07/12/22 15:19:46
>>521
日本警察二十五万、概ね五百人に一人の割合。全共闘時代も火気は使用せず。
人口比1%の武装集団でも治安維持には大袈裟すぎるぐらい。
>>農民の方が圧倒的に多いのに暴動とか起こったら
連絡が取れないと各個撃破。そもそも交通網が未発達で、農民じゃどうもならん。
悪党馬借の土一揆じゃないが、農民よりも商人の方が中心になりやすい。
でなきゃ宗教勢力か。読み書き算盤ができなきゃ話にならない。
支那の場合、白蓮教徒と塩商人なんかがそうだな。
525:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/22 22:30:19 ZvHBTY2R
>>524 なんか物凄く上手くまとめられましたね。全面的に同意でふ。
>>522 >>まあ、北伐に触れたからには「済南事件」にも触れないと不味いのですが、
さて「済南事件」で少し脱線です。皆さんは、陸軍の「斎藤瀏少将」をご存知でしょうか?
もうすぐ超時空要塞ビグザイトの到来で、当然自分は「えげつないやん家」さんにも並ぶ訳
ですが、その「2・26事件」の漫画を読んだことがある方は、記憶に残っているはずです。
決起将校の栗原安秀中尉に「おじさん」と呼ばれていたのが斎藤瀏(予備役)少将で、
2・26事件でも栗原は斎藤にたびたび電話で連絡を取って(戒厳司令部に録音が残る)
いたため、斎藤は唯一、将官格で反乱幇助の罪により「禁固5年」の刑に処されています。
真崎甚三郎は言い逃れましたけどね。
そして、この斎藤瀏少将こそが「済南事件の当事者」な訳です。1928年の事件当時
斎藤は熊本・第6師団第11旅団長で、まさに済南城内の日本人が住む商業地区警備の
責任者でありました。
526:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/22 22:45:03
栗原安秀の父親は陸軍大佐の軍人で、その縁もあってか、斎藤家とは家族
ぐるみの付き合いでした。ちなみに斎藤瀏の娘で歌人の斎藤史と栗原安秀は
幼なじみです。「やん家」さんの漫画の文字だけ写させてもらいますと、
【26日午前 陸相官邸にて】(陸相官邸には同志が集まっていた:栗原
安秀中尉、斎藤瀏予備役少将、山口一太郎大尉)
栗原:「大丈夫だ!俺達の行動はきっと認められる! 俺達には運がある!
それにほらっ。ここには『座敷わらし』だってついてますしね!!
あれがとりついた家にはいいことあるらしいですよ、ワン太さん!!」
山口:「…あれ石原さんだよ、栗原」
栗原:「おお。よく見れば石原さんだ。石原さん! 石原さんの維新についての
考えはどうですか!?」
527:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/22 22:57:44
石原:「そのハチマキ、ダセ~~~~~」
斎藤:「石原君!! ワシは予備役の斎藤少将だが、この際、若い者らに協力してやって…」
石原:「今時そんなカッコ光GENJIだってしねえよ。♪オトナにゃ~見えな~い
シャカリ~キコロンブ~ス♪ って歌の意味わかんねぇよ。コロンブ~ス?」
栗原:「我々は国民の窮状を救うために決起し…」
石原:「おまえら絶対、さるまたにも『尊皇討奸』とか書いているだろ。干す時
女房顔真赤? はずかティ~」
栗原:「お…おじさん、斬ります!!(怒)」
斎藤:「斬れ!! 斬ってしまえ、クリコ!!(怒)」
山口:「あんた、いろいろハッキリ言いすぎるから悪い!」
石原:「そうか俺が悪いか」
528:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/22 23:21:26 ZvHBTY2R
なぜだろう…文字だけだとあまり面白くないような…w。まあ「やん家」さんは
圧倒的知識と独特の諧謔、絵が超絶上手いのもありまして、階級に喩えるならば
中将クラスの方かと。ここだけ目当てにビグザイトに行く価値もあるところです。
以上、一介のファンでしたw。
さて、そんな「済南事件と斎藤瀏少将」ですが、>>525 で既に述べたように斎藤は
熊本・第6師団の旅団長でした。済南事件の原因は諸説あり、日支双方の言い分も
含めて解説しますと、それだけで極小テーマになってしまいますので省きます。
当時は「北伐」のクライマックスで、一時下野していた蒋介石は1928年1月7日に
国民革命軍総司令に復職し、3月31日に「第2次北伐」がスタートしました。
南軍(国民革命軍)は参謀総長に何応欽、第1集団軍(総司令:蒋介石兼務)18個軍・
29万人、第2集団軍(馮玉祥)25個軍・31万人、第3集団軍(閻錫山)11個軍・
15万人、第4集団軍(李宋仁)16個軍・20万人などです。
529:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/22 23:43:42 ZvHBTY2R
これを迎え撃つ北軍(旧軍閥)は、北京の安国軍総司令・張作霖大元帥のもとに
息子の張学良、そして孫伝芳、張宗昌などが7個方面軍を指揮して、総兵力は
南北両軍ともに約100万人規模でした。
とはいうものの、この数字は装飾過多で、実際のところ半分以下と見るべきです。
とくに破竹の勢いの国民革命軍に対して北軍はまるきり戦意が無く、潰走に次ぐ
潰走だったのが実情でしょう。
さて南軍が北京に入城して北伐を完成するためには「済南」を通過する必要が
あります。上海・南京から北上して徐州を過ぎて、黄河を渡る直前にあるのが
済南な訳です(その後、天津を経て北京にたどり着く)。
また済南は「山東半島」の根本に位置し、WW1などで山東半島には日本の権益も
多くありましたから、当時の済南には日本人居留民が2千数百人ほどおりました。
530:名無し三等兵
07/12/23 01:26:00
中国史上で「北伐」に成功したのは朱元璋と蒋介石だけ、という点に因縁めいたものを感じるな。
531:名無し三等兵
07/12/23 01:28:09
今のチャイナ大陸の環境を見るに、次の南北対立があっても
南の勢力が主導権握れるんじゃないかと思うくらいに
黄河流域の荒廃は進んでますね
532:(1号作戦下の無名尉官の代理) ◆X9uEcr1WoA
07/12/23 18:32:28 NdIjTkee
とりあえず1日名前だけ尉官でm()m
んで、ぶっちゃけ欝は、
真面目な方が自動で取得する勲章みたいなものですから。
中尉殿も、御身お大事に。
んで・・・つまり、大陸経済と互するには、
蒋介石式商法がいいのかしら。
それとも英国式商法?
それとも毛沢東式商法?
不謹慎で恐縮なのですが、全く現代に通じます。
=日中戦争の戦訓
戦訓を見習って、現世はなるべく手抜きに勤めましょう。
真面目に驀進していると命が幾らあっても足りません!231!
soredehadeha///☆
533:法務大尉
07/12/24 13:11:16 ma6dit67
稲造四等兵の復帰を喜ぶ。
原隊追及が遅れ脱走罪に問はれた例もある。
534:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/24 19:56:26
お肉を食べたらお腹が激しく痛いです……。
>>532 あら残念。中尉か大尉は差し上げようかと思っていたのですけど。
>>533 大変恐縮です。大尉殿と争ったのも今ではグッドメモリーでございます。
>>530 あとは太平天国の乱くらいですかね。失敗してますけど。
>>531 >>黄河流域の荒廃は進んでますね
アメリカが自分のお尻に火が付いて、ようやく環境問題を真剣に考えるように
なりましたけど、支那の荒廃状況では思ったより早くそうなるかもしれませんね。
早く人の住めない土地になって欲しいものです。
535:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/24 20:20:06
>>529 の続き。さて済南事件から少し遡る1927年11月5日、下野していた
蒋介石は日本を訪れて、当時の田中義一首相と秘密会談をしていました。場所は
東京青山の田中私邸、テーマはもちろん「北伐」です。
日本は張作霖と関係が深かったのですから(特に田中義一は日露戦争時、ロシアの
スパイとして逮捕された張作霖の助命に関わっている)、蒋介石と秘密裏に会うのは
異例でしょう。
この背景には、山本條太郎(満鉄総裁)や森恪(政友会幹事長)、松岡洋右らの
「蒋介石は正直で信用できる人物」との報告を信じたからとされます。
さて2時間に及ぶ会談で、田中義一と蒋介石は「共産党を排除する」という点で
両者の意見は一致しましたが、結局まとまりませんでした。
536:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/24 20:38:42
会談の後に蒋介石は、
●「日本は腐敗軍閥を相手とせず、国民党を相手に誠意をもって中日合作して
もらいたい。そして、北伐を援助してほしいと申し入れたが、田中には誠意が
なく、中日合作の可能性はない。日本は国民革命の成功を許さず、北伐を妨害し
中国の統一を阻止するであろう―」
しかし、通訳として会談に同席した佐藤安之助(退役陸軍少将)のメモによると、
●「北伐について田中は、『中国は分裂状態にあるので北伐を焦らず、まず長江
以南を固めることに専念してはどうか?』と提案した。蒋は、『しかし北伐を
しなければ、南方に動乱が起こる可能性がある』と答えた―」とあります。
結果的に両者の会談は物別れとなり、不信感を増すばかりとなった訳ですが、
佐藤メモの「北伐を続けなければ、国民革命軍自体、空中分解してしまう」は
興味深いものがあります。
537:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/24 21:28:24
ただし、次のような「秘密情報」が日本の陸軍省内に流れていたと云います。
●「蒋介石の提案は、北伐の最終目的は北京にいすわる蒋介石を奉天に追っ払う
ことだが、張の背後には日本陸軍が付いている。日本軍に妨害されると北伐が
完成できない。また、国民政府は中国共産党に手を焼いている。そこで日本は、
同じ反共の立場から国民革命に協力してもらいたい。
その条件として、国民政府は中国国内の排日運動を取り締まり、また東北(満州)
での日本の特殊地位を認めるから、日本は北伐を妨害せず、張作霖を東北へ引き揚げ
させてもらいたいと提案した。田中首相はそれを承諾した―」
とするものです。いわゆる『密約』の類ですが、真相は藪の中です。ただ済南事件が
起こる前年に、このようなトップ同士の会談があったことは覚えておいてください。
538:元32(予備役少佐)
07/12/24 21:45:16
>>537
松井石根が蒋介石のために尽力したのもこのときでしたね。
539:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/24 21:56:13 6lhpbrD6
>>529 >>当時の済南には日本人居留民が2千数百人ほどおりました。
さて国民革命軍の北上に伴い、田中義一内閣は居留民保護の目的で1928年
4月19日、日本軍の派遣を決定しました。これがいわゆる「第2次山東出兵」と
呼ばれるもので、翌日には支那駐屯軍から3個中隊(小泉恭次中佐以下、460名)が
済南に入っています。
そして4月23日には、熊本第6師団(師団長・福田彦助中将)が門司から乗船して、
25日・26日に青島に上陸したのでした。この内の第11旅団長が、2・26事件にも
登場する斎藤瀏少将だった訳です。
当時、済南は北軍の山東軍閥―張宗昌の本拠地で、張軍と孫伝芳軍がおりましたが
南軍接近の報に戦わずして逃げました。1928年5月1日、ついに国民革命軍の
先鋒である第9軍と第40軍が済南に入城しましたが、お調子に乗った土人兵どもは
反日感情を露にして、行進しながら日本軍の歩哨を嘲笑してツバや痰を吐きかけます。
540:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/24 22:19:36 6lhpbrD6
さらに済南城内の民家の壁や街路樹に、『反対・日本出兵』『排斥・日本帝国
主義』と書いた反日ビラを貼って回りました。また日本人の住居には、北伐の
とばっちりを避けるために「日の丸」が掲げてあったのですが、それを引き摺り
下ろして破って足蹴にさえしました。
このため日本軍と南軍に衝突が起きましたが、このときは現場の団長(連隊長)が
駆けつけて陳謝したため収まりました。しかし、翌日の5月2日には蒋介石自身が
済南に入城してきます。
蒋介石は「日本軍の撤兵」と「日本人居留区の警備区域の撤去」、そして中国人に
対する日本兵の態度が不遜だとして、日本兵の取締りを要求しました。言いも
言ったりです。これに対して福田第6師団長は、「不遜なのは南軍の方だ」として
その要求を当然拒否しました。
何しろ「田中・蒋会談」が物別れになって(密約の有無はともかく)僅か半年後の
ことです。蒋介石は、田中の山東出兵はもちろん、日本側のやることなすこと全てが
北伐への妨害に見えて激しい敵意を燃やし、一触即発の緊迫した状況が続いていました。
541:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/24 22:47:34 6lhpbrD6
このとき済南城内の日本軍は約3500人、南軍は城内外を含めて約10万人でした。
日本人居留区の警備責任者が、第6師団・第11旅団長の斎藤瀏少将だった訳ですが、
何を思ったか斎藤少将は、南軍を刺激するようなバリケードや砂袋陣地、有刺鉄線
などを、福田師団長の許可を得ずに独断で撤去させました。
圧倒的人数の差に弱気の虫が泣いたのか、こちらの誠意を見せれば向こうも分かって
くれると思ったのか、日本人居留民の安全を守ることが第一だと考えたのか、とにかく
そのような弱腰は事態を悪化させるばかりです。更に翌日の5月3日には、日支両軍の
武力衝突が始まりました。
衝突の原因は諸説(双方の言い分で膨大w)あるので割愛しますが、青島で待機していた
第6師団第36旅団も来援、さらに5月8日には名古屋第3師団と関東軍から1個旅団の
増援が決定されます。そして日本軍は5月11日に済南城を完全に占領しました。
542:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/24 23:15:44 6lhpbrD6
>>541 >>そのような弱腰は事態を悪化させるばかりです。
似たような例で、前年の1927年3月に「第一次南京事件」が起こっています。
このときは日本領事館の森岡領事が、南軍の兵士を刺激しないよう「無抵抗主義」を
取ったために、居留民以下、全員が惨憺たる目に遭っています。せっかく先遣隊の
荒木大尉らが、正門に土嚢を積んで機銃1挺を据えて警備していたにも関わらずです。
要するに、どんな場合でも支那人相手に弱気は禁物なのです。ちなみに済南事件では、
軍事顧問として南軍に従軍していた佐々木到一中佐(南京駐在武官)が興奮した南軍に
袋叩きにされて重傷を負っています。当初、佐々木は国民革命に共鳴して、支那統一が
なされれば日中両国に安定した提携関係が築かれると期待していましたが、それは
佐々木の思い込みに過ぎませんでした。
以後、佐々木は『変身』をして、強硬な「反蒋論者」「支那人嫌い」となります。
この辺りは、『日本陸軍と中国 「支那通」にみる夢と蹉跌』(戸部良一著、講談社)が
大変詳しいでしょう。まさに「夢と蹉跌」です。
543:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/24 23:44:07
【お詫びと修正】
>>537
×北伐の最終目的は北京にいすわる『蒋介石』を奉天に追っ払うこと
◎北伐の最終目的は北京にいすわる『張作霖』を奉天に追っ払うこと
>>542(補足)
×居留民以下、全員が惨憺たる目に遭っています。
◎領事館に逃げ込んだ居留民以下、全員が惨憺たる目に遭っています。
544:名無し三等兵
07/12/25 09:28:38
そういう穏健派の挫折と転向が、満州事変をはじめとする強硬政策を後押ししたのかねえ?
