07/08/29 23:10:21 fjQ9Dkgf
>>171 >>また直接の上司である関東軍第4課長の松井太久郎(中佐)は
参考までに「松井太久郎」の経歴を挙げると以下の通り。
◎北平特務機関長(大佐)→◎張家口特務機関長(少将)→◎近衛歩兵第1旅団長→
◎満州国軍最高軍事顧問→◎第5師団(広島)長(中将)→◎汪兆銘政府最高軍事顧問→
◎支那派遣軍総参謀長→◎第13軍(上海)司令官
まあ、支那通軍人の1つの典型でしょう。
173:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/08/29 23:34:16 fjQ9Dkgf
まあ、すったもんだが色々ありまして1932年12月1日、満州国の
ナショナル・エージェンシーとして『満州国通信社』(通称:国通)が
創設されました。
『MONSTER』里見甫は、その初代社長(実質)に就任することに
なります。ちなみに編集局長は、東亜同文書院で里見の3期後輩にあたる
大矢信彦を新聞連合通信社より招いて経営にあたりました。
ホップ・ステップ・大ジャンプというか、異例の大抜擢のように感じられる
でしょうが、もちろん背景となる裏事情が存在します。
当初、『満州国通信社(国通)』のトップとして名前が挙がっていたのは、
シベリア出兵当時、ウラジオ派遣軍参謀長だった高柳保太郎(予備役陸軍
中将)だったのですが、「高柳案」には現場の反発が強くて流産となります。
174:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/08/29 23:51:22 fjQ9Dkgf
ここで「新聞連合社奉天支局長」の佐々木健児という人物が登場するのですが
佐々木は、関東軍第4課長の松井太久郎中佐から「高柳案」の代案を出すよう
求められ考えあぐねていました。頭を抱えて関東軍第4課のだだっ広い部屋を
見渡すと、そこに坊主頭の『MONSTER』里見が座っているのが目に付いた
と云いますw。即座に―、
佐「あれだ、あれだ」
松「あれって誰だ?」
佐「里見さんだ」
松「里見君で大丈夫か?」
というやり取りがあって、
佐「実務は私が面倒を見るから心配ない」と請け負うと、
松「よし、分かった」と松井(太久郎)課長はあっさりと承知して、
本庄茂(関東軍司令官)のもとに報告しに行ったと云います。
175:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/08/30 00:07:27 pBZfYxl9
ちなみに「関東軍司令官」の本庄繁とも里見は因縁がありまして、
この時点から昔にさかのぼること約10年―。
里見がまだ『京津日日新聞』の記者時代で張作霖と会見した際(1922年)、
張作霖の軍事顧問だった本庄繁(大佐)が通訳を兼ねて同席しています。
この辺の人と人との因縁の深さが、里見が『MONSTER』である由縁でも
あります。ちなみに関東軍第4課長の松井中佐が、「満州国通信社」のトップ
候補として里見の名前を挙げると(>>174 参照)、
本庄司令官は机上のメモに赤鉛筆で、●「里見は金にだらしがない」と書いて
スッと松井課長に突き出したと云います。これに対して松井課長は、●「昔は
そうだったかも知れませんが、自分のところへ来てからは、そういうことは
ありません」と返します。結局、本庄が●「君が保証するか?」と一言を取った
ところで、あっさり済んでしまいました―。
176:名無し三等兵
07/08/30 00:19:02
>>56
「国民政府を相手に」していればそこで勝利という考え方もあります
177:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/08/30 00:35:54 pBZfYxl9
まあ、本庄繁が●「里見は金にだらしがない」と反対したのは、里見自身が
金に汚いと言っているのではなく、逆に金離れの良さというか気前の良さが
半端ではなく、その点を心配する余りの忠告だったと云います。
要するに『MONSTER』里見は、後に『阿片王』となる男にも関わらず、
金に執着するところがまるで無かった訳です。日本人離れしているというか、
常人離れしていたところでしょう。
里見自身は『国通十年史』という本で一連の出来事を以下のように回想しています。
「本庄軍司令官の許に挨拶に行くと、『今度は貴様スグ辞めることはならんぞ』
と私の放浪と投げ出し癖を知って居られる将軍から諭されて恐縮したことを
覚えている」
まあ、こうして『MONSTER』里見の「満州国通信社」のトップ人事が
決定した訳ですが、まだ30代半ば(1896年生まれ)という年齢では位負け
しているということで、正式には「主幹」という役職に落ち着きました。
178:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/08/30 23:17:01 8j6Kf+oq
こうして創設された『満州国通信社』(国通)ですが、主幹・里見甫、総務部長・
大矢信彦、通信部長・佐々木健児という「東亜同文書院」出身トリオで始まりました。
通信部長の佐々木健児は、関東軍第4課長・松井太久郎中佐に里見を最初に推薦
した人物ですね(>>174 参照)。スタート当初は社員100名足らずで、支局も大連、
ハルビン、奉天ぐらいにしかありませんでしたが、最盛期には社員1000人を超え、
支局も満州全土に膨れ上がっていました。
まだ40歳にも満たない『MONSTER』里見甫ですが、支那におけるその人脈の
広さは恐るべきものがあります。「満州国通信社」は1933年5月に、ロイター
通信との提携契約を結んで国際的にも話題になりますが、この時の経緯を当時『新聞
連合社』(後の同盟通信社)の上海支局長だった松本重治が、その著書『上海時代』に
詳しく書いています。
参考までに松本重治は汪兆銘工作でもその名前が挙がりますし、過去の中テーマ
『上海航空決戦』でも若干ながら取り上げました(過去スレ参照)。
179:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/08/30 23:30:34 8j6Kf+oq
以下の話は1933年5月といいますから、関東軍による『熱河作戦』が
終息に近づいている頃です。『満州国通信社』の主幹となった里見甫から
松本重治に対して、
●「近くロイターと通信契約をしたいと思っているから、チャンセラーとの
交渉斡旋のため、新京(長春)に来てくれないか?」
という趣旨の丁重な依頼状が届きました。ここに登場するチャンセラーとは、
ロイター通信の極東支配人であり、松本とは友人でありライバル関係にある
人物です。(クリストファー・)チャンセラーは後にロイター通信の社長となり
ました。そしてたまたま偶然の事ですが、当のチャンセラーから松本に対して、
●「国通(満州国通信社)との話があるので、君も一緒に行かないか?」
という話が来た訳です。そこで「善は急げ」とばかりに、上海を船で後にし
大連に到着しました。埠頭にはわざわざ新京から里見甫が迎えに来ています。
180:名無し三等兵
07/08/30 23:31:55
全館初版でこそ至高
なるたる今オクに出したら2セットぐらい新たに買えそうだ
181:名無し三等兵
07/08/30 23:32:40
誤爆w
182:七色の人形遣い アリス・マーガトロイド ◆FU/OcfTlfM
07/08/30 23:39:29
_,........,_
, ´,.-== ,ヽ
i (ノノλノ)リ
ルイ) ゚ ヮ゚ノ) 松本重治については『西安事件』を独占スクープして
`,く_,`ハ,イつ 世界中に衝撃を与えた、と言った方が通りが良いわね。
,(,ノ┐ハゝ
`'-i'_ィ,ァ"´
183:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/08/31 00:03:57 DSZpW7oY
>>179 >>埠頭にはわざわざ新京から里見甫が迎えに来ています。
その夜は里見の案内で大連の「ヤマトホテル」に泊まり、翌日は新京行きの
夜行列車の時間まで、やはり里見の誘いで海水浴場をドライブしたり、大連
市内の名所旧跡を観光しています。
ロイター通信の極東支配人・チャンセラーとの前交渉は、新京行きの夜行列車で
行なわれましたが、里見甫にとともに松本重治が通訳として同席していました。
交渉は無事合意に達して翌日、新京のヤマトホテルで正式調印がなされますが、
満州国総務庁次長の阪谷希一も立会っています。更にその夜は新京の日本料亭で
『MONSTER』里見招待の宴会となりますが、座敷には『阿片問題』を担当
する禁煙総局の難波経一や、大蔵省から満州国に出向した若手官僚も勢ぞろい
していたと云います―。
184:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/08/31 00:15:58 DSZpW7oY
さらに『MONSTER』里見甫は、松本重治に対して宴会の席中―。
●「他に会いたい人がいれば、誰でもアレンジするよ?」
と声をかけました。松本が、
●「関東軍の小磯国昭参謀長には会ってみたい」
と答えると、明後日には小磯との会見がもうセットされていたと云います。
トドメとばかりに、松本が里見と吉林省に日帰り旅行した帰りの列車中、
『東洋のマタハリ』の異名を取った川島芳子が偶然席に加わってきます。
この時の川島は断髪洋装で、膝まで届く黒い皮の長靴を履いていました。
川島芳子は里見のことを「おじちゃん」と呼び、冗談交じりの会話を続けて
ほとんど松本そっちのけですw。
185:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/08/31 00:31:41 DSZpW7oY
また人脈の広さでいうなら、松本重治も超ジャーナリストとして
「ネ申」クラスです。
思いつくままにツラツラ挙げただけでも、そもそも松本重治の祖父は
明治の元勲・松方正義ですし、歴史家のアーノルド・トインビーや
ロックフェラー財団のジョン・ロックフェラー3世は、松本のことを
「無二の親友」だと言います。
近衛文麿とも友情を保ちましたし、近衛の自殺を止めようとしています。
西園寺公望の孫・公一とは「キンちゃん、シゲちゃん」と呼び合う仲w。
秩父宮がアルプス登山するときは同行、当時宮仕えだった本間雅晴とは
一緒にテニスをしています。また内山書店で立ち読みしている魯迅を偶然
見かけ、会食の栄に浴しています。
上記はほんの一部ですが、ちなみに1927年の金融恐慌で資産のほとんどを
失い、12円50銭が松本重治の相続した全てだったと云います。
186:動かない大図書館 パチュリー・ノーレッジ ◆FU/OcfTlfM
07/08/31 00:43:21
r,ヘ─-ヘ_
rγー=ー=ノ)yン´
`i Lノノハノ」_〉
|l |i| ゚ ヮ゚ノi| 松本重治は、その著書『上海時代』の中で
!γリi.ハiリつ 里見のことを、●「私利私欲に恬淡な人だ。
|,( ll」i l i_|」 その点が、私には付き合って気持ちが良い。
└'i,_ィ_ァ┘ 天馬空を行くような、きっぷのよい男だった」
と述べているわ―。
187:名無し三等兵
07/08/31 20:19:44 UliLOF+G
>>165
結局のところ国民党支配下の犠牲者しか分らんわけね。馬賊や匪賊等の死傷者については
皆目見当もつかないわけですか……
まあ馬賊・匪賊が何人死のうが国民党にとってはどうでもいい事だから絶対に勘定に入れていないな。
188:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/01 00:07:36 FEWZsaT3
>>187 >>結局のところ国民党支配下の犠牲者しか分らんわけね。
「戸籍制度」が整備されていなければ結局、雲をつかむような話です。現在の
日本だって、その辺のホームレスが野垂れ死んで『身元不明』のままだったら
当人の戸籍はどうなるんでしょうね。つーか、もともと住民票もないのかw。
試しにググってみたら『戸籍売買』とか、今のホームレスの数は全国に2万5000人、
そのうち大阪が8600人で全体の30%(東京が6300人)とか色々出てきましたw。
支那の社会制度は専門外なので詳しくありませんが、中国で姓名を義務付けた近代的な
戸籍制度が作られたのは「国民政府」以降とされます。例えば、南京大虐殺の被害者には
同姓同名の人物が非常に多い。これは「名前」を義務づけた当時、多くの人が適当に
というか、どこかで聞いたことのあるような名前を自分に付けたために、特定の名に
集中したようです。
189:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/01 00:26:23 MYE6KIOL
要するに、近代的な戸籍制度が確立する前の『伝統社会』では、当人が
立ち回る範囲(地縁・血縁)の『利益社会(ゲゼルシャフト)』の中で
他人と区別されればそれで良いという話です。
そのためには「名前もどき」があれば不自由しない訳で、そのような社会
での名前の意義は現代とは全く異なります。
日本だって明治維新以前は、庶民の間で「姓」が一般的でなく、名前も家族と
近所で区別が付けばいいという程度でした。ある地方に行けば、異様に同じ
苗字が多い(田中、矢野など…)ことも多いでしょう。たまに実家へ墓参りして
周りの墓石を見渡すとビックリします。
支那の場合は、氏族の姓の方が重要で、名前の方がいい加減だったと
いうことでしょうかw。結局、日中戦争での正確な犠牲者の数なんて
どう統計しろという話です。
190:名無し三等兵
07/09/01 00:45:31
>>165
>せめて1億人
毛沢東がやってくれましたよ
天に代わりて 敵を討つ~♪
191:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/01 00:56:10 MYE6KIOL
ただ「教えて!goo」などを見ますと、
>>1000万人も殺せるほどの戦力を日本軍は配備してませんよ。
などと異様に「過小評価する」意見も多いのですが、自分はこれには
反対です。詳しくは過去スレの『大テーマ:北支の治安戦』で取り上げて
いますが、日本軍は例えば、中共の食糧供給を断つために穀物の破壊などを
「通常の作戦」として行なっています。いわゆる兵糧攻めというヤツですね。
一例を挙げると、1944年6月8日に陝県の指点村を占領したときには、
数千畝(アール)すなわち数十ヘクタールの小麦畑を焼き潰し、その地域の
食糧660,000斤の穀物が失われたと云います。1斤=500グラムで
計算すれば約330トンに当たります。
192:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/01 01:11:49 MYE6KIOL
こうした「食糧収奪」目的の他にも、例えば日本軍が飛行場を建設するため
鉄道沿いのトウモロコシ畑を潰したときには、20ヘクタールの農地が
支那人から取り上げられました(1939年)。
また日本軍は馬に喰わせるために、博愛県南門村で5.2ヘクタール分の
農地から小麦を刈り取ったという記録もあります(1938年)。
さらに泥濘の道を、砲や装甲車両が通れるようにするために奪った穀物を
バラ撒いて使った(車輪に噛ませるため)ということもw。
この辺は「ジャイアン」みたいなものですがw、直接的に餓死した支那人や
あるいは流民となって間接的に死んだ支那人を考えていくと、
>>1000万人も殺せるほどの戦力を日本軍は配備してませんよ。
という考え方は、あまり意味がないでしょう。
193:名無し三等兵
07/09/01 01:13:02
支那朝鮮の命名法はちゃんとした家系なら
十干に基づいていて1字を選ぶので代がわかるようになってますね
木(甲乙)火(丙丁)土(戊己)金(庚辛)水(壬癸)
これから1字そして他に1字で10代でひとまわりします
(知人の中国人に聞きましたが、父親から男の子が生まれたら名前に使う文字を教えられてるとか
テキトーながら一応族譜もあるみたいです)
おかげでセンスがないと朝鮮人のように火や金の代は漢字選びに困ってやたらと火ヘンや金ヘンの漢字が目立ったりしますね
炳とか熔燁鉉などなど普通は使わないような人名漢字が頻出します
また銅錫鐘などもつかいますね
蒋介石の息子の蒋経国と蒋緯国はどういうふうなのかよくわかりませんね
194:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/01 01:32:44 MYE6KIOL
こういうのを考えていくと、日中戦争が原因で一体、何人の支那人が
日本軍のために死んだかなんて、やはり「雲をつかむ」ような話です。
そして当然の事ながら、似たようなことは国民政府も中共も自国民に
対して行なっています。日本軍に協力(たとえ強制でも)したといって
中共軍に『漢奸裁判』で報復リンチ刑に処されたケースはいくらでも
あります。
さらに恐ろしいのは、日本軍に食糧を収奪されたからと云って被害農民たちが
激怒して中共側に結束したなんて話は当てにならない訳です。多分に戦後の
宣伝が入っているでしょう。
実際は、自分たちの生命、財産を守れない『頼りにならない支配者』という事で
見切りをつけるケースも多かった訳です。日本軍側の占領地の方が安全で、かつ
食いっぱぐれがないとなれば、中共の支配地から人口が流出することもあります。
要するに、日本側であれ支那側であれ「食わせてくれる方に付く」訳です。
195:四季のフラワーマスター 風見幽香 ◆FU/OcfTlfM
07/09/01 01:40:29
, ‐‐-、___
/ ., '´⌒⌒ヽ
./ 、 i´ )ノ)ノ))ハ)
|| メ)ハ)゚ ヮ.゚ノl) 「治安戦」は本当に地獄だぜぇー!
