07/12/14 08:35:36 s0IGENNK
『南京でただ一人の外科医ウィルソン』
占領後の最初の数日間、日本兵が街を略奪したり、燃やしているところをウィルソンはよく見かけました。
12月15日:市民虐殺の現状は想像を絶するほどひどいものです。
私は信じがたいほどの強姦や残虐行為の事件を限りなく話し続けることができます。
12月18日:本日は血と強姦で彩られる莫大な手紙が書かれた現代版ダンテの神曲中、
地獄編の第6番目の日とみなされます。
無差別な殺人や何千に上る残虐行為を阻止できるものは皆無のように見受けられます。
最初、私は彼らの怒りを駆り立てないようにつとめて愛想良くしていたが、
この微笑は次第に消えてなくなり、私の凝視は完全に彼らのものと同じぐらい冷淡で無表情になっています。
12月19日:全食料が貧しい人々に盗まれ、そして彼らはヒステリックに混乱しながら恐怖におびえていました。
一体、いつになればこの様なことが治まるのだろう。
クリスマスイブ:次に彼らは、まだ地帯内(誰もわからない形で勝手に区切られている地帯)に
2万人の中国兵が潜んでおり、探し出して全員射殺すると我々に告げました。
これは現在、街の中にいる18才から50才までの才気溢れる体を持った男性を対象としています。
一体、どうやって彼らは兵士を見分けるのだろうか?
年末になると彼のこの手紙は宿命的な空気を漂わせてくるようになりました。
12月30日付の手紙にはこう書いています。
「心の支えはもうこれ以上、悪くはならないと考えることだけです。
殺す者がもういなくなるまで大勢の人々を殺害することは不可能です。」
ウィルソンや他の者たちは、日本兵が中国兵を馳せ集め、射殺して巨大墓穴の二倍
はある防空壕に遺体を詰め込んでいる現場を頻繁に目撃しました。
479:翡翠(星砂) ◆X9uEcr1WoA
07/12/15 00:48:12 +c4bVXaM
>>470 そう。その翡翠(星砂)。
首都圏の方が羨ましい。軍師講演無料とか。
いやあ上手く休日合わせないと意味ないのですけど・・。
中尉復帰祈念で空気読まない意味不明な支援を1つ2つ。
●旧軍の教育について
日中戦争に従軍したある尉官( 東京出身 )の書によると、
陸軍予科士官学校時代、軟弱な態度をとると、
暴力をふるわれるなどと辛い毎日だったそう。
出身地差や年齢差の体力差も辛い要因だったそうな。
それで「 軍国主義に完全に染まれなかった 」などと。
・体罰は、愛社精神=健やかな組織の育成にとって、逆効果。
・健やかな社員育成を目指すには、
出身地別に編制した方が望ましい、
同程度の体力値を集めて編制するのが効果的・・・。
などと言う事が考察できます・・・とかとか。
( 以上の点は、様々な現場を転々とした者なら自明の理だが )
480:翡翠(星砂) ◆X9uEcr1WoA
07/12/15 00:56:09
●治安維持について
河北省で八路軍と対峙していた当時は極端な分散配置で、
場所によっては1個分隊10名前後の駐屯地もあったと。
こんな状況、負担を現場に押し付けた組織とは、などと。
●戦場の軍規維持の困難
何時帰れるともしれない異国の空の下、昼夜をとわぬ戦地の生活。
中隊長室に手榴弾を投げ込んで無期懲役になった者もいたそうな。
「戦史叢書・北支の治安戦・2」に報告されるような事件もあり、
戦地では、身内に幹部( 軍 規 統制側 )が殺されかねない。
国外活動の長逗留は、よくよく考えた方がいい、という過去の例。
まあ、駐イラクの米軍の悲惨を見れば、身内殺し以前の話ですけれど。
481:翡翠(星砂) ◆X9uEcr1WoA
07/12/15 01:00:59
●現場の実際
3年たち、4年たっても帰れない古兵の自暴自棄。
貧弱な装備で対ソ戦への準備を積まされる在満兵。
虎の子の連隊砲は日露戦争後に制式化された婆様。
軍規違反の常習犯が一気に除隊したが兵数も半減。
埋葬する暇無く戦死者から片腕1本を切って携行。
やがて、その余裕も無くなり、指1本のみを携行。
●戦場の実際
日中戦争では表向き連戦連勝であった日本軍だが、
ノモンハンで死傷率94%を記録した日本軍が歩んだ戦場とは?
広東攻略作戦では包囲された師団( 熊本 )を救出した支隊に、
軍司令部から「 師団の戦場に入るべからず 」の電報があったそう。
熊本の師団が経験した戦場の実態とは?
482:翡翠(星砂) ◆X9uEcr1WoA
07/12/15 01:07:44 +c4bVXaM
●戦時下の昇進の1例
1938年12月01日 陸軍予科士官学校に入校。
1941年07月18日 陸軍士官学校卒業。曹長。
1941年10月01日 陸軍少尉に。19歳少尉。
1944年12月01日 陸軍大尉に。22歳大尉。
「 陸軍予科士官学校55期生の昇進例 」らしいのだが、
さて、これを「 羨ましい 」と見る人はいるだろうか。
気が付けば
1944年12月02日 戦死
という目に会いかねない。
中尉帰還祈念age。
483:名無し三等兵
07/12/15 04:29:43
翡翠さんお疲れ様す
484:名無し三等兵
07/12/16 23:11:03
>>479
「軍師」の大任にありながら小部隊で敵本陣に突っ込むと言う軽率。
釣られて飛び出してくる御曹司と、それを諌めもしない飯富
チャンバラのど真ん中を堂々と突っ切って単身突撃するあり得ない総大将。
それを追っかけて再び武田本陣へトンボ返り。お前は何をやっとんじゃ。
しかも結局、政虎の本陣切込みを許してしまい何の役にも立ってない。
まだ本陣にずっと残ってお館様の盾として果てるほうがずっと自然。
信繁が突撃して整えたはずの陣形はいつの間にか乱れまくり、
意味もなく雑兵と激闘して討ち取られる。
真田の援軍で勝った勝ったと喜んでて、敵の名乗りにも気づかない。
矢を左胸に2本も射込まれ、無数の深手を負いながら普通に口を聞く。
鉄砲が3発は当たってるのにまだ生きてる
せっかく三重臣の首を挙げながら、全部取り返される上杉軍。
申し訳ないけれども、
正直、今まで見た川中島の中でも最高のコントでした…
第1回目の乱捕りですごく期待したのに。
485:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/18 23:15:51
突然失踪しまして、色々ご迷惑をおかけし大変申し訳ありませんでした。
お気遣いの言葉をかけて下さった方々に深く感謝するとともに、重ねて
お詫び申し上げます。
本業の仕事の方で心身ともに手一杯となり、精神的にも鬱に陥りまして
ここ2ヵ月以上自宅のパソコンを開きもしない状態でした。全く無責任
極まりない次第です。
ようやく周囲の状況も少し落ち着いて見渡せるようになりまして、仕事も
ピークを終わりつつあり、年末頃には一段落できる(と本当に願いたい…)
のではと予感しています……。
スレの継続の意志はありますので、途切れ途切れで、なおかつブランクで
程度の低い書き込みが続くとは思いますが、お目汚しご容赦いただければ
幸いです。
486:ばばぼん♪ ◆gdH1Km1a0U
07/12/18 23:27:59
だらだらやりましょうよ( ´ⅴ`)
487:名無し三等兵
07/12/18 23:29:17
元気で何より。
自ら降格したのか。
488:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/18 23:30:08
本当は12月4日に >>485 を書いていたのですが、例の『OCN・全板全サーバ
アクセス規制』という運営のキチガイ沙汰に巻き込まれまして、2週間待って
ようやく書き込むことができましたw。
>>428 >>めっさ遅れてすみません。過去スレ更新しておきました。
ue少将閣下、土下座してお詫び申し上げます。orz.
また元32予備役少佐殿、法務大尉殿、その他名無しの方々、そして
何より定期的にスレを保守し続けていただいた翡翠さま、まことに
ありがとうございます……。
489:名無し三等兵
07/12/18 23:34:52
おお無事生還されましたね。
まるで戦時中に敵陣からひょっこり帰ってきた兵のようだ。
士官ですと乙事件ですか?
490:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/18 23:35:34
>>486-487様 大変恐縮です。懲罰大隊か陸軍衛戌(えいじゅ)刑務所入り
ということでw。
491:名無し三等兵
07/12/18 23:43:36
重営倉で勘弁してやろうw
神聖喜劇を思い出すなー。
492:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/18 23:44:22
>>489様 どうもでございます。「遭難事件」というよりも、
仕事量が核爆発→テンパル→凡ミスで大事故を起こす→更にテンパル
→勢いで上官抗命→軍法会議→銃殺or免官の危機→鬱→黙々と仕事
という流れでございましたw。
493:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/19 00:03:57
>>491 様 どうか勘弁してくださいw。
一応、今後の予定としましてリハビリといっては恐縮ですが、極小テーマ
『第一次国共内戦』、極小テーマ『日中戦争における戦略爆撃―塩遮断
作戦』、大テーマ『上海航空決戦・補論―中国的天空を読む』を予定して
おります。つーかまた週末、OCNが規制喰らったらどうしましょうw。
とくに『中国的天空』(大日本絵画)、下巻が出てから買おうと思っていて
待ちきれずに最近購入したのですが、メチャクチャ面白い! 下巻が出る来春
2月が待ち遠しいです。まあ、4515円はちとお値段高めですけど。
あと俄将軍殿、『阿片王一代』も購入しました。『日本陸軍と阿片問題』も
いつか再開したいと思います。
494:元32(予備役少佐)
07/12/19 00:26:31
>>488
復帰おめでとうございます。
まあ、無事でなにより。
>>489
それならばなにごともなく司令官栄転ですな。
どこぞやの特務機関をまかされるのではないでしょうか。
495:ばばぼん♪ ◆gdH1Km1a0U
07/12/19 00:47:58
ちょうどいいので質問。
日中戦争を初期・中期・後期と分けるとすると、概ねどの辺りで分けるとかっていうような区分ってありますか?
あるいは、多くの資料ではココあたりで分けてるみたい、とか。
実は日中戦争というか対中戦については埒外なのでよくわかんないんですが、
関連する資料を読んでると初期・中期みたいな区分が出てくることがあり、ちょっと気になったもので。
496:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/19 00:58:56
まず『第一次国共内戦』から始めましょうか。もちろん蒋介石と毛沢東の
骨肉の争いですが、1930年から1934年にかけて行なわれました。
日本軍とは全く関係ないように思えるかもしれませんが、満州事変が1931年で
その後の第一次上海事変、熱河作戦も途中で絡んできます。蒋介石も一時下野を
余儀なくさせられ、毛沢東もまた党の指導に服従させられるなど、噛めば噛むほど
肉汁が溢れてくるのに似た、考察のしがいのある時代です。
北方では日本が着々と「満州建国」を進めていますしね。日本にとっては
絶好の火事場泥棒の機会ですし、逆に支那にとっては非常に苦しい時代です。
まあ、全てが連動している訳です。
さて「第一次国共内戦(剿共戦)」に触れるには、先に『中原大戦』を押さえておか
なければなりません。1930年に反蒋介石の軍閥が起こした一大クーデターです。
497:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/19 01:22:10
>>494 予備役少佐殿、大変恐縮です。また途切れ途切れになるのが心配ですが
(OCN規制が最大の不安w)、なるべく仕事と両立しつつ頑張っていきたい
と思いまふ。
>>495 >>日中戦争を初期・中期・後期と分けるとすると、概ねどの辺りで
>>分けるとかっていうような区分ってありますか?
私観ですが、盧溝橋事件からトラウトマン和平工作失敗(近衛首相の『国民政府を
対手とせず』声明)ぐらいまでが初期、それから太平洋戦争開始までが中期、そして
敗戦までが後期ではないでしょうか? まあ、「初期」は日本軍の攻勢がストップした
武漢攻略作戦終了までとするのが適当かもしれませんが。ここから長い長い「持久
体勢」が始まりますので。
中期は、太平洋戦争開始で間違いありません。>>493 で予告した『日中戦争と
戦略爆撃』も話のオシマイは1941年末になります。ええ、まさに潮が引く
ように終わりますともw。南方作戦に吸引されていく訳です。
498:名無し三等兵
07/12/19 15:07:17
イナゾウさん、おかえりなさい
499:ue ◆WomMV0C2P.