545:元32(予備役少佐)
07/12/25 10:35:01
>>544
佐々木到一の場合は転向前の蒋介石への傾倒と、
転向後の中国国民党への憎悪が極端に違うので、
とても印象的な例ではありますな。
546:名無し三等兵
07/12/25 20:50:34
___
. _r´――-、: .`: . 、
,._r´.´: . 7: . ̄: ̄: マ: . :∧: \
/': {: . : ._⊥ム~ z vハ: ./ ',: . :'.,
,.'ハ: . /ゝ' l} !:{ !: . : .,
/:{: ヽイ | |乂_oノ: . : . , <みなさん、クリスマスの夜に2ちゃんしてて
{:.lヽ{ l! , ゝ┼ - 一1 : . : |: . }: . !
. N: . ! |,ノ | |: } : . |: ./: . | 楽しいですか?
|: .ヘ ヘ 、 〃 !/: . :.|:/: . : |
|: . : '., v弌=ミ: . : .:!'-、: . | カノジョとかいないんですか?
,: . :ハ ィ≠ゝ ::::〃: . : ., ノ: .:|
V: . :ハ::::::: /: . : . /ー': . : :| もう西暦2008年にもなるんですから
',: . !.ヘ マ_ フ / . : . /: . l : . : |
V:.!: . :≧rュ.―‐ '/: .//ヽ: .|: . : .:| ニートなんかヤメませんか?
Y|: . : .i´/フヽ:./.:/;;;;;;ハ .|: . : .:|
. N: . : .:l、 }〃ニミ ;;;;;;;;; ',:l!: . ::.| 捏造大好きアホだつおなみにバカっぽいですよwww
| : . : };;\ ノ-‐- 、;;;ヽ;;;;;;V : . : !
. ル1:イヾ、;;/ ヽ;;;;ヽ;;;;', : . : l
レヘ ;;;;/ ヽ;;;;ヽ;}: . : :|
〈 ヽ{ ヽ;;;;;!: . : :|
547:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/25 22:28:18
>>544 >>そういう穏健派の挫折と転向が、満州事変をはじめとする
>>強硬政策を後押ししたのかねえ?
その辺は、なかなか説明が難しいところがあります。佐々木到一が南軍にボコボコに
された僅か1ヵ月後には、張作霖爆殺事件(1928年6月4日)が起こっていますから、
佐々木の件とは全く別の場所で進行していた訳です。
近視眼的には、若槻礼次郎内閣(+幣原喜重郎外相)の平和外交に対する不満も
大きかったでしょう(第1次:1926年1月30日~1927年4月20日)。若槻内閣が倒れた
理由の1つとして、蒋介石の北伐に対して無策というか『放置プレイ』であり、
枢密院の不興を買ったことがあります。表向きには、昭和金融恐慌に伴う台湾銀行の
救済案で揉めたことになっていますが。
第2次若槻礼次郎内閣のときに、満州事変が起きたのも偶然では片付けられない
でしょう。根底には、汚職や経済的失策が度重なる政党政治に対して根深い
不信感がありました。
548:元32(予備役少佐)
07/12/25 22:43:01
>>547
ただ、穏健派というよりも、
むしろ熱狂的に国民党に思い入れをした日本軍将校達が、
現実に裏切られて醒めていったということは、
長い目で見ると意味をもってきたようにも思えますね。
松井石根といい、佐々木到一といい。
佐々木の『ある軍人の自伝』を読んだときは、
荒涼たる心象風景に寒気がしました。
549:名無し三等兵
07/12/25 22:50:45
>>542
とある同人誌で読んだのですが、
米内光政の同期である荒城二郎もいたそうですね。
550:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/25 22:58:55
そもそも佐々木到一の場合は、孫文に対して個人的に私淑していたのであり、
「蒋介石なんか後継者じゃない!」と否定してしまえばそれまでだったでしょう。
また支那が真の革命を成し遂げて、独立を勝ち取り、日本のパートナーとなって
ともに東洋平和のために働くことを夢見ていた素朴な大アジア主義者は、佐々木
だけでは勿論無くゴマンといました。まあ、カンジなんかも「大アジア主義者」に
よく挙げられますけどねw。
支那も日露戦争の勝利を見て、日本の近代化に見習えと真剣に考えたこともありますし、
生まれた年代的に明治維新へ参加できなかった日本人が、その代わりとばかりに支那の
革命に熱中したところもあるでしょう。「大陸浪漫」と言ってもいいかもしれません。
実際、支那でも清朝を倒すことが(日本でいう徳川幕府を倒すことが)近代化に繋がると
考えられていました。こうした複雑な背景も考慮しないと、本質が分からなくなります。
551:元32(予備役少佐)
07/12/25 23:03:41
>>550
ちなみに中山服を発明したのは自分だと、
佐々木さんは主張していたような記憶があります。
近代的で統一された中国が日本と協調するというのが、
アジア主義者の夢でしたが、今に至るまでうまくいきません。
しかし、今に至るまで、この方向に魅了される人はいるので、
やはり、その「大陸浪漫」は魅力的なのでしょう。
552:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/25 23:07:57 prThQmbs
孫文の大アジア主義の説明として分かりやすいものに以下のものがあります。
「中国と日本がアジア主義によって太平洋以西の豊富な資源を開発し、また
アメリカがそのモンロー主義によって太平洋以東の勢力を統合し、各自それ
ぞれの発達を遂げたなら、100年にわたり衝突の憂いはなくなるのである』
(『大アジア主義と中国』)
>>548 >>むしろ熱狂的に国民党に思い入れをした日本軍将校達が、
>>現実に裏切られて醒めていった
『日本陸軍と中国 「支那通」にみる夢と蹉跌』の後書きに、著者が江藤淳から
受けた指摘が載っていますが、まさにその通りでしょう。
『佐々木が中国に裏切られたというのは、中国が「他者」であるという認識に
欠けていたからだ』
553:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/25 23:17:27
さすが江藤淳というところでしょうか。佐々木は時、太平洋戦争に至るも
支那に対する愛憎絡みあう複雑な思いと、日本の国益を最優先にする責任感
とで板挟みになっていますが、最後まで支那を「他者」と区別できなかった
のかもしれません。
>>しかし、今に至るまで、この方向に魅了される人はいるので、
>>やはり、その「大陸浪漫」は魅力的なのでしょう。
福田や小沢や加藤など、今もあなたのすぐ隣にいる大アジア主義者w。
554:元32(予備役少佐)
07/12/25 23:21:12
>>553
>福田や小沢や加藤など、今もあなたのすぐ隣にいる大アジア主義者w。
政治家のみならずビジネスマンにも多いですね。
あれは論理では説明のつかない世界かと。
そういう意味では小泉さんは異端児です。
555:霧番
07/12/25 23:31:23 c9xUyLzB
555なら木内梨生奈とセックスできる。
555なら05年度の天てれの魔法少女姿の木内梨生奈とセックスできる。
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555ならJSFに法則発動
555なら空自の次期F-Xはライノ
※拒否や無効化,棄却、取り消しはできません。
556:名無し三等兵
07/12/26 10:14:05
>>547
>佐々木の件とは全く別の場所で進行していた訳です。
河本大佐はすでに支那人の現実に目覚めていたんだよw
そういう人だからこそ、戦後に国民党と付き合いながらも地位を維持できたんだろう。
557:名無し三等兵
07/12/26 22:58:16
>>547
『日本の百年』(筑摩書房、1962年)からの孫引きですが、佐々木は
張作霖爆殺についてこんな手記を残しているそうです。
「かかる情勢においてほどこすべく残された唯一の方途は、逆の戦法に
出ずるあるのみ。(略)予はむしろ奉天王国を一度国民革命の怒涛の
下に流し込み、しかるのちにおいてわが国のとるべき策があるものと
判断した。
この計画は一種捨て鉢の一六勝負であるが、わが国内大勢は従前の情
勢をもってしては、満蒙におけるわが権益の保全も、三百に余る懸案
の解決も、事実上不可能であることを予察するゆえであった。
そこで密かに関東軍参謀だった河本大作大佐に書を送り、近くまぬが
れ難き奉革会戦において奉軍の壊滅またまぬがれ難きを予想し、この
機会に一挙作霖をほふって世を学良一派の似非新人的雷同分子にゆず
らしめ、しかるのち、彼の腕をねじあげて一気呵成に満洲問題を解決
せんことを勧告した」
(『世の支那生活を語る』1939年7月稿)
この後付の主張がどこまで本当なのか私には判断つきませんが、参考まで。
558:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/26 23:18:19 N2T2UX9M
>>551 >>近代的で統一された中国が日本と協調するというのが、
>>アジア主義者の夢でしたが、今に至るまでうまくいきません。
現代支那が「近代国家」かと問われれば、口が裂けてもそうは言えないでしょう。
というか、未来永劫その日は来ませんw。日本ですら「町民国家」なのですから。
>>549 >>とある同人誌で読んだのですが、
>>米内光政の同期である荒城二郎もいたそうですね。
第一次南京事件当時、荒城二郎は少将で第一遣外艦隊司令官でした。この艦隊は
上海に駐留して揚子江流域の警備を担当していましたが、もう苦労続きでしたね。
ちなみに歴代司令官は、永野修身→荒城二郎→宇川済→米内光政で、荒城も米内も
言ってみれば「支那通」軍人です。
ちなみに日本領事館に先遣隊として派遣された荒木亀雄大尉は駆逐艦「桧」の分隊長
でしたが、所属する第24駆逐隊(「桧」「桃」など)はもちろん荒城少将の指揮下です。
559:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/26 23:50:48
>>557 >>世を学良一派の似非新人的雷同分子にゆずらしめ、しかるのち、
>>彼の腕をねじあげて一気呵成に満洲問題を解決せんことを勧告した
ちょっとそれはかなり無理があると思います。佐々木は上記の趣旨の書簡を
河本大作宛に送り、暗号を組んだ『密電』が南京と旅順の間を数回往復した
と云いますが、佐々木の主張は「河本が自分の献策に基づいて張作霖爆殺を
画策した」にまで及びます。しかし、これを裏付けるような第3者の証拠は
見つかりません。
>>556 >>河本大佐はすでに支那人の現実に目覚めていたんだよw
河本は関東軍高級参謀に転任(1926年)してきたとき、あまりの排日行為に
衝撃を受けたと云いますが、張作霖爆殺を具体的視野に入れたのは「二葉会」や
「木曜会」といった中堅将校の研究(結社)グループでの結論からでしょう。
560:557
07/12/27 21:09:44
>>559
そうなんですねえ。
佐々木の主張する謀略はやはり後付けくさいですね。
>ちなみに中山服を発明したのは自分だと、
>佐々木さんは主張していたような記憶があります。
ということですから、佐々木もやはり大陸浪人的な吹聴の癖があったのでしょうか。
561:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/27 23:28:32 7J4QQ74L
>>560 >>佐々木の主張する謀略はやはり後付けくさいですね。
まあ、他人を引き合いに出すのはよくありませんが、戸部良一教授もその件に
ついては「彼の主張を裏付けるものは何もない」と言っていますので、まず
間違いないかと。
>>佐々木もやはり大陸浪人的な吹聴の癖があったのでしょうか。
済南事件で佐々木が受けた暴行は筆舌に尽くしがたいものがありましたので、
トラウマどころか人格が変わってもおかしくないでしょう。第一次南京事件の
根本博のそれを遥かに上回ります(根本も下手すれば殺されていましたが…)
むしろ立ち直るために自分に嘘を付いてでも、そう思い込まなければならなかった
のでは? 自分も小学校4年までしか剣道をやっていなかったのに、ずっと6年まで
やっていたと信じ込んでいた経験があります。別に「若年性痴呆症」という訳でなくw
そのころ中学受験(失敗)や小学校でのイジメなどもありましたので、何年かして
自分が納得できる「ストーリー」を無意識に作ってしまっていたのです。
562:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/28 00:04:10 f719H3lj
佐々木到一は「軍事顧問」として、北伐の革命軍に同行していました。済南事件に
直面すると、蒋介石の依頼により停戦交渉の使者として南軍と日本軍の間を往復
することになります。
日本側に蒋介石の意志を伝えると、今度は支那側に停戦の徹底を求める日本軍の
使者となりました。蒋介石の司令部に戻って日本軍の要請を伝えると、さらに
蒋介石の依頼により、支那側の停戦意志を伝えるために日本軍陣地に向かう…。
ヤバゲな雰囲気がぷんぷんですね。両軍の使者を兼ねている訳ですが、下手したら
双方から「敵扱い」です。実際、支那側の陣地を通ろうとした際に車を止められ、
通訳として付けられた副官の桃少佐とともに、外へ引きずり下ろされます。
そして日本側陣地を通過するために用意された日章旗が車内から発見されると、
支那兵共は血相を変えました。通訳の桃少佐は、●「この人は総司令(蒋介石)の