ヽ. _Q)#」ネl」)つ なんてね。おひさー。
 ̄ ,<´_#,#ハ
` "i_フ_フ"
196:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/01 01:49:12
>>193 >>支那朝鮮の命名法はちゃんとした家系なら
>>十干に基づいていて1字を選ぶので代がわかるようになってますね
いやー、そこまで専門的になると全く話についていけませんね。
もっと勉強しまふ。
>>炳とか熔燁鉉などなど普通は使わないような人名漢字が頻出します
ノムヒョン(盧武鉉)やファンジャンヨブ(黄長燁)もそうなんでしょうかw。
197:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/01 02:00:06 MYE6KIOL
>>194 【訂正】
× 要するに、日本側であれ支那側であれ「食わせてくれる方に付く」訳です。
◎ 要するに、日本側であれ支那側であれ「食わせてくれる強い方に付く」訳です。
『過去スレ(7)』から補足として抜粋すると、
>上記のような作戦は、当然のことながら「未治安地区」(中共支配地区)の
>住民に『飢餓』をもたらします。そのため「日本軍占領地区」に逃げ込んで
>いく人間も少なくありませんでしたし、日本側の記録でも
>●「河北省ではそのような者は苦力になった」●「女・子供に餓死者が出た」
>●「移住してきた地区に木の葉が食べられずに残っているのを見て住民が驚いた」
>などのエピソードがあります(北支那方面軍参謀部:『経済封鎖月報』より)
>まあ、こうした住民からは日本軍に対する怨恨が生まれるのは当然ですが、
>八路軍に対しても『自分たちの食糧確保に無力な共産軍』として同様に
>怨嗟の声が高まっている、というのは面白いところです。
198:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/01 02:06:11
いま『朝生』を見てるんですが、森永卓郎がしゃべると
イラついてしょうがないと感じるのは自分だけでしょうかw。
199:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/01 02:15:41
ついでに>>197 の続きということで…。
>先に>>226 で、
>>>治安戦の結論の1つでもありますが、『住民は強くて搾取しない方に
>>>味方するだけ』です。まあ、『強くて』が大事なポイントな訳ですがw。
>と述べましたが、後段の『強くて』とはそういうことです。
>また「搾取しない方」とは、裏を返せば『搾取されない方』とも
>言い換えることが出来る訳です。
200:名無し三等兵
07/09/01 03:13:22
>『住民は強くて搾取しない方に味方するだけ』
支那に限らず万国共通だろう。ましてや逃げまわれる広大な国土を有していれば尚の事。
日本みたいに逃げに適さない細長い国土と違い、日本に比してあっちは東西南北に果てしなく陸続きなんだから
201:名無し三等兵
07/09/02 02:02:12 KVSssxMK
1、国民党軍
2、共産党軍
3、傍系軍(軍閥)
4、馬賊
5、匪賊
全部で5種類の敵がいたわけだ。米陸軍航空隊とかは除いて・・・・
202:法務大尉
07/09/02 08:46:00 qBShwUU4
軍の分類では、
1、中央軍(國府軍
2、共産軍
3、雜軍
です。
軍閥は傍系とは言へ兩軍何れかに屬して行く傾向があります。これは強大なものほど顯著ですが、何處に屬さうと本質的に戰鬪を嫌ひますから、結局強敵ではあり得ません。直系軍の方が手強ひ。
馬賊、匪賊は所詮警察行動の對象で、大したものではありません。戰鬪力としてはゼロに近し。良いのを馬賊、惡いのを匪賊と呼び分けますが、判然たる區別はありません。
203:法務大尉
07/09/02 09:05:49 qBShwUU4
手強ひ→手強い
支那戰線では軍事技術や經驗等個人の能力が物を言ひますから、古い兵隊程強ひ。
四年兵ともなると中々死なない。
但し兵役法の關係で四年目にはいい加減滿期、復員させねばなりません。
この點支那兵、殊に紅軍は一生を軍隊で送るので超古年次兵少からず、軍事的專門技術は乏しくとも相応の工夫あり、侮れません。
彈丸が無いので狙撃に長ずるとか、生れ附き大貧民なので寒暑缺乏劣惡な環境に耐へるとか、頭惡いのでくよくよ惱まない死地に陷つても氣附かず明るいとか、犯罪國家なので夜襲には來ずとも夜盜には連夜押寄せて來るとか・・・
越南戰役で米兵の死傷が多かつたのは、滿壹箇年で次々交代させ、未熟者で溢れてゐたことが一因だらうと推測します。
204:名無し三等兵
07/09/02 09:12:02
何處の何方か存じませんが、未だに舊字舊假名遣ひ
やつてるのは阿呆としか言ひやうが有りませんね。
205:名無し三等兵
07/09/02 11:47:31 KVSssxMK
旧字体でっか?戦後日本では常用漢字は簡略化されて本場中国の文字よりも
画数が減って書きやすくなり識字率が向上した。
戦前戦中の漢字は画数が多いので素早く書くのに適していない。
206:名無し三等兵
07/09/02 15:30:32 qBShwUU4
それは虚構だな。
臺灣は劃數の多い正字だが、國民一人平均一萬三千字知つてる。
支那大陸は簡單な略字だが、三千字しか知らない。
劃數は關係無いやうだ。
207:名無し三等兵
07/09/02 17:31:29
コテつけたままにしてくれよ
208:蒋介石
07/09/03 11:11:47 8y0wEpPD
昨日、NHKで支那大陸での毒ガス使用を放映していたがジュネーブ条約違反では?
209:名無し三等兵
07/09/03 12:29:13
スレリンク(news4plus板)l50
【アフリカ】「メード・イン・チャイナ」と書かれたTシャツを引き裂く…なぜ今アフリカで反中感情が…?[02/05]
中国人監督官が労働者に発砲、46人が死亡
210:名無し三等兵
07/09/03 13:26:39
>>208
そもそも入ってない。
211:名無し三等兵
07/09/03 13:34:41
二流工業国の日本軍に大陸打通作戦でボコボコにされた中国国民党軍というのは、
ちょうど同じく二流の英軍にボコにされた北アフリカのイタリア軍と似てるかも。
こうなると敵の攻撃よりも、味方陣営からの非難嘲笑がずっと辛くなる。
蒋介石はアジアのムッソリーニだったのかもしれない。
212:名無し三等兵
07/09/03 15:00:15
だつおはコテ外しても
まる分かりだな
213:名無し三等兵
07/09/03 20:22:18 BGK9q2Xd
弱小旧日本軍を相手にあの負け負けぶり、中国国民党の工業水準ってどれくらい?
最強ナチスドイツ軍を撃破してベルリンを陥落させた共産主義ソ連と比べて?
財閥栄えて国滅ぶって本当なのか?
214:名無し三等兵
07/09/03 20:22:30 deHHdo3m
1、冬戦争(ソ連軍)
2、ギリシア侵攻(イタリア軍)
3、ロシア派遣イタリア軍(イタリア軍)
4、WWⅠのカフカス戦線の(トルコ軍)
5、WWⅠのセルビア侵攻(オーストリア=ハンガリー軍)
6、日中戦争(国民党軍)
以上()の中の軍隊ははいずれも数において遙かに勝る方が少数の敵に完敗を喫した戦いである。
実はこの中では国民党軍はやられながらも健闘しているほうだ。
戦争は数の多さだけで決まらないという証拠。
215:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/03 22:51:16 HsRbQGi3
>>200 >>日本みたいに逃げに適さない細長い国土と違い、
まあ、日本も中世ですと、ちょっと領主が無理を言えば(徴兵など)直ぐに
『集団逃村』していましたw。
>>203 >>越南戰役で米兵の死傷が多かつたのは、滿壹箇年で次々交代させ、
>>未熟者で溢れてゐたことが一因だらうと推測します。
支那事変でそれをやっていたら堪りませんねえw。
>>204 >>何處の何方か存じませんが、未だに舊字舊假名遣ひ
>>やつてるのは阿呆としか言ひやうが有りませんね。
つーか、旧字に変換するソフトでもあるのかしらん? 自分はいつもIMEパッドの
手書きで探していて苦労していますw。あと「?」で表示されないのが不思議です。
216:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/03 23:11:02 HsRbQGi3
>>208 >>昨日、NHKで支那大陸での毒ガス使用を放映していたが
>>ジュネーブ条約違反では?
ゲゲッ!! また「NHKスペシャル」見逃した……w。土日は頭痛がひどくて、
寝込んでおりました。鬱打支膿……orz.
>>213 >>そもそも入ってない。
そういう訳です。よく議論になるのは、『あか』(くしゃみ性・嘔吐性ガス)が国際法の解釈上、
合法か否かです。もちろん『きい』(イペリット:糜爛性ガス)は問題外でアウトですねw。
いわゆる「合法論」は、●「『あか』は1925年のジュネーブ議定書で禁じられた
毒ガスには含まれない」とするものです。
それはさて置き、この「ジュネーブ議定書」は全文900字足らずのシンプルそのもので、
内容も極めて簡素なものだったと云います。
217:名無し三等兵
07/09/03 23:15:51
また終戦記念日前後に再放送するでしょう。今年も前年の戦争関連ドキュメンタリーをやっぱり流してたし。
218:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/03 23:29:16 HsRbQGi3
この「ジュネーブ議定書」の中で禁止対象とされるものは、
●「窒息性、毒性ガス、またはこれらに類するガス」とされるだけで、
十分に定義しているとは言えません。さらに「戦争手段の使用」と記され、
支那事変のような『グレーの紛争』に対してはこれまた定義が難しいw。
それも「先制使用」を禁じているだけで、毒ガスの開発や生産、保有については
何ら規制がありません。そして違反しているかどうかの検証や、違反への制裁も
規定されていません。要するに、●「毒ガスの先制使用の禁止をお互いに宣言し、
さらに他国へも参加を訴える」という内容でしかありませんでした。
日本はジュネーブ議定書に締約していませんでしたが、他国から例えばイギリスから
●「催涙ガスはジュネーブ議定書に含まれるか否か?」の照会を受けて、日本政府、
そして日本陸海軍ともに●「催涙ガスも『毒ガス』に含まれる」と回答しています。
219:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/03 23:36:16 HsRbQGi3
少なくとも1932年まではこの見解でしたが、支那事変後はそうも
いっていられません。結局、日本は「合法論」に転じまして、
>>「合法論」は、●「『あか』は1925年のジュネーブ議定書で禁じられた
>毒ガスには含まれない」とするものです。
となります。そして、
>>もちろん『きい』(イペリット:糜爛性ガス)は問題外でアウトですねw。
な訳ですw。日本は「ジュネーブ議定書」には加盟していませんでしたが、
それでも国際的な世間体というものがあります。自国に不利な宣伝材料を
わざわざ増やすのは損だと考えていたでしょう。
220:だつお
07/09/03 23:45:42 S1nXGtET
1945年5月の「シコウ作戦」は皇軍の敗退ではないか、との疑問に答えておく。
「ベルリンに赤いソ連国旗が揚がった後で、中国が達成できたのはそれだけ。」
日中戦争も第二次世界大戦の一部である以上、他の連合国とも比較されるべき。
大祖国戦争がナチに加えた鉄槌と比べ、中国抗日戦争はいかほどだったかと!!
221:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/03 23:46:34 HsRbQGi3
>>218 >>他国から例えばイギリスから●「催涙ガスはジュネーブ議定書に
>>含まれるか否か?」の照会を受けて
こんな感じです。1930年11月に幣原喜重郎外務大臣宛に出されたものです。
●「英国代表は、毒ガス禁止に関する1925年(ジュネーブ)議定書および
第2読解案の解釈上、催涙ガスを含むか否かについて各国の意見を求めてきた。
我が方としてはどのように回答すべきか、ご回訓を請う」
外務省を通じ、これに対して日本陸海軍は
●「毒ガス中には催涙ガスを含むものと解す」(陸軍省)
●「催涙剤は他の有毒ガスと同様に、軍用に使用できないものと解釈す」
(海軍次官・小林躋造)
と回答しています。
222:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/04 00:07:44 yFiJ1QwP
さらに1932年1月23日(満州事変の翌年)、関東軍参謀長の三宅光治少将が
『催涙弾・くしゃみ弾』2500発の支給を求めてきたことがありました。これに
対する陸軍省の回答は『否』であり、その理由として
●毒ガスの使用は、国際的には禁止が約束されている。たとえ土匪の掃討といえども、
正義を誇る日本軍隊が帝国外の地において、支那土匪に対して使用するのは国際法
無視の謗りを免れない。とくに列国の同情を得ようとする支那は「大々的宣伝」に
利用する可能性が高く、列国の反感を増長する恐れがある。
●毒ガスの使用は単に土匪に対してのみならず、良民に対しても一様に被害を
与えるものであるから、帝国軍隊の標語とする良民の保護、土匪膺懲の主義に
大きく反するものである。
実際に『支那事変』が拡大すると、こういった方針は吹っ飛んでしまう訳ですが、
まあ、戦争なんで華麗にスルーですw。また『きい』も使っている可能性が非常に
高いでしょう。
223:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/04 00:19:23
>>221 >>●「毒ガス中には催涙ガスを含むものと解す」(陸軍省)
>>●「催涙剤は他の有毒ガスと同様に、軍用に使用できないものと解釈す」
要するに『あか』は国際法違反にあたると言っている訳です。
>>218 >>さらに「戦争手段の使用」と記され、支那事変のような
>>『グレーの紛争』に対してはこれまた定義が難しいw。
要するに日支両国とも「宣戦布告」していないという意味です。
224:楽園の素敵な巫女 博麗霊夢 ◆FU/OcfTlfM
07/09/04 00:42:25
.「^ヽ,ry'^i
,ゝ"´ ⌒`ヽ
くi Lノノハノ)」
λ[i ゚ ヮ゚ノi! 日本軍もそれなりに「世間体」というやつを気にしていたのよ。
レ|Y(つ旦)
く_,//つつ
225:名無し三等兵
07/09/04 20:51:38 nt38Oktu
>>223
真珠湾奇襲直後に国民党から宣戦布告されなかった?
確か日独伊に対して宣戦布告したはず。日本はまだしもドイツ・イタリアとも交戦国となったわけだ。
それもドイツの対米宣戦布告よりも先駆けて先走る形で宣戦した。
真珠湾奇襲前日のイギリスのフィンランドに対する宣戦布告並に意味はなさそうだが……
226:名無し三等兵
07/09/04 21:09:31
60年以上も前に国際法に違反した。だから何?って感じだけどな。
227:名無し三等兵
07/09/04 21:21:46
原子爆弾に比べりゃ
蚤の屁みたいなもんw
だから何?
228:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/04 23:36:45
>>225 >>それもドイツの対米宣戦布告よりも先駆けて先走る形で宣戦した。
前テーマの『支那とドイツ軍事顧問団』で述べた通りです。もちろん>>223 は、
支那事変を指していますから1941年以前―太平洋戦争が始まる前です。
一応、自分の定義としては、「1937~1941年」→『支那事変』。そして
「1941~1945年」→『大東亜戦争』or『太平洋戦争+日中戦争』です。
>>226 >>60年以上も前に国際法に違反した。だから何?って感じだけどな。
いわば『殺虫剤』を撒いたような話です。
229:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/05 00:09:46 pW6ZrLHh
>>203 >>この點支那兵、殊に紅軍は一生を軍隊で送るので超古年次兵少からず、
>>軍事的專門技術は乏しくとも相応の工夫あり、侮れません。
>>彈丸が無いので狙撃に長ずるとか、生れ附き大貧民なので寒暑缺乏劣惡な環境に
>>耐へるとか、頭惡いのでくよくよ惱まない死地に陷つても氣附かず明るいとか、
支那事変勃発当時、国民党軍の兵力は約210万人でした。上海決戦や南京攻略戦、徐州会戦、
武漢攻略戦、広東攻略戦を終えた1938年末には90万人にまで数を減じたとされます。
ここから原隊復帰や補充兵を掻き集めて、太平洋戦争開始時には300万人にまで
大動員をかけましたが、その兵隊の質たるや惨憺たるものでした。このスレでもよく
取り上げる『蒋介石―マクロヒストリー史観から読む蒋介石日記』の著者・黄仁宇は
抗日戦当時、軍官学校を卒業して少尉となり排長(小隊長)でした。
戦後、この黄仁宇はアメリカの陸軍大学校に入学しますが、その授業で教官の1人から
●「第2次世界大戦におけるアメリカ陸軍の動員数が800万人であり、『人的資源の
底をさらった』」という言葉を聞いて、深く印象に残ったと云います。
230:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/05 00:17:46 pW6ZrLHh
>>229 >>『人的資源の底をさらった』」という言葉を聞いて、深く印象に残った
黄仁宇はその後、1987年に「第2回国際明代史研究会」に出席しまして
●「抗日戦争中の支那側の徴兵は『人間のクズにまで及んだ』」
と述べて「用語が不適切である」と周囲から強く批判されましたw。
231:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/05 00:37:43 pW6ZrLHh
しかし黄仁宇は、自著の中で以下のように主張します。
私は「人間をクズ」に喩えるつもりはなく、このような言葉を使う以外には
当時の困難な状況を表現できなかっただけである。もし「軍事上の人的な力」を
桶一杯の流動物に喩えたならば、国民党軍は確かに『その中の混じり合ったカス』を
抽出したのである―と。言い得て妙ですね。
要するに国民政府の「徴兵制度」に問題があった訳です。支那事変勃発の前年に
「兵役法」が公布されて大急ぎで実施されましたが、『徴兵免除』や『代理徴兵』
などの各種抜け穴があり、実際に徴兵の対象となったのは上からの圧力に抵抗できない
「農村社会の最下層」でした。
また金を出して「身代わり」が買われる場合でも、出来るだけ安い(当然『品質』が
悪い)人間ばかりが対象となって集められるため、その質たるや『劣悪』という言葉
でもまるで足りないでしょうw。
232:名無し三等兵
07/09/05 10:14:55
日本軍の重機関銃には6倍、軽機関銃には2.5倍の光学照準眼鏡が装着されていた。
貴重な弾薬を浪費しない為の知恵であった。
ところで欧米の機関銃には光学照準眼鏡が付いていないが、現代に至るも付いていない方
が多数ということは、付けない方がメリットがあるということになる。
233:名無し三等兵
07/09/05 10:20:56
もちっと調べから書くことをお勧めする。
234:名無し三等兵
07/09/05 10:44:29
兵隊の質が際限なく堕ちるのは、負け戦の典型だと思うぞ。
中国国民党でなくても、陥落前のベルリンとか、敗戦間際の満州国とか。
頭数だけ増やしても、士気も低いし訓練も行き届いてない。
235:名無し三等兵
07/09/05 20:24:14
今の自衛隊は・・・
236:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/05 23:29:05 pTmN10zN
>>229 >>黄仁宇は抗日戦当時、軍官学校を卒業して少尉となり排長(小隊長)でした
黄仁宇は「抗日戦」を振り返って、軍官学校で学んだことは大抵役に立たなかったと
云います。なぜなら現代の私たちが出来て当然のように思っている『共同作業』や
『団体精神』といった簡単な概念でさえ、小学校などでの幼い時からの基本教育に
よって初めて身につくものだからです。体育や運動会はその典型です。
生まれてから数十年間このような教育を受けず、字も知らない下層農民出身の兵を
率いるのは想像を絶します。黄仁宇はその後、参謀になりましたが多くの指揮官が
軍隊用語を捨て去ったと云います。「主攻」「側翼威脅」「火力網」「陽動」「逆襲」など、
兵達に理解させようとしても無駄だからです。例えば『捜索前進』(敵を捜索しつつ
前進する」とは言わずに、部下に対しては●『敵を見たらすぐ攻撃せよ』と言い含めて
いました。また地図に攻撃計画を書き込む時でさえ、●「敵がここから出て来たら、
我々はここに向って撃つ」といった具合ですw。
237:名無し三等兵
07/09/05 23:38:23
来週のNHK~その時歴史が動いた~広田弘毅かよ。
支那事変においての彼の振る舞いをスルーすれば軍部の圧力に何とか筋を通そうとした等々の美談で纏められるな。
238:名無し三等兵
07/09/05 23:42:10
NHKスペシャルで巣鴨での尋問を再現した番組では広田ちゃんたたかれ気味だったぞ
もちろんアメリカにって事だが
239:翡翠(星砂) ◆X9uEcr1WoA
07/09/05 23:43:25 6je4BGV1
>>236
そういえば毛沢東が伝説の戦名人に戦のコツを尋ねた時は、
「(戦いなんて)囲めば勝てるよお~」とか
指南されたとかされなかったとか。
実際にあった話なんでしょうかしらね^^
(既出でしたらスミマセン・・・)
連日の更新お疲れ様です。
240:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/05 23:49:17 pTmN10zN
黄仁宇の部隊(第14師)は、農民出身の劣悪な補充兵の群れの中から
『突撃隊』を組織することで対策を取りました。すなわち通常の訓練に
耐えられる者だけを選別して、集中的に教育を行なうのです。
あくまで●「通常の訓練に耐えられる」ですよ。その選別から漏れた兵に
対しては、営(大隊)や連(中隊)単位でもっぱら『躾(しつけ)』を施す
のみに留めて、軍規を維持することに専念して弾薬を節約したのです。
『突撃隊』や『精兵』という言葉からは、何やら一般人からは超越した技能を
イメージさせます。しかし支那軍(国民党軍)の場合、『突撃隊』や『精兵』は
単に「普通の能力」を持っているだけの人間です。他は推して知るべきでしょう。
このような部隊は、攻撃時にはぞろぞろとくっついて夥しい死傷者を出し、退却する段に
なると、蜘蛛の子を散らすようにして我先に逃げ出します。在支アメリカ軍人の証言に
よると、「中国軍の攻撃は匍匐前進せずに棒立ちのまま行なわれ、何人かの小隊長は
日本軍の塹壕の手前1、2メートル手前まで接近したところで射殺された」と云います。
241:名無し三等兵
07/09/05 23:58:38
? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ?
? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ?
? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? なんだか無償にコピペしたくなる
? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ?
? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? なのに初心者にはコピペできない
? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ?
? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ?
242:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/06 00:05:58 1nKhHXsZ
さらに新兵であれ老兵であれ、支那の旧社会の習慣は変えることが出来ず、
各人の間には●「面子がある」「面子がない」の観念がところ構わず幅を
利かせていました。「権利と義務」の関係なんて問題外です。
士官同士、士官と下士官、下士官と兵士の間でも、軍隊内の階級に基づく
『服従と規律』よりも、個人的な恩恵や怨恨の関係が支配的でした。士官が
兵達の支持を得るには、まるで三国史の『英雄好漢』であるかの如く振舞う
必要があったと云います。
兵頭軍師は、陸戦のキルレートは●『一般兵の教育水準』が露骨に反映する
と述べられていますが、とどの詰まりそういうことです。団体行動もロクに
取れない部隊なんて、表現は良くないですが『知的障害者』の群れを率いる
ようなものですw。悪夢以外の何物でもありません。
現代の私たちは、マトモな初等教育を受けられたことを神に感謝するべき
でしょう。偶にそうでないっぽい人も見受けられますがw。きっと支那人です。
243:完全で瀟洒なメイド 十六夜咲夜 ◆FU/OcfTlfM
07/09/06 00:10:37
>>242 >>士官が兵達の支持を得るには、まるで三国史の『英雄好漢』で
>>あるかの如く振舞う必要があった
,.ィ ーrーr 、
y' "´ ̄`'ヽ
.ノくノノ人リ))ゝ
ルi§゚ ヮ゚ノ§ 「辻政信」なんて凄く適性がありそうねw。
'k'_,i`ム'_i〈つ[|三>
,し'/_ハ.ゝ、
`'ト_ノ'ト,ノ"
244:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/06 00:19:43
>>239 >>そういえば毛沢東が伝説の戦名人に戦のコツを尋ねた時は、
>>「(戦いなんて)囲めば勝てるよお~」とか指南されたとか
>>されなかったとか。実際にあった話なんでしょうかしらね^^
どうもでございます。どこかで聞いたことがある気もしますが、具体的な
書名などは覚えておりませんw。第一次国共内戦などを見ると、毛沢東が
それなりに「戦上手」だったことは事実で、この辺りは「極小テーマ」で
取り上げても良いかもしれません。
いくらロクすっぽ武器を持たない軽装備とはいえ、連日、部隊を走り
回らせて、国府軍への「側翼威脅」などを行なっていた訳ですから。
245:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/06 00:43:48 1nKhHXsZ
>>213 >>弱小旧日本軍を相手にあの負け負けぶり、中国国民党の工業水準って
>>どれくらい?