07/12/20 00:08:55
イナゾウさん、お帰りなさい。
自分もOCN規制に掛かりました。
PC買い替えの際に値引きがあったから変えたけど、ホント2chに繋ぐ鯖じゃないと実感。
500:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/20 00:13:45
>>498 どうもでございます。サンクス。
>>475 >>おーいイナゾウ ライバルは講演するそうだぞ
>>479 >>首都圏の方が羨ましい。軍師講演無料とか。
別宮翁の「第一次大戦」の掲示板をご覧になられている方はご存知だと思いますが、
年明けの陸風塾のゲストは兵頭軍師です。12月9日に会場を広げて追加出席者の
募集をして、いまHPを見たらまだ締め切ってはいないようです。会費が6千円と
少しお高めですけど、会食形式でそれなりに良いお店なので仕方が無いでしょう。
ちなみに前回はゲストの「軍学堂」の関係で横浜開催でしたが、今回は新橋との
ことです。
501:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/20 00:27:55
>>499 ue少将閣下、何の相談もなく長期の戦線離脱をしまして全く申し訳
ありませんでした。orz. 本当に言い訳もできない次第です。またイチから
コツコツと積み上げていくことでお許し頂ければ幸甚です。
>>自分もOCN規制に掛かりました。
もう帰宅してから最初に「書き込む」をクリックする時が怖くて仕方が
ありませんw。どうか『永久規制』するなら北大阪だけにして下さい。
502:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/20 00:51:56 JwfBWelk
>>496 の続き。>>さて「第一次国共内戦(剿共戦)」に触れるには、先に『中原大戦』を
>>押さえておかなければなりません。
まったく面倒くさい話ですが、『中原大戦』に触れるには『北伐』にも
少し触れて置かなければなりません。ああ、無限連鎖w。
さて『北伐』とは、1926年7月1日に国民政府が「北伐宣言」を発表した
ことで始まります。党内の共産党員の粛清である「上海クーデター」や蒋介石の
一時下野、日本軍の介入となる「済南事件」などの紆余曲折を経まして、1928年
12月29日に完了して、一応の支那統一が完成されました。
湖南・湖北省の呉佩孚軍や、直隷派の孫伝芳軍(南京)が「国民革命軍」によって
粉砕されましたが、旧来の軍閥勢力の多くもまた温存した訳です。いや、ほとんど
手つかずのままに終わったと言った方が正確かもしれません。
503:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/20 01:17:58 JwfBWelk
ちょっとおさらいしますと、直隷派の孫伝芳は「江蘇省」「安徽省」「江西省」
「浙江省」「福建省」を支配し、自らを『五省連合元帥』と名乗っていましたw。
中支では呉佩孚が2大兵器工場を押さえ、山東省には「奉天派」の張宗昌がいます。
陝西省や寧夏など西北部には馮玉祥の国民軍がいて、満州と内蒙古は言わずと知れた
奉天派の親玉である張作霖が頑張っています。そして山西省と綏遠省には、閻錫山が
おりました。もう、書いている方も訳が分からなくなりますw。
できるだけ簡潔に記すと例えば、呉佩孚の配下だった唐生智(湖南軍第4師長)は
財政のトラブルで謀反を起こしますが、国民政府に救援を求めます。これは唐生智の
支配地域が湖南省南部で、国民政府の本拠地である広東省に隣接していたためです。
蒋介石は、唐生智に「国民革命軍第8軍長」の地位を与えて買収、北伐の尖兵と
しましたが一事が万事、こんな調子です。ちなみに唐生智は、後の南京戦における
防衛司令官ですね。
504:名無し三等兵
07/12/20 01:28:14
イナゾウさんお帰りなさい
四等兵からやり直しですかw
イナゾウさんのレスがまた読めるのが嬉しいです
505:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/20 01:44:49 JwfBWelk
この唐生智のクーデターに、湖南省の呉佩孚の影響力を削ぎたい、広西省の
軍閥巨頭である李宋仁・白祟禧コンビの思惑も乗っかります。その結果、
広西の部隊は国民政府に加入(表向き)し、第7軍に編成されました。
北伐開始時、もともと広東省にあった国民革命軍は6個軍だった訳ですが―。
すぐに貴州軍の「彭漢章」と「王天培」に第9と第10の軍長の地位が与えられて
左翼が強化され、孫伝芳の部下の師長で寝返った「方本仁」に第11軍長、同様に
「頼世?」に第14軍長の座が与えられました。
さらに呉佩孚・配下の師長「仁応岐」「?鐘秀」「劉佐龍」をそれぞれ第12軍、
第13軍、第15軍の長に任命するなど、北伐軍を起こして3ヵ月も経たない内に
軍長の階級を持つ者が2.5倍に増えたのです―。
この調子で結局、上海・南京地区に「国民革命軍」が雪崩込むときには40個軍
にまで膨れ上がり、1928年には北伐軍を「50個軍」とも称しました。
506:名無し三等兵
07/12/20 01:44:53
ああ、よかった。
満州の奥地で匪賊に殺害されてやしないかと心配してましたが。
無事に帰京されたようでなにより。
507:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/20 01:59:20 JwfBWelk
中には四川省の部隊のように、国民革命軍の「軍番号」だけ与えられて
実際の北伐には参加していないケースもありましたw。
このような無茶苦茶な付和雷同は、もちろん蒋介石の方針によります。
「本軍(国民革命軍)と本気で敵対する頑固で頑迷な者以外、義によって
投降する者、寝返って我が陣営に参ずる者、軍閥の犠牲者になりたくない者、
革命に同情し、帝国主義の華をもって華を制し、互いに殺し合わせる陰謀を
適当でないとする者全員を、中正(蒋介石)は同志と見なす。安危をともに
しようではないか」
と蒋介石は宣言していました。要するに全く節操のない「来る者は拒まず」
という訳ですが、考えてみれば分かる通り、このような方針を取らずに僅か
2年余りで支那全土を統一できるはずがありません。
ただし、これは当然のことながら壮大な「問題先送り」な訳です。
508:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/20 02:18:55
>>504-506 様 まことにありがとうございます。またコツコツと一から
積み上げたいと思います。匪賊に殺害というか、鬱状態でしたw。
>>このような無茶苦茶な付和雷同は、もちろん蒋介石の方針によります。
ちょっと前の自民党総裁選でも思い浮かべてくださいw。あるいは小泉総理の
時の「郵政選挙(刺客選挙)」など……。呉佩孚や孫伝芳は、喩えてみれば
亀井静香であり綿貫民輔な訳です。平沼赳夫であるとは、あえて言いませんがw。
509:名無し三等兵
07/12/20 07:09:55
稲さんおかえり
またおもしろいやつ頼むよ
510:翡翠(星砂) ◆X9uEcr1WoA
07/12/20 14:24:52 JOgixKdT
中尉お帰りなさいませ(喜
経済的自由を勝ち取った後、中尉の当スレを、
資料と首っぴきで楽しみたい野望☆がありますので、長く続いて下さいませ☆彡
m()m
>>484
残念ながら「大河を見ない人」なので何とも言えないのですが(ゴメorz)、
川中島の戦いの武田の別働隊の「夜間の妻女山踏破」自体が、
松代藩士や信州大学の学生から「不可能」のダメ出しされている様子。
(松代藩士の時代と当時の地形の差異については当然不明ですが)
(またワンダーフォーゲル部員といえども当時の人の夜目には敵わないかもですが)
「乱取り」については、武田・上杉に限らず何処も大同小異だったみたいです。
・信繁の首は、山寺某が奪い返しまた討ち手の首も挙げ添えた。(甲陽軍鑑)
・諸角の首は、配下同心と三河浪人が奪い返し、討ち手の首も。(甲陽軍鑑)
んで、「乱取り」といえば「中世戦場の実態」な訳ですが、
「軍規の荒廃」ないし「統率の放棄」繋がりで ↓
511:翡翠(星砂) ◆X9uEcr1WoA
07/12/20 14:42:45
●乱軍の代償
古兵の軍規違反は先に述べましたが、
そもそも軍自体が「天●の赤子」を「官品より粗末に扱う」上に、
上が揃いも揃って無茶苦茶と来るから下が規律を守る訳が無い。
第●軍を例に取れば
「第●軍司令部」自らが、
「方面軍や中央」を無視して
「独断専行の範」を全軍に垂れている様子。
その独断専行の理由も「第六感」と来るから、
「現実の方がチラ裏よりオワットル」(自爆)
( 注意 言うまでも無く彼らは「正統な軍事教育を受けた」秀才達 )
512:翡翠(星砂) ◆X9uEcr1WoA
07/12/20 14:53:56 JOgixKdT
●軍靴もなく400キロを進軍させられた旧軍兵士
「軍靴もなく400キロを進軍させられた」をツラツラと見るに、
( 当時は死傷者の余りの多さに連隊長夫人が自殺に追い込まれ )
「極めて軽装備でPKOに出された」が、どうにもこうにも。
●クレメンス・ウィルへルム・ヤコブ・メッケルが草葉の陰で泣いている。
「方面軍の言う事を聞かない現場」も現場なら、現場から
「皇族の首都入城の予定日の延長」を泣きつかれても聞く耳持たず
「●日首都入城」を強行した方面軍も方面軍。
そして時の方面軍司令官がカマシタ言葉が「未曾有の盛時、感慨無量なり」。
などと既出ゴメ。これにて翡翠は失礼をば。
大河については雑談スレか
古代~近代(19世紀)迄の戦術・兵器・軍装等 6
日本の戦国時代の合戦の虚像と真実6
辺りだと良い御返事がつきますかも・・!
では、中尉復帰記念age
513:名無し三等兵
07/12/20 17:24:12
李宋仁は徐州戦の国府軍司令官ですな。
ていうか、唐生智は呉佩浮の配下だったのか
514:ばばぼん♪ ◆gdH1Km1a0U
07/12/20 21:12:44
>>497
どうもありがとうございます。
日中戦争って、政治的な同行はそれなりに把握してるんですが、
戦争の推移はなんとなくわかりづらくて(^^ゞ
515:JY
07/12/20 23:34:26 p4ScXCr6
イナゾウ先生、復帰おめでとふ\(^o^)/です
もう数日がんばれば、コミケの初日ですから、もうしばらく耐え忍ぶのでつw。
同じ毎日の繰り返しでも~。
516:名無し三等兵
07/12/20 23:35:34 S2X0+Ywq
自殺、売春、虐待、大量殺戮、女性差別、は農耕社会になってから始まりました
天皇はA型で朝鮮の出身です。A型は2000年前に日本に来たから帰ればいいのに。
A型は100%農耕民族とはいえないがO型かB型にぜんぜん好かれないA型は
農耕民度が高すぎるから2000年前に日本の先住民族を大量に殺してきた
遺伝子、多そうだね。
遊牧民族は厳しい自然の中を小さい家族で移動しながら生活してきたので家族と他人の線引きをはっきりさせたと思う。
これをクールと感じる。だから、そのぶん身内にはあつくなるのか。
B型は遊牧民族、O型は狩猟採取民族。
A型は農耕民族。農耕民族は2千年前(つい最近)に、中国から日本に来た。A型は2万5千年ごろ誕生して農耕社会を
作ってきた。農耕民族社会になってから狩猟採取民族が大量に殺され滅び吸収され、ホームレス、虐待、売春、
女性差別 が始まり、強制的に横並び結婚し横並び子作りしないと女が生きていけない社会になる。
横並びの群れ社会(農耕民族社会)は無理やり敵を作り差別しないと作れない。これが、いじめ。
ブサイクで、もてない農耕民族はとくに性欲として横並びの群れ社会を作りたがる。
農耕民族社会はA型女も不幸になります。
517:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/21 01:14:22
>>509 どうもでございます。引続き精進いたします。
>>510 翡翠様、長期に渡ってスレを保守いただきまして、まことにありがとう
ございます。鬱から復帰しまして何ヵ月ぶりかに軍板を開いたときは、すでに
スレが落ちているかとも思っていたのですが。
御礼と言ってもこの程度ぐらいですが、当スレで尉官の地位(プラス使徒)を
差し上げますので、好きな階級をお名乗りくださいませ。
>>515 >>もう数日がんばれば、コミケの初日ですから、もうしばらく耐え忍ぶのでつw。
どうもでございます。職場のトイレで「イナゾウ四等兵、どうしたのー?」と声を
かけられましたら、「え?、同人ですか?」と答えるほど一時期意識が混濁して
おりました(藁)。
「仕事に病んで夢はコミケをかけ廻る―」稲造心の俳句w。
518:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/21 01:33:08
>>513 >>ていうか、唐生智は呉佩浮の配下だったのか
唐生智はもともと湖南軍の「第4師長」でしたが、財政上のトラブルで
湖南省長の趙恒惕を叩き出します。まあ、謀反な訳です。軍閥の長である
呉佩孚は、配下の第3師長である葉開?を「湖南軍総司令兼湖南省長」に
任命して唐生智の討伐を決定しました。
で、たまたま唐生智の支配地域は湖南省南部で、国民革命軍の広東省に
隣合っていましたので、蒋介石に泣きついた次第です。
519:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/21 02:02:11
>>507 >>このような方針を取らずに僅か2年余りで支那全土を統一できる
>>はずがありません。
北伐の最後は1928年末ですが、張学良が満州で易幟(えきし)をする事で
国内統一が実現しました。今で言うなら、自民党と民主党の『大連立』が成る
ようなものですw。もちろん表面上の統一が出来ても、内部は何も変わって
いない訳ですから、将来の破綻は目に見えていますが。
ちなみに易幟とは、もともと北洋政府が使用していた『五色旗』から国民政府の
『青天白日満地紅旗』に旗を換えることを張学良が決定したことです。要するに
蒋介石の軍門に降った訳ですが、背景にはもちろん日本による張作霖爆殺事件が
尾を引いています。
ただし軍門に降ったとはいうものの、その事自体、張学良の国民政府に対する
「大きな功績」というか、名を捨てて実を取った形になります。張学良は、国民
政府から「東北辺防司令長官」に任命され、厚遇される結果となりました。
520:JY
07/12/21 02:04:00 AcJ6sbGD
wwwどういう意味なんでしょうかwww同人。
テラカワイソス(´・ω・`) ですねぇ。
欝を治すには、たんぱく質とビタミンを取って脳内物質を補完しつつ、セントジョーンズワート常用でつ。
521:名無し三等兵
07/12/21 02:10:23 S/1q95xA
今でこそ火器が発達したけど、中世とかの軍事力ってせいぜい人口の1%~最大でも3%だったんでしょ?