賓客だから殺してはいけない!」と叫びましたが、哀れ、桃少佐は広東出身のため
(ということは、蒋介石直系軍)、軍閥の兵どもには言葉が通じなかったのです―。
563:名無し三等兵
07/12/28 23:05:32
歴史書の新しい読み方に気付きました。
小生、従来、いわゆる‘自虐もの’を敬遠する傾向にあったのですが、
しかしそうした著作も、然るべき人物の、
それなりの解釈・研究の結果取捨選択された資料、根拠に基いて書かれたものであります。
ですから、それは、それなりの解釈を加えて読めば、再生利用が可能であるということです。
つまり歴史家の解釈の構造を、こちらがもう一度解釈しながらその資料を読むということです。
これは、いわゆる歴史事実というものが歴史解釈というフィルターをろ
過された後に得られた‘史実’であるという事実に基きます。
まあ、卑近な例でいうなら“通州事件”の記載されていない高名な大歴史事典が
今も存在するそうですから、小生は“史実は一つ”というコピーを未だに信じきれないのです。
564:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/28 23:31:56
ようやく仕事納め……。明日から「超時空要塞ビグザイト」に逝ってきますので
しばらくお休みしまふ。って、何の準備もできてねえよっ! ウワーン!(泣)
今年は去年の暖冬とは比べ物にならない寒波到来なので、皆さま防寒対策は
万全に…。
565:ばばぼん♪ ◆gdH1Km1a0U
07/12/28 23:35:44
∩_,,∩
<=`∀´> 今回はお休みニダ
~( )
し―-J
566:名無し三等兵
07/12/29 17:35:03
,,. -‐f_ニ三二_ニ==..、、
,::;;ノ'' ̄  ̄ ヽヽ::.`ヽ
. '::/ ヾ ミ: l
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567:名無し三等兵
07/12/31 09:12:48
元中佐殿は今頃東部戦線か西部戦線か
568:JY
08/01/01 09:14:11
イナゾウ先生、あけましておめでとうございます。
このスレともども、本年はご多幸でありますように(=人=)
569:イナゾウ三頭兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/01 11:07:54
>>568 あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
マターリと進行させていただければ幸いです。ついでに新年の恩赦で昇進しました。
570:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/01 11:41:05 z5faxEuK
「三頭兵」じゃ、一体どこのモンスター兵士かということでw。石井中将。
>>562 の続き >>哀れ、桃少佐は広東出身のため(ということは、蒋介石直系軍)、
>>軍閥の兵どもには言葉が通じなかったのです。
佐々木到一と桃少佐は共に縛り上げられ、多数の支那兵と周囲に集まってきた
土民共に暴行を受けました。桃少佐の広東語が通じなかったことからも分かるとおり、
佐々木が捕まったのは蒋介石直系軍ではなく、馮玉祥の軍閥兵だったのです。
たくさんの鉄拳が佐々木の顔面や頭に降り注ぎ、服のポケットは切り裂かれ
全ての所持品を奪われます。「殺せ!殺せ!」という叫び声が辺りを埋め尽くし
実際、佐々木の肩口に拳銃が押し付けられました。
別の者は、2本の指を佐々木の顔面に突きつけ、両目を抉る真似をして佐々木を
脅します―。
571:名無し三等兵
08/01/01 11:44:48
シナーって陰謀厨なのに民度が低いんでつね
572:名無し三等兵
08/01/01 11:48:00
2005年7月3日、支那のTV局北京電視台の午後4時からの番組「社会透視」内で、
支那事変の発端となった盧溝橋事件は、
北京守備隊支那国民党軍第29軍に潜入していた中国共産党地下党員
『吉星文』『張克侠』『何基?』らが引き起こし、
まんまと抗日戦争へと発展させる事に成功したと報道した。
573:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/01 12:04:42 z5faxEuK
このまま事態が推移したら、佐々木は間違いなく「リンチ死」していたでしょう。
きっと死体も切り刻まれて、どこか日本軍の目に付くような路上に晒し上げです。
他の日本人居留民の惨殺死体と同様です。
しかし、そこに幸運が訪れました。たまたま佐々木を見知っている支那軍将校が
乗馬で通りかかり、驚いて佐々木の縄尻を取っている下士官に耳打ちします。
更にその下士官が理性的な人物だったことも幸いし、「絶対に貴官を殺すことは
ありません」と佐々木に囁きます。しかし周囲は『2chの祭り状態』ですから
佐々木への殴る蹴るは止めようがなく、ひたすら最後の一線を超えないように
じっと耐えるのみでした。
まるで佐々木は「市中引き回し」の格好で、大勢の野次馬が隊列を遠巻きにして
追ってきます。周囲の2階の窓からは、「殺!殺!殺!」「打倒日本帝国主義」
という罵声が浴びせられました。
574:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/01 12:35:31 z5faxEuK
まるで『ブラックホーク・ダウン』か、土民の群集に死体を引き摺り回される
米軍兵士の世界ですが、ようやく城門を通り過ぎる際、蒋介石の総司令部から
使者が迎えにきており、佐々木は解放されました。
蒋介石の総司令部に戻った佐々木は、ベッドの一室に倒れこみ昏倒します。
命こそ助かったものの全身打撲状態で、右手が上がらず、下顎の骨を折り
しばらく流動食しか取れませんでした―。
この暴行事件は、佐々木の「支那観」を大きく揺さぶります。もちろん
『幻滅』の一言です。後で述べますが、良く云えばトラウマかPTSD、
悪く云えば、もはや「発狂状態」です。
他にも国民革命軍がいかに烏合の衆で、蒋介石直系軍と勝ち馬に乗ろうとする
軍閥の集合体であることかが分かります。後の支那事変でもよく言われますが
出身地方が大きく違えば、支那人同士で言葉もろくに通じません。まあ、ソ連も
似たようなものですが。
575:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/01 19:32:21 xQiCeZdH
さて時間を少し巻き戻しましょう。佐々木到一がリンチに遭ったのが1928年
5月3日の話であり、その前日の5月2日の出来事です。
(再確認ですが、国民革命軍が済南に到着したのが5月1日。同じく蒋介石が
入城してきたのが5月2日)
>>日本人居留区の警備責任者が、第6師団・第11旅団長の斎藤瀏少将だった訳ですが、
>>何を思ったか斎藤少将は、南軍を刺激するようなバリケードや砂袋陣地、有刺鉄線
>>などを、福田師団長の許可を得ずに独断で撤去させました。
>>541 で自分はこう前述しましたが、実は斎藤瀏少将にバリケードを撤去するよう
使者として訪れたのが佐々木到一本人だった訳です。これは蒋介石の申し入れの中に
「商業地の防御設備を撤去してほしい」という項目がありました。「革命軍の将兵を
刺激し過ぎるから」というのがその理由でした―。
576:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/01 20:04:26 xQiCeZdH
斎藤旅団長は、上司の福田彦介中将(第6師団長)の許可を取らず、現場の
独断でこれを受け入れました(>>540も参照)。警備区の土嚢、拒馬(きょば:
柵などの障害物)、鉄条網、その他の防御設備を取り除いてしまいます。
斎藤少将はあくまで無用の衝突を避けるために「宥和的な態度」を取った
訳ですが、これは結果的に仇となりました。支那の土人相手に「こちらが
妥協したから向こうも…」あるいは「こちらが善意なり誠意を見せれば…」
と見返りを期待するのが根源的な大間違いなのです。
防御設備を撤去したおかげで、支那の土人兵どもが日本軍の警備区域内に
入り込んできて、かえって摩擦が強くなりました。そして翌3日の午前、
ついに武力衝突が勃発した訳です―。
その当時、支那側の異常な「対日敵愾心」にヒートアップするかのように、
日本側も異様に殺気立っていました。若い将校の中には佐々木に、●「なぜ
革命軍のために世話を焼いているのか!?」と詰め寄ってくる者もいたと云います。
577:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/01 20:57:48 xQiCeZdH
>>576 >>そして翌3日の午前、ついに武力衝突が勃発した訳です―。
日本軍と衝突したのは、日本の陸士留学組で35歳の軍長・賀輝祖が率いる
第40軍の兵士だったと云います。
衝突の原因は、満鉄の機関紙的存在だった『満州日報』の販売店で革命軍兵士が
掠奪を働いた(日本側言い分)とも、その販売店の近くに反日宣伝ビラを貼ろう
としたら日本人が妨害した(支那側言い分)とも云いますが、どちらでも良い
でしょう。要するに、似たような衝突が同時発生的に各所で起こった訳です。
そして同日には上記のように、双方の軍使の役割を急遽担っていた佐々木が
リンチに遭います。職務からとはいえ、「自分で蒔いた種」と言えなくもない
でしょう。翌4日までの戦闘で早くも支那側の死傷者は1000人を超えたと
云います。日本側は、軍人の戦死者が10人、民間居留民の死者が13人でした。
578:元32(予備役少佐)
08/01/01 21:53:02
>>577
ようやく規制解除。イナゾウ班長殿、あけましておめでとうございます。
今年もまったりいきましょう。
佐々木の屈折した心境も泣けますが、
しかし、そこまでして中国についていくだろうか。
579:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/02 03:47:12 6Z2icJNd
>>541 >>衝突の原因は諸説あるので割愛しますが、青島で待機していた第6師団
>>第36旅団も来援、さらに5月8日には名古屋第3師団と関東軍から1個旅団の
>>増援が決定されます。そして日本軍は5月11日に済南城を完全に占領しました。
上記が「済南事件」の概要、そして第2次・第3次山東出兵となる訳ですが、
斎藤瀏少将(第11旅団長)は事件の現場責任を取らされて「予備役編入」の
憂き目となりました。佐々木の要請を独断で受け入れたばかりに気の毒ですが、
蒋介石に対する何とはなくの期待、あるいは南軍の大部隊に対するプレッシャー
もあったのでしょうか。
後に上司の福田師団長が「居留民保護」→「膺懲(ようちょう)戦争」に方針を
大きくシフトすると、事前にバリケードを撤去して事態を不利にしてしまった格好の
斎藤旅団長の過失がことさら大きく見えます。必ずしも現場が詰め腹を切らされた
だけとは云えないでしょう。
580:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/02 04:27:13 6Z2icJNd
>>578 >>ようやく規制解除。イナゾウ班長殿、あけましておめでとう
>>ございます。今年もまったりいきましょう。
あけましておめでとうございます。こちらこそ今年もどうぞよろしく。
いま深夜映画の『八甲田山』を観ながら書いています。ろくな防寒装備も
付けずに体感温度マイナス20℃……。冬のコミケ3日目も超寒かったですが、
それでも気温2℃程度です。体感を含めてマイナスにいくかどうか……。
>>先頭で教導していた神成大尉は誰ともなく命令する。「ここで部隊を解散する。
>>各自勝手に青森へ帰るように。」それまで何とか落伍せずに頑張っていた
>>多くの兵士が、この一言により箍が外れ、発狂して服を脱ぎ始める者、
>>「この崖を降りれば青森だ!」と叫び川に飛び込む者、「筏を作って川下りを
>>して帰るぞ」と叫び樹に向かって行きそのまま倒れこむ者と、この一言で
>>倒れこんで凍死する者が続出した。
581:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/02 04:44:51 6Z2icJNd
>>イナゾウ班長殿、あけましておめでとうございます。
ようやく「懲罰大隊」の班長から抜け出せそうですw。マトモな部隊に
転属される日も近い?……
>>「ここで部隊を解散する。各自勝手に青森へ帰るように。」
「ホームレス中学生」の『解散!』を上回りますw。
582:イナゾウ三等兵@悪質な閑話休題 ◆FU/OcfTlfM
08/01/02 05:21:05
>>567 >>元中佐殿は今頃東部戦線か西部戦線か
毎回そうですが自分は、全日通しで参加しました。つくづく思いますが、
やはり「コミケの華は3日目」よのうw。
3日目は「西部戦線」におりました。東方スペースの西2を彷徨っていただけで
ほとんど1日が終了してしまいました。資金的には充分な余裕がありましたが、
実家への帰省の関係もあって3時前には切り上げざるを得ず、また1人で持ち運ぶ
量には限界があったのですw。
まあ、話の賞味期限が切れる前に、恒例の『悪質な閑話休題』ということで……。
◎事前の予想では、大寒波到来とのことでしたが1日目・2日目はむしろ暖かい
ぐらいで、夜に降った雨の方がキツかったですね。
583:イナゾウ三等兵@悪質な閑話休題 ◆FU/OcfTlfM
08/01/02 06:06:22
◎自分は3日目の深夜1時ぐらいに「西部戦線」に到着いたしました。
「半徹組」のほぼ先頭に並ぶことができましたが、午前3時半ごろに
階段上に移動してビックリ!