まず蒋介石にとっても「支那事変勃発」は早過ぎたということに注意して下さい。
過去のテーマで『上海航空決戦』や『支那とドイツ軍事顧問団』を取り扱いましたが、
抗日戦の準備を整えるために、最低もう2~3年は時間が欲しかったところでしょう。
>>231 >>支那事変勃発の前年に「兵役法」が公布されて大急ぎで実施されましたが、
これなど1936年の話です。そして日中戦争での「中国国民党の工業水準」ですが
問題は「沿岸部から内陸部にどの程度、疎開できたか」という点が大きいでしょう。
武漢攻略戦(1938年)が終わると、国民政府は重慶に引っ込まざるを得なくなり
ますが、内陸部にある工場は『支那全土の僅か6%』に過ぎません。そして肝心要の
発電量は●「4%」です。電気が無ければ、工場の多くは動きません。絶望的です。
246:名無し三等兵
07/09/06 00:56:30
日本陸軍はシナで負けてなどいない。単純に全方位から幾らでも敵が沸いて出てくるので圧殺されそうになっていただけ。
それこそイナゴのように発生するので自軍の三倍殺してもまだまだまだまだ敵が現れる
247:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/06 01:01:44
もし「国民政府の工業水準」を云うならば、独ソ戦の初期に追いまくられたソ連が
どのように工業設備を内陸に疎開させたかが参考になるかもしれません。しかし
自分は独ソ戦には詳しくありませんし、蒋介石もまたスターリンのような完全無欠な
独裁者では無かった訳ですw。
後日に続く。
248:名無し三等兵
07/09/06 20:52:37 10Ki4sAr
春秋戦国以来の伝統芸「人海戦術」しか戦術が無いからな・・・・
249:名無し三等兵
07/09/06 20:54:50 10Ki4sAr
春秋戦国時代の弓矢と槍と刀で戦った時代ですら簡単に「30万人が瞬時にしてせん滅される」それが
人海戦術だ。ま、ほとんど処刑で崖から突き落としたりしてるわけだが。
250:名無し三等兵
07/09/06 21:42:33 10Ki4sAr
馬賊・匪賊は国民党軍の動員兵よりもさらに弱そうだ。
というか奴らはただの野盗の大集団。「汚物は消毒だ~」で有名な某マンガの
モヒカンと変わらんな。
251:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/06 23:15:05 K/zs/2i7
>>247 の続き。>>支那全土に占める内陸部の●「工場は6%」●「発電量は4%」
>>213 >>弱小旧日本軍を相手にあの負け負けぶり、中国国民党の工業水準ってどれくらい?
1939年になるまで内陸部の各省の「1年間の鉄鋼生産量」は1200トンに過ぎません。
駆逐艦1隻にも足りません。その後は、国民政府・資源委員会の努力によってこの僅かな
生産量は10倍に増えましたが、1944年になっても1万トン余りに過ぎなかった訳です。
1年間に巡洋艦1隻造ったら全てオシマイですw。
ちなみに太平洋戦争前の日本の鉄鋼生産量が700万トン、イギリスが1200万トン、
アメリカが7500万トンです。やはり支那は絶望的なのです。
『電力の不足』は更に深刻で、当時の欧米人ジャーナリストは以下のように述べています。
「明らかであったのは、幾つかのうす暗い都市と政府経営の何百個もの小型工場に対する
不十分な発電力が存在した以外は、自由中国は暗闇の中にあった。それは全く工業化
されていない地域であった―」
252:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/06 23:21:20
>>自由中国は暗闇の中にあった。
電力事情は、今の北朝鮮を思う浮かべてもらうと手っ取り早いでしょうか。
「自由」でも何でもないですがw。
253:宵闇の妖怪 ルーミア ◆FU/OcfTlfM
07/09/06 23:26:29
>>251 >>自由中国は暗闇の中にあった。
,. -ー- 、__
,' 'y´
i レノノハノノ) ~♪
(( ハルi ゚ ヮ゚ノリ そーなのかー
と),)∞と) ))
,ノ::i:/:::!フ⊃
`''i_ノ'´彡
254:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/06 23:38:41 K/zs/2i7
また更に、支那の兵器工場の『毎月の小銃弾生産量』が最大で1500万発
だったとも云われています。
これは当時の国民政府軍が300万人いたとすれば、兵士1人あたり5発に
過ぎません。1ヵ月に5発を撃ったらオシマイです。
無論これは支那の独力でという話で、諸外国からの援助や、実際は前線部隊に
集中して配備されたはずですから、そこまで極端でもなかったでしょう。しかし
このような極小な弾薬の備蓄量では、士気旺盛な指揮官がいても積極的な攻勢を
取ることは非常に困難で、軍隊としての攻撃精神は次第に消失していきました。
255:名無し三等兵
07/09/06 23:39:35
ま、自由なんてのは教育と物質両面で満足してる地域だけが享受するもんだ。
ヒダリマキに影響されてると数字は出せてもこの辺があやふや、
相手が支那だと色んな意味で必要なリソースも半端じゃない。
人口の大きさに圧倒されて誰もが忘れる点だな
『日中戦争下の日本』もまあそこそこ面白かったが、
慶應ボーイの限界からか、チャンコロを人間扱いしちゃって
結論は支那に物与えれば全部良くなるだもん、結論に飛躍しすぎ。
256:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/07 00:04:30 Fr9xE1Cg
>>247 >もし「国民政府の工業水準」を云うならば、独ソ戦の初期に追いまくられた
>>ソ連がどのように工業設備を内陸に疎開させたかが参考になるかもしれません。
『抗日戦争』中、愛国的な支那人の多くが、日本軍の占領地(沿岸部)から
重慶など内陸部へと大々的に移動したという『伝説』があります。
しかし実際に移動したのは、大部分が公務員や兵士、そのほか知識人・学生であり、
要するに●『生産者より消費者の方が多かった』訳です。
また肝心の「工場の疎開」ですが、当時、上海に存在した5000箇所以上の工場と
江南各地の工場を合わせても、内陸部に移動したのは200余りに過ぎませんでした。
また武漢地区から内陸部に移動したのは約150であり、広州から工場は全く移転
しませんでした。最終的に移動した工場は450に過ぎず、機材や物資は10万トン
前後でしか無かったのです―。
257:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/07 00:23:22 Fr9xE1Cg
そして内陸部に移動した工場も、大都市の人口に生活物資など「消費財」を
供給する事は出来ても、戦争に対する貢献は極めて少なかったと言えます。
軍需物資の自力生産は困難でした。
要するに、蒋介石は『独裁者』でも何でも無かった訳です。スターリンの様に
根こそぎ疎開させるような強権はとても発揮できませんでした。
蒋介石がどのくらい「独裁者でなかった」かと云うと、軍法会議なしで蒋介石が
独断で銃殺を命じると、身内から陰で批判されるぐらいですw。
まあ、しかしヒデキが「軍法会議なしで独断で銃殺を命じる」ことが出来ていたら
大問題ですので、それよりは独裁者だった訳ですw。ヒデキが出来た事はせいぜい
「戦死確定の激戦地送り」です。近いようで、この差は非常に大きい訳です。
258:白馬青牛
07/09/07 00:33:23 K85UfoMQ
>>222
長沙作戦で危機に陥って『きい』を使うたんは、仙台13D。
他に弘前36Dも『きい』を使用したんでしょう。
広島39Dは『あか』を使うとります。
>>236
適当に捕まえた農民を兵にした乱暴な徴兵はあるんですが、
中国でも地域によって兵卒の資質も違い、広西兵団が強剛なんも、
獰猛な気質と他省人を嫌う排他性による団結があったゆえで、
身体能力も小柄ですばしいっこく夜間も眼が効き訓練以前の兵士の
素質もあったでしょう。グルカ兵や高砂族やカチン族も同様です。
>>240-242
中国軍全てが匍匐前進をせんかった訳では無く、その文章は誤解を招き
ます。面子を軽く見ておられるようで、権利や義務を強調されますが、
日本でも東日本人に権利の概念が民俗的にあったんでしょうかね。
西日本なら自治意識もあったでしょうが、東日本人は村落の躾もなく、
売り飛ばされた先で躾を覚えるゆえ、知的障害者の群かどうか解りません
が、まともな教育もされてない人達は支那人よりも東日本人かも
知れません。
>>244
陸大の口頭試験でも、黒板に紅白のチョークが用意され、「敵に勝つには
どうするか」の問いに、受験者が黒板に紅で点を描き、そのぐるりを白で
円形に囲み「大軍をもって囲みます」と答えれば優秀じゃった云うんと
似とりますね。
259:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/07 00:46:34 Fr9xE1Cg
それにしても国民政府軍の「物資の欠乏」は深刻そのもので、先の『蒋介石
日記』の著者である黄仁宇が排長(第14師・小隊長)をしていたとき、
自分の小隊の兵士には歯ブラシも石鹸もタオルも何も無かったと云います。
そして小隊全員が1枚の布を洗面用に使っていたため、1人の兵士が目に炎症を
起こすと次の日には10人の兵士が感染していました。この辺りは、会社の便所の
手拭きで「1枚のタオルを全員が使い回す」のを想像してみて下さいw。
また黄仁宇の小隊では、便所はもちろん紙が無く、竹片や瓦のかけらを
チリ紙代わりにしていました。さらに靴下もなく兵士が自ら草履を編んで
いたのは言うまでも無いことです。
黄仁宇は当時を振り返って、●「先進国が戦時動員に際して、民間物資を欠乏
させてでも軍隊への供給は絶やさなかったという状況とは比較のしようがない」
と頭を掻いています。
260:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/07 00:49:31
>>257 >>ヒデキが出来た事はせいぜい「戦死確定の激戦地送り」です。
海軍が茶々を入れてきますからねw。
261:名無し三等兵
07/09/07 01:00:32
日中戦争は良く知らないのだが、戦標船の建造が本格化した昭和18年末に
飯河という造船士官が不足する工作機器の調達の為上海に飛んでる。
児玉機関の協力を借りて一週間ほどの間に市外、城内、郊外の20数箇所を回って
英独製の工作機械を1000件ほど買い付けた。
結局海上輸送がダメになってて何一つ本土には届けられなかったってのが悲しいところだ。
そんな話が講談α文庫の戦艦大和誕生下巻227ページ辺りに載ってる。
当時の大陸有数の沿岸の大都市で英独製の工作機械1000台オーダー、
まあ良質な分だけでもこれで全部とは思わないけど、同時期
あの日本本土ですら工作機械は100万台、性能の保証がある欧米製のものでも
20万台は固いと言われてる。
(余談だが昭和時代以降のものであれば部分的にはまともな機械の自制も可能だった
まあ一部は水準並でも全体では技術にムラがある航空機や艦艇を思い浮かべれば想像もつこうが)
恐らく沿岸の工業都市にあるもの全てをかき集めても、良質な工作機械が
日本の10分の1もあったかどうか疑わしいな。
262:名無し三等兵
07/09/07 01:09:26
>>260
うーん、「毎日」「ゴミ漁りに聞け」の話の事だろうが
南方のくだりを見てると海軍がやってたのは「おねだり」じゃないかと。
開戦に踏み切らす為の物動でのA→Bへの鋼材10万トン譲り、
海没、飢餓8割、玉砕1割、自活1割確定コース、正直笑えん。
263:名無し三等兵
07/09/08 01:47:19 dSYsoyVm
弓矢や槍しかなかった時代でもその気になれば数十万人を一瞬で殺害することは
実は可能である。
日本軍の実力を見くびるなと言いたいですね。
264:名無し三等兵
07/09/08 14:35:25
ベルリンにソ連国旗が揚がってるそのときでも、日本軍は未だ中国大陸沿岸
と満州を支配し続けていたのだから、日本軍はドイツ軍よりも強かったと思う。
265:名無し三等兵
07/09/08 14:37:26
だつお乙
266:名無し三等兵
07/09/08 18:25:24
地球環境のために最低一億とか書いてる時点で中佐もだつおと(ry
とは言え納得してる俺ガイル
267:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/09 22:56:11
仕事の時間帯がちょうど重なって『紅月ノ宴』に逝けなんだ…w。終わった後に
同人書店で「もう委託されていないかしらん?」と探すもの悲しさよw。でも
『少女幻葬』(後編)と夏の超時空要塞で買い逃した「ビタミンごはん」と「ふあん亭」
の新刊がゲットできて、ちょっとだけ幸福…。
268:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/09 23:18:44
>>261 >>結局海上輸送がダメになってて何一つ本土には届けられなかったってのが
>>悲しいところだ。
後で述べますが、支那にとっても交通の問題は深刻です。先に結論を言ってしまえば、
抗日戦争中、支那の工業がダメダメだった理由は「工場疎開の失敗・電力不足・交通の困難」
の3点です。
>>恐らく沿岸の工業都市にあるもの全てをかき集めても、良質な工作機械が
>>日本の10分の1もあったかどうか疑わしいな。
そういうのを根こそぎ内陸部に疎開できなかったのが、いかに蒋介石が独裁者で
なかったか、強権を発揮できなかったかの証左でもあります。上海から南京戦の
ドタバタでは無理かもしれませんが、武漢・広東攻略戦(1938年後半)辺りなら
