07/12/24 23:15:44 6lhpbrD6
>>541 >>そのような弱腰は事態を悪化させるばかりです。
似たような例で、前年の1927年3月に「第一次南京事件」が起こっています。
このときは日本領事館の森岡領事が、南軍の兵士を刺激しないよう「無抵抗主義」を
取ったために、居留民以下、全員が惨憺たる目に遭っています。せっかく先遣隊の
荒木大尉らが、正門に土嚢を積んで機銃1挺を据えて警備していたにも関わらずです。
要するに、どんな場合でも支那人相手に弱気は禁物なのです。ちなみに済南事件では、
軍事顧問として南軍に従軍していた佐々木到一中佐(南京駐在武官)が興奮した南軍に
袋叩きにされて重傷を負っています。当初、佐々木は国民革命に共鳴して、支那統一が
なされれば日中両国に安定した提携関係が築かれると期待していましたが、それは
佐々木の思い込みに過ぎませんでした。
以後、佐々木は『変身』をして、強硬な「反蒋論者」「支那人嫌い」となります。
この辺りは、『日本陸軍と中国 「支那通」にみる夢と蹉跌』(戸部良一著、講談社)が
大変詳しいでしょう。まさに「夢と蹉跌」です。