どうやって治安維持したりしてたの?農民の方が圧倒的に多いのに暴動とか起こったら
522:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/21 02:24:50
>>520 >>wwwどういう意味なんでしょうかwww同人。
いや単に「どうしたのー」の「どうし」が「同人」に聞こえただけですw。
>>張学良が満州で易幟(えきし)をする事で国内統一が実現
アメリカは蒋介石が満州を統一することを支持していたといいますから、
要するに張学良が易幟するかしないかは「日米の代理戦争」であり、結局
日本は敗れたことになります。で、満州事変が次に来ると。
まあ、北伐に触れたからには「済南事件」にも触れないと不味いのですが、
明日も仕事があるのでお休みなさい…。
523:名無し三等兵
07/12/21 08:39:42
>>522
>アメリカは蒋介石が満州を統一することを支持していたといいますから、
アメリカが満州問題で日本に譲ったことは一貫して無いからね。
524:名無し三等兵
07/12/22 15:19:46
>>521
日本警察二十五万、概ね五百人に一人の割合。全共闘時代も火気は使用せず。
人口比1%の武装集団でも治安維持には大袈裟すぎるぐらい。
>>農民の方が圧倒的に多いのに暴動とか起こったら
連絡が取れないと各個撃破。そもそも交通網が未発達で、農民じゃどうもならん。
悪党馬借の土一揆じゃないが、農民よりも商人の方が中心になりやすい。
でなきゃ宗教勢力か。読み書き算盤ができなきゃ話にならない。
支那の場合、白蓮教徒と塩商人なんかがそうだな。
525:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/22 22:30:19 ZvHBTY2R
>>524 なんか物凄く上手くまとめられましたね。全面的に同意でふ。
>>522 >>まあ、北伐に触れたからには「済南事件」にも触れないと不味いのですが、
さて「済南事件」で少し脱線です。皆さんは、陸軍の「斎藤瀏少将」をご存知でしょうか?
もうすぐ超時空要塞ビグザイトの到来で、当然自分は「えげつないやん家」さんにも並ぶ訳
ですが、その「2・26事件」の漫画を読んだことがある方は、記憶に残っているはずです。
決起将校の栗原安秀中尉に「おじさん」と呼ばれていたのが斎藤瀏(予備役)少将で、
2・26事件でも栗原は斎藤にたびたび電話で連絡を取って(戒厳司令部に録音が残る)
いたため、斎藤は唯一、将官格で反乱幇助の罪により「禁固5年」の刑に処されています。
真崎甚三郎は言い逃れましたけどね。
そして、この斎藤瀏少将こそが「済南事件の当事者」な訳です。1928年の事件当時
斎藤は熊本・第6師団第11旅団長で、まさに済南城内の日本人が住む商業地区警備の
責任者でありました。
526:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/22 22:45:03
栗原安秀の父親は陸軍大佐の軍人で、その縁もあってか、斎藤家とは家族
ぐるみの付き合いでした。ちなみに斎藤瀏の娘で歌人の斎藤史と栗原安秀は
幼なじみです。「やん家」さんの漫画の文字だけ写させてもらいますと、
【26日午前 陸相官邸にて】(陸相官邸には同志が集まっていた:栗原
安秀中尉、斎藤瀏予備役少将、山口一太郎大尉)
栗原:「大丈夫だ!俺達の行動はきっと認められる! 俺達には運がある!
それにほらっ。ここには『座敷わらし』だってついてますしね!!
あれがとりついた家にはいいことあるらしいですよ、ワン太さん!!」
山口:「…あれ石原さんだよ、栗原」
栗原:「おお。よく見れば石原さんだ。石原さん! 石原さんの維新についての
考えはどうですか!?」
527:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/22 22:57:44
石原:「そのハチマキ、ダセ~~~~~」
斎藤:「石原君!! ワシは予備役の斎藤少将だが、この際、若い者らに協力してやって…」
石原:「今時そんなカッコ光GENJIだってしねえよ。♪オトナにゃ~見えな~い
シャカリ~キコロンブ~ス♪ って歌の意味わかんねぇよ。コロンブ~ス?」
栗原:「我々は国民の窮状を救うために決起し…」
石原:「おまえら絶対、さるまたにも『尊皇討奸』とか書いているだろ。干す時
女房顔真赤? はずかティ~」
栗原:「お…おじさん、斬ります!!(怒)」
斎藤:「斬れ!! 斬ってしまえ、クリコ!!(怒)」
山口:「あんた、いろいろハッキリ言いすぎるから悪い!」
石原:「そうか俺が悪いか」
528:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/22 23:21:26 ZvHBTY2R
なぜだろう…文字だけだとあまり面白くないような…w。まあ「やん家」さんは
圧倒的知識と独特の諧謔、絵が超絶上手いのもありまして、階級に喩えるならば
中将クラスの方かと。ここだけ目当てにビグザイトに行く価値もあるところです。
以上、一介のファンでしたw。
さて、そんな「済南事件と斎藤瀏少将」ですが、>>525 で既に述べたように斎藤は
熊本・第6師団の旅団長でした。済南事件の原因は諸説あり、日支双方の言い分も
含めて解説しますと、それだけで極小テーマになってしまいますので省きます。
当時は「北伐」のクライマックスで、一時下野していた蒋介石は1928年1月7日に
国民革命軍総司令に復職し、3月31日に「第2次北伐」がスタートしました。
南軍(国民革命軍)は参謀総長に何応欽、第1集団軍(総司令:蒋介石兼務)18個軍・
29万人、第2集団軍(馮玉祥)25個軍・31万人、第3集団軍(閻錫山)11個軍・
15万人、第4集団軍(李宋仁)16個軍・20万人などです。
529:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/22 23:43:42 ZvHBTY2R
これを迎え撃つ北軍(旧軍閥)は、北京の安国軍総司令・張作霖大元帥のもとに
息子の張学良、そして孫伝芳、張宗昌などが7個方面軍を指揮して、総兵力は
南北両軍ともに約100万人規模でした。
とはいうものの、この数字は装飾過多で、実際のところ半分以下と見るべきです。
とくに破竹の勢いの国民革命軍に対して北軍はまるきり戦意が無く、潰走に次ぐ
潰走だったのが実情でしょう。
さて南軍が北京に入城して北伐を完成するためには「済南」を通過する必要が
あります。上海・南京から北上して徐州を過ぎて、黄河を渡る直前にあるのが
済南な訳です(その後、天津を経て北京にたどり着く)。
また済南は「山東半島」の根本に位置し、WW1などで山東半島には日本の権益も
多くありましたから、当時の済南には日本人居留民が2千数百人ほどおりました。
530:名無し三等兵
07/12/23 01:26:00
中国史上で「北伐」に成功したのは朱元璋と蒋介石だけ、という点に因縁めいたものを感じるな。
531:名無し三等兵
07/12/23 01:28:09
今のチャイナ大陸の環境を見るに、次の南北対立があっても
南の勢力が主導権握れるんじゃないかと思うくらいに
黄河流域の荒廃は進んでますね
532:(1号作戦下の無名尉官の代理) ◆X9uEcr1WoA
07/12/23 18:32:28 NdIjTkee
とりあえず1日名前だけ尉官でm()m
んで、ぶっちゃけ欝は、
真面目な方が自動で取得する勲章みたいなものですから。
中尉殿も、御身お大事に。
んで・・・つまり、大陸経済と互するには、
蒋介石式商法がいいのかしら。
それとも英国式商法?
それとも毛沢東式商法?
不謹慎で恐縮なのですが、全く現代に通じます。
=日中戦争の戦訓
戦訓を見習って、現世はなるべく手抜きに勤めましょう。
真面目に驀進していると命が幾らあっても足りません!231!
soredehadeha///☆
533:法務大尉
07/12/24 13:11:16 ma6dit67
稲造四等兵の復帰を喜ぶ。
原隊追及が遅れ脱走罪に問はれた例もある。
534:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/24 19:56:26
お肉を食べたらお腹が激しく痛いです……。
>>532 あら残念。中尉か大尉は差し上げようかと思っていたのですけど。
>>533 大変恐縮です。大尉殿と争ったのも今ではグッドメモリーでございます。
>>530 あとは太平天国の乱くらいですかね。失敗してますけど。
>>531 >>黄河流域の荒廃は進んでますね
アメリカが自分のお尻に火が付いて、ようやく環境問題を真剣に考えるように
なりましたけど、支那の荒廃状況では思ったより早くそうなるかもしれませんね。
早く人の住めない土地になって欲しいものです。
535:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/24 20:20:06
>>529 の続き。さて済南事件から少し遡る1927年11月5日、下野していた
蒋介石は日本を訪れて、当時の田中義一首相と秘密会談をしていました。場所は
東京青山の田中私邸、テーマはもちろん「北伐」です。
日本は張作霖と関係が深かったのですから(特に田中義一は日露戦争時、ロシアの
スパイとして逮捕された張作霖の助命に関わっている)、蒋介石と秘密裏に会うのは
異例でしょう。
この背景には、山本條太郎(満鉄総裁)や森恪(政友会幹事長)、松岡洋右らの
「蒋介石は正直で信用できる人物」との報告を信じたからとされます。
さて2時間に及ぶ会談で、田中義一と蒋介石は「共産党を排除する」という点で
両者の意見は一致しましたが、結局まとまりませんでした。
536:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/24 20:38:42
会談の後に蒋介石は、
●「日本は腐敗軍閥を相手とせず、国民党を相手に誠意をもって中日合作して
もらいたい。そして、北伐を援助してほしいと申し入れたが、田中には誠意が
なく、中日合作の可能性はない。日本は国民革命の成功を許さず、北伐を妨害し
中国の統一を阻止するであろう―」
しかし、通訳として会談に同席した佐藤安之助(退役陸軍少将)のメモによると、
●「北伐について田中は、『中国は分裂状態にあるので北伐を焦らず、まず長江
以南を固めることに専念してはどうか?』と提案した。蒋は、『しかし北伐を
しなければ、南方に動乱が起こる可能性がある』と答えた―」とあります。
結果的に両者の会談は物別れとなり、不信感を増すばかりとなった訳ですが、
佐藤メモの「北伐を続けなければ、国民革命軍自体、空中分解してしまう」は
興味深いものがあります。
537:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/24 21:28:24
ただし、次のような「秘密情報」が日本の陸軍省内に流れていたと云います。
●「蒋介石の提案は、北伐の最終目的は北京にいすわる蒋介石を奉天に追っ払う
ことだが、張の背後には日本陸軍が付いている。日本軍に妨害されると北伐が
完成できない。また、国民政府は中国共産党に手を焼いている。そこで日本は、
同じ反共の立場から国民革命に協力してもらいたい。
その条件として、国民政府は中国国内の排日運動を取り締まり、また東北(満州)
での日本の特殊地位を認めるから、日本は北伐を妨害せず、張作霖を東北へ引き揚げ
させてもらいたいと提案した。田中首相はそれを承諾した―」
とするものです。いわゆる『密約』の類ですが、真相は藪の中です。ただ済南事件が
起こる前年に、このようなトップ同士の会談があったことは覚えておいてください。
538:元32(予備役少佐)
07/12/24 21:45:16
>>537
松井石根が蒋介石のために尽力したのもこのときでしたね。
539:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/24 21:56:13 6lhpbrD6
>>529 >>当時の済南には日本人居留民が2千数百人ほどおりました。
さて国民革命軍の北上に伴い、田中義一内閣は居留民保護の目的で1928年
4月19日、日本軍の派遣を決定しました。これがいわゆる「第2次山東出兵」と