状況は違うでしょう。逆に言えば、いかに蒋介石は『上海決戦』を勝つ気マンマンで
開始したかという事です。
269:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/09 23:57:39 jnp6Mi3g
>>262 >>うーん、「毎日」「ゴミ漁りに聞け」の話の事だろうが
>>257 >>ヒデキが出来た事はせいぜい「戦死確定の激戦地送り」です。
>>(それでも)海軍が茶々を入れてきますからねw。
ちょっと言葉足らずだったようで。自分が指したのは、毎日新聞社の新名丈夫
記者ですね(『竹槍事件』)。海軍に邪魔されるようでは、ヒデキも独裁者では
全然なかったなあ…w。
>>開戦に踏み切らす為の物動でのA→Bへの鋼材10万トン譲り、
何だったかなあ。「開戦に賛成してやるから、陸軍の割り当てから海軍に鋼材を
10万トン寄こせ」と言ったヤツでしたっけ? 記憶が曖昧でどの本で読んだか
直ぐに思い出せない……w。
270:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/10 00:05:43
>>262 >>南方のくだりを見てると海軍がやってたのは「おねだり」じゃないかと。
>>海没、飢餓8割、玉砕1割、自活1割確定コース、正直笑えん。
兵頭軍師がおっしゃられるように、「海軍への指導がキッチリ出来ていなかった
という意味で、あの戦争は陸軍の責任だろうよ」な訳ですw。
>>266 >>地球環境のために最低一億とか書いてる時点で中佐もだつおと(ry
>>とは言え納得してる俺ガイル
日本陸軍は「60年先の未来」を見据えていたんですよw。
271:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/10 00:24:36 jQZ2afMN
>>259 >>黄仁宇は当時を振り返って、●「先進国が戦時動員に際して、民間物資を欠乏
>>させてでも軍隊への供給は絶やさなかったという状況とは比較のしようがない」
さて、このような物質的な困難にあった国府軍ですが、黄仁宇によれば蒋介石が
与えた指示は、●「歯を食いしばって頑張れ」だけだったようです。要するに、
もしも騾馬がいないのなら、砲兵部隊の士官と兵士は自身の力で砲を運ぶのである。
もしも制服が支給されないのなら、破れた古い制服を繕えばよいのである。一着の
制服は、3~4年は着ることになっている。
満腹までには至らなくても、食べる飯には事欠かない。兵士が眼病を患えば、伝統的な
薬草を煎じる方法で治療する―。
272:名無し三等兵
07/09/10 00:33:37
モノが無くなったら結局は精神論か、原点回帰とでも言うべきか。
日本にはハナから精神論しか選択肢が無かったのは少し別の代物だが。
273:ばばぼん♪ ◆gdH1Km1a0U
07/09/10 00:46:09
精神とか誠心とか清心には金がかからないのです。
274:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/10 00:52:10 jQZ2afMN
また独特なのは、「武器弾薬の不足」について述べた蒋介石の訓話です。
「もし弾丸が100発しかないときは、60発を訓練用に割り当てるべし」
というものです。そうすれば「残りの40発は実戦において百発百中となる
望みがある」とします。
同様に「手榴弾が2個あれば1個を爆発させてみて経験を得よ」でした。さらに
『前線補給』を挙げて、「日本軍の兵器や弾薬を鹵獲せよ」とまで言います。
何かもっともらしい事を言っているようで滅茶苦茶な論理です。全財産が
100万円しかない人に向かって「取りあえず60万円を練習で使ってみろ、
そうすれば残りの40万円はもっと有意義に使うことができる」と言って
いるようなものです(藁)。
黄仁宇は、「彼には弾薬が尽きようとしている部隊の、士気と人心に対する
考えが無い」と批判していますが、もっともなことでしょう。
275:名無し三等兵
07/09/10 21:10:01
ヒデキは憲兵隊を駆使して赤狩りしたり程の共産党が嫌い。ヒデキの共産党嫌いは
例の「共産党は世界の害虫」発言からもわかるように筋金入り。
首相の座を明け渡した後は「害虫駆除」の為に現役として中国に渡り、打通作戦を途中で中止してでも
(桂林とかイラン)西安と延安へ攻め込むべきであった。
ヒデキと憲兵隊は切っても切り離せない。だがヒデキの共産党嫌いはどこから来るのだろう?
めちゃくちゃ弾圧したからな・・・・
276:名無し三等兵
07/09/10 22:29:49 pXVrbhrq
盡忠報國
長勇
忠即盡命
277:名無し三等兵
07/09/10 23:05:40
ヒデキはねそんなに悪い子じゃないの
ただいるべき場所を間違えただけなの
278:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/10 23:34:29 ZsO/6qJG
>>275 >>ヒデキと憲兵隊は切っても切り離せない。だがヒデキの共産党嫌いは
>>どこから来るのだろう?
だつお氏ですか? まあ、関東軍憲兵隊司令官(1935~1936年)時代に
遡るのではないですかね。
ヒデキはそれまでの40年近い軍人生活で『憲兵畑』だけは無縁でした。まあ、
この辺りはヒデキだけが珍しい訳では全然ありませんけど。赴任して3週間程で
憲兵隊の職務を頭に叩き込むのですが、ヒデキの最初の感想は以下の通りでした。
●「陸軍省や参謀本部に集まってくる連中は、やはり優秀なんだなあ。あまり知らない
世界(憲兵隊)に入ってみて、初めてそれがよく分かった。憲兵ときたら鈍重そのもの
だし、何度も同じことを指示しなければ理解しない。それに帝国軍人としての自覚にも
欠ける。『もう一度はじめから鍛え直さなければならない』」
279:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/10 23:54:45 ZsO/6qJG
>>278 >>『もう一度はじめから鍛え直さなければならない』
ヒデキは「近衛歩兵第3連隊中隊長」としても「歩兵第1連隊長」としても
非常に優秀でした。そのヒデキが関東軍憲兵隊を『もう一度はじめから鍛え
直さなければならない』と述べたのですから、その結果がどうなるかは火を
見るよりも明らかです―w。
さて言うまでもなく、軍隊内での「憲兵の地位」は非常に低いものがありました。
『憲兵は軍人ではない』とまで呼ばれる屈辱が、さらに憲兵のモチベーションを
屈折させていきました。
また憲兵自身の中にもそれを逆手に取って、●「憲兵は鈍重なのが良いのであり、
家の便器が茶の間や床の間にあっては困るのと同様に、憲兵も陽の当たらぬ所に
あるべきだ」とする自己弁護というかオナニズムというか、無難に小さくまとまろう
とする者も多くいました。これを『良識的』というかは意見が分かれるでしょう。
そして当然の事ながら、ヒデキは「こんなダラシのない憲兵はいらない」派ですw。
280:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/11 00:15:06 LvEn3v1h
カミソリ・ヒデキの信条は、●「帝国軍人は、与えられた己の職務を全うせよ」です。
憲兵が自分の職務に忠実であればある程、どのような状況が生まれるか?―それは
ヒデキにとっては思い浮かべるのにも値しないことでした。
こうして憲兵隊の精神面でのテコ入れをガンガン行なっていく訳ですが、ヒデキの
『構造改革』は「関東軍憲兵隊」の組織面にも及びます。
ヒデキが赴任した当時の関東憲兵隊司令官は、関東局警務部長も兼任し、満州国の
全警察権を一手に握る存在でした。さらに満州国民政部と鉄道警護隊を統制する
権限をも部分的にもっていました。
ヒデキの前任者たちである橋本虎之助、田代皖一郎、岩佐禄郎などは、こうした
関東憲兵隊司令官の権限を曖昧なものにしていました。あまり露骨にはっきり
させると、満州国の傀儡性が明確になってしまうからです。ところが、カミソリ
ヒデキには、この曖昧さが我慢なりません―w。日本領事館警察、関東局警察の
人事、予算の全てを関東憲兵隊の指揮下に入れなくてはならないとまで主張しました。
281:宵闇の妖怪 ルーミア ◆FU/OcfTlfM
07/09/11 00:22:18
>>280 >>ところが、カミソリ・ヒデキには、この曖昧さが我慢なりません―w。
,. -ー- 、__
,' 'y´
i レノノハノノ)
,..ハルi >ヮ<ノリ でもそんなの関係ねえー!
ヽ,).)∞_ハ,)
,<::,ミ_:::!」 ミ
~ヽ_ヽ_)
, -ー- ., ._,
.,' r'-,ゝ
((,(,ハ( (,J ~i´
从>ヮ< iルハ., でもそんなの関係ねえー!
(,ハ_∞( (,ノ
.彡 L!::_彡!:>,
(_,r'_,r'~
282:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/11 00:37:44 LvEn3v1h
●「満州国内の抗日運動を抑えるには『軍警一本化』こそ望ましい―」
ヒデキの主張に関東軍の参謀の多くは追随しますが、もちろん行政の関東局も
外交の領事館も抵抗します。するとヒデキは、ある抜け道を思いつきます―。
そもそも憲兵の本来の任務は、軍人直属の監督取締り、軍の安全を保持するのが任務
ですが、それを広義に解釈すれば、その活動対象は民間人にまで及びます。今までの
関東憲兵司令官はそれを知りつつも消極的でしたが、ヒデキは当然の事ながら違います。
「憲兵隊は軍だけでなく、満州国の治安を前面に立って守らなければならない。
(そのための)あらゆる命令は関東憲兵司令官から発せられる―」
と決定して、一方的に民間人の監視も行なうように命じました。それまで傀儡性を
薄めるために、わざと錯綜していた機構も強引に一元化します。ヒデキの名前が
満州国で畏敬と恐怖の念をもって語られるようになるまで、そう時間はかかり
ませんでした―。
283:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/11 00:52:48 LvEn3v1h
満州国の日本人官僚や関東軍参謀からは、頼もしい「実行肌の司令官」として
畏敬の目が―。
逆に満鉄や協和会、そして内地で社会主義運動に挫折して満州に新天地を
求めた知識人、いわゆる「アカ」からは恐怖の代名詞として―。
後者からは、ヒデキは秩序に名を借りた強権・強圧の張本人として憎まれました。
支那人からも極度に怖れられたことは言うまでもありません(続く)。
284:楽園の素敵な巫女 博麗霊夢 ◆FU/OcfTlfM
07/09/11 00:57:24
>>277 >>ヒデキはねそんなに悪い子じゃないの ただいるべき場所を間違えただけなの
.「^ヽ,ry'^i
,ゝ"´ ⌒`ヽ
くi Lノノハノ)」
λ.[i ゚ ヮ゚ノi! ヒデキはね、自分の仕事に熱心過ぎただけなのね。
レ',ヘ.i`ム'」つ旦~ 決して悪い子じゃないわ。
,く_,//T.iλ
"ーr_,t_ァ'"
285:名無し三等兵
07/09/11 01:09:59
東条は近衛が自殺したのとは違い、死に損なったその散り際の悪さが彼に対する印象を極度に悪化させた。
陸軍省や関東軍での手腕や、政治的な評価とは別に、印象や人気というのは首相というポストにいるなら最も大切な要素の1つである。
逆に言えば、あれだけ期待をされて登場した近衛は首相在任時に中途半端な事しか出来なかった、その程度の政治家だったが
東条とは違い裁かれる前に自殺に成功したおかげで、東条と比較されるように印象は良くなった。
近衛が裁判で絞首刑に処せられていたら、文官の広田弘毅は死刑になる事は避けられただろう。
286:名無し三等兵
07/09/11 08:10:18
ヒロヒトが死刑になるべきだった
287:名無し三等兵
07/09/11 10:47:01
>>284
URLリンク(www5a.biglobe.ne.jp)
288:名無し三等兵
07/09/11 14:40:22
サンフランシスコ講和体制というのは、A級戦犯14人に罪を負わせる代わりに、
天皇陛下と国民を免罪した。 簡単にいえば、敗戦国に本の戦後復興を国際的に支援するための
スキームをつくったのです。
田中角栄首相が日中国交回復をしたときの日中共同声明も、実は、サンフランシスコ講和体制の
スキームに乗っかっていて、その後の中国政府は、A級戦犯あるいは戦争指導者が悪かったのであって
日本国民は悪くなかったと言う説得を中国国民に行うことになりました。
わかりやすくいうと、これは日中双方にとって手打ちだったと思うんです。
手打ちということは、お互いが内容的に納得したと言うことではない。納得していない
かもしれないけど、とにかくそうすることに決めたと言うことです。
(略)でも何らかのかたちで、東京裁判は手打ちだったことを、国民全体にわかってもらわなくてはいけない。
処刑されたA級戦犯だけが悪かったはずがありません。他にも悪かった人はたくさんいたのです。
なのに、あえて罪をかぶってもらって、戦後復興の礎になってもらったのです。
そうした本当の事情を、影に日なたにコミュニケーションすることで、犠牲になった方々やその関係者
を納得させるような方向に、国民全体でもっていくべきでした。
政府は手打ちの当事者ですから、本当の事情を口にするわけにはいきません。
そのかわり、国民がするべきだったのです。国民の不手際です。
この不手際が時間が経つにつれて、だんだん大きくなってきているように思うのです。
二つ不手際がありました。一つは、A級戦犯が本当に悪かったのだと信じ込ませる
ようなコミュニケーションを、教育を中心として展開してしまいました。
これは人倫的に許されるはずがありません。どこの誰よりも戦争動員に向けて積極的に
