07/12/28 00:04:10 f719H3lj
佐々木到一は「軍事顧問」として、北伐の革命軍に同行していました。済南事件に
直面すると、蒋介石の依頼により停戦交渉の使者として南軍と日本軍の間を往復
することになります。
日本側に蒋介石の意志を伝えると、今度は支那側に停戦の徹底を求める日本軍の
使者となりました。蒋介石の司令部に戻って日本軍の要請を伝えると、さらに
蒋介石の依頼により、支那側の停戦意志を伝えるために日本軍陣地に向かう…。
ヤバゲな雰囲気がぷんぷんですね。両軍の使者を兼ねている訳ですが、下手したら
双方から「敵扱い」です。実際、支那側の陣地を通ろうとした際に車を止められ、
通訳として付けられた副官の桃少佐とともに、外へ引きずり下ろされます。
そして日本側陣地を通過するために用意された日章旗が車内から発見されると、
支那兵共は血相を変えました。通訳の桃少佐は、●「この人は総司令(蒋介石)の
賓客だから殺してはいけない!」と叫びましたが、哀れ、桃少佐は広東出身のため
(ということは、蒋介石直系軍)、軍閥の兵どもには言葉が通じなかったのです―。