私(斎藤史)も栗原安秀を栗公(クリコ)と呼んでいた。
「行きますか」
「行く」
592:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/03 10:36:30 aw65Rmdv
ちなみに斎藤瀏は、存外に長生きして終戦後の1953年まで生きました。
娘の斎藤史が亡くなったのは2002年で、まだ最近のことです。
昭和の事件も視終へましたと
彼の世にて申し上げたき人ひとりある―(斎藤史)
There is one person
in the world that lies beyond
to whom I shall say:
“I have been a witness to
all the events of Showa"
日本文だけですと、「昭和の事件」が「2・26事件」だけに読めてしまうかも
しれませんが、英文を見ると「昭和という時代そのもの」だと分かります。そして
斎藤史の云う「申し上げたき人ひとり」が誰かは、言うまでもないことでしょう。
593:名無し三等兵
08/01/03 16:01:43 ReVki2ey
,..イ://:.:.:./:.:.:.: : :. :. ::.ヽ、
/-:ァ'.:./:.:.: ./.:/:/.::.:. .:... . :.:.:ト、
/´:.:.:/ ..:.:.:. /:./::/:.|:.:|::.l:.:.:.:. .:.:.:|:i:.:.:ヽ <オマエラ!正月から2ちゃんでカキコか?
/⌒/‐:::::7/.:.:.:. /.7ト从ハ.:ハ:|:.::.:l.:.:.:.:.|:!:.. .:ハ
/:.:. .:.:.:ト::::// :.:.:.:. |:/z‐ァ示ミlトl:{::l:.|::.:.:.:从|:..:: !l 友達とか彼女とか居ないのか?
|: : .:.:.::ハ:_|:l.:.:.:.:.:.:.:|ヘ トi::::小ヽl!ヽリ.:.:.ムリ:|.:.:.:|:|
|: .:.:::ハ:V_|:l:.::.:.: .:.:l:! 、辷ツ /::イ心Vj::|.: |:| サミシイやつらだな!!
| ..:.:.::|:V. r|:|.:::.:.:.:.:.|:{ ノ´ {i::リi}}リ:./:.:!
| .:.::.ハ{、 |:|:.:|:.:.:.:小! , `゙ l/:イ:.:リ 今年こそニートやめて、仕事しろ!!
!.:.:.:|:::: l:ト.}|!:.|::.:.:l:.| ヽ , 一'i /イ}|:./
|.:.:.:l!:::::l:| 小::l:::.::l:.| 廴.ノ /八リ/ 友達もできるし、彼女もできるっしょ!!
}:.:.:|!:::::|ハハヘト、: l:| ` /:: //
/.:.:ノ}::::ハ:::} ,ム.ヽⅥ{丶. .イ }:::::/′
_ム≦イ‐'‐ri´ | ヽ. ` ァ┬<::_|//:/_
,. ´ |! l| ! / |! ,/ /'j/ `ヽ、
/ |! l| 、 ノ′l| ′ ヽ
/ |! l| |! .lレ'´ .
594:名無し三等兵
08/01/03 16:12:01 09IBT/Er
>>593
いま中国的天空よんでまふ
595:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/03 21:43:55 aw65Rmdv
しかし、矢吹一夫の『昭和動乱私史』には2・26事件後、獄中の斎藤瀏
予備役少将について、以下のような記述があります。
私と同室していた『予備少将』が、隆々たる股間の一物を格子から突き出して、
「おい、憲兵っ」と大声で呼んだのである。われわれの室の前には、いつも
着剣軍装の二十二、三歳くらいであろうか、紅顔の憲兵が立っていたが―。
「はっ、何でありますか?」
と振り向いた鼻先へ『逞しい逸物』を、ぐいっと突き出しておいて、
「貴様あ、覚えがあろう。尻を持って来いっ」
と大喝したとたん、その青年憲兵は見る見る首筋まで真っ赤になって、下を向いて
しまったのには、三つの室から「どっ」と爆笑が沸いた。しかし、北(一輝)ひとりは
ニコリともせず、静かに「法華経」を読誦していたのが印象的であった―。
596:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/03 22:01:26 aw65Rmdv
矢吹一夫の記述を信じるならば、斎藤瀏は「男色家」の気があり、
何か「クリコ」や他の青年将校に対しても『お稚児さん』か『少年愛』の
対象としていやしないかと思わず邪推してしまいます(核藁)。
いやはや「腐女子」が喜びそうなエピソードです。先日のコミケの
歴史ジャンルでも「2・26事件」の本を女性陣がけっこう出されて
いてビックリです。栗原安秀のみならず中橋基明も大変な美形ですし。
597:名無し三等兵
08/01/03 22:23:32 n4w4bF1f
某陸軍ブログでも取り上げてた話ですね>斎藤少将の件
598:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/03 22:23:38
>>587 >>イナゾウ氏は「東方」がお好きのようですが、もし仮に
>>「ハルヒ」とかにはまってたとしたら
新刊は一体いつになったら出るんでしょうね?w 年が明けてしまいましたよ。
基本的にライトノベルは読んだら「ゴミ箱にぽい」なので、台詞を真似して
流用できるほど読み込むのは難しいです。「なのは」はDVDで観る時間が
本当にありませんのである意味、助かっています。いわば最後の一線ですw。
599:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/03 22:29:52
>>597 >>某陸軍ブログでも取り上げてた話ですね>斎藤少将の件
あ、参考文献は「近衛読書中隊」ねw。
600:楽園の素敵な巫女 博麗霊夢 ◆FU/OcfTlfM
08/01/03 22:46:22
>>587 >>もし仮に「ハルヒ」とかにはまってたとしたら
i^ヽry/`ヽ、
, '` ⌒ ゙`ヽ'
L(ノ八ノノLi〉
[]\ il、゚ヮ.゚[i.llλ 私だって一応、ポニーテールなのよ?
[][] \ ノi`ム´」,ヘリ ほらほらっw。
. [] [] 〈/i.Tヽヾ、_〉
.[][[] ゙''t_ァ_ァ‐゛
601:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/04 08:48:57
>>589 >>班長殿、早いですなあ。正月はゆっくり休まれてください。
>>工藤美代子 謎の近衛賞賛本を書いた人ですね。
まあ、仕事が始まったらどうなるか分かりませんし、書ける内に書いておこうかと。
松井ヒデキの『告白』を読みましたら、「この歳になって1日は24時間しかない
ことを強く意識するようになった」と書かれておりまして、全くその通りだなあと。
しかし12月下旬、無理したら胃腸風にやられまして却って効率が悪くなりましたw。
『われ巣鴨に出頭せず―近衛文麿と天皇』はレビューなどを見ると、おおむね
評価が高いですね。自分は未読ですけど。
>マッカーサーから憲法草案作成への協力まで要請されていた近衛がなぜ一転、
>戦犯になったのか。著者はその原因をマルクス主義者の都留重人とH・ノーマンが
>『木戸幸一の責任を軽くするため近衛を陥れた』とする推論を展開する。
「木戸幸一と近衛文麿との微妙な距離感」というのは興味深いですが、終戦工作以降に
スポットを当てれば、そりゃあ近衛の評価は上がるだろうさ、というのが第一印象w。
602:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/04 09:52:46 mnnfQ9V1
>>571 >>シナーって陰謀厨なのに民度が低いんでつね
今現在なら「民度が高い」とでも思っているんでしょうか、あなたはw。
>>574 >>この暴行事件は、佐々木の「支那観」を大きく揺さぶります。もちろん
>>『幻滅』の一言です。
そもそも近代化とは何でしょうか?―その重要な要素の1つとして「近代軍」の
成立が挙げられます。日本で云うなら明治維新を経て陸海軍の創設―要するに
『国民軍』の成立ですね。それでなくては単なる『私兵』であり、『軍閥』です。
昭和の日本陸軍で「第5師団(広島)は俺のモノだ」と抜かす馬鹿はもういません。
しかし当時の支那は、蒋介石の国民政府成立後も「軍隊は私物同然」であり、現代の
共産支那だってその残滓は残っているでしょう。
済南事件前後の『北伐』は、そのような近代的な「国民軍」を目指した国民革命軍の
試金石だった訳ですが……。少なくとも蒋介石の直系軍は、です。(続く)
603:名無し三等兵
08/01/04 11:20:16
>終戦工作以降にスポットを当てれば、そりゃあ近衛の評価は上がるだろうさ、というのが第一印象w。
反軍部の最右翼である松岡洋右を排除し、陸海軍部の言うとおりに南部仏印進駐やって石油禁輸を食ってれば世話はない。
その後で日米首脳会談とかもう馬鹿じゃねw
ホント何考えてたんだろう。
604:名無し三等兵
08/01/04 14:43:16
済南事件といったら、こんなネタがありましたね。
URLリンク(www.warbirds.jp)
605:徹夜無職年中正月夏休み
08/01/05 02:35:45
私がイナゾウの独立を保障しました
606:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/05 09:30:12 9YtkMlC2
>>594 >>いま中国的天空よんでまふ >>602 >>そもそも近代化とは何でしょうか?
