07/12/24 22:47:34 6lhpbrD6
このとき済南城内の日本軍は約3500人、南軍は城内外を含めて約10万人でした。
日本人居留区の警備責任者が、第6師団・第11旅団長の斎藤瀏少将だった訳ですが、
何を思ったか斎藤少将は、南軍を刺激するようなバリケードや砂袋陣地、有刺鉄線
などを、福田師団長の許可を得ずに独断で撤去させました。
圧倒的人数の差に弱気の虫が泣いたのか、こちらの誠意を見せれば向こうも分かって
くれると思ったのか、日本人居留民の安全を守ることが第一だと考えたのか、とにかく
そのような弱腰は事態を悪化させるばかりです。更に翌日の5月3日には、日支両軍の
武力衝突が始まりました。
衝突の原因は諸説(双方の言い分で膨大w)あるので割愛しますが、青島で待機していた
第6師団第36旅団も来援、さらに5月8日には名古屋第3師団と関東軍から1個旅団の
増援が決定されます。そして日本軍は5月11日に済南城を完全に占領しました。