07/09/13 23:01:33 iKvL4Wv1
>>334 >>それって多田もヒデキの家系が他所者の能役者だって揶揄してたんじゃ?
>>ダブルで傷つくような事いっているなさすが伊達藩出身。口ワリ
そこまで多田が『含み』を入れていたとしたら大したものですが、だとしたら本気で
ヒデキに殴られても仕方が無いでしょうw。
確かにヒデキの家系は、能楽の「春藤流宗家」にまで辿りつきます。そこから徳川家光の
時代に分家した「宝生流座付本ワキ方下懸り宗家」(なんちゅう名前だw)が後に南部藩へ
招かれました。ここから更に分家する訳ですが、当主に推薦された次弟が「南部藩に限り」
宗家と同じ宝生姓を名乗ることが許され、天保3年(1832年)に江戸から盛岡に到着
します。
当時の南部藩主が異常に『能楽師』を優遇したため(家臣に匹敵)160石が与えられ、
やはり家臣の地位が保証されたと云います。多田もそんな先祖に遡ってまでヒデキを揶揄
しなくてもと思うかもしれませんが、ヒデキが生まれたのは1884年で、そんなに昔のこと
でもありません。先祖まで『他所者』呼ばわりされては、カチンと来るのも当然です。