奥の方から「整理券組」が2~3リットルぐらい出るわ出るわw、結局
階段を上がったすぐの通路のところで列が確定となりました。前年と
比べましても異常な「整理券組」の量です?。まあ、「FLIPFLOP」を入手
できただけで、先行できた時間はチャラになりましたがw。
◎2日目の「やん家」さんの新刊がなくて、しょんぼり。
◎1日目の場内放送で、「来場する際に、タクシーの運転手さんの
荷物をいっしょに持っていった参加者の方、運転手さんが困って
いますので至急本部まで来てください」という内容に場内苦笑。
まあ、複数人でタクシーに乗ってトランクに荷物を預けたはいいが、
仲間かサークルの荷物だと勘違いして持っていったのかしらん?w
584:イナゾウ三等兵@悪質な閑話休題 ◆FU/OcfTlfM
08/01/02 11:49:03
◎1人場所取りしているところに、1~2人列に割り込んでくるのはまだ許せるが、
1人場所取りしているところに、5~6人列に割り込んでくるのは止めてくれw。
アキレス腱、蹴り切るぞ。トイレから戻ってきたら列のあまりの惨状にビックリ
します。仕方ないので、その内のお一人様に集中して報復させて頂きましたw。
◎3日目の東方スペースに、ものすごい可愛い「霊夢」のコスプレをしている娘さんを
発見してビックリ。小柄な背格好といい、少し痩せぎすの体形といい、服装のデザイン
の良質といい(当然、寒風吹きすさぶ中、腋全開w)、可愛いながら少し陰のある表情
といい、誰がどう見ても80~90点は固いだろうさw。ツボにはまりまくりです。
◎帰省で急いでいる関係で、戻りの秋葉原までタクシー使ったら4千円もかかりましたw。
運転手が「ヨドバシカメラの位置関係が分かりません」という基地外で、通ったルートも
怪しいものです。信号待ちで時間も早くならないので2度と使いませんw。参考までに
東京駅から超時空要塞ビグザイトまでは「深夜料金」でも3千円弱、石原都政の
「オリンピック道路」のおかげで本当に近く早くなりました。
585:楽園の素敵な巫女 博麗霊夢@悪質な閑話休題 ◆FU/OcfTlfM
08/01/02 12:09:10
>>584 >>ものすごい可愛い「霊夢」のコスプレをしている娘さんを発見してビックリ
.「^ヽ,ry'^i
,ゝ"´ ⌒`ヽ
くi Lノノハノ)」 サークルの列に並んでいるときに発見して、あまりの
λ.[i ゚ ヮ゚ノi! ドハマリ具合にしばらく眺めていたら、偶然目が合って
レ',ヘ.i`ム'」つ 「キモッ」とばかりに顔を背けられたそうよw。ちなみに
,く_,//T.iλ イナゾウ三等兵の「霊夢」のイメージは、『徒歩二分』の
"ーr_,t_ァ'" 全宇宙を見下すような少し陰気のカリスマ巫女さんですw。
586:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/02 16:03:15
>>579 >>斎藤瀏少将は事件の現場責任を取らされて「予備役編入」の憂き目
>>527 >>栗原:「お…おじさん、斬ります!!(怒)」
>>斎藤:「斬れ!! 斬ってしまえ、クリコ!!(怒)」
さて「済南事件」の顛末ですが、斎藤瀏旅団長ならびに上司の福田第6師団長は
事件の責任を取らされて予備役編入されてしまいます。福田彦助中将は、ロシア
大使館附武官補佐官やWW1ではロシア軍の観戦武官、シベリア出兵、ニコリスク
特務機関長などを歴任するなど「ソ連通」の典型的な軍人でしたが、「済南事件」に
関わってしまったばかりに、そのキャリアを終わらせてしまいました。運が悪い
としか言いようがありません。
斎藤瀏少将は、直接の現場責任者ですから「予備役編入」は仕方の無いことでしょう。
しかし問題は、その後です。「2・26事件」に大きく関わってきます―。
587:名無し三等兵
08/01/02 19:49:17
イナゾウ氏は「東方」がお好きのようですが、もし仮に「ハルヒ」とかにはまってたとしたら
「ただの支那兵には興味ありません」とか「俺、便衣萌えなんだ」とかナリキリしていたのでしょうか。
588:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/03 09:14:00 aw65Rmdv
>>586 >>しかし問題は、その後です。「2・26事件」に大きく関わってきます―。
新年元旦の発売日で『昭和維新の朝―二・二六事件と軍師斎藤瀏』(工藤美代子著、
日本経済新聞社)が出ているそうですが、「軍師・斎藤瀏」はチト言い過ぎではない
でしょうか?w 「指導者」ではなく、あくまで「アドバイザー」としての軍師なら
あるいはそうでしょうけど。
しかし斎藤瀏予備役少将が「2・26事件」に少なからず関わっていたのは事実です。
きっかけは決起将校のひとりである「栗原安秀」中尉が、自分の娘と幼馴染であり、
家族ぐるみの付き合いが元々あったからでしょう。あるいは斎藤瀏は、佐々木信綱
門下の歌人でしたから、その方面も何かあったかもしれません。
そして「済南事件」で予備役編入された恨み節も多少はあったでしょう。統制派に
人誅を喰らわせ、天皇親政の国家改造を果たすという計画に少なからぬシンパシーを
感じたかもしれません。もちろん、現役将官だったとしても「2・26事件」に助力しな
かった保証はありませんけれど―。しかし決起は、天皇の怒りを買い鎮圧されます。
589:元32(予備役少佐)
08/01/03 09:19:11
>>588
班長殿、早いですなあ。
正月はゆっくり休まれてください。
>工藤美代子
謎の近衛賞賛本を書いた人ですね。
590:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/03 09:41:18 aw65Rmdv
その結果、斎藤瀏は将官のなかで唯一「有罪判決」となり5年の禁固刑に
処されます。そればかりか、位階勲章・年金などを全て剥奪され、一家は
経済的にも苦しい生活に追い込まれます。斎藤家パニック!w ジリ貧から
わざわざドカ貧になったとしか言いようがありません。
このように軍人としては不運というか、ボタンをどこかで掛け間違えたような
斎藤少将ですが、多少なりとも名前が残っているのは、娘の斎藤史が現代短歌の
女流歌人だったからでしょう。決起将校の栗原安秀・坂井直中尉とは旭川時代
からの幼馴染であり、事件後の斎藤史は「2・26」を偲んだ短歌を多く世に
残しました。
さらに斎藤史は、三島由紀夫の『豊饒の海』の鬼頭槇子のモデルでもあります。
591:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/03 10:34:36 aw65Rmdv
>>527 >>栗原安秀:「お…おじさん、斬ります!!(怒)」
>>斎藤瀏:「斬れ!! 斬ってしまえ、クリコ!!(怒)」
斎藤家は、栗原安秀のことを「クリコ」と呼んでいました。栗原安秀が
大変な美形だったことは有名で、樋口季一郎中将も「女にして良いような
美青年」だと言っています。
てっきり「クリコ」は「栗子」なのかと思いきや、実は「栗公」とのこと。
「栗公らはやりましたか」
「やった」
家族も私(斎藤史)も栗原安秀を栗公(クリコ)と呼んでいた。
「行きますか」
「行く」
592:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/03 10:36:30 aw65Rmdv
ちなみに斎藤瀏は、存外に長生きして終戦後の1953年まで生きました。
娘の斎藤史が亡くなったのは2002年で、まだ最近のことです。
昭和の事件も視終へましたと
彼の世にて申し上げたき人ひとりある―(斎藤史)
There is one person
in the world that lies beyond
to whom I shall say:
“I have been a witness to
all the events of Showa"
日本文だけですと、「昭和の事件」が「2・26事件」だけに読めてしまうかも
しれませんが、英文を見ると「昭和という時代そのもの」だと分かります。そして
斎藤史の云う「申し上げたき人ひとり」が誰かは、言うまでもないことでしょう。
593:名無し三等兵
08/01/03 16:01:43 ReVki2ey
,..イ://:.:.:./:.:.:.: : :. :. ::.ヽ、
/-:ァ'.:./:.:.: ./.:/:/.::.:. .:... . :.:.:ト、
/´:.:.:/ ..:.:.:. /:./::/:.|:.:|::.l:.:.:.:. .:.:.:|:i:.:.:ヽ <オマエラ!正月から2ちゃんでカキコか?
/⌒/‐:::::7/.:.:.:. /.7ト从ハ.:ハ:|:.::.:l.:.:.:.:.|:!:.. .:ハ
/:.:. .:.:.:ト::::// :.:.:.:. |:/z‐ァ示ミlトl:{::l:.|::.:.:.:从|:..:: !l 友達とか彼女とか居ないのか?
|: : .:.:.::ハ:_|:l.:.:.:.:.:.:.:|ヘ トi::::小ヽl!ヽリ.:.:.ムリ:|.:.:.:|:|
|: .:.:::ハ:V_|:l:.::.:.: .:.:l:! 、辷ツ /::イ心Vj::|.: |:| サミシイやつらだな!!
| ..:.:.::|:V. r|:|.:::.:.:.:.:.|:{ ノ´ {i::リi}}リ:./:.:!
| .:.::.ハ{、 |:|:.:|:.:.:.:小! , `゙ l/:イ:.:リ 今年こそニートやめて、仕事しろ!!
!.:.:.:|:::: l:ト.}|!:.|::.:.:l:.| ヽ , 一'i /イ}|:./
|.:.:.:l!:::::l:| 小::l:::.::l:.| 廴.ノ /八リ/ 友達もできるし、彼女もできるっしょ!!
}:.:.:|!:::::|ハハヘト、: l:| ` /:: //
/.:.:ノ}::::ハ:::} ,ム.ヽⅥ{丶. .イ }:::::/′
_ム≦イ‐'‐ri´ | ヽ. ` ァ┬<::_|//:/_
,. ´ |! l| ! / |! ,/ /'j/ `ヽ、
/ |! l| 、 ノ′l| ′ ヽ
/ |! l| |! .lレ'´ .