呼ばれるもので、翌日には支那駐屯軍から3個中隊(小泉恭次中佐以下、460名)が
済南に入っています。
そして4月23日には、熊本第6師団(師団長・福田彦助中将)が門司から乗船して、
25日・26日に青島に上陸したのでした。この内の第11旅団長が、2・26事件にも
登場する斎藤瀏少将だった訳です。
当時、済南は北軍の山東軍閥―張宗昌の本拠地で、張軍と孫伝芳軍がおりましたが
南軍接近の報に戦わずして逃げました。1928年5月1日、ついに国民革命軍の
先鋒である第9軍と第40軍が済南に入城しましたが、お調子に乗った土人兵どもは
反日感情を露にして、行進しながら日本軍の歩哨を嘲笑してツバや痰を吐きかけます。
540:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/24 22:19:36 6lhpbrD6
さらに済南城内の民家の壁や街路樹に、『反対・日本出兵』『排斥・日本帝国
主義』と書いた反日ビラを貼って回りました。また日本人の住居には、北伐の
とばっちりを避けるために「日の丸」が掲げてあったのですが、それを引き摺り
下ろして破って足蹴にさえしました。
このため日本軍と南軍に衝突が起きましたが、このときは現場の団長(連隊長)が
駆けつけて陳謝したため収まりました。しかし、翌日の5月2日には蒋介石自身が
済南に入城してきます。
蒋介石は「日本軍の撤兵」と「日本人居留区の警備区域の撤去」、そして中国人に
対する日本兵の態度が不遜だとして、日本兵の取締りを要求しました。言いも
言ったりです。これに対して福田第6師団長は、「不遜なのは南軍の方だ」として
その要求を当然拒否しました。
何しろ「田中・蒋会談」が物別れになって(密約の有無はともかく)僅か半年後の
ことです。蒋介石は、田中の山東出兵はもちろん、日本側のやることなすこと全てが
北伐への妨害に見えて激しい敵意を燃やし、一触即発の緊迫した状況が続いていました。
541:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/24 22:47:34 6lhpbrD6
このとき済南城内の日本軍は約3500人、南軍は城内外を含めて約10万人でした。
日本人居留区の警備責任者が、第6師団・第11旅団長の斎藤瀏少将だった訳ですが、
何を思ったか斎藤少将は、南軍を刺激するようなバリケードや砂袋陣地、有刺鉄線
などを、福田師団長の許可を得ずに独断で撤去させました。
圧倒的人数の差に弱気の虫が泣いたのか、こちらの誠意を見せれば向こうも分かって
くれると思ったのか、日本人居留民の安全を守ることが第一だと考えたのか、とにかく
そのような弱腰は事態を悪化させるばかりです。更に翌日の5月3日には、日支両軍の
武力衝突が始まりました。
衝突の原因は諸説(双方の言い分で膨大w)あるので割愛しますが、青島で待機していた
第6師団第36旅団も来援、さらに5月8日には名古屋第3師団と関東軍から1個旅団の
増援が決定されます。そして日本軍は5月11日に済南城を完全に占領しました。
542:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/24 23:15:44 6lhpbrD6
>>541 >>そのような弱腰は事態を悪化させるばかりです。
似たような例で、前年の1927年3月に「第一次南京事件」が起こっています。
このときは日本領事館の森岡領事が、南軍の兵士を刺激しないよう「無抵抗主義」を
取ったために、居留民以下、全員が惨憺たる目に遭っています。せっかく先遣隊の
荒木大尉らが、正門に土嚢を積んで機銃1挺を据えて警備していたにも関わらずです。
要するに、どんな場合でも支那人相手に弱気は禁物なのです。ちなみに済南事件では、
軍事顧問として南軍に従軍していた佐々木到一中佐(南京駐在武官)が興奮した南軍に
袋叩きにされて重傷を負っています。当初、佐々木は国民革命に共鳴して、支那統一が
なされれば日中両国に安定した提携関係が築かれると期待していましたが、それは
佐々木の思い込みに過ぎませんでした。
以後、佐々木は『変身』をして、強硬な「反蒋論者」「支那人嫌い」となります。
この辺りは、『日本陸軍と中国 「支那通」にみる夢と蹉跌』(戸部良一著、講談社)が
大変詳しいでしょう。まさに「夢と蹉跌」です。
543:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/24 23:44:07
【お詫びと修正】
>>537
×北伐の最終目的は北京にいすわる『蒋介石』を奉天に追っ払うこと
◎北伐の最終目的は北京にいすわる『張作霖』を奉天に追っ払うこと
>>542(補足)
×居留民以下、全員が惨憺たる目に遭っています。
◎領事館に逃げ込んだ居留民以下、全員が惨憺たる目に遭っています。
544:名無し三等兵
07/12/25 09:28:38
そういう穏健派の挫折と転向が、満州事変をはじめとする強硬政策を後押ししたのかねえ?
545:元32(予備役少佐)
07/12/25 10:35:01
>>544
佐々木到一の場合は転向前の蒋介石への傾倒と、
転向後の中国国民党への憎悪が極端に違うので、
とても印象的な例ではありますな。
546:名無し三等兵
07/12/25 20:50:34
___
. _r´――-、: .`: . 、
,._r´.´: . 7: . ̄: ̄: マ: . :∧: \
/': {: . : ._⊥ム~ z vハ: ./ ',: . :'.,
,.'ハ: . /ゝ' l} !:{ !: . : .,
/:{: ヽイ | |乂_oノ: . : . , <みなさん、クリスマスの夜に2ちゃんしてて
{:.lヽ{ l! , ゝ┼ - 一1 : . : |: . }: . !
. N: . ! |,ノ | |: } : . |: ./: . | 楽しいですか?
|: .ヘ ヘ 、 〃 !/: . :.|:/: . : |
|: . : '., v弌=ミ: . : .:!'-、: . | カノジョとかいないんですか?
,: . :ハ ィ≠ゝ ::::〃: . : ., ノ: .:|
V: . :ハ::::::: /: . : . /ー': . : :| もう西暦2008年にもなるんですから
',: . !.ヘ マ_ フ / . : . /: . l : . : |
V:.!: . :≧rュ.―‐ '/: .//ヽ: .|: . : .:| ニートなんかヤメませんか?
Y|: . : .i´/フヽ:./.:/;;;;;;ハ .|: . : .:|
. N: . : .:l、 }〃ニミ ;;;;;;;;; ',:l!: . ::.| 捏造大好きアホだつおなみにバカっぽいですよwww
| : . : };;\ ノ-‐- 、;;;ヽ;;;;;;V : . : !
. ル1:イヾ、;;/ ヽ;;;;ヽ;;;;', : . : l
レヘ ;;;;/ ヽ;;;;ヽ;}: . : :|
〈 ヽ{ ヽ;;;;;!: . : :|
547:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/25 22:28:18
>>544 >>そういう穏健派の挫折と転向が、満州事変をはじめとする
>>強硬政策を後押ししたのかねえ?
その辺は、なかなか説明が難しいところがあります。佐々木到一が南軍にボコボコに
された僅か1ヵ月後には、張作霖爆殺事件(1928年6月4日)が起こっていますから、
佐々木の件とは全く別の場所で進行していた訳です。
近視眼的には、若槻礼次郎内閣(+幣原喜重郎外相)の平和外交に対する不満も
大きかったでしょう(第1次:1926年1月30日~1927年4月20日)。若槻内閣が倒れた
理由の1つとして、蒋介石の北伐に対して無策というか『放置プレイ』であり、
枢密院の不興を買ったことがあります。表向きには、昭和金融恐慌に伴う台湾銀行の
救済案で揉めたことになっていますが。
第2次若槻礼次郎内閣のときに、満州事変が起きたのも偶然では片付けられない
でしょう。根底には、汚職や経済的失策が度重なる政党政治に対して根深い
不信感がありました。
548:元32(予備役少佐)
07/12/25 22:43:01
>>547
ただ、穏健派というよりも、
むしろ熱狂的に国民党に思い入れをした日本軍将校達が、
現実に裏切られて醒めていったということは、
長い目で見ると意味をもってきたようにも思えますね。
松井石根といい、佐々木到一といい。
佐々木の『ある軍人の自伝』を読んだときは、
荒涼たる心象風景に寒気がしました。
549:名無し三等兵
07/12/25 22:50:45
>>542
とある同人誌で読んだのですが、
米内光政の同期である荒城二郎もいたそうですね。
550:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/25 22:58:55
そもそも佐々木到一の場合は、孫文に対して個人的に私淑していたのであり、
「蒋介石なんか後継者じゃない!」と否定してしまえばそれまでだったでしょう。
また支那が真の革命を成し遂げて、独立を勝ち取り、日本のパートナーとなって
ともに東洋平和のために働くことを夢見ていた素朴な大アジア主義者は、佐々木
だけでは勿論無くゴマンといました。まあ、カンジなんかも「大アジア主義者」に
よく挙げられますけどねw。
支那も日露戦争の勝利を見て、日本の近代化に見習えと真剣に考えたこともありますし、
生まれた年代的に明治維新へ参加できなかった日本人が、その代わりとばかりに支那の
革命に熱中したところもあるでしょう。「大陸浪漫」と言ってもいいかもしれません。
実際、支那でも清朝を倒すことが(日本でいう徳川幕府を倒すことが)近代化に繋がると
考えられていました。こうした複雑な背景も考慮しないと、本質が分からなくなります。
551:元32(予備役少佐)
07/12/25 23:03:41
>>550
ちなみに中山服を発明したのは自分だと、
佐々木さんは主張していたような記憶があります。
近代的で統一された中国が日本と協調するというのが、
アジア主義者の夢でしたが、今に至るまでうまくいきません。
しかし、今に至るまで、この方向に魅了される人はいるので、
やはり、その「大陸浪漫」は魅力的なのでしょう。
552:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/25 23:07:57 prThQmbs
孫文の大アジア主義の説明として分かりやすいものに以下のものがあります。
「中国と日本がアジア主義によって太平洋以西の豊富な資源を開発し、また
アメリカがそのモンロー主義によって太平洋以東の勢力を統合し、各自それ
ぞれの発達を遂げたなら、100年にわたり衝突の憂いはなくなるのである』
(『大アジア主義と中国』)
>>548 >>むしろ熱狂的に国民党に思い入れをした日本軍将校達が、
>>現実に裏切られて醒めていった
『日本陸軍と中国 「支那通」にみる夢と蹉跌』の後書きに、著者が江藤淳から
受けた指摘が載っていますが、まさにその通りでしょう。
『佐々木が中国に裏切られたというのは、中国が「他者」であるという認識に
欠けていたからだ』
553:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/25 23:17:27
さすが江藤淳というところでしょうか。佐々木は時、太平洋戦争に至るも
支那に対する愛憎絡みあう複雑な思いと、日本の国益を最優先にする責任感
とで板挟みになっていますが、最後まで支那を「他者」と区別できなかった
のかもしれません。
>>しかし、今に至るまで、この方向に魅了される人はいるので、
>>やはり、その「大陸浪漫」は魅力的なのでしょう。
福田や小沢や加藤など、今もあなたのすぐ隣にいる大アジア主義者w。
554:元32(予備役少佐)
07/12/25 23:21:12
>>553
>福田や小沢や加藤など、今もあなたのすぐ隣にいる大アジア主義者w。
政治家のみならずビジネスマンにも多いですね。
あれは論理では説明のつかない世界かと。
そういう意味では小泉さんは異端児です。
555:霧番
07/12/25 23:31:23 c9xUyLzB
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そして俺様の遺伝子で木内梨生奈が孕んでくれる!