『中国的天空』は支那空軍の近代化を考えるうえで、平易で理想的なテキストですね。
2月に後編が出るのを待ち遠しいと思っていましたが、いろいろ他にも読む本があり
まして、前編が読み終わらないかもw。
さて『中国的天空』の冒頭を読めばわかるとおり、支那の「近代軍」は清朝末期に
始まります。辛亥革命(1911)後はその遺産を各軍閥が「分け前」として持っていって
しまいますが、軍閥というのは「私軍」に他なりません。
支那軍の「近代化」はそこで事実上ストップしますが、空軍というのは「俺は
この航空機を何機もっている」と非常に分かりやすい『宣伝媒体』になります。
実際の戦力になるかはともかくとして、各軍閥は資金の許す範囲において、
徐々に機体を増やしていきます。これが支那空軍の過渡期にあたります。
607:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/05 10:02:09 9YtkMlC2
まあ、詳しくは後日予定している大テーマ『上海航空決戦外伝―中国的
天空を読む』でやりますが、空軍は海軍と同様に「技術」の固まりですね。
パイロットや整備員は少数精鋭で育成し、機体や部品その他のバックアップは
金にものを言わせるか、外国の援助に頼る。これで「前近代的」な支那軍でも
急速に戦力を整えて、国産兵器の縛りがある日本軍を一気呵成に打ち負かす
ことができると考えた。しかし、そもそもマトモな「空軍力」の建設は、
海軍のそれに匹敵する社会的インフラが必要不可欠だったのだ―。
というのが、前述の中テーマ「上海航空決戦」の結論でした。しかし
「陸軍の近代化」というのは、海空軍のように「見た目」で分かりやすい
ようにはいきません。まず陸戦の勝敗は、兵数・士気・指揮官の能力・地形・
兵器など様々なファクターが絡んできます。また兵士が受けた平均的な初等
教育も露骨に影響しますし、動員や徴兵といった社会システムも不可欠です。
608:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/05 10:22:33 9YtkMlC2
支那の場合、陸戦は「事前の切り崩し」でオセロゲームのように勢力が
逆転して、一方が戦わずして下野することも多かったのです。ですから、
近代陸軍の建設というのは、清朝のような国家単位ならともかく、軍閥
単位ではとてもモチベーションが湧かなかったでしょう。
それよりも単に兵員の頭数を増やすか、大砲や航空機などの見た目に分かり
やすい兵器を購入したほうが良かったのです。なぜなら、それは対抗勢力に
向けての『宣伝活動』だからです。『宣伝戦』といっても良いでしょう。
そして軍閥時代の近代陸軍の建設は、「黄埔軍官学校」を待たねばなりません。
もちろん蒋介石が校長を務めた、国民革命軍の士官養成学校です―。
(もう少し済南事件は続きますw)
609:ばばぼん♪ ◆gdH1Km1a0U
08/01/05 11:28:29
∩_,,∩
<=`∀´> 遅ればせながら、
~( ) 図書館でKO大出版会の「日中戦争の軍事的展開」を借りてきたニダ
し―-J
610:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/06 15:55:54 CDYhfasd
>>578 >>佐々木の屈折した心境も泣けますが、しかし、そこまでして
>>中国についていくだろうか。
さて「済南事件」をもう少し続けましょう。第2次北伐時(1928年4月~)、佐々木
到一は、蒋介石率いる「国民革命軍総司令部」に従軍を希望して、許可されました。
佐々木は、「国民党がいずれ支那全土を支配するだろう」と確信していましたので、
その国民党軍と日本軍の精神的パイプ役となることを自分の責務だと考えました。また
革命軍が本当に近代的な『国民軍』へと変わり、日本と手を結ぶに足る相手かどうか?、
この目で確認するために北伐への従軍を望んだと云います(『支那内争従軍記』)。
蒋介石は、佐々木に「作戦面での助言を求めたい」と述べましたが、多分にリップ・
サービスでしょう。北伐での最終局面では、日本軍との衝突が大いに予想されました
ので、佐々木に求められたのは連絡役としての『保険』であり、極端な話、『人質』に
近いものがあります。当然のことながら、佐々木には作戦に関わるような軍事情報は余り
公開されず、従軍中、日本本国との連絡も婉曲に拒否されました(スパイ行為の防止)。
611:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/06 16:34:26 CDYhfasd
>>608 >>軍閥時代の近代陸軍の建設は、「黄埔軍官学校」を待たねばなり
>>ません。もちろん蒋介石が校長を務めた、国民革命軍の士官養成学校です。
北伐当時の「国民革命軍」の実態はどんなだったでしょうか。蒋介石直系の
第1集団軍を見ると、総参謀長に楊杰(ようけつ)、参謀副長に熊式輝など
日本の陸士・陸大留学者が少なくありませんでした。
(再確認ですが、第1集団軍=蒋介石、第2集団軍=馮玉祥、第3集団軍=閻錫山、
第4集団軍=李宗仁、となります)
佐々木の回想では、「(第1集団軍は)日本軍と比較して、組織の能率や戦術
レベルでは近代軍として至らない部分が多いが、軍紀は意外に厳粛で、掠奪・
強姦を見かけたことがなかった」と云います。
しかし、別宮翁の「第1次大戦」(済南事件の論争点)などを読みますと、
「済南事件の武力衝突は、蒋介石の略奪命令による計画的犯罪」とありますw。
612:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/06 16:52:42 CDYhfasd
佐々木の証言は、現場を見聞きした「第1次当事者」のものですが、当然の
ことながら自己弁護や、都合のよい意図的なミスリーディング(誤誘導)、
あるいは無意識の希望(こうであったら良かったのに)も含まれますから、
そのまま鵜呑みにする訳にもいきません。別宮翁の挙げる地図などを見ると、
>>5月3日11時ごろの済南商阜地の情況をみれば、『国府第1集団軍』の済南に
>>宿営した部隊がほぼ総力あげて、商阜地の日本軍守備線内地区(青斜線内)に
>>向っていることがわかる。
東西に分かれてしまった日本軍の警備区(領事館がある地域と、邦人が密集
する地域)が、革命軍による包囲殲滅(それも蒋介石直系の『第1集団軍』で
あることに注意)の意図に晒されていることが、ありありと見て取れます。
613:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/06 17:12:59 CDYhfasd
また「済南事件」の写真も挙げられおり、
>>白昼堂々、済南商阜地(※日本人居留区)を略奪する国府中央軍兵士。
>>明らかに集団で行われている。手前で小銃をもつ士官が見張っている
>>ことに注意。
サンタクロースではありませんがw、白の大きなズタ袋を肩から背中に
下げている支那兵を見ると、とても佐々木の言うことを全て鵜呑みには
できないでしょう。無論、別宮翁が電波を発している可能性もありますがw。
ただ別宮翁の論点で面白いのは、「蒋介石が『略奪命令』を出した」と
する点で、こう考えますと革命軍の軍紀もクソも関係ないことになります。
親玉が「略奪しても良い、むしろやれ」と命令している訳ですから、むしろ
兵たちはそれに従う方が軍紀的に正しい訳ですw。
スターリンによる満州やベルリンのソ連軍ではありませんが、親玉のキャラ
クターにも大きく左右されます。済南の日本軍はよほど侮られたのでしょう。
614:名無し三等兵
08/01/07 21:17:52
南京に抗日航空記念館 新たな反日教育の拠点に (産経新聞)
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
新華社電によると、南京市は5日までに、抗日戦争中に戦死した国民党や旧ソ連、米軍などのパイロットを記念する
「南京抗日航空記念館」を建設すると発表した。
今年4月に着工する。同市では旧日本軍の南京占領から70周年の先月13日、
大幅拡張した「南京大虐殺記念館」が再オープンしたばかり。新たな抗日記念館建設で、反日教育の強化が懸念される。
新記念館は孫文の墓地「中山陵」などがある紫金山の北側に建設される予定。
延べ床面積は2200平方メートルで4つの展示室を設置。屋外展示場には抗日戦当時の航空機の残骸や航空烈士の像を展示する。
南京市政府は、すでに建設されている南京航空烈士共同墓地、
同記念碑と合わせて「南京抗日航空烈士の国際的な聖地にする」と説明。
建設総額は2000万元(約3億円)と見込まれており、江蘇省と同市が建設資金を負担するが、
すでに世界各国から214万元(約3210万円)の寄付金と、展示物として史料など300点以上が集まっている。
------------------------------------------------------------------------------------------
サンケイ脳としか言いようがない。
615:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/07 22:52:27 R40anBDb
>>603 >>その後で日米首脳会談とかもう馬鹿じゃねw ホント何考えてたんだろう。
兵頭軍師の新刊『日本の戦争Q&A』はある意味、徹頭徹尾「海軍批判の本」でも
ありますが、支那事変直後に近衛首相が「宣戦布告」を出来なかったのも、航空
ガソリンの輸入が困難になることを怖れた海軍の横槍であると指摘しています。
ただ陸軍は「重爆の開発」に失敗して、長距離(戦略)爆撃は海軍に頼らざるを
得ませんでしたから、陸軍もその点だらしがないでしょう。
2・26事件直後、最初に大命降下したのは近衛文麿でしたが(西園寺公望の推薦)
健康の問題を理由に断っています。貧乏くじというか、尻拭いをさせられるのを
嫌がった訳です。土壇場での近衛の「投げ出し癖」も含めると、肝心なところで
ふんばらず、手遅れになってからジェスチャー的に頑張っている感があります。
要するに、近衛文麿は「安全圏」あるいは自分の所業で状況が極限まで悪化した
「ダメ元」でないと何事もできない人物なのです。終戦工作はまさにそれです。
616:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/07 23:07:19 R40anBDb
>>604 >>済南事件といったら、こんなネタがありましたね。
「甲冑将校」ですか…。写真のインパクトが強すぎですね。まあ、下手したら
「100人斬り」のように話が一人歩きしますから、『椿事』で済んで良かった
じゃないですかw。ただ一緒に戦っている人間がひとり、鎧を身につけていたら
他の兵士の士気は下がるか、怖気づくのではと思います。
617:楽園の素敵な巫女 博麗霊夢 ◆FU/OcfTlfM
08/01/07 23:20:44
>>605 >>私がイナゾウの独立を保障しました
.「^ヽ,ry'^i ♪ ______
,ゝ"´ ⌒`ヽ | | ̄ ̄\ \
くi Lノノハノ)」 .| | | ̄ ̄|
λ.[i ゚ ヮ゚ノi! | | |__| ついで経済的にも
レ',ヘ.i`ム'」つ . |_|__/ / 保障して欲しいわね。
,ノ⌒,く_,//つつ| ̄ ̄ ̄ ̄ | 〔 ̄ ̄〕
`'ー´ ( ̄| ̄
618:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/08 00:00:59
さて「済南事件」の顛末ですが、支那兵のリンチにあった佐々木到一はその後
どうなったでしょうか。直後に見舞いに訪れた蒋介石からは「日本軍との提携の
望みは無くなった」と不信の念を表明されて、散々な末路です。
さらに残酷なのは、済南から療養のため日本に帰任して再び南京に戻ると
(佐々木はそもそも参本附仰付で南京駐在)もはや支那側から佐々木への
接触を断ったことです。国民政府や革命軍総司令部ともほとんど没交渉と
なり、日本軍の回し者として無視されたのです。のちに佐々木は、
「済南事件に直面して、予の夢が完全に破れた。広東時代の予はただ若かった
ことを自覚せねばならぬ」と幻滅と失望をあらわにしています。
619:名無し三等兵
08/01/08 02:07:20
ていうかこの人って、てめえの国が侵略した相手と仲良くなれると本気で思ってたのか。凄いな。
勝手に期待して、偉そうに啓蒙しようとして、あげく勝手に幻滅って…(汗
軍人の本分を越えてるとかいうレベルの問題じゃないですね。
ていうかこんな人の気持が分からん連中だからこそ、よその国を踏みにじっても
平然としていられたんだろうなぁ。
今の中国はあまり好きじゃないが、当時の中国の人には本気で同情します。
620:名無し三等兵
08/01/08 15:34:20 4pI+XV22
松岡洋右ってよく分からん。
三国同盟締結や日ソ不可侵条約のお膳立てしたことを考えれば対米強硬派だが、
陸海軍の南方進出にことごとく反対したところを見ると融和派にも見える。
621:元32(予備役少佐)
08/01/08 15:42:46
>>619
中国と国民党と孫文と蒋介石と日本人の革命同志のあいだには、
いろいろ複雑な関係があるので、国単位で区分して、
簡単に決めつけるようなことはいえないのです。
日本人同志の尽力がなくては初期の国民党はありえないので。
松井石根も佐々木到一も国民党の功労者なところに歴史の皮肉があります。
済南事件当時の日本がもう中国を侵略していたかどうかも問題。
そもそも孫文は満州を中国と思っていないので、
日本が占領しようが国を作ろうがかまわないのです。
それが蒋介石の時代になって、次第に変化するのですが。
622:名無し三等兵
08/01/08 18:11:12 KmkuFplA
ホラーより怖い中国の実態
★1 URLリンク(jp.youtube.com)
★2 URLリンク(jp.youtube.com)
★3 URLリンク(jp.youtube.com)
★4 URLリンク(jp.youtube.com)
売国メディアの親中番組を信用するな。
623:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/08 23:24:44 nYK+tqmy
>>620 >>松岡洋右ってよく分からん。三国同盟締結や日ソ不可侵条約のお膳立て
>>したことを考えれば対米強硬派だが、陸海軍の南方進出にことごとく反対した
>>ところを見ると融和派にも見える。
要するに松岡洋右は、「ひたすら掛け金のチップを積み上げて米国を屈服させる」
ことを目指していただけで、当たって砕けろ的に米国と戦争することは考えて
いなかったのです。いわば徹底的なブラフです。たとえ手で勝てなくても口で勝て。
松岡は、日独伊三国同盟にソ連を加えて「四国同盟」とし、米国に圧力を加える
ことで大東亜共栄圏から手を引かせるという自分の構想に酔っていました。
しかし独ソ戦が始まると状況は一変します。松岡は、日本が独ソと連携し更に
英国が脱落した場合にのみ、アメリカを抑止できると見積もっていましたので、
