07/12/24 21:56:13 6lhpbrD6
>>529 >>当時の済南には日本人居留民が2千数百人ほどおりました。
さて国民革命軍の北上に伴い、田中義一内閣は居留民保護の目的で1928年
4月19日、日本軍の派遣を決定しました。これがいわゆる「第2次山東出兵」と
呼ばれるもので、翌日には支那駐屯軍から3個中隊(小泉恭次中佐以下、460名)が
済南に入っています。
そして4月23日には、熊本第6師団(師団長・福田彦助中将)が門司から乗船して、
25日・26日に青島に上陸したのでした。この内の第11旅団長が、2・26事件にも
登場する斎藤瀏少将だった訳です。
当時、済南は北軍の山東軍閥―張宗昌の本拠地で、張軍と孫伝芳軍がおりましたが
南軍接近の報に戦わずして逃げました。1928年5月1日、ついに国民革命軍の
先鋒である第9軍と第40軍が済南に入城しましたが、お調子に乗った土人兵どもは
反日感情を露にして、行進しながら日本軍の歩哨を嘲笑してツバや痰を吐きかけます。