555ならJSFに法則発動
555なら空自の次期F-Xはライノ
※拒否や無効化,棄却、取り消しはできません。
556:名無し三等兵
07/12/26 10:14:05
>>547
>佐々木の件とは全く別の場所で進行していた訳です。
河本大佐はすでに支那人の現実に目覚めていたんだよw
そういう人だからこそ、戦後に国民党と付き合いながらも地位を維持できたんだろう。
557:名無し三等兵
07/12/26 22:58:16
>>547
『日本の百年』(筑摩書房、1962年)からの孫引きですが、佐々木は
張作霖爆殺についてこんな手記を残しているそうです。
「かかる情勢においてほどこすべく残された唯一の方途は、逆の戦法に
出ずるあるのみ。(略)予はむしろ奉天王国を一度国民革命の怒涛の
下に流し込み、しかるのちにおいてわが国のとるべき策があるものと
判断した。
この計画は一種捨て鉢の一六勝負であるが、わが国内大勢は従前の情
勢をもってしては、満蒙におけるわが権益の保全も、三百に余る懸案
の解決も、事実上不可能であることを予察するゆえであった。
そこで密かに関東軍参謀だった河本大作大佐に書を送り、近くまぬが
れ難き奉革会戦において奉軍の壊滅またまぬがれ難きを予想し、この
機会に一挙作霖をほふって世を学良一派の似非新人的雷同分子にゆず
らしめ、しかるのち、彼の腕をねじあげて一気呵成に満洲問題を解決
せんことを勧告した」
(『世の支那生活を語る』1939年7月稿)
この後付の主張がどこまで本当なのか私には判断つきませんが、参考まで。
558:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/26 23:18:19 N2T2UX9M
>>551 >>近代的で統一された中国が日本と協調するというのが、
>>アジア主義者の夢でしたが、今に至るまでうまくいきません。
現代支那が「近代国家」かと問われれば、口が裂けてもそうは言えないでしょう。
というか、未来永劫その日は来ませんw。日本ですら「町民国家」なのですから。
>>549 >>とある同人誌で読んだのですが、
>>米内光政の同期である荒城二郎もいたそうですね。
第一次南京事件当時、荒城二郎は少将で第一遣外艦隊司令官でした。この艦隊は
上海に駐留して揚子江流域の警備を担当していましたが、もう苦労続きでしたね。
ちなみに歴代司令官は、永野修身→荒城二郎→宇川済→米内光政で、荒城も米内も
言ってみれば「支那通」軍人です。
ちなみに日本領事館に先遣隊として派遣された荒木亀雄大尉は駆逐艦「桧」の分隊長
でしたが、所属する第24駆逐隊(「桧」「桃」など)はもちろん荒城少将の指揮下です。
559:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/26 23:50:48
>>557 >>世を学良一派の似非新人的雷同分子にゆずらしめ、しかるのち、
>>彼の腕をねじあげて一気呵成に満洲問題を解決せんことを勧告した
ちょっとそれはかなり無理があると思います。佐々木は上記の趣旨の書簡を
河本大作宛に送り、暗号を組んだ『密電』が南京と旅順の間を数回往復した
と云いますが、佐々木の主張は「河本が自分の献策に基づいて張作霖爆殺を
画策した」にまで及びます。しかし、これを裏付けるような第3者の証拠は
見つかりません。
>>556 >>河本大佐はすでに支那人の現実に目覚めていたんだよw
河本は関東軍高級参謀に転任(1926年)してきたとき、あまりの排日行為に
衝撃を受けたと云いますが、張作霖爆殺を具体的視野に入れたのは「二葉会」や
「木曜会」といった中堅将校の研究(結社)グループでの結論からでしょう。
560:557
07/12/27 21:09:44
>>559
そうなんですねえ。
佐々木の主張する謀略はやはり後付けくさいですね。
>ちなみに中山服を発明したのは自分だと、
>佐々木さんは主張していたような記憶があります。
ということですから、佐々木もやはり大陸浪人的な吹聴の癖があったのでしょうか。
561:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/27 23:28:32 7J4QQ74L
>>560 >>佐々木の主張する謀略はやはり後付けくさいですね。
まあ、他人を引き合いに出すのはよくありませんが、戸部良一教授もその件に
ついては「彼の主張を裏付けるものは何もない」と言っていますので、まず
間違いないかと。
>>佐々木もやはり大陸浪人的な吹聴の癖があったのでしょうか。
済南事件で佐々木が受けた暴行は筆舌に尽くしがたいものがありましたので、
トラウマどころか人格が変わってもおかしくないでしょう。第一次南京事件の
根本博のそれを遥かに上回ります(根本も下手すれば殺されていましたが…)
むしろ立ち直るために自分に嘘を付いてでも、そう思い込まなければならなかった
のでは? 自分も小学校4年までしか剣道をやっていなかったのに、ずっと6年まで
やっていたと信じ込んでいた経験があります。別に「若年性痴呆症」という訳でなくw
そのころ中学受験(失敗)や小学校でのイジメなどもありましたので、何年かして
自分が納得できる「ストーリー」を無意識に作ってしまっていたのです。
562:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/28 00:04:10 f719H3lj
佐々木到一は「軍事顧問」として、北伐の革命軍に同行していました。済南事件に
直面すると、蒋介石の依頼により停戦交渉の使者として南軍と日本軍の間を往復
することになります。
日本側に蒋介石の意志を伝えると、今度は支那側に停戦の徹底を求める日本軍の
使者となりました。蒋介石の司令部に戻って日本軍の要請を伝えると、さらに
蒋介石の依頼により、支那側の停戦意志を伝えるために日本軍陣地に向かう…。
ヤバゲな雰囲気がぷんぷんですね。両軍の使者を兼ねている訳ですが、下手したら
双方から「敵扱い」です。実際、支那側の陣地を通ろうとした際に車を止められ、
通訳として付けられた副官の桃少佐とともに、外へ引きずり下ろされます。
そして日本側陣地を通過するために用意された日章旗が車内から発見されると、
支那兵共は血相を変えました。通訳の桃少佐は、●「この人は総司令(蒋介石)の
賓客だから殺してはいけない!」と叫びましたが、哀れ、桃少佐は広東出身のため
(ということは、蒋介石直系軍)、軍閥の兵どもには言葉が通じなかったのです―。
563:名無し三等兵
07/12/28 23:05:32
歴史書の新しい読み方に気付きました。
小生、従来、いわゆる‘自虐もの’を敬遠する傾向にあったのですが、
しかしそうした著作も、然るべき人物の、
それなりの解釈・研究の結果取捨選択された資料、根拠に基いて書かれたものであります。
ですから、それは、それなりの解釈を加えて読めば、再生利用が可能であるということです。
つまり歴史家の解釈の構造を、こちらがもう一度解釈しながらその資料を読むということです。
これは、いわゆる歴史事実というものが歴史解釈というフィルターをろ
過された後に得られた‘史実’であるという事実に基きます。
まあ、卑近な例でいうなら“通州事件”の記載されていない高名な大歴史事典が
今も存在するそうですから、小生は“史実は一つ”というコピーを未だに信じきれないのです。
564:イナゾウ四等兵 ◆FU/OcfTlfM
07/12/28 23:31:56
ようやく仕事納め……。明日から「超時空要塞ビグザイト」に逝ってきますので
しばらくお休みしまふ。って、何の準備もできてねえよっ! ウワーン!(泣)
今年は去年の暖冬とは比べ物にならない寒波到来なので、皆さま防寒対策は
万全に…。
565:ばばぼん♪ ◆gdH1Km1a0U
07/12/28 23:35:44
∩_,,∩
<=`∀´> 今回はお休みニダ
~( )
し―-J
566:名無し三等兵
07/12/29 17:35:03
,,. -‐f_ニ三二_ニ==..、、
,::;;ノ'' ̄  ̄ ヽヽ::.`ヽ
. '::/ ヾ ミ: l
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567:名無し三等兵
07/12/31 09:12:48
元中佐殿は今頃東部戦線か西部戦線か
568:JY
08/01/01 09:14:11
イナゾウ先生、あけましておめでとうございます。
このスレともども、本年はご多幸でありますように(=人=)
569:イナゾウ三頭兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/01 11:07:54
>>568 あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
マターリと進行させていただければ幸いです。ついでに新年の恩赦で昇進しました。
570:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/01 11:41:05 z5faxEuK
「三頭兵」じゃ、一体どこのモンスター兵士かということでw。石井中将。
>>562 の続き >>哀れ、桃少佐は広東出身のため(ということは、蒋介石直系軍)、
>>軍閥の兵どもには言葉が通じなかったのです。
佐々木到一と桃少佐は共に縛り上げられ、多数の支那兵と周囲に集まってきた
土民共に暴行を受けました。桃少佐の広東語が通じなかったことからも分かるとおり、
佐々木が捕まったのは蒋介石直系軍ではなく、馮玉祥の軍閥兵だったのです。
たくさんの鉄拳が佐々木の顔面や頭に降り注ぎ、服のポケットは切り裂かれ
全ての所持品を奪われます。「殺せ!殺せ!」という叫び声が辺りを埋め尽くし
実際、佐々木の肩口に拳銃が押し付けられました。
別の者は、2本の指を佐々木の顔面に突きつけ、両目を抉る真似をして佐々木を
脅します―。
571:名無し三等兵
08/01/01 11:44:48
シナーって陰謀厨なのに民度が低いんでつね
572:名無し三等兵
08/01/01 11:48:00
2005年7月3日、支那のTV局北京電視台の午後4時からの番組「社会透視」内で、
支那事変の発端となった盧溝橋事件は、
北京守備隊支那国民党軍第29軍に潜入していた中国共産党地下党員
『吉星文』『張克侠』『何基?』らが引き起こし、
まんまと抗日戦争へと発展させる事に成功したと報道した。
573:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/01 12:04:42 z5faxEuK
このまま事態が推移したら、佐々木は間違いなく「リンチ死」していたでしょう。
きっと死体も切り刻まれて、どこか日本軍の目に付くような路上に晒し上げです。
他の日本人居留民の惨殺死体と同様です。
しかし、そこに幸運が訪れました。たまたま佐々木を見知っている支那軍将校が
乗馬で通りかかり、驚いて佐々木の縄尻を取っている下士官に耳打ちします。
更にその下士官が理性的な人物だったことも幸いし、「絶対に貴官を殺すことは
ありません」と佐々木に囁きます。しかし周囲は『2chの祭り状態』ですから
佐々木への殴る蹴るは止めようがなく、ひたすら最後の一線を超えないように
じっと耐えるのみでした。
まるで佐々木は「市中引き回し」の格好で、大勢の野次馬が隊列を遠巻きにして
追ってきます。周囲の2階の窓からは、「殺!殺!殺!」「打倒日本帝国主義」
という罵声が浴びせられました。
574:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/01 12:35:31 z5faxEuK
まるで『ブラックホーク・ダウン』か、土民の群集に死体を引き摺り回される
米軍兵士の世界ですが、ようやく城門を通り過ぎる際、蒋介石の総司令部から
使者が迎えにきており、佐々木は解放されました。
蒋介石の総司令部に戻った佐々木は、ベッドの一室に倒れこみ昏倒します。
命こそ助かったものの全身打撲状態で、右手が上がらず、下顎の骨を折り
しばらく流動食しか取れませんでした―。
この暴行事件は、佐々木の「支那観」を大きく揺さぶります。もちろん
『幻滅』の一言です。後で述べますが、良く云えばトラウマかPTSD、
悪く云えば、もはや「発狂状態」です。
他にも国民革命軍がいかに烏合の衆で、蒋介石直系軍と勝ち馬に乗ろうとする
軍閥の集合体であることかが分かります。後の支那事変でもよく言われますが
出身地方が大きく違えば、支那人同士で言葉もろくに通じません。まあ、ソ連も
似たようなものですが。
575:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/01 19:32:21 xQiCeZdH
さて時間を少し巻き戻しましょう。佐々木到一がリンチに遭ったのが1928年
5月3日の話であり、その前日の5月2日の出来事です。
(再確認ですが、国民革命軍が済南に到着したのが5月1日。同じく蒋介石が
入城してきたのが5月2日)
>>日本人居留区の警備責任者が、第6師団・第11旅団長の斎藤瀏少将だった訳ですが、
>>何を思ったか斎藤少将は、南軍を刺激するようなバリケードや砂袋陣地、有刺鉄線
>>などを、福田師団長の許可を得ずに独断で撤去させました。
>>541 で自分はこう前述しましたが、実は斎藤瀏少将にバリケードを撤去するよう
使者として訪れたのが佐々木到一本人だった訳です。これは蒋介石の申し入れの中に
「商業地の防御設備を撤去してほしい」という項目がありました。「革命軍の将兵を
刺激し過ぎるから」というのがその理由でした―。
576:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/01 20:04:26 xQiCeZdH
斎藤旅団長は、上司の福田彦介中将(第6師団長)の許可を取らず、現場の
独断でこれを受け入れました(>>540も参照)。警備区の土嚢、拒馬(きょば:
柵などの障害物)、鉄条網、その他の防御設備を取り除いてしまいます。
斎藤少将はあくまで無用の衝突を避けるために「宥和的な態度」を取った
訳ですが、これは結果的に仇となりました。支那の土人相手に「こちらが
妥協したから向こうも…」あるいは「こちらが善意なり誠意を見せれば…」
と見返りを期待するのが根源的な大間違いなのです。
防御設備を撤去したおかげで、支那の土人兵どもが日本軍の警備区域内に
入り込んできて、かえって摩擦が強くなりました。そして翌3日の午前、
ついに武力衝突が勃発した訳です―。
その当時、支那側の異常な「対日敵愾心」にヒートアップするかのように、
日本側も異様に殺気立っていました。若い将校の中には佐々木に、●「なぜ
革命軍のために世話を焼いているのか!?」と詰め寄ってくる者もいたと云います。
577:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/01 20:57:48 xQiCeZdH
>>576 >>そして翌3日の午前、ついに武力衝突が勃発した訳です―。
日本軍と衝突したのは、日本の陸士留学組で35歳の軍長・賀輝祖が率いる
第40軍の兵士だったと云います。
衝突の原因は、満鉄の機関紙的存在だった『満州日報』の販売店で革命軍兵士が
掠奪を働いた(日本側言い分)とも、その販売店の近くに反日宣伝ビラを貼ろう
としたら日本人が妨害した(支那側言い分)とも云いますが、どちらでも良い
でしょう。要するに、似たような衝突が同時発生的に各所で起こった訳です。
そして同日には上記のように、双方の軍使の役割を急遽担っていた佐々木が
リンチに遭います。職務からとはいえ、「自分で蒔いた種」と言えなくもない
でしょう。翌4日までの戦闘で早くも支那側の死傷者は1000人を超えたと
云います。日本側は、軍人の戦死者が10人、民間居留民の死者が13人でした。
578:元32(予備役少佐)
08/01/01 21:53:02
>>577
ようやく規制解除。イナゾウ班長殿、あけましておめでとうございます。
今年もまったりいきましょう。
佐々木の屈折した心境も泣けますが、
しかし、そこまでして中国についていくだろうか。
579:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/02 03:47:12 6Z2icJNd
>>541 >>衝突の原因は諸説あるので割愛しますが、青島で待機していた第6師団
>>第36旅団も来援、さらに5月8日には名古屋第3師団と関東軍から1個旅団の
>>増援が決定されます。そして日本軍は5月11日に済南城を完全に占領しました。
上記が「済南事件」の概要、そして第2次・第3次山東出兵となる訳ですが、
斎藤瀏少将(第11旅団長)は事件の現場責任を取らされて「予備役編入」の
憂き目となりました。佐々木の要請を独断で受け入れたばかりに気の毒ですが、
蒋介石に対する何とはなくの期待、あるいは南軍の大部隊に対するプレッシャー
もあったのでしょうか。
後に上司の福田師団長が「居留民保護」→「膺懲(ようちょう)戦争」に方針を
大きくシフトすると、事前にバリケードを撤去して事態を不利にしてしまった格好の
斎藤旅団長の過失がことさら大きく見えます。必ずしも現場が詰め腹を切らされた
だけとは云えないでしょう。
580:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/02 04:27:13 6Z2icJNd
>>578 >>ようやく規制解除。イナゾウ班長殿、あけましておめでとう
>>ございます。今年もまったりいきましょう。
あけましておめでとうございます。こちらこそ今年もどうぞよろしく。
いま深夜映画の『八甲田山』を観ながら書いています。ろくな防寒装備も
付けずに体感温度マイナス20℃……。冬のコミケ3日目も超寒かったですが、
それでも気温2℃程度です。体感を含めてマイナスにいくかどうか……。
>>先頭で教導していた神成大尉は誰ともなく命令する。「ここで部隊を解散する。
>>各自勝手に青森へ帰るように。」それまで何とか落伍せずに頑張っていた
>>多くの兵士が、この一言により箍が外れ、発狂して服を脱ぎ始める者、
>>「この崖を降りれば青森だ!」と叫び川に飛び込む者、「筏を作って川下りを
>>して帰るぞ」と叫び樹に向かって行きそのまま倒れこむ者と、この一言で
>>倒れこんで凍死する者が続出した。
581:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/02 04:44:51 6Z2icJNd
>>イナゾウ班長殿、あけましておめでとうございます。
ようやく「懲罰大隊」の班長から抜け出せそうですw。マトモな部隊に
転属される日も近い?……
>>「ここで部隊を解散する。各自勝手に青森へ帰るように。」
「ホームレス中学生」の『解散!』を上回りますw。
582:イナゾウ三等兵@悪質な閑話休題 ◆FU/OcfTlfM
08/01/02 05:21:05
>>567 >>元中佐殿は今頃東部戦線か西部戦線か
毎回そうですが自分は、全日通しで参加しました。つくづく思いますが、
やはり「コミケの華は3日目」よのうw。
3日目は「西部戦線」におりました。東方スペースの西2を彷徨っていただけで
ほとんど1日が終了してしまいました。資金的には充分な余裕がありましたが、
実家への帰省の関係もあって3時前には切り上げざるを得ず、また1人で持ち運ぶ
量には限界があったのですw。
まあ、話の賞味期限が切れる前に、恒例の『悪質な閑話休題』ということで……。
◎事前の予想では、大寒波到来とのことでしたが1日目・2日目はむしろ暖かい
ぐらいで、夜に降った雨の方がキツかったですね。
583:イナゾウ三等兵@悪質な閑話休題 ◆FU/OcfTlfM
08/01/02 06:06:22
◎自分は3日目の深夜1時ぐらいに「西部戦線」に到着いたしました。
「半徹組」のほぼ先頭に並ぶことができましたが、午前3時半ごろに
階段上に移動してビックリ!