その大条件が崩れた以上、日本の南部仏印進駐はいたずらに英米を敵に回して
亡国の道へとひた走ります。もはやバトル・オブ・ブリテン(1940年7月~1941年
5月)がドイツの失敗に終わった時点で、英国の屈服は怪しくなりました。独ソ戦の
開始は1941年6月です。そして日本の南部仏印進駐は1941年7月です―。
624:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/08 23:47:13 nYK+tqmy
>>619 >>ていうかこの人って、てめえの国が侵略した相手と仲良くなれると
>>本気で思ってたのか。凄いな。
この辺は背景を説明するのが難しいですね。例えば、日本が幕末維新に失敗して
「内乱状態」となったとしたらどうでしょうか? 史実の徳川慶喜や勝海舟が異常に
あっさりと手を上げてしてしまったのは、戊辰戦争が長引くと欧米列強の介入を
招いて「亡国の道」に他ならないとの高度な政治的判断が働いたためです。
それ以前に薩摩や長州が、英米仏露の武力を頼みにして徳川幕府を倒そうなどと
考えていたら、その見返りとして日本のどこを租借地として切り取られていたか
知れたものではありません。もちろん史実の薩長の指導者は、それがとんでもない
愚行であると判断が付くだけの理性がありました。
支那はその真逆です。「夷をもって夷を制する」という発想自体が致命的です。
625:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/09 00:23:10 Fi5ysRLj
>>624 >>支那はその真逆です。「夷をもって夷を制する」という発想自体が致命的です。
例えば、日露戦争後にアメリカの鉄道王ハリマンが、南満州鉄道の共同経営を
日本に持ちかけてきました。史実の日本はハリマンの申し出を反古にしましたが、
後世その点がよく批判の槍玉に挙げられます。しかし、満州にアメリカ資本の手が
伸びたとすれば、必ずや支那はアメリカと結託することで、より弱者である日本を
大陸から叩き出したことでしょう。下手すると日米戦争が早まったかもしれません。
まさに「夷をもって夷を制する」ですが、どちらかの「夷」はいつまでも経っても
残ります。エンドレス・ワルツです。まあ、何が言いたかったと云えば、当時の
支那は「虫食い状態」が当たり前であり、日本も含めた欧米列強の草刈場だった
ということです。もはや「分割統治」と言っても良いかもしれません。
佐々木到一ら一部の「新」支那通が考えたことは、そんな『可哀相な』支那が
国家統一を目指す近代革命に共感し、また支援し、いずれは新しい支那と日本が
手を取り合って結ぼうというものでした―。
626:名無し三等兵
08/01/09 00:26:16 reOczRnE
でも最後は「玉音放送」の末に日本軍降伏だろ・・・。
627:名無し三等兵
08/01/09 00:33:07
>>625
その発想、それ自体は悪くないと思うんですけどねええ。
一体上手く行く途というものはあったのかなかったのか・・・・
628:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/09 00:41:59 Fi5ysRLj
>>619 >>ていうかこんな人の気持が分からん連中だからこそ、
もちろん佐々木到一の考えは、当時の陸軍の少数派であり(というか
支那通軍人としても少数派)多くの批判を浴びせられていました。
佐々木は「国民党にかぶれた」と馬鹿にされ、1924年当時、支那課の
兵要地誌班長だった頃(少佐)には、軍務局長だった小磯国昭から
「ササキイ、(国民)革命はまだかね?」と揶揄されたりもします。
要するに、当時の支那通では「支那なんて永久に統一されることなく、
分割統治されていれば良い」「支那の国家統一なんて不可能である」
という考え方が主流でした。そのような中で、孫文を『先生』と呼び
身内からも批判された佐々木は、よほど進歩的であり「人の気持ちが
わかる連中」だったでしょう。
629:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/09 01:00:35 Fi5ysRLj
>>619 >>勝手に期待して、偉そうに啓蒙しようとして、あげく勝手に
>>幻滅って 軍人の本分を越えてるとかいうレベルの問題じゃないですね
それが「支那通」クオリティです。
>>627 >>一体上手く行く途というものはあったのかなかったのか・・・・
ありません。結局、支那の革命はそれまでの欧米日の利権を武力で
「強制回収」しようというものでした。地理的な隔絶で、アメリカや
イギリスが泣き寝入り、あるいは自ら利権を放棄することを表明した方が
後々メリットがある、などという考えに至ったのとは対照的に、日本は
隣国であまりに近すぎました。武力介入は容易です。文句があるなら
やってやれと。
630:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/09 01:18:55 Fi5ysRLj
日本は不平等条約の改正にも、涙ぐましい努力で時間をかけて列強と
交渉で解決しました。
しかし日本の不平等条約といってもタカがしれていますので、租借など
莫大な負債を背負わされた支那は、「交渉」で解決しようとすれば100年
あってもまるで時間が足りないでしょう。
後の蒋介石の国民政府にもいえますが、あまりに支那の社会制度が
前近代的であったために、そこから一足飛びに近代化しようとして
色んなところに無理が出てきます。利権の武力回収なんてその典型
です。
そして相手は「侵略国」なのだから、武力で不平等条約をご破算にしても
文句あるか?と考えるかどうかが、近代国家としての別れ目でもあります。
631:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/09 01:25:07
あ、>>629-630 は、1930年ごろまでの話ね。満州事変以降は、まったく
状況が変わってくるから。
今日はなんか「殴り書き」もいいところでしたw。
632:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/09 01:31:48
>>625 >>佐々木到一ら一部の「新」支那通が考えたことは、そんな『可哀相な』
>>支那が国家統一を目指す近代革命に共感し、また支援し、いずれは新しい支那と
>>日本が手を取り合って結ぼうというものでした―。
しかし結果、佐々木が受けたのはリンチです。
633:名無し三等兵
08/01/09 04:47:02
>>629
その通りですね。>武力回収
それが流れであるなら、日本は戦略的撤退をしたらよかった。
少なくとも満州で止めておけば大けがはしなかったでしょうね。
返す返すも戦略眼がないのは大問題です。
ただ怪我の功名でアジアの植民地解放が付いてきたってことだけが救い。
634:名無し三等兵
08/01/09 05:01:23 /gOGyZ3V
>>623
>松岡は、日独伊三国同盟にソ連を加えて「四国同盟」とし、米国に圧力を加える
>ことで大東亜共栄圏から手を引かせるという自分の構想に酔っていました。
アメリカと仲良く手を組むこともできず、
アメリカに屈服もできず、
かといってアメリカとの戦争も回避したいとくれば、
やっぱり松岡構想になってしまうような気もするけどな。
まああんたの言うとおり破綻したわけが。
635:名無し三等兵
08/01/09 05:04:45
>少なくとも満州で止めておけば大けがはしなかったでしょうね。
我らが蒋介石総統の主張によれば、
満州及び台湾は支那の正当な領土ということになっており、
いずれ取り返すつもりなのだが。
636:名無し三等兵
08/01/09 19:56:41 XxbXWg3I
モッチとケボに大量に焼き殺された日本兵の多さに爆笑
637:名無し三等兵
08/01/09 21:27:55
>>636
日本軍が昆明に侵攻できなかったのはそのケボ&モッチやワンワンとか
ストレッチマンや歌のお姉さんとかが頑強に抵抗してたからだぞ。
彼らに手間取ってるところをアメリカに突かれて日本は負けた。
638:名無し三等兵
08/01/09 22:35:17
. /::::::::::::::::::::::::::::::::i:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ
i::::::::::::::::::::::::|::::::::ハ::::::|::::::::::::!:::::::::::::::::::::::::::::}
|::::::::::::::イ|::::ハ:::::/. |:::::|、::::::::::|:::::::|::::|:::::::::::i:::|
|i::::::::::::! ||:::i‐|:::ト i::::::| ヽ-::├:::::|、::|:::::::::::|::|
||::::::、:::|´||/__|/ \i. \_|\:|、:::|::::::::::|::| <アメリカ軍の戦死者29万2千人に対して、(対日対独)
〉::.:::::|、|,,イテ心 r"テミ、ヽY:::::::::::|::|
i:::::::::|i. 弋zン 弋z__ソ" |::::::i:::::|::| 日本軍230万人。民間人80万人は明らかに
|::|::::.ト|  ̄  ̄ /::::::|:::::|::|
|::|:::::|_| xx 、 xxx /|::::::|:::::|:::| 「日本軍はメッサ弱かった!!」ってことですよねwww
. !:|:::::|::ハ ,'-|::::::|:::::i:::}
||::||:|:::::::ヽ、 ー‐ , イ:::/:::::::i::::::/ なにせ、合計310万人以上も戦死して、
ヽi|ト|:::」|_:::|ヽ , <___|_/|:::::/::::/
|_|iー‐‐| >- ' ./ |:::/::::/ 対日対独で、約半分としたら15万人。
r=ニ=-、、_/ ト、 |_/ ̄
| ̄ ̄ "' 、,_ |、 ヽ、_ 桁違いのワンサイドゲームですわねwwww
| ヽ ヽ, }:::| ヽ "'ヽ、
/ ̄ ̄ ̄ "' 、 \y:::::| _| /ヽ \ これで、本土決戦?? アホですわねwww
/ /ヽ\ \/ | | ̄ └‐,.\
. / l ̄Y ) \. / ヽ| o。 / ヽ
/ 、ヽ| o  ̄ヽ \ / /| y、 ヽ }
639:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/09 23:35:33
>>629 >>日本は隣国であまりに近すぎました。武力介入は容易です。
>>文句があるならやってやれと。
それこそが「山東出兵」であり「済南事件」な訳です。
>>少なくとも満州で止めておけば大けがはしなかったでしょうね。
まあ「北支分治工作」については、いずれやります。
640:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/09 23:50:38
>>634 >>かといってアメリカとの戦争も回避したいとくれば、
>>やっぱり松岡構想になってしまうような気もするけどな。
とっとと支那事変で『宣戦布告』した方が良かったかもしれませんけどね。
ドイツに和平工作を依頼するよりも、早めにアメリカの介入を招いた方が
結果としてすんなり足抜けできたかも。また何気に1939年2月の海南島
占領(海軍の強い要望)がアメリカの心証を悪化させています。
>>633 >>ただ怪我の功名でアジアの植民地解放が付いてきたってことだけが救い。
仰るとおり、まさに「怪我の功名」です。
641:楽園の素敵な巫女 博麗霊夢 ◆FU/OcfTlfM
08/01/10 00:00:24
>>637 >>そのケボ&モッチやワンワンとかストレッチマンや歌のお姉さんとかが
.「^ヽ,ry'^i
,ゝ"´ ⌒`ヽ ♪
くi Lノノハノ)」
λ[i ゚ ヮ゚ノi! お尻かじり虫~♪ かじってかじって、かじってなんぼ♪
レ|Y(つ旦)
く_,//つつ
642:イナゾウ一等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/10 00:22:03 G4EW+s0x
>>619 >>ていうかこの人って、てめえの国が侵略した相手と仲良くなれると
>>本気で思ってたのか。凄いな。
佐々木到一が登場して以来、『済南事件』から全く話が進んでいかず
収拾がつかなくなりましたw。しかし、とてつもなく濃い人物なので
一体どこまで取り上げるべきか匙加減が難しい……。
まあ、佐々木到一は支那の『国民革命』に共感していた訳ですが、もっとも
基本的な目標は「国家統一」にあると理解していました。佐々木は陸軍の軍人
なので、支那がそれを実現するためには、軍隊の改造(近代軍の成立)こそが
先決であると信じていたのです―。
そして支那が目指す国家統一を妨げ、また「近代軍の対極」にあるものとして
『軍閥』を非常に敵視しておりました。佐々木の軍閥観は以下の様なものです。
643:イナゾウ一等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/10 00:36:56 G4EW+s0x
●「軍閥は、各々その権勢の争奪、地盤の獲得に熱中して、国家を忘れ、私利私欲
以外、外国利民福を思わないために、支那の内乱は終息する日なく、その統一は
何れの日にも期することが出来ないのである。この意味において、支那の軍閥は
『支那の統一を妨げる有害無益なる武力集団』である」
ちょっと文章が硬いですが、佐々木の軍閥観を一番「マトモ」に表しています。
あとはもう読んでみて下さいとしか言えませんw。
●「支那の兵は、社会の落伍者を集めたものである」●「こうまで堕落しきった
乞食、悪漢、博徒、スリの群れを軍隊の名によって呼ぶことは余りに勿体無い
気がする」●「私欲を軍紀に代えて、辛うじて団結と統制を維持する戦争苦力の
烏合集団」●「戦陣の間に身命を賭せしむるものは軍紀ではない。一にも銭、二にも
銭である」●「彼らは軍服を付けた匪」●「掠奪、強姦は不可分の関係にある」
以上はすべて、佐々木の『軍閥観』です―。
644:イナゾウ一等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/10 00:52:03 G4EW+s0x
そして軍閥を解体し、国家本位の精神教育を兵士に施して『私兵』である
ことを辞めさせ、中央政府の統制に絶対服従する近代軍に改造しなければ、
中国は滅びてしまうと佐々木は絶叫します―。(以下、要所抜粋)
●「現状をもってすれば、支那の将来は亡国あるのみである。腐敗せるものは
軍閥に止まらず、支那の全社会にわたり滔々として皆腐敗して居るのである。
支那統一は不可能であるか? しかり、近く統一を予期することは出来ない。
ただ望むところは、支那人の腐敗である。腐敗作用はこれを促進すべし―。
腐敗の促進と共に『浄化作用』は有効となる。腐れ! 蛆虫の涌くまで腐れ!