594:名無し三等兵
08/01/03 16:12:01 09IBT/Er
>>593
いま中国的天空よんでまふ
595:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/03 21:43:55 aw65Rmdv
しかし、矢吹一夫の『昭和動乱私史』には2・26事件後、獄中の斎藤瀏
予備役少将について、以下のような記述があります。
私と同室していた『予備少将』が、隆々たる股間の一物を格子から突き出して、
「おい、憲兵っ」と大声で呼んだのである。われわれの室の前には、いつも
着剣軍装の二十二、三歳くらいであろうか、紅顔の憲兵が立っていたが―。
「はっ、何でありますか?」
と振り向いた鼻先へ『逞しい逸物』を、ぐいっと突き出しておいて、
「貴様あ、覚えがあろう。尻を持って来いっ」
と大喝したとたん、その青年憲兵は見る見る首筋まで真っ赤になって、下を向いて
しまったのには、三つの室から「どっ」と爆笑が沸いた。しかし、北(一輝)ひとりは
ニコリともせず、静かに「法華経」を読誦していたのが印象的であった―。
596:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/03 22:01:26 aw65Rmdv
矢吹一夫の記述を信じるならば、斎藤瀏は「男色家」の気があり、
何か「クリコ」や他の青年将校に対しても『お稚児さん』か『少年愛』の
対象としていやしないかと思わず邪推してしまいます(核藁)。
いやはや「腐女子」が喜びそうなエピソードです。先日のコミケの
歴史ジャンルでも「2・26事件」の本を女性陣がけっこう出されて
いてビックリです。栗原安秀のみならず中橋基明も大変な美形ですし。
597:名無し三等兵
08/01/03 22:23:32 n4w4bF1f
某陸軍ブログでも取り上げてた話ですね>斎藤少将の件
598:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/03 22:23:38
>>587 >>イナゾウ氏は「東方」がお好きのようですが、もし仮に
>>「ハルヒ」とかにはまってたとしたら
新刊は一体いつになったら出るんでしょうね?w 年が明けてしまいましたよ。
基本的にライトノベルは読んだら「ゴミ箱にぽい」なので、台詞を真似して
流用できるほど読み込むのは難しいです。「なのは」はDVDで観る時間が
本当にありませんのである意味、助かっています。いわば最後の一線ですw。
599:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/03 22:29:52
>>597 >>某陸軍ブログでも取り上げてた話ですね>斎藤少将の件
あ、参考文献は「近衛読書中隊」ねw。
600:楽園の素敵な巫女 博麗霊夢 ◆FU/OcfTlfM
08/01/03 22:46:22
>>587 >>もし仮に「ハルヒ」とかにはまってたとしたら
i^ヽry/`ヽ、
, '` ⌒ ゙`ヽ'
L(ノ八ノノLi〉
[]\ il、゚ヮ.゚[i.llλ 私だって一応、ポニーテールなのよ?
[][] \ ノi`ム´」,ヘリ ほらほらっw。
. [] [] 〈/i.Tヽヾ、_〉
.[][[] ゙''t_ァ_ァ‐゛
601:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/04 08:48:57
>>589 >>班長殿、早いですなあ。正月はゆっくり休まれてください。
>>工藤美代子 謎の近衛賞賛本を書いた人ですね。
まあ、仕事が始まったらどうなるか分かりませんし、書ける内に書いておこうかと。
松井ヒデキの『告白』を読みましたら、「この歳になって1日は24時間しかない
ことを強く意識するようになった」と書かれておりまして、全くその通りだなあと。
しかし12月下旬、無理したら胃腸風にやられまして却って効率が悪くなりましたw。
『われ巣鴨に出頭せず―近衛文麿と天皇』はレビューなどを見ると、おおむね
評価が高いですね。自分は未読ですけど。
>マッカーサーから憲法草案作成への協力まで要請されていた近衛がなぜ一転、
>戦犯になったのか。著者はその原因をマルクス主義者の都留重人とH・ノーマンが
>『木戸幸一の責任を軽くするため近衛を陥れた』とする推論を展開する。
「木戸幸一と近衛文麿との微妙な距離感」というのは興味深いですが、終戦工作以降に
スポットを当てれば、そりゃあ近衛の評価は上がるだろうさ、というのが第一印象w。
602:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/04 09:52:46 mnnfQ9V1
>>571 >>シナーって陰謀厨なのに民度が低いんでつね
今現在なら「民度が高い」とでも思っているんでしょうか、あなたはw。
>>574 >>この暴行事件は、佐々木の「支那観」を大きく揺さぶります。もちろん
>>『幻滅』の一言です。
そもそも近代化とは何でしょうか?―その重要な要素の1つとして「近代軍」の
成立が挙げられます。日本で云うなら明治維新を経て陸海軍の創設―要するに
『国民軍』の成立ですね。それでなくては単なる『私兵』であり、『軍閥』です。
昭和の日本陸軍で「第5師団(広島)は俺のモノだ」と抜かす馬鹿はもういません。
しかし当時の支那は、蒋介石の国民政府成立後も「軍隊は私物同然」であり、現代の
共産支那だってその残滓は残っているでしょう。
済南事件前後の『北伐』は、そのような近代的な「国民軍」を目指した国民革命軍の
試金石だった訳ですが……。少なくとも蒋介石の直系軍は、です。(続く)
603:名無し三等兵
08/01/04 11:20:16
>終戦工作以降にスポットを当てれば、そりゃあ近衛の評価は上がるだろうさ、というのが第一印象w。
反軍部の最右翼である松岡洋右を排除し、陸海軍部の言うとおりに南部仏印進駐やって石油禁輸を食ってれば世話はない。
その後で日米首脳会談とかもう馬鹿じゃねw
ホント何考えてたんだろう。
604:名無し三等兵
08/01/04 14:43:16
済南事件といったら、こんなネタがありましたね。
URLリンク(www.warbirds.jp)
605:徹夜無職年中正月夏休み
08/01/05 02:35:45
私がイナゾウの独立を保障しました
606:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/05 09:30:12 9YtkMlC2
>>594 >>いま中国的天空よんでまふ >>602 >>そもそも近代化とは何でしょうか?
『中国的天空』は支那空軍の近代化を考えるうえで、平易で理想的なテキストですね。
2月に後編が出るのを待ち遠しいと思っていましたが、いろいろ他にも読む本があり
まして、前編が読み終わらないかもw。
さて『中国的天空』の冒頭を読めばわかるとおり、支那の「近代軍」は清朝末期に
始まります。辛亥革命(1911)後はその遺産を各軍閥が「分け前」として持っていって
しまいますが、軍閥というのは「私軍」に他なりません。
支那軍の「近代化」はそこで事実上ストップしますが、空軍というのは「俺は
この航空機を何機もっている」と非常に分かりやすい『宣伝媒体』になります。
実際の戦力になるかはともかくとして、各軍閥は資金の許す範囲において、
徐々に機体を増やしていきます。これが支那空軍の過渡期にあたります。
607:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/05 10:02:09 9YtkMlC2
まあ、詳しくは後日予定している大テーマ『上海航空決戦外伝―中国的
天空を読む』でやりますが、空軍は海軍と同様に「技術」の固まりですね。
パイロットや整備員は少数精鋭で育成し、機体や部品その他のバックアップは
金にものを言わせるか、外国の援助に頼る。これで「前近代的」な支那軍でも
急速に戦力を整えて、国産兵器の縛りがある日本軍を一気呵成に打ち負かす
ことができると考えた。しかし、そもそもマトモな「空軍力」の建設は、
海軍のそれに匹敵する社会的インフラが必要不可欠だったのだ―。
というのが、前述の中テーマ「上海航空決戦」の結論でした。しかし
「陸軍の近代化」というのは、海空軍のように「見た目」で分かりやすい
ようにはいきません。まず陸戦の勝敗は、兵数・士気・指揮官の能力・地形・
兵器など様々なファクターが絡んできます。また兵士が受けた平均的な初等
教育も露骨に影響しますし、動員や徴兵といった社会システムも不可欠です。
608:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/05 10:22:33 9YtkMlC2
支那の場合、陸戦は「事前の切り崩し」でオセロゲームのように勢力が
逆転して、一方が戦わずして下野することも多かったのです。ですから、
近代陸軍の建設というのは、清朝のような国家単位ならともかく、軍閥
単位ではとてもモチベーションが湧かなかったでしょう。
それよりも単に兵員の頭数を増やすか、大砲や航空機などの見た目に分かり
やすい兵器を購入したほうが良かったのです。なぜなら、それは対抗勢力に
向けての『宣伝活動』だからです。『宣伝戦』といっても良いでしょう。
そして軍閥時代の近代陸軍の建設は、「黄埔軍官学校」を待たねばなりません。
もちろん蒋介石が校長を務めた、国民革命軍の士官養成学校です―。
(もう少し済南事件は続きますw)
609:ばばぼん♪ ◆gdH1Km1a0U
08/01/05 11:28:29
∩_,,∩
<=`∀´> 遅ればせながら、
~( ) 図書館でKO大出版会の「日中戦争の軍事的展開」を借りてきたニダ
し―-J
610:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/06 15:55:54 CDYhfasd
>>578 >>佐々木の屈折した心境も泣けますが、しかし、そこまでして
>>中国についていくだろうか。
さて「済南事件」をもう少し続けましょう。第2次北伐時(1928年4月~)、佐々木
到一は、蒋介石率いる「国民革命軍総司令部」に従軍を希望して、許可されました。
佐々木は、「国民党がいずれ支那全土を支配するだろう」と確信していましたので、
その国民党軍と日本軍の精神的パイプ役となることを自分の責務だと考えました。また
革命軍が本当に近代的な『国民軍』へと変わり、日本と手を結ぶに足る相手かどうか?、
この目で確認するために北伐への従軍を望んだと云います(『支那内争従軍記』)。
蒋介石は、佐々木に「作戦面での助言を求めたい」と述べましたが、多分にリップ・
サービスでしょう。北伐での最終局面では、日本軍との衝突が大いに予想されました
ので、佐々木に求められたのは連絡役としての『保険』であり、極端な話、『人質』に
近いものがあります。当然のことながら、佐々木には作戦に関わるような軍事情報は余り
公開されず、従軍中、日本本国との連絡も婉曲に拒否されました(スパイ行為の防止)。
611:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/06 16:34:26 CDYhfasd
>>608 >>軍閥時代の近代陸軍の建設は、「黄埔軍官学校」を待たねばなり
>>ません。もちろん蒋介石が校長を務めた、国民革命軍の士官養成学校です。
北伐当時の「国民革命軍」の実態はどんなだったでしょうか。蒋介石直系の
第1集団軍を見ると、総参謀長に楊杰(ようけつ)、参謀副長に熊式輝など
日本の陸士・陸大留学者が少なくありませんでした。
(再確認ですが、第1集団軍=蒋介石、第2集団軍=馮玉祥、第3集団軍=閻錫山、
第4集団軍=李宗仁、となります)
佐々木の回想では、「(第1集団軍は)日本軍と比較して、組織の能率や戦術
レベルでは近代軍として至らない部分が多いが、軍紀は意外に厳粛で、掠奪・
強姦を見かけたことがなかった」と云います。
しかし、別宮翁の「第1次大戦」(済南事件の論争点)などを読みますと、
「済南事件の武力衝突は、蒋介石の略奪命令による計画的犯罪」とありますw。
612:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/06 16:52:42 CDYhfasd
佐々木の証言は、現場を見聞きした「第1次当事者」のものですが、当然の
ことながら自己弁護や、都合のよい意図的なミスリーディング(誤誘導)、
あるいは無意識の希望(こうであったら良かったのに)も含まれますから、
そのまま鵜呑みにする訳にもいきません。別宮翁の挙げる地図などを見ると、
>>5月3日11時ごろの済南商阜地の情況をみれば、『国府第1集団軍』の済南に
>>宿営した部隊がほぼ総力あげて、商阜地の日本軍守備線内地区(青斜線内)に
>>向っていることがわかる。
東西に分かれてしまった日本軍の警備区(領事館がある地域と、邦人が密集
する地域)が、革命軍による包囲殲滅(それも蒋介石直系の『第1集団軍』で
あることに注意)の意図に晒されていることが、ありありと見て取れます。
613:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/06 17:12:59 CDYhfasd
また「済南事件」の写真も挙げられおり、
>>白昼堂々、済南商阜地(※日本人居留区)を略奪する国府中央軍兵士。
>>明らかに集団で行われている。手前で小銃をもつ士官が見張っている
>>ことに注意。
サンタクロースではありませんがw、白の大きなズタ袋を肩から背中に
下げている支那兵を見ると、とても佐々木の言うことを全て鵜呑みには
できないでしょう。無論、別宮翁が電波を発している可能性もありますがw。
ただ別宮翁の論点で面白いのは、「蒋介石が『略奪命令』を出した」と
する点で、こう考えますと革命軍の軍紀もクソも関係ないことになります。
親玉が「略奪しても良い、むしろやれ」と命令している訳ですから、むしろ
兵たちはそれに従う方が軍紀的に正しい訳ですw。
スターリンによる満州やベルリンのソ連軍ではありませんが、親玉のキャラ
クターにも大きく左右されます。済南の日本軍はよほど侮られたのでしょう。
614:名無し三等兵
08/01/07 21:17:52