奥の方から「整理券組」が2~3リットルぐらい出るわ出るわw、結局
階段を上がったすぐの通路のところで列が確定となりました。前年と
比べましても異常な「整理券組」の量です?。まあ、「FLIPFLOP」を入手
できただけで、先行できた時間はチャラになりましたがw。
◎2日目の「やん家」さんの新刊がなくて、しょんぼり。
◎1日目の場内放送で、「来場する際に、タクシーの運転手さんの
荷物をいっしょに持っていった参加者の方、運転手さんが困って
いますので至急本部まで来てください」という内容に場内苦笑。
まあ、複数人でタクシーに乗ってトランクに荷物を預けたはいいが、
仲間かサークルの荷物だと勘違いして持っていったのかしらん?w
584:イナゾウ三等兵@悪質な閑話休題 ◆FU/OcfTlfM
08/01/02 11:49:03
◎1人場所取りしているところに、1~2人列に割り込んでくるのはまだ許せるが、
1人場所取りしているところに、5~6人列に割り込んでくるのは止めてくれw。
アキレス腱、蹴り切るぞ。トイレから戻ってきたら列のあまりの惨状にビックリ
します。仕方ないので、その内のお一人様に集中して報復させて頂きましたw。
◎3日目の東方スペースに、ものすごい可愛い「霊夢」のコスプレをしている娘さんを
発見してビックリ。小柄な背格好といい、少し痩せぎすの体形といい、服装のデザイン
の良質といい(当然、寒風吹きすさぶ中、腋全開w)、可愛いながら少し陰のある表情
といい、誰がどう見ても80~90点は固いだろうさw。ツボにはまりまくりです。
◎帰省で急いでいる関係で、戻りの秋葉原までタクシー使ったら4千円もかかりましたw。
運転手が「ヨドバシカメラの位置関係が分かりません」という基地外で、通ったルートも
怪しいものです。信号待ちで時間も早くならないので2度と使いませんw。参考までに
東京駅から超時空要塞ビグザイトまでは「深夜料金」でも3千円弱、石原都政の
「オリンピック道路」のおかげで本当に近く早くなりました。
585:楽園の素敵な巫女 博麗霊夢@悪質な閑話休題 ◆FU/OcfTlfM
08/01/02 12:09:10
>>584 >>ものすごい可愛い「霊夢」のコスプレをしている娘さんを発見してビックリ
.「^ヽ,ry'^i
,ゝ"´ ⌒`ヽ
くi Lノノハノ)」 サークルの列に並んでいるときに発見して、あまりの
λ.[i ゚ ヮ゚ノi! ドハマリ具合にしばらく眺めていたら、偶然目が合って
レ',ヘ.i`ム'」つ 「キモッ」とばかりに顔を背けられたそうよw。ちなみに
,く_,//T.iλ イナゾウ三等兵の「霊夢」のイメージは、『徒歩二分』の
"ーr_,t_ァ'" 全宇宙を見下すような少し陰気のカリスマ巫女さんですw。
586:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/02 16:03:15
>>579 >>斎藤瀏少将は事件の現場責任を取らされて「予備役編入」の憂き目
>>527 >>栗原:「お…おじさん、斬ります!!(怒)」
>>斎藤:「斬れ!! 斬ってしまえ、クリコ!!(怒)」
さて「済南事件」の顛末ですが、斎藤瀏旅団長ならびに上司の福田第6師団長は
事件の責任を取らされて予備役編入されてしまいます。福田彦助中将は、ロシア
大使館附武官補佐官やWW1ではロシア軍の観戦武官、シベリア出兵、ニコリスク
特務機関長などを歴任するなど「ソ連通」の典型的な軍人でしたが、「済南事件」に
関わってしまったばかりに、そのキャリアを終わらせてしまいました。運が悪い
としか言いようがありません。
斎藤瀏少将は、直接の現場責任者ですから「予備役編入」は仕方の無いことでしょう。
しかし問題は、その後です。「2・26事件」に大きく関わってきます―。
587:名無し三等兵
08/01/02 19:49:17
イナゾウ氏は「東方」がお好きのようですが、もし仮に「ハルヒ」とかにはまってたとしたら
「ただの支那兵には興味ありません」とか「俺、便衣萌えなんだ」とかナリキリしていたのでしょうか。
588:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/03 09:14:00 aw65Rmdv
>>586 >>しかし問題は、その後です。「2・26事件」に大きく関わってきます―。
新年元旦の発売日で『昭和維新の朝―二・二六事件と軍師斎藤瀏』(工藤美代子著、
日本経済新聞社)が出ているそうですが、「軍師・斎藤瀏」はチト言い過ぎではない
でしょうか?w 「指導者」ではなく、あくまで「アドバイザー」としての軍師なら
あるいはそうでしょうけど。
しかし斎藤瀏予備役少将が「2・26事件」に少なからず関わっていたのは事実です。
きっかけは決起将校のひとりである「栗原安秀」中尉が、自分の娘と幼馴染であり、
家族ぐるみの付き合いが元々あったからでしょう。あるいは斎藤瀏は、佐々木信綱
門下の歌人でしたから、その方面も何かあったかもしれません。
そして「済南事件」で予備役編入された恨み節も多少はあったでしょう。統制派に
人誅を喰らわせ、天皇親政の国家改造を果たすという計画に少なからぬシンパシーを
感じたかもしれません。もちろん、現役将官だったとしても「2・26事件」に助力しな
かった保証はありませんけれど―。しかし決起は、天皇の怒りを買い鎮圧されます。
589:元32(予備役少佐)
08/01/03 09:19:11
>>588
班長殿、早いですなあ。
正月はゆっくり休まれてください。
>工藤美代子
謎の近衛賞賛本を書いた人ですね。
590:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/03 09:41:18 aw65Rmdv
その結果、斎藤瀏は将官のなかで唯一「有罪判決」となり5年の禁固刑に
処されます。そればかりか、位階勲章・年金などを全て剥奪され、一家は
経済的にも苦しい生活に追い込まれます。斎藤家パニック!w ジリ貧から
わざわざドカ貧になったとしか言いようがありません。
このように軍人としては不運というか、ボタンをどこかで掛け間違えたような
斎藤少将ですが、多少なりとも名前が残っているのは、娘の斎藤史が現代短歌の
女流歌人だったからでしょう。決起将校の栗原安秀・坂井直中尉とは旭川時代
からの幼馴染であり、事件後の斎藤史は「2・26」を偲んだ短歌を多く世に
残しました。
さらに斎藤史は、三島由紀夫の『豊饒の海』の鬼頭槇子のモデルでもあります。
591:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/03 10:34:36 aw65Rmdv
>>527 >>栗原安秀:「お…おじさん、斬ります!!(怒)」
>>斎藤瀏:「斬れ!! 斬ってしまえ、クリコ!!(怒)」
斎藤家は、栗原安秀のことを「クリコ」と呼んでいました。栗原安秀が
大変な美形だったことは有名で、樋口季一郎中将も「女にして良いような
美青年」だと言っています。
てっきり「クリコ」は「栗子」なのかと思いきや、実は「栗公」とのこと。
「栗公らはやりましたか」
「やった」
家族も私(斎藤史)も栗原安秀を栗公(クリコ)と呼んでいた。
「行きますか」
「行く」
592:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/03 10:36:30 aw65Rmdv
ちなみに斎藤瀏は、存外に長生きして終戦後の1953年まで生きました。
娘の斎藤史が亡くなったのは2002年で、まだ最近のことです。
昭和の事件も視終へましたと
彼の世にて申し上げたき人ひとりある―(斎藤史)
There is one person
in the world that lies beyond
to whom I shall say:
“I have been a witness to
all the events of Showa"
日本文だけですと、「昭和の事件」が「2・26事件」だけに読めてしまうかも
しれませんが、英文を見ると「昭和という時代そのもの」だと分かります。そして
斎藤史の云う「申し上げたき人ひとり」が誰かは、言うまでもないことでしょう。
593:名無し三等兵
08/01/03 16:01:43 ReVki2ey
,..イ://:.:.:./:.:.:.: : :. :. ::.ヽ、
/-:ァ'.:./:.:.: ./.:/:/.::.:. .:... . :.:.:ト、
/´:.:.:/ ..:.:.:. /:./::/:.|:.:|::.l:.:.:.:. .:.:.:|:i:.:.:ヽ <オマエラ!正月から2ちゃんでカキコか?
/⌒/‐:::::7/.:.:.:. /.7ト从ハ.:ハ:|:.::.:l.:.:.:.:.|:!:.. .:ハ
/:.:. .:.:.:ト::::// :.:.:.:. |:/z‐ァ示ミlトl:{::l:.|::.:.:.:从|:..:: !l 友達とか彼女とか居ないのか?
|: : .:.:.::ハ:_|:l.:.:.:.:.:.:.:|ヘ トi::::小ヽl!ヽリ.:.:.ムリ:|.:.:.:|:|
|: .:.:::ハ:V_|:l:.::.:.: .:.:l:! 、辷ツ /::イ心Vj::|.: |:| サミシイやつらだな!!
| ..:.:.::|:V. r|:|.:::.:.:.:.:.|:{ ノ´ {i::リi}}リ:./:.:!
| .:.::.ハ{、 |:|:.:|:.:.:.:小! , `゙ l/:イ:.:リ 今年こそニートやめて、仕事しろ!!