旗を振った朝日新聞が、A級戦犯よりも悪くなかったなどと、誰が言えるのでしょうか。
(略)僕は靖国に祀られているA級戦犯の方たちに敬意を払う者の一人です。
彼等は作戦責任者や参謀として無能だったかもしれません。
でも広島の原爆で14万人、長崎の原爆で7万人、東京大空襲で10万人の
民間人の生命を奪ったアメリカの作戦責任者よりも悪かったなど、あり得ません。
(以下略)
「神保・宮台マル激トーク・オン・デマンド 中国」 春秋社
289:名無し三等兵
07/09/11 17:03:00
東と西で敗退を続けたヨーロッパのドイツ軍よりも弱い皇軍にさえ、
大陸打通作戦で連戦連敗する、更に弱い世界最低の中国軍・・・
どうしたらこんなに弱い軍隊が編成できるのか不思議だ。
いやあれは軍隊とは名ばかりの、文字通りゴロツキの群れ・・・
290:名無し三等兵
07/09/11 17:05:08
だつお乙
291:名無し三等兵
07/09/11 20:52:22 nF15wthC
アカな人から見たらヒデキはさぞかし恐怖の対象でしたでしょうね。
292:元32(予備役少佐)
07/09/11 21:05:39
>>283
>>284
>>291
ヒデキが満州でびしびしガチで不良分子を取り締まる
↓
不良分子はやむなく満州から北支に離脱
↓
北支で不良分子があんなことやこんなことをして治安悪化
これが日中戦争に影響した話というのもあります。
293:名無し三等兵
07/09/11 22:37:33
アカは碌なことしないからしょうがない
20世紀最大の害悪は共産主義だからね
294:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/11 22:47:52
>>283 >>支那人からも極度に怖れられたことは言うまでもありません。
関東憲兵隊の司令官(ヒデキ)宿舎は、抗日不良分子からのテロを防ぐための
警備がますます厳重になりました。ヒデキの娘たちの登校には、秘かに護衛が
付けられます。
●「憲兵隊司令官といえば土匪には怨まれている。お前たちが誘拐されても身代金は
払わんぞ。一度取引きに応じれば奴等はつけ上がる、だから気をつけろ―」
娘たちにもこう因果を含んだと云います。『匪賊討伐』を掲げて満州国の奥地まで
憲兵隊員を動員し、ときにはヒデキ自ら馬に乗って匪賊を追い求めました。まるで
どこかの『将軍様』のようですw。関東軍司令部ならびに関東憲兵隊司令部がある
新京では壁に『東條を葬れ』と大書されました。
それを見たヒデキは一笑に付し、ますます『闘争心』を燃やして抗日支那人共を
ビシバシ摘発していきました。「燃料投下」でしかありませんw。
295:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/11 23:04:55 rkCGXTkA
こうして熱心な『匪賊狩り』を続けるヒデキですが、その目は日本人に対しても
同様に向けられます。
関東軍に反感をもつ団体や民間人のリストアップを始めました。憲兵隊員たちは
内地くずれの「社会主義運動者」や「国家改造運動」に熱心な者を調べるだけで
なく、皇道派にいささかでも共鳴する傾向がある軍人・民間人をリストに加えました。
ヒデキがいた当時、関東軍にの青年将校には皇道派が多かったためです。これは
「十月事件」(1931年)のシンパは、東京から遠く千数百キロ離れた地に
勤務させるという人事上の内規のため、満州・朝鮮・台湾に数多く赴任してきて
いたのです。
ヒデキが関東憲兵司令官になる前年の1935年、師と仰ぐ永田鉄山少将が皇道派の
相沢中佐に斬殺されていますから『親の仇』みたいなものでしょう。また相沢中佐が
兇状に及んだのは、台湾の台北高等商業学校の配属将校に飛ばされる途中の事でした。
296:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/11 23:21:32 rkCGXTkA
>>275 >>ヒデキと憲兵隊は切っても切り離せない。だがヒデキの共産党嫌いは
>>どこから来るのだろう?
こうして1936年1月には、リストアップされた『危険人物』の軍人・民間人は
4千名近くになりましたが、翌月の2.26事件での「果断な対処」―弾圧・監禁・
拘束により、ヒデキが躍進する大きな契機となったのは運命のいたずらでしょうか。
のちにヒデキは、同じ統制派の池田純久に対して●「永田さんの仇討ちのつもりだった。
胸がすっとした―」と語っています。
ヒデキは「アカ嫌い」だったのは確かですが、それ以上に皇道派を憎んでいたでしょう。
関東憲兵隊司令官への異動は、軍中央の主流から外れたことを意味していましたし、
それどころか、第24旅団長(→第12師団司令部附被仰付)を最後に少将で予備役
編入危機の直前にあった訳です。
まあアカが嫌いなのは、カンジの事も影響しているでしょうw。
297:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/11 23:41:45 rkCGXTkA
>>それどころか、第24旅団長(→第12師団司令部附被仰付)を最後に少将で予備役
>>編入危機の直前にあった訳です。
ヒデキのことが大嫌いだった支那通軍人の『磯谷廉介』によれば、自分が永田鉄山と
図って、軍人生命を復活させてやったと言わんばかりの記述が残っています。要約
すると以下の通り。
駐支大使館付武官として打ち合わせのために帰国した磯谷廉介は、陸軍省の軍務局長室に
永田鉄山を訪ねました。すると永田は、
「関東軍(関東憲兵隊司令官)に空きができる。後任人事に困っているのだが、
貴公やってみるか?」
「わしは満州に行かんよ」と磯谷は答えながら、軍務局の部屋を見て顎をしゃくり
ながら言いました。
298:名無し三等兵
07/09/11 23:47:53
ヒデキは時代が時代なら優秀な軍事官僚として一生を終えたかモナ
汚職とかには縁のない人間だったし
299:名無し三等兵
07/09/11 23:55:51
天才度
カンジ>>>日蓮の壁>>>ヒデキ
キチガイ度
カンジ>>>最終戦争論の壁>>>ヒデキ
日本をどつぼにはまらせた度
カンジ>>>満州の壁>>>ヒデキ
可哀相度
ヒデキ>>>能力と時代の壁>>>カンジ
300:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/11 23:58:51 rkCGXTkA
磯谷「あそこに暇な男(ヒデキ)がいるじゃないか。彼奴をやろう」
永田「そうするか」
となってヒデキの満州行きが決まったと云います。本当かよw。
ちなみにですが、永田鉄山と磯谷廉介は同期の陸士16期です。
ヒデキは1つ下の17期に当たります。
上記の元ネタは『「支那通」一軍人の光と影 磯谷廉介中将伝』ですが、
●「永田、磯谷、東條がある日、軍務局で顔を合わせることがなければ、
多分、東條は第12師団(小倉)付から待命、予備役となったであろう。
その路線を修整し、東條を蘇らせたことが結局は日本の運命を狂わせる
ことになり、また、磯谷の前途にも障害となったのである―」
としています。まあ、話半分に聞いておいて欲しいのですが、ヒデキが開戦時の
首相に登りつめるまでには、数多の運命の操作があった訳です。もはや必然です。
301:名無し三等兵
07/09/11 23:59:00
恨まれ度
ヒデキ>>>英霊の怨念の壁>>>カンジ
302:名無し三等兵
07/09/12 00:01:32
>>298
仮に今ならかなり国民の期待を得られるんじゃないか?
303:名無し三等兵
07/09/12 00:05:18
かもしれん。
イエスノーがはっきりしてるし、公私混同や金絡みのことに対しては厳しいからな。
ボースだったかスカルノだったかも東条の事務能力は高くしていた。
政治家としては・・・だが。
304:名無し三等兵
07/09/12 00:07:23
クラスのいいんちょみたいなもん
生徒会長にはなれない
305:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/12 00:11:20 kh0vb8dW
>>291 >>アカな人から見たらヒデキはさぞかし恐怖の対象でしたでしょうね。
余談になりますが、関東軍の部下から見て怖い順番は、
ヒデキ>>>岡村寧次>>>板垣征四郎
となり、それぞれ「カミソリ東條」「俊敏岡村」「大人板垣」と揶揄されました。
ちなみに3人とも関東軍参謀長(岡村だけ参謀副長)経験者です。逆に親しまれたのは
板垣征四郎>>>岡村寧次>>>ヒデキ でこれは言うまでもありませんw。
さらに支那人から見て怖い順番となると、
板垣征四郎>>>ヒデキ>>>岡村寧次 と少し意外な結果になります。
306:名無し三等兵
07/09/12 00:14:57
>>298
つじーんも中世に生まれていたら勇猛な武将として一生を・・・
307:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/12 00:18:38 kh0vb8dW
岡村寧次は江戸っ子チャキチャキの「支那通軍人」で支那人の知己も多く、
対話しやすい人物でした。
板垣征四郎は支那側の人物評を見ても、『虎』と言われるほど怖れられて
いました。ヒデキはこの中間に当たります。
以上は関東軍の参謀長副官として、岡村寧次・板垣征四郎・ヒデキの3人に
身近で仕えた泉可畏翁の証言を参考にしています。
308:名無し三等兵
07/09/12 00:29:16
今日「僕は八路軍の兵士だった」て本買ったけど面白いな。
たった一人で敵の司令部制圧って凄すぎ。しかも自分で意図したわけではなく全てが偶然の産物。
309:名無し三等兵
07/09/12 00:29:20
中世に生まれたつじーんが男色と聞いて飛んできました。
310:永遠に紅い幼き月 レミリア・スカーレット ◆FU/OcfTlfM
07/09/12 00:33:33
>>300 >>ヒデキが開戦時の首相に登りつめるまでには、数多の『運命操作』が
>>あった訳です。もはや必然です。
,ヘ/L─- 、
Lニ)r_」=== イ
,ヘ、i ノノλノハノヘ
,' `(ハリ ゚ ヮ゚ノi) ', 呼んだ?w
.i >〈(つ,i!と) i
vヘγk´_/___i,ゝヘノ
`゙r_,ィ_ァ゙´
311:名無し三等兵
07/09/12 00:34:58
15対1
つまり16P
絶倫だね
312:元32(予備役少佐)
07/09/12 00:38:01
>>300
ヒデキの関東軍憲兵司令官就任は相澤事件のあとなので、
その話の信憑性はおっしゃるとおり少し微妙ですね。
それと、もともと東條の親友である永田は陰に日向に東條をかばっています。
皇道派全盛時代に、そもそも永田の友人は少ないのです。
>>307
余談ですが、カンジとヒデキの対立について云々される場合が多いですが、
意外なことに、板垣将軍とヒデキは仲がいいのです。
313:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/12 00:41:25
まあ果てしなく余談ですがw、ヒデキが関東憲兵隊司令官のとき、板垣征四郎は
関東軍参謀長でした。2.26事件のドタバタでも対応を2人で協議しています。
これが縁で板垣征四郎が近衛内閣で陸相に就任するとき、いくら「お目付け役」だった
とはいえ、ヒデキが陸軍次官にピックアップされて、陸軍中央にカムバックすることが
できた訳ですから、やはり運命としか言いようがありません。
もしこの時の関東軍参謀長が岡村寧次あたりだったら、ヒデキは中央に帰れず
おそらく支那事変で二線級の師団長を務めてオシマイだったかもしれません。
314:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/12 00:54:07
>>仮に今ならかなり国民の期待を得られるんじゃないか?
ヒデキは社保庁長官にでもなって、年金横領のアホ共を『全員死刑』にしてくれる
こと希望しますw。
>>312 >>ヒデキの関東軍憲兵司令官就任は相澤事件のあとなので、
>>その話の信憑性はおっしゃるとおり少し微妙ですね。
ですよねえw。他にも、永田斬殺事件で罪の意識を感じた林銑十郎陸相が
永田の二の舞を避けるために、ヒデキを満州に避難させたというトンデモ話も
ありますが…ナムナムw。
315:名無し三等兵
07/09/12 22:14:05
>>314
板垣とヒデキの仲は?
同藩出身でも仲が良く無かったって話があった様な?
316:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/12 22:19:50
『安倍総理辞任』の速報がお昼に流れて驚きました。最初に頭に浮かんだのは
近衛文麿の内閣投げ出しと、もっと言えば『富永恭次の敵前逃亡』でした……。
久しぶりにヒデキの話をしたらこれですかw。何にせよ、勿体無い勿体無い。
首相になるのが早過ぎました。小泉さん小泉さん、何か言ってやって下さいよw。
317:闇に蠢く光の蟲 リグル・ナイトバグ ◆FU/OcfTlfM
07/09/12 22:26:45
>>316 >>久しぶりにヒデキの話をしたらこれですかw。
q_...._ p
, ' ) ,iヽ
! (,,ノノハ,))
wl| ゚ ヮ゚ノ|l それは「蟲の予感」というヤツだねw。
,/(_,)~:~j(つ ))
/ (ン、_,r _)、
y´^゙i_フi_フ´
318:名無し三等兵
07/09/12 22:40:05
内閣改造直後に投げ出しなんて近衛でも出来なかった芸当でしょう。林銑十郎かそれ以下のレベル。
319:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/12 22:48:50 AI0orwSQ
>>315 >>板垣とヒデキの仲は? 同藩出身でも仲が良く無かったって話があった様な?