南京に抗日航空記念館 新たな反日教育の拠点に (産経新聞)
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
新華社電によると、南京市は5日までに、抗日戦争中に戦死した国民党や旧ソ連、米軍などのパイロットを記念する
「南京抗日航空記念館」を建設すると発表した。
今年4月に着工する。同市では旧日本軍の南京占領から70周年の先月13日、
大幅拡張した「南京大虐殺記念館」が再オープンしたばかり。新たな抗日記念館建設で、反日教育の強化が懸念される。
新記念館は孫文の墓地「中山陵」などがある紫金山の北側に建設される予定。
延べ床面積は2200平方メートルで4つの展示室を設置。屋外展示場には抗日戦当時の航空機の残骸や航空烈士の像を展示する。
南京市政府は、すでに建設されている南京航空烈士共同墓地、
同記念碑と合わせて「南京抗日航空烈士の国際的な聖地にする」と説明。
建設総額は2000万元(約3億円)と見込まれており、江蘇省と同市が建設資金を負担するが、
すでに世界各国から214万元(約3210万円)の寄付金と、展示物として史料など300点以上が集まっている。
------------------------------------------------------------------------------------------
サンケイ脳としか言いようがない。
615:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/07 22:52:27 R40anBDb
>>603 >>その後で日米首脳会談とかもう馬鹿じゃねw ホント何考えてたんだろう。
兵頭軍師の新刊『日本の戦争Q&A』はある意味、徹頭徹尾「海軍批判の本」でも
ありますが、支那事変直後に近衛首相が「宣戦布告」を出来なかったのも、航空
ガソリンの輸入が困難になることを怖れた海軍の横槍であると指摘しています。
ただ陸軍は「重爆の開発」に失敗して、長距離(戦略)爆撃は海軍に頼らざるを
得ませんでしたから、陸軍もその点だらしがないでしょう。
2・26事件直後、最初に大命降下したのは近衛文麿でしたが(西園寺公望の推薦)
健康の問題を理由に断っています。貧乏くじというか、尻拭いをさせられるのを
嫌がった訳です。土壇場での近衛の「投げ出し癖」も含めると、肝心なところで
ふんばらず、手遅れになってからジェスチャー的に頑張っている感があります。
要するに、近衛文麿は「安全圏」あるいは自分の所業で状況が極限まで悪化した
「ダメ元」でないと何事もできない人物なのです。終戦工作はまさにそれです。
616:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/07 23:07:19 R40anBDb
>>604 >>済南事件といったら、こんなネタがありましたね。
「甲冑将校」ですか…。写真のインパクトが強すぎですね。まあ、下手したら
「100人斬り」のように話が一人歩きしますから、『椿事』で済んで良かった
じゃないですかw。ただ一緒に戦っている人間がひとり、鎧を身につけていたら
他の兵士の士気は下がるか、怖気づくのではと思います。
617:楽園の素敵な巫女 博麗霊夢 ◆FU/OcfTlfM
08/01/07 23:20:44
>>605 >>私がイナゾウの独立を保障しました
.「^ヽ,ry'^i ♪ ______
,ゝ"´ ⌒`ヽ | | ̄ ̄\ \
くi Lノノハノ)」 .| | | ̄ ̄|
λ.[i ゚ ヮ゚ノi! | | |__| ついで経済的にも
レ',ヘ.i`ム'」つ . |_|__/ / 保障して欲しいわね。
,ノ⌒,く_,//つつ| ̄ ̄ ̄ ̄ | 〔 ̄ ̄〕
`'ー´ ( ̄| ̄
618:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/08 00:00:59
さて「済南事件」の顛末ですが、支那兵のリンチにあった佐々木到一はその後
どうなったでしょうか。直後に見舞いに訪れた蒋介石からは「日本軍との提携の
望みは無くなった」と不信の念を表明されて、散々な末路です。
さらに残酷なのは、済南から療養のため日本に帰任して再び南京に戻ると
(佐々木はそもそも参本附仰付で南京駐在)もはや支那側から佐々木への
接触を断ったことです。国民政府や革命軍総司令部ともほとんど没交渉と
なり、日本軍の回し者として無視されたのです。のちに佐々木は、
「済南事件に直面して、予の夢が完全に破れた。広東時代の予はただ若かった
ことを自覚せねばならぬ」と幻滅と失望をあらわにしています。
619:名無し三等兵
08/01/08 02:07:20
ていうかこの人って、てめえの国が侵略した相手と仲良くなれると本気で思ってたのか。凄いな。
勝手に期待して、偉そうに啓蒙しようとして、あげく勝手に幻滅って…(汗
軍人の本分を越えてるとかいうレベルの問題じゃないですね。
ていうかこんな人の気持が分からん連中だからこそ、よその国を踏みにじっても
平然としていられたんだろうなぁ。
今の中国はあまり好きじゃないが、当時の中国の人には本気で同情します。
620:名無し三等兵
08/01/08 15:34:20 4pI+XV22
松岡洋右ってよく分からん。
三国同盟締結や日ソ不可侵条約のお膳立てしたことを考えれば対米強硬派だが、
陸海軍の南方進出にことごとく反対したところを見ると融和派にも見える。
621:元32(予備役少佐)
08/01/08 15:42:46
>>619
中国と国民党と孫文と蒋介石と日本人の革命同志のあいだには、
いろいろ複雑な関係があるので、国単位で区分して、
簡単に決めつけるようなことはいえないのです。
日本人同志の尽力がなくては初期の国民党はありえないので。
松井石根も佐々木到一も国民党の功労者なところに歴史の皮肉があります。
済南事件当時の日本がもう中国を侵略していたかどうかも問題。
そもそも孫文は満州を中国と思っていないので、
日本が占領しようが国を作ろうがかまわないのです。
それが蒋介石の時代になって、次第に変化するのですが。
622:名無し三等兵
08/01/08 18:11:12 KmkuFplA
ホラーより怖い中国の実態
★1 URLリンク(jp.youtube.com)
★2 URLリンク(jp.youtube.com)
★3 URLリンク(jp.youtube.com)
★4 URLリンク(jp.youtube.com)
売国メディアの親中番組を信用するな。
623:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/08 23:24:44 nYK+tqmy
>>620 >>松岡洋右ってよく分からん。三国同盟締結や日ソ不可侵条約のお膳立て
>>したことを考えれば対米強硬派だが、陸海軍の南方進出にことごとく反対した
>>ところを見ると融和派にも見える。
要するに松岡洋右は、「ひたすら掛け金のチップを積み上げて米国を屈服させる」
ことを目指していただけで、当たって砕けろ的に米国と戦争することは考えて
いなかったのです。いわば徹底的なブラフです。たとえ手で勝てなくても口で勝て。
松岡は、日独伊三国同盟にソ連を加えて「四国同盟」とし、米国に圧力を加える
ことで大東亜共栄圏から手を引かせるという自分の構想に酔っていました。
しかし独ソ戦が始まると状況は一変します。松岡は、日本が独ソと連携し更に
英国が脱落した場合にのみ、アメリカを抑止できると見積もっていましたので、
その大条件が崩れた以上、日本の南部仏印進駐はいたずらに英米を敵に回して
亡国の道へとひた走ります。もはやバトル・オブ・ブリテン(1940年7月~1941年
5月)がドイツの失敗に終わった時点で、英国の屈服は怪しくなりました。独ソ戦の
開始は1941年6月です。そして日本の南部仏印進駐は1941年7月です―。
624:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/08 23:47:13 nYK+tqmy
>>619 >>ていうかこの人って、てめえの国が侵略した相手と仲良くなれると
>>本気で思ってたのか。凄いな。
この辺は背景を説明するのが難しいですね。例えば、日本が幕末維新に失敗して
「内乱状態」となったとしたらどうでしょうか? 史実の徳川慶喜や勝海舟が異常に
あっさりと手を上げてしてしまったのは、戊辰戦争が長引くと欧米列強の介入を
招いて「亡国の道」に他ならないとの高度な政治的判断が働いたためです。
それ以前に薩摩や長州が、英米仏露の武力を頼みにして徳川幕府を倒そうなどと
考えていたら、その見返りとして日本のどこを租借地として切り取られていたか
知れたものではありません。もちろん史実の薩長の指導者は、それがとんでもない
愚行であると判断が付くだけの理性がありました。
支那はその真逆です。「夷をもって夷を制する」という発想自体が致命的です。
625:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/09 00:23:10 Fi5ysRLj
>>624 >>支那はその真逆です。「夷をもって夷を制する」という発想自体が致命的です。
例えば、日露戦争後にアメリカの鉄道王ハリマンが、南満州鉄道の共同経営を
日本に持ちかけてきました。史実の日本はハリマンの申し出を反古にしましたが、
後世その点がよく批判の槍玉に挙げられます。しかし、満州にアメリカ資本の手が
伸びたとすれば、必ずや支那はアメリカと結託することで、より弱者である日本を
大陸から叩き出したことでしょう。下手すると日米戦争が早まったかもしれません。
まさに「夷をもって夷を制する」ですが、どちらかの「夷」はいつまでも経っても
残ります。エンドレス・ワルツです。まあ、何が言いたかったと云えば、当時の
支那は「虫食い状態」が当たり前であり、日本も含めた欧米列強の草刈場だった
ということです。もはや「分割統治」と言っても良いかもしれません。
佐々木到一ら一部の「新」支那通が考えたことは、そんな『可哀相な』支那が
国家統一を目指す近代革命に共感し、また支援し、いずれは新しい支那と日本が
手を取り合って結ぼうというものでした―。
626:名無し三等兵
08/01/09 00:26:16 reOczRnE
でも最後は「玉音放送」の末に日本軍降伏だろ・・・。
627:名無し三等兵
08/01/09 00:33:07
>>625
その発想、それ自体は悪くないと思うんですけどねええ。
一体上手く行く途というものはあったのかなかったのか・・・・
628:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/09 00:41:59 Fi5ysRLj
>>619 >>ていうかこんな人の気持が分からん連中だからこそ、
もちろん佐々木到一の考えは、当時の陸軍の少数派であり(というか
支那通軍人としても少数派)多くの批判を浴びせられていました。
佐々木は「国民党にかぶれた」と馬鹿にされ、1924年当時、支那課の
兵要地誌班長だった頃(少佐)には、軍務局長だった小磯国昭から
「ササキイ、(国民)革命はまだかね?」と揶揄されたりもします。
要するに、当時の支那通では「支那なんて永久に統一されることなく、
分割統治されていれば良い」「支那の国家統一なんて不可能である」
という考え方が主流でした。そのような中で、孫文を『先生』と呼び
身内からも批判された佐々木は、よほど進歩的であり「人の気持ちが
わかる連中」だったでしょう。
629:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/09 01:00:35 Fi5ysRLj
>>619 >>勝手に期待して、偉そうに啓蒙しようとして、あげく勝手に
>>幻滅って 軍人の本分を越えてるとかいうレベルの問題じゃないですね
それが「支那通」クオリティです。
>>627 >>一体上手く行く途というものはあったのかなかったのか・・・・
ありません。結局、支那の革命はそれまでの欧米日の利権を武力で
「強制回収」しようというものでした。地理的な隔絶で、アメリカや
イギリスが泣き寝入り、あるいは自ら利権を放棄することを表明した方が
後々メリットがある、などという考えに至ったのとは対照的に、日本は
隣国であまりに近すぎました。武力介入は容易です。文句があるなら
やってやれと。
630:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/09 01:18:55 Fi5ysRLj
日本は不平等条約の改正にも、涙ぐましい努力で時間をかけて列強と
交渉で解決しました。
しかし日本の不平等条約といってもタカがしれていますので、租借など
莫大な負債を背負わされた支那は、「交渉」で解決しようとすれば100年
あってもまるで時間が足りないでしょう。
後の蒋介石の国民政府にもいえますが、あまりに支那の社会制度が
前近代的であったために、そこから一足飛びに近代化しようとして
色んなところに無理が出てきます。利権の武力回収なんてその典型
です。
そして相手は「侵略国」なのだから、武力で不平等条約をご破算にしても
文句あるか?と考えるかどうかが、近代国家としての別れ目でもあります。
631:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/09 01:25:07
あ、>>629-630 は、1930年ごろまでの話ね。満州事変以降は、まったく
状況が変わってくるから。
今日はなんか「殴り書き」もいいところでしたw。
632:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/09 01:31:48
>>625 >>佐々木到一ら一部の「新」支那通が考えたことは、そんな『可哀相な』
>>支那が国家統一を目指す近代革命に共感し、また支援し、いずれは新しい支那と
>>日本が手を取り合って結ぼうというものでした―。
しかし結果、佐々木が受けたのはリンチです。
633:名無し三等兵
08/01/09 04:47:02
>>629
その通りですね。>武力回収
それが流れであるなら、日本は戦略的撤退をしたらよかった。
