07/12/25 22:28:18
>>544 >>そういう穏健派の挫折と転向が、満州事変をはじめとする
>>強硬政策を後押ししたのかねえ?
その辺は、なかなか説明が難しいところがあります。佐々木到一が南軍にボコボコに
された僅か1ヵ月後には、張作霖爆殺事件(1928年6月4日)が起こっていますから、
佐々木の件とは全く別の場所で進行していた訳です。
近視眼的には、若槻礼次郎内閣(+幣原喜重郎外相)の平和外交に対する不満も
大きかったでしょう(第1次:1926年1月30日~1927年4月20日)。若槻内閣が倒れた
理由の1つとして、蒋介石の北伐に対して無策というか『放置プレイ』であり、
枢密院の不興を買ったことがあります。表向きには、昭和金融恐慌に伴う台湾銀行の
救済案で揉めたことになっていますが。
第2次若槻礼次郎内閣のときに、満州事変が起きたのも偶然では片付けられない
でしょう。根底には、汚職や経済的失策が度重なる政党政治に対して根深い
不信感がありました。