07/09/07 01:00:32
日中戦争は良く知らないのだが、戦標船の建造が本格化した昭和18年末に
飯河という造船士官が不足する工作機器の調達の為上海に飛んでる。
児玉機関の協力を借りて一週間ほどの間に市外、城内、郊外の20数箇所を回って
英独製の工作機械を1000件ほど買い付けた。
結局海上輸送がダメになってて何一つ本土には届けられなかったってのが悲しいところだ。
そんな話が講談α文庫の戦艦大和誕生下巻227ページ辺りに載ってる。
当時の大陸有数の沿岸の大都市で英独製の工作機械1000台オーダー、
まあ良質な分だけでもこれで全部とは思わないけど、同時期
あの日本本土ですら工作機械は100万台、性能の保証がある欧米製のものでも
20万台は固いと言われてる。
(余談だが昭和時代以降のものであれば部分的にはまともな機械の自制も可能だった
まあ一部は水準並でも全体では技術にムラがある航空機や艦艇を思い浮かべれば想像もつこうが)
恐らく沿岸の工業都市にあるもの全てをかき集めても、良質な工作機械が
日本の10分の1もあったかどうか疑わしいな。