少なくとも満州で止めておけば大けがはしなかったでしょうね。
返す返すも戦略眼がないのは大問題です。
ただ怪我の功名でアジアの植民地解放が付いてきたってことだけが救い。
634:名無し三等兵
08/01/09 05:01:23 /gOGyZ3V
>>623
>松岡は、日独伊三国同盟にソ連を加えて「四国同盟」とし、米国に圧力を加える
>ことで大東亜共栄圏から手を引かせるという自分の構想に酔っていました。
アメリカと仲良く手を組むこともできず、
アメリカに屈服もできず、
かといってアメリカとの戦争も回避したいとくれば、
やっぱり松岡構想になってしまうような気もするけどな。
まああんたの言うとおり破綻したわけが。
635:名無し三等兵
08/01/09 05:04:45
>少なくとも満州で止めておけば大けがはしなかったでしょうね。
我らが蒋介石総統の主張によれば、
満州及び台湾は支那の正当な領土ということになっており、
いずれ取り返すつもりなのだが。
636:名無し三等兵
08/01/09 19:56:41 XxbXWg3I
モッチとケボに大量に焼き殺された日本兵の多さに爆笑
637:名無し三等兵
08/01/09 21:27:55
>>636
日本軍が昆明に侵攻できなかったのはそのケボ&モッチやワンワンとか
ストレッチマンや歌のお姉さんとかが頑強に抵抗してたからだぞ。
彼らに手間取ってるところをアメリカに突かれて日本は負けた。
638:名無し三等兵
08/01/09 22:35:17
. /::::::::::::::::::::::::::::::::i:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ
i::::::::::::::::::::::::|::::::::ハ::::::|::::::::::::!:::::::::::::::::::::::::::::}
|::::::::::::::イ|::::ハ:::::/. |:::::|、::::::::::|:::::::|::::|:::::::::::i:::|
|i::::::::::::! ||:::i‐|:::ト i::::::| ヽ-::├:::::|、::|:::::::::::|::|
||::::::、:::|´||/__|/ \i. \_|\:|、:::|::::::::::|::| <アメリカ軍の戦死者29万2千人に対して、(対日対独)
〉::.:::::|、|,,イテ心 r"テミ、ヽY:::::::::::|::|
i:::::::::|i. 弋zン 弋z__ソ" |::::::i:::::|::| 日本軍230万人。民間人80万人は明らかに
|::|::::.ト|  ̄  ̄ /::::::|:::::|::|
|::|:::::|_| xx 、 xxx /|::::::|:::::|:::| 「日本軍はメッサ弱かった!!」ってことですよねwww
. !:|:::::|::ハ ,'-|::::::|:::::i:::}
||::||:|:::::::ヽ、 ー‐ , イ:::/:::::::i::::::/ なにせ、合計310万人以上も戦死して、
ヽi|ト|:::」|_:::|ヽ , <___|_/|:::::/::::/
|_|iー‐‐| >- ' ./ |:::/::::/ 対日対独で、約半分としたら15万人。
r=ニ=-、、_/ ト、 |_/ ̄
| ̄ ̄ "' 、,_ |、 ヽ、_ 桁違いのワンサイドゲームですわねwwww
| ヽ ヽ, }:::| ヽ "'ヽ、
/ ̄ ̄ ̄ "' 、 \y:::::| _| /ヽ \ これで、本土決戦?? アホですわねwww
/ /ヽ\ \/ | | ̄ └‐,.\
. / l ̄Y ) \. / ヽ| o。 / ヽ
/ 、ヽ| o  ̄ヽ \ / /| y、 ヽ }
639:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/09 23:35:33
>>629 >>日本は隣国であまりに近すぎました。武力介入は容易です。
>>文句があるならやってやれと。
それこそが「山東出兵」であり「済南事件」な訳です。
>>少なくとも満州で止めておけば大けがはしなかったでしょうね。
まあ「北支分治工作」については、いずれやります。
640:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/09 23:50:38
>>634 >>かといってアメリカとの戦争も回避したいとくれば、
>>やっぱり松岡構想になってしまうような気もするけどな。
とっとと支那事変で『宣戦布告』した方が良かったかもしれませんけどね。
ドイツに和平工作を依頼するよりも、早めにアメリカの介入を招いた方が
結果としてすんなり足抜けできたかも。また何気に1939年2月の海南島
占領(海軍の強い要望)がアメリカの心証を悪化させています。
>>633 >>ただ怪我の功名でアジアの植民地解放が付いてきたってことだけが救い。
仰るとおり、まさに「怪我の功名」です。
641:楽園の素敵な巫女 博麗霊夢 ◆FU/OcfTlfM
08/01/10 00:00:24
>>637 >>そのケボ&モッチやワンワンとかストレッチマンや歌のお姉さんとかが
.「^ヽ,ry'^i
,ゝ"´ ⌒`ヽ ♪
くi Lノノハノ)」
λ[i ゚ ヮ゚ノi! お尻かじり虫~♪ かじってかじって、かじってなんぼ♪
レ|Y(つ旦)
く_,//つつ
642:イナゾウ一等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/10 00:22:03 G4EW+s0x
>>619 >>ていうかこの人って、てめえの国が侵略した相手と仲良くなれると
>>本気で思ってたのか。凄いな。
佐々木到一が登場して以来、『済南事件』から全く話が進んでいかず
収拾がつかなくなりましたw。しかし、とてつもなく濃い人物なので
一体どこまで取り上げるべきか匙加減が難しい……。
まあ、佐々木到一は支那の『国民革命』に共感していた訳ですが、もっとも
基本的な目標は「国家統一」にあると理解していました。佐々木は陸軍の軍人
なので、支那がそれを実現するためには、軍隊の改造(近代軍の成立)こそが
先決であると信じていたのです―。
そして支那が目指す国家統一を妨げ、また「近代軍の対極」にあるものとして
『軍閥』を非常に敵視しておりました。佐々木の軍閥観は以下の様なものです。
643:イナゾウ一等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/10 00:36:56 G4EW+s0x
●「軍閥は、各々その権勢の争奪、地盤の獲得に熱中して、国家を忘れ、私利私欲
以外、外国利民福を思わないために、支那の内乱は終息する日なく、その統一は
何れの日にも期することが出来ないのである。この意味において、支那の軍閥は
『支那の統一を妨げる有害無益なる武力集団』である」
ちょっと文章が硬いですが、佐々木の軍閥観を一番「マトモ」に表しています。
あとはもう読んでみて下さいとしか言えませんw。
●「支那の兵は、社会の落伍者を集めたものである」●「こうまで堕落しきった
乞食、悪漢、博徒、スリの群れを軍隊の名によって呼ぶことは余りに勿体無い
気がする」●「私欲を軍紀に代えて、辛うじて団結と統制を維持する戦争苦力の
烏合集団」●「戦陣の間に身命を賭せしむるものは軍紀ではない。一にも銭、二にも
銭である」●「彼らは軍服を付けた匪」●「掠奪、強姦は不可分の関係にある」
以上はすべて、佐々木の『軍閥観』です―。
644:イナゾウ一等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/10 00:52:03 G4EW+s0x
そして軍閥を解体し、国家本位の精神教育を兵士に施して『私兵』である
ことを辞めさせ、中央政府の統制に絶対服従する近代軍に改造しなければ、
中国は滅びてしまうと佐々木は絶叫します―。(以下、要所抜粋)
●「現状をもってすれば、支那の将来は亡国あるのみである。腐敗せるものは
軍閥に止まらず、支那の全社会にわたり滔々として皆腐敗して居るのである。
支那統一は不可能であるか? しかり、近く統一を予期することは出来ない。
ただ望むところは、支那人の腐敗である。腐敗作用はこれを促進すべし―。
腐敗の促進と共に『浄化作用』は有効となる。腐れ! 蛆虫の涌くまで腐れ!
支那の運命は、腐敗の極点にまで達すべきものである。臭気紛々たる腐敗の
うちより、何者か現ざれば支那は滅亡のみ―」
これこそ佐々木の真骨頂でしょう。この激情と思い込み、支那通軍人の鑑です。
645:イナゾウ一等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/10 00:58:31
>>644 >>支那の運命は、腐敗の極点にまで達すべきものである。
>>臭気紛々たる腐敗のうちより、何者か現ざれば支那は滅亡のみ」
関西に、松下幸之助のような大人物が忽然と現れるようなものだと
思ってください。
646:イナゾウ一等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/10 01:19:50 G4EW+s0x
>>609 >>遅ればせながら、図書館でKO大出版会の「日中戦争の軍事的展開」を
>>借りてきたニダ
このスレでも大変お世話になっている良書です。『ディスティニーガンダム』
ぐらいの破壊力はあります。第11章の「北ビルマ・雲南作戦と日中戦争」は
これを参考にして本格的にいつか取り上げたいですね。
それにしても今日、草思社が倒産したと聞いてビックリしました。どうせ
潰れるなら幻冬社が潰れればいいのに……。昨今の出版業界は、新書しか
売れませんので(空前の新書ブーム)、単行本しか作らない草思社は
壊滅的状況だったのでしょうねえ。
あと全く関係ありませんが、西安事件で『24』をやって下さいと以前要望を
受けたのですが、よくよく調べて考えてみると、済南事件の方が『24』に
合っています。佐々木到一が、ジャック・バウアー役ということで(核藁)。
647:ばばぼん♪ ◆gdH1Km1a0U
08/01/10 01:41:44
》 草思社が倒産したと聞いてビックリしました。
ワタシもさっき、ビジネスN板見ててびっくりしました。
「間違いだらけのクルマ選び」の徳大寺が脳溢血で原稿書けなくなったこともマイナス要因だったかも。
》 新書しか売れませんので
ぶっちゃけワタシは元々は雑誌編集だったので……⊂⌒~⊃。Д。)⊃
》 「日中戦争の軍事的展開」
個人的には第1~2, 9章あたりが興味深い感じでしょうか。
648:ばばぼん♪ ◆gdH1Km1a0U
08/01/10 01:45:56
失礼、徳大寺有恒がかかったのは脳梗塞でした。
649:名無し三等兵
08/01/10 01:47:00
>>640
なんというか、松岡が辣腕を振るいはじめる前から、無体というか手詰まりな状況になっているような。
ノモンハンでソ連にボコボコにされ、国民党とは実質戦争状態、米英との関係は悪化の一途…。
どう考えても終わっている。
そもそも、この時期に外務省本流の連中は一体何をやっていたのだろうか。
650:イナゾウ一等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/11 00:08:06
>>647 >>ぶっちゃけワタシは元々は雑誌編集だったので……⊂⌒~⊃。Д。)⊃
そのAA面白いですね、他で使わせていただきまふ。草思社はせっかく財産となる
ベストセラーを沢山もっているのに、「草思社」文庫も作りませんでしたからね。
経営者の方針でしょうが、もったいないお化けが出てきそうです。
「文庫の値段なら買いたい」という読者は大勢いたでしょうに。特に草思社の
コンテンツだと。あの微妙なウェッジでさえ文庫を出すぐらいなのに…というか、
「ウェッジなんかは種本があるのか?」と小一時間…w。
今の出版業界は、ベストセラーさえ出せば一極集中―ウハウハの現金を刷っている
ようなもので「業界全体の不振」なんてどこ吹く風になるのですが、その肝心のベスト
セラーが出ないとひたすら悲惨ですw。
651:第九代阿礼乙女・稗田阿求 ◆FU/OcfTlfM
08/01/11 00:18:43
_......_
, ´ <*y
i,(i ノノハ)_)
ノ_iパ ヮ゚ノハ イナゾウさん、あともう少しですからね。
_φi'_ソノj,⊂)__
/ /三/ /|
.| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| .| ……⊂⌒~⊃。Д。)⊃
.|稗田 阿求|/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
652:イナゾウ一等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/11 00:31:07
>>645 >>関西に、松下幸之助のような大人物が忽然と現れるようなものだと
>>思ってください。
と書きましたら、「松下電器産業」の名前が無くなってしまいました。
社名変更で「Panasonic 株式会社」……。激しく違和感があります。
昨日は、虫の予感でしたか。
653:翡翠(星砂) ◆X9uEcr1WoA
08/01/11 01:56:11 cifp5fL+
>松岡洋右ってよく分からん。
とりあえず、豪腕政治家に良くいるタイプで、
暴走しすぎて失敗するタイプかしら。
まだ40台にならない 岸(後の首相)に対し、
岸の年齢の若さを羨ましがっていますね。
俺があと20若かったら、日本を一新できるのに残念だ、
そんな感じ。
良くも悪くも猪突猛進タイプですね。はい。
当時の日本には
最悪の目が出てしまった訳ですが。
まあ、当時の日本の人材の払底でしょう。
誰も彼も軍部や暗殺に怯えてしまうような状態では、
人材の払底も糞もないのですが。
無責任日本、ここに極まれり、と。
654:俄将軍
08/01/11 02:28:09
>>653
>まあ、当時の日本の人材の払底でしょう。
>誰も彼も軍部や暗殺に怯えてしまうような状態では、
>人材の払底も糞もないのですが