支那の運命は、腐敗の極点にまで達すべきものである。臭気紛々たる腐敗の
うちより、何者か現ざれば支那は滅亡のみ―」
これこそ佐々木の真骨頂でしょう。この激情と思い込み、支那通軍人の鑑です。
645:イナゾウ一等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/10 00:58:31
>>644 >>支那の運命は、腐敗の極点にまで達すべきものである。
>>臭気紛々たる腐敗のうちより、何者か現ざれば支那は滅亡のみ」
関西に、松下幸之助のような大人物が忽然と現れるようなものだと
思ってください。
646:イナゾウ一等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/10 01:19:50 G4EW+s0x
>>609 >>遅ればせながら、図書館でKO大出版会の「日中戦争の軍事的展開」を
>>借りてきたニダ
このスレでも大変お世話になっている良書です。『ディスティニーガンダム』
ぐらいの破壊力はあります。第11章の「北ビルマ・雲南作戦と日中戦争」は
これを参考にして本格的にいつか取り上げたいですね。
それにしても今日、草思社が倒産したと聞いてビックリしました。どうせ
潰れるなら幻冬社が潰れればいいのに……。昨今の出版業界は、新書しか
売れませんので(空前の新書ブーム)、単行本しか作らない草思社は
壊滅的状況だったのでしょうねえ。
あと全く関係ありませんが、西安事件で『24』をやって下さいと以前要望を
受けたのですが、よくよく調べて考えてみると、済南事件の方が『24』に
合っています。佐々木到一が、ジャック・バウアー役ということで(核藁)。
647:ばばぼん♪ ◆gdH1Km1a0U
08/01/10 01:41:44
》 草思社が倒産したと聞いてビックリしました。
ワタシもさっき、ビジネスN板見ててびっくりしました。
「間違いだらけのクルマ選び」の徳大寺が脳溢血で原稿書けなくなったこともマイナス要因だったかも。
》 新書しか売れませんので
ぶっちゃけワタシは元々は雑誌編集だったので……⊂⌒~⊃。Д。)⊃
》 「日中戦争の軍事的展開」
個人的には第1~2, 9章あたりが興味深い感じでしょうか。
648:ばばぼん♪ ◆gdH1Km1a0U
08/01/10 01:45:56
失礼、徳大寺有恒がかかったのは脳梗塞でした。
649:名無し三等兵
08/01/10 01:47:00
>>640
なんというか、松岡が辣腕を振るいはじめる前から、無体というか手詰まりな状況になっているような。
ノモンハンでソ連にボコボコにされ、国民党とは実質戦争状態、米英との関係は悪化の一途…。
どう考えても終わっている。
そもそも、この時期に外務省本流の連中は一体何をやっていたのだろうか。
650:イナゾウ一等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/11 00:08:06
>>647 >>ぶっちゃけワタシは元々は雑誌編集だったので……⊂⌒~⊃。Д。)⊃
そのAA面白いですね、他で使わせていただきまふ。草思社はせっかく財産となる
ベストセラーを沢山もっているのに、「草思社」文庫も作りませんでしたからね。
経営者の方針でしょうが、もったいないお化けが出てきそうです。
「文庫の値段なら買いたい」という読者は大勢いたでしょうに。特に草思社の
コンテンツだと。あの微妙なウェッジでさえ文庫を出すぐらいなのに…というか、
「ウェッジなんかは種本があるのか?」と小一時間…w。
今の出版業界は、ベストセラーさえ出せば一極集中―ウハウハの現金を刷っている
ようなもので「業界全体の不振」なんてどこ吹く風になるのですが、その肝心のベスト
セラーが出ないとひたすら悲惨ですw。
651:第九代阿礼乙女・稗田阿求 ◆FU/OcfTlfM
08/01/11 00:18:43
_......_
, ´ <*y
i,(i ノノハ)_)
ノ_iパ ヮ゚ノハ イナゾウさん、あともう少しですからね。
_φi'_ソノj,⊂)__
/ /三/ /|
.| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| .| ……⊂⌒~⊃。Д。)⊃
.|稗田 阿求|/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
652:イナゾウ一等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/11 00:31:07
>>645 >>関西に、松下幸之助のような大人物が忽然と現れるようなものだと
>>思ってください。
と書きましたら、「松下電器産業」の名前が無くなってしまいました。
社名変更で「Panasonic 株式会社」……。激しく違和感があります。
昨日は、虫の予感でしたか。
653:翡翠(星砂) ◆X9uEcr1WoA
08/01/11 01:56:11 cifp5fL+
>松岡洋右ってよく分からん。
とりあえず、豪腕政治家に良くいるタイプで、
暴走しすぎて失敗するタイプかしら。
まだ40台にならない 岸(後の首相)に対し、
岸の年齢の若さを羨ましがっていますね。
俺があと20若かったら、日本を一新できるのに残念だ、
そんな感じ。
良くも悪くも猪突猛進タイプですね。はい。
当時の日本には
最悪の目が出てしまった訳ですが。
まあ、当時の日本の人材の払底でしょう。
誰も彼も軍部や暗殺に怯えてしまうような状態では、
人材の払底も糞もないのですが。
無責任日本、ここに極まれり、と。
654:俄将軍
08/01/11 02:28:09
>>653
>まあ、当時の日本の人材の払底でしょう。
>誰も彼も軍部や暗殺に怯えてしまうような状態では、
>人材の払底も糞もないのですが
21世紀の現在も、何の変わりもないどころか、「スキャンダル」「事故」「自殺」など、現
状は、悪化している、ということもあるのか、などと、何の根拠もないままに書き散らして
みたり。
655:俄将軍
08/01/11 02:28:48
>>654
「ブラックメール」が抜けていた、ということになるのか、などと。
656:翡翠(星砂) ◆X9uEcr1WoA
08/01/11 02:36:57 cifp5fL+
>21世紀の現在も、何の変わりもないどころか
アイゴー (TT)
いや、悪い人ではないんですけれどね。洋右さん。
おそらく、幕末に生まれたら幸せだった方。
それも洋右さんが尊敬している吉田松陰さんの下であったのなら。
今のセンセ達はどんなでしょうね。
濱口雄幸さんか貫太郎さんの下なら幸せなのかもですが・・・
日中戦争スレなので、これくらいで・・m()m
657:俄将軍
08/01/11 03:00:51
>>656
帝国議会の成立も、薩長政府との対立、ということになると、衆議院の中の人など、二世三世
といった世襲議員の誕生など、ということになるのか、国会の開催機関などからすれば、英
国の議会政治などとは、似ても似つかぬのは、戦前から、ということにあるのか、などと、
適当な思いつきなど書き散らしてみたり。
戦前の政党政治も、官僚政治家、党人政治家など、ということになるのか、政党の後ろ盾の財
閥など、ということになるのか、などと、思いつくままに書き散らしてみたり。
658:名無し三等兵
08/01/11 13:27:56
>>653
>当時の日本には最悪の目が出てしまった訳ですが。
本当に最悪なのは、まったく孤立した状態のまま、ソ連中国と喧嘩しながら対米英戦をはじめることだろ。
つまり、1930年代の外交関係がそのまま敵対関係に移行すること。
659:名無し三等兵
08/01/11 13:41:42
>>653
>まあ、当時の日本の人材の払底でしょう。
外務に関して言えばそこそこ人材は揃ってると思うが。
吉田、佐藤、鈴木、幣原、東郷、重光、加瀬とか。
660:法務大尉
08/01/11 18:19:22 KJ7LB83B
下總の法華經寺へ初詣に行つたら、境内に蒋介石總統の銅像が聳えてゐた。
勿論、拜禮して來た。
661:元32(予備役少佐)
08/01/11 19:25:34
>>659
吉田は松岡の大親友で二人の絆には説明不可能なものがあります。
加瀬は松岡の秘書もしていたでしょうか。
ちなみに松岡の評価で当時最高の日本人外交官は斉藤博さんと思います。
ただ、普通の方法で当時の外交的窮地は離脱できないので、
松岡の行動そのものは理解できます。
松岡はそもそも顧維均と英語の議論で対抗できる唯一の日本人として、
国際会議などで活躍して脚光を浴びるのですが、
もっと早く、できれば満州事変前に外交を指導したかったのが、
松岡の本音ではないでしょうか。
662:名無し三等兵
08/01/12 01:26:04 cLifoQn9
ホラーより怖い中国の現実
★1 URLリンク(jp.youtube.com)
★2 URLリンク(jp.youtube.com)
★3 URLリンク(jp.youtube.com)
★4 URLリンク(jp.youtube.com)
どーみてもゴキブリより酷い支那人
663:名無し三等兵
08/01/12 04:14:35
ゴキブリに失礼ですぞ。
664:イナゾウ一等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/12 09:36:55
>>646 >>佐々木到一が、ジャック・バウアー役ということで(核藁)。
さて「済南事件」後の佐々木到一ですが、まだまだ受難は続きます。革命軍に
リンチに遭ったのが5月3日、その2日後には上海経由で本国に帰朝するよう
呼び戻されます。もちろん状況報告のためです。
東京に着いて参謀本部に顔を出したはいいが、いきなり後輩から新聞記事を
突きつけられました。そこには●「許されるなら再び南京に戻って革命軍の
ために尽くしたい」という佐々木の談話が載っていたのです。もちろん、
身に覚えはありません。
東京に戻る途中、新聞記者のインタビューに対して「何も話すことはない」と
答えただけなのに、勝手に記事を捏造されてしまったのです。週刊誌のような
話ですが、「佐々木ならそのぐらいのことは喋ってもおかしくない」という
周囲の無責任な期待があったのも問題でした。
665:イナゾウ一等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/12 10:00:34
当時の白川義則陸相からは当然、「余計なことをしおって!」と佐々木は詰問を
受けました。さらに東京の新聞社幹部に対して、陸相官邸で「済南事件」の概要を
レクチャーしたところ、事件の原因を支那側の非行だけに求めず中立的に論じたのが、
またもや陸相の勘気に触って「いらんことを言い過ぎる!」と怒りを買いました。
また別の機会に、新聞社に請われて講演を行なったところ、「革命軍の肩をもつとは
けしからん」と暴力団に凄まれ、「暴行を受けながら仇も取らず、おめおめと生きて
戻ってくるとは腰抜けめ!」と罵倒する差出人不明の手紙も舞い込みます。
軍人がもっとも嫌う「卑怯者、臆病者、売国奴」扱いですが、佐々木の回想では
●「縁の下の力持ちが踏んだり蹴ったりにされた挙句、縁の下から這い出るところを
またもや頭上に放尿されたような体たらくであった」とあります。
革命軍にも裏切られ、日本国内にも味方がいない、という余りに悲惨な状況です。
陸相に目をつけられた佐々木は、伊豆に転地療養を命じられます。「頭を冷やせ」
という訳ですが、もはや「病人」「何をしでかすか分からない人」扱いですw。
666:名無し三等兵
08/01/12 11:57:18
- ニ二 ニ ‐-
,ィ ´ ̄  ̄` .` 、
〃 l ` 、 、
| ,. - ─ - . ヽ!
