07/09/07 00:04:30 Fr9xE1Cg
>>247 >もし「国民政府の工業水準」を云うならば、独ソ戦の初期に追いまくられた
>>ソ連がどのように工業設備を内陸に疎開させたかが参考になるかもしれません。
『抗日戦争』中、愛国的な支那人の多くが、日本軍の占領地(沿岸部)から
重慶など内陸部へと大々的に移動したという『伝説』があります。
しかし実際に移動したのは、大部分が公務員や兵士、そのほか知識人・学生であり、
要するに●『生産者より消費者の方が多かった』訳です。
また肝心の「工場の疎開」ですが、当時、上海に存在した5000箇所以上の工場と
江南各地の工場を合わせても、内陸部に移動したのは200余りに過ぎませんでした。
また武漢地区から内陸部に移動したのは約150であり、広州から工場は全く移転
しませんでした。最終的に移動した工場は450に過ぎず、機材や物資は10万トン
前後でしか無かったのです―。