21世紀の現在も、何の変わりもないどころか、「スキャンダル」「事故」「自殺」など、現
状は、悪化している、ということもあるのか、などと、何の根拠もないままに書き散らして
みたり。
655:俄将軍
08/01/11 02:28:48
>>654
「ブラックメール」が抜けていた、ということになるのか、などと。
656:翡翠(星砂) ◆X9uEcr1WoA
08/01/11 02:36:57 cifp5fL+
>21世紀の現在も、何の変わりもないどころか
アイゴー (TT)
いや、悪い人ではないんですけれどね。洋右さん。
おそらく、幕末に生まれたら幸せだった方。
それも洋右さんが尊敬している吉田松陰さんの下であったのなら。
今のセンセ達はどんなでしょうね。
濱口雄幸さんか貫太郎さんの下なら幸せなのかもですが・・・
日中戦争スレなので、これくらいで・・m()m
657:俄将軍
08/01/11 03:00:51
>>656
帝国議会の成立も、薩長政府との対立、ということになると、衆議院の中の人など、二世三世
といった世襲議員の誕生など、ということになるのか、国会の開催機関などからすれば、英
国の議会政治などとは、似ても似つかぬのは、戦前から、ということにあるのか、などと、
適当な思いつきなど書き散らしてみたり。
戦前の政党政治も、官僚政治家、党人政治家など、ということになるのか、政党の後ろ盾の財
閥など、ということになるのか、などと、思いつくままに書き散らしてみたり。
658:名無し三等兵
08/01/11 13:27:56
>>653
>当時の日本には最悪の目が出てしまった訳ですが。
本当に最悪なのは、まったく孤立した状態のまま、ソ連中国と喧嘩しながら対米英戦をはじめることだろ。
つまり、1930年代の外交関係がそのまま敵対関係に移行すること。
659:名無し三等兵
08/01/11 13:41:42
>>653
>まあ、当時の日本の人材の払底でしょう。
外務に関して言えばそこそこ人材は揃ってると思うが。
吉田、佐藤、鈴木、幣原、東郷、重光、加瀬とか。
660:法務大尉
08/01/11 18:19:22 KJ7LB83B
下總の法華經寺へ初詣に行つたら、境内に蒋介石總統の銅像が聳えてゐた。
勿論、拜禮して來た。
661:元32(予備役少佐)
08/01/11 19:25:34
>>659
吉田は松岡の大親友で二人の絆には説明不可能なものがあります。
加瀬は松岡の秘書もしていたでしょうか。
ちなみに松岡の評価で当時最高の日本人外交官は斉藤博さんと思います。
ただ、普通の方法で当時の外交的窮地は離脱できないので、
松岡の行動そのものは理解できます。
松岡はそもそも顧維均と英語の議論で対抗できる唯一の日本人として、
国際会議などで活躍して脚光を浴びるのですが、
もっと早く、できれば満州事変前に外交を指導したかったのが、
松岡の本音ではないでしょうか。
662:名無し三等兵
08/01/12 01:26:04 cLifoQn9
ホラーより怖い中国の現実
★1 URLリンク(jp.youtube.com)
★2 URLリンク(jp.youtube.com)
★3 URLリンク(jp.youtube.com)
★4 URLリンク(jp.youtube.com)
どーみてもゴキブリより酷い支那人
663:名無し三等兵
08/01/12 04:14:35
ゴキブリに失礼ですぞ。
664:イナゾウ一等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/12 09:36:55
>>646 >>佐々木到一が、ジャック・バウアー役ということで(核藁)。
さて「済南事件」後の佐々木到一ですが、まだまだ受難は続きます。革命軍に
リンチに遭ったのが5月3日、その2日後には上海経由で本国に帰朝するよう
呼び戻されます。もちろん状況報告のためです。
東京に着いて参謀本部に顔を出したはいいが、いきなり後輩から新聞記事を
突きつけられました。そこには●「許されるなら再び南京に戻って革命軍の
ために尽くしたい」という佐々木の談話が載っていたのです。もちろん、
身に覚えはありません。
東京に戻る途中、新聞記者のインタビューに対して「何も話すことはない」と
答えただけなのに、勝手に記事を捏造されてしまったのです。週刊誌のような
話ですが、「佐々木ならそのぐらいのことは喋ってもおかしくない」という
周囲の無責任な期待があったのも問題でした。
665:イナゾウ一等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/12 10:00:34
当時の白川義則陸相からは当然、「余計なことをしおって!」と佐々木は詰問を
受けました。さらに東京の新聞社幹部に対して、陸相官邸で「済南事件」の概要を
レクチャーしたところ、事件の原因を支那側の非行だけに求めず中立的に論じたのが、
またもや陸相の勘気に触って「いらんことを言い過ぎる!」と怒りを買いました。
また別の機会に、新聞社に請われて講演を行なったところ、「革命軍の肩をもつとは
けしからん」と暴力団に凄まれ、「暴行を受けながら仇も取らず、おめおめと生きて
戻ってくるとは腰抜けめ!」と罵倒する差出人不明の手紙も舞い込みます。
軍人がもっとも嫌う「卑怯者、臆病者、売国奴」扱いですが、佐々木の回想では
●「縁の下の力持ちが踏んだり蹴ったりにされた挙句、縁の下から這い出るところを
またもや頭上に放尿されたような体たらくであった」とあります。
革命軍にも裏切られ、日本国内にも味方がいない、という余りに悲惨な状況です。
陸相に目をつけられた佐々木は、伊豆に転地療養を命じられます。「頭を冷やせ」
という訳ですが、もはや「病人」「何をしでかすか分からない人」扱いですw。
666:名無し三等兵
08/01/12 11:57:18
- ニ二 ニ ‐-
,ィ ´ ̄  ̄` .` 、
〃 l ` 、 、
| ,. - ─ - . ヽ!
', / ☆ `ヽ l
∨r========、、 ヾ ノ
( ─------─ ヽ )'
l _,.ェァ .' ;:..rェt.、 ノノ
r ! ,:' ' . ,rヘ
| l! ー--‐、 )/
ヽ _-_-__ レ <ここは私が支配する
ヽ '´ー-‐ ` ,.ィ
` . ,. ヽ
i ー一 ィ´ ハ
ト、 ´ ゝ ._
_,. - ´ | ` v ´ ,ィ  ̄ ̄77ヽ
rrア´ ヽ | ,. ´ /// ヽ
/LL! `↓ ´ / i
./ }爻ソ / l
667:翡翠(星砂) ◆X9uEcr1WoA
08/01/12 13:19:44 V2WHkdxy
>>657 :俄将軍:氏
>戦前の政党政治
大和政権統治→幕藩体制→という流れで、
昭和まで辿り着いたシステムを構築できた訳ですので、
そこは片目を瞑るべきかもしれません。
>>658
>本当に最悪なのは、まったく孤立した状態のまま
過去は「後悔」の坩堝でありますね、本当に。
>>659氏
>外務に関して言えばそこそこ人材は揃ってると思うが。
同感ですが、軍の暴走を止められる人材がいなかった、
と言う事で如何でしょうか。
軍縮でサラリーマン化しつつあった軍を
「暴走させてた」のは誰か、と言うのも未来への戦訓。
たびたびスミマセン・・
ここ、日中戦争スレなので、これくらいで。m()m
668:名無し三等兵
08/01/12 18:45:11
203 名前:カタログ片手に名無しさん[sage] 投稿日:08/01/10 14:50 ID:???
俺の友人(参加2回目)が基地外すぎて困った。りんかい線の混雑に興奮し、しまいには助けてえーりん!とか叫ぶ始末・・・。もう次回からは一緒に行かない。
669:名無し三等兵
08/01/12 19:07:45 cLifoQn9
ホラーより怖い中国の現実 part2
★5 URLリンク(jp.youtube.com)
★6 URLリンク(jp.youtube.com)
★7 URLリンク(jp.youtube.com)
★8 URLリンク(jp.youtube.com)
こんな国で五輪開催できるのだろうか?
670:イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/13 00:54:31 2oYjyiJz
松岡洋右の特異なキャラクターは、その全く日本人離れした特殊な生い立ちから
生まれたモノですから、その辺りをきちんと押さえないと議論が迷走するでしょう。
>>656 >>おそらく、幕末に生まれたら幸せだった方。
松岡洋右は1880年3月4日、山口県に生まれます。まあ、安倍元首相と同じ長州な訳
ですが、もう少し生まれるのが早かったら藩閥の恩恵を受けれたのかもしれません。
ちなみに実家は「廻船問屋」の四男ですが、松岡洋右が11歳(1881年)のときに
父親が事業に失敗して破産します。しかし親戚が既に渡米して成功を収めていた事が
松岡の人生の最初の分岐点となりました。13歳(1893)のときにこの親戚を頼って
渡米し、オレゴン州ポートランド、カリフォルニア州オークランドで学びました。
松岡はもっとも多感な思春期をアメリカで過ごした訳ですが、日本人蔑視も強く
米国に対する特殊なコンプレックスを育むことになります。
671:イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/13 01:16:11 2oYjyiJz
自分は学生時代、英語のサークル(ほとんど遊び系w)にも顔を出して
いましたが、先輩の1人が帰国子女であり、やはり外国人コンプレックスを
お持ちでした。いや「日本人コンプレックス」と言うべきか。人種的な
イジメがかなりあったようです。
松岡洋右も特殊な信条を作り上げることになり、幾つか例を挙げれば、
●「道を歩いていてアメリカ人に衝突しそうになったら、絶対に道を
譲ってはいけない」●「殴られたら殴り返さなければいけない」●
「米国では一度でも頭を下げたら、二度と頭を上げることはできない」
というものでした。
この辺はまだ大人しい表現で、もっと言えば●「米国人と論戦する場合は
マシンガン・トークでなければならない」●「喧嘩に弱いものは米国では
生きる資格はない」●「引っ込み思案は殺される」●「腕で勝てなくとも
口で勝つべき」●「何かやられたら即座に言い返す覚悟で日常を過ごせ」…。
また当時の米国エリートは「ドイツ系」が幅を効かせており、後の松岡の
深層心理に大きな影響を与えます。
672:イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/13 01:54:20 2oYjyiJz
さて松岡洋右も18歳を迎えます。松岡は帝大(東京帝国大学)への進学を
考えたという話もありますが、旧学制のエリートは英語の他に欧語もマスター
しなければなりません(特に独語ができないと帝大の授業が受けられない)。
その辺りの自身の受験準備の問題もあったでしょうが結局、松岡はオレゴン大学
法学部に進学します。並行して早稲田大学の法学講義録も取り寄せるなど、勉強
熱心ではありましたが、帝大進学を諦めたことは松岡の『外交官』人生に大きな
影を落とすことになります―。言うまでもなく現代と同様、外務省は東大閥であり、
宮澤喜一は財務系で関係ありませんが「東大法学部にあらずんば人にあらず」……w。
その話はさて置き、松岡洋右は1900年にオレゴン大学を卒業して1902年まで
しばらく米国で仕事をしつつ滞在します。一説には、アイビー・リーグ等の
大学(or 大学院)に留学することを考えていたと言われますが結局、母親の
健康状態の悪化により日本へ帰国することになります―。
673:イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/13 02:24:09 2oYjyiJz
結局、松岡洋右の最終学歴は『オレゴン大学卒』という「微妙なもの」に
なってしまいます。もしアイビー・リーグやオックス・ブリッジなりに
留学できていれば、松岡の「外交官人生」も多少は好転したでしょうか。
いや無理ですね。戦後の話ですが、ハーバード大学卒で外務省に入省した
人でも、「東大閥」には敵わなかったと云います。
さて日本に帰国した松岡洋右は、1904年に外交官試験にトップで合格して
入省を果たします。ただし外務省への希望は積極的なものではなく、日露
戦争が始まった年である事からも分かるとおり、徴兵忌避が目的ではないか?
との説が根強くあります。まあ、これだけ海外経験が長い人間を一兵卒として
やおら朝鮮や満州に送り込むというのは、さすがにどうかと思われますがw。
しかし外交官となった松岡ですが、帝大閥の中で、出世は大変厳しいものが
ありました。長年の滞在に基づく『抜群の英語スピーチ能力』が最大の武器
でしたが、同時に松岡の日本人離れした気質は、外務省という典型的な官界
の水には全く合わない人材に変えていたのでした。
674:名無し三等兵
08/01/13 02:36:39
>>667
日中戦争時代の外交状況がそのまま松岡外交につながっているわけで、
そう場違いでもないと思うけど。
ここでは幣原外交を取り上げていたこともあるし。
幣原外交が満州事変や日中戦争の前触れなら、松岡外交はその後と言える。
675:イナゾウ上等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/13 03:03:48 2oYjyiJz
>>674 >>同時に松岡の日本人離れした気質
1941年の太平洋戦争開戦直前に松岡が失脚したあと、軍務局長の武藤章は
佐藤賢了(陸大卒業後の海外駐在で米国へ)に対して、
●「松岡は協調性がない。あれでは一定の地位に長く留まることはできない。
彼はトルコかどこかで参事官か何か勤めたのを最後に外務省から消えたが今に
してその理由が分かった。彼が何を考えていたのか俺には結局分からなかった」
と答えています。しかしトルコ云々は正確ではありません。松岡の外務省での
最終ポストは、大連総領事です。松岡は一旦はベルギー勤務を命ぜられましたが、
「これからの日本には大陸が大切だから」として中国勤務を望んだと云います。
松岡の職歴を挙げると、はじめは領事館補として中華民国の上海へ。その後、関東
都督府に赴任して後藤新平(初代満鉄総裁)や三井物産の山本條太郎の知遇を得ました。