', / ☆ `ヽ l
∨r========、、 ヾ ノ
( ─------─ ヽ )'
l _,.ェァ .' ;:..rェt.、 ノノ
r ! ,:' ' . ,rヘ
| l! ー--‐、 )/
ヽ _-_-__ レ <ここは私が支配する
ヽ '´ー-‐ ` ,.ィ
` . ,. ヽ
i ー一 ィ´ ハ
ト、 ´ ゝ ._
_,. - ´ | ` v ´ ,ィ  ̄ ̄77ヽ
rrア´ ヽ | ,. ´ /// ヽ
/LL! `↓ ´ / i
./ }爻ソ / l
667:翡翠(星砂) ◆X9uEcr1WoA
08/01/12 13:19:44 V2WHkdxy
>>657 :俄将軍:氏
>戦前の政党政治
大和政権統治→幕藩体制→という流れで、
昭和まで辿り着いたシステムを構築できた訳ですので、
そこは片目を瞑るべきかもしれません。
>>658
>本当に最悪なのは、まったく孤立した状態のまま
過去は「後悔」の坩堝でありますね、本当に。
>>659氏
>外務に関して言えばそこそこ人材は揃ってると思うが。
同感ですが、軍の暴走を止められる人材がいなかった、
と言う事で如何でしょうか。
軍縮でサラリーマン化しつつあった軍を
「暴走させてた」のは誰か、と言うのも未来への戦訓。
たびたびスミマセン・・
ここ、日中戦争スレなので、これくらいで。m()m
668:名無し三等兵
08/01/12 18:45:11
203 名前:カタログ片手に名無しさん[sage] 投稿日:08/01/10 14:50 ID:???
俺の友人(参加2回目)が基地外すぎて困った。りんかい線の混雑に興奮し、しまいには助けてえーりん!とか叫ぶ始末・・・。もう次回からは一緒に行かない。
669:名無し三等兵
08/01/12 19:07:45 cLifoQn9
ホラーより怖い中国の現実 part2
★5 URLリンク(jp.youtube.com)
★6 URLリンク(jp.youtube.com)
★7 URLリンク(jp.youtube.com)
★8 URLリンク(jp.youtube.com)
こんな国で五輪開催できるのだろうか?
670:イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/13 00:54:31 2oYjyiJz
松岡洋右の特異なキャラクターは、その全く日本人離れした特殊な生い立ちから
生まれたモノですから、その辺りをきちんと押さえないと議論が迷走するでしょう。
>>656 >>おそらく、幕末に生まれたら幸せだった方。
松岡洋右は1880年3月4日、山口県に生まれます。まあ、安倍元首相と同じ長州な訳
ですが、もう少し生まれるのが早かったら藩閥の恩恵を受けれたのかもしれません。
ちなみに実家は「廻船問屋」の四男ですが、松岡洋右が11歳(1881年)のときに
父親が事業に失敗して破産します。しかし親戚が既に渡米して成功を収めていた事が
松岡の人生の最初の分岐点となりました。13歳(1893)のときにこの親戚を頼って
渡米し、オレゴン州ポートランド、カリフォルニア州オークランドで学びました。
松岡はもっとも多感な思春期をアメリカで過ごした訳ですが、日本人蔑視も強く
米国に対する特殊なコンプレックスを育むことになります。
671:イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/13 01:16:11 2oYjyiJz
自分は学生時代、英語のサークル(ほとんど遊び系w)にも顔を出して
いましたが、先輩の1人が帰国子女であり、やはり外国人コンプレックスを
お持ちでした。いや「日本人コンプレックス」と言うべきか。人種的な
イジメがかなりあったようです。
松岡洋右も特殊な信条を作り上げることになり、幾つか例を挙げれば、
●「道を歩いていてアメリカ人に衝突しそうになったら、絶対に道を
譲ってはいけない」●「殴られたら殴り返さなければいけない」●
「米国では一度でも頭を下げたら、二度と頭を上げることはできない」
というものでした。
この辺はまだ大人しい表現で、もっと言えば●「米国人と論戦する場合は
マシンガン・トークでなければならない」●「喧嘩に弱いものは米国では
生きる資格はない」●「引っ込み思案は殺される」●「腕で勝てなくとも
口で勝つべき」●「何かやられたら即座に言い返す覚悟で日常を過ごせ」…。
また当時の米国エリートは「ドイツ系」が幅を効かせており、後の松岡の
深層心理に大きな影響を与えます。
672:イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/13 01:54:20 2oYjyiJz
さて松岡洋右も18歳を迎えます。松岡は帝大(東京帝国大学)への進学を
考えたという話もありますが、旧学制のエリートは英語の他に欧語もマスター
しなければなりません(特に独語ができないと帝大の授業が受けられない)。
その辺りの自身の受験準備の問題もあったでしょうが結局、松岡はオレゴン大学
法学部に進学します。並行して早稲田大学の法学講義録も取り寄せるなど、勉強
熱心ではありましたが、帝大進学を諦めたことは松岡の『外交官』人生に大きな
影を落とすことになります―。言うまでもなく現代と同様、外務省は東大閥であり、
宮澤喜一は財務系で関係ありませんが「東大法学部にあらずんば人にあらず」……w。
その話はさて置き、松岡洋右は1900年にオレゴン大学を卒業して1902年まで
しばらく米国で仕事をしつつ滞在します。一説には、アイビー・リーグ等の
大学(or 大学院)に留学することを考えていたと言われますが結局、母親の
健康状態の悪化により日本へ帰国することになります―。
673:イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/13 02:24:09 2oYjyiJz
結局、松岡洋右の最終学歴は『オレゴン大学卒』という「微妙なもの」に
なってしまいます。もしアイビー・リーグやオックス・ブリッジなりに
留学できていれば、松岡の「外交官人生」も多少は好転したでしょうか。
いや無理ですね。戦後の話ですが、ハーバード大学卒で外務省に入省した
人でも、「東大閥」には敵わなかったと云います。
さて日本に帰国した松岡洋右は、1904年に外交官試験にトップで合格して
入省を果たします。ただし外務省への希望は積極的なものではなく、日露
戦争が始まった年である事からも分かるとおり、徴兵忌避が目的ではないか?
との説が根強くあります。まあ、これだけ海外経験が長い人間を一兵卒として
やおら朝鮮や満州に送り込むというのは、さすがにどうかと思われますがw。
しかし外交官となった松岡ですが、帝大閥の中で、出世は大変厳しいものが
ありました。長年の滞在に基づく『抜群の英語スピーチ能力』が最大の武器
でしたが、同時に松岡の日本人離れした気質は、外務省という典型的な官界
の水には全く合わない人材に変えていたのでした。
674:名無し三等兵
08/01/13 02:36:39
>>667
日中戦争時代の外交状況がそのまま松岡外交につながっているわけで、
そう場違いでもないと思うけど。
ここでは幣原外交を取り上げていたこともあるし。
幣原外交が満州事変や日中戦争の前触れなら、松岡外交はその後と言える。
675:イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/13 03:03:48 2oYjyiJz
>>674 >>同時に松岡の日本人離れした気質
1941年の太平洋戦争開戦直前に松岡が失脚したあと、軍務局長の武藤章は
佐藤賢了(陸大卒業後の海外駐在で米国へ)に対して、
●「松岡は協調性がない。あれでは一定の地位に長く留まることはできない。
彼はトルコかどこかで参事官か何か勤めたのを最後に外務省から消えたが今に
してその理由が分かった。彼が何を考えていたのか俺には結局分からなかった」
と答えています。しかしトルコ云々は正確ではありません。松岡の外務省での
最終ポストは、大連総領事です。松岡は一旦はベルギー勤務を命ぜられましたが、
「これからの日本には大陸が大切だから」として中国勤務を望んだと云います。
松岡の職歴を挙げると、はじめは領事館補として中華民国の上海へ。その後、関東
都督府に赴任して後藤新平(初代満鉄総裁)や三井物産の山本條太郎の知遇を得ました。
676:イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/13 03:30:42 2oYjyiJz
松岡はアメリカやロシアにも赴任していますが、ごく短期間です。寺内正毅
内閣(後藤新平が外務大臣)の際には、総理大臣秘書官兼外務書記官として
シベリア出兵にも深く関わっています。
また1919年の「WW1」パリ講和会議では、随員(報道係主任)として派遣され、
日本政府のスポークスマンとして「得意の英語スピーチ」に力を発揮しています。
このとき近衛文麿も随員として同行しており、因縁が生まれました。
様々な松岡の出会いの中でも、とくに後藤新平は台湾総督だった児玉源太郎の
懐刀であり、台湾経営を軌道に乗せたことは特筆に価しました。この辺りの
業績が後藤の満鉄総裁への道に結びつく訳ですが、松岡の進路にも大きな影響を
与えています(松岡ものちに満鉄総裁に)。
余談ですが、児玉源太郎は日露戦争後、機密費など自身の台所であった台湾
総督の地位を奪われ、今度は満州に自身の王国を作るべく野心を燃やします。
しかし番頭格であった後藤新平に裏切られ(山県有朋に鞍替え)、憤死しました。
677:イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/13 03:41:27
松岡の話はもう半分ぐらい続きます。
>>654 >>21世紀の現在も、何の変わりもないどころか、
「現状をもってすれば、日本の将来は亡国あるのみである。腐敗せるものは
政治に止まらず、日本の全社会にわたり滔々として皆腐敗して居るのである」
「腐敗の促進と共に『浄化作用』は有効となる。腐れ! 蛆虫の涌くまで腐れ!