!.:.:.:|:::: l:ト.}|!:.|::.:.:l:.| ヽ , 一'i /イ}|:./
|.:.:.:l!:::::l:| 小::l:::.::l:.| 廴.ノ /八リ/ 友達もできるし、彼女もできるっしょ!!
}:.:.:|!:::::|ハハヘト、: l:| ` /:: //
/.:.:ノ}::::ハ:::} ,ム.ヽⅥ{丶. .イ }:::::/′
_ム≦イ‐'‐ri´ | ヽ. ` ァ┬<::_|//:/_
,. ´ |! l| ! / |! ,/ /'j/ `ヽ、
/ |! l| 、 ノ′l| ′ ヽ
/ |! l| |! .lレ'´ .
594:名無し三等兵
08/01/03 16:12:01 09IBT/Er
>>593
いま中国的天空よんでまふ
595:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/03 21:43:55 aw65Rmdv
しかし、矢吹一夫の『昭和動乱私史』には2・26事件後、獄中の斎藤瀏
予備役少将について、以下のような記述があります。
私と同室していた『予備少将』が、隆々たる股間の一物を格子から突き出して、
「おい、憲兵っ」と大声で呼んだのである。われわれの室の前には、いつも
着剣軍装の二十二、三歳くらいであろうか、紅顔の憲兵が立っていたが―。
「はっ、何でありますか?」
と振り向いた鼻先へ『逞しい逸物』を、ぐいっと突き出しておいて、
「貴様あ、覚えがあろう。尻を持って来いっ」
と大喝したとたん、その青年憲兵は見る見る首筋まで真っ赤になって、下を向いて
しまったのには、三つの室から「どっ」と爆笑が沸いた。しかし、北(一輝)ひとりは
ニコリともせず、静かに「法華経」を読誦していたのが印象的であった―。
596:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/03 22:01:26 aw65Rmdv
矢吹一夫の記述を信じるならば、斎藤瀏は「男色家」の気があり、
何か「クリコ」や他の青年将校に対しても『お稚児さん』か『少年愛』の
対象としていやしないかと思わず邪推してしまいます(核藁)。
いやはや「腐女子」が喜びそうなエピソードです。先日のコミケの
歴史ジャンルでも「2・26事件」の本を女性陣がけっこう出されて
いてビックリです。栗原安秀のみならず中橋基明も大変な美形ですし。
597:名無し三等兵
08/01/03 22:23:32 n4w4bF1f
某陸軍ブログでも取り上げてた話ですね>斎藤少将の件
598:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/03 22:23:38
>>587 >>イナゾウ氏は「東方」がお好きのようですが、もし仮に
>>「ハルヒ」とかにはまってたとしたら
新刊は一体いつになったら出るんでしょうね?w 年が明けてしまいましたよ。
基本的にライトノベルは読んだら「ゴミ箱にぽい」なので、台詞を真似して
流用できるほど読み込むのは難しいです。「なのは」はDVDで観る時間が
本当にありませんのである意味、助かっています。いわば最後の一線ですw。
599:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/03 22:29:52
>>597 >>某陸軍ブログでも取り上げてた話ですね>斎藤少将の件
あ、参考文献は「近衛読書中隊」ねw。
600:楽園の素敵な巫女 博麗霊夢 ◆FU/OcfTlfM
08/01/03 22:46:22
>>587 >>もし仮に「ハルヒ」とかにはまってたとしたら
i^ヽry/`ヽ、
, '` ⌒ ゙`ヽ'
L(ノ八ノノLi〉
[]\ il、゚ヮ.゚[i.llλ 私だって一応、ポニーテールなのよ?
[][] \ ノi`ム´」,ヘリ ほらほらっw。
. [] [] 〈/i.Tヽヾ、_〉
.[][[] ゙''t_ァ_ァ‐゛
601:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/04 08:48:57
>>589 >>班長殿、早いですなあ。正月はゆっくり休まれてください。
>>工藤美代子 謎の近衛賞賛本を書いた人ですね。
まあ、仕事が始まったらどうなるか分かりませんし、書ける内に書いておこうかと。
松井ヒデキの『告白』を読みましたら、「この歳になって1日は24時間しかない
ことを強く意識するようになった」と書かれておりまして、全くその通りだなあと。
しかし12月下旬、無理したら胃腸風にやられまして却って効率が悪くなりましたw。
『われ巣鴨に出頭せず―近衛文麿と天皇』はレビューなどを見ると、おおむね
評価が高いですね。自分は未読ですけど。
>マッカーサーから憲法草案作成への協力まで要請されていた近衛がなぜ一転、
>戦犯になったのか。著者はその原因をマルクス主義者の都留重人とH・ノーマンが
>『木戸幸一の責任を軽くするため近衛を陥れた』とする推論を展開する。
「木戸幸一と近衛文麿との微妙な距離感」というのは興味深いですが、終戦工作以降に
スポットを当てれば、そりゃあ近衛の評価は上がるだろうさ、というのが第一印象w。
602:イナゾウ三等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/04 09:52:46 mnnfQ9V1
>>571 >>シナーって陰謀厨なのに民度が低いんでつね
今現在なら「民度が高い」とでも思っているんでしょうか、あなたはw。
>>574 >>この暴行事件は、佐々木の「支那観」を大きく揺さぶります。もちろん
>>『幻滅』の一言です。
そもそも近代化とは何でしょうか?―その重要な要素の1つとして「近代軍」の
成立が挙げられます。日本で云うなら明治維新を経て陸海軍の創設―要するに
『国民軍』の成立ですね。それでなくては単なる『私兵』であり、『軍閥』です。
昭和の日本陸軍で「第5師団(広島)は俺のモノだ」と抜かす馬鹿はもういません。
しかし当時の支那は、蒋介石の国民政府成立後も「軍隊は私物同然」であり、現代の
共産支那だってその残滓は残っているでしょう。
済南事件前後の『北伐』は、そのような近代的な「国民軍」を目指した国民革命軍の
試金石だった訳ですが……。少なくとも蒋介石の直系軍は、です。(続く)
603:名無し三等兵
08/01/04 11:20:16
>終戦工作以降にスポットを当てれば、そりゃあ近衛の評価は上がるだろうさ、というのが第一印象w。
反軍部の最右翼である松岡洋右を排除し、陸海軍部の言うとおりに南部仏印進駐やって石油禁輸を食ってれば世話はない。
その後で日米首脳会談とかもう馬鹿じゃねw
ホント何考えてたんだろう。
604:名無し三等兵
08/01/04 14:43:16
済南事件といったら、こんなネタがありましたね。
URLリンク(www.warbirds.jp)
605:徹夜無職年中正月夏休み
08/01/05 02:35:45
私がイナゾウの独立を保障しました
606:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/05 09:30:12 9YtkMlC2
>>594 >>いま中国的天空よんでまふ >>602 >>そもそも近代化とは何でしょうか?
『中国的天空』は支那空軍の近代化を考えるうえで、平易で理想的なテキストですね。
2月に後編が出るのを待ち遠しいと思っていましたが、いろいろ他にも読む本があり
まして、前編が読み終わらないかもw。
さて『中国的天空』の冒頭を読めばわかるとおり、支那の「近代軍」は清朝末期に
始まります。辛亥革命(1911)後はその遺産を各軍閥が「分け前」として持っていって
しまいますが、軍閥というのは「私軍」に他なりません。
支那軍の「近代化」はそこで事実上ストップしますが、空軍というのは「俺は
この航空機を何機もっている」と非常に分かりやすい『宣伝媒体』になります。
実際の戦力になるかはともかくとして、各軍閥は資金の許す範囲において、
徐々に機体を増やしていきます。これが支那空軍の過渡期にあたります。
607:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/05 10:02:09 9YtkMlC2
まあ、詳しくは後日予定している大テーマ『上海航空決戦外伝―中国的
天空を読む』でやりますが、空軍は海軍と同様に「技術」の固まりですね。
パイロットや整備員は少数精鋭で育成し、機体や部品その他のバックアップは
金にものを言わせるか、外国の援助に頼る。これで「前近代的」な支那軍でも
急速に戦力を整えて、国産兵器の縛りがある日本軍を一気呵成に打ち負かす
ことができると考えた。しかし、そもそもマトモな「空軍力」の建設は、
海軍のそれに匹敵する社会的インフラが必要不可欠だったのだ―。
というのが、前述の中テーマ「上海航空決戦」の結論でした。しかし
「陸軍の近代化」というのは、海空軍のように「見た目」で分かりやすい
ようにはいきません。まず陸戦の勝敗は、兵数・士気・指揮官の能力・地形・
兵器など様々なファクターが絡んできます。また兵士が受けた平均的な初等
教育も露骨に影響しますし、動員や徴兵といった社会システムも不可欠です。
608:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/05 10:22:33 9YtkMlC2
支那の場合、陸戦は「事前の切り崩し」でオセロゲームのように勢力が
逆転して、一方が戦わずして下野することも多かったのです。ですから、
近代陸軍の建設というのは、清朝のような国家単位ならともかく、軍閥
単位ではとてもモチベーションが湧かなかったでしょう。
それよりも単に兵員の頭数を増やすか、大砲や航空機などの見た目に分かり
やすい兵器を購入したほうが良かったのです。なぜなら、それは対抗勢力に
向けての『宣伝活動』だからです。『宣伝戦』といっても良いでしょう。
そして軍閥時代の近代陸軍の建設は、「黄埔軍官学校」を待たねばなりません。
もちろん蒋介石が校長を務めた、国民革命軍の士官養成学校です―。
(もう少し済南事件は続きますw)
609:ばばぼん♪ ◆gdH1Km1a0U
08/01/05 11:28:29
∩_,,∩
<=`∀´> 遅ればせながら、
~( ) 図書館でKO大出版会の「日中戦争の軍事的展開」を借りてきたニダ
し―-J
610:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/06 15:55:54 CDYhfasd
>>578 >>佐々木の屈折した心境も泣けますが、しかし、そこまでして
>>中国についていくだろうか。
さて「済南事件」をもう少し続けましょう。第2次北伐時(1928年4月~)、佐々木
到一は、蒋介石率いる「国民革命軍総司令部」に従軍を希望して、許可されました。
佐々木は、「国民党がいずれ支那全土を支配するだろう」と確信していましたので、
その国民党軍と日本軍の精神的パイプ役となることを自分の責務だと考えました。また
革命軍が本当に近代的な『国民軍』へと変わり、日本と手を結ぶに足る相手かどうか?、
この目で確認するために北伐への従軍を望んだと云います(『支那内争従軍記』)。
蒋介石は、佐々木に「作戦面での助言を求めたい」と述べましたが、多分にリップ・
サービスでしょう。北伐での最終局面では、日本軍との衝突が大いに予想されました
ので、佐々木に求められたのは連絡役としての『保険』であり、極端な話、『人質』に
近いものがあります。当然のことながら、佐々木には作戦に関わるような軍事情報は余り
公開されず、従軍中、日本本国との連絡も婉曲に拒否されました(スパイ行為の防止)。
611:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/06 16:34:26 CDYhfasd
>>608 >>軍閥時代の近代陸軍の建設は、「黄埔軍官学校」を待たねばなり
>>ません。もちろん蒋介石が校長を務めた、国民革命軍の士官養成学校です。
北伐当時の「国民革命軍」の実態はどんなだったでしょうか。蒋介石直系の
第1集団軍を見ると、総参謀長に楊杰(ようけつ)、参謀副長に熊式輝など
日本の陸士・陸大留学者が少なくありませんでした。
(再確認ですが、第1集団軍=蒋介石、第2集団軍=馮玉祥、第3集団軍=閻錫山、
第4集団軍=李宗仁、となります)
佐々木の回想では、「(第1集団軍は)日本軍と比較して、組織の能率や戦術
レベルでは近代軍として至らない部分が多いが、軍紀は意外に厳粛で、掠奪・
強姦を見かけたことがなかった」と云います。
しかし、別宮翁の「第1次大戦」(済南事件の論争点)などを読みますと、
「済南事件の武力衝突は、蒋介石の略奪命令による計画的犯罪」とありますw。
612:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/06 16:52:42 CDYhfasd
佐々木の証言は、現場を見聞きした「第1次当事者」のものですが、当然の
ことながら自己弁護や、都合のよい意図的なミスリーディング(誤誘導)、
あるいは無意識の希望(こうであったら良かったのに)も含まれますから、
そのまま鵜呑みにする訳にもいきません。別宮翁の挙げる地図などを見ると、
>>5月3日11時ごろの済南商阜地の情況をみれば、『国府第1集団軍』の済南に
>>宿営した部隊がほぼ総力あげて、商阜地の日本軍守備線内地区(青斜線内)に
>>向っていることがわかる。
東西に分かれてしまった日本軍の警備区(領事館がある地域と、邦人が密集
する地域)が、革命軍による包囲殲滅(それも蒋介石直系の『第1集団軍』で
あることに注意)の意図に晒されていることが、ありありと見て取れます。
613:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/06 17:12:59 CDYhfasd
また「済南事件」の写真も挙げられおり、
>>白昼堂々、済南商阜地(※日本人居留区)を略奪する国府中央軍兵士。
