07/09/17 22:34:28 asAj8s07
>>364 >>多田駿が「陸軍大臣」に決まりかけていました。
陸軍省側としては、多田駿かあるいは「磯谷廉介」で決まりでした。そこに
昭和天皇が珍しく人事に口出ししまして、侍従武官長だった「畑俊六」に
陸軍大臣の白羽の矢が立った訳です。
もし仮に天皇の介入が無く、そのまま多田駿が陸軍大臣になっていれば、
骨肉の争いをしたヒデキ(当時・航空総監)は、遠からず予備役編入でしょう。
あるいはB級師団長として、予備役前のワンクッションとして支那事変の戦場に
「厄介払い」されたかもしれません。
磯谷が陸相でもあまり変わらないでしょう(ヒデキに好感情なし)。畑俊六が
天皇の指名で陸相になったからこそ、後のヒデキが陸相・そして開戦首相に
なる道が開けたかと思うと、やはり運命を感じざるを得ません。ヒデキの
経歴を追っていくと、首の皮一枚繋がって躍進するこんなのばかりです。