日本の運命は、腐敗の極点にまで達すべきものである。臭気紛々たる腐敗の
うちより、何者か現ざれば日本は滅亡のみ―」
もうすぐ福田自民党か小沢民主党か、究極の選択を迫られる選挙がやってきます。
まあ、自分は自民党に入れますけどねw。福田は無策無能ですが、小沢に政権を
預けたら本気で国を誤らせます。
678:イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/13 03:51:25
雑誌の選挙予測を読んでいましたら、小泉純一郎は首相を辞めた後
議員も引退すると豪語していたのに、次の選挙も続投する方針で
支援者には幻滅感が出ているというのは本当かしらん?w
何でも長男の孝太郎が芸能活動にまだ未練があるみたいで、次男を
育成するにもまだ時間がかかるんだとさw。
まあ、安倍元首相の「政権投げ出し」は、福田首相の「無策無能」の
お陰でかなり同情というか、あまりキツく思われなくなってきている
のではないでしょうか。たとえ「美しい国」でも、首相にヴィジョンが
全く無いよりは全然マシ。
679:名無し三等兵
08/01/13 06:06:49
福田政権にもあるでしょ・・・八方美人全方位土下座三跪九叩政策が
680:名無し三等兵
08/01/13 06:35:29
>>679
>八方美人全方位土下座三跪九叩政策が
要するに従来路線でしょw
681:元32(予備役少佐)
08/01/13 11:02:05
>>671
松岡はアメリカでスクールボーイ(書生)をしていて辛酸をなめ、
そこでの経験とポーカーが彼の特異な米国観を形づくったようです。
>>675
良かれ悪しかれ武藤に振りまわされるのではなく、
武藤を振りまわした外交官・外務大臣は松岡だけなので、
そのあたりが私が松岡を好きな理由のひとつです。
682:イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/14 01:27:14 JJsVByHX
>>681 >>松岡はアメリカでスクールボーイ(書生)をしていて辛酸をなめ、
>>そこでの経験とポーカーが彼の特異な米国観を形づくったようです。
松岡の最初の寄宿先では留学生ではなく『使用人』の1人としか見られなくて、
いきなり薪割りを命じられるなど大変苦労したようです。他にも皿洗いや農作業
などの重労働で学費を稼いだと云います。まあ、知らずに「奴隷契約書」に
サインさせられた高橋是清に比べれば、屁でもありませんけどw。
しかし2番目の寄宿先であるベバリッジ夫人は、自分の息子と分け隔てなく松岡を
優しく励まし、大きな心の支えとなりました。1933年に53歳となった松岡は
オレゴン大学のあるポートランドを再び訪れ、留学時代に世話になったベバリッジ
夫人の墓を立てますが、●「余はかつて人生の発育期をこの国で過ごし、生涯忘れ
べからざる愛着の情をもつにいたった」と回想しています。
もちろん松岡は、米国の全てを憎んでいた訳では決してありませんでした。
683:イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/14 02:00:46 JJsVByHX
まあ、山本五十六もトランプの『ブリッジ狂』でしたが、真珠湾攻撃も
ミッドウェー海戦も、松岡洋右の四国同盟構想も、大博打という点では
共通するところがありますw。
>>681 >>良かれ悪しかれ武藤に振りまわされるのではなく、
>>>武藤を振りまわした外交官・外務大臣は松岡だけなので
軍務局長時代の武藤章は、言ってみれば「キングメーカー」でもあり
陸相すら屁とも思わないところがありましたからね。後で述べますが、
2・26事件後に広田弘毅が組閣する際も、武藤(まだ軍務局幕僚)は
閣僚人事にゴリゴリと口を出しますし、外交官や外務大臣など本来は
路傍の石でしたでしょう。
逆に言えば、だからこそ松岡(本来なら広田も含まれる)に白羽の矢が
立ったとも言えます。陸軍の容喙にも対抗できる、という意味でです。
684:イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/14 02:32:55 JJsVByHX
さて松岡洋右は1920年に41歳の若さで外務省を退職してしまいます。帝大卒で
なければ出世は困難でしたし、何より松岡の性格では外務省内でも浮いていたでしょう。
松岡の最終ポストは前に述べたとおり「大連総領事」です。松岡の外務省での経歴は
支那勤務が多かった訳ですが、松岡を引き抜いたのは満鉄社長の山本条太郎でした。
松岡は1921年に満鉄入社。ちょうど満鉄は単なる鉄道会社から「国策会社」へと
変身を遂げていた頃にあたります。理事として迎えられた松岡は石炭液化プラント
拡充などを指導しながら、1927年には「満鉄副総裁」にまで登りつめました。
しかし『北伐』の最終局面で「張作霖爆殺事件」が起こり、その不始末で田中義一
内閣が辞職に追い込まれます。その後に浜口雄幸内閣(幣原喜重郎外相)が成立
すると、猟官制度よろしく松岡は満鉄に留まれなくなり1929年に帰国しました。
ちょうど「世界大恐慌」が起きた年ですが、松岡洋右の大きな転機となります。
翌年の1930年に政友会から国会議員に立候補したからでした―。
685:イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/14 02:59:15 JJsVByHX
松岡は「満鉄副総裁」でしたから、当然『満蒙は日本の生命線だ』という
主張になります。また民政党内閣によって満鉄から追われた身ですから、
もちろん「幣原外交」には恨みというか批判的でした。
1930年2月に行なわれた第17回衆議院選挙に郷里の山口2区から
立候補して当選。政友会のこの『新人議員』は幣原外相の対米英協調・
対支内政不干渉の方針を厳しく非難し、その威勢のよさからメディアや
言論人、国民から支持を受けることになります。背景には世界恐慌の
影響もあるでしょう。
また「満蒙の分離独立」を望んでいた陸軍とも利害が一致する事になります。
1930年11月に浜口雄幸首相が狙撃され(入院時は幣原外相が首相
代理、また政友会の鳩山一郎らの執拗な登院要求に押され、傷が癒えない
うちに無理したため5ヵ月後に死去)、後を継いだ若槻礼次郎内閣時に
満州事変(1931年9月)が起こるなど、時代は一気に動いていくのでした。
686:名無し三等兵
08/01/14 15:43:21
>>683
>逆に言えば、だからこそ松岡(本来なら広田も含まれる)に白羽の矢が
>立ったとも言えます。陸軍の容喙にも対抗できる、という意味でです。
確かに松岡は、外務省独自の戦略を構想し、そのためには軍部とも一歩も退かぬやり取りをしていたわけが、
不思議と暗殺やテロの標的にされることはなかった。
むしろ松岡を失脚させたのは味方のはずの近衛だったわけで、そこがよく分からないんだよね。
687:イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/14 22:49:37 VKfPTywH
>>661 >>もっと早く、できれば満州事変前に外交を指導したかったのが、
>>松岡の本音ではないでしょうか。
さて満州事変です。日本が満州国を建国するなか(1932年9月15日正式承認)、
国際連盟は1932年12月に「満州事変問題」を特別総会にかける事になりました。
同じ年の9月にはリットン調査団から報告書が提出され、その「対日勧告案」が
ジュネーブ特別総会での採択を待つ状況だったのです。翌10月には、松岡が
日本側の首席全権として送り出されました。
日本国内の状況もゴタゴタで、第2次若槻礼次郎内閣が満州事変の処理をめぐる
閣内不一致で総辞職(1931年12月)、後を継いだ犬養毅内閣も金解禁の後始末を
したはいいが「5・15事件」で海軍将校に暗殺されました(ちなみに井上準之助も
同年に血盟団によって射殺されています)。
その後を継いだのが元海軍大将の斎藤実内閣ですが、問題の外相が内田康成でした。
688:イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/14 23:11:36 VKfPTywH
ちなみに斎藤実内閣の陸相が荒木貞夫、海相が岡田啓介です。のちの(1936年)
「2・26事件」では内相になった斎藤実が暗殺されてしまいます。また荒木も
反乱将校側の当事者、岡田も首相として襲撃されていますから、もういかに
グチャグチャな時代か分かるでしょうw。
>>元海軍大将の斎藤実内閣ですが、問題の外相が内田康哉でした。
外相の内田は『焦土外交』、つまり「日本を焦土にしても満州は守る」と
国会で大見得を切り、英語のスピーチに堪能だった松岡洋右をジュネーブに
派遣します。この背景には、松岡が満州事変をきっかけに(幣原外交批判)、
軍と国民から人気が高まっていた点も大きいでしょう。
後世のイメージですと、いかにも松岡洋右が国際連盟で勝手に啖呵を切って
日本が連盟から脱退する羽目になった―というのが強いですが、この時の
松岡の立場は「政友会の現役・国会議員」でしかありませんでした。
689:名無し三等兵
08/01/14 23:19:23
>>688
>後世のイメージですと、いかにも松岡洋右が国際連盟で勝手に啖呵を切って
>日本が連盟から脱退する羽目になった―というのが強いですが、この時の
>松岡の立場は「政友会の現役・国会議員」でしかありませんでした。
そう。
このときの松岡は内田のパシリに過ぎず、勝手に交渉条件を変えるなんてことが出来る立場ではない。
松岡の主張は外務省と政府の主張であり独走でもなければ暴走でもない。
690:イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/14 23:41:01 VKfPTywH
すでに閣議では、日本の主張である満州国建国が認められなければ(リットン
報告書が採択されるならば)、総会から代表(松岡洋右)を引き揚げることを
決定していた訳です。「これは連盟からの脱退もやむなし」とするものです。
それに対する松岡の返事は、「脱退のやむなきにいたるが如きは、遺憾ながら、
あえてこれをとらず」とあくまで日本が国際連盟に残る事を主張していました。
松岡は1932年12月8日の特別総会で1時間20分にわたる演説を準備原稿なしで
ブチかまします。それは―、
●「欧米列強は20世紀の日本を十字架の磔刑に処しようとしているけれども、
イエス・キリストが後世になって理解されたように、日本の正当性は必ず
認められるだろう」という日本をキリストに喩えた内容でした。
現代の私達がこれを読んで『正直引く』ように、列強のキリスト教国からは
猛反発を買うような結果となりました。むしろ挑発でしょうw。
691:元32(予備役少佐)
08/01/14 23:55:54
>>689
松岡自身はジュネーブで東京(内田)の硬直した外交方針と、
必死に戦って譲歩と連盟残留を勝ちとろうとしています。
連盟では満州国の建国を認める用意は各国にはないものの、
妥協の余地はあり、日本にとって本来そんなに悪い状況ではないので。
それでも焦土になっても原則を貫くと内田は叫んで、
実際に日本は焦土になりました。
>>690
有名な「十字架上の日本」演説ですね。
松岡全権は自分が最後まで絶対に反対な連盟脱退を、
美辞麗句をもって強烈に擁護せねばならないという、
ものすごく皮肉な立場に追いこまれて、
それをあまりに効果的に行いすぎたとでもいえるでしょうか。
692:イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/15 00:04:44 tVdpo4bn
松岡洋右は米国留学時代にキリスト教に興味をもち、プロテスタントの
クリスチャンとなりました(ただし東京裁判時〈肺結核を患う〉に主治医の
影響を受けてカトリックに改宗、死の数時間前に洗礼も受けています)。
松岡洋右の英語が卓越しているのも、こうした外国人向けのスピーチが考えられる
ところにあったのですが、このときは完全に裏目に出ました。いくら青春時代の
大部分を米国で過ごしたとはいえ、骨の髄まで欧米圏の文化に浸っている訳では
なかったのです。やはり松岡は日本人であり、嗚呼一生懸命が空回り―。
ただし、キリスト教のことがほとんど理解できない(現代の私達だって五十歩百歩)
日本国民からは拍手喝采の内容でした。
693:イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/15 00:13:44
>>688 >>この背景には、松岡が満州事変をきっかけに(幣原外交批判)、
>>軍と国民から人気が高まっていた点も大きいでしょう。
前にも述べた「満蒙は日本の生命線」は松岡洋右が考えたキャッチコピーです。
当時は民政党の浜口雄幸内閣であり、野党の政友会議員である松岡が幣原外相の
協調外交路線を批判するのに議会の演説で使ったのが最初です(1931年1月)。
今ならならば文句なしに『流行語大賞』にノミネートされたでしょうが(「聖域
なき構造改革」みたいなもの)、国民にも受けて龍角散の宣伝文にもパクられ
ました。「咽喉は身体の生命線、咳や痰には龍角散」がそうですw。
694:イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/15 00:20:17
>>689 >>このときの松岡は内田のパシリに過ぎず、勝手に交渉条件を変えるなんて
>>ことが出来る立場ではない。松岡の主張は外務省と政府の主張であり独走でも
>>なければ暴走でもない。
まさに仰るとおりでございます。
>>691 >>連盟では満州国の建国を認める用意は各国にはないものの、
>>妥協の余地はあり、日本にとって本来そんなに悪い状況ではないので。
満州における中国の主権を認めるが、同時に日本側の既得権益も認めるという
実質「玉虫色」でしたので、やりようは幾らでもあったかと思います。
>>それでも焦土になっても原則を貫くと内田は叫んで、
>>実際に日本は焦土になりました。
幣原外交(民政党)の反動でしょうが(内田は政友会)、日本人はどうしても
極端に触れますw。
695:名無し三等兵
08/01/15 00:44:58
>日本人はどうしても極端に触れますw。
いやいや、大陸進出は明治時代からの国是ですよw
ある意味一貫しています。
696:俄将軍
08/01/15 07:15:51
>>690-691
「十字架上の日本」演説
将来、パラダイムシフトによって、松岡洋右の中の人の考えとは別に、「十字架上の日本」と
いった考え方が、ということもあるのか、などと、適当な思いつきなど書き散らしてみたり。
列強各国の国賊、売国奴、共産主義者などの焙り出しと、同様、ということになるのか、など
と、思いつきなど書き散らしてみたり。
>>695
大陸進出が、如何なる意味なのかはよくわかりませんが、米国による中国の門戸開放の「下心」
や、中国租界だけでも、日本、米国だけでなく、ベルギー、オーストリアなどの欧州各国に、
香港返還、マカオ返還などは、何時、ということになるのか、などと、嘯いてみたり。
697:名無し三等兵
08/01/15 07:31:30
>大陸進出が、如何なる意味なのかはよくわかりませんが
文字通りの意味だよ?
