07/09/24 03:37:15
>>398
「週報」は、不二出版より「『集報』-南京日本人収容所新聞」との第で復刻されています。
1945年終戦直後、南京には1万6千人余りの日本人居留民が残っていました。
蒋介石の「仇を仇でかえすな」という方針により命は助かりましたが、
「ときには街を歩いていて、いきなり殴られたり、石を投げつけられることもあった」
(「集報」解説より)ということです。
そこで南京の居留民たちは、身の安全を図るために、「ゆう江門外」の
「揚子江岸、南京駅に近く、北に獅子山をのぞむ」ところで集団で生活することにしました。
「集報」は、その日本人収容所内で発行されていた新聞です。
手書きガリ版刷りの日刊紙で、世界の情勢から収容所内のさまざまな出来事までを掲載し、
在留邦人の貴重な情報源になりました。
余談ですが、翻訳するための「中央日報」などを下関まで買いにいく際には、
「買って帰る途中で、背後から石を投げつけられて、首筋から血を流しながら帰ってきた」
などという事件もあったようです(解説より)。