板垣とヒデキの仲が悪くなったのは、陸相・陸軍次官の関係になってからですね。元を
たどれば2人は南部藩の出身ですし、尉官時代は双方とも「一夕会」の有力なメンバー
でした。ヒデキが「陸軍次官」になってボヤいたことは、
●「次官になって困ったことは、おれ・貴様の関係だったのに、これからは大臣と
呼ばなければならんことだ―」
と言っています。ヒデキと板垣の関係が極端に悪化したのには、参謀次長だった
多田駿(中将)が大きく絡んできます。また背景には支那事変の『拡大論と不拡大論』
の対立も影響します。言うまでも無く、ヒデキは「拡大派」、多田駿は「不拡大派」です。
板垣は「どっちでもいいや派」か「なるようになるさ」派です(藁)。
320:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/12 23:01:04 AI0orwSQ
近衛文麿(第1次内閣)が板垣征四郎に陸相を打診したとき、その条件は
●「支那事変の早期解決、日本軍の北支撤兵」です。
板垣は率直に●「自分が陸相になっても、果たしてそれが出来るかどうか、
分からない」と受諾を拒んでいます。それでも使者から執拗に粘られて、
●「それでは事の成否は別として、とにかく命賭けでやってみよう」となって
板垣は陸相に就任しましたが、これは近衛の全くの見込み違いとなりました。
近衛が板垣に陸相を打診したのは、徐州戦の真っ只中(1938年4月)でしたが
板垣の腹の中はこうです。●「この段階になっては、何人も戦線の拡大を阻止する
ことは『不可能』である―」
そして近衛は今行なわれている「徐州戦」が、●『武漢・広東攻略戦の前哨戦』で
あることを、ついぞ知らなかった訳です。
321:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/12 23:18:00 AI0orwSQ
>>319 >>板垣は「どっちでもいいや派」か「なるようになるさ」派です(藁)。
板垣は良く言えば「清濁あわせ呑む茫洋型」、悪く言えば「ちゃらんぽらん」です。
一度は正直に「そんなこと(支那事変の早期解決)は無理」と断るのですが、どう
してもと頼まれれば●『じゃあ1曲』とばかりに引き受けてしまうところに全てが
表れています。カンジを許容できるのですから、その度量は想像を絶しますw。
まあ、それはさて置き、参謀次長の多田駿とは同じ「支那通軍人」。そして多田も
東北の出身(伊達藩)でしたから、もともと私生活でも親しかったと云います。更に
板垣は陸士16期、多田は15期で直近の先輩・後輩にあたります(ヒデキは17期)。
ですので、参謀本部と陸軍省の打ち合わせは、多田(参謀次長)が直接、大臣室に
行って「おい板垣」という具合にトップ同士で話を付けました。本来、意見が対立
するはずの参謀本部と陸軍省ですが、人物の組み合わせによってはこういうことが
起こり得ます。もちろん頭ごなしにされるヒデキは、面白いはずがありませんw。
322:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/12 23:35:09 AI0orwSQ
ヒデキが言いたいのは、「多田は参謀次長なのだから、まずは陸軍次官である
自分に話を通すべきだ」とするものです。しかるのちに次官の自分が大臣の
板垣に決済を求めると―。このときの参謀総長が皇族の閑院宮でしたから、
実質的には多田が「半分総長」みたいなものです。この辺は難しいところが
ありました。
さらに陸軍大臣と陸軍次官の「職務権限」が明文化されていないので、元々
その関係は微妙なものでした。陸軍大臣と軍務局長が直結していて、次官は
単なるお飾りのときもあれば、逆に陸軍次官が陸軍大臣を振り回すときも
ありました。
前者は「ヒデキ(陸相)―木村兵太郎(次官)―武藤章(軍務局長)」ラインが
典型的ですし、後者はまさに「板垣征四郎(陸相)―ヒデキ(次官)」でしょう。
323:闇に蠢く光の蟲 リグル・ナイトバグ ◆FU/OcfTlfM
07/09/12 23:38:23
>>318 >>内閣改造直後に投げ出しなんて近衛でも出来なかった芸当でしょう。
>>林銑十郎かそれ以下のレベル。
q_...._ p
, ' ) ,iヽ
! (,,ノノハ,))
wl| ゚ ヮ゚ノ|l 安倍首相は、林銑十郎かそれ以下のレベルで
,/(_,)~:~j(つ )) ファイナルアンサー?w
/ (ン、_,r _)、
y´^゙i_フi_フ´
324:名無し三等兵
07/09/12 23:42:04
自衛隊の患部なんてなんぼ優秀な奴でも
警察じゃせいぜいノンキャリの管理官(警視)どまりだべ?
エリートつっても格が違うわな。
325:名無し三等兵
07/09/12 23:42:12
なにもせんじゅうろう
326:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/13 00:02:29 AI0orwSQ
また板垣は、陸相になる前までは「軍中央」での勤務がほとんどなく
(参本支那課がある程度)、あとは在支武官や中隊長・大隊長・旅団
参謀で、1929年に関東軍へ転出してからは1937年に第5師団長
(広島)になるまで「それっきり」です。
ヒデキは陸軍次官に任命されたとき●「俺たちは『水商売』(政治)の教育は
受けていない。陸軍士官学校以来、戦争以外のことは教わっていない」と一瞬
躊躇した云いますが、まだヒデキの方が陸軍省動員課長や参謀本部編成動員課長、
そして陸軍省の軍事調査部長という新聞記者と接するような広報機関―いかにも
ヒデキに向いていない―など、軍中央で苦労した経験があります。
よって板垣は、陸相として閣議に出ても、他の閣僚の要望を深く考えず気軽に
引き受けて陸軍省に戻って来てしまい、それをまたヒデキが抗議して板垣は
次の閣議で前言を平然とひっくり返すというドタバタが続いていきます。
よそから見ていてもいい加減、嫌になってくるでしょうw。
327:名無し三等兵
07/09/13 00:04:19
イナゾウの正体は経済板の鍋像だと判っている。
328:名無し三等兵
07/09/13 00:20:26
なにをいまさら 本人も過去スレで言ってる。
329:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/13 00:21:03 qlcUVPWf
こうしてヒデキと「板垣・多田」の対立は深まり、省部(陸軍省・参謀本部)
でも有名になって来る訳です。
しかも多田は「満州国軍最高顧問」(1932~34)という経歴からも
判るように、カンジの方を評価してヒデキを嫌っていました。
岩手県人会の集まりに出席したヒデキに、多田は●「君自身は県人じゃない
ではないか。それなのに君が顔を出すのはおかしい」と後日に皮肉って
ヒデキが顔色を変えて詰め寄り、周囲の者に止められる程でした。
ちなみにヒデキは本籍は岩手県ですが、生まれた場所は東京です。ただし、
父親・英教の無念を晴らすというファーザーコンプレックスの塊のような
人間でしたから、多田のような悪口を言われれば間違いなくブチキレますw。
330:名無し三等兵
07/09/13 00:28:01
バター塗って
とろけるチーズのっけて
焼いたわ
カロリー多すぎじゃ
食ったら行動開始じゃ
じゃあの。
331:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/13 00:42:11 qlcUVPWf
結局、ヒデキと多田駿の対立は1938年12月、「喧嘩両成敗」の形を
取って終息します。
ヒデキは陸軍次官から「航空総監+航空本部長」に飛ばされ、多田駿は
参謀次長から「満州の第3軍司令官」に転出していきました。
ちなみにヒデキの後任は、教育総監部本部長の山脇正隆中将。多田の後任は
参謀本部総務部長の中島鉄蔵中将です。
まあ、ヒデキとカンジの『極悪な関係』を考えれば、石原信者である板垣征四郎は
それなりにヒデキと上手くやっていたと言うべきでしょうか。
まあ、板垣にとってみれば、ヒデキは関東軍参謀長としての「自分の直ぐ後任」に
あたりますし、カンジが関東軍参謀副長となって、最終的に頭がおかしくなり、
安倍首相よろしく全部投げ出して内地に帰ってきてしまうのは、上司がヒデキから
磯谷廉介に代わってからです。
332:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/13 00:52:19
まあ、ヒデキとカンジの関係がシャレにならなくなるのは、
むしろこれ以降ですけどね。関東軍参謀長・参謀副長時の
軋轢は単なるプロローグに過ぎませんw。
333:闇に蠢く光の蟲 リグル・ナイトバグ ◆FU/OcfTlfM
07/09/13 00:56:42
>>327 >>イナゾウの正体は経済板の鍋像だと判っている。
q_...._ p
, ' ) ,iヽ
! (,,ノノハ,))
wl| ゚ ヮ゚ノ|l ナベゾウって誰だよ?、オイw。
,/(_,)~:~j(つ ))
/ (ン、_,r _)、
y´^゙i_フi_フ´
334:名無し三等兵
07/09/13 21:43:40
>>329
それって多田もヒデキの家系が他所者の能役者だって揶揄してたんじゃ?
ダブルで傷つくような事いっているなさすが伊達藩出身。口ワリ
でも確かにヒデキって岩手県人ぽく無いんだよなあ。ピリピリし過ぎな
感じがなんか違う。
典型的な県人はやはり板垣。呑気だが誰か止めないとどんどん前に
進む鈍牛みたいなトロさが◎
335:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/13 23:01:33 iKvL4Wv1
>>334 >>それって多田もヒデキの家系が他所者の能役者だって揶揄してたんじゃ?
>>ダブルで傷つくような事いっているなさすが伊達藩出身。口ワリ
そこまで多田が『含み』を入れていたとしたら大したものですが、だとしたら本気で
ヒデキに殴られても仕方が無いでしょうw。
確かにヒデキの家系は、能楽の「春藤流宗家」にまで辿りつきます。そこから徳川家光の
時代に分家した「宝生流座付本ワキ方下懸り宗家」(なんちゅう名前だw)が後に南部藩へ
招かれました。ここから更に分家する訳ですが、当主に推薦された次弟が「南部藩に限り」
宗家と同じ宝生姓を名乗ることが許され、天保3年(1832年)に江戸から盛岡に到着
します。
当時の南部藩主が異常に『能楽師』を優遇したため(家臣に匹敵)160石が与えられ、
やはり家臣の地位が保証されたと云います。多田もそんな先祖に遡ってまでヒデキを揶揄
しなくてもと思うかもしれませんが、ヒデキが生まれたのは1884年で、そんなに昔のこと
でもありません。先祖まで『他所者』呼ばわりされては、カチンと来るのも当然です。
336:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/13 23:27:06 iKvL4Wv1
>>でも確かにヒデキって岩手県人ぽく無いんだよなあ。ピリピリし過ぎ
むしろチャキチャキの「江戸っ子」(東京人)だったでしょう。
>>典型的な県人はやはり板垣。呑気だが誰か止めないとどんどん前に
>>進む鈍牛みたいなトロさが◎
ただ満州事変で派兵を渋る本庄繁(関東軍司令官)を2時間でも3時間でも
かけて口説き落とした『粘り腰』は、いかにも岩手県人らしいと特筆されます。
ちなみに本庄繁は兵庫県人です。
「石原さんのようなことは出来るだろう。しかし、どちらに転ぶか分からない時、
腹で勝負する板垣さんの真似は出来ない」という評判がもっぱらでした。
また板垣征四郎が多田駿と親しかったのは既に述べましたが、同じ岩手県人である
海軍の米内光政とも仲が良かった訳です。
337:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/13 23:46:37 iKvL4Wv1
板垣と米内は「征ちゃん」「米内さん」と呼び合う仲だったと云います。
そもそも2人は盛岡中学の先輩後輩でした(米内が3期上)。
また米内光政は「なにもせんじゅうろう」じゃなかったw、林銑十郎内閣の
海軍大臣から、第1次近衛内閣でも引き続いての登板ですが、近衛に対して
●「板垣君とならば留任してもよい」とほのめかしたとも言われます。
まあ、こうした懐の深さが板垣征四郎の特長でしょう。支那人からは『虎』と
怖れられましたし、板垣が陸相になった時には支那事変の真っ最中だったことも
あって、●「征四郎は『征支郎』に通じる」と世間に持て囃されました。
昨日、板垣を「チャランポラン」と書きましたが、ヒデキと多田駿が共倒れで
去った後でも、三国同盟問題、天津でのイギリス疎開封鎖事件、張鼓峰事件、
ノモンハン事件などと多難続きにも関わらず、1939年9月の平沼麒一郎
内閣の総辞職まで陸相を続けています。天皇や宮中、海軍との摩擦も生じた
にも関わらずです。やはり岩手県人ならではの「粘り腰」だったでしょうか。
338:闇に蠢く光の蟲 リグル・ナイトバグ ◆FU/OcfTlfM
07/09/14 00:02:17
q_...._ p
, ' ) ,iヽ
! (,,ノノハ,))
wl| ゚ ヮ゚ノ|l 結局、後継総理は福田で決まりかな?