日本帝国は、朝鮮、台湾、満州、華北、さらには大陸中国全土を、
自らの覇権下にいれるべくして動いている。最初から最後まで。
まあアメリカやソ連が冷戦でやってたことと同じだよ。
698:俄将軍
08/01/15 07:51:39
>>697
台湾併合以外は、単に、世界情勢、極東情勢をベースに、朝鮮半島、満洲、華北など、それぞ
れの時代の情勢によって、といったような、当たり前の結論、ということになるのか、など
と、適当な思いつきなど書き散らしてみたり。
満洲の場合、ソビエトによって、ロシア帝国が崩壊しなければ、ということもあるのか、など
と、思いつくままに書き散らしてみたり。
覇権下に云々というのは、植民地、租借、租界など、ということになると、というだけのこと
であり。
699:イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM
08/01/15 22:27:50
>>696 >>大陸進出が、如何なる意味なのかはよくわかりませんが
最初はロシアの南進から「間合い」が取りたい一念でしたが、満州をプロシア的な
「兵営国家」にしたい(児玉源太郎)という野望が生まれ、最後は中国をインドに
してしまえ、というのが日本の大陸進出の簡単な流れです。
700:イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM
08/01/15 22:50:17 BhTRZVZf
さてジュネーブの国連特別総会に話を戻します。少しでも日本史を習ったことが
ある人ならご存知のとおり、1933年2月21日、「リットン報告書」(対日勧告)は
賛成42票、反対1票(日本)、棄権1票(シャム)、投票不参加1票(チリ)の
圧倒的多数で可決されました―。
前述したように日本政府はリットン報告書が採択された場合、代表団を引き揚げる
ことを決定していました。松岡は可決直後、演壇に登って次のような発言をします。
●「この会議で採択された勧告を、日本が受け入れることは不可能である」
そして「さいなら!」と日本語で捨てゼリフを残して、ひとり退場したのでした。
もちろん松岡の発言には、日本の国際連盟脱退を示唆するような文言は含まれて
おりません。松岡が受けた指示に「代表団の引き揚げ」はあっても、そんな自暴
自棄は無かったからです―。
701:イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM
08/01/15 23:10:45 BhTRZVZf
>>691 >>松岡全権は自分が最後まで絶対に反対な連盟脱退を、美辞麗句を
>>もって強烈に擁護せねばならないという、ものすごく皮肉な立場に追い
>>こまれて、それをあまりに効果的に行いすぎたとでもいえるでしょうか。
松岡は日本政府の方針(『焦土外交』)を、国際連盟の場で断固として伝える
使者でした。そして期待された以上の役割を演じたのですが、名役者が過ぎた
かもしれません。
日本政府は1933年3月8日に国際連盟からの脱退を決定、同月27日に連盟へ
通告しました。せっかく第1次大戦で世界の五大国にまで登りつめた日本は
満州国の建国と引き換えに、あっという間に孤立無縁の状況に陥りました。
同じ3月27日に昭和天皇は「連盟脱退」の詔書を下すのですが、まさに痛恨事
だったでしょう。
702:イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM
08/01/15 23:24:14 BhTRZVZf
>>689 >>松岡の主張は外務省と政府の主張であり独走でもなければ暴走でもない。
国際連盟からの脱退は、首席全権だった松岡洋右の責任でしょうか? 条約の批准など
外交上の重要な決定は、当時の松岡ひとりでフィックスできることではありません。
天皇の詔書を筆頭に、枢密院での同意が必要であり、日本の連盟脱退は斎藤実内閣の
責任だったと云えるでしょう―。
連盟脱退の翌日の新聞には、「連盟よさらば! 連盟、報告書を採択。わが代表堂々
退場す」の見出しが一面に報道されていました。
松岡自身は、●「日本の立場を理解させることが叶わなかったのだから自分は敗北者だ。
国民に陳謝する」と失意のコメントを出しています。
703:イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM
08/01/15 23:38:21 BhTRZVZf
>>682 >>1933年に53歳となった松岡はオレゴン大学のあるポートランドを
>>再び訪れ、米国留学時代に世話になったベバリッジ夫人の墓を立てますが、
青春時代を過ごした留学先を再び訪れたのは、まさにジュネーブの国際連盟で
松岡が議場を引き揚げた帰路のことでした。何か思うことがあったのでしょう。
ひょっとしたら失意なり挫折などという、殊勝なところが人並みにあったの
かもしれません。
そんな松岡が日本へ帰国すると、自身の失意に反して国民からは熱狂的な歓迎を
受けました。一説には「皆、狂っている」と松岡はひとりごちたと云います―。
704:イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM
08/01/16 00:02:07 4mIWYex1
●「言うべきことを言ってのけた」
●「国民の溜飲を下げさせた」
●「欧米にこびへつらわず、毅然としていた」
などという理由で、国民は松岡洋右を『ジュネーブの英雄』として歓呼で迎えます。
新聞も、「松岡の姿は、凱旋将軍のようだった。わが国は始めて『我は我なり』
という独自の外交を打ち立てるにいたったのだ」と絶賛して報じます。
わずかに石橋湛山や清沢洌などの一部の言論人がこの熱狂を冷めた目で見ていた
だけで、大部分のメディアは「松岡のパフォーマンス」を大いに支持していました。
この熱病に浮かれたようなムードのなか、松岡洋右はある重大な発見をします。
それは日本に『ファシズム』の可能性を見出したのでした―。
705:永遠に紅い幼き月 レミリア・スカーレット ◆FU/OcfTlfM
08/01/16 00:13:57
,ヘ/L─- 、
Lニ)r_」=== イ
,ヘ、i ノノλノハノヘ
,' `(ハリ ゚ ヮ゚ノi) ', ここが、運命の転換点、ね。
.i >〈(つ,i!と) i
vヘγk´_/___i,ゝヘノ
`゙r_,ィ_ァ゙´
706:名無し三等兵
08/01/16 00:45:23
微妙に昇進して行ってるな。
707:名無し三等兵
08/01/16 15:57:12
内なる野心の現れですな
708:名無し三等兵
08/01/16 16:16:16
まあリットン調査団が来日した翌日に満州国建国の宣言とか猛烈に独走した関東軍には
リットン卿もたまげただろな
709:名無し三等兵
08/01/16 16:39:36
二枚舌が看板のイギリス紳士を仰天させるとは、本邦もなかなかやるではないか。
710:名無し三等兵
08/01/16 17:04:56
国際連盟なんかに調停されたら、関東軍の目論見もすべて水の泡
関東軍もあせっとったんだろーなー
関東軍は満州国軍となって日本と対決するという噂が流れるほど
711:名無し三等兵
08/01/17 01:00:05
──わが国の名はクウェート。北京五輪に出場するハンドボールチーム。イカサマ判定で予選突破の愛されチーム♪
アタシがつるんでる友達は石油を売ってるカタール、国連にナイショで
カジノ開いてるUAE。訳あって中東グループの一員になってるイラン。
友達がいてもやっぱり五輪に出れなくなったらタイクツ。今日もIHLとちょっとしたことで口喧嘩になった。
イスラム同士だとこんなこともあるからストレスが溜まるよね☆そんな時アタシは実力で予選突破したことになっている。
がんばった自分へのご褒美ってやつ?自分らしさの演出とも言うかな!
