07/12/21 02:02:11
>>507 >>このような方針を取らずに僅か2年余りで支那全土を統一できる
>>はずがありません。
北伐の最後は1928年末ですが、張学良が満州で易幟(えきし)をする事で
国内統一が実現しました。今で言うなら、自民党と民主党の『大連立』が成る
ようなものですw。もちろん表面上の統一が出来ても、内部は何も変わって
いない訳ですから、将来の破綻は目に見えていますが。
ちなみに易幟とは、もともと北洋政府が使用していた『五色旗』から国民政府の
『青天白日満地紅旗』に旗を換えることを張学良が決定したことです。要するに
蒋介石の軍門に降った訳ですが、背景にはもちろん日本による張作霖爆殺事件が
尾を引いています。
ただし軍門に降ったとはいうものの、その事自体、張学良の国民政府に対する
「大きな功績」というか、名を捨てて実を取った形になります。張学良は、国民
政府から「東北辺防司令長官」に任命され、厚遇される結果となりました。