,/(_,)~:~j(つ )) 「福田自民党」と「小沢民主党」……。
/ (ン、_,r _)、 次の総選挙はどっちに投票するか、中佐に
y´^゙i_フi_フ とっては『究極の選択』なんだってさw。
339:名無し三等兵
07/09/14 00:09:45
福田はネーよ
340:名無し三等兵
07/09/14 00:20:57
何の波乱も無く福田で次の衆議院選挙を迎える事は無いと思うが。
中国もアメリカも不安材料ありすぎ。
中国なんてこの間のサッカーの試合でも物投げるし。
北京オリンピックとか北京オリンピックとか北京オリンピックとか
今更ながらあれでまともに開催できるとは思えないなあ。
開催式の日本選手団行進中にブーイング&物投げが在ると思うな。
そんで日韓共催ワールドカップ真っ青の審判とラフプレー。
中国と協調を叫んでいた連中真っ青って展開を望むね。
341:名無し三等兵
07/09/14 00:30:27
重慶で五輪やるわけじゃないし、日韓W杯みたいな危険な発想は起こらないと思うけどな。
今や湾岸部に関しては中国人も愛国心なんて希薄になってきてるし、かつての反日デモも参加したのはほとんどがヒマな学生。
満州事変前後にあったような労働者を巻き込んでの反日デモと同列に扱う見識違いな日本人が多すぎる。
日本でもヒマな学生が全共闘とかやってたでしょ。彼らが卒業して社会に出て、何か変化を起こせたっていうの?
所詮ヒマな学生の空演説に過ぎない、それと2~3年前の、「なんちゃって反日デモ」は似たようなもんだ。
342:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/14 00:31:13 QxUeXrF7
>>285 >>東条は近衛が自殺したのとは違い、死に損なったその散り際の悪さが
>>彼に対する印象を極度に悪化させた。
>>近衛が裁判で絞首刑に処せられていたら、文官の広田弘毅は死刑になる事は
>>避けられただろう。
近衛がA級戦犯できちんと絞首刑になっていたら、もう少しマトモな歴史観が
形成されていたと思うのは自分だけでしょうか? 山本五十六は撃墜死だから
仕方が無いにしても、もし敗戦まで生き残っていたとしたらA級戦犯で絞首刑は
500%間違いありません。
同様に自決した本庄繁も「満州事変」の責任者ですから、これまたA級戦犯で
200%絞首刑でしょう。また杉山元も開戦時の参謀総長でしたから、絞首刑は
ともかくとしてA級戦犯は間違いないところです。
343:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/14 00:50:56 QxUeXrF7
何が言いたかったと云えば、東京裁判では『7人死刑』という大枠が
ニュールンベルグ裁判との比較(バランス)で決まっていたと言います
から、本庄繁が絞首刑になれば、板垣征四郎か土肥原賢二、あるいは
松井石根の誰かが「終身刑」で助かった可能性が高いのです。
近衛が絞首刑なら広田が助かったというのと同じ理屈です。もし山本
五十六が生き残って500%絞首刑なら、陸軍次官だった木村兵太郎か
軍務局長の武藤章のどちらかが死刑を免れたでしょう。
逆にヒデキが自決に成功していて、他の戦犯が同じ状況なら、おそらく
嶋田繁太郎が代わりに絞首刑だったと思われます。
また永野修身と松岡洋介が判決前に病死していますが、永野は置いておく
として、松岡が生き長らえば、これまた絞首刑になった可能性が高いでしょう。
松岡の「優先順位」を考えると、やはり史実の誰かが助かったと思われます。
344:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/14 01:15:37
要するに『A級戦犯』に自決されると、まるでババ抜きのように
より刑の軽かったはずの者に「お鉢」が廻って来ます―w。
ヒデキは、自決に失敗して開戦時の首相として『A級戦犯』となり
絞首刑に処されました。それは自決に成功していたよりも、遥かに
責任を取ったと思います。
345:東方の虫姫さま リグル・ナイトバグ ◆FU/OcfTlfM
07/09/14 01:22:12
>>338 >>福田はネーよ
q_...._ p
, ' ) ,iヽ
! (,,ノノハ,))
wl| ゚ ヮ゚ノ|l 昨日は麻生で、今日は福田。さて明日は?w
,/(_,)~:~j(つ )) ちなみに中佐は、小沢民主党に入れるぐらいなら
/ (ン、_,r _)、 福田自民党に入れた方がまだマシだ、という
y´^゙i_フi_フ´ 結論に達したみたいだねw。ああヤダヤダ。
346:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/14 01:31:27
>>343 >>永野は置いておくとして、松岡が生き長らえば、
永野修身と松岡洋右なら、むしろ永野の方が「優先順位」が高いかな? 微妙。
347:名無し三等兵
07/09/14 01:40:50
つーかごりごりの左ならともかく
自民党をくさして民主党をマンセーするのがかっこいいと
思ってる向き
(ついでに一見自民を批判しているように見えて
マシだ理論を建前にして毎度の如く自民に入れるナルシストも)
に間違いがある。
現実はガンダムや火葬みたいに行かないんだから
348:元32(予備役少佐)
07/09/14 02:39:18
>>346
松岡は三国同盟以外の「孤立」と「海外進出」すべてに反対なので、
やったことを普通に羅列すれば絶対に戦犯にはならないのでしょうが、
何故か国内・国外の印象が圧倒的に悪いので、
病死しなければ検察側に重視されてしまった予感がします。
松岡というのは気の毒な男なのです。
ただ、松岡の英語での雄弁を聞いてみたかったですね。
本人もそう思っていたのではないでしょうか。
349:名無し三等兵
07/09/14 21:02:37
本当の左は民主党にも積極的には入れないですよ。
左と見られる括りには、本当の左と単なる現体制に対する批判分子の双方があります。
本当の左は自分達の主張が通る政権が出来れば左のまま体制派足り得ますが、後者はそれが出来ても体制派になるか批判分子になるかはその時々です。
350:名無し三等兵
07/09/14 21:20:31
イタリアとかあんまり戦犯に問われていない。ムッソリーニが生きていたら確実に
一人だけ死刑になるのは確実だが弁明が聞きたかったな・・・・・
ルーマニアのアントネスクは死刑、ハンガリーのホルティは死刑を免れる
フィンランドに逃げた元白軍の将校たちはWW2とも冬戦争とも関係無いのにソ連に引き渡されて
銃殺刑・・・・・
351:名無し三等兵
07/09/14 23:29:00
強行採決の連発が社民共産支持票を民主に向かわせたという分析もあるみたい
352:名無し三等兵
07/09/15 00:09:46
総裁選や自民・民主の話題は他でやれ
353:名無し三等兵
07/09/15 14:17:09
スマソ
354:だつお
07/09/17 11:49:03 82VVMrI2
あーちょっと話は経済学にズレるけど・・・
社会保障は国や自治体でやったほうがいいと思うよ。今も韓国などはそうだが、
大家族制は人間関係依存になるからそのしがらみが経済効率を悪くしてしまう。
この点スウェーデンやフィンランドなどの社会福祉重視国家は経済成長率が高い。
家族の絆だの家の伝統だの先祖代々の土地だの、そんなの全くのアナクロだね。
そういうものはぶち壊して、公営住宅や公有地に変えたほうが効率的だ。
URLリンク(www.chosunonline.com)
韓国人口の1%が全私有地の半分を保有
URLリンク(www2.ttcn.ne.jp)
高齢者の生活費のうち主な収入源
75 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/10/25(水) 23:43:28 ID:Kf5BX1Cc
国府軍の部隊と言えば「汚職」ですが、部隊長が兵士の家族の医療費の面倒を自腹で見ると
いった事もよくあった訳です。ここから部隊の「人員水増し(過剰請求・汚職)」なども
発生するのですが、支那は部隊を維持するのに『人間関係』に依存し過ぎていたとも言えます。
↑特にこの時代、「土地改革」を怠ると後で取り返しのつかないことにも。
355:名無し三等兵
07/09/17 14:15:15
>>329
逆も読んだことがあります。
東條が多田に向かって、何で君がいるんだみたいなことを言ったとか。
多田家は確かに仙台藩士ですが、多田の生まれた場所は岩手なので
東京育ちの東條とはどっちもどっちといった所でしょうか。
356:名無し三等兵
07/09/17 14:34:26
それにしても多田の東條嫌いは相当なもんです。小畑、石原レベルじゃないですか。
北支方面軍から軍事参議官に転じて帰国したとき、態々途中石原に会いに行ったり
軍状奏上の後の座談会では一言も喋らなかったりとか。
URLリンク(imperialarmy.hp.infoseek.co.jp)
357:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/17 20:40:56
規制解除?
358:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/17 20:44:23
>>348 >>松岡というのは気の毒な男なのです。
松岡洋右が判決までに病死しなかったら(絞首刑になっていたら)、広田弘毅が
死罪を免れた可能性が高いです。
東京裁判というのは、支那(蒋介石)の『報復裁判』でもある訳ですが、中国に
とって松岡洋右はどうでもいい存在でした。しかしニュールンベルク裁判になぞ
らえれば、ナチ党の外相『リッペントロップ』のカウンターパートが松岡であり、
無論のことリッペントロップは死刑です(処刑の順序も一番先)。
もちろん松岡洋右をリッペントロップと「一緒くた」にして良いかどうかは、
非常に苦しいところですが、報復裁判とは戦勝国側の『宣伝』の場でしか所詮
ありません。選挙民に分かりやすい論理が立てば、それでいいのです。
松岡を死刑にしたかったのは米国とイギリスですが、仮に広田でなかったと
しても、板垣征四郎・松井石根・土肥原賢二の誰かが助かったでしょう。
359:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/17 20:49:34
松岡洋右のもっとも『特異な行動』が、独ソ開戦後(1941年6月)に松岡単独で
宮中に参内し、「対ソ開戦」を主張したことです。これは陸軍が「関特演」の検討を
始めるよりも早い行動です。
昭和天皇は、松岡が自分でまとめたばかりの日ソ中立条約を反故にすることに
心理的抵抗を持っておらず、しかも天皇に対して何ら恐れる事なく面と向って
それを薦める神経に驚愕したでしょう。
いやしくも日本の条約は全て「天皇の御名御璽」で発効されています。それを
日本自ら破ることは、近代立憲君主である日本国天皇の名誉を大いに傷つける
ものです。松岡にとって国家や天皇の名誉は、一身の名声より軽いのか?―
松岡の眼中には天皇が無く、自分の決めた事に判子をつけば宜しいと言わんばかりの
態度です。昭和天皇にとって松岡洋右は、自分のことを『屁』とも思っていない
初めて見るタイプの臣下だったでしょう。
360:闇に蠢く光の蟲 リグル・ナイトバグ ◆FU/OcfTlfM
07/09/17 21:01:39
>>347 >>ついでに一見自民を批判しているように見えてマシだ理論を
>>建前にして毎度の如く自民に入れるナルシストも間違いがある
q_...._ p
, ' ) ,iヽ
! (,,ノノハ,))
wl| ゚ ヮ゚ノ|l その理屈だと中佐はまさにナルシストだったんだね。
,/(_,)~:~j(つ )) でも民主党には絶対に入れない訳じゃないんだよ。
/ (ン、_,r _)、 小沢とか菅とか鳩山が嫌いなだけなんだ。小沢とか
y´^゙i_フi_フ´ 菅とか鳩山とか。小沢とか菅とか鳩山とか…w。
ジャスコ岡田が今だったら票を入れてたかもね。
361:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/17 21:23:34
>>356 >>それにしても多田の東條嫌いは相当なもんです。小畑、石原レベル
>>じゃないですか。
多田駿もカンジと同様に仏教に深く帰依していて、抹香くさい話が得意な割に
短気なところがあったと云います。まあ、多田駿は『良心的な支那通軍人』の
筆頭格のようなイメージがありますが、やはり人間の好き嫌いは普通にあった
ようです。
多田は「仙台幼年学校」の1期生でした。多田が参謀次長だった当時(支那事変
勃発時)、参本総務部長だった中島鉄蔵(仙幼の3期後輩)に使い走りをさせる
のは仕方ないにしても、陸軍大臣の板垣征四郎(同じく仙幼の1期後輩)すらも
当時と変わらず『後輩扱い』していたのは既に述べました。
ちなみにヒデキは「東京幼年学校出身」です。カンジは『仙台幼年学校』へ信仰に
近い気持ちを抱いていましたが、意外とカンジだけでなく『幼年学校閥』というのは
他の軍人にも大きな影響を与えていたかもしれません。
362:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/17 21:37:39
>>361 >>カンジは『仙台幼年学校』へ信仰に近い気持ちを抱いていましたが、
前にも述べましたが、要するに以下の通りですw。
●「俺は『仙幼』出身者しか信用しない」
●「満州事変を見ろ、あれは『仙幼』の作品だ」
>>意外とカンジだけでなく『幼年学校閥』は他の軍人にも大きな影響を与えていた
だとすれば、いわゆる『中学校出身者』の軍人は、いかに「チンカスのような扱い」
だったか想像が付くというものです。あの永田鉄山ですら、陸軍の刷新を目指した
一夕会を立ち上げる際に『中学出身者は信用できない』云々のことを、話の流れとは
いえ述べています。
ヒデキと多田駿の仲が決定的に悪化したのは、やはり「陸軍次官・参謀次長」時代の
衝突でしょう。きっかけはこうです。