「あームカツク」・・。そんなことをつぶやきながらしつこい日本と韓国を軽くあしらう。
「AHLさー、ちょっと再試合してくれない?」どいつもこいつも同じようなセリフしか言わない。
IHLは世界規模だけどなんか金もってなくてキライだ。もっと拝金主義のアタシを見て欲しい。
「すいません・・。」・・・またか、とセレブなアタシは思った。シカトするつもりだったけど、
チラっとIHLの反応を見た。
「・・!!」
・・・チガウ・・・今までの通告とはなにかが決定的に違う。スピリチュアルなニュースが世界中を
駆け巡った・・。「・・(ゲっ・・!!・・これって再試合・・?)」
男はホスト国だった。連れていかれて出場停止にされた。「キャーやめて!」シカトすることにきめた。
「ガシッ!ボカッ!」アタシは死んだ。スポーツ(笑)
712:三途の水先案内人 小野塚小町 ◆FU/OcfTlfM
08/01/17 01:05:42
>>706 >>微妙に昇進して行ってるな。
,>ッ-ヘ。__。ヘ
. / ,レ, '´゚ `,〉
( (( i ハ)))ハ))ノ)
` ,)).イオi ゚ ヮ゚ノヘ 内心、早く「中佐」に戻りたいんだとさw。
(( .,ぐ`i盃、ツぅ
,メ∪イ-i、ゝ. \
゙'ーi_'ォ_ァ"
713:イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM
08/01/17 01:26:12
すいませんが、今日明日と仕事がテンパリまして今夜はお休みさせて頂きまふ。
714:イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM
08/01/18 01:10:35 mwW2Pp+0
>>708 >>まあリットン調査団が来日した翌日に満州国建国の宣言とか猛烈に
>>独走した関東軍にはリットン卿もたまげただろな
まあ、先にも述べたとおり、東京にリットン調査団が訪れた1932年2月29日の
翌日に関東軍は満州国に独立宣言を出させていますし(年号は大同、建国式は
3月9日)、リットン報告書が日支両国と国際連盟に公表される(1932年10月2日)
直前の9月15日、日本は満州国を承認し「日満議定書」を結んで一体感を全世界に
アピールしています。いや挑発かw。
更にトドメとばかりにリットン報告書の「対日勧告案」が採決される(1933年2月24日)
直前から「熱河作戦」を開始し、最終的には万里の長城から先の北支を窺おうとして
いました。
日本の国際連盟脱退は、斎藤実内閣の外相・内田康哉の『焦土外交』の暴論が
大きいですが、陸相だった荒木貞夫が●「国際連盟を脱退しないと、また暴動が
起こる」と強硬論で脅していたのも影響しています。
715:イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM
08/01/18 01:32:24 mwW2Pp+0
何せ1931年には「三月事件」「満州事変」「十月事件」、1932年には
「5・15事件」とクーデター未遂が目白押しですからねw。
>>709 >>二枚舌が看板のイギリス紳士を仰天させるとは、
>>本邦もなかなかやるではないか。
英国は日本を何とかコントロールしようとしていました。あまり強い制裁を
加えて、今後日本に開き直られても困るからです。それではヤブヘビ以外の
何物でもありません。
当時在野にいたチャーチルは、「国際連盟が日本と喧嘩するのは愚である。
国連は欧州で遂行すべき大事業を持っている」と演説しています。これは
ナチスの台頭を予期しての言葉です。1932年7月にはヒトラー率いるナチ党が
ドイツの比較第一党に躍進していました―。
716:名無し三等兵
08/01/18 01:43:31
ヾ丶\ 、\ヽ 、丶\ \ヽ丶丶 \ \ \ ヾ 丶 ヽ丶 丶 \ヾ
ヽ 、ヾ 、ゞ ヾ丶 ゝ丶\ヽ ゝヽ丶丶\ \ 丶 \ 丶 ヾ丶\ \
ヽ \ 丶\丶ヽ\ 丶 丶 ヽ ヾ ゞ\ .ヾ丶 丶丶 \丶 ヽ \ \
\ 丶 ヾ 丶v \ ヽ \\ \. 丶丶丶、 丶\ ヾ 丶丶\、 ヽ
ヾ丶\ 、\ヽ 、丶\ \丶丶 \ \ ヾ 丶 ヽ丶 丶 \ヾ ヽ \
ヽ 、ヾ 、ゞ ヾ丶 ゝ丶\ ゝヽ丶丶 \ 丶 \ 丶 ヾ丶\ \ヽ \
ヽ \ 丶\丶ヽ\ 丶 ヽ ヾ ゞ\ヾ丶 丶丶 \丶 ヽ \ \丶
\ 丶 \ ヾ 丶丶\、 丶丶、γ´ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 丶 ヽ \ \. 丶ヾ
ヾ丶\ 丶 ヽ丶 丶 \ヾ \ | テシェキュウ ヾ \ ヽ丶丶 \ 、
ヽ 、ヾ \ 丶 ヾ丶\ \ ヽ、 ______ 丶\ヽ ゝヽ丶丶
ヽ \ \丶ヾヽ \ \ /二∧ )ノ 丶 丶丶丶 ヽ ヾ ゞ\丶\丶ヽ
\ 丶 \ ヾ 丶丶\ ○( ´∀` )○ヽ \ \. 丶ヾ 丶v \ ヽ \丶
ヾ丶\ 丶 ヽ丶 丶 \ヾ ヽ丶丶 \ 、\ヽ 、丶\ \ \ ヾ \
ヽ 、ヾ \ 丶 ヾ丶\ \ヽ ゝヽ丶丶 、ゞ ヾ丶 ゝ丶\ \ 丶 \
ヽ 、ヾ 、ゞ ヾ丶 ゝ丶\ヽ ゝヽ丶丶\ \ 丶 \ 丶 ヾ丶\ \
ヽ \ 丶\丶ヽ\ 丶 丶 ヽ ヾ ゞ\ .ヾ丶 丶丶 \丶 ヽ \ \
\ 丶 ヾ 丶v \ ヽ \\ \. 丶丶丶、 丶\ ヾ 丶丶\、 ヽ
ヾ丶\ 、\ヽ 、丶\ \丶丶 \ \ ヾ 丶 ヽ丶 丶 \ヾ ヽ \
ヽ 、ヾ 、ゞ ヾ丶 ゝ丶\ ゝヽ丶丶 \ 丶 \ 丶 ヾ丶\ \ヽ \
ヽ \ 丶\丶ヽ\ 丶 ヽ ヾ ゞ\ヾ丶 丶丶 \丶 ヽ \ \丶
\ 丶 \ ヾ 丶丶\、 丶丶、 丶 ヽ \ \. 丶ヾ 丶v \ ヽ \
\ 丶 ヾ 丶v \ ヽ \\ \. 丶丶丶、 丶\ ヾ 丶丶\、 ヽ
URLリンク(tana.pekori.to)
717:JY
08/01/18 01:44:52 RQ7rMXUX
イナゾウ先生、さしいれでーす。
(´・ω・)つ URLリンク(www.youtube.com)
718:イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM
08/01/18 01:53:35 mwW2Pp+0
当時の英国外相サイモンも日本の立場に理解を示し、満州事変は単なる
国際法の解釈ではなく、情状酌量論で穏便に解決しようとしていました。
日本側全権の松岡洋右も、元老・西園寺公望の意を受けて、サイモン外相を
頼りに突破口を開こうと努力しましたが、ここに運命のいたずらが起こります。
国連特別総会が行なわれている最中の1933年1月30日に、英国が怖れていた
ナチス政権が誕生し、ヒトラーが首相の座に就いたのでした。これに驚いた
英国のサイモン外相は「満州事変」問題どころではなくなり、急ぎ帰国し、
松岡洋右は最大にして唯一の『頼みの綱』を失ってしまいます―。
松岡の朋友に、「リットン報告書」の内容を公式発表前に大スクープした
『東京日日新聞』記者の楠山義太郎がいますが、「このときほどヒトラーを
怨めしく思ったことはない」との松岡の言を聞いています。
719:イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM
08/01/18 02:11:30
>>717 >>サンキューベリマッチ。youtubeなどロクに見ない人なので、
こういうのもあるのだと知ってビックリしました。
てゐの「呂律の回らなさ」が何とも言えません。今日は仕事のトラブルに
駆けずり回って2万歩も歩いたので(万歩計所持)幼分が補給できましたw。
720:JY
08/01/18 02:14:33 RQ7rMXUX
本体はニコ動らしいですけどね。
(´・ω・)つ URLリンク(www.youtube.com)
じゃあ、萌え死んでもらいますwww
721:JY
08/01/18 02:24:44 RQ7rMXUX
イナゾウ先生のお陰で立派な東方・ひぐらし厨になりましたwww、ありがとうございます(・ω・) w。
流れをぶった切ってスイマセン、気にせず続きをどうぞ~。
722:イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM
08/01/19 01:02:19
>>720 >>本体はニコ動らしいですけどね。
超サンクス! 仕事に追われていると、なかなかこういう世界があるのに
気付きませんねえ。時間も無いですし。でもマニーを稼がないと、お話に
なりませんw。
>>イナゾウ先生のお陰で立派な東方・ひぐらし厨になりましたwww、
>>ありがとうございます(・ω・) w。
どういたしまして。今年の例大祭は「超時空要塞ビグザイト」ですw。ところで
昨日の深夜、たまたまテレビで「グレンラガン」の一番良いところ(最終決戦)
だけ見て、「ひょっとしてこれって面白い?」と思ってしまいましたw。
723:楽園の最高裁判長 四季映姫ヤマザナドウ ◆FU/OcfTlfM
08/01/19 01:10:13
彡 ト、,. -‐‐/ [ 閻 ]\─- 、..,,_,. - 三
彡 :::::\:::::|.l Y魔Y 〉〉:::::::::/::::: Ξ し 説 言 好 ど 東
わ こ し 三 :::::::::\」__L二」__/__::::/:::::::::: 三 て 明 葉. き れ 方
か い ょ Ξ ´へ_,.r_二トー-L___ハ二_'rへ;::: Ξ も で か だ が
ら つ せ 三 7´::::/::i、::/:::::ハ:::::::;::ヽ::ヽ、7 ` 彡 : け
.ん に ん Ξ ::/:::ハ/__ゝ、::| '|::::::ハ::::|::;!-ト、__/彡
! ! は 三 ::i:::;:イハ ̄ヽ、:;| |:::/ レ´!_ハ::::::ト、_ /// 川 | | l | l l | l |
三 ::::i:::::ハ ! 辷リ ´ レ'イ´ ̄ハ |::::/:::::ヽン、.,______- 、_
ミ -=ニ ヽ;::ハ:::::! //// , ゞニリノ|/V:::::::::::|`>、 \`ヽ`ヽ.
彡 /:::i::从 ////"イ:::::/:::::l:::::::|//ヽ/ ノ i
せ 説 だ Ξ :::|:::::::!ヽ、 ‐- u ,.イ:::::/:::::::|:::::::ト、___!,,..-''"´ /
ん 明 か 三 、!::::::ゝ;::`ヽ、.____,,,..イi´::|:::::!:::::::ハ::::::|`'ーrr--‐''"´
. ! ! は ら Ξ ::::ヽ、__`ヽr「 `「lー''"ハ、_!__l、__/_,|:::::| ヽ\
三 `'i''ー=!r':::::ヽ、;|」__;;:イ:::::::::`|l レ^ヽ!、 〉 〉
ミ ´`ヽ/::::::::::::::/o::::::::::::::::::::::::ト!、二イ7 ヽ く___/
724:イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM
08/01/19 01:45:42 af6WSHy+
文字がちょっとズレた…w。しかも正しくは「ヤマザナドゥ」です…orz.w
>>718 >>日本側全権の松岡洋右も、元老・西園寺公望の意を受けて、
「松岡洋右と西園寺公望」という組み合わせに違和感を覚える人は多いのでは
ないでしょうか。しかし西園寺の秘書だった原田熊雄の回想によると、1932年9月に
松岡洋右が西園寺のもとを訪れて、
●「ぜひ1つ年寄りを連れて行かなければ困る(首席全権の意味、内田康哉外相は
清浦奎吾元首相の出馬を持ち出したが松岡は断った)。そうして今度はもうできる
だけ穏やかに事をまとめて帰るように努めなければならぬ」
と言いに来たとされます(『西園寺公と政局』)。また1932年10月に松岡は主席
全権として国連総会に派遣されますが、出発前の挨拶に西園寺を訪れ、●「必ず
まとめて帰るようにしたいと思います」と伝言を残して行ったと伝えています。
725:イナゾウ兵長 ◆FU/OcfTlfM
08/01/19 02:03:46 af6WSHy+
また1932年11月21日から、リットン報告書を中心に満州事変問題を討議する
国連特別総会が始まりますが、松岡洋右は「朋友」の楠山義太郎(東京日日
新聞のロンドン特派員記者、このときロンドンからジュネーブに応援取材に
来ていた)に、●「俺は連盟を脱退したくない」●「サイモンがいるから
俺も助かる」と心中を漏らしています。
楠山(後に主筆)はリットンを口説き落として超スクープをゲットするような
敏腕記者ですから、総会を訪れた英国外相のサイモンにも直ぐに近づきます。
サイモン外相は楠山に対して、●「私は弁護士だが、外相に就任したため
収入が数十分の一に減った」などと内輪話をし、●「満州事変問題に関する
日本の行動は国際諸条約違反だ。しかし私は長い弁護士経験から、法律違反
ではあるが、止むを得ず罪を犯した同情すべき事件を何回か弁護したことが
ある」などと、非常に意味深な発言をしています―。