07/12/22 23:21:26 ZvHBTY2R
なぜだろう…文字だけだとあまり面白くないような…w。まあ「やん家」さんは
圧倒的知識と独特の諧謔、絵が超絶上手いのもありまして、階級に喩えるならば
中将クラスの方かと。ここだけ目当てにビグザイトに行く価値もあるところです。
以上、一介のファンでしたw。
さて、そんな「済南事件と斎藤瀏少将」ですが、>>525 で既に述べたように斎藤は
熊本・第6師団の旅団長でした。済南事件の原因は諸説あり、日支双方の言い分も
含めて解説しますと、それだけで極小テーマになってしまいますので省きます。
当時は「北伐」のクライマックスで、一時下野していた蒋介石は1928年1月7日に
国民革命軍総司令に復職し、3月31日に「第2次北伐」がスタートしました。
南軍(国民革命軍)は参謀総長に何応欽、第1集団軍(総司令:蒋介石兼務)18個軍・
29万人、第2集団軍(馮玉祥)25個軍・31万人、第3集団軍(閻錫山)11個軍・
15万人、第4集団軍(李宋仁)16個軍・20万人などです。