>>明らかに集団で行われている。手前で小銃をもつ士官が見張っている
>>ことに注意。
サンタクロースではありませんがw、白の大きなズタ袋を肩から背中に
下げている支那兵を見ると、とても佐々木の言うことを全て鵜呑みには
できないでしょう。無論、別宮翁が電波を発している可能性もありますがw。
ただ別宮翁の論点で面白いのは、「蒋介石が『略奪命令』を出した」と
する点で、こう考えますと革命軍の軍紀もクソも関係ないことになります。
親玉が「略奪しても良い、むしろやれ」と命令している訳ですから、むしろ
兵たちはそれに従う方が軍紀的に正しい訳ですw。
スターリンによる満州やベルリンのソ連軍ではありませんが、親玉のキャラ
クターにも大きく左右されます。済南の日本軍はよほど侮られたのでしょう。
614:名無し三等兵
08/01/07 21:17:52
南京に抗日航空記念館 新たな反日教育の拠点に (産経新聞)
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
新華社電によると、南京市は5日までに、抗日戦争中に戦死した国民党や旧ソ連、米軍などのパイロットを記念する
「南京抗日航空記念館」を建設すると発表した。
今年4月に着工する。同市では旧日本軍の南京占領から70周年の先月13日、
大幅拡張した「南京大虐殺記念館」が再オープンしたばかり。新たな抗日記念館建設で、反日教育の強化が懸念される。
新記念館は孫文の墓地「中山陵」などがある紫金山の北側に建設される予定。
延べ床面積は2200平方メートルで4つの展示室を設置。屋外展示場には抗日戦当時の航空機の残骸や航空烈士の像を展示する。
南京市政府は、すでに建設されている南京航空烈士共同墓地、
同記念碑と合わせて「南京抗日航空烈士の国際的な聖地にする」と説明。
建設総額は2000万元(約3億円)と見込まれており、江蘇省と同市が建設資金を負担するが、
すでに世界各国から214万元(約3210万円)の寄付金と、展示物として史料など300点以上が集まっている。
------------------------------------------------------------------------------------------
サンケイ脳としか言いようがない。
615:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/07 22:52:27 R40anBDb
>>603 >>その後で日米首脳会談とかもう馬鹿じゃねw ホント何考えてたんだろう。
兵頭軍師の新刊『日本の戦争Q&A』はある意味、徹頭徹尾「海軍批判の本」でも
ありますが、支那事変直後に近衛首相が「宣戦布告」を出来なかったのも、航空
ガソリンの輸入が困難になることを怖れた海軍の横槍であると指摘しています。
ただ陸軍は「重爆の開発」に失敗して、長距離(戦略)爆撃は海軍に頼らざるを
得ませんでしたから、陸軍もその点だらしがないでしょう。
2・26事件直後、最初に大命降下したのは近衛文麿でしたが(西園寺公望の推薦)
健康の問題を理由に断っています。貧乏くじというか、尻拭いをさせられるのを
嫌がった訳です。土壇場での近衛の「投げ出し癖」も含めると、肝心なところで
ふんばらず、手遅れになってからジェスチャー的に頑張っている感があります。
要するに、近衛文麿は「安全圏」あるいは自分の所業で状況が極限まで悪化した
「ダメ元」でないと何事もできない人物なのです。終戦工作はまさにそれです。
616:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/07 23:07:19 R40anBDb
>>604 >>済南事件といったら、こんなネタがありましたね。
「甲冑将校」ですか…。写真のインパクトが強すぎですね。まあ、下手したら
「100人斬り」のように話が一人歩きしますから、『椿事』で済んで良かった
じゃないですかw。ただ一緒に戦っている人間がひとり、鎧を身につけていたら
他の兵士の士気は下がるか、怖気づくのではと思います。
617:楽園の素敵な巫女 博麗霊夢 ◆FU/OcfTlfM
08/01/07 23:20:44
>>605 >>私がイナゾウの独立を保障しました
.「^ヽ,ry'^i ♪ ______
,ゝ"´ ⌒`ヽ | | ̄ ̄\ \
くi Lノノハノ)」 .| | | ̄ ̄|
λ.[i ゚ ヮ゚ノi! | | |__| ついで経済的にも
レ',ヘ.i`ム'」つ . |_|__/ / 保障して欲しいわね。
,ノ⌒,く_,//つつ| ̄ ̄ ̄ ̄ | 〔 ̄ ̄〕
`'ー´ ( ̄| ̄
618:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/08 00:00:59
さて「済南事件」の顛末ですが、支那兵のリンチにあった佐々木到一はその後
どうなったでしょうか。直後に見舞いに訪れた蒋介石からは「日本軍との提携の
望みは無くなった」と不信の念を表明されて、散々な末路です。
さらに残酷なのは、済南から療養のため日本に帰任して再び南京に戻ると
(佐々木はそもそも参本附仰付で南京駐在)もはや支那側から佐々木への
接触を断ったことです。国民政府や革命軍総司令部ともほとんど没交渉と
なり、日本軍の回し者として無視されたのです。のちに佐々木は、
「済南事件に直面して、予の夢が完全に破れた。広東時代の予はただ若かった
ことを自覚せねばならぬ」と幻滅と失望をあらわにしています。
619:名無し三等兵
08/01/08 02:07:20
ていうかこの人って、てめえの国が侵略した相手と仲良くなれると本気で思ってたのか。凄いな。
勝手に期待して、偉そうに啓蒙しようとして、あげく勝手に幻滅って…(汗
軍人の本分を越えてるとかいうレベルの問題じゃないですね。
ていうかこんな人の気持が分からん連中だからこそ、よその国を踏みにじっても
平然としていられたんだろうなぁ。
今の中国はあまり好きじゃないが、当時の中国の人には本気で同情します。
620:名無し三等兵
08/01/08 15:34:20 4pI+XV22
松岡洋右ってよく分からん。
三国同盟締結や日ソ不可侵条約のお膳立てしたことを考えれば対米強硬派だが、
陸海軍の南方進出にことごとく反対したところを見ると融和派にも見える。
621:元32(予備役少佐)
08/01/08 15:42:46
>>619
中国と国民党と孫文と蒋介石と日本人の革命同志のあいだには、
いろいろ複雑な関係があるので、国単位で区分して、
簡単に決めつけるようなことはいえないのです。
日本人同志の尽力がなくては初期の国民党はありえないので。
松井石根も佐々木到一も国民党の功労者なところに歴史の皮肉があります。
済南事件当時の日本がもう中国を侵略していたかどうかも問題。
そもそも孫文は満州を中国と思っていないので、
日本が占領しようが国を作ろうがかまわないのです。
それが蒋介石の時代になって、次第に変化するのですが。
622:名無し三等兵
08/01/08 18:11:12 KmkuFplA
ホラーより怖い中国の実態
★1 URLリンク(jp.youtube.com)
★2 URLリンク(jp.youtube.com)
★3 URLリンク(jp.youtube.com)
★4 URLリンク(jp.youtube.com)
売国メディアの親中番組を信用するな。
623:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/08 23:24:44 nYK+tqmy
>>620 >>松岡洋右ってよく分からん。三国同盟締結や日ソ不可侵条約のお膳立て
>>したことを考えれば対米強硬派だが、陸海軍の南方進出にことごとく反対した
>>ところを見ると融和派にも見える。
要するに松岡洋右は、「ひたすら掛け金のチップを積み上げて米国を屈服させる」
ことを目指していただけで、当たって砕けろ的に米国と戦争することは考えて
いなかったのです。いわば徹底的なブラフです。たとえ手で勝てなくても口で勝て。
松岡は、日独伊三国同盟にソ連を加えて「四国同盟」とし、米国に圧力を加える
ことで大東亜共栄圏から手を引かせるという自分の構想に酔っていました。
しかし独ソ戦が始まると状況は一変します。松岡は、日本が独ソと連携し更に
英国が脱落した場合にのみ、アメリカを抑止できると見積もっていましたので、
その大条件が崩れた以上、日本の南部仏印進駐はいたずらに英米を敵に回して
亡国の道へとひた走ります。もはやバトル・オブ・ブリテン(1940年7月~1941年
5月)がドイツの失敗に終わった時点で、英国の屈服は怪しくなりました。独ソ戦の
開始は1941年6月です。そして日本の南部仏印進駐は1941年7月です―。
624:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/08 23:47:13 nYK+tqmy
>>619 >>ていうかこの人って、てめえの国が侵略した相手と仲良くなれると
>>本気で思ってたのか。凄いな。
この辺は背景を説明するのが難しいですね。例えば、日本が幕末維新に失敗して
「内乱状態」となったとしたらどうでしょうか? 史実の徳川慶喜や勝海舟が異常に
あっさりと手を上げてしてしまったのは、戊辰戦争が長引くと欧米列強の介入を
招いて「亡国の道」に他ならないとの高度な政治的判断が働いたためです。
それ以前に薩摩や長州が、英米仏露の武力を頼みにして徳川幕府を倒そうなどと
考えていたら、その見返りとして日本のどこを租借地として切り取られていたか
知れたものではありません。もちろん史実の薩長の指導者は、それがとんでもない
愚行であると判断が付くだけの理性がありました。
支那はその真逆です。「夷をもって夷を制する」という発想自体が致命的です。
625:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/09 00:23:10 Fi5ysRLj
>>624 >>支那はその真逆です。「夷をもって夷を制する」という発想自体が致命的です。
例えば、日露戦争後にアメリカの鉄道王ハリマンが、南満州鉄道の共同経営を
日本に持ちかけてきました。史実の日本はハリマンの申し出を反古にしましたが、
後世その点がよく批判の槍玉に挙げられます。しかし、満州にアメリカ資本の手が
伸びたとすれば、必ずや支那はアメリカと結託することで、より弱者である日本を
大陸から叩き出したことでしょう。下手すると日米戦争が早まったかもしれません。
まさに「夷をもって夷を制する」ですが、どちらかの「夷」はいつまでも経っても
残ります。エンドレス・ワルツです。まあ、何が言いたかったと云えば、当時の
支那は「虫食い状態」が当たり前であり、日本も含めた欧米列強の草刈場だった
ということです。もはや「分割統治」と言っても良いかもしれません。
佐々木到一ら一部の「新」支那通が考えたことは、そんな『可哀相な』支那が
国家統一を目指す近代革命に共感し、また支援し、いずれは新しい支那と日本が
手を取り合って結ぼうというものでした―。
626:名無し三等兵
08/01/09 00:26:16 reOczRnE
でも最後は「玉音放送」の末に日本軍降伏だろ・・・。
627:名無し三等兵
08/01/09 00:33:07
>>625
その発想、それ自体は悪くないと思うんですけどねええ。
一体上手く行く途というものはあったのかなかったのか・・・・
628:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/09 00:41:59 Fi5ysRLj
>>619 >>ていうかこんな人の気持が分からん連中だからこそ、
もちろん佐々木到一の考えは、当時の陸軍の少数派であり(というか
支那通軍人としても少数派)多くの批判を浴びせられていました。
佐々木は「国民党にかぶれた」と馬鹿にされ、1924年当時、支那課の
兵要地誌班長だった頃(少佐)には、軍務局長だった小磯国昭から
「ササキイ、(国民)革命はまだかね?」と揶揄されたりもします。
要するに、当時の支那通では「支那なんて永久に統一されることなく、
分割統治されていれば良い」「支那の国家統一なんて不可能である」
という考え方が主流でした。そのような中で、孫文を『先生』と呼び
身内からも批判された佐々木は、よほど進歩的であり「人の気持ちが
わかる連中」だったでしょう。
629:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/09 01:00:35 Fi5ysRLj
>>619 >>勝手に期待して、偉そうに啓蒙しようとして、あげく勝手に
>>幻滅って 軍人の本分を越えてるとかいうレベルの問題じゃないですね
それが「支那通」クオリティです。
>>627 >>一体上手く行く途というものはあったのかなかったのか・・・・
ありません。結局、支那の革命はそれまでの欧米日の利権を武力で
「強制回収」しようというものでした。地理的な隔絶で、アメリカや
イギリスが泣き寝入り、あるいは自ら利権を放棄することを表明した方が
後々メリットがある、などという考えに至ったのとは対照的に、日本は
隣国であまりに近すぎました。武力介入は容易です。文句があるなら
やってやれと。
630:イナゾウ二等兵 ◆FU/OcfTlfM
08/01/09 01:18:55 Fi5ysRLj
日本は不平等条約の改正にも、涙ぐましい努力で時間をかけて列強と
交渉で解決しました。
しかし日本の不平等条約といってもタカがしれていますので、租借など
莫大な負債を背負わされた支那は、「交渉」で解決しようとすれば100年
あってもまるで時間が足りないでしょう。
後の蒋介石の国民政府にもいえますが、あまりに支那の社会制度が
前近代的であったために、そこから一足飛びに近代化しようとして
色んなところに無理が出てきます。利権の武力回収なんてその典型
です。
そして相手は「侵略国」なのだから、武力で不平等条約をご破算にしても
文句あるか?と考えるかどうかが、近代国家